ヒントブックスさんが本を届けてくれましたから、調子が今一つで読みづらかったのですが、落合誓子さんの「女たちの『謀反』」、読んでいました。
浄土真宗大谷派乗光寺坊守で1946年生まれと奥付にあります。
児玉さんがFB友達だそうです。
珠洲市の反原発運動の関係で児玉先輩とつながっておられたのでしょう。
蛙は、同盟広島県連が問題にしている「旋陀羅(センダラ)」について、考えてみたくて、この「本」を注文したのでした。
たいして勉強はしていなくて、ただ、我が家の宗派が真宗本願寺派だったこともあって、親鸞について書かれた本を何冊も読んではいました。
高校生の頃に「出家とその弟子」を読んでいますが、どんな話だったか、皆目、中身をおもいだせません。
チェ・ゲバラとかジョンレノンとかと同じような具合の「親鸞ファン」でした。
阿弥陀仏の48願の内、第18願、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば救われるというあたりは、とても気に入っていました。
落合さんは「女性差別」の観点から主張を展開されていて、なかなかよい話でしたが、ヒンドゥー教の「マヌの法典」の「女性差別」が経文の中に持ち込まれ、48願の内、第35願をどう受け止めるかによって「女性差別からの解放」が考えられなければならないと言われているようです。
しかし「女性差別」は、仏教内、或いはアジアに限ったことではないわけですから、世界大で問題は考えられなければならないはずです。
蛙の考えでは、「女の股から産まれ、性欲に貫かれている『男性性』が支配者であり得ようはずがないことの自覚・不安」が女性差別を成り立たしめているのだということになります。
考えがまだまだ至らないわけですから、もう一度、読み直してみなければなりません。