続・蛙独言

ひとりごと

蛙の「部落問題原論」 5

2011-05-28 17:43:15 | 日記
「差別はみんなが作った」というように理解されるような言質を展開して大方から非難を浴びた斉藤さんだったかの著作などもあった。
何故といって「そりゃ、権力を免罪することになるではないか」という話だったんだろう。
「どしてみんなはそんなにコリコリになるの?」って蛙は思ったね。
或る人が「或る主張」を展開したとして、「そういう側面もあるよねぇ」って受け止めてすれば何の問題もないことだろうにね。
「明治」4年に「エタとかヒニンとか、そういう『名称』はもう無いってことにするよ」って「お上」から「お触れ」が出たんだったね。
「解放令」なんて言われている。
それってただの「一枚の紙切れ」だったわけで、中身は何も無かったんだ。
「」の側は勿論、大歓迎。
蛙の爺さんち(今はもう無くなっちゃった)にも「明治天皇の肖像」が掲げられてあったなぁ。
そういう話はたくさん聞いたが、一体、誰がそれを配ったんだろうか。
かなり全国的にあった話のようだから、「融和団体」だったのかも知れないね。
「外」の受け止め方は、「解放令反対一揆」に見られるように、「断じて容認せず」ということだったみたい。
「水国闘争」とか、色々、不幸な「事件」もあった。
「高松結婚差別事件」なんかだと、裁判所がおおっぴらに「差別」を容認するってこともあった。
さすがにこれは「大闘争」になった。
全体、民衆の側には「差別」は「当然のこと」として「残る」ことになったようだし、権力の側でも「社会の安定装置」として「非公式」にではあるだろうけれど、意識的に残されていった。
それはどんな風だったろうか。
蛙のブログではそれは「何もしないことによって」ということを言ってきた。
「明治」初年から「特措法」までの百年間、近代国家としてしなければならない「インフラ」整備が順調に実施されていくのだけれど、常に「」は放置されてきた。
道路にしろ橋にしろ住宅建設にしろ、ありとあらゆる面で「ほうったらかし」だったわけだ。
極端な例だと、河川の堤防などで、のところだけは整備されず、「遊水地」とされてきたってこともある。
「明治」以前、それなりに「」の側には「生業」はあった。
まず第一は「下級・司法警察」の役務。
また、「皮革」にかかわる産業。
その外、雑多な「工芸品」の生産。
これらは「専業権」としてあったものだが、「解放令」以降、全てのものが取り上げられていく。
先日、丸亀で「全国女性集会」があって、ウチからも二人が参加をしているけれど、その折に配られた「うちわ」がある。
「うちわ」って丸亀が「全国のシェア」Topだったと思うけれど、これは「竹細工」なんだね。
娘と話してたんだけど、きっともともとは「産業」だったんではないか、「全国シェア」Topなんてとても「」だけでは支えきれるものじゃないだろう、きっと「大きな資本」が「産業」を潰すことになったに違いない。
想像だけで言うのもなんだけど、ついでに言えば、「皮革」にしろ「食肉産業」にしろ、「」の側も頑張っているところはあるけれど、全般的には「大資本」の側に「奪われた」ものは多いんだろう。
早い話、例えば「焼肉」、ちょっとも早くはないかなぁ、もともと「ホルモン」なんてムラの人間にとっては「安くておいしい」ものだったのだけれど、今じゃえらく値の張る「たべもん」になってしまったよ。
ツレアイの父ちゃんは「土建屋」やってるけど、或る時、業者仲間内で「今度、うまい店を見つけたから行こうや」って誘われたことがあったって言うんだね。
で、どこに行くのかと思えば「焼肉屋」。
皆は「うまい、うまいッ!」ちゅうて喜んで食べてるわけだけど、父ちゃんにしてみたら、それって子どもん頃から食べてきたもんだから、さして「旨い」とも思わなかったんだけど、仕方が無いから「調子をあわせて」いたんだそうだ。
角岡君の本でもそうだったか、「は旨いもんを隠しておる」なんて言われたりする。
ウチのムラだったら、「フカの煮こごり」なんてのは、ちょっとヨソにはない一品だけど、蛙ンチに遊びに来てくれた人には食べてもらえる。但し、これは「11月から3月限定」の「たべもん」だ。
えらく脱線したけれど、「」と「一般地区」との境界は、これまで、深くて広い「溝」があったのだけれど、今は急速に埋められてきているように蛙には思われるのだね。
(つづく)

蛙の「部落問題原論」 4

2011-05-26 18:18:32 | 日記
蛙が子どもだった頃には「同和教育」なんてものはなかったんだね。
60年も前の話だから…
小学校は全国的にも珍しい「の子だけ」が通う学校であって、ウチと西宮の2校だけだったらしい。
入手している史料からは「こと」の経緯は明らかではないが、この「小学校の建設」が、「差別に抗して」自分たちの子弟の教育権を守る闘いの中で勝ち取られたものであり、ウチのムラは大層大きな集落でもあったから可能だったのだろうが、それ程にも強い「反差別」の熱情を親たちが持っていた証だろうと考えることはできる。
初めはムラの「お寺」が小学校になったらしい。
との連携は見られないが(蛙の見るところ「反」だったように思われる)、「大正」末期から「昭和」初期にかけて「水利権」を巡る行政闘争が粘り強く闘いぬかれ、「完全勝利」を勝ち取っている。
この話も改めてってことになるけれど…
「人間の本性」であるだろうが、「苛烈な圧制」の在るところには必ず、それに対抗する「過激な反差別・反権力の闘い」は生まれる。
「指導者」は、その「時代」の要請のもとに産み出される。
それだから、「支配層」は可能な限り「平穏な」支配の「仕組み」を作り出さなければならない。
「徳川」が300年も続いた意味は、そこいらへんにも秘密はあるのだろうと蛙は思う。
もう一つ。
「被支配層」の間に「分裂」を持ち込むこと。
強固な「身分制度」を形づくること、なかんずく「人外人」、「エタ・ヒニン」の制度を設けたことは支配者の支配の維持に決定的な「保障」となったろう。
今では、この「政治起源説」はたいそう評判が悪いけれど、その意味はしっかり押さえておかなければならないと思う。
「初期同和教育」の時代、「差別」の説明として「江戸時代、支配を維持し、支えるために『士農工商・エタ・ヒニン』という身分制度が作られた」、「」の人々は「差別され惨めな生活を余儀なくされた」、「人が作ったものなのだから人が無くすることができるはずだ」、といった単純な話が流通していたのだけれど、「これはちょっと事実とは違うのではないか」ということで現在では省みられることはないらしい。
勿論、事実に背反するところはあるが、その「意味」において受け継がれるべきことはある。
「たらいの水と一緒に赤ん坊も流してしまう」って話だね。
レーニンを読んでるとこの「例え話」がよく出てくる。
江戸時代の「身分制度」は、それに先立つ「時代」から都合のよいところを受け継いで「暫時的」に形成されたものであり、ポイントは「差別・賤視観念の利用」ということになる。
どういった人々がその対象に選ばれたかは、網野さんやほか、たくさんの人が書いているのでそちらを参照されたい。
「明治」に入っても、この「賤視観念」は生き続けることになる。
(つづく)

蛙の「部落問題原論」 3

2011-05-24 10:31:01 | 日記
「被差別の側」、ここでは「」と「民」ですが、それらが現状、どのようであるかを考えてみようと思いますが、その前に「ことばの構造」についてお話しておきたいと思います。
「果物」という「概念」についてマルクスが「聖家族」の中で言っていた話ではなかったかと思いますが、私たちは「果物そのもの」を「食べる」ことはできないのですね。
実際には「さくらんぼ」や「りんご」や「みかん」などなど、具体的な「個物」を「食べる」わけですが、ある種、「果物」という一定の「概念」に「括られるもの」として「人間の側」で認識をされているだけのことです。
数学の「集合」を使って言い表せば、「果物」は「集合の全体」、「さくらんぼ」や「りんご」は「その集合の要素」ということですね。
普通、「そんなこと」など考えずに「果物を食べる」わけだし、それはそれで構わない、「果物を食べる」と言っても少しも間違ってなどいないのです。
「・民」という「概念」もまた「これに同じ」で、「問題」を取り扱う「論者」の間では「こういうあたりの考え」は皆目無い。
「・民」は実際、その成立の起源も、その態様も、千差万別、一概に、或いは一括りに、「こうだッ!」などと言えるわけではないのです。
それだから、一時期、「民とは誰か」などという論説がもてはやされたことがあったのですが、そもそも「そのような問題の立て方」自体が根本的に誤っていたと言わなければなりません。
それでも「差別」は「在る」と蛙は主張するわけですから、「おみゃぁ、そんならをどう見とるん?」ってことになるでしょう。
蛙のブログはNifty時代から入れればもう10年以上になるのですが、一貫して言ってきたのは「それ」は「他称語」に過ぎないということでした。
「他称語」という「ことば」が実際に使われているのかどうか知りませんが。
「民」とは「他者」が「そのように呼ぶ」ことによって成立をしているに過ぎないということです。
「解放」に「力を尽くす」ことを志している人々は、本人の自覚とは別に、「そのように呼ぶのなら、それを主体的に引き受けてやろうじゃないッ!」って「決意」を持って闘っている、蛙はそうだし、他の人々もそういう位置に立っているということになる。
本人がそう思うかどうかは別に、実際、そうに違いないのだと思います。
「それでも」ということもあるでしょう。
「果物」が「果物」という「概念」に括られるように、「」もまた、そのように括られる「それなりな意味」がある筈ではないか。
勿論、それはあります。
「明治」という時代に先立って「江戸時代まで」身分制社会が存在をしていました。
この時代は「階級社会の成立」以来、ずっと「身分制度」あったわけで、どの「身分」も「差別」とは無縁ではなかった。
特別、「エタ・ヒニン」だけが「差別される社会」ではなかったのです。
「明治維新」ということになって、時の支配層の間で「世界に伍していくために」様々な改革が取り組まれることになりますが、「明治」2年に「公議所」が開設をされ、ここで多くの問題が論議され、「西洋に対して恥ずかしくないように」ということで「太政官布告」が次々に策定されていきます。
有名なところでは「断髪令」や「廃刀令」、「芸娼妓解放令」などもありました。
「公議所」では「西洋」の人権思想に学んだ人たちから「身分制度」の是非も提起され、これが所謂「解放令」に結ぶことになります。
「解放令」については改めて論じることにしますが、基本的には「近代国家として出発するに際して」の「不都合」というくらいに考えられていて、当の「エタ・ヒニン」身分の「都合」など考慮されることはなかったわけです。
「名称」として、或いは「制度」として、「エタ」などというものは「存在しなくなった」のだけれど、現実には「それ」が無くなりはしなかった。
(つづく)

蛙の「部落問題原論」 2

2011-05-23 08:57:07 | 日記
「差別者」側について言えば、意図的に「差別してやろう」と考えてする場合もあれば、「差別するつもりで」の言動ではない場合もあるわけです。
そう単純なものではない。
東京の連続差別はがき事件の犯人などでも、自身の行為が「差別行為」であるという認識など本人には全く無く、むしろ「当然の行為」であったわけです。
主観的にはそうですね。
田中克彦さんの著作をずっと読んでいただくとよくご理解いただけると思いますが、私たちの生活を成り立たしめている「ことば」の「交換」も、よほど注意深く自覚的に使われていかない限り、社会の構造そのもの、或いは文化の在り様からして、「差別」を再生産していくことにつながりかねないということがあるのです。
朝田善之助は「こういうこと」を指して「空気をすうように」と言ったのでしょうが、この表現は妥当ではありません。
そう言ってしまえば「日共」に「揚げ足」を取られたように「全ての人を敵にまわす」ということになりますね。
朝田には「丁寧さ」のかけらもなく何でも「紋切り型」に「言明」をする癖があったように蛙には思われます。
話は変わりますが、中学の理科で、「池にボートを浮かべて岸を手で押すと反対の向きにボートが進んでいく」というのがありますね。
作用―反作用という奴です。
ここでは「押した力」と「ボートの進んでいく力」は向きは反対ですが、「量的」には等量です。
こういう場合「対称性が保たれている」という。
力学などでは数量的に明示されるわけで、分かり易い。
社会科学の場合、そういう視点が初めから欠如していることが多く、「一つの言明」については丁寧に「対称性」について考え直してみる作業は欠かせません。
「問題」或いは「人権意識」などのアンケート調査では、対象の分析が図られているわけですが、それはまた、「対象を突き動かす」ということでもあるわけです。
下手をすると「問題の解決に役立てたい」とか「人権意識の向上に結び付けたい」という「主観的意図」とは反対の効果をもたらしかねません。
調査の設計段階で「作用―反作用」「対称性」ということをよく考えなければならない。
また、その意味は改めて別稿で論ずるとして、「同和対策事業の実施」についても、初めからそういう視点が大切にされていれば、今頃になって「行政依存からの脱却」などということを改めて問題にしなければならないなどということにはならなかった筈です。
具体的な「差別事象」ですが、これは「差別者」の側では「痛くも痒くもない」、むしろ自身の「行為」によって多くの人々が「右往左往する」のを眺めてする「愉快犯」的なところもある。
それで「被差別」の側がそれをどれ程「重く」受け止めることになるか、「差別者側」には理解されることはありません。
ここでは「対称性は破れている」のです。
「差別者側」の行為の「軽さ」と「被差別」の側の受け止める「重さ」には天地ほどの差がある。
実は、「差別者」自身には気付かれていないけれども、その「人」の「人間性」、例えば「優しさ」や「人を大切に思う心」などなど、ホントのところ彼(彼女)が失っている「もの」もまたたいへんな大きさになっている。
それだから「差別糾弾」の取り組みは「被差別」の側を勇気付け、支えるばかりではなく、「差別者」自身の「人間性の回復」が目指されているのだというわけですね。
(つづく)

蛙の「部落問題原論」 1

2011-05-22 14:40:19 | 日記
蛙の言うことだから、まぁ大した話ではないのはご了解いただけるかと思いますけれど、「原論」と題したからには、ちっとは「学問的」だとか「理論的価値がある」なんて誤解をされてしまうかも知れませんね。
個人的「感想」くらいに受け止めていただければありがたいです。
まず最初にですけど、「差別は現在も在る」のかどうかという話から始めましょう。
勿論、「在る」と蛙は考えていますが、この場合、「在る」ということもしっかり考えてみる必要はあるのですね。
「それ」は「どこ」に「どんな風に」「在る」のだろう。
「もの」や「こと」が「在る」という場合、常識的には互いに了解可能のように思われがちですが、実はそんなには単純なことではないのです。
There is a book.ってな具合だと、はぁ、そうかいなってことになりますが、それだってホントは「通時的」、詰まりは千年単位で「そう言えるのかどうか」と言えば、ちと困る。
ほいでも、こういう場合は或る程度了解可能と言っていいでしょう。
こういうのは「実体的存在」と呼びます。
中沢新一が「ぼくの叔父さん」という本を書いていて、とても面白かったのだけれど、彼は網野義彦さんの甥っ子なんですね。
それで、網野さんは彼の「叔父さん」であっても蛙の「叔父さん」ではない。
「叔父」が「在る」などというのは「関係概念」って言っていい。
「親族」などという考え方が背景にあるのであって、「叔父」というものがポカンと宙に浮いて「存在」しているわけではないですね。
そんな当たり前なことを何でまた言い出すのかってお思いかも知れませんが、藤田敬一はその著作で「解放同盟は差別を実体的なものとして捉えているが、それが関係概念であることに理解がおよばない」などと言い、それがまるで藤田が初めて明らかにしたことのように言うからです。
馬鹿にするなよッ!って蛙は思いました。
「ものごと」が「実体」として「在る」か「関係」としてあるか、藤田に教えてもらわなくとも誰にでも了解可能なことではないか。
それで、その「関係」でありますが、これはもう「差別」についての「差別者」と「被差別者」という関係ですね。
ここでの重大な秘密は「この関係における非対称性」ということです。
まぁ、ちょっと「原論」なんで学問風に気取った言い方ですが、「差別」は「差別者」側と「被差別者側」の間には、その「意味」において、たいへんな「落差」があるのです。
「差別者」の側について検討をしてみましょう。
細かく分ければもっと分類可能ですけれど、ここでは「付和雷同型」と「確信犯型」という二つの類型にとどめておきましょう。
前者について。
「新開地の三角公園辺りで恐喝されたことがある。ありゃの人間に違いない」
事情は省略しますが、そのように主張して糾弾という場面になったTaxi運転手の場合ですが、「あなたが恐喝にあった相手がの人間であるとどうして分かるのですか?」とう質問に答えることができませんでした。
せいぜい「皆がそういう風に言っている」程度。
彼は四国から神戸に出てきてということでしたが、子どもの頃に近くのについて「聞かされてきたこと」を正直に話していました。「そこにはとても性の悪い人たちが住んでいる」と。何の根拠もなく「そのような思い込み」が刷り込まれて育ってきているのですね。
大概のパターンはこの例にある通りなのでしょう。
「の道筋で犬や猫を轢いたら百万円も脅し取られる」といった話も流布しているようですが、そんな例は実際にあったためしもない。
に対する偏見は広汎にあるようで、それを打ち消すような試みは「差別者」の側からは皆目なく、かえって、そのような偏見を強めるような言動があるわけです。
こういうのは「付和雷同型」と呼んでいい。
「確信犯型」の場合、「社会」の支配層側からの自らの支配の安定を目指してする攻撃と「社会」から「落ちこぼれ」ている人々からする「はらいせ」攻撃というのがあるように思われます。
「人権侵害救済法」とか「差別禁止法」などといった「法制度的な枠組み」に積極的に反対する、例えば安倍元首相らや、「その筋」から資金を受けて行動隊として悪辣な差別攻撃を繰り返す「在特会」のような団体など、数え上げればきりがない。
東京の連続大量差別はがき事件の犯人のように、自身が「社会から冷遇されている」という思い込みから、日共系の「同盟に対する誹謗中傷」を売り物にする悪徳本に踊らされてということもあって、「自分より下であるはずのの人間が大手を振って歩いているのは許せない」といったようなタイプの差別事件も後をたたない。
ネット上にあふれかえる「差別書きこみ」なども、現実世界にしっかりとした足場を持たない哀れなひとたち、特に若い層なのだろうと蛙には思われます。
もうひとつ言っておきたいのは「無関心層」のこと。
その一例は、について聞いたことはあるが「私には関係のない話」という人、この場合、実際に「と出逢う場面」で、問題についてしっかりした考えを持っていなわけですから、ともすれば「差別者の側」に転落することが多い。
例えば、自身か自分の身内の結婚話で「反対」された場合、信念を持って説得することができないわけですから、余程しっかりした人でない限り「状況に流されてしまう」ことがあるわけです。
また、「って集落のことなんでしょう?差別などということを知りませんよ」という人、特に関東には多いのかと思われますが、そういう人々にも現実に「差別があること。それが理不尽なものであること」をしっかり知ってもらわなければなりません。
でなければ、意図せずとも「差別」に加担することになってしまうことがあるからです。
(つづく)