続・蛙独言

ひとりごと

真宗教団の部落差別

2020-07-08 21:37:39 | ひとりごと

落合誓子さんの「女たちの『謀反』」の巻末に補論として「『王舎城の悲劇』

はなぜ起きたのか?」(伊勢谷功)と「真俗二諦について」(比後孝)が収録されている。

同盟広島県連が提起している問題の意味が「これら」を読んで、特に後者は難解だったが、理解できたような気がする。

浄土三部経の内、観無量寿経に「王舎城の悲劇」が語られている。 

 

http://mujintou.net/dharma/shinshu/kangyou.htm

 

この話は真宗信徒には有名ならしいが、蛙は父親が「坊主嫌い」だったこともあって、これまで知らなかった。

阿闍世が父親の頻婆娑羅王を幽閉し、父を救おうとした母親の韋提希を殺そうとして家来に止められるのだが、観無量寿経の中で「母親殺しなどという恐ろしいことをするのは旋陀羅の所業」という表現がある。

「旋陀羅」とは日本の「エタ」を意味しているのではないかと、の時代、松本治一郎さん、井元 麟之さんは問うてきた。

東西両本願寺は善処方を約束してきたのではなかったか。

 

小森龍邦さんは、「約束は果たされていない」として、改めて問い直していて、広島県連の重要な取り組みになっている。

全国大会でも広島県連は何度も提起してきているが、中央にしろ各府県連にしろ、同盟全体として、この問題に取り組んでいるようには見受けられない。

真宗札幌別院差別事件は、アイヌ民族に対する差別と重なっていて、アイヌ自身の問題として取り組まれたので有名だから「ヤイユーカラ」を引用しておく。

 

http://www13.plala.or.jp/yayyukar/bno/bno54/bno54_gomame.html

 

その後も東西両派では相変わらず「差別事件」は相次いでいる。

ごく最近に、ウチのムラの寺も差別事件の対象になっている。

親鸞を宗祖としながら、教団に差別が相次ぐのは、蛙には理解がいかないが、同盟の運動にも問題があるように思われる。

 

「旋陀羅問題」と「真俗二諦」の問題を、教団も同盟もしっかり考えていかなければならないのではないだろうか。

兵庫教区では1962年に組画の変更が議され、1982年から1985年新組画発足と記されているが、旧組では寺院は一般寺院から排除されていたのだろう。

真宗寺院の坊さんで明石で教員をされていたT氏が「この排除は差別だ」と主張されたのが、この組画変更の始まりだったと蛙は聞いている。

事程左様に、教団は差別まみれだったのだ。


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