ちょっとバタバタで、あれこれ更新記事を考えてはいたんだけれど、書けていない。
前稿で平河さんからコメントがついているので、その点を少し。
蛙の場合、ちとインチキ臭いけれど、仲間うちの「発言」は「問題、あるじゃろうがッ」なんて思うことはあっても、できるだけ「良い方向で評価したい」って気分はある。
大学の先生なんてのが「言う台詞」は、ちょっとの「隙間」も「許せないッ!」ちゅうような反応をしてしまうよなぁ。
ここいらへんを「コンプレックス」なんて言われてしまうかも知んないけど、蛙に言わせれば「君らは『それ』で飯、喰ってるんじゃろうがッ!」なんて思うからだね。
村崎について言えば、「よく分かってはいない」から「こんなことになるんだろう」ということで「嫌悪感」は持たないし、幾分か「同情的」なんだね。
ホントに分かっていないよなぁ。
蛙にすれば、例えば角岡君の著作なんかも「そりゃ違うじゃろうッ!」という点は多々あると思うけれど、それなりに「彼なりに」ということで、噛みついたりはしないし、まぁ「みんなで考えればいいじゃん」てな受け止め方だわなぁ。
「本」を出すなら、やっぱり売れた方がいい。
それが、「問題解決」にマイナスの作用を及ぼすものであるなら、しっかり批判はしなければならないけどね。
蛙が「考えていること」は、「外」の人々が「の現実」をあまりに知らなさ過ぎることがいけないってことだから、左程、マイナスな影響が無いようなら「何でもあり」ってこと。
角岡君などは加古川の同盟の運動に「不参加」ということだから、悪く言う人もある。
難しいところだね。
蛙などは、「同盟に参加してようがしてなかろうが『自分の思うところ』をしっかりやってくれてたらいいんでないかい」なんて思うから、ちょっとも構いはしないけれど、実際、「参加していれば負う責任」を遂行するための大変な苦労を担っていたりしたら、「お気楽だよね」って愚痴のひとつも言いたい気分は分かる。
こりゃもう、自分がしている「行為」が「ただ自分自身の為」って納得できてるかどうかだわなぁ。
それと、平河さんは「住井すえ」について評価点数が高いようだけど、ありゃ「いけんよ」って蛙は思う。
彼女は「戦時」に明らかに「戦争協力」の立場で仕事をしていたのだし、そのことを「昔のことはわすれてしまったわぁ。ホホホッ。」なんて誤魔化す態度は絶対に許すことはできないなんて蛙は思ってる。
勿論「橋の無い川」なんて反吐が出そうで読んでいない。
どうも、よくないなぁ。
蛙は「の側」にあまりに「甘く」、「外の側」に偏見を持ち過ぎてるんかしらん?