続・蛙独言

ひとりごと

頭がクラクラ

2012-05-22 11:37:17 | 日記
「差別」の構造と現象形態ということを言ったけれど、これは口で言うのは容易だが「書き言葉」ということになると、蛙にとってはたいそう難しい。
あまりに重い話になるからだ。
一番悲しく辛いのは、差別の故に堕胎を強要されるというケース。
考えただけで胸潰れる想いがするが、実際、あるんだ。

フクシマでも「結婚ができない」とか「子どもを産むことがことが怖い」とかいった話を聞く。
辛さんは「障害をもって産まれてくる子どもも大切にされなければ、なんて言ってみても『上滑り』な話になっちゃうんだよね」というようなことを言われたような気がする。聞き違いでなければ…
全く正しい話も、聞き手との関係性ということになれば「やさしい話」にはならない。
妊婦が放射線から隔離されるべきだということは「全く正しい話」ではあるのだが…

差別の事例で「堕胎」が強要されたケースもある。
この場合、全く馬鹿げた話なのだろうが…

女子大生の話で聞いたことがあるが、クラスメートが広島出身だと聞いただけで「・・怖いッ!」って言われたケースもある。
被爆2世3世でも「放射能」の影響があるように考えて、「うつるのが怖い」というのだ。
ちょっと考えれば、「ウイルス」とか「病原菌」などとは全然違うのだから、「うつる」などということはあり得ないのだけれど、現実にそういうことはあった。
「フクシマ」でも同じ事例が報告されている。

人間はどこまで馬鹿になれるのか、蛙は怒り心頭というところだ。

現象形態は同じようなところもあるかも知れないが、「琉球」と「アイヌ」に対する差別は、構造として違っている。これは明らかに「同化政策」の中で培われてきたレイシズムだ。
「在日朝鮮人」の場合、前者ふたつと重なるところもあるが、明確な制度的差別としても現存している。
障がい者差別は、資本主義の原則に照らして「働かざる者食うべからず」、「健常者」の「傲慢」ということになるのだろうか。
女性差別はどうだろうか。
蛙なども、日常生活の中で「慣れ親しんだ価値観」に染め抜かれていて、ともすれば「女性差別」に加担する場面はあるようだ。
これらに対置されるべきは「人間主義」ということなのだろう。

こういうことを考えていると、頭がクラクラしてしまうのだ。

辛さんと

2012-05-20 01:18:08 | 日記
先日、辛淑玉さんに会う機会があって少しお話をした。
蛙の方からは「二点」、お聞きしたいことがあった。
ひとつは、ロジャーさんという方が書かれた「Japan s untouchable workers」という文章を巡って、ネットで内田龍史さんと小森恵さんという方の「やりとり」があって、これについて「どう思う?」と、まなちゃんから尋ねられて、その返事を以下のように書いたということがある。
―――
o (英文は)ざっと読みましたが、原発事故の対応作業で「民」が過酷な状況に置かれていること、彼らはほかに選択肢がないために危険な仕事を離れることができない、といった内容になっています。
ソースが広島平和研究所のYuki Tanaka教授と同僚のKyoko Kitajima の発言であるようですが、この人たちが「このようなこと」を言うとは、とても思えません。
原発事故で雇われる人々の危険については、書かれている通りでしょうが、そこに集中して民が動員されているとは考えられない。

広島平和研究所に資料があるか、見てみましたが、ありませんでした。
Yuki Tanakaという人もいませんが、田中俊幸という教授はいますね。
北島さんについてもネットでは見当たりません。
(この英文記事の書き手の)ロジャーさんは「思い込み」で「リポート」を書かれたのでしょう。
確かに「フクシマに関わる労働者」が「棄民」化されている、つまり「権力から強いられた犠牲者」として現実にあることは事実であり、そのような趣旨の「発言」は色々な人がしていますから、「その情報」と短絡的にロジャーさんは(歴史的に形成されてきた)「(差別)」と(を)結び付けてしまったのでしょう。
辛さんも「フクシマの現実は差別そのものだ」という風な言い方をしています。
これはちょっと解説が必要だと蛙は思います。

そんな返事を書いたことが大きな理由であるのだけれど、ふたつ目として、辛さんが「90周年記念集会」で言われた「フクシマの現実は差別そのものだ」という発言について、蛙にはしっくり受け止められはしたのだけれど、「蛙の理解」が誤解でないかどうか、本人にその真意を確かめておきたかったからだ。

辛さんからは
「勿論、福島原発事故の後処理に『民』が動員されているような事実はありませんよ」
「ただ、私は『今、ここにある』のは『差別』であり広島・長崎の『被爆者差別』であり『水俣差別』そのものだということを強調したいのですね」という話を具体的な事例をあげながらおっしゃっておられた。

差別の「構造」や「現象形態」を考えてみれば分かりよい話だ。

「フクシマ」と蛙がカタカナで表記するのは、今回の原発事故とその後の現実の総体を「ひとこと」で言い表そうという想いであるのだけれど、当の福島の人々からは「あなたの住む都府県がカタカナで呼ばれることをどう思っととんねん?」、そういう行為自体が「差別」でないのか、そう問われているということでもある。
今、「フクシマ」を語ることはたいそう難しいのだ。
試みに、ネットで「フクシマ 差別」をキーワードに検索すれば「どんな状況になっているか」歴然と理解ができるだろう。
なんとも言えぬ寒々とした気分になる。

辛さんからは、彼女の問題意識として「在日外国人」の困難が大きなテーマであるのだから、その事例をたくさんお聞きすることになった。

短い時間だったのだけれど、蛙の頭が爆発してしまうくらい内容の濃いお話だった。

結論。
「解放同盟は、『差別』と闘ってきた輝かしい歴史と、その『方法』、その『熱い情念』があるはずではないか!今こそ、フクシマ差別に徹底して対抗していく、そういう闘いを大々的に組織していくことが求められているはずだ!」

辛さんの想いは蛙にはよく理解はできるが、残念なことに「現実の同盟」は、その「想い」から、どれ程遠くにいるのだろうか。
胸塞ぐ苦悩は消えない。

信頼を

2012-05-15 11:39:24 | 日記
解放同盟を「非難」することは「赤子の手を捻る」程にも簡単なことだと蛙は思う。
何故かなら、同盟役員の中には「えぇッ!何よッ!それッ!」っていうような馬鹿げた考え方をする人や、信じられないような悪質な行為を平気でやってみせる、そういう人間は少なからず居るからだ。
「そんなら、何でそんなとこにあんたはおるねん?」って言われるかも知れないが、同盟の中には、蛙のようなあまり力も無い者にでも信頼を寄せてくれている人はいるからだね。
同盟全体で「たったひとつ」共通する「想い」は「差別は厭やねん」ということなんだろうけれど、それがどういう風な「行動」として表に出るかは「人それぞれ」なんだ。

「」を「悪く言う」こともまた実に簡単なことだと蛙は思う。
何故かなら、実際、「なんでそんなことができるねんッ!」つうような悪質な行為をやってみせる、そういう人間もいるからだし、一般に「は怖い」というような偏見が広汎にあるからだ。

いくつかの事象を並べ挙げて「全体を貶める」、そういう思考様式はごく普通にある。
藤田敬一などの「同盟批判」もまた、こんな風なものだ。

角岡伸彦や上原善広などの作戦は「を知らない人がを知らないままに差別をする」のであるから「の現実」をルポ形式で多くの人に知ってもらおうというような辺りにあるようだが、成功しているところもあるけれど、いささか乱暴に過ぎる感がある。

「同盟」と「」が社会の全体の中で圧倒的多数の人々から「信頼」をされていくためには、「信頼に足るような実績」を積み上げていく、それ以外に道は無い。

蛙もまた、そのような「歩き方」を目指していこうと思う。

「・・力無く 道暗けれど・・」頭上には荊冠旗はなびいているのだから…

救済法?禁止法?

2012-05-14 00:08:17 | 日記
蛙はとても不思議に思っているのだけれど、「人権侵害救済法」という「名称」はどうなんだろう。
「人権侵害」などということは勿論あってはならないが、そういう行為が為されたとして、その「被害者」を「救済」しようということが目指されているんだろうか。
法律について勉強をしてこなかったから、トンチンカンなことを考えているのかも知れないが、例えば蛙ンチに泥棒がはいったとして、これは刑法犯だから警察に頑張ってもらって犯人をとっ捕まえてもらうことになっているんだろう、被害の補償は法に規定はされていないと思う。
間違ってたらごめんなさい。
ほいでもって、この論理から言えば、目指されるべきは「差別禁止法」というべきではなかろうか。
「人権侵害」の「被害者を救済する」という「感覚」が、蛙には納得のいかないところなのだ。

「差別禁止法の制定を求める市民活動委員会」が2011年8月に発足しているが、蛙は「こういう進み方」が正しいと思う。
この組織のHPをコメント欄に貼り付けておくので、ご覧いただけたらいいのだが、実にすばらしいと蛙は思う。
この組織の共同代表に松岡中央本部書記長もその名を連ねているけれど、同盟を代表してということではなく、共同代表のお一人お一人は「個人として引き受けている」というような断り書きがついてる。
それはそうだろう。
同盟は「人権救済法制定」に全力を傾注しているのだから、そういう方針に齟齬をきたすことになるやも知れないから…

蛙は或る会議で、「現在、同盟が進めている救済法制定を求める活動は慎重に検討されるべきだろう。従来から求めてきた『パリ原則』から後退しているし、今の段階では『国籍条項』などといった不具合が含まれており、アムネスティ等からは反対の声が上がっている。一緒に闘える仲間を失うことにならないか」といった内容の発言をしたことがある。
反論をされた方は「以前、『パリ原則』に拘り過ぎて機会を失している。法律があれば行政を動かしていくことが容易になる。5年後見直し規定があるから、不備は訂正していくことができる」というように主張された。

唖然とした。

枝葉の問題なら「見直し」ってことになるだろうけれど、最初から「差別を内包した形=国籍条項」で何故出発できるのか。

同盟の多数が何を考えているか、はっきり分かった気がした。

「差別は『行政』になくしてもらおう」ということではないかッ!

蛙は「法があろうがなかろうが差別には徹底糾弾を以って闘ってきたし、これからもそうあるべきだ。自分たちの力を信じて闘っていくべきであり、自力自闘の精神はいささかもゆるがせられない」と思うのだ。

前稿のコメントとこれからと..

2012-05-05 19:26:27 | 日記
前稿のコメントで「ねぇ」さんからブログの相互リンクの提案がありましたが、蛙のブログの場合、「無料」版を使っていて、リンクは張れないようです。
いつ死んでもいいように出来るだけ色々な契約を解約してきました。
この「ブログ」やインターネット接続も娘ンチの回線に「タダ乗り」なんですね。
もちょっとは頑張れるかなという気持もないわけではありませんから、facebookを始めて見て、IPadなんかに手ェ出してもえぇかなぁというところで迷っています。

ネットの世界は分からないことばかりですから、「ヨチヨチ歩き」という感じ。

人から忠告を受けたことですが、公開の場面では、メールアドレスとか個人情報とかは極力「秘匿」する方がいいという話もあります。
蛙のブログはもの凄くマイナーなもので、今のところ「炎上」みたぁな攻撃を受けたことはありませんが、悪意をもってする人もあるだろうから、用心に越したことはないと思っています。
というわけで、「ねぇ」さんのコメントはこちらで削除しておきます。
それに、メールアドレスは書かれていましたが、肝心の「ねぇ・ブログ」のアドレスは貼り付けていただけませんでしたから、判断の仕様もありませんからね。

なかなか更新は出来ていないですが、も一度、「被差別に生まれて」、原点を書いていこうかなぁなどと思っています。
これまでの「繰り返し」になりますが、古い読者にも配慮しながらということにしたいですね。