続・蛙独言

ひとりごと

「非国民」という選択

2012-02-23 14:45:43 | 日記
東京都民が石原を選び、大阪府民が橋下を選んだことに心ある人々の多くは大きな危惧を抱いているようだ。
或る人は「この国」の「民度の低さ」を嘆き、また或る人は「都民」や「府民」の「愚かさ」に呆れかえっているように見える。
確かに「罰せられる」人は増大するだろうし、困難はいや増すに違いない。
ただ、彼らに票を入れた人たちは「自分は大丈夫だ」と思っているということを忘れてはならない。
この光景はデジャブだ。
小泉が「自民党をぶっ壊すッ!」などと嬌声を挙げて「総理」の座を得、「この国」をぶっ壊した、あの「光景」の再現というほかない。
これほど酷い目にあわされていても、その原因を「自身の選択の結果」なのだということに理解がいかない。
なんという情けない話だろうか。
そうなのだ。
「自分」が直面する「困難」が何ゆえであるかを考える人はそんなには多くはないのだ。
それは何故だろうか?
「ひと」は自分自身の誕生を選択することはできない。
「ここ」に産まれ、「ここ」で成人するほかない。
産まれた途端に「名付け」がなされ、「戸籍」に編入され、「ここ」の「ことば」、「ここ」の「社会的規範のすべて」を受忍させられる。
そのようにして、「ひと」は本来的に持っている「自由」を「支配権力」に「譲渡」し、「隷属」を余儀なくされる。
毎日毎日、「国家」が発行した通貨を使用しながら、日常生活を送る。
毎日毎日が「自由」の「譲渡」、「隷属」の「承認」の過程であるのだ。
この過程は無意識の内に成就される。
それだから多くの都民・府民は彼らを選んだのであり、「無自覚な奴隷」であることで「みせかけの安心」を得ているつもりになっているのだ。

そのような徹底した認識は無くとも、「この生き辛さ」から脱却しようとする人もまた、たくさん生まれてくる。
「戸籍を無くそう」とか「夫婦別姓を認めさせよう」とかいった主張に対して、支配の側に与する者たちは金切り声をあげて反対するのは、それが「国家」のあり様そのものの否定につながるからなのだ。
蛙は「非国民」という「生き方」が選択されなければならないと思う。
それだから、若い人々には、放射能に汚染された列島などに未練を残さず、「ボヘミアン」として、とりわけアジアの人々の中で生きることを勧めたいと思う。
蛙のような年寄りは、「NON!」を言い続けること、困難ではあるが、かくも腐敗した「国家」の中で「非国民」であり続けることを、具体的な実践として工夫していかなければならないのだと思う。
敵に正義は無いッ!

現在

2012-02-20 17:22:06 | 日記
「国家」とは、大多数の「国民」のために存在するということが擬制であるということが誰の目にもますます明らかになってきたというのが今日的現実としてあります。
今に始まった話ではありません。
先の戦争の時代にも、「国体護持」のためにあまりにもたくさんの人々の命が失われました。
東京・大阪・神戸大空襲、沖縄戦での軍による集団自決の強要、広島・長崎への原爆投下を招来せしめた経緯、どれをとっても「国家」が「国民」のためにあるということが虚構に過ぎなかったことを証明しています。
また、その戦争が「侵略戦争」であったこと、アジアの人々に多大な犠牲を強いたことも、「国家」の側からは説明をされてきませんでした。
現在、この「国」が大きな危機に直面していることは誰もが感得しているところでしょう。
世界的には重大な経済的危機が進行しています。
アメリカの一極支配を支持し続けてきた「つけ」がここにきて音を立てて崩れてきているのです。
「ユーロ」体制の瓦解も、もともと「ユーロ圏」などというものが実体を伴わないものだったことに因っています。キーカレンシー(基軸通貨)としてドルの支配を容認しながら、それにもたれかかることによってのみ維持されてきたのです。
「富」は少数に独占され、巨大金融勢力として世界に君臨し、「新自由主義」を押し付けてきました。それが「グローバリズム」だというのです。
イスラム原理主義やそれ以外でも「反米闘争」ということが重大視されているようですが、それは明らかな誤りでしょう、
確かにアメリカは世界に多大な害毒を流し続けてはいますが、そのことが巨大金融勢力の利益に背反するものであれば、かくの如き展開にはなりません。
むしろ「反米闘争が拡大をされる」ことを望んでいると言わなければならない。
「世界戦争」を彼らが希求しているのかどうか、蛙には分かりませんが、限定的な戦争は大いに歓迎をするに違いないと思います。「敵・味方」双方に武器を売りつけるという形でも、破壊されたインフラの再整備という場面でも「金儲け」の種は転がっている。
イランを初めアラブ諸国とイスラエル間の緊張の拡大も「大いに結構」ということになるのでしょう。
常に困難は「普通の民衆」の上に降りかかってくる。
猖獗を極めた「新自由主義」の展開は、チュニジアの「ジャスミン革命」を引き金にアラブの独裁国家から「民主主義」への流れを作り、アメリカを初め各国で「オキュパイウォールストリート」というスローガンに象徴される「民衆の叛乱」を生み出しました。
それは事実ではあります。
けれども、蛙はそんなには高く評価をしていない。
中東の「その後」は却って混乱を極めている。
それは、世界を支配する側が仕組んだ「茶番」に過ぎなかったのではないかという疑念は拭えない。
「オキュパイ・・」も単なる「貧乏人の叛乱」ということであるなら勝利するはずもない。
それぞれについて、もっと中身が分からなければ、軽々には結論付けることはできないでしょうが。
ギリシャの現状とユーロ危機のその後の展開を読むことはたいそう難しい。
いずれにしろ、今、世界で起こっている様々な「できごと」も、その「出口」を誰も用意することができないでいるのですから、ますます民衆の困窮が深まるばかりということになるのでしょう。
翻って、「この国」の現実はどうでしょうか。
アメリカに追随する形では、これまで通りにはいかないことも明らかになってきています。
東電・福島原発事故の後、「この国」の政府も、支配の側に屈服をし腐敗を極めるマスコミも、「人間のいのち」を護ろうともしないばかりか、更に一層、民衆を苦境に追い込むことによって、「危機は乗り越えられる」かのように、言い募るばかりです。
TPPしかり、大増税路線の選択しかり、大資本の利益の擁護しか考えていない。
民衆は「生かさぬよう殺さぬよう」、「大豆と百姓は絞れば絞るほどよいのだ」という江戸時代さながらの支配が続いています。
この深刻な状況にどのように立ち向かっていけばよいのでしょうか。
蛙の悩みは尽きることがありません。
依拠すべきと考えていた解放同盟も、あまりに時代認識が外れ過ぎていて、当てにはならないようです。
どこかで、全面的な「戦線」を構築していかなければなりませんが、必ず「解答はみつけることができる」はずだと信じて、求められている課題に丁寧に対処して行くほかないようです。

気合いッ!

2012-02-08 14:56:28 | 日記
「いつも元気な蛙どぅえーすッ!」って言いたいところなんだけど、ここんとこ、どういうわけだか、ズンと落ち込んでる。体調もそんなには悪くはないのだけれど…
寒さのせいということもあるかも知れない。
一応、集会にも色々参加したり、同盟神戸の仕事の下支え的なことはでけてるんだけど、何かこう「気合い不足」ってあたりだわなぁ。
熊本の「人権啓発集会」にも行ってきた。
原田正純さんの話が聞きたかったからだ。
「水俣」と「福島・原発事故」を結んで、どんなお話をされるか、是非、お聞きしたかった。
「公害(災害)の結果、差別が生まれるのではなく、差別のあるところに公害(災害)が起こるのだ」というお話や、「水俣」と「フクシマ」の共通点と相違点など、随分教えられることが多かった。
また、分科会では「HTLV-1」の問題について、不勉強でよく知らなかったウイルス性疾患だけれど、菅付加代子さんの粘り強い、それこそ命懸けの闘いの経過をお聞きすることができた。
「2・4さよなら原発・兵庫集会」にも参加をしてきた。

集会に参加したり、同盟の雑用をこなしたり、というところだけれど、一向に「力」が湧いてこない。
ずっと何故だか考えているんだけれど、「誰か、ひとの役にたっていない」ってことなのかも知れないなぁなんて思う。
「自分にはもっと力があるはずだッ!」という「思い込み」が強すぎるのだろう。

去年の5月からパーフェクトな「失業者」になったのだから、しっかり勉強や活動を、と思ってたりしたが、そもそも「生活のリズム」を作ることができないでいる。
「田舎」に引っ込んで「百姓」をしながら、それでも「反差別」とか「反原発」の活動で元気いっぱいな〈闘い〉を展開されている、「郵便局解放研」やってた北川君とか、先輩で蛙の人格形成に大きな影響を与えてくれた児玉先輩などを見ていると、結局、しんどくとも、軸心に〈仕事〉をおいてする活動が「人間本来のあるべき姿」なんではないか、など思ったりする。

蛙も30年以上「清掃労働者」として働きながら、という時代には、「暑さ寒さ」などに負けたりはしなかったんだ。

そんな詰まらないことを考えたりする暇があったら、もう一度、気合いを入れなくっちゃねぇ。