蛙が子どものころ、1950年代ということになりますが、「被差別」は「居住環境」や「就業構造」等など、たいそう劣悪な状況にあったのですね。
これは、その原因や意味などを丁寧にやれば大分な「論文」になっちゃうから、端折りますけど、基本的には「明治」以来の「国」の「政策的」に意図的な「ネグレクト」に由来するものなのです。
「同対審答申」は、そのような評価の上に立って「同和問題の解決」が「国」と「国民」の「責務」であるとしたのでした。
この「答申」を受けて「同和対策特別措置法」が1969年に施行され、この「法」に基づいて様々な「同対事業」が実施をされてきました。
名称を変更しながら33年間、15兆円が投じられました。
その成果は、本来、「国」の責任において検証されるべきだったろうと蛙は思いますが、そのような作業はなされなかった。
この「33年間」をどう評価するか、大きく意見の分かれるところです。
蛙は、15兆円は、「明治」以来の「ネグレクト」を埋め合わせるには「これ」でも少なかろうと考えていますが、一般には膨大な額とみられるようです。
多額の金が動くところ、不正・腐敗は起こりやすいのでしょうし、実際、かなりのケースで「犯罪」として摘発されてもきました。
蛙の行動半径は極めて小さなものですから、身の回りに一切、そんなことが無かったので、「何のこっちゃッ!」という気分。
この事業にどんなものがあったかは、ネットで検索をすればよく分かります。
ウチのムラでは、6百戸を超える集合住宅が建てられていますし、幹線道路を含めての道路整備、上下水道、河川改修と橋梁の新設や改修、墓地整備、小学校移転建設や幼稚園・保育所、公民館・児童館等など、ハード面でも多額な出費があったようです。
この15兆円は詰まるところ、その殆どが大手ゼネコンに回収されていったのだと蛙は考えています。
蛙とその仲間は「運動は身銭切ってするもの」と考えている連中ばかりでしたから、「うまいこと立ち回って懐に銭を入れよう」などという不埒なものはいなかったし、そんなこと、考えてみることもなかったように思います。
山下さんたちの文章では、この「法」が必然的に「不正・腐敗」に結果するものであったかのように「読める」けれど、そんなことはないのではないでしょうか。
また、「被差別」と「一般地区」との「格差」がある程度解消されたけれども、「差別」は残ったというあたり、「格差解消」がストレートに「差別解消」に結び付かないことは初めから分かっていたはずです。
「法」以前でも、資産家は一定あったわけだし、蛙の兄貴のように優秀な成績で大学を終了するものも少なからずあったのでしたが、皆、それぞれ、「差別」に苦しめられたのですから、「金持ちになる」「賢くなる」ことだけでは「差別」から逃れられるわけではないということは、皆、知っていたはずです。
今のところ、「差別問題解決」の「行程表」は無いのですから、「同盟」をやめて「全体に展開する」作戦が有効性を持つとも思えない。
これは、その原因や意味などを丁寧にやれば大分な「論文」になっちゃうから、端折りますけど、基本的には「明治」以来の「国」の「政策的」に意図的な「ネグレクト」に由来するものなのです。
「同対審答申」は、そのような評価の上に立って「同和問題の解決」が「国」と「国民」の「責務」であるとしたのでした。
この「答申」を受けて「同和対策特別措置法」が1969年に施行され、この「法」に基づいて様々な「同対事業」が実施をされてきました。
名称を変更しながら33年間、15兆円が投じられました。
その成果は、本来、「国」の責任において検証されるべきだったろうと蛙は思いますが、そのような作業はなされなかった。
この「33年間」をどう評価するか、大きく意見の分かれるところです。
蛙は、15兆円は、「明治」以来の「ネグレクト」を埋め合わせるには「これ」でも少なかろうと考えていますが、一般には膨大な額とみられるようです。
多額の金が動くところ、不正・腐敗は起こりやすいのでしょうし、実際、かなりのケースで「犯罪」として摘発されてもきました。
蛙の行動半径は極めて小さなものですから、身の回りに一切、そんなことが無かったので、「何のこっちゃッ!」という気分。
この事業にどんなものがあったかは、ネットで検索をすればよく分かります。
ウチのムラでは、6百戸を超える集合住宅が建てられていますし、幹線道路を含めての道路整備、上下水道、河川改修と橋梁の新設や改修、墓地整備、小学校移転建設や幼稚園・保育所、公民館・児童館等など、ハード面でも多額な出費があったようです。
この15兆円は詰まるところ、その殆どが大手ゼネコンに回収されていったのだと蛙は考えています。
蛙とその仲間は「運動は身銭切ってするもの」と考えている連中ばかりでしたから、「うまいこと立ち回って懐に銭を入れよう」などという不埒なものはいなかったし、そんなこと、考えてみることもなかったように思います。
山下さんたちの文章では、この「法」が必然的に「不正・腐敗」に結果するものであったかのように「読める」けれど、そんなことはないのではないでしょうか。
また、「被差別」と「一般地区」との「格差」がある程度解消されたけれども、「差別」は残ったというあたり、「格差解消」がストレートに「差別解消」に結び付かないことは初めから分かっていたはずです。
「法」以前でも、資産家は一定あったわけだし、蛙の兄貴のように優秀な成績で大学を終了するものも少なからずあったのでしたが、皆、それぞれ、「差別」に苦しめられたのですから、「金持ちになる」「賢くなる」ことだけでは「差別」から逃れられるわけではないということは、皆、知っていたはずです。
今のところ、「差別問題解決」の「行程表」は無いのですから、「同盟」をやめて「全体に展開する」作戦が有効性を持つとも思えない。
差別に興味のあるものです。
>基本的には「明治」以来の「国」の「政策的」に意図的な「ネグレクト」に由来するものなのです。
これの根拠を教えて下さい。
また、どういうキーワードで検索すれば、これのソースにたどり着けるでしょうか?
無視するですね。
了解しました。