萩さんの話ネタ2

特に何の特徴もない思い付きの話を徒然と・・・
暇な時にでも寄ってやってください。

金曜日・・・雑記

2021-03-26 01:00:00 | 日記

最近は現金での購入は少なくなってきましたね。
気になっていたのですが、理由が今でも分からないことが(自分だけかもしれませんけど)
それは、現金で数百円の商品を購入しようと1万円札で支払ったとき、突然、店員に”1万円入ります!”と大声で言われた経験ありませんか? なぜなんでしょうかね?
そこで、その理由について解説した記事をご紹介します。

記事(2021年3月24日 オトナンサー編集部)によると

『◆”1万円入ります!”の理由は?
 経営コンサルタントの大庭真一郎さんに聞きました。

 ◎1970年代のファストフード店に由来?

 Q.なぜ、少額商品に対して1万円札が支払われたとき、店員は”1万円入ります!”と大声で言うのでしょうか。言うことに、どのような意味や役割があるのですか。

 大庭さん「最大の理由は、釣り銭を巡るお客とのトラブルを防止することです。日本の紙幣は種類が違っても色合いが似ており、店員がお客から受け取った紙幣の種類を誤って認識し、釣り銭の処理をしてしまう可能性があります。

 その際、お客から受け取った紙幣をレジの中に収納してしまうと、お客がいくら支払ったのかが分からなくなってしまい、店とお客との間でトラブルが生じてしまいます。高額紙幣を受け取ったときに声出しをすることを習慣化しておけば、そのようなトラブルの発生を防止することができます。

 それ以外にも、店員による不正の防止や防犯の目的もあります。1万円札を受け取ったときの声出しを習慣化しておけば、店員が売り上げをこっそりと盗んだとしても、店内の防犯カメラに記録された声出しをしたタイミングとそのときのレシートの記録とを突き合わせれば、どのタイミングで売り上げが抜け落ちたのかが分かるため、不正の抑止につながります」

 Q.いつから、どのようなことがきっかけで”1万円入ります!”と大声で言う慣習が生まれたのでしょうか。

 大庭さん「詳しい経緯は不明ですが、”1万円入ります!”と大声で言う慣習はファストフード店で始まったという説が有力です。日本では1970年代にファストフード店が普及し始めましたが、当時は1万円札と5000円札の肖像画がどちらも聖徳太子で、絵柄も似ていたことから釣り銭ミスが多かったため、1万円札を受け取ったときに”1万円入ります!”と大声で言う慣習が生まれたようです」

 Q.”1万円入ります!”と大声で言うと、他の店員が返事をするなど何らかのリアクションをします。これには、どのような意味があるのですか。

 大庭さん「2つの意味が考えられます。1つ目は、レジ精算時に高額紙幣を受け取ったときの声出しを店員に徹底して意識付けさせることです。ルールとして声出しがあることは分かっていても、忙しいときについ、声出しを忘れてしまうこともあります。

 しかし、先述したように店にとって声出しは必要な対応であり、すべての店員に徹底させなければならないため、誰かの声出しに対するリアクションを習慣化させることで、声出しをすることに対する意識付けを行うことができます。

 2つ目は、店の管理責任者が高額紙幣によるレジ精算があったことを認識しやすくなる、という意味も考えられます。高額紙幣をレジとは異なる場所に収納することで、犯罪の抑止や犯罪による被害最小化の効果が得られます。

 収納作業を行うのは基本的に店の管理責任者ですが、店の管理責任者が厨房(ちゅうぼう)などレジと離れた場所で業務を行っている場合、レジ精算を行った店員の声出しが聞こえないこともあります。そのようなとき、他の店員がリアクションをすることで、高額紙幣によるレジ精算が行われたことを店の管理責任者が認識することができます」

 Q.1000円札や2000円札、5000円札で支払ったときにも、店員が大声で声出しをするケースはあるのでしょうか。

 大庭さん「5000円札で支払ったとき、店員が声出しをしたケースに遭遇したことはありますが、1000円札や2000円札は記憶にありません。理由として考えられるのは、まず、レジ対応者の店員が声出しをして、それに対して、他の店員が呼応(リアクション)することは、店員が行っている目の前の業務から意識をそらしてしまうデメリットが想定できます。そのことが作業ミスを誘発してしまう可能性もあります。

 1万円札以外の紙幣にも、店員の出来心による不正や業務の習熟度が低いことによる売り上げの漏れ、釣り銭ミス、犯罪被害に遭うリスクはあるのですが、すべての紙幣に対して声出しをしていると、その分、作業ミスを誘発するリスクも高くなります。そのため、一般的に事故が発生したときの損害額が最も大きい1万円札のみ、声出しをするケースが多いのだと考えられます。

 さらに、店員が大声で声出しすることを不快に感じる客やレジの精算を早く済ませたい客もいるので、声出し回数を最小にするために、1万円札のみ声出しをするケースが多いのだとも考えられます」』


なるほどねって感じです。

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木曜日・・・雑記

2021-03-25 01:00:00 | 日記

カーペットには、ゴミやホコリ、皮脂、食べこぼしといったさまざまな汚れが付着しますね。とくに皮脂汚れや食べこぼしのシミは、掃除機だけで落とすことはできないようで、定期的に丸洗いが必要。
とは言え、自分で洗濯となると。。。ちょっと尻込み
そこで、自宅でのカーペットの洗い方や注意点、カーペットを乾かすときのポイントについて解説した記事をご紹介します。

記事(2021年3月21日 tenki.jp)によると

『◆自宅でもできる!カーペットの洗い方5つの手順

 カーペットを自宅で洗濯する方法には、洗濯機を使用するパターンと、手洗いするパターンの2つがあります。ここでは、自宅でカーペットを手洗いするときの手順を、5つのポイントに分けてご紹介します。

 1.目立つ汚れは部分洗いする

 カーペットに目立つ汚れやシミがある場合は、事前に部分洗いしておきます。時間が経過した汚れは、水で薄めた台所用の中性洗剤を布に含ませて、ぽんぽんと叩いて拭き取ります。

 ただし、叩く範囲を広げすぎると、汚れを拡散させてしまうおそれがあります。汚れた部分だけを重点的にお手入れしましょう。

 2.浴槽にお湯を貯め、つけ置き洗いする

 浴槽に40℃前後のお湯を張り、洗濯用洗剤を入れて溶かします。カーペット全体が水に浸かるよう浴槽に入れ、そのまま1~2時間ほど浸け置き洗いします。

 3.踏み洗いする

 浸け置き洗いが終わったら、裸足で浴槽に入り、カーペット全体をまんべんなく踏み洗いします。途中でカーペットを裏返し、同じように踏んで汚れを落とします。洗剤入りの浴槽は滑りやすいので、手すりや浴槽のへりにつかまりながら作業するとよいでしょう。

 4.すすぎ洗いする

 まんべんなく踏み洗いしたら、浴槽のお湯を抜き、再びお湯を貯めます。その後、踏み洗いと同じ要領ですすぎ洗いして、汚れと泡を落とします。

 水が汚れたらお湯を入れ替えてすすぎ洗いしてください。大体、3~4回ほど繰り返すとよいでしょう。

 5.カーペットを干す

 最後のすすぎ洗いが終わったら、水を完全に抜いてから、再びカーペットを踏んで水切りします。雑巾のように力づくで絞ると型崩れや傷みの原因になるため、要注意です。

 ある程度水を切ったら、浴槽のへりにかけ、水が滴らなくなるまで放置します。その後、ベランダの物干し竿などにかけて自然乾燥させましょう。

 ◆自宅で洗えないカーペットもある

 ここまで自宅でのカーペットの洗い方をご紹介しましたが、カーペットの素材によっては自宅で洗濯できないものもあります。カーペットの裏側などについている洗濯表示のタグを見て、洗い桶に×の印がついているマークがあったら、家庭で洗濯することはできません。一方、洗い桶に「30」や「40」といった数字が記載されているマークは家庭での洗濯が可能です。

 なお、洗い桶に下線が1本または2本入っているマークは、「弱い洗濯」または「非常に弱い洗濯」ができるという意味です。洗濯機を使った洗濯も可能ですが、ドライコースやソフトコースなど、洗う力の弱いコースでお手入れする必要があります。

 また、洗い桶に手が描かれているのは「手洗い」のマークです。洗濯機を使わず、上記でご紹介した手順で洗濯しましょう。

 ◆カーペットを乾かすときのポイントと注意点

 自宅で洗ったカーペットを乾かすときのポイントや注意点を2つご紹介します。

 1.陰干しする

 カーペットに直射日光を当ててしまうと、色があせたり、生地が傷んだりする原因となります。カーペットを干すときは、直射日光が当たらず、かつ風通しの良いところで陰干ししましょう。また、表面に日光が当たらないよう、裏面を上にして干すことも色あせを防ぐコツです。

 2.カーペットがM字型になるように干す

 カーペットを短時間でしっかり乾かすには、風通しを良くする必要があります。1本の竿に二つ折りにして干すと、重なった部分に風が通らず、通気性が悪くなってしまいますので、2本の竿を渡してM字型になるように干しましょう。

 物干し竿の高さを調節できる場合は、1本だけ高くしてななめM字型を作るようにすると、より効率的に乾かすことができます。物干し竿が1本しかない場合は、あらかじめ数本のハンガーを掛け、その上からカーペットをかぶせるようにして干すと、通気性が良くなります。

 ◆カーペットは自宅で定期的にお手入れするのがおすすめ!

 カーペットには目に見える汚れだけでなく、目に見えない汚れもたくさん付着しています。「家庭洗濯」のマークが入っているカーペットなら、浴槽を使って自宅で丸洗いするが可能です。定期的にお手入れして、きれいな状態をキープしましょう。

 なお、大型のカーペットは室内干しするのが難しいので、天気のよい日を狙って洗濯するのがポイントです。』


それを参考にやってみるかな。。。何事も挑戦することはいい事だ!
その前に「家庭洗濯」のマークを確認しなきゃ。。。

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水曜日・・・雑記

2021-03-24 01:00:35 | 日記

桜の季節ですね。
今年もお花見はちょっと厳しいですね。歩きながらの花見かな。。。
そこで、「桜」に関する記事をご紹介します。

記事(2021年3月23日 tenki.jp)によると

『◆梅から桜へ。日本独自の文化が開花

 ”万葉集”が成立した奈良時代から平安時代初期までは、花といえば桜より梅をあらわしていました。梅は中国からもたらされ、宮中の行事や酒宴でも用いられており、人々は衣服に飾りとしてつけていたそうです。当時は遣唐使の時代。教養ある貴族たちは唐風文化を積極的に取り入れ、中国文学で主要な位置を占めていた梅が、日本でも詩歌の題材に多く登場することになったのです。

 ところが、平安時代初期に起こったある事件をきっかけに、花の主役は梅から桜へと変化します。そこから現在に至るまで、桜を花の代名詞とする習慣が詩歌などを通じて育まれてきました。

 ◆1200年前に遡る!お花見の起源となった行事と事件

 お花見の起源は、812年に嵯峨天皇(786〜842年)が京都の神泉苑で桜の花を観賞した「花宴の節」といわれています。それまでの平安貴族にとっての花見は梅でしたが、嵯峨天皇以後は桜の花見が主流になったのです。お花見は貴族の間で大変な人気を呼び、宮中では天皇主催の行事として行われるようになりました。桜のお花見の風習は、平安時代から長きにわたって受け継がれてきた日本独自の風習なのです。

 嵯峨天皇が桜の花を愛でるようになったきっかけは、地主神社で目にした桜でした。境内に咲く花の美しさに、牛車を二度、三度と引き返させて眺めたと伝えられています。地主神社の桜は、やがて「御車返しの桜」と呼ばれるようになり、今も変わらず美しい花を咲かせているそうです。

 「花宴の節」には、京の都の安寧を願う気持ちが込められていたといわれています。 地主神社行幸の前年にあたる810年、政権をゆるがす事件「平城太上天皇の変(へいぜいだいじょうてんのうのへん)」が起こります。実の兄との争い、人命が奪われる事態に心を痛めた嵯峨天皇は、桜の花を観賞する宴を催すことで、都の平安や心の平穏への願いを託したのかもしれません。

 ◆季語の「花疲れ」とは?「春愁」につながるもの悲しさの意味

 お花見に出かけた後の疲れをあらわす「花疲れ」。人出の多いなかを歩き回る疲れや、「花冷え」「花曇り」の天候で体調を崩す可能性もありますね。桜の美しさに夢中になった後、ふと我に返って感じる疲労感。たしかに思い当たる節もありますが、「花に疲れる」という言葉の奥には、どのような意味が込められているのでしょうか。

 花疲れ眠れる人に凭り眠る 高浜虚子

 桜は開花から散るまでの期間がわずか2週間ほど。そのため、咲きはじめの頃や散り際はもちろん、今がまさに満開という時も、美しさのなかに儚さを秘めています。春の季語には、「春愁(しゅんしゅう)」「春かなし」という言葉もあり、明るい陽射しや咲く花の華やかさのなかに、人々はそこはかとない寂しさを感じとってきたことが伺えます。「花疲れ」は「春愁」にも似て、桜は人の心を美で満たすだけではなく、もの思いに誘って心をかき乱す花でもあるのですね。

 さまざまの事おもひ出す桜かな 松尾芭蕉

 「花」は「桜」を指す季語ですが、同時に、栄華、美しさ、明るさ、儚さ、愁い、気怠さ、非日常といった意味合いも含まれています。嵯峨天皇も、咲き誇る桜の花に湧き上がるさまざまな思いを重ねたのでしょうか。

 はるか古より人々の心を捉えてきた桜。「花便り」「初花」「若桜」「朝桜」「夕桜」「夜桜」「花影」「花の雲」「落花」「花吹雪」「花衣」など、季語も豊富で、桜の季節は俳句をはじめるのにうってつけです。思いを言葉にのせて、春の風物詩を味わってみるのも一興ではないでしょうか。


 ・参考文献
 大野林火監修/俳句文学館編”入門歳時記”角川学芸出版、KADOKAWA
 ・参考サイト
 地主神社ホームページ
 神泉苑ホームページ』

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火曜日・・・雑記

2021-03-23 08:17:38 | 日記

【読み間違いが多い漢字(社会人の教科書 社会人のためのビジネス情報マガジン)】

1.粗利益
  誤:そりえき
  正:あらいえき、あらり

2.御利益
  誤:ごりえき
  正:ごりやく

3.あり得る
  誤:ありえる
  正:ありうる

4.潔く
  誤:しばらく
  正:いさぎよく

5.依存心
  誤:いぞんしん
  正:いぞんしん

6.一段落
  誤:ひとだんらく
  正:いちだんらく

7.会釈
  誤:かいしゃく
  正:えしゃく

8.大舞台
  誤:だいぶたい
  正:おおぶたい

9.お姉さん会釈
  誤:おねいさん
  正:おねえさん

10.角地
  誤:かくち
  正:かどち

 

今の時代、漢字変換機能でちょっと間違っていても漢字が表示されますからね。
便利というのも考えものですね(^^;

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月曜日・・・雑記

2021-03-22 01:00:00 | 日記

「百人一首」
競技も盛んで、マンガ等で読んだ方も多いのでは?
そこで、「百人一首」に関する記事をご紹介します。

記事(2021年3月19日 tenki.jp)によると

『◆百人一首カルタが作られるまで



 百人一首と言えば、まずカルタを思い浮かべますが、最初からカルタだったわけではありません。百人一首の成立については、回を改めて紹介しますが、最初は一首一首がそれぞれ色紙に書かれていたという推測もあります。それが、戦国時代のスペインやポルトガルなどヨーロッパ文化の流入でトランプのようなカードゲームが紹介されたのち、近世の初め頃にカルタに作られたようです。とはいえ、一方で伝統文化を受け継いでいる面も大きいのです。

 百人一首の読み札には、各歌人の肖像が描かれていますが、その元は優れた歌人の肖像を描いた「歌仙絵」にあります。

 歌人として歌道家の始まりとも言える六条藤家を率いた藤原顕季(ふじわらのあきすえ) は、元永元(1118)年の歌会の場で、”古今集”から歌聖とされる柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の画像の供養をする人麿影供(ひとまろえいぐ・人麻呂影供)を催しますが、これが歌人を描いた画像の早い例です。

 その後は鎌倉時代にかけて、藤原隆信・信実父子が名手とされる“似せ絵”が盛んとなり、すでに藤原公任に選ばれていた三十六歌仙の肖像を描き、彼らの代表歌を添えた名品「佐竹本三十六歌仙絵巻」や、後鳥羽院が時代の異なる歌人の歌を対(つい)にして作った「時代不同歌合」で歌人の像を描いた絵巻形式のものなどが製作されます。これらがやがて伝統となり、百人一首の読み札の形式になったのだろうと考えられます。一方で取り札は、冒頭に紹介した、和歌を色紙に書いた形式に倣ったと見なすことができるでしょう。

 ◆百人一首カルタの今と昔

 書道や日本の古典美術に関心のある方なら、美術館や博物館の展示で古い百人一首のカルタをご覧になったことがあると思います。読み札と取り札がありますが、取り札は一首の後半の下の句だけが書かれていますが、文字が変体仮名であるところが現代の物との大きな差です。

 読み札には、作者として貴族の男性、あるいは女性、または僧が描かれ、その肖像に和歌が加わります。

 現代の百人一首カルタなら、ここに一首全体が書かれていますが、そこに昔の札との差があります。

 昔の読み札は一首全体でなく、前半の上の句しか書かれていないため、見た目は現代のものより、よほどすっきりしています。

 図②は、作者・三条院(三条天皇)のカルタです。右が読み札で、院の肖像の上部に、「三条院 心にも あらて うきよに なからへは」と、作者の名前と上の句だけがあり、左が取り札で、「恋し かるへき 夜 はの 月 かな」と下の句があります。

 現代版のカルタであれば、読み札は「心にもあらで憂き世に長らへば恋しかるべき夜半の月かな」と書かれます。皆さんが持っているカルタと比べて見れば違いがわかると思います。



 ◆大妻女子大学図書館蔵〈百人一首〉

 この差の理由は、明らかにはなっていません。競技の百人一首で勝つためには、読み始めで取り札の冒頭がすぐ思い浮かぶことが肝心です。

 上に掲げた現代の読み札の在原業平の歌ならば、冒頭の「ちはやぶる」と読み始められたら、それに続く「神代も聞かず」は飛ばして、即座に下の句の冒頭「から紅に水くくるとは」を思い浮かべ、札に向かって突進しなければ勝つことができません。だから、読み札の下の句は不要だったのか、とも考えられなくもありませんが、それでは初心者では勝負になりません。

 おそらく、本来はカルタ取りの勝負のためではなく、一首二枚セットの鑑賞用として作られたのではないかと思われます。それなら二枚合わせて一首が書かれていれば十分です。実際、いわゆるカルタ取りは江戸時代から始まっていたとされますが、はっきりせず、今のように整備されたのは、明治になってからです。当時「万朝報」社長だった黒岩涙香により「東京かるた会」が結成され、明治三十七(1904)年二月十一日に初めての大会が開催されました。

 《参照文献》
 淡光ムック 百人一首入門 有吉保・神作光一 監修(淡光社)
 季刊墨スペシャル 百人一首(芸術新聞社)
 別冊太陽 百人一首への招待 吉海直人 監修(平凡社)』

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