マルコ 8:14 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
8:15 そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。
8:16 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。
8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、
8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。
私たちは、どうやって生きていくかということに常に心を奪われ、悩み、うろたえてしまう。
仕事はどうするか、収入はいくらか、何を買い、何を食べ、果ては老後の生活にまで心配し過ぎて、今を楽しむことさえできない者もいる。
しかし、大切なことは、なぜ生きるのか、何を土台にして生きるのかといったことをしっかりと考えていくことであろう。
マタイ 6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
昨日はデイサービスの集会で「きみは愛されるために生まれた」という賛美を歌ったが、デイサービスの利用者さんにも好評で、毎回この歌を歌って励ましを頂いている。
長年生きてこられて、辛い思いも苦しい思いもたくさん経験してこられただろう。
それでも、やはり「愛されるために生まれてきたんだよ」という言葉を聞くと、励ましをいただくことができ、「生きよう!」という気持ちになる。
イエスさまから頂く命のパンを頂いて、「生きよう!」という気持ちを大切に生きていきたいものである。
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