聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヘブル 2:1 だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。
2:2 もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、
2:3 ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、
2:4 更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。

ヘブル書のこれまでのところでは、主なる神様が、御子キリストの到来によって、救いの後家核の全貌を明らかに示された、ということが語られてきている。
そして、それほどに明らかに語られた「御言葉」を聞いた者は、もはや、それらのことを絵空事や、まるで無かったかのように素通りすることはできず、語られた御言葉に注意深く聞いて従っていくしかないのである。
イエス様は歴史上の人物として、十字架にかけられて死なれたことは事実であり、はっきりと世に証されたことであり、それをどう受け止めていくかが一人一人に問われている。
あのイエス様の十字架は私のため、わたしの身代わりとなって死なれたものと受け止めていくならば、その人は幸いである。
私たちは、日々の暮らしの中で、常にこの事実と向き合っていくのである。
今日一日も幸いな一日となりますように。

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ヘブル 1:5 いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。
1:6 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
1:7 また、天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、 御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、
1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、 また、公正の笏が御国の笏である。
1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」
1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。
1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
1:12 あなたが外套のように巻くと、 これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、 あなたの年は尽きることがない。」
1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、 わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。
1:14 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

神の御子キリストに対する特別な言葉が並んでいる。
これらの言葉は、イエス様だけにふさわしい言葉であって、他の天使や人間にはとうていできないことや、持ちえない特権などが述べられている。
しかし、これらの言葉が、イエス様を信じる者に等しく語りかけられる。
それが救いの素晴らしいところである。
私には何もない。
けれど、イエス様が完全だから、イエス様を信じる時、私も神から完全な者と言っていただける。
中身は何一つ変わらない者だけれども、このような言葉を投げかけてもらえる幸いを得ている。
感謝なことである。

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ヘブル 1:1 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
1:2 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
1:4 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

旧約聖書の時代から、主なる神様が預言者たちを通して語られてきたことは、御子キリストの十字架と復活のご生涯を通して完全に現わされた、と語られている。
しかも、それは、神の本質の完全な現れである、と語られているように、イエス様によって明らかにされたことが神様の真実の姿であり、もっとも大切な本質の現われであるということであろう。
つまり、キリストの十字架と復活によって明らかにされた私たちの救いの約束こそ、私たちが知りうる、知るべき全てがここに現わされているということであろう。
もちろん、私たちに神様の全てを知ることは不可能であろうし、知る必要もないのであろう。
神様の全てを知ることができなくても、神様の本質を完全な形で見ることができるのだから、これからも常にイエス様の十字架と復活の御業を見上げて行こう。

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申命記 34:1 モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、
34:2 ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、
34:3 ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。
34:4 主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
34:5 主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。
34:6 主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。
34:7 モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。
34:9 ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。
34:10 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、
34:11 彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、
34:12 また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。

イスラエルの民を導き、エジプトから脱出、そして、荒野での40年の旅路、ついに約束の地へと導いたモーセの人生は終わった。
これほど偉大な働きに用いられた器であるのに、後世の人たちは、彼がどこに葬られたのか知らないという。
それほどに、後の時代が大きな変化に翻弄されていった時代であったということかもしれない。
あるいは、後継者ヨシュアがモーセの生まれ変わりのごとく敬われていたからかもしれないが、それでも、モーセの名は聖書の言葉と共に語り継がれていくのである。
どこに葬られたかは、それほど問題ではないのかもしれない。
大切なことは、生きて、何を残したか。
人の人生は、生きている間のほうが大切なのだ。
歳を重ね、老いていく者は静かに身を引き、若い世代の人たちが喜んで生きられるように、道を整えていきたいものであり。

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申命記 33:13 ヨセフのために彼は言った。主の祝福がその土地にあるように。天からは露の賜物 下は横たわる淵の賜物
33:14 太陽がはぐくむ賜物 月ごとに生み出される賜物
33:15 いにしえの山々のもたらす最上の物 とこしえの丘の賜物
33:16 地とそれに満ちるものの賜物 柴の中に住まわれる方の慈しみ。それらすべての恵みがヨセフの頭に 兄弟たちから選ばれた者の頭に臨むように。
33:17 彼は威光に満ちた雄牛の初子 彼の角は野牛の角。彼は諸国の民を角で突き倒し 地の果てにまで進み行く。見よ、エフライムの幾万の軍勢を。見よ、マナセの幾千の軍勢を。
33:18 ゼブルンのために彼は言った。喜べ、ゼブルンよ、海に漕ぎ出すときに。喜べ、イサカルよ、あなたの天幕の中で。
33:19 彼らは諸国の民を山に招き そこで正しいいけにえをささげる。彼らは海の富、砂に隠れた宝を手に入れる。
33:20 ガドのために彼は言った。たたえよ、ガドの土地を広げられる方を。ガドは雌獅子のように待ち伏せ 獲物の腕や頭を引き裂く。
33:21 彼は自分のために最上のものを選び出した。指揮者の取り分がそこにあったからだ。民の長たちは相集い 主は恵みの御業を行い イスラエルのために裁きを行われた。
33:22 ダンのために彼は言った。ダンは獅子の子 バシャンの野から躍り出る。
33:23 ナフタリのために彼は言った。ナフタリは主の恵みに満ち足り その祝福に満たされ 湖とその南を手に入れる。
33:24 アシェルのため彼は言った。アシェルは子らのうちで最も祝福される。兄弟に愛され、その足を油に浸す。
33:25 あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力はとこしえに続く。
33:26 エシュルンの神のような方はほかにはない。あなたを助けるために天を駆け 力に満ちて雲に乗られる。
33:27 いにしえの神は難を避ける場所 とこしえの御腕がそれを支える。神はあなたの前から敵を追い散らし 「滅ぼし尽くせ」と言われた。
33:28 イスラエルは安らかに住み ヤコブの泉のみが絶えない 穀物と新しい酒に富み 天が露を滴らす土地に。
33:29 イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾 剣が襲うときのあなたの力。敵はあなたに屈し あなたは彼らの背を踏みつける。

神の祝福は、地の産物や、自然界からの全ての贈り物から来る。
そもそも、この世界を創られたのは神なのだから、当然でもある。
人は地から離れて生きることはできないし、あらゆる富も地から産出されたものであり、あるいは、海や山から来る。
自然イコール神ではないが、神が創られた産物によって生かされていることを覚え、地の上で生きていく幸いを覚えたい。
今の季節なら、梅の花や、地面を彩る春の草花、空を飛ぶ鳥たちのさえずり、見渡せば、数多くの恵みがちりばめられている。
そんなことを考えながら、外を散歩するのも悪くない。

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申命記 33:1 これは神の人モーセが生涯を終えるに先立って、イスラエルの人々に与えた祝福の言葉である。
33:2 主はシナイより来り セイルから人々の上に輝き昇り パランの山から顕現される。主は千よろずの聖なる者を従えて来られる。その右の手には燃える炎がある。
33:3 あなたは民らを慈しみ すべての聖なる者をあなたの御手におかれる。彼らはあなたの足もとにひれ伏し あなたの御告げを受ける。
33:4 モーセは我らに教えを授け ヤコブの会衆の受け継ぐべきものとした。
33:5 民の長たちがイスラエルの諸族と共に集うとき 主はエシュルンの王として臨まれる。
33:6 ルベンを生かし、滅ぼさないでください。たとえその数が少なくなるとしても。
33:7 この言葉を彼はユダのために言った。主よ、ユダの声に耳を傾け その民のもとに彼を来させてください。御手をもって彼のために戦い 苦しめる者からの助けとなってください。
33:8 レビのために彼は言った。あなたのトンミムとウリムを あなたの慈しみに生きる者に授けてください。あなたがマサで試し、メリバの泉で争ったとき
33:9 彼は自分の父母について 「わたしは彼らを顧みない」と言い 兄弟を認めず、自分の子さえ無視し あなたの仰せに従い、契約を守ったからです。
33:10 彼らはあなたの裁きをヤコブに あなたの教えをイスラエルに示し 御前に香をたき 祭壇に完全に焼き尽くす献げ物をささげます。
33:11 主よ、彼の力を祝福し その手の業を受け入れてください。彼に立ち向かう者の腰を打ち砕き 彼を憎む者が再び立てぬようにしてください。
33:12 ベニヤミンのために彼は言った。主に愛される者はその傍らに安んじて住み 終日、神に身を寄せて その御守りのもとに住まう。

モーセは、ついに自分の人生の終わりの時が来たことを悟り、イスラエルの民を祝福し祈り始めている。
主なる神がエジプトからイスラエルの民を救い出して以来、常に民らと共に歩み、祝福してくださったように、これからも変わりなく、イスラエルの民を祝福してくださるであろうことを述べていく。
ルベン、レビ、ベニヤミンと、イスラエルの部族の名前を挙げて、祝福の祈りを捧げていく。
これがモーセにできる最後のことであったし、それが民にとっても最も幸いなことであったであろう。
祈りの働きは尊いものである。
何もできないようであっても、主が働かれることを期待して祈るのであり、それは、主の御業である。
むしろ、主がモーセを用いて祈らせていると言えるだろう。
我々の祈りも同じ。
我々が神に祈っているようで、その実態は、神が我々を御業のために用いておられるのである。

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申命記 32:45 モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、
32:46 こう言った。「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。
32:47 それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。」
32:48 その同じ日に、主はモーセに仰せになった。
32:49 「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。
32:50 あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。
32:51 あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。
32:52 あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」

モーセは、主から託された言葉を、子供たちに語り聞かせ、忠実に守らせるよう勧めている。
信仰を継承していくことは、好ましいことであるが、難しい面もある。
大切なことは、その言葉が「命」である、と語られているように、御言葉によって生きているかどうかが問われてくるのだろう。
子供たちは親の生きざまをよく見ているし、言葉と行動に矛盾があれば、彼らは混乱をするだろう。
「子どもは親の言うう通りにはしないが、親のする通りにする」という言葉を聞いたことがあるが、まさにその通りなのかもしれない。
子は親の生きざまを写す鏡と言えるかもしれない。
遠回りのように見えるかもしれないが、まずは親が御言葉に忠実に生きること。
この一事に励んでいくことが大切である。

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申命記 31:30 モーセは、イスラエルの全会衆にこの歌の言葉を余すところなく語り聞かせた。
32:1 天よ、耳を傾けよ、わたしは語ろう。地よ、聞け、わたしの語る言葉を。
32:2 わたしの教えは雨のように降り注ぎ わたしの言葉は露のように滴る。若草の上に降る小雨のように 青草の上に降り注ぐ夕立のように。
32:3 わたしは主の御名を唱える。御力をわたしたちの神に帰せよ。
32:4 主は岩、その御業は完全で その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく 正しくてまっすぐな方。
32:5 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ その傷ゆえに、もはや神の子らではない。
32:6 愚かで知恵のない民よ これが主に向かって報いることか。彼は造り主なる父 あなたを造り、堅く立てられた方。
32:7 遠い昔の日々を思い起こし 代々の年を顧みよ。あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう。
32:8 いと高き神が国々に嗣業の土地を分け 人の子らを割りふられたとき 神の子らの数に従い 国々の境を設けられた。
32:9 主に割り当てられたのはその民 ヤコブが主に定められた嗣業。
32:10 主は荒れ野で彼を見いだし 獣のほえる不毛の地でこれを見つけ これを囲い、いたわり 御自分のひとみのように守られた。
32:11 鷲が巣を揺り動かし 雛の上を飛びかけり 羽を広げて捕らえ 翼に乗せて運ぶように
32:12 ただ主のみ、その民を導き 外国の神は彼と共にいなかった。
32:13 主はこれを丘陵の地に導き上り 野の作物で養い 岩から野蜜を 硬い岩から油を得させられた。
32:14 彼らは、牛の凝乳、羊の乳 雄羊の脂身 バシャンの雄牛と雄山羊 極上の小麦を与えられ 深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ。
32:15 エシュルンはしかし、肥えると足でけった。お前は肥え太ると、かたくなになり 造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。
32:16 彼らは他の神々に心を寄せ 主にねたみを起こさせ いとうべきことを行って、主を怒らせた。
32:17 彼らは神ならぬ悪霊に犠牲をささげ 新しく現れ、先祖も知らなかった 無縁の神々に犠牲をささげた。
32:18 お前は自分を産み出した岩を思わず 産みの苦しみをされた神を忘れた。
32:19 主はこれを見て 御自分の息子、娘への憤りのゆえに 彼らを退けて、
32:20 言われた。わたしは、わたしの顔を隠して 彼らの行く末を見届けよう。彼らは逆らう世代 真実のない子らだ。
32:21 彼らは神ならぬものをもって わたしのねたみを引き起こし むなしいものをもって わたしの怒りを燃えたたせた。それゆえ、わたしは民ならぬ者をもって 彼らのねたみを引き起こし 愚かな国をもって 彼らの怒りを燃えたたせる。
32:22 わが怒りの火は燃え上がり 陰府の底にまで及び 地とその実りをなめ尽くし 山々の基を焼き払う。
32:23 わたしは、彼らに災いを加え わたしの矢を彼らに向かって射尽くすであろう。
32:24 彼らは飢えてやせ衰え 熱病と激しい病魔のために弱る。わたしは野獣の牙を 地を這うものの猛毒と共に彼らに送る。
32:25 外では剣が命を奪い 家には恐れがあって 若い男と女、乳飲み子と白髪の者を共に襲う。
32:26 わたしは言ったであろう。「彼らを跡形もなくし 人々から彼らの記憶を消してしまおう」と。
32:27 もし、敵が高ぶり、苦しめる者が誤解して 「我々の手が勝ちを得た これを成し遂げたのは主ではない」と言うのを わたしが恐れなかったならば。
32:28 彼らは思慮に欠けた国民 彼らには洞察する力がない。
32:29 もし、彼らに知恵があれば、悟ったであろうに。自分の行く末も分かったであろうに。
32:30 もし、岩なる神が彼らを売らず 主が渡されなかったなら どうして一人で千人を追い 二人で万人を破りえたであろうか。
32:31 しかし、彼らの岩は我々の岩に及ばない。我々の敵もそのことは認めている。
32:32 彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木で ゴモラの畑で育ったもの。そのぶどうは毒ぶどう その房は苦い。
32:33 そのぶどう酒は、蛇の毒 コブラの猛毒。
32:34 これは、わたしのもとに蓄えてあり わたしの倉に封じ込めてあるではないか。
32:35 わたしが報復し、報いをする 彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る。
32:36 主は御自分の民の裁きを行い 僕らを力づけられる。主が見られるからである 彼らの力がうせ去り 未成年者も成人した者もいなくなったのを。
32:37 主は言われる。「どこにいるのか、彼らの神々は。どこにあるのか、彼らが身を寄せる岩は。
32:38 彼らはいけにえの脂肪を食らい 注がれた酒を飲んだではないか。さあ、その神々に助けてもらえ お前たちの避け所となってもらえ。
32:39 しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。
32:40 わたしは手を天に上げて誓う。『わたしの永遠の命にかけて
32:41 きらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき わたしは苦しめる者に報復し わたしを憎む者に報いる。
32:42 わたしの矢を血に酔わせ わたしの剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らえられた者の血を飲ませ 髪を伸ばした敵の首領の肉を食らわせる。』」
32:43 国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。主はその僕らの血に報復し 苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる。
32:44 モーセは、ヌンの子ホシェアと共に来て、この歌の言葉をすべて民に語り聞かせた。

主なる神様は、イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放し、荒野を経て、約束の地へ導いていかれた。
それは、全て、主なる神の御業であって、民自らの力によるものではない。
そもそも人が生きていくために必要な食糧や環境なども、創造主なる神が与えて下さったものばかりであり、人が生み出したものではない。
にも関わらず、人間は、あたかも自分たちの手で何もかも作り出したかのように思いあがり、神を見失い、都合のよい神々を作り出しては、それを拝もうとする。
哀れな存在である。
しかし、今一度、原点に立ち返り、そもそも人が生きていられるのは何故か、神が恵みを与えて下さるからに他ならないことを覚え、神に感謝しながら生きていくことを選んでいきたいものである。

この季節は、冷たく冷やされた海や山に、春の温かく湿った空気が流れ込んできて、霧が発生しやすい。
おかげで、田畑も潤いを感じ、植物も春の息吹を感じ始めるのだろう。
命の仕組みは、神からのもの。
我々もまた、この命の仕組みの中で、生きることを導かれている。
神の恵みを感謝しよう。

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申命記 31:14 主はモーセに言われた。「あなたの死ぬ日は近づいた。ヨシュアを呼び寄せ、共に臨在の幕屋の中に立ちなさい。わたしは彼に任務を授ける。」モーセがヨシュアと共に臨在の幕屋の中に立つと、
31:15 主は雲の柱のうちに幕屋に現れられた。雲の柱は幕屋の入り口にとどまった。
31:16 主はモーセに言われた。「あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、わたしを捨てて、わたしが民と結んだ契約を破るであろう。
31:17 その日、この民に対してわたしの怒りは燃え、わたしは彼らを捨て、わたしの顔を隠す。民は焼き尽くされることになり、多くの災いと苦難に襲われる。その日民は、『これらの災いに襲われるのは、わたしのうちに神がおられないからではないか』と言う。
31:18 わたしはそれでも、その日、必ずわたしの顔を隠す。彼らが他の神々に向かうことにより行ったすべての悪のゆえである。
31:19 あなたたちは今、次の歌を書き留め、イスラエルの人々に教え、それを彼らの口に置き、この歌をイスラエルの人々に対するわたしの証言としなさい。
31:20 わたしがその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れるとき、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これに仕え、わたしを侮ってわたしの契約を破るであろう。
31:21 そして多くの災いと苦難に襲われるとき、この歌は、その子孫が忘れずに唱え続けることにより、民に対する証言となるであろう。わたしは、わたしが誓った土地へ彼らを導き入れる前から、既に彼らが今日、思い図っていることを知っていたのである。」
31:22 モーセは、その日、この歌を書き記してイスラエルの人々に教えた。
31:23 主はヌンの子ヨシュアに命じて言われた。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、わたしが彼らに誓った土地にイスラエルの人々を導き入れる者である。わたしはいつもあなたと共にいる。」
31:24 モーセは、この律法の言葉を余すところなく書物に書き終えると、
31:25 主の契約の箱を担ぐレビ人に命じた。
31:26 「この律法の書を取り、あなたたちの神、主の契約の箱の傍らに置き、あなたに対する証言としてそこにあるようにしなさい。
31:27 わたしはあなたがかたくなで背く者であることを知っている。わたしが今日、まだ共に生きているときでさえ、あなたたちは主に背いている。わたしが死んだ後は、なおさらであろう。
31:28 あなたたちの部族の長老と役人をすべてわたしのもとに集めなさい。わたしはこれらの言葉を彼らに語り聞かせ、天と地を彼らに対する証人とする。
31:29 わたしには分かっている。わたしの死んだ後、あなたたちは必ず堕落して、わたしの命じた道からそれる。そして後の日に、災いがあなたたちにふりかかる。あなたたちが主が悪と見なされることを行い、その手の業によって主を怒らせるからである。」

主なる神様は、常にイスラエルを祝福しようとしておられる。
しかし、民はそれを信じようとせず、御顔から背いて他の神々を求め始める。
このようなことが起こるであろうことは、主なる神様もお見通しであった。
これは預言ではなく、人間の現実の姿なのである。
一方で主なる神様は、ヨシュアに対し「強く、雄々しくあれ」と信仰の励ましの言葉を投げかけている。
このような民を導くリーダーとして、投げ出したくなることもあるかもしれないし、自分自身も弱さを感じることもあるだろう。
だからこそ、このような励ましの言葉が語られているのかもしれない。
主なる神様は、なにもかもお見通しである。

イザヤ59:1 主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
59:2 むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔てお前たちの罪が神の御顔を隠させお前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。

カナンの地で起こるであろう様々な災いは、民が自ら招いたものであるともいえる。
残念だけれども、人は弱い。
不信仰であり、愚かな存在である。
しかし、主なる神様は、そんな我々を見捨てないし、いつでも立ち返って、神と共に歩むことを願っておられる。
信仰は強制ではない。
自ら「神を信じていきたい」という願いを持って歩むようになることを導いて下さっている。
このような憐れみに感謝するばかりである。

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申命記 31:1 モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、
31:2 こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。
31:3 あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。
31:4 主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。
31:5 主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。
31:6 強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
31:7 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。
31:8 主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
31:9 モーセはこの律法を書き記すと、それを主の契約の箱を担ぐレビ人である祭司およびイスラエルの全長老に与えた。
31:10 モーセは彼らに命じて言った。「七年目の終わり、つまり負債免除の年の定めの時、仮庵祭に、
31:11 主の選ばれる場所にあなたの神、主の御顔を拝するために全イスラエルが集まるとき、あなたはこの律法を全イスラエルの前で読み聞かせねばならない。
31:12 民を、男も女も子供も、町のうちに寄留する者も集めなさい。彼らが聞いて学び、あなたたちの神、主を畏れ、この律法の言葉をすべて忠実に守るためであり、
31:13 これをまだ知らない彼らの子供たちも聞いて学び、あなたたちがヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、彼らも生きている限り、あなたたちの神、主を畏れるようになるためである。」

ここで語られていることは、ヨシュア記の冒頭でも語られている内容と似ており、申命記からヨシュア記へと続く架け橋となるような箇所である。
その境目には、ヨルダン川があり、モーセはそこを超えて約束の地へと踏み入ることができなかったのである。
「三途の川を超えてあの世へ行く」というイメージとは全く反対で、モーセはヨルダン川の手前でその生涯を終え、ヨルダン川を超えた者たちだけが、新しい土地での生活が続いていくのである。
未知の土地て、未だ経験したことのないような様々な戦いが待ち受けているかもしれず、モーセは「強く、雄々しくあれ」と、ヨシュアらに励ましのメッセージを贈るのである。
しかし、かの地では、主が戦って下さるとも語られており、民自身が強く雄々しくある必要はないようにも思える。
むしろ、ここでの「強く、雄々しくあれ」というのは、原住民との戦いにおいてよりも、神の御前に立ち、神と共に生きる信仰の生活において、「強く、雄々しくあれ」と語られているのではないのだろうか。
人は罪人であり、ともすれば、神から身を隠し、神の御前から逃れて生きようとするものである。
しかし、主なる神は、あなたを祝福しようとしておられる。
恐れないで、大胆に神の御前に立ち、神と共に生きる者となれ、というのがモーセの励ましのメッセージでもあったのではないだろうか。
神は確かに厳しいお方かもしれない。
しかし、それ以上に、憐れみ深いお方である。
特に、我々にとてっては、キリストが我々の罪のために十字架であがないを成し遂げて下さったゆえに、安心して神の御前に立つことを赦された者である。
それこそ、「強く、雄々しく」神の御前に立ち、神と共に生きる者であるように、招かれているのではないだろうか。


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