聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




出エジプト記 34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、
34:9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
34:10 主は言われた。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである。
34:11 わたしが、今日命じることを守りなさい。見よ、わたしはあなたの前から、アモリ人、カナン人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。
34:12 よく注意して、あなたがこれから入って行く土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。それがあなたの間で罠とならないためである。
34:13 あなたたちは、彼らの祭壇を引き倒し、石柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒しなさい。
34:14 あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である。
34:15 その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがその神々を求めて姦淫を行い、その神々にいけにえをささげるとき、あなたを招き、あなたはそのいけにえを食べるようになる。
34:16 あなたが彼らの娘を自分の息子にめとると、彼女たちがその神々と姦淫を行い、あなたの息子たちを誘ってその神々と姦淫を行わせるようになる。
34:17 あなたは鋳像の神々を造ってはならない。
34:18 あなたは除酵祭を守りなさい。七日の間、アビブの月の定めの日に、わたしが命じた酵母を入れないパンを食べなさい。アビブの月に、あなたはエジプトを出たからである。
34:19 初めに胎を開くものはすべて、わたしのものである。あなたの家畜である牛や羊の初子が雄であるならば、すべて別にしなければならない。
34:20 ただし、ろばの初子の場合は、小羊をもって贖わねばならない。もし贖わない場合は、その首を折りなさい。あなたの初子のうち、男の子はすべて贖わねばならない。何も持たずに、わたしの前に出てはならない。
34:21 あなたは六日の間働き、七日目には仕事をやめねばならない。耕作の時にも、収穫の時にも、仕事をやめねばならない。
34:22 あなたは、小麦の収穫の初穂の時に、七週祭を祝いなさい。年の終わりに、取り入れの祭りを祝いなさい。
34:23 年に三度、男子はすべて、主なるイスラエルの神、主の御前に出ねばならない。
34:24 わたしはあなたの前から国々の民を追い出し、あなたの国境を広くするが、あなたが年に三度、あなたの神、主の御前に出るために上るとき、だれもあなたの土地を侵すことはないであろう。
34:25 あなたは、わたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。過越祭のいけにえは翌朝まで残しておいてはならない。
34:26 あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。」
34:27 主はモーセに言われた。「これらの言葉を書き記しなさい。わたしは、これらの言葉に基づいてあなたと、またイスラエルと契約を結ぶ。」
34:28 モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した。

詩篇 15:1  賛歌。ダビデの詩。 主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。
15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり
15:3 舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
15:4 主の目にかなわないものは退け 主を畏れる人を尊び  悪事をしないとの誓いを守る人。
15:5 金を貸しても利息を取らず 賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は とこしえに揺らぐことがないでしょう。

ヨハネ 18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
18:29 そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
18:30 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
18:32 それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。


イスラエルの民が、ようやく約束の地カナンへと導き入れられようとしている時、主なる神は、イスラエルの人たちに対し、カナンの人たちが信じている偶像の神々を信じ、それらと契約を結ばないよう厳しく戒めておられる。
偶像の神々と契約を結ぶということは、「私たちはあなたを信じます」それゆえ「私たちを祝福して下さい」といった約束をすることである。
そこには、人間の側が先に契約で結ぶ約束を果たすことが求められ、その結果として祝福を頂くことができるものとなっており、人間の行動いかんによって結果が左右される形となっている。
しかし、主なる神様がイスラエルの民と結ばれた契約というのは、これらの契約とは全く異なるものとなっており、まず「神がイスラエルの民を選び、救い出した」という結果が先に行われ、それゆえ「主の求められることを行うように」様々な戒めが語られている。
祝福は先に行われているのであり、それゆえ、神に従うのは当然である、といった形となっているのである。
十戒として知られる律法の言葉が授与された時も、まず最初に主なる神様がどういうお方であり、何をされたのかが明確に語られ、それに続いて戒めが語られていることが伺える。

出エジプト記 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

神様は、私たちの救いをも、既に成し遂げられている。
救いの約束が実現しているからこそ、私たちは安心して信じて従っていけるのである。
主イエス様の十字架の贖いと復活により、もはや全ての罪は赦され、滅びることのない永遠の命が約束されていることを信じて生きていこう。


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出エジプト記 32:15 モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。
32:16 その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。
32:17 ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、「宿営で戦いの声がします」と言うと、
32:18 モーセは言った。「これは勝利の叫び声でも 敗戦の叫び声でもない。わたしが聞くのは歌をうたう声だ。」
32:19 宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。
32:20 そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。
32:21 モーセはアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」と言うと、
32:22 アロンは言った。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。
32:23 彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、
32:24 わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」
32:25 モーセはこの民が勝手なふるまいをしたこと、アロンが彼らに勝手なふるまいをさせて、敵対する者の嘲りの種となったことを見ると、
32:26 宿営の入り口に立ち、「だれでも主につく者は、わたしのもとに集まれ」と言った。レビの子らが全員彼のもとに集まると、
32:27 彼らに、「イスラエルの神、主がこう言われる。『おのおの、剣を帯び、宿営を入り口から入り口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ』」と命じた。
32:28 レビの子らは、モーセの命じたとおりに行った。その日、民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。
32:29 モーセは言った。「おのおの自分の子や兄弟に逆らったから、今日、あなたたちは主の祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福を受ける。」
32:30 翌日になって、モーセは民に言った。「お前たちは大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない。」
32:31 モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。
32:32 今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」
32:33 主はモーセに言われた。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。
32:34 しかし今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く。しかし、わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する。」
32:35 主は民がアロンに若い雄牛を造らせたので、民を打たれたのである。

詩篇 15:1  賛歌。ダビデの詩。 主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。
15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり
15:3 舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
15:4 主の目にかなわないものは退け 主を畏れる人を尊び 悪事をしないとの誓いを守る人。
15:5 金を貸しても利息を取らず 賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は とこしえに揺らぐことがないでしょう。

ヤコブ 1:9 貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。
1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。
1:11 日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。
1:12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
1:13 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
1:14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
1:16 わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。


人はみな罪人であり、自己中心的で自己保身的な考えをしがちである。
そのため、何か自分にとって不都合な事や好ましくないことが起きると、それらは全て、周囲のものに原因があると考えようとする。
しかし、おおよそ、自分の周りで起きている好ましくないことの原因を作っているのは自分であることが多い。
そして、全ての悪の原因を他人のせいにし、自分の責任を逃れようとし、自分を守ろうとする。
人は自分で自分を愛し、自分で自分を守ろうとしてしまうが、いかんせん、不完全な罪人がそれを完遂することができないのである。
人は自分を救えないし、自分を愛しているようでいて、自分を救うために何かを犠牲にすることもできないのである。
それができるのは、唯一の神、十字架に命を捧げて私たちを救って下さったイエス様だけである。
イエス様は、御自分の尊い命を投げ出してまで私たちを救おうとして下さり、それほどに愛しぬいて下さった。
イエス様の十字架の姿には、人間のような自己中心や自己保身を追求する姿はない。あくまで他者を救うため、他者を愛しぬいての大きな犠牲による救いの御業が現わされている。
この方のもとに立ち帰り、イエス様の十字架の御業のゆえに、愛され、救われている幸いを覚えて、平安のうちに生きて行きたいものである。


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出エジプト記 32:1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、
32:2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」
32:3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。
32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。
32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。
32:6 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。
32:7 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、
32:8 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」
32:9 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。
32:10 今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」
32:11 モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。
32:12 どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。
32:13 どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」
32:14 主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。

詩篇 15:1  賛歌。ダビデの詩。 主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。
15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり
15:3 舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
15:4 主の目にかなわないものは退け 主を畏れる人を尊び 悪事をしないとの誓いを守る人。
15:5 金を貸しても利息を取らず 賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は とこしえに揺らぐことがないでしょう。

ヤコブ 1:1 神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。
1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
1:3 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
1:4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。
1:5 あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
1:6 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
1:7 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
1:8 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。


人が試練に出会う時、どう対処するかによって、おおよそ、その人のことをしることができる。
人は、困難な状況にある時ほど、本性が現れやすいからである。
しかし、それ以外にもその人の本性が現れてくる状況もある。
例えば、人がお酒を飲み、酔いがまわって理性が働かなくなってくる時なども、その人の本性が現れやすい。
あるいは、年齢を重ねて、脳の機能が衰えてくると、理性が働きにくくなり、キレやすくなったりする老人が増えているとも聞く。
理性が利かなくなり、その人の本性が現れてくる時、その人の本心であったり、欲望であったり、罪の性質があぶりだされてしまうのである。
試練に会う事は、できることならなるべく避けたいものではあるが、そこで試され、忍耐力を養う機会として過ごすことができるなら、それもまた感謝なことであろう。
少なくとも、イエス様はどんな時も私たちと共にいて下さることを覚えて、試練の時こそ、イエス様に祈り、頼り、闇のように思える中にも希望の光があることを忘れず、信じて歩んでいきたいものである。


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イザヤ 33:10 今や、わたしは身を起こすと 主は言われる。今や、わたしは立ち上がり 今や、自らを高くする。
33:11 枯れ草をはらみ、わらを産め 火のような霊がお前たちをなめ尽くす。
33:12 もろもろの民は、焼かれて石灰となり 切られた茨が、火に燃やされる。
33:13 遠くにいる者よ わたしの成し遂げたことを聞け。近くにいる者よ、わたしの力強い業を知れ。
33:14 シオンで罪人は恐れ 神を無視する者はおののきに捕らえられた。我々のうち、誰が 焼き尽くす火の中にとどまりえようか。我々のうち、誰が とこしえに燃える炉の中にとどまりえようか。
33:15 正義に歩み、正しいことを語り 虐げによる利益を退け 手を振って、賄賂を拒み 耳をふさいで、流血の謀を聞かず 目を閉じて、悪を見ようとしない者
33:16 このような人は、高い所に住む。その高い塔は堅固な岩。彼の糧は備えられ、水は絶えることがない。

詩篇 119:97 わたしはあなたの律法を どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。
119:98 あなたの戒めは わたしを敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえにわたしのものです。
119:99 わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。
119:100 長老たちにまさる英知を得させてください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:101 どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください。
119:102 あなたの裁きから離れません。あなたがわたしを教えてくださるからです。
119:103 あなたの仰せを味わえば わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
119:104 あなたの命令から英知を得たわたしは どのような偽りの道をも憎みます。

ヨハネ 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
15:18 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。
15:19 あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。
15:20 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。
15:21 しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。
15:22 わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。
15:24 だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。
15:25 しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。


主イエス様を救い主として信じ、クリスチャンとして生きる人生は幸いなものであるが、信じない人たちから見れば、ただの変り者のように見えるかもしれない。
なぜなら、世や世のものを愛そうとしないからである。
この世に生きる多くの人は、世や世のものから誘惑を受け、それらに翻弄され、愛そうとしてしまう。
しかし、それらの物が人を救ってくれるわけではない。
一見、楽しそうに見えることや幸いに思えるようなことにも、滅びに通じる罠が隠されている。
楽しいことや幸いのように思えることに興じることを否定するわけではないが、その先に一体何が待ち受けているのかということをしっかりと考えておくことは大切であろう。
世間一般の人たちから「堅物」扱いを受けることもあるかもしれないが、イエス様が与えて下さる命の約束のほうが何より大事なことと思うなら、むしろ喜んで「堅物」と呼ばれても構わない。
もちろん、皆と仲良く幸いに過ごせるのなら、それに越したことはないし、できることならそう生きたい。
けれど、何が自分にとって大切なことであるかということは見失いたくはない。
それで周囲から煙たがられても、それはある面仕方のないこと。
迫害されるようなことがあっても、大切なことは見失わないでいたい。
命を与える主が私を選び、救って下さったのだから、それに応える者とならせてもらいたいものである。


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ネヘミヤ 9:16 ところが、わたしたちの先祖は傲慢にふるまい かたくなになり、戒めに従わなかった。
9:17 聞き従うことを拒み 彼らに示された驚くべき御業を忘れ かたくなになり エジプトの苦役に戻ろうと考えた。しかし、あなたは罪を赦す神。恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに溢れ 先祖を見捨てることはなさらなかった。
9:18 彼らが牛の像を鋳て造り エジプトから救ってくれた神だと称し 背信の大罪を犯したときも
9:19 まことに憐れみ深いあなたは 彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった。昼は雲の柱を取り去ることなく行く手を示し 夜は火の柱を取り去ることなく 行く道を照らされた。
9:20 あなたの優れた霊を授けて彼らに悟りを与え 口からマナを取り上げることなく 渇けば水を与えられた。
9:21 四十年間、あなたが支えられたので 彼らは荒れ野にあっても不足することなく 着物は朽ち果てず、足もはれることがなかった。
9:22 諸国、諸民族を彼らの支配下に置き 分け与えて国境に住まわせられた。ヘシュボンの王シホンの国も バシャンの王オグの国も彼らの所有となった。
9:23 その子らの数を天の星のように増やし 行って所有せよと先祖に約束された土地に 彼らを導き入れられた。
9:24 その子らはその地に入り、これを所有した。あなたはその地の先住民カナン人を服従させ 彼らの支配下に置かれた。その地にいた諸民族とその王たちを 彼らは思いのままにあしらった。
9:25 堅固な町々、肥沃な土地を奪い すべての良きものに満ちた家 貯水池、ぶどう畑、オリーブと果樹の園を 数多く手に入れた。彼らは食べて飽き、太り 大きな恵みを受け、満足して暮らした。
9:26 しかし、彼らはあなたに背き、反逆し あなたの律法を捨てて顧みず 回心を説くあなたの預言者たちを殺し 背信の大罪を犯した。
9:27 あなたは彼らを敵の手に渡し 彼らを苦しめられた。彼らが苦難の中から叫び声をあげると あなたは天にあってそれを聞き 豊かな憐れみをもって、次々と救い手を送り 苦しめる者の手から救い出してくださった。
9:28 しかし、平穏になると 彼らは再び御前に悪を行ったので あなたは彼らを敵の手に任せ その支配下に落とされた。彼らが再び叫び声をあげると あなたは天にあってそれを聞き 豊かな憐れみをもって彼らを救い出された。
9:29 律法に立ち帰るようにと あなたは彼らに勧められたが 彼らは傲慢になり、御命令に耳を貸さず あなたの法に背いた。これを守って命を得るはずであったが 彼らは背を向け、かたくなになり 聞き従おうとしなかった。
9:30 長い年月、あなたは忍耐し あなたの霊を送り 預言者によって勧められたが 彼らは耳を貸さなかったので 諸国の民の手に彼らを渡された。
9:31 しかし、まことに憐れみ深いあなたは 彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず 見捨てようとはなさらなかった。まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神。

詩篇 119:97 わたしはあなたの律法を どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。
119:98 あなたの戒めは わたしを敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえにわたしのものです。
119:99 わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。
119:100 長老たちにまさる英知を得させてください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:101 どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください。
119:102 あなたの裁きから離れません。あなたがわたしを教えてくださるからです。
119:103 あなたの仰せを味わえば わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
119:104 あなたの命令から英知を得たわたしは どのような偽りの道をも憎みます。

エフェソ 6:21 わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。
6:22 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。
6:23 平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。
6:24 恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。


ネヘミヤ書のテキストには、イスラエルの民が何度も何度も神様を裏切り、悲しませるようなことを繰り返してきたにも関わらず、それでもイスラエルの民を愛し、導き、憐れみ続けてきたことが語られている。
普通の人なら、一度や二度裏切られれば、もはや絶交してしまうようなことも何度も繰り返してきているにも関わらず、主なる神様は、変わることのない愛と憐れみを示し続けてこられた。
神とはそういうお方なのだ。
私たちも、何度も何度も神を悲しませるようなことをし続けている。
それでも神は私たちを見捨てられることはない。
むしろ、こんな愚かな罪人のために、イエス様ご自身が身代わりに十字架で死んで下さったほどである。
どれほど深く、大きな愛のお方であろう。
せめて、この事実だけは忘れないでいよう。
それがせめてもの私たちにできる報いである。
神の御子イエス様の十字架と、その死と復活による救いと命の約束を覚えて、神の愛と憐れみのゆえに生きていられることを感謝しよう。


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ネヘミヤ 9:1 その月の二十四日に、イスラエルの人々は集まって断食し、粗布をまとい、土をその身に振りかけた。
9:2 イスラエルの血筋の者は異民族との関係を一切断ち、進み出て、自分たちの罪科と先祖の罪悪を告白した。
9:3 彼らは自分の立場に立ち、その日の四分の一の時間は、彼らの神、主の律法の書を朗読して過ごし、他の四分の一の時間は、彼らの神、主の前に向かって罪を告白し、ひれ伏していた。
9:4 イエシュア、バニ、カドミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレブヤ、バニ、ケナニは、レビ人のための台に立ち、神なる主に向かって大きな叫び声をあげた。
9:5 レビ人イエシュア、カドミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレブヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立って、あなたたちの神、主を賛美せよ。とこしえより、とこしえにいたるまで 栄光ある御名が賛美されますように。いかなる賛美も称賛も及ばないその御名が。
9:6 あなたのみが主。天とその高き極みを そのすべての軍勢を 地とその上にあるすべてのものを 海とその中にあるすべてのものを あなたは創造された。あなたは万物に命をお与えになる方。天の軍勢はあなたを伏し拝む。
9:7 あなたこそ、主なる神。アブラムを選んでカルデアのウルから導き出し 名をアブラハムとされた。
9:8 あなたに対して忠実なその心を認め 彼と契約を結び 子孫に土地を与えると約束された。カナン人、ヘト人、アモリ人 ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の土地を。あなたは約束を果たされた。まことにあなたは正しい方。
9:9 わたしたちの先祖がエジプトで苦しんでいるのを見 葦の海で叫び声をあげるのを聞き
9:10 ファラオとその家来 その国民すべてに対して あなたは数々の不思議と奇跡を行われた。彼らがわたしたちの先祖に対して 傲慢にふるまったことを まことにあなたは知っておられた。こうしてかちえられたあなたの名声は 今日も衰えることを知らない。
9:11 あなたは先祖の目の前で海を二つに裂き 海の中の乾いた地を通らせ 追い迫る敵をあたかも石のように 荒れ狂う水の深みに投げ込まれた。
9:12 昼は雲の柱、夜は火の柱をもって わたしたちの先祖を導き その進み行く道を照らされた。
9:13 あなたは天からシナイの山に降って彼らと語り 正しい法、真実の律法 優れた掟と戒めを授け
9:14 あなたの聖なる安息日を布告し 僕モーセによって 戒めと掟と律法を授けられた。
9:15 彼らが飢えれば、天からパンを恵み 渇けば、岩から水を湧き出させ 必ず与えると誓われた土地に行って それを所有せよと命じられた。

詩篇 119:97 わたしはあなたの律法を どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。
119:98 あなたの戒めは わたしを敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえにわたしのものです。
119:99 わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。
119:100 長老たちにまさる英知を得させてください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:101 どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください。
119:102 あなたの裁きから離れません。あなたがわたしを教えてくださるからです。
119:103 あなたの仰せを味わえば わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
119:104 あなたの命令から英知を得たわたしは どのような偽りの道をも憎みます。

エフェソ 5:21 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
5:22 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
5:23 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。
5:24 また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
5:25 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、
5:27 しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。
5:28 そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。
5:29 わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。
5:30 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。
5:31 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」
5:32 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。
5:33 いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
6:1 子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。
6:2 「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
6:3 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。
6:4 父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
6:5 奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。
6:6 人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、
6:7 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
6:8 あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。
6:9 主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。


エフェソ書のテキストには、妻は夫に仕え、子は親を敬い、奴隷は主人に従うようにといったことが語られており、それぞれ置かれた立場において「仕えること」が勧められている。
しかし、これらの勧めは、5章21節の「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」との言葉の具体的な事例として語られているのであり、その本意は「互いに仕え合う」ということにある。
つまり、仕えるのは妻が夫に対してだけではなく、夫が妻を愛することも広い意味では「互いに仕え合う」ことに含まれているということであろう。
子は親に従うように勧められているのも、その分、親は子に対して愛を持って適切に育てていく責任を負っているし、子育ても多くの領域において子に仕えていく姿勢がなければ成り立たないものである。
奴隷を扱う主人も同様であろう。
もし奴隷を人ではなくモノのように扱っているとしたら、それは「互いに仕え合う」こととは程遠いものとなってしまう。
どんな立場にあろうと、相手は同じ人間である。
人として尊重し、大切に受け止め、その人がもっとも豊かに用いられるように導いてあげることが大切であろう。
人はどちらが上でどちらが下であるといった優劣など存在しない。
同じ人間である。
仮に立場において上下のように見える関係においても、相手を一人の人間として尊重し、互いに仕え合うことを大切にして入れば、その人間関係は必ず祝福されるだろう。
イエス様は、私たちをそのような「互いに仕え合う」人間関係の中に生きていくように、私たちを救い、生かそうとしておられる。
イエス様が高価な代価を支払って神のものとして買い取ってくださった人生を、イエス様の御心にかなうものとなれるように願いつつ、幸いな人生を歩んで行きたいものである。


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ヨシュア記 22:21 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、イスラエルの部隊の長たちに答えて、言った。
22:22 「神よ、主なる神よ。神よ、主なる神よ。神はご存じです。イスラエルも分かってください。もし、これが主に対する裏切りであり、背信であったなら、今日、わたしたちを生かしておかないでください。
22:23 もし、わたしたちが主に背いて祭壇を築き、その上で、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげたとすれば、主御自身が罰してくださるでしょう。
22:24 わたしたちがこのことをしたのは、一つの心配があったからです。すなわち、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちはイスラエルの神、主と何の関係もない。
22:25 ルベンとガドの人々よ。主はヨルダン川をわたしたちとあなたたちとの境とされた。あなたたちには、主の割り当てはない』と言って、あなたたちの子供がわたしたちの子供に主を畏れることをやめさせるかもしれません。
22:26 それで、自分たちの手で祭壇を築こうと申し合わせたのです。焼き尽くす献げ物やその他の献げ物をするためではなく、
22:27 あなたたちとわたしたち、更にわたしたちの子孫との間柄を示す証拠とするためです。わたしたちが焼き尽くす献げ物や、和解の献げ物をささげて主を礼拝するのは、後日、あなたたちの子供がわたしたちの子供に向かい、『あなたたちには、主の割り当てはない』と言わないためです。
22:28 わたしたちはこうも申し合わせました。もし後日、わたしたち、またわたしたちの子孫に、このようなことが言われたなら、こう答えよう。『わたしたちの先祖が作った主の祭壇の模型を見なさい。焼き尽くす献げ物や和解の献げ物をささげるためではなく、あなたたちとわたしたちとの間柄を示す証拠なのです。』
22:29 今日、主に逆らい、主に背いて、主の幕屋の前にあるわたしたちの神、主の祭壇とは別に祭壇を築き、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物をささげるつもりなど、全くありません。」
22:30 祭司ピネハス、共同体の指導者および同伴したイスラエルの部隊の長たちは、ルベン、ガド、マナセの人々の語る言葉を聞いて、良しとした。
22:31 エルアザルの子である祭司ピネハスは、ルベン、ガド、マナセの人々に告げた。「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信の行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れさせた。」
22:32 エルアザルの子、祭司ピネハスと指導者たちは、ルベン、ガドの人々と別れ、ギレアド地方からカナンの土地のイスラエルの人々のもとに帰って、このことを報告した。
22:33 イスラエルの人々は、このことを良しとし、神をたたえ、もはやルベンとガドの人々の住む地方に攻め上り、これを滅ぼそうと言う者はなかった。
22:34 ルベンとガドの人々はこの祭壇を、「わたしたちの間では主が神であることの証人」と名付けた。

詩篇 34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。

ルカ 11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」


旅行中の友達が訪ねてきたが、もてなすためのパンが無かったので、真夜中に他の友達のところに行って「パンを貸してくれ」と頼むことは、正直、非常識な行動と言うほかない。
友達が旅行中に立ち寄ったことも想定外だったのかもしれないが、だからと言って、他の友達にパンをかしてもらおうとするのもおかしな話である。
普通なら、ありあわせのものを提供するか、無ければ無いでそのままやり過ごすしかない。
旅の途中の友達が来たからと言って、そのもてなしのためのパンを他の友達に頼むような人など、今後は付き合い方も考え直した方が良いし、もはや友達と思いたくもない気持ちになるのではないだろうか。
しかし、イエス様は、友達だからと言う理由でパンを与えてくれることはなくても、しつようにたのめば与えてくれるだろうと仰せられている。
これは、もはや、さっさとパンを提供しておかないと、夜中中ずっと玄関をたたいてうるさくて仕方ないから、パンを貸した方がまし、といった感じにも見える。
もちろん、このことは、あくまで例えなので、神様もこれと同じということではないのだろうけれども、神に祈り求め続けていくならば、神はきっと良きものを与えて下さるということを語られている。
もちろん、神は私たちに良きものを与えようとして下さるお方である。
しかし、私たちはどうだろう。
祈り続けているだろうか。
いや、祈ってはいるかもしれないが、その祈りは、なんとも非常識で自分勝手な自己中心的な祈りをしているのではないだろうか。
普通なら、今後の付き合い方を考え直したいと思われるような頼み方をしているのかもしれない。
しかし、主なる神様は、それでも私たちのために必要なものを与えて下さるのである。
なんと憐れみ深く、有難いことであろう。
非常識で、自分勝手で、自己中心な私たちの祈りを聞き届け、扉を開いて対応して下さるイエス様に感謝しつつ、引き続き、どんなことでも祈り続けていきたいものである。


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ヨシュア記 22:10 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地にあるヨルダン川のゲリロトに着いたとき、そこに一つの祭壇を築いた。それは目立って大きい祭壇であった。
22:11 イスラエルの人々は、ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族がカナンの地境、ヨルダン川のイスラエル側のゲリロトに祭壇を築いたとの知らせを聞いた。
22:12 これを聞いたイスラエルの人々は、シロで、イスラエルの人々の共同体全体の集まりを開き、彼らに対して軍を差し向けることにした。
22:13 イスラエルの人々はまず、ギレアド地方にいるルベンとガドの人々、およびマナセの半部族のもとに祭司エルアザルの子ピネハスを遣わした。
22:14 彼に同行したのは、イスラエルの各部族から、それぞれ家系の指導者一名、計十名の指導者であり、いずれもイスラエルの部隊の家系の長であった。
22:15 彼らは、ギレアド地方にいるルベンとガドの人々、およびマナセの半部族のもとに着くと、こう告げた。
22:16 「主の共同体全体はこう言う。お前たちが今日、イスラエルの神、主に背いたこの背信の行為は何事か。お前たちは、今日、自分たちのために祭壇を築いて、主に逆らっている。
22:17 かつてペオルで犯したあの罪は、我々にとってささいなことであっただろうか。あのとき、主の共同体に災害がくだり、今日に至ってもまだ清められていないではないか。
22:18 それなのに、お前たちは今日、主に背こうとしている。今日、主に逆らうなら、明日、イスラエルの共同体全体に御怒りが下るであろう。
22:19 もしもお前たちの所有地が汚れているなら、主の幕屋がある主の所有地に渡って来て、わたしたちの間に所有地を持つがよい。わたしたちの神、主の祭壇のほかに、自分たちの祭壇を築いて、主に逆らい、わたしたちに逆らってはならない。
22:20 ゼラの子アカンが滅ぼし尽くしてささげるべきもののことで背いたとき、イスラエルの共同体全体に御怒りが下り、その罪のために息絶えたのは、彼一人だけではなかった。」

詩篇 34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。

ローマ 13:11 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。
13:12 夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
13:13 日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、
13:14 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。


ルベンとガド、およびマナセの半部族が自分たちの務めを終えてヨルダン川の東岸地域へ帰っていく時、ヨルダン川のほとりの町に一つの祭壇を築いたが、そのことに対し、他のイスラエルの人たちは、彼らが真の神に逆らう行為をしたとして激高してしまうのである。
しかし、続く箇所を見れば分かるのだが、ルベンとガド、およびマナセの半部族は、他のイスラエルの民族から自分たちが分断され、見捨てられないために、自分たちも同じ神につながっていようとして祭壇を築いているのであり、他の神々を礼拝する祭壇を築いたと言って非難されたことは完全な誤解であったということである。
もちろん、ルベンとガド、およびマナセの半部族が行ったことも紛らわしいものであったかもしれないが、そもそも彼らは妥協した人たちとみられていただけに、ちょっとしたことでも誤解を招きやすい立場にあったことは否定できないことであったのだろう。
けれど、ルベンとガド、およびマナセの半部族にも事情があるし、それを頭ごなしに否定されるのも悲しいことであったに違いない。
人にはそれぞれ様々な事情があり、すべての人が同じことを同じようにできるわけではない。体が不自由な人も入れば、弱い立場に置かれている人もいる。
いろんなことができる人には、できない人の気持ちや辛さは、なかなか理解できないかもしれないが、ある程度は仕方がないことなのだろう。
全ての人が不自由なく暮らせる社会というのは、それはそれで麗しいことであるが、何でもできる人にとっては、それに対応することが逆に難しいことなのかもしれない。
ユニバーサルという言葉もあるが、全ての人に平等にというのは、意外に難しいことなのだろう。
とはいえ、弱い立場にある人たちにも同じ一人の人間として生きる権利はある。
難しくても、できるだけ誰もが幸せに暮らせる社会を目指していきたいものである。
その点、信じる人ならば誰でも救われるという聖書の救いの約束は、なんと麗しく、幸いなことであろう。
感謝のうちに、信じて歩んでいきたいものである。




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ヨシュア記 22:1 ヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセの半部族を呼び寄せて、
22:2 言った。「あなたたちは、主の僕モーセが命じたことをことごとく守っただけではなく、わたしが命じたすべてのことにも聞き従った。
22:3 あなたたちは、今日に至るまで長い間、同胞を見捨てず、あなたたちの神、主の命じられた言いつけを守ってきた。
22:4 しかし今や、あなたたちの神、主は約束されたとおり、同胞に安住の地をお与えになったのだから、あなたたちは主の僕モーセから受けたヨルダン川の東側にある自分の所有地の天幕に帰るがよい。
22:5 ただ主の僕モーセが命じた戒めと教えを忠実に守り、あなたたちの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めを守って主を固く信頼し、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい。」
22:6 ヨシュアが彼らを祝福して送り出すと、彼らは自分の天幕に帰って行った。
22:7 マナセの半部族には既にモーセがバシャンの地にその所有地を定めていたが、マナセの残る半部族には、ヨシュアが他の同胞諸部族と共にヨルダン川の西側に所有地を与えた。彼らをその天幕に送り出したとき、ヨシュアは祝福して、
22:8 彼らに言った。「多くの財宝、多数の家畜、金、銀、銅、鉄および数多くの衣服を天幕に持ち帰りなさい。敵から分捕った物は、兄弟たちと分け合いなさい。」
22:9 ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地のシロでイスラエルの他の部族と別れ、モーセを通して受けた主の命令によって既に取得していた自分たちの所有地、ギレアド地方に帰って行った。

詩篇 34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。

1テサロニケ 5:1 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。
5:2 盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
5:4 しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
5:5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
5:6 従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。
5:8 しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。
5:9 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
5:11 ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。


人は基本、今という時しか生きることはできない。
過ぎ去った今は、やがて過去の記憶となっていくが、やがて来たる今は、未来として考えられている。
しかし、未来というのは「未だ来ていない」不確かなものに過ぎず、それなのに、人はあたかも未来は必ずやってくると信じている。
ルベン人、ガド人、マナセの半部族の人たちは、主が約束された土地に入る前に、言わば妥協した形でヨルダン川の東岸地域に住むことを選んでいた。
一日でも早く落ち着いた暮らしを手に入れたかったのかもしれない。
しかし、それと引き換えに、彼らは家族をその地に残し、未だ安住の地を得ていない多くの同胞たちのために共に戦っていくことを約束させられていたのである。
例えて言うなら、マイホームを多額のローンで購入し、ローンの返済のために、単身赴任も厭わず生活しているようなサラリーマンといったところであろうか。
先のことなど誰にも分からないのに、遠い将来のために必死に生きていく、そんな姿を思わされる。
もちろん、そういったスタイルが悪いわけではないし、ルベン人、ガド人、マナセの半部族の人たちのように、しっかり働いて約束を果たせばいいだけのことである。
しかし、最後まで約束を果たすことのできる人ばかりではないのも事実である。
多額の負債を抱えて破産してしまう人もなかにはいるかもしれない。
人が考えた将来の計画というのは、なかなか思うようにいかないものである。
だからこそ、今をしっかりと丁寧に生きることが大切なのだ。
未だ誰も見たことのない遠い未来のことは、人間には分からない。
ただ、主なる神様は、イエス様の命の代価を支払って、私たちに天の御国を約束して下さっている。
どれだけ多くの負債をイエス様に立て替えて支払っていただいていることであろう。
ただただ感謝して、しっかりと丁寧に今を生きて行こうではないか。


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創世記 47:13 飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。
47:14 ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めた。
47:15 エジプトの国にもカナン地方にも、銀が尽き果てると、エジプト人は皆、ヨセフのところにやって来て、「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」と言った。
47:16 ヨセフは答えた。「家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう。」
47:17 人々が家畜をヨセフのところに連れて来ると、ヨセフは、馬や、羊や牛の群れや、ろばと引き換えに食糧を与えた。ヨセフはこうして、その年、すべての家畜と引き換えに人々に食糧を分け与えた。
47:18 その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「御主君には、何もかも隠さずに申し上げます。銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、わたしどもの体と農地だけです。
47:19 どうしてあなたさまの前で、わたしどもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」
47:20 ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうして、ファラオのものとなった。
47:21 また民については、エジプト領の端から端まで、ヨセフが彼らを奴隷にした。
47:22 ただし、祭司の農地だけは買い上げなかった。祭司にはファラオからの給与があって、ファラオが与える給与で生活していたので、農地を売らなかったからである。
47:23 ヨセフは民に言った。「よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。
47:24 収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちや家族の者の食糧とし、子供たちの食糧としなさい。」
47:25 彼らは言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」
47:26 ヨセフはこのように、収穫の五分の一をファラオに納めることを、エジプトの農業の定めとした。それは今日まで続いている。ただし、祭司の農地だけはファラオのものにならなかった。

詩篇 36:1  指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。
36:2 神に逆らう者に罪が語りかけるのが わたしの心の奥に聞こえる。彼の前に、神への恐れはない。
36:3 自分の目に自分を偽っているから 自分の悪を認めることも それを憎むこともできない。
36:4 彼の口が語ることは悪事、欺き。決して目覚めようとも、善を行おうともしない。
36:5 床の上でも悪事を謀り 常にその身を不正な道に置き 悪を退けようとしない。
36:6 主よ、あなたの慈しみは天に あなたの真実は大空に満ちている。
36:7 恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
36:8 神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
36:9 あなたの家に滴る恵みに潤い あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
36:10 命の泉はあなたにあり あなたの光に、わたしたちは光を見る。
36:11 あなたを知る人の上に 慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に 恵みの御業が常にありますように。
36:12 神に逆らう者の手が わたしを追い立てることを許さず 驕る者の足が わたしに迫ることを許さないでください。
36:13 悪事を働く者は必ず倒れる。彼らは打ち倒され 再び立ち上がることはない。

マルコ 8:14 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
8:15 そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。
8:16 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。
8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、
8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。


イエス様が「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた時、弟子たちはパンを少ししか持ち合わせていなかったことを心配していたことが記されている。
弟子たちにとっては、日々の食べ物のことなど、目先のことで頭がいっぱいだったのだろう。
しかし、イエス様が心配しておられることは、そういった日々の暮らしを送るために必要なことについてではなく、もっと根本的なところで、人が生きていく上で大切なことにについて、弟子たちが何を頼りに、誰を信じて生きていくかということを問われていたのであろう。
当時のユダヤ社会においては、ファリサイ派の人たちの考え方が一般の民衆にも普及していて、どうすれば救われるか、何をすれば天国に入ることが出来るか、誰もが競って善を行う事を求めていたのであろう。
しかし、そういった教えは、一見、人々が善を行うようになるように思えても、実態は競い合いであり、妬みや争い、裁き合いの原因にもなっていたようである。
そして、善を推奨しているようでいて、その実態は、厳しい競争社会であったり、互いを監視し合うようなギスギスした社会を形成していただけであったことだろう。
何か、どこかの国の人たちによく似ているように思うが、それが人間の罪に支配されたままの社会の姿と言えよう。
しかし、イエス様はそんな社会に人々が生きることを望んではおられない。
人が生きていくために必要な恵みは備えられているし、競い合い、妬みあい、裁き合い、奪い合うような社会ではなく、愛と恵みに支配された、平安で満たされた世界に人が生きることを望んでおられるはずである。
イエス様はそのために、自らの命をも捧げ、人の罪を赦し、愛と恵みのうちに生きるように勧められている。
目先のことや、周囲の人の目に囚われていると、大切なことを見失ってしまうかもしれない。
それよりも、神がどんな恵みを与えて下さっているかということに注目し、本当に大切なことが何であるかということを見失わないよう、心して生きていきたいものである。


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