フィリピ1:12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。
1:13 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、
1:14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。
1:15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。
1:16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、
1:17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。
1:18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
1:19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。
1:20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
私たちの所属する教会は、戦後、ノルウェーの宣教団体の働きによって生み出された教会です。
宣教開始当時のことを知る方々の多くは、お年を召されていたり、既に天に召された方もいらっしゃいます。その次の世代の方々も、そろそろ定年を迎えられたり、一線からは身を引かれる方々も増えてきているように思います。
そして、今の時代は、第3の世代あたりと言えるでしょうか。宣教開始当時の事はよく知らないけれど、最初の世代の方々の働きの様子を、まるで伝説を聞くかのように、第2の世代の方々から伺い、それを受け継いでいかなければならないポジジョンにあると言えるかもしれません。
あるいは、もうその頃の事を知る人はほとんどいないのだから、新しい時代にふさわしい働きを始めて行くことが望ましいのかもしれません。
いずれにせよ、昔を知る者から、知らない者への世代交替の時期は、確実に迫ってきていると言えるでしょう。
そんな時、前の世代の方々は「いつまでも老兵がでしゃばっていたら、若い人が育たない」と言って、奇麗に身を引くタイプと、「これでは、安心して若い人たちに委ねられない」と言って、できる限り働きを継続するタイプとがあるように思います。
フィリピの手紙におけるパウロの姿勢には、その両方が混在し、少々迷いながらではありつつも、それでもやはり主が生かして下さる限り、自分に委ねられた務めを果たして行こうとする様子が伺えるのです。
私は、このようなパウロの姿勢を思うたびに、年をとったら、年寄りにできる奉仕に切り替えながら(例えば、祈りに専念するとか)、一切、身を引いてしまうのではなく、せめて、自分にできる形で、いつまでも共に働きに専念できる幸いを覚えながら歩ませて頂きたいと願っています。
そして、そのことを通して、主の御栄光が現されるのなら、感謝です。
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