聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




エレミヤ42:1 カレアの子ヨハナンとホシャヤの子エザンヤをはじめ、すべての軍の長と民の全員が、身分の上下を問わず、訪ねて来て、
42:2 預言者エレミヤに言った。「どうか、我々の願いを受け入れてください。我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください。御覧のとおり、大勢の中からわずかに、我々だけが残ったのです。
42:3 あなたの神である主に求めて、我々に歩むべき道、なすべきことを示していただきたいのです。」
42:4 預言者エレミヤは答えた。「承知しました。おっしゃるとおり、あなたたちの神である主に祈りましょう。主があなたたちに答えられるなら、そのすべての言葉をお伝えします。」
42:5 すると、人々はエレミヤに言った。「主が我々に対して真実の証人となられますように。わたしたちは、必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います。
42:6 良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから。」
42:7 十日たって、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
42:8 そこで、エレミヤはカレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちをはじめ、身分の上下を問わず、民の全員を召集し、
42:9 次のように語った。「あなたたちは、わたしを主のもとに遣わし、あなたたちの願いを受け入れてくださるよう求めさせたが、そのイスラエルの神、主はこう言われる。
42:10 もし、あなたたちがこの国にとどまるならば、わたしはあなたたちを立て、倒しはしない。植えて、抜きはしない。わたしはあなたたちにくだした災いを悔いている。
42:11 今、あなたたちはバビロンの王を恐れているが、彼を恐れてはならない。彼を恐れるな、と主は言われる。わたしがあなたたちと共にいて、必ず救い、彼の手から助け出すからである。
42:12 わたしはあなたたちに憐れみを示す。バビロンの王もあなたたちに憐れみを示して、この土地に住むことを許すであろう。
42:13 もしあなたたちが、『我々はこの国にとどまることはできない』と言って、あなたたちの神である主の声に聞き従わず、
42:14 また、『いや、エジプトの地へ行こう。あそこでは戦争もないし、危険を知らせる角笛の音もせず、食べ物がなくて飢えることもない。あそこへ行って住もう』と言うなら、
42:15 今、ユダの残った人々よ、主の言葉を聞くがよい。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。もしあなたたちが、どうしてもエジプトへ行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、
42:16 まさに、あなたたちが恐れている剣が、エジプトの地で襲いかかり、心配している飢えがエジプトまで後を追ってとりつき、あなたたちはそこで死ぬ。
42:17 エジプトへ行って寄留しようと決意している者はすべて剣、飢饉、疫病で死ぬ。わたしが臨ませる災いを免れ、生き残る者はひとりもない。
42:18 まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちがエジプトへ行けば、わたしの怒りと憤りがエルサレムの住民にふりかかったように、あなたたちにふりかかる。あなたたちは、呪い、恐怖、ののしり、恥辱の的となり、二度とこの場所を見ることはできない。
42:19 ユダの残った人々よ、主はあなたたちに対して、『エジプトへ行ってはならない』と語られた。今日、わたしがこの警告を伝えたことを、しっかり心に留めなさい。
42:20 あなたたちは、致命的な誤りを犯そうとしている。『我々のために我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを知らせてくださるなら、すべてそのとおりにします』と言って、わたしをあなたたちの神である主のもとに遣わしたのは、あなたたち自身である。
42:21 そこで、わたしが今日それを告げたのに、自分の神である主の声を聞こうとせず、主がわたしを遣わして語られたことを全く聞こうとしない。
42:22 だから今、行って寄留しようとしているその場所で、あなたたちは剣、飢饉、疫病によって死ぬことを、しっかりと知らねばならない。」

カレアの子ヨハナンとホシャヤの子エザンヤをはじめ、すべての軍の長と民らは、エレミヤのもとを訪ね、主が語られることならば、その内容が良くても悪くても聞き従いますから、神が告げられる言葉を聞かせてくれるよう頼むのである。
これに対し、エレミヤは、彼らの要望通り、真実な神のみ言葉を告げるのであるが、それは、民がエレミヤの忠告に聞き従おうとせず、エジプトへ逃れる選択を選ぶだろうというものであった。
つまり、彼らは最初からエジプトへ逃れることを決めていて、それを神が追認してくれることを期待してエレミヤのところへ伺いをたてにきたということなのだ。
こういうケースはよくあること。
誰かに相談にのってもらおうとやってきても、最初から自分の決心は決まっていて、それを認め、応援してくれる言葉だけを受け入れ、自分の考えとは異なる意見には従おうとはしない。
誰もがやってしまいがちな事である。
もちろん、最終的な責任は、決断し、行動する本人にあるのだから、他人に言われたからと言って、その責任を押し付けるのは好ましくはない。
けれども、せめて神の御心が知りたくて、預言者エレミヤに尋ねたのなら、やはりそこはエレミヤを通して語られる神のみ声に聞き従うべきであろう。
人間とは、かくも頑ななものである。

ヘブル3:5 さて、モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、
3:6 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
3:7 だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
3:8 荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。
3:9 -10 荒れ野であなたたちの先祖はわたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』
3:11 そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』と。」
3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。

イエス様は、私たちのために救いの道を開いてくださった。
その道を歩まず、どうして他の道を歩むことができようか。
頑ななまま、滅びへ向かうようなことをせず、信仰をもって救いの道へと歩み続けていきたいものである。

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エレミヤ41:1 ところが七月に、王族の一人で、王の高官でもあった、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いてミツパに赴き、アヒカムの子ゲダルヤを訪ね、ミツパで食事を共にした。
41:2 そのとき、ネタンヤの子イシュマエルと、彼と共にいた十人の部下は、突然襲いかかって、バビロンの王がその地に立てて総督としたシャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤを剣にかけて殺した。
41:3 またイシュマエルは、ゲダルヤと共にミツパにいたユダのすべての人々と、そこに占領軍として駐留していたカルデア人を打ち殺した。
41:4 ゲダルヤ暗殺の翌日、まだだれにも知られないうちに、
41:5 シケム、シロ、サマリアから来た八十人の一行が、ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿で通りかかった。彼らは、主の神殿にささげる供え物と香を携えていた。
41:6 ネタンヤの子イシュマエルがミツパから出て彼らを迎えた。彼は泣きながら歩いて行き、彼らに会うと、「アヒカムの子ゲダルヤのもとへおいでください」と言った。
41:7 一行が町の中に入ると、ネタンヤの子イシュマエルは、家来たちと共に彼らを殺し、穴の中にほうり込んだ。
41:8 しかし、一行の中にいた十人の者は、「我々を殺さないでください。小麦、大麦、油、蜜など貴重なものを畑に隠していますから」とイシュマエルに哀願したので、この十人だけは殺さずにおいた。
41:9 イシュマエルが、ゲダルヤの名を使って殺したすべての人々の死骸を投げ込んだ穴は、アサ王がイスラエルの王バシャの攻撃に備えて掘ったものであった。それをネタンヤの子イシュマエルは死体で満たした。
41:10 イシュマエルは、王の娘たちをも含めて、ミツパにいた民の残留者すべて、すなわち、親衛隊の長ネブザルアダンがアヒカムの子ゲダルヤの監督のもとにおき、ミツパに残っていた民をすべて捕虜とした。ネタンヤの子イシュマエルは彼らを引き立てて、アンモン人のもとに逃れようと出発した。
41:11 カレアの子ヨハナンをはじめとする軍の長は皆、ネタンヤの子イシュマエルが行った悪事を聞き、
41:12 直ちに、すべての兵を率いてネタンヤの子イシュマエルと戦うために出発し、ギブオンの大池のほとりで彼に追いついた。
41:13 イシュマエルに捕らえられていた人々は皆、カレアの子ヨハナンと軍の長たちの姿を見て歓喜した。
41:14 イシュマエルがミツパから捕虜として連行した人々は、一斉に身を翻してカレアの子ヨハナンのもとに帰って行った。
41:15 ネタンヤの子イシュマエルは八人の家来と共に、ヨハナンの前から逃れて、アンモン人のもとに向かった。
41:16 アヒカムの子ゲダルヤの暗殺の後、カレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちは、ネタンヤの子イシュマエルのもとから救い出した民の残りの者をすべて、すなわち、ギブオンから連れ戻した指揮者、兵士、女、子供、宦官らをミツパから連れて、
41:17 出発し、ベツレヘムに近いキムハムの宿場にとどまった。彼らはエジプトへ向かおうとしていた。
41:18 バビロンの王がその地の監督をゆだねたアヒカムの子ゲダルヤを、ネタンヤの子イシュマエルが殺したために、彼らはカルデア人の報復を恐れたのである。

エルサレム崩壊後、ごくわずかの民だけがミツパに残り、バビロンの支配下にあった。
しかし、かつての栄光を取り戻そうとする王族の生き残りのイシュマエルが、バビロンの意向に沿ってミツパを治めていたゲダルヤを殺してしまうのである。
さらにイシュマエルは、崩壊したエルサレムを忍び、巡礼にやってきた八十人のイスラエルの民にも手をかけ、そのうちの貴重な品を隠し持っていると言った十人を除いて、それ以外の七十人を殺してしまうのである。
そして、ミツパに残されていた民の残留者らを引き連れて、アンモン人の所へ行こうとするのである。おそらく、イシュマエルは、アンモン人の助けを借りて、イスラエル再興を企てていたのかもしれない。
これに対し、イシュマエルの悪行を聞いたヨハナンらは、イシュマエルを討伐するために立ち上がり、これを見た残留者たちは、即座にイシュマエルを見限ってヨハナンらのもとに身を寄せるのである。
何もかもが混乱していた時代、指導者らも行き当たりばったりの無計画な行動、民も日和見的に、とにかく生きるために必死に行動している様子が伺えるのである。
このような記述を見ている時、当時のイスラエルは、優れた指導者を失った、まさに「飼い主のいない羊のような状態」であることを思わされるのである。
そして、いつの時代でも、どこの世界にでも、このような混乱は生じうる。
神を見失い、その日その日を生きるだけで精一杯で、誰もが自分の利益だけを考える。
悲しいかな、これが人間の世界の現実なのだろう。
だからこそ、世界は救い主を必要としている。
人として生きるとはどういうことなのか、今こそ神の御声である聖書のメッセージに耳を傾け、この混乱した世界の中で、真の平和と喜びを見出していきたいものである。



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エレミヤ40:1 主から言葉がエレミヤに臨んだ。それは、親衛隊の長ネブザルアダンが、バビロンへ捕囚として移送されるエルサレムとユダのすべての人々と共に、エレミヤを捕虜として鎖につないで連行したが、ラマで釈放することにした後のことである。
40:2 親衛隊の長はエレミヤを連れて来させて言った。「主なるあなたの神は、この場所にこの災いをくだすと告げておられたが、
40:3 そのとおりに災いをくだし、実行された。それはあなたたちが主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったからである。だから、このことがあなたたちに起こったのだ。
40:4 さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良しと思い、正しいとするところへ行くがよい。
40:5 ――エレミヤはまだ民のもとに戻っていなかった――シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤのもとに戻り、彼と共に民の間に住むがよい。彼は、バビロンの王がユダの町々の監督をゆだねた者である。さもなければ、あなたが正しいとするところへ行くがよい。」親衛隊の長はエレミヤに食料の割り当てを与えて釈放した。
40:6 こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった。
40:7 野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとにゆだねたことを聞き、
40:8 ミツパにいるゲダルヤのもとに集って来た。それはネタンヤの子イシュマエル、カレアの二人の子ヨハナンとヨナタン、およびタンフメトの子セラヤ、ネトファ人エファイの一族、マアカ人の子であるエザンヤとその部下たちであった。
40:9 シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる。
40:10 このわたしがミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい。」
40:11 モアブ、アンモン、エドム、その他の国々にいたユダヤ人たちも皆、バビロンの王が、ユダに残留者を認め、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤに、彼らの監督をゆだねたことを聞いた。
40:12 そこで、ユダの人々は皆、それぞれの避難先から引き揚げて、ユダの地に戻り、ミツパのゲダルヤのもとに来た。彼らは、ぶどう酒と夏の果物を多く集めた。
40:13 ときに、カレアの子ヨハナンと、野にいた軍の長たちがそろってミツパにいるゲダルヤのもとに来て、
40:14 言った。「アンモンの王バアリスが、あなたを暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じでしょうか。」しかし、アヒカムの子ゲダルヤは彼らの言うことを信じなかった。
40:15 カレアの子ヨハナンはミツパで極秘にゲダルヤに進言した。「あなたが暗殺され、ここに集まって来たユダの人々が、またちりぢりになり、ユダの残留者が滅びてしまってもよいのですか。わたしが行って、だれにも知られないようにネタンヤの子イシュマエルを殺して来ます。」
40:16 だが、アヒカムの子ゲダルヤはカレアの子ヨハナンに言った。「そのようなことをしてはならない。イシュマエルについてあなたの言うことは誤りだ。」

預言者エレミヤは、解放された後、国に残った貧しい者たちと共に過ごすことを選んだ。
イスラエルにとっては、バビロンによる侵攻と捕囚という歴史は屈辱であり、耐え難い試練に違いないのだろうが、これまで国の指導者や富む者たちに虐げられてきた貧しい者たちにとっては、解放の時であり、喜ばしいことであったのかもしれない。
悲しい歴史、厳しい出来事も、立場によっては捉え方も違ってくるし、同じ出来事でも二面性があるということなのかもしれない。
そう考えると、一見、マイナスと思えるようなこと、悲しむべきことや辛い出来事の中にも、別の角度から見れば、必ずしもそうではないということがあるのかもしれない。人はみな、自己中心的な考えをしているから、特に、周囲の事、他者の思いに気がつかないもの。
自分にとってはマイナスでも、他者にとってはプラスになっていることがあるのかもしれない。
愛とはそういうものなのかもしれない。
イエス様の十字架上のお姿を思う時、イエス様はご自分の命を捨てて、私たちに真の命を与えようとされたお方。
この方の示して下さった愛の業を覚えつつ、自分だけのことを考えないで、周りのことも考える者となりたいものである。

フィリピ2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

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エレミヤ39:1 ユダの王ゼデキヤの第九年十月に、バビロンの王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、これを包囲した。
39:2 ゼデキヤの第十一年四月九日になって、都の一角が破られた。
39:3 バビロンの王のすべての将軍が来て、中央の門に座を設けた。ネレガル・サル・エツェル、サムガル・ネブ、侍従長サル・セキム、指揮官ネレガル・サル・エツェル、およびバビロンの王の他のすべての将軍たちである。
39:4 ユダの王ゼデキヤと戦士たちは皆、これを見て逃げた。夜中に彼らは二つの城壁の間にある門から、王の園を通り都を出て、アラバに向かって行った。
39:5 カルデア軍は彼らの後を追い、エリコの荒れ地でゼデキヤに追いついた。王は捕らえられて、ハマト地方のリブラにいるバビロンの王ネブカドレツァルのもとに連れて行かれ、裁きを受けた。
39:6 リブラでバビロンの王は、ゼデキヤの目の前でその王子たちを殺した。バビロンの王はユダの貴族たちもすべて殺した。
39:7 その上で、バビロンの王はゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
39:8 カルデア人は、王宮と民家に火を放って焼き払い、エルサレムの城壁を取り壊した。
39:9 民のうち都に残っていたほかの者、投降した者、その他の生き残った民は、バビロンの親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。
39:10 その日、無産の貧しい民の一部は、親衛隊の長ネブザルアダンによってユダの土地に残され、ぶどう畑と耕地を与えられた。
39:11 バビロンの王ネブカドレツァルはエレミヤに関して、親衛隊の長ネブザルアダンに命令を下した。
39:12 「彼を連れ出し、よく世話をするように。いかなる害も加えてはならない。彼が求めることは、何でもかなえてやるように。」
39:13 そこで、親衛隊の長ネブザルアダンは侍従長ネブシャズバン、指揮官ネレガル・サル・エツェルはじめ、バビロンの王の長官たちを遣わし、
39:14 監視の庭からエレミヤを連れ出し、シャファンの孫で、アヒカムの子であるゲダルヤに預け、家に送り届けさせた。こうして、エレミヤは民の間にとどまった。
39:15 エレミヤに主の言葉が臨んだ。それは、彼が監視の庭に監禁されているときのことであった。
39:16 「クシュ人エベド・メレクのもとに赴いて告げよ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都について告げたわたしの言葉を実現させる。それは災いであって、幸いではない。その日には、あなたの見ている前でこれらのことが起こる。
39:17 しかし、その日に、わたしはあなたを救い出す、と主は言われる。あなたが恐れている人々の手に渡されることはない。
39:18 わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる。」

ついにバビロンのエルサレム侵攻が始まり、戦いは1年半にも及んでいた。
想像を絶するほどの消耗戦が長く続いたので、心身共に疲弊しきっていたのではないかと思われる。
エレミヤの忠告に耳を傾けなかったゼデキヤは、バビロンに捕らえられ、悲惨な結末を迎えることとなる。
一方、エレミヤはバビロンの王ネブカドレツァルの保護を受け、解放されて、家に帰ることになる。
このことは、非常に興味深い出来事であり、バビロンの王が主なる神を信じていたとは考えにくいが、それでも、神の言葉を告げるエレミヤに一目を置き、エレミヤの語る言葉を尊重しようとしていたのではないかと思われる。
このような出来事を見るに、神を信じる心があるかどうかも大切だが、神を畏れ、神に仕える者の語る言葉に一目を置くといったような姿勢であっても、それもまた信仰の一部なのではないかと思わされる。

教会には、信徒以外にも、教会学校などに毎週通い、熱心に聖書の御言葉に耳を傾けてくれる人もいる。
信仰を告白してクリスチャンとなり、その事実に甘んじ、御言葉に聞くことをおろそかにするより、信仰を告白していなくても、熱心に御言葉に耳を傾け続けていることのほうが、よほど尊いことなのかもしれない。
私たちは、バビロンの王のようにではなくても、御言葉とそれを語る者に対する尊敬の念を持って、熱心に耳を傾けていく者でありたいと願うものである。

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エレミヤ38:1 マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた。
38:2 「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。
38:3 主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」
38:4 役人たちは王に言った。「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
38:5 ゼデキヤ王は答えた。「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
38:6 そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
38:7 宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。
38:8 エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
38:9 「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
38:10 王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。
38:11 エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。
38:12 クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。
38:13 そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。
38:14 ゼデキヤ王は使者を遣わして、預言者エレミヤを主の神殿の第三の入り口にいる自分のもとに連れて来させ、「あなたに尋ねたいことがある。何も隠さずに話してくれ」と言った。
38:15 エレミヤはゼデキヤに答えた。「もし、わたしが率直に申し上げれば、あなたはわたしを殺そうとされるのではないですか。仮に進言申し上げても、お聞きにはなりますまい。」
38:16 ゼデキヤ王はエレミヤにひそかに誓って言った。「我々の命を造られた主にかけて誓う。わたしはあなたを決して殺さない。またあなたの命をねらっている人々に引き渡したりはしない。」
38:17 そこで、エレミヤはゼデキヤに言った。「イスラエルの神、万軍の神なる主はこう言われる。もし、あなたがバビロンの王の将軍たちに降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む。また、あなたは家族と共に生き残る。
38:18 しかし、もしバビロンの王の将軍たちに降伏しないなら、都はカルデア軍の手に渡り、火で焼かれ、あなたは彼らの手から逃れることはできない。」
38:19 ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「わたしが恐れているのは、既にカルデア軍のもとに脱走したユダの人々である。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない。」
38:20 そこで、エレミヤは言った。「いいえ、彼らに引き渡されることはありません。どうか、わたしが申し上げる主の声に聞き従ってください。必ず、首尾よくいき、あなたは生き長らえることができます。
38:21 もし降伏することを拒否するならこうなる、と主がわたしに示されました。
38:22 ユダの王宮に残っている女たちは皆、バビロンの王の将軍たちのところへ連れて行かれ、こう言うでしょう。あなたの親しい友人たちはあなたをいざない、説き伏せた。あなたの足が泥に取られると背を向け、逃げ去った。
38:23 王妃や、王子たちは皆、カルデア軍のもとに連れて行かれ、王御自身も彼らの手を逃れることができません。必ずバビロンの王の手に捕らえられ、都は火で焼き払われます。」
38:24 ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「このことは、だれにも知られないようにしよう。そうすれば、あなたは殺されないで済む。
38:25 役人たちは、わたしがあなたと話し合ったことを聞きつければ、きっと、あなたのもとに来て、『王に何を話したのか言え。隠さずに話せ。殺しはしないから。何を王がお前に話したかを言え』と言うだろう。
38:26 そのときは、こう答えるがよい。『わたしは王に憐れみを乞い、ヨナタンの家に送り返さないでください。あそこでは殺されてしまいます、と言いました』と。」
38:27 役人たちは皆、エレミヤのもとに来て尋ねたが、エレミヤがすべて王の命じたとおりに答えたので、黙って去って行った。エレミヤが王に告げたことはついに知られなかった。
38:28 エレミヤは、エルサレムが占領される日まで監視の庭に留めて置かれた。彼はエルサレムが占領されたときそこにいた。

エレミヤは、役人たちによって水溜めに投げ込まれてしまう。しかし、頑として預言の言葉を曲げようとはせず、神から告げられたエルサレム陥落について、そして、王に対してはバビロンに降伏するよう進言するのである。
降伏するということは、負けを認めることであるし、自由を奪われ、虐げられて生きて行かなければならないと考える。しかし、そもそも人はみな罪の奴隷となって、不自由な生き方を続けている。そこから解放されることは、本当は自由への一歩なのだと思う。
今日も悔い改めから始めて行きたい。

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エレミヤ37:1 ヨヤキムの子コンヤに代わって、ヨシヤの子ゼデキヤが王位についた。バビロンの王ネブカドレツァルが、彼をユダの国の王としたのである。
37:2 王も家来も国の民も、主が預言者エレミヤによって告げられた主の言葉に聞き従わなかった。
37:3 ゼデキヤ王は、シェレムヤの子ユカルと祭司であるマアセヤの子ツェファンヤとを預言者エレミヤのもとに遣わして、「どうか、我々のために、我々の神、主に祈ってほしい」と頼んだ。
37:4 エレミヤはまだ投獄されておらず、人々の間で出入りしていた。
37:5 折しも、ファラオの軍隊がエジプトから進撃して来た。エルサレムを包囲していたカルデア軍はこの知らせを聞いて、エルサレムから撤退した。
37:6 このとき、主の言葉が預言者エレミヤに臨んだ。
37:7 「イスラエルの神なる主はこう言われる。わたしの言葉を求めて、お前たちを遣わしたユダの王にこう言うがよい。お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。
37:8 カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ。
37:9 主はこう言われる。カルデア軍は必ず我々のもとから立ち去ると言って、自分を欺いてはならない。カルデア軍は決して立ち去らない。
37:10 たとえ、お前たちが戦いを交えているカルデアの全軍を撃ち破り、負傷兵だけが残ったとしても、彼らはそれぞれの天幕から立ち上がって、この都に火を放つ。」
37:11 カルデア軍は、ファラオの軍隊が進撃して来たので、エルサレムから撤退した。
37:12 そのとき、エレミヤはエルサレムを出て、親族の間で郷里の所有地を相続するために、ベニヤミン族の地へ行こうとした。
37:13 彼がベニヤミン門にさしかかったとき、ハナンヤの孫で、シェレムヤの子であるイルイヤという守備隊長が、預言者エレミヤを捕らえて言った。「お前は、カルデア軍に投降しようとしている。」
37:14 そこで、エレミヤは言った。「それは違う。わたしはカルデア軍に投降したりはしない。」しかし、イルイヤは聞き入れず、エレミヤを捕らえ、役人たちのところへ連れて行った。
37:15 役人たちは激怒してエレミヤを打ちたたき、書記官ヨナタンの家に監禁した。そこが牢獄として使われていたからである。
37:16 エレミヤは丸天井のある地下牢に入れられ、長期間そこに留めて置かれた。
37:17 ゼデキヤ王は使者を送ってエレミヤを連れて来させ、宮廷でひそかに尋ねた。「主から何か言葉があったか。」エレミヤは答えた。「ありました。バビロンの王の手にあなたは渡されます。」
37:18 更に、エレミヤはゼデキヤ王に言った。「わたしを牢獄に監禁しておられますが、一体わたしは、どのような罪をあなたとあなたの臣下、あるいはこの民に対して犯したのですか。
37:19 『バビロンの王は、あなたたちも、この国をも攻撃することはない』と預言していたあの預言者たちは、一体どこへ行ってしまったのですか。
37:20 王よ、今どうか、聞いてください。どうか、わたしの願いを受け入れ、書記官ヨナタンの家に送り返さないでください。わたしがそこで殺されないように。」
37:21 ゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭に拘留しておくよう命じ、パン屋街から毎日パンを一つ届けさせた。これは都にパンがなくなるまで続いた。エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。

この頃のイスラエルは、南からはエジプト、北からはバビロンの脅威にさらされ、両者の板挟みとなっていた。
どちらに組し、どちらの加護を受ければ、自国が生き残ることが出来るか、風見鶏のような態度を取っていたのかもしれない。
しかし、そのような曖昧な態度がかえってエジプトやバビロン軍を本気にさせてしまうことになり、エルサレムは徹底的に破壊され、壊滅的な状況を招いてしまうのである。
一時は苦しくとも、決断すべき時に正しい決断をしていれば、これほど酷い状況にならなかったかもしれないが、人は少しでも可能性があるのではないかと右往左往しているうちに、状況を悪化させてしまうことがある。

2コリント7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
7:9 今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
7:10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。

罪を悔い改めることは、一時的には悲しみをもたらすこともある。
しかし、それによって神のみ救いに与ることができるのなら、それもまた幸いなことなのかもいしれない。

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ルカ22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
22:28 あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
22:30 あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」

人の体は、全て、食べ物によって出来ている。
だから、体の健康は、何を食べたかによって決まってくる。
体が健康なら、精神的にも健康になるし、食べ物によってその人の人生も大きく変わってくる可能性があると言えるだろう。
そんな人生において重要な食べ物について、給仕する人に全て任せているということは、給仕する人の手の内に自分の人生を委ねていることになり、つまり、コントロール(支配)されていると言える。
もし夫が自分は家族の中で一番偉い人だと思って食事を全て妻に任せているなら、亭主関白のように見えて、実はそうではない。
夫の食事を準備する妻のほうが偉いのだ。
イエス様の御言葉は、そのようにも聞こえてくる。

とあるネットの記事で、就職活動中の大学生が面接に出かけた会社のトイレで、トイレ掃除をしている女性に向かって「こんな仕事だけはしたくない」と言ったところ、たまたまそのトイレにその会社の社長さんがいて、それ以来、その大学生がそこに来ることはなかったと言う話が紹介されていた。
人が嫌がる仕事、人がやりたがらない仕事、をれを誰かがしてくれているから社会は回っている。
そういう仕事を引き受けてくれる人こそ、本当は偉い。
そしてイエス様こそが誰も引き受けたくない仕事、罪人の身代わりとなって、いけにえの犠牲となって十字架で死なれるという務めを担って下さったお方。
この方のおかげで、私たちが滅びないでいられるという幸いを覚えたいものである。


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エレミヤ36:1 ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に、次の言葉が主からエレミヤに臨んだ。
36:2 「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。
36:3 ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」
36:4 エレミヤはネリヤの子バルクを呼び寄せた。バルクはエレミヤの口述に従って、主が語られた言葉をすべて巻物に書き記した。
36:5 エレミヤはバルクに命じた。「わたしは主の神殿に入ることを禁じられている。
36:6 お前は断食の日に行って、わたしが口述したとおりに書き記したこの巻物から主の言葉を読み、神殿に集まった人々に聞かせなさい。また、ユダの町々から上って来るすべての人々にも読み聞かせなさい。
36:7 この民に向かって告げられた主の怒りと憤りが大きいことを知って、人々が主に憐れみを乞い、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。」
36:8 そこで、ネリヤの子バルクは、預言者エレミヤが命じたとおり、巻物に記された主の言葉を主の神殿で読んだ。
36:9 ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの治世の第五年九月に、エルサレムの全市民およびユダの町々からエルサレムに上って来るすべての人々に、主の前で断食をする布告が出された。
36:10 そのとき、バルクは主の神殿で巻物に記されたエレミヤの言葉を読んだ。彼は書記官、シャファンの子ゲマルヤの部屋からすべての人々に読み聞かせたのであるが、それは主の神殿の上の前庭にあり、新しい門の入り口の傍らにあった。
36:11 シャファンの孫でゲマルヤの子であるミカヤは、その巻物に記された主の言葉をすべて聞くと、
36:12 王宮にある書記官の部屋へ下って行った。そこには、役人たちが皆、席に着いていた。書記官エリシャマ、シェマヤの子デラヤ、アクボルの子エルナタン、シャファンの子ゲマルヤ、ハナンヤの子ツィドキヤをはじめすべての役人たちがいた。
36:13 ミカヤは、バルクが民の前で巻物を読んだときに聞いた言葉を、すべて役人たちに伝えた。
36:14 役人たちは、ユディをバルクのもとに遣わして、「あなたが民に読み聞かせたあの巻物を持って来るように」と言わせた。ユディの父はネタンヤ、祖父はシェレムヤ、曽祖父はクシである。そこで、ネリヤの子バルクは、巻物を持って、彼らのところに来た。
36:15 彼らはバルクに言った。「座って、我々にも巻物を読んでください。」そこで、バルクは彼らに巻物を読み聞かせた。
36:16 その言葉をすべて聞き終わると、彼らは皆、おののいて互いに顔を見合わせ、バルクに言った。「この言葉はすべて王に伝えねばならない。」
36:17 更にバルクに尋ねた。「どのようにして、このすべての言葉を書き記したのか教えてください。彼の口述ですか。」
36:18 バルクは答えた。「エレミヤが自らわたしにこのすべての言葉を口述したので、わたしが巻物にインクで書き記したのです。」
36:19 そこで、役人たちはバルクに言った。「あなたとエレミヤは急いで身を隠しなさい。だれにも居どころを知られてはなりません。」
36:20 彼らは巻物を書記官エリシャマの部屋に納めて、宮廷にいる王のもとに赴き、その言葉をすべて王に伝えた。
36:21 王はユディを遣わして、巻物を取って来させた。彼は書記官エリシャマの部屋から巻物を取って来て、王と王に仕えるすべての役人が聞いているところで読み上げた。
36:22 王は宮殿の冬の家にいた。時は九月で暖炉の火は王の前で赤々と燃えていた。
36:23 ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。
36:24 このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。
36:25 また、エルナタン、デラヤ、ゲマルヤの三人が巻物を燃やさないように懇願したが、王はこれに耳を貸さなかった。
36:26 かえって、王は、王子エラフメエル、アズリエルの子セラヤ、アブデエルの子シェレムヤに命じて、書記バルクと預言者エレミヤを捕らえようとした。しかし、主は二人を隠された。
36:27 バルクがエレミヤの口述に従ってこれらの言葉を書き記した巻物を王が燃やした後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
36:28 「改めて、別の巻物を取れ。ユダの王ヨヤキムが燃やした初めの巻物に記されていたすべての言葉を、元どおりに書き記せ。
36:29 そして、ユダの王ヨヤキムに対して、あなたはこう言いなさい。主はこう言われる。お前はこの巻物を燃やしてしまった。お前はエレミヤを非難して、『なぜ、この巻物にバビロンの王が必ず来て、この国を滅ぼし、人も獣も絶滅させると書いたのか』と言った。
36:30 それゆえ、主はユダの王ヨヤキムについてこう言われる。彼の子孫には、ダビデの王座につく者がなくなる。ヨヤキムの死体は投げ出されて、昼は炎熱に、夜は霜にさらされる。
36:31 わたしは、王とその子孫と家来たちをその咎のゆえに罰する。彼らとエルサレムの住民およびユダの人々に災いをくだす。この災いは、すべて既に繰り返し告げたものであるが、彼らは聞こうとはしなかった。」
36:32 そこで、エレミヤは別の巻物を取って、書記ネリヤの子バルクに渡した。バルクは、ユダの王ヨヤキムが火に投じた巻物に記されていたすべての言葉を、エレミヤの口述に従って書き記した。また、同じような言葉を数多く加えた。

主なる神様は、エレミヤにこれまでに語った預言の言葉を巻物に記すよう命じ、口述したものをバルクが書き記すという方法で記録に残すこととなった。
この書物は、一部の王宮に仕える書記官らには心に留まる言葉であったが、王とその側近たちはこれを無視し、なんと読み終えた部分から切り取って暖炉の中に投げ捨て、全て燃やしてしまうのである。
主なる神は、再びエレミヤに命じて、再度、巻物に記すよう命じられるのであるが、御言葉を記録した巻物を燃やしてしまったヨヤキム王に対しては、ヨヤキムの死体は投げ出されて炎熱にさらされるであろうと告げられるのである。
これはまさに、ヨヤキムが神の御言葉の書かれた巻物に対して取った行動と同じであり、すなわち、ヨヤキムの神に対する態度がそっくりそのままヨヤキムに帰ってくるということであろう。
一般に、神は悪に対して厳しい裁きを行われると思われているかもしれない。
けれど、こういう記述を見ると、神に対してわれわれが取っている態度が、そっくりそのまま我々に帰っているだけのようにも思えるのだ。
神を無視し、神を見捨てて生きていれば、神もまた我々を無視し、見捨てられるのかもしれない。
けれど、神は愛のお方だから、それでもなお、我々を救おうと心に留めてくださるのだ。
それが証拠に、神は再びエレミヤに命じて、再度、御言葉を巻物に書き記すよう命じておられるのだ。
神はあきらめず、何度でも我々に呼びかけてくださる。
その最も大きな証がキリストの十字架ではないだろうか。
これほどまでの愛を示して下さっている神の愛を、いつまで無視して生きるのか。
心を頑なにせず、神の大いなる愛に心を開いて耳を傾けていきたいものである。



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エレミヤ35:1 ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代に、主からエレミヤに臨んだ言葉。
35:2 「レカブ人一族のところへ行って、主の神殿の一室に来るように言い、彼らにぶどう酒を飲ませなさい。」
35:3 そこで、わたしは、ハバツィンヤの孫であり、イルメヤの子であるヤアザンヤとその兄弟、その子ら、つまりレカブ人の一族全員を連れて、
35:4 主の神殿にある、神の人イグダルヤの子ハナンの弟子たちがいる部屋へ行った。この部屋は、貴族の部屋の隣にあって、門衛、シャルムの子マアセヤの部屋の上に当たる。
35:5 そこで、わたしはレカブ人一族の前にぶどう酒を満たした壺と杯を出し、彼らに、「ぶどう酒を飲んでください」と言った。
35:6 すると、彼らは答えた。「我々はぶどう酒を飲みません。父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです。
35:7 また、家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むように。そうすれば、お前たちが滞在する土地で長く生きることができる、と言いました。
35:8 我々の先祖である、レカブの子ヨナダブの命じたすべてのことに聞き従ってきました。生涯、我々も妻も、息子、娘たちもぶどう酒を飲まず、
35:9 住む家を建てず、ぶどう園、畑、種を所有せず、
35:10 天幕に住んでいます。我々は父祖ヨナダブの命じたすべてのことに従って行ってきました。
35:11 今は、バビロンの王ネブカドレツァルがこの国に攻め上って来たので、『エルサレムに行き、カルデア軍とアラム軍の攻撃を避けよう』と言って、エルサレムに滞在しているのです。」
35:12 そのとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
35:13 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。行って、ユダの人々とエルサレムの住民に告げよ。お前たちはわたしの言葉に従えという戒めを受け入れないのか、と主は言われる。
35:14 レカブの子ヨナダブが一族の者たちに、ぶどう酒を飲むなと命じた言葉は守られ、彼らはこの父祖の命令に聞き従い、今日に至るまでぶどう酒を飲まずにいる。ところがお前たちは、わたしが繰り返し語り続けてきたのに聞き従おうとしなかった。
35:15 わたしは、お前たちにわたしの僕である預言者を、繰り返し遣わして命じた。『おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな。そうすれば、わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる』と。しかし、お前たちは耳を傾けず、わたしに聞こうとしなかった。
35:16 レカブの子ヨナダブの一族が、父祖の命じた命令を固く守っているというのに、この民はわたしに従おうとしない。
35:17 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、ユダとエルサレムの全住民に対して予告したとおり、あらゆる災いを送る。わたしが語ったのに彼らは聞かず、わたしが呼びかけたのに答えなかったからである。」
35:18 また、レカブ人一族にエレミヤは言った。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちは、父祖ヨナダブの命令に聞き従い、命令をことごとく守り、命じられたとおりに行ってきた。
35:19 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。レカブの子ヨナダブの一族には、わたしの前に立って仕える者がいつまでも絶えることがない。」

イスラエルの民の中にあって、レカブの一族はひたすらに先祖からの教えを守り、ぶどう酒を飲まず、家を建てず、種を撒かず、ぶどう園を作らず、それらを所有もせず、生涯天幕に住むような生活を続けていた。
それは、当時の時代であっても質素な暮らしであっただろうし、そこまで徹底しなくても生きて行くことはできたであろう。
けれども、彼らの一族は、豊かさや世俗に流されていくことの危険性を誰よりも知っていたのかもしれない。
浮世離れして、一風変わった生活スタイルに見えるかもしれないけれども、主の御言葉に従って生きる中に、真の幸いがあるのかもしれない。
流されない生き方を保ち続けていきたいものである。

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エレミヤ34:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。ときに、バビロンの王ネブカドレツァルとその軍隊、および支配下にある領土の全王国、全民族が、エルサレムとその周辺の町々を攻撃していた。
34:2 「イスラエルの神、主はこう言われる。行って、ユダの王ゼデキヤに言え。主はこう言われる。わたしは、この都をバビロンの王の手に渡す。王はこれに火を放つと、彼に言うのだ。
34:3 あなたは、彼の手から逃れることはできない。必ず捕らえられてその手に渡される。あなたはバビロンの王の前に引き出され、直接尋問され、バビロンへ連れて行かれる。
34:4 しかし、ユダの王ゼデキヤよ、主の言葉を聞くがよい。主はあなたについてこう言われる。あなたは剣にかかって死ぬことはない。
34:5 あなたは平和のうちに死ぬ。人々は、あなたの先祖である歴代の王の葬儀に際して香をたいたように、あなたのために香をたき、『ああ、王様』と言って嘆くであろう。このことをわたしは約束する、と主は言われる。」
34:6 預言者エレミヤはエルサレムで、この言葉どおりにユダの王ゼデキヤに告げた。
34:7 このとき、バビロンの王の軍隊は、エルサレムと、ユダの残っていた町々、すなわちラキシュとアゼカを攻撃していた。ユダの町々の中で、これらの城壁を持った町だけがまだ残っていたのである。
34:8 ゼデキヤ王が、エルサレムにいる民と契約を結んで奴隷の解放を宣言した後に、主からエレミヤに臨んだ言葉。
34:9 その契約は、ヘブライ人の男女の奴隷を自由の身として去らせ、また何人であれ同胞であるユダの人を奴隷とはしないことを定めたものである。
34:10 この契約に加わった貴族と民は、それぞれ男女の奴隷を自由の身として去らせ、再び奴隷とはしないという定めに従って去らせた。
34:11 しかしその後、彼らは態度を変え、いったん自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分とした。
34:12 そのとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
34:13 「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしは、奴隷の家エジプトの国からあなたたちの先祖を導き出した日に、彼らと契約を結んで命じた。
34:14 だれでも、同胞であるヘブライ人が身を売って六年間、あなたのために働いたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない、と。ところが、お前たちの先祖はわたしに聞き従わず、耳を傾けようとしなかった。
34:15 しかし今日、お前たちは心を入れ替えて、わたしの正しいと思うことを行った。お前たちは皆、隣人に解放を宣言し、わたしの名で呼ばれる神殿において、わたしの前に契約を結んだ。
34:16 ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。
34:17 それゆえ、主はこう言われる。お前たちが、同胞、隣人に解放を宣言せよというわたしの命令に従わなかったので、わたしはお前たちに解放を宣言する、と主は言われる。それは剣、疫病、飢饉に渡す解放である。わたしは、お前たちを世界のすべての国々の嫌悪の的とする。
34:18 わたしの契約を破り、わたしの前で自ら結んだ契約の言葉を履行しない者を、彼らが契約に際して真っ二つに切り裂き、その間を通ったあの子牛のようにする。
34:19 ユダとエルサレムの貴族、役人、祭司、および国の民のすべてが二つに切り裂いた子牛の間を通った。
34:20 わたしは、彼らを敵の手に渡し、命を奪おうとする者の手に渡す。彼らの死体は、空の鳥と地の獣の餌食になる。
34:21 ユダの王ゼデキヤと貴族たちを敵の手に、命を奪おうとする者の手に、すなわち一時撤退したバビロンの王の軍隊の手に渡す。
34:22 わたしは命令を下す、と主は言われる。わたしは、彼らをこの都に呼び戻す。彼らはこの都を攻撃し、占領して火を放つであろう。わたしは、ユダの町々を、住む者のない廃虚とする。」

バビロンによるイスラエル侵攻は、多くの悲劇を伴うものであったことだろう。
しかし、エレミヤからゼデキヤ王に告げられた言葉は「あなたは必ず捕らえられ、バビロンの王の前に引き出され、バビロンへ連れて行かれるであろう。けれども、そこで剣にかかって死ぬことはなく、平和のうちに生涯を全うする」というものであった。
バビロン侵攻は、悲惨な出来事ではあったが、一方では、腐敗し、堕落した世の中を一掃するためには有益なことであったのかもしれない。
たとえば、外国に攻められることは、国を治める指導者たちにとっては悲劇以外の何ものではないかもしれないが、ここで触れられているように、奴隷の人たちにとっては、解放の喜びの時であったのかもしれない。
物事を一面的に見ていると分からないけれども、いろんな立場の人がいて、単なる悲劇や悲惨な出来事でしかないように見える中にも、一筋の光明が差し込んでいるということもあるのだろう。
そんなことを思いながら、イエス様の十字架の出来事を思いめぐらしてみる。
一面的に見れば、罪のない方が悲惨な処刑を受けられた悲しむべき出来事でしかない。
けれど、そのおかげで、イエス様を信じる全ての者が罪赦され、救いの約束を頂くのである。
悲惨な出来事の中に、神のなさる解放の御業が現されていることもある。
神がこの世界で何をなそうとしているのか、心の目を開いて見届けていきたいものである。

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