聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




創世記 43:1 この地方の飢饉はひどくなる一方であった。
43:2 エジプトから持ち帰った穀物を食べ尽くすと、父は息子たちに言った。「もう一度行って、我々の食糧を少し買って来なさい。」
43:3 しかし、ユダは答えた。「あの人は、『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、厳しく我々に言い渡したのです。
43:4 もし弟を一緒に行かせてくださるなら、我々は下って行って、あなたのために食糧を買って参ります。
43:5 しかし、一緒に行かせてくださらないのなら、行くわけにはいきません。『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、あの人が我々に言ったのですから。」
43:6 「なぜお前たちは、その人にもう一人弟がいるなどと言って、わたしを苦しめるようなことをしたのか」とイスラエルが言うと、
43:7 彼らは答えた。「あの人が、我々のことや家族のことについて、『お前たちの父親は、まだ生きているのか』とか、『お前たちには、まだほかに弟がいるのか』などと、しきりに尋ねるものですから、尋ねられるままに答えただけです。まさか、『弟を連れて来い』などと言われようとは思いも寄りませんでしたから。」
43:8 ユダは、父イスラエルに言った。「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。
43:9 あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。
43:10 こんなにためらっていなければ、今ごろはもう二度も行って来たはずです。」
43:11 すると、父イスラエルは息子たちに言った。「どうしてもそうしなければならないのなら、こうしなさい。この土地の名産の品を袋に入れて、その人への贈り物として持って行くのだ。乳香と蜜を少し、樹脂と没薬、ピスタチオやアーモンドの実。
43:12 それから、銀を二倍用意して行きなさい。袋の口に戻されていた銀も持って行ってお返しするのだ。たぶん何かの間違いだったのだろうから。
43:13 では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。
43:14 どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」
43:15 息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、ベニヤミンを連れて、早速エジプトへ下って行った。さて、一行がヨセフの前に進み出ると、
43:16 ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事に言った。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜を屠って料理を調えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから。」
43:17 執事はヨセフに言われたとおりにし、一同をヨセフの屋敷へ連れて行った。
43:18 一同はヨセフの屋敷へ連れて来られたので、恐ろしくなって、「これはきっと、前に来たとき我々の袋に戻されていたあの銀のせいだ。それで、ここに連れ込まれようとしているのだ。今に、ろばもろとも捕らえられ、ひどい目に遭い、奴隷にされてしまうにちがいない」と思った。
43:19 彼らは屋敷の入り口のところでヨセフの執事の前に進み出て、話しかけて、
43:20 言った。「ああ、御主人様。実は、わたしどもは前に一度、食糧を買うためにここへ来たことがございます。
43:21 ところが、帰りに宿で袋を開けてみると、一人一人の袋の口のところにそれぞれ自分の銀が入っておりました。しかも、銀の重さは元のままでした。それで、それをお返ししなければ、と持って参りました。
43:22 もちろん、食糧を買うための銀は、別に用意してきております。一体誰がわたしどもの袋に銀を入れたのか分かりません。」
43:23 執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」と答え、シメオンを兄弟たちのところへ連れて来た。
43:24 執事は一同をヨセフの屋敷に入れ、水を与えて足を洗わせ、ろばにも餌を与えた。
43:25 彼らは贈り物を調えて、昼にヨセフが帰宅するのを待った。一緒に食事をすることになっていると聞いたからである。
43:26 ヨセフが帰宅すると、一同は屋敷に持って来た贈り物を差し出して、地にひれ伏してヨセフを拝した。
43:27 ヨセフは一同の安否を尋ねた後、言った。「前に話していた、年をとった父上は元気か。まだ生きておられるか。」
43:28 「あなたさまの僕である父は元気で、まだ生きております」と彼らは答え、ひざまずいて、ヨセフを拝した。
43:29 ヨセフは同じ母から生まれた弟ベニヤミンをじっと見つめて、「前に話していた末の弟はこれか」と尋ね、「わたしの子よ。神の恵みがお前にあるように」と言うと、
43:30 ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。
43:31 やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、「さあ、食事を出しなさい」と言いつけた。
43:32 食事は、ヨセフにはヨセフの、兄弟たちには兄弟たちの、相伴するエジプト人にはエジプト人のものと、別々に用意された。当時、エジプト人は、ヘブライ人と共に食事をすることはできなかったからである。それはエジプト人のいとうことであった。
43:33 兄弟たちは、いちばん上の兄から末の弟まで、ヨセフに向かって年齢順に座らされたので、驚いて互いに顔を見合わせた。
43:34 そして、料理がヨセフの前からみんなのところへ配られたが、ベニヤミンの分はほかのだれの分より五倍も多かった。一同はぶどう酒を飲み、ヨセフと共に酒宴を楽しんだ。

イスラエルの子らは、厳しい飢饉のため、再びエジプトを訪れることになるが、次は、末の子のベニヤミンを連れて行かねばならないことはわかっていた。
イスラエルは、ベニヤミンまで取り去られることを心配していたが、最終的には、我が子を取られても仕方がないことを受け入れ、子らをエジプトへ送り出すのである。
エジプトでは、ヨセフの前に立たされた兄弟たちが、かつてヨセフが見た夢のように、ヨセフを拝するのである。
もちろん、神として拝んでいるのではないが、そうするより仕方がなかったのであろう。
ヨセフも、かつて自分が夢見た通りになっていることを思い、神の摂理と憐れみのご計画のすばらしさを思った事であろう。
神は侮ってはならない。
全てをご覧になっており、すべては神の憐れみのうちに導かれているということを覚えたいものである。


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創世記 42:1 ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、
42:2 「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。
42:3 そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。
42:4 ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。
42:5 イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。
42:6 ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。
42:7 ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」
42:8 ヨセフは兄たちだと気づいていたが、兄たちはヨセフとは気づかなかった。
42:9 ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。ヨセフは彼らに言った。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」
42:10 彼らは答えた。「いいえ、御主君様。僕どもは食糧を買いに来ただけでございます。
42:11 わたしどもは皆、ある男の息子で、正直な人間でございます。僕どもは決して回し者などではありません。」
42:12 しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、
42:13 彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」
42:14 すると、ヨセフは言った。「お前たちは回し者だとわたしが言ったのは、そのことだ。
42:15 その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。
42:16 お前たちのうち、だれか一人を行かせて、弟を連れて来い。それまでは、お前たちを監禁し、お前たちの言うことが本当かどうか試す。もしそのとおりでなかったら、ファラオの命にかけて言う。お前たちは間違いなく回し者だ。」
42:17 ヨセフは、こうして彼らを三日間、牢獄に監禁しておいた。
42:18 三日目になって、ヨセフは彼らに言った。「こうすれば、お前たちの命を助けてやろう。わたしは神を畏れる者だ。
42:19 お前たちが本当に正直な人間だというのなら、兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、
42:20 末の弟をここへ連れて来い。そうして、お前たちの言い分が確かめられたら、殺されはしない。」彼らは同意して、
42:21 互いに言った。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」
42:22 すると、ルベンが答えた。「あのときわたしは、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。」
42:23 彼らはヨセフが聞いているのを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間に、通訳がいたからである。
42:24 ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた。それからまた戻って来て、話をしたうえでシメオンを選び出し、彼らの見ている前で縛り上げた。
42:25 ヨセフは人々に命じて、兄たちの袋に穀物を詰め、支払った銀をめいめいの袋に返し、道中の食糧を与えるように指示し、そのとおり実行された。
42:26 彼らは穀物をろばに積んでそこを立ち去った。
42:27 途中の宿で、一人がろばに餌をやろうとして、自分の袋を開けてみると、袋の口のところに自分の銀があるのを見つけ、
42:28 ほかの兄弟たちに言った。「戻されているぞ、わたしの銀が。ほら、わたしの袋の中に。」みんなの者は驚き、互いに震えながら言った。「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは。」
42:29 一行はカナン地方にいる父ヤコブのところへ帰って来て、自分たちの身に起こったことをすべて報告した。
42:30 「あの国の主君である人が、我々を厳しい口調で問い詰めて、この国を探りに来た回し者にちがいないと言うのです。
42:31 もちろん、我々は正直な人間で、決して回し者などではないと答えました。
42:32 我々が十二人兄弟で、一人の父の息子であり、一人は失いましたが、末の弟は今、カナンの地方に住む父のもとにいますと言ったところ、
42:33 あの国の主君である人が言いました。『では、お前たちが本当に正直な人間かどうかを、こうして確かめることにする。お前たち兄弟のうち、一人だけここに残し、飢えているお前たちの家族のために、穀物を持ち帰るがいい。
42:34 ただし、末の弟を必ずここへ連れて来るのだ。そうすれば、お前たちが回し者ではなく、正直な人間であることが分かるから、お前たちに兄弟を返し、自由にこの国に出入りできるようにしてやろう。』」
42:35 それから、彼らが袋を開けてみると、めいめいの袋の中にもそれぞれ自分の銀の包みが入っていた。彼らも父も、銀の包みを見て恐ろしくなった。
42:36 父ヤコブは息子たちに言った。「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ。」
42:37 ルベンは父に言った。「もしも、お父さんのところにベニヤミンを連れ帰らないようなことがあれば、わたしの二人の息子を殺してもかまいません。どうか、彼をわたしに任せてください。わたしが、必ずお父さんのところに連れ帰りますから。」
42:38 しかし、ヤコブは言った。「いや、この子だけは、お前たちと一緒に行かせるわけにはいかぬ。この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか。お前たちの旅の途中で、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」

食料を買うためにエジプトにやってきたイスラエルの子たちは、ヨセフがエジプトで生きていること、ましてや、今目の前でエジプトの大臣として対峙している人物であるとは思いもしなかっただろう。
ヨセフは、彼らが自分にしたことを忘れはしなかったが、彼らに末の弟がいることや父が健在であることなどを聞き、彼らが真実に生きようとしているのか試そうとするのである。
もちろん、かつてとは状況が違っていて、偽りをはたらくような余裕などなかっただろうし、イスラエルの子らは、必死に誠実に振舞ったに違いない。
ただ、それがかえってヨセフの心を苦しめたことであろう。
なぜ、あの時は真実に生きなかったのか、こんな苦しい状況になって、はじめて人は真実に生きようとするのである。

先日、末期がんを患っている方とお話しする機会があった。
こんな状況になって、はじめて、これまでの自分の歩んできた人生がいかに無駄な事に費やされてきたか、恥ずかしいくらいだと証されていた。
そして、イエス様を信じることしかできないといって洗礼を受けられた。
それしかできない、ではなく、それが最高の業なのである。
それが分かるから、洗礼を受けられたし、もっと早くイエス様を知って、もっといろんな人にこのことを伝えたかった、そんなことを話しておられた。
人は絶望の淵に立たされて、はじめて、自分の置かれている危機的な状況に気づくのである。
一日でも早くそれに気づいていれば、もう少し違った人生だったかもしれないが、遅すぎるということはないし、今日イエス様と出会ったのなら、きっとそれが最も良いタイミングであったのだろうと思う。
残りわずかな生涯、イエス様を信じ、平安のうちを過ごされることだろう。
この方の願う分、今動ける私たちが担っていけるように、イエス様をお伝えしていきたい。


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創世記 41:37 ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。
41:38 ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、
41:39 ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。
41:40 お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」
41:41 ファラオはヨセフに向かって、「見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言い、
41:42 印章のついた指輪を自分の指からはずしてヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の首飾りをヨセフの首にかけた。
41:43 ヨセフを王の第二の車に乗せると、人々はヨセフの前で、「アブレク(敬礼)」と叫んだ。ファラオはこうして、ヨセフをエジプト全国の上に立て、
41:44 ヨセフに言った。「わたしはファラオである。お前の許しなしには、このエジプト全国で、だれも、手足を上げてはならない。」
41:45 ファラオは更に、ヨセフにツァフェナト・パネアという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。ヨセフの威光はこうして、エジプトの国にあまねく及んだ。
41:46 ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。ヨセフはファラオの前をたって、エジプト全国を巡回した。
41:47 豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。
41:48 ヨセフはその七年の間に、エジプトの国中の食糧をできるかぎり集め、その食糧を町々に蓄えさせた。町の周囲の畑にできた食糧を、その町の中に蓄えさせたのである。
41:49 ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。
41:50 飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。この子供を産んだのは、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトである。
41:51 ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
41:52 また、次男をエフライム(増やす)と名付けて言った。「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」
41:53 エジプトの国に七年間の大豊作が終わると、
41:54 ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々を襲ったが、エジプトには、全国どこにでも食物があった。
41:55 やがて、エジプト全国にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を叫び求めた。ファラオはすべてのエジプト人に、「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおりにせよ」と命じた。
41:56 飢饉は世界各地に及んだ。ヨセフはすべての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売ったが、エジプトの国の飢饉は激しくなっていった。
41:57 また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。世界各地の飢饉も激しくなったからである。

ヨセフはエジプトで宰相としてその頭角を現し、七年もの間続く豊作の時を賢く治め、後にやってくる七年もの飢饉に備えることになるのである。
当初は、蓄えられた食料などをきちんと管理していたが、あまりにも多く蓄えられたことで、もはや計ることをやめてしまったという。
このことは、ヨセフに生まれた二人の息子の名前にも大いに関係したことであろう。
もはや、過去の忌まわしい記憶を忘れ去るほどに、神は豊に祝福して下さった、ということなのであろう。

昨日、あるテレビの番組で、認知症のことを取り上げていた。
忘れることは、様々な不安も生じるかもしれないが、悲しい記憶や辛い記憶も忘れていくため、必ずしも不幸であるとは言えないこともある。
豊かに恵まれるならば、きっと悲しいことも忘れ去ることができるだろう。
豊に恵まれていることを知ることでも、それは同様であるし、逆に、忘れていくことで豊かになることもあるかもしれない。
嫌なことを忘れるとは、誰かを赦すことかもしれないし、それはそれは本当に心が豊かになっていることでもある。
忘れるのが先か、豊かにされるのが先か、もはや順番はどちらでもいい。
嫌なことを忘れ、豊かにされていることを思う、そんな人生を歩み続けていきたいものである。

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創世記 41:1 二年の後、ファラオは夢を見た。ナイル川のほとりに立っていると、
41:2 突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。
41:3 すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。
41:4 そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた。
41:5 ファラオがまた眠ると、再び夢を見た。今度は、太って、よく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。
41:6 すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、
41:7 実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオは、そこで目が覚めた。それは夢であった。
41:8 朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。
41:9 そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。
41:10 かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、
41:11 同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。
41:12 そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。
41:13 そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」
41:14 そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。
41:15 ファラオはヨセフに言った。「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」
41:16 ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
41:17 ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、
41:18 突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。
41:19 すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。
41:20 そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。
41:21 ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしは、そこで目が覚めた。
41:22 それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。
41:23 すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。
41:24 そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」
41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。
41:26 七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。
41:27 その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。
41:28 これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。
41:29 今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。
41:30 しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。
41:31 この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。
41:32 ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。
41:33 このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、
41:34 また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。
41:35 このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。
41:36 そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」

創世記におけるヨセフに関する出来事は、「夢」とその解き明かしをテーマに進んでいく。
そして、これまでの箇所で語られてきた事柄が伏線となって、ついに、ヨセフがどのような働きをなすべきために、これまでの経験があったかということが明らかにされていくのである。
よく言われる「伏線」と「回収」といった感じであるが、聖書的に言えば、預言であり成就なのであろう。
しかも夢を通して語られる預言は、ぼんやりとしたもので、はっきりとは語られておらず、さしずめ「黙示」あるいは「啓示」といった言葉で表されるかもしれない。
いずれにしても、神がこれからなさろうとしておられることをあらかじめ予告しておく、それが預言ということなのだろう。
ちなみに、預言と予言はことなり、神の言葉を預(あず)かるのが預言、これから起ころうとしていることをあらかじめ予告するのが予言ということになるのだろう。
聖書においては、ほとんどが預言である。
なぜなら、将来起こることだけではなく、現在起こっている出来事の解説も預言であるし、過去に起こったことを語るのも預言だからである。
天地創造の御業なども、その光景を見た者は誰もいないし、それらの出来事について語られているのも預言だからである。
過去か未来かといった時間に関する事柄は、それほど問題ではない。
大切なことは、全て神が語られた言葉は、その通りに実現するということである。
人間にはなかなかそれが理解しがたいから、時に夢のようなぼんやりとしたビジョンとして見せて下さるのであろう。

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マルコ 1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。
1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
1:12 それから、"霊"はイエスを荒れ野に送り出した。
1:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

イエス様が神の国の働きを始められることは、すでに旧約聖書におけるみ言葉によって預言されていた。
つまり、み言葉によって始まる、ということであろう。
教会の働きもまた聖書のみ言葉から始まる。
み言葉から離れては、何もできないし、何の力も約束もない。
どんなに小さな一言でもいいから、聖書のみ言葉を持って始めたいものである。

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マルコ 1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。
1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
1:12 それから、"霊"はイエスを荒れ野に送り出した。
1:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

イエス様が神の国の働きを始められることは、すでに旧約聖書におけるみ言葉によって預言されていた。
つまり、み言葉によって始まる、ということであろう。
教会の働きもまた聖書のみ言葉から始まる。
み言葉から離れては、何もできないし、何の力も約束もない。
どんなに小さな一言でもいいから、聖書のみ言葉を持って始めたいものである。

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創世記 40:1 これらのことの後で、エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯した。
40:2 ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、
40:3 侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。
40:4 侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせた。牢獄の中で幾日かが過ぎたが、
40:5 監獄につながれていたエジプト王の給仕役と料理役は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢には、それぞれ意味が隠されていた。
40:6 朝になって、ヨセフが二人のところへ行ってみると、二人ともふさぎ込んでいた。
40:7 ヨセフは主人の家の牢獄に自分と一緒に入れられているファラオの宮廷の役人に尋ねた。「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか。」
40:8 「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と二人は答えた。ヨセフは、「解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」と言った。
40:9 給仕役の長はヨセフに自分の見た夢を話した。「わたしが夢を見ていると、一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。
40:10 そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。
40:11 ファラオの杯を手にしていたわたしは、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオにささげました。」
40:12 ヨセフは言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日です。
40:13 三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させてくださいます。あなたは以前、給仕役であったときのように、ファラオに杯をささげる役目をするようになります。
40:14 ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。
40:15 わたしはヘブライ人の国から無理やり連れて来られたのです。また、ここでも、牢屋に入れられるようなことは何もしていないのです。」
40:16 料理役の長は、ヨセフが巧みに解き明かすのを見て言った。「わたしも夢を見ていると、編んだ籠が三個わたしの頭の上にありました。
40:17 いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥がわたしの頭の上の籠からそれを食べているのです。」
40:18 ヨセフは答えた。「その解き明かしはこうです。三個の籠は三日です。
40:19 三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます。」
40:20 三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオは家来たちを皆、招いて、祝宴を催した。そして、家来たちの居並ぶところで例の給仕役の長の頭と料理役の長の頭を上げて調べた。
40:21 ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯をささげる役目をするようになったが、
40:22 料理役の長は、ヨセフが解き明かしたとおり木にかけられた。
40:23 ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。

今時の言葉で言えば「忖度(そんたく)」という言葉を思い起こす。
ヨセフは捕らえられたところで、自分にできることを淡々とこなし、赦しを頂いて、解放される時をじっと待っていた。
そこへ、王に仕える給仕役と料理役が牢獄に送られてくるのであるが、ヨセフは彼らの夢を解き明かし、解き明かしの通り、解放された暁には、自分のことを思いだし、解放してもらえるよう、王に取り計らって欲しいと頼むのである。
残念ながら、給仕役はそのことを忘れてしまうのであるが、人間なのだから仕方のないところであろう。
気まぐれや思い付きもあろうし、自分に都合のよいように、自分にとって利益となるように行動するのが人間だからである。
ヨセフの場合、少し遅れてではあるが、最終的には給仕役にとりなしてもらうことになるのであるが、我々のために常にとりなして下さるのは、イエス様であり、給仕役のような「忘れる」といったことはなく、イエス様は、いつでも私たちのことを覚えていてくれるし、自らの益など度外視してでも、必ず救い出して下さる。
とりなしを誰に頼むか、真の意味で忖度して下さるお方、それがキリストなのである。

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創世記 39:1 ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。
39:2 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。
39:3 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、
39:4 ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。
39:5 主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。
39:6 主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。
39:7 これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」
39:8 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。
39:9 この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」
39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。
39:11 こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、
39:12 彼女はヨセフの着物をつかんで言った。「わたしの床に入りなさい。」ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
39:13 着物を彼女の手に残したまま、ヨセフが外へ逃げたのを見ると、
39:14 彼女は家の者たちを呼び寄せて言った。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。
39:15 わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」
39:16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。
39:17 そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。
39:18 わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」
39:19 「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、
39:20 ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた。
39:21 しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、
39:22 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。
39:23 監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。

神はヨセフを祝福され、売り渡された先でも優れた成果をあげていった。
普通なら、そのような働きをしてれる人を大事にするところであるが、主人の妻は、ヨセフの気をひこうとするが、一向に相手をしてくれないのを逆恨みし、ヨセフを罠にはめてしまうのである。
こういったことは、人の世にはよくあることかもしれない。
捻じ曲げられた愛欲や、自己都合による保身、裏切り、まさにヨセフはそういった人の罪に翻弄されていくのである。
この世は悪で満ちている。
正しく生きようとする者が馬鹿をみるような世界なのかもしれない。
けれど、神は人の業をことごくご覧になっている。
それだけは忘れてはならない。

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創世記 38:1 そのころ、ユダは兄弟たちと別れて、アドラム人のヒラという人の近くに天幕を張った。
38:2 ユダはそこで、カナン人のシュアという人の娘を見初めて結婚し、彼女のところに入った。
38:3 彼女は身ごもり男の子を産んだ。ユダはその子をエルと名付けた。
38:4 彼女はまた身ごもり男の子を産み、その子をオナンと名付けた。
38:5 彼女は更にまた男の子を産み、その子をシェラと名付けた。彼女がシェラを産んだとき、ユダはケジブにいた。
38:6 ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、
38:7 ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。
38:8 ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」
38:9 オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。
38:10 彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。
38:11 ユダは嫁のタマルに言った。「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。
38:12 かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。
38:13 ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます」と知らせたので、
38:14 タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。
38:15 ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。
38:16 ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、
38:17 ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」
38:18 「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。
38:19 彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。
38:20 ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、その女は見つからなかった。
38:21 友人が土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。
38:22 友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」
38:23 ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」
38:24 三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」
38:25 ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」
38:26 ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。
38:27 タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。
38:28 出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。
38:29 ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。
38:30 その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。

ユダとその息子たち、エルとオナン、そして、エルの嫁のタマルとの間に起こった出来事は、古いしきたりを重視する男尊女卑の根強く残る日本の「イエ社会」にも通じるように見える。
そのような社会では、男性が自分の威厳を保つために、理不尽なことも押し付けられることがしばしば起こるし、そこに生じる矛盾には、なかなか本人は気が付かないのである。
事が重大な結末を迎えて、はじめて、自分のしてきたことの愚かさに気づいても、過ぎ去った時は二度と戻ってこないのである。
だからこそ、人は、可能な限り一瞬一瞬を誠実に生きていかねばならないが、それが難しいのだろう。

昨日、テレビのニュースで興味深い事柄が紹介されていた。
世界の高校生の幸い度を調査したところ、日本の高校生は豊かであるにも関わらず、幸いを感じていないという。
一方、フィンランドやエストニアなどの北欧の国々の高校生は、比較的同じような生活環境にあるのに、幸いと感じているそうである。
この違いは何であろうかと考えた時、やはりそこには、神に愛されているということを知る経験の差があるのではないかと思う。
そして、それは罪に対する認識についても同じではないだろうか。
生きて働いている真の神の存在を知る者は、一瞬一瞬を誠実に生きようと心がけるだろう。
一方で、神なき民は自分の好き勝手を押し通し、やがて自ら滅びを招いていくのである。
神を知るということは、とても大切な事。
日本人に最も必要とされていることなのではないだろうか。

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創世記 37:12 兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、
37:13 イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」とヨセフが答えると、
37:14 更にこう言った。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、
37:15 野原をさまよっていると、一人の人に出会った。その人はヨセフに尋ねた。「何を探しているのかね。」
37:16 「兄たちを探しているのです。どこで羊の群れを飼っているか教えてください。」ヨセフがこう言うと、
37:17 その人は答えた。「もうここをたってしまった。ドタンへ行こう、と言っていたのを聞いたが。」ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
37:18 兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、
37:19 相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。
37:20 さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」
37:21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」
37:22 ルベンは続けて言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。
37:23 ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、
37:24 彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。
37:25 彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。
37:26 ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。
37:27 それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。
37:28 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。
37:29 ルベンが穴のところに戻ってみると、意外にも穴の中にヨセフはいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、
37:30 兄弟たちのところへ帰り、「あの子がいない。わたしは、このわたしは、どうしたらいいのか」と言った。
37:31 兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。
37:32 彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせた。
37:33 父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」
37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。
37:35 息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。
37:36 一方、メダンの人たちがエジプトへ売ったヨセフは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長であったポティファルのものとなった。

ヨセフは父イスラエルに頼まれて、兄たちの様子を見に出かけていくのだが、そこで兄たちの妬みを受け、いったんは命を狙われるものの、かろうじて命だけは守られ、その後、ミデアンの商人たちに売り渡されてしまうのである。
唯一、ヨセフの肩を持ったのは長子ルベンであり、彼は兄弟の中で父親代わりも務めていたのであろう。
ルベンもまた他の兄弟たちに騙されて、ヨセフが売り渡されたことを知らず、父イスラエルと同様、ヨセフは死んでしまったと思っていたことであろう。
とはいえ、何も知らない父イスラエルとは違い、いったんはヨセフの殺害の相談も聞いていたため、なんとも言えない居心地の悪さを感じていたに違いない。
もちろん、他の兄弟たちは、なんら悪びれてはいなかったかもしれない。
しかし、父イスラエルの激しく悲しむ様子を見て、複雑な思いになっていたであろう。
父イスラエル、長子ルベン、そして他の兄弟たち、それぞれ、微妙に心理状態は違っていたかもしれないけれど、それぞれに居心地の悪さを携えつつ、ヨセフのことについては触れないで過ごしていったことであろう。
解決しようのない罪の問題を抱えたままの人生は、あまりにも居心地が悪い。
そして、その解決の時は、やがて必ずやってくるのである。

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