聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇 80:1 【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。アサフの詩。賛歌。】
80:2 イスラエルを養う方 ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ 御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください
80:3 エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい わたしたちを救うために来てください。
80:4 神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:5 万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。
80:6 あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ なお、三倍の涙を飲ませられます。
80:7 わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ 敵はそれを嘲笑います。
80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:9 あなたはぶどうの木をエジプトから移し 多くの民を追い出して、これを植えられました。
80:10 そのために場所を整え、根付かせ この木は地に広がりました。
80:11 その陰は山々を覆い 枝は神々しい杉をも覆いました。
80:12 あなたは大枝を海にまで 若枝を大河にまで届かせられました。
80:13 なぜ、あなたはその石垣を破られたのですか。通りかかる人は皆、摘み取って行きます。
80:14 森の猪がこれを荒らし 野の獣が食い荒らしています。
80:15 万軍の神よ、立ち帰ってください。天から目を注いで御覧ください。このぶどうの木を顧みてください
80:16 あなたが右の御手で植えられた株を 御自分のために強くされた子を。
80:17 それを切り、火に焼く者らは 御前に咎めを受けて滅ぼされますように。
80:18 御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
80:19 わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。
80:20 万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

祖国イスラエルの地の荒廃した状況を憂い、祈ったものであろう。
エフライム、ベニヤミン、マナセとの記述から、主に、北イスラエルに属する部族に限定されており、アッシリヤによってほろぼされた北イスラエルの地に関して歌われているのであろう。
北イスラエルは、アッシリヤの侵攻により滅ぼされ、祖国の地は踏みにじられ、荒廃した土地となっていた。
しかし、その地も、かつて、主なる神が民をエジプトから救い出し、導いてこられた所であり、神を信じるイスラエルの民にとっては「なぜ」との思いが強く、「いつまで」こんな状態が続くのだろうと苦難の真っ只中にいたことであろう。
現代に生きる我々には、その後、彼らの国がどうなっていったのかといったことは、ある程度、歴史から学ぶことはできる。
しかし、その時代に生きた当事者たちには、先の見えない真っ暗な時代を生きるかのような、辛く、厳しい毎日を過ごしていたことであろう。
ただ、それは、どんな時代に生きる者にも等しく、誰も先のことなどわからない不安の中を生きている。
あるいは、どう考えても解決の糸口すら見えないような絶望の淵に立たされているような気持ちしか持てないかもしれない。
誰ひとり、先のことは見えないのだから、バラ色の人生を約束されているなどということもあり得ない。
しかし、人はそれでも生きる。
どのようにしてか。希望を抱いて生きるしかない。
絶望していたら人は生きられない。
どんなに先の見通しが暗かろうと、どんなに時間がかかろうと、その先に、必ず解放と喜びが待ち構えていることを知っていたなら、人はその約束を携えて生きていけるのだろう。
神を信じるとは、そういうことではないだろうか。
この世の現実には、全く解決の糸口すら見えなくても、神を信じる人には希望がある。
それが人が生きることのできる唯一の方法である、と思う。

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