聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




申命記 16:21 あなたは、あなたの神、主の祭壇を築いて、そのそばに、アシェラ像をはじめいかなる木の柱も据えてはならない。
16:22 また、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない。
17:1 いかなる欠陥であれ傷のある牛や羊を、あなたの神、主にいけにえとしてささげてはならない。それは、あなたの神、主のいとわれることである。
17:2 あなたの神、主が与えられるどこかの町で、あなたの中に、男にせよ女にせよ、あなたの神、主が悪と見なされることを行って、契約を破り、
17:3 他の神々に仕え、その神々や太陽、月、天の万象などわたしが命じたことのないものにひれ伏す者がいるならば、
17:4 その知らせを受け、それを聞いたときには、よく調べなさい。もし、それが確かな事実であり、イスラエルの中でこうした、いとうべきことが行われたのであれば、
17:5 この悪事を行った当の男ないし女を町の門に引き出し、その男ないし女を石で打ちなさい。彼らは死なねばならない。
17:6 死刑に処せられるには、二人ないし三人の証言を必要とする。一人の証人の証言で死刑に処せられてはならない。
17:7 死刑の執行に当たっては、まず証人が手を下し、次に民が全員手を下す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。
17:8 あなたの町で、流血、もめ事、傷害などの訴えを裁くのが極めて難しいならば、直ちにあなたの神、主が選ばれる場所に上り、
17:9 レビ人である祭司およびその時、任に就いている裁判人のもとに行って尋ねなさい。彼らが判決を告げるであろう。
17:10 あなたは、彼らが主の選ばれる場所から告げる判決に従い、彼らの指示するとおりに忠実に実行しなければならない。
17:11 あなたは彼らの示す指示と下す判決に従い、彼らが告げる言葉に背いて、右にも左にもそれてはならない。
17:12 あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司あるいは裁判人を無視して、勝手にふるまう者があれば、その者を死刑に処し、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。
17:13 民は皆、これを聞くと、恐れを抱き、もはや勝手にふるまうことはないであろう。
17:14 あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入って、それを得て、そこに住むようになり、「周囲のすべての国々と同様、わたしを治める王を立てよう」と言うならば、
17:15 必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。
17:16 王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない」と主は言われた。
17:17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。
17:18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、
17:19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。
17:20 そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる。

偶像礼拝の禁止、傷のある捧げもの、裁判における証人の人数や、裁判の進め方、そして、王が立てられる場合の注意点など、一見、関連の薄い事柄が立て続けに述べられているように見えるが、その背景に、唯一の神を畏れ、あなた自身の判断で物事を決めてはならないといった戒めが含まれていることが伺える。
まだ王が立てられていない時代に、すでにこのような事が語られていることは興味深い。
王とは、まさに、神を差し置いて、自分が神のようになることの象徴的な存在でもある。
もし王が独りよがりの考えや判断で、自らの益となることばかりを考えて、民をわが物のごとく利用しようとするならば、その国は亡びる。
しかし、真の王は真に民の幸いを考え、自ら率先して民のために尽力していく。
そのような王のもとにある国は栄える。
それが神の国であり、民の救いのために自らの命を捧げられたキリストこそ、真の王なのである。
この方を置いて他に我々の王はいない。
自分の考えが常に正しいなどと思い上がることなく、わがままを押し通すのでもなく、ただただ神の御声に聞き、救いの約束に信頼し、救われた者として、神の国の幸いな民の一員として、真の王のもと、歩み続けていきたいものである。

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申命記 16:1 アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。
16:2 あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主に屠りなさい。
16:3 その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない。
16:4 七日間、国中どこにも酵母があってはならない。祭りの初日の夕方屠った肉を、翌朝まで残してはならない。
16:5 過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、
16:6 ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない。夕方、太陽の沈むころ、あなたがエジプトを出た時刻に過越のいけにえを屠りなさい。
16:7 それをあなたの神、主が選ばれる場所で煮て食べ、翌朝自分の天幕に帰りなさい。
16:8 六日間酵母を入れないパンを食べ、七日目にはあなたの神、主のために聖なる集まりを行い、いかなる仕事もしてはならない。
16:9 あなたは七週を数えねばならない。穀物に鎌を入れる時から始めて七週を数える。
16:10 そして、あなたの神、主のために七週祭を行い、あなたの神、主より受けた祝福に応じて、十分に、あなたがささげうるだけの収穫の献げ物をしなさい。
16:11 こうしてあなたは、あなたの神、主の御前で、すなわちあなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、息子、娘、男女の奴隷、町にいるレビ人、また、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦などと共に喜び祝いなさい。
16:12 あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい。
16:13 麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだとき、あなたは七日間、仮庵祭を行いなさい。
16:14 息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい。
16:15 七日間、主の選ばれる場所であなたの神、主のために祭りを行いなさい。あなたの神、主があなたの収穫と手の業をすべて祝福される。あなたはただそれを喜び祝うのである。
16:16 男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。
16:17 あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。
16:18 あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもって民を裁かせなさい。
16:19 裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。
16:20 ただ正しいことのみを追求しなさい。そうすれば命を得、あなたの神、主が与えられる土地を得ることができる。

主なる神様がイスラエルの民に守るよう命じられた過ぎ越しの祭りは、かつて主なる神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放し、救い出したことを記念するために守られるよう定められている。
そしてその目的は、歴史の事実の確認であり、神への感謝、そして、その神と共に生きていくことにある。
その点、一般に行われている祭りの類とは大きく異なるものと言えよう。
多くの祭りは、何等かの祈願のために行われ、五穀豊穣であったり、子孫繁栄であったり、人の願望や欲望と密接に結びつき、そして、未知の未来の事を願うものがほとんどであろう。
つまり、これらの祭りは、不確かなことを願う浮ついたものである一方、過ぎ越しの祭りは、確かな歴史の事実を確認し、救われている事実を感謝する堅固なものであり、祝福の根拠が明確であるという点が大きな特徴であると言える。
これは、私たちの信仰の根拠にも通じるものがあり、キリストの尊い贖いの代価の上に確かな救いの約束があることを覚え、感謝し、そして、キリストと共に生きていくことおできる幸いを私たちは頂いているのである。

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申命記 15:1 七年目ごとに負債を免除しなさい。
15:2 負債免除のしかたは次のとおりである。だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである。
15:3 外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。
15:4 あなたの神、主は、あなたに嗣業として与える土地において、必ずあなたを祝福されるから、貧しい者はいなくなるが、
15:5 そのために、あなたはあなたの神、主の御声に必ず聞き従い、今日あなたに命じるこの戒めをすべて忠実に守りなさい。
15:6 あなたに告げたとおり、あなたの神、主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。多くの国民を支配するようになるが、支配されることはないであろう。
15:7 あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、
15:8 彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。
15:9 「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。
15:10 彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。
15:11 この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。
15:12 同胞のヘブライ人の男あるいは女が、あなたのところに売られて来て、六年間奴隷として仕えたならば、七年目には自由の身としてあなたのもとを去らせねばならない。
15:13 自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たずに去らせてはならない。
15:14 あなたの羊の群れと麦打ち場と酒ぶねから惜しみなく贈り物を与えなさい。それはあなたの神、主が祝福されたものだから、彼に与えなさい。
15:15 エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、わたしは今日、このことを命じるのである。
15:16 もしその奴隷があなたとあなたの家族を愛し、あなたと共にいることを喜び、「わたしはあなたのもとから出て行きたくありません」と言うならば、
15:17 あなたは錐を取り、彼の耳たぶを戸につけて刺し通さなければならない。こうして、彼は終生あなたの奴隷となるであろう。女奴隷の場合にも同様にせねばならない。
15:18 自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、厳しくしてはならない。彼は六年間、雇い人の賃金の二倍も働いたからである。あなたの神、主はあなたの行うすべてのことを祝福される。
15:19 牛や羊の雄の初子は、みなあなたの神、主に奉献しなければならない。牛の初子を仕事に使ってはならない。羊の初子の毛を刈ってはならない。
15:20 あなたの神、主の御前で、年ごとに、主が選ばれる聖所で、家族と共にそれを食べなさい。
15:21 初子の足や目、あるいはほかのどこかに大きな傷があれば、あなたの神、主にいけにえとして屠ってはならない。
15:22 かもしかや雄鹿の場合と同様に、それは汚れている者も、清い者も皆、共に町の中で食べることができる。
15:23 ただし、その血を食べてはならず、水のように地面に注ぎ出さねばならない。

七年ごとに借金を全て免除しなければならないとしたら、おそらく現代の経済システムは混乱をきたし、各地でひどい出来事が起こることになるだろうと思う。
ここに記されているようなことを、そっくりそのまま、現代に適応することは難しいかもしれないが、もし、このような仕組みが成り立っていくなら、この世界は、どんなに平和で幸いなものとなるだろうかと思う。

かつて私たちの所属する教会では、牧師が7年ごとに異動する仕組みになっていた。
長く続けることで、利害関係が構築されたり、マンネリ化したりすることも避けられるし、仮に関係が悪化したとしても、異動することでまた新たな会衆との関係を構築していくことでリフレッシュできる面もあるかもしれない。
ここまで定期的にする必要はないかもしれないが、一般の企業などでもこうしたことは時おり見かけることのあるものであろう。
負債を抱えた場合、関係が悪化した場合、それらを清算するために、その部署を離れることは良いことかもしれない。
お互いに顔を見合わすことがなくなれば、それである程度、関係を清算することができるからである。
しかし、本来ならば、顔を見合わせることを続けながらも、互いの関係を清算し、関係を修復できるようになれば、そのほうがなおのこと幸いであると言える。
互いに顔を見合わせ続けながら関係を修復していくことは非常に難しいことかもしれないが、そのためにイエス様がおられる。
我々の罪の精算のためにイエス様は十字架にかかられたのであり、それはもちろん、相手にも言える事。
自分の罪を悔い改めることは当然であるが、相手の罪のためにもイエス様が死なれたのなら、やはり互いに赦しあっていくことが大切なのだろう。
完全に赦すということは人間には難しいことかもしれないが、神は赦されたのである。
そのことを忘れずにいたいものである。

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申命記 14:1 あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない。
14:2 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた。
14:3 すべていとうべきものは食べてはならない。
14:4 食べてよい動物は次のとおりである。牛、羊、山羊、
14:5 雄鹿、かもしか、子鹿、野山羊、羚羊、大かもしか、ガゼル。
14:6 その他ひづめが分かれ、完全に二つに割れており、しかも反すうする動物は食べることができる。
14:7 ただし、反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの動物は食べてはならない。らくだ、野兎、岩狸。これらは反すうするが、ひづめが分かれていないから汚れたものである。
14:8 いのしし。これはひづめが分かれているが、反すうしないから汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。
14:9 水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものはすべて食べてよい。
14:10 しかしひれやうろこのないものは、一切食べてはならない。それは汚れたものである。
14:11 清い鳥はすべて食べてよい。
14:12 しかし、次の鳥は食べてはならない。禿鷲、ひげ鷲、黒禿鷲、
14:13 赤鳶、隼、鳶の類、
14:14 烏の類、
14:15 鷲みみずく、小みみずく、虎ふずく、鷹の類、
14:16 森ふくろう、大このはずく、小きんめふくろう、
14:17 このはずく、みさご、魚みみずく、
14:18 こうのとり、青鷺の類、やつがしら鳥、こうもり。
14:19 羽のある昆虫はすべて汚れたものであり、食べてはならない。
14:20 清い鳥はすべて食べてよい。
14:21 死んだ動物は一切食べてはならない。町の中にいる寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。
14:22 あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない。
14:23 あなたの神、主の御前で、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の十分の一と、牛、羊の初子を食べ、常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない。
14:24 あなたの神、主があなたを祝福されても、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が遠く離れ、その道のりが長いため、収穫物を携えて行くことができないならば、
14:25 それを銀に換えて、しっかりと持ち、あなたの神、主の選ばれる場所に携え、
14:26 銀で望みのもの、すなわち、牛、羊、ぶどう酒、濃い酒、その他何でも必要なものを買い、あなたの神、主の御前で家族と共に食べ、喜び祝いなさい。
14:27 あなたの町の中に住むレビ人を見捨ててはならない。レビ人にはあなたのうちに嗣業の割り当てがないからである。
14:28 三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、
14:29 あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。

食べても良い動物と、そうではない動物の規定について語られている。
ある程度、見た目でわかる基準が設けられており、区別することは可能であろう。
しかし、なぜこのような基準であるのかということについては語られていない。
正直、謎の部分である。
しかし、分からないところはそのまま、命じられた基準に従う事が大切な場合もあるだろう。
一般的には、人間が食べても病気などの発症の恐れのないものが定められていると考えられ、そういう意味では、衛生上の問題として考えても良いかもしれない。

そして、後半部分では、捧げものを携えて出かける場合、遠く離れたところから出かけていく場合には、一旦、銀にかえて持ち運ぶ安い方法を取っても良いことが語られており、経済的な仕組みについても、時には合理性も必要であることが語られている。

さらに、レビ人のための規定や、寄留者、孤児、寡婦などが生活していけるような仕組みも整えておくよう指示されており、社会福祉といった面でも制度を整えるよう語られているのである。

そのように考えていくと、聖書は単なる宗教的な事柄だけを扱うものではなく、公衆衛生や経済、福祉といった、社会の様々な領域にも有益な導きとなるよう語られていることも多く、聖書が「キリスト教の教理と生活の、唯一の、真正な、誤りのない、適切無比な源泉、また、基準である」との信仰告白もうなずけるものであり、信仰と生活が不可分であることの大切さを覚えておく必要があると言えるだろう。

もっとも、旧約聖書の時代に規定された細かな規定が、現代の生活にそのまま適用すべきかどうかといった点については、主イエス様がペテロに示されたように、古い規定に縛られる必要のない領域もあることは確かであると言える。
大切なことは、細かい規定に縛られることではなく、その背後にあり、根本的な思想がどこにあるのかを知り、それに従って日々の生活を送って行くことである。
「神を愛し、隣人を愛せよ」とイエス様が仰せられたように、愛の行動原理の中に生きることが大切なのである。

ローマ14:3 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。

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申命記 12:29 あなたが行って追い払おうとしている国々の民を、あなたの神、主が絶やされ、あなたがその領土を得て、そこに住むようになるならば、
12:30 注意して、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らに従って罠に陥らないようにしなさい。すなわち、「これらの国々の民はどのように神々に仕えていたのだろう。わたしも同じようにしよう」と言って、彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。
12:31 あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。
13:1 あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。
13:2 預言者や夢占いをする者があなたたちの中に現れ、しるしや奇跡を示して、
13:3 そのしるしや奇跡が言ったとおり実現したとき、「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と誘われても、
13:4 その預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたたちの神、主はあなたたちを試し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたたちの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
13:5 あなたたちは、あなたたちの神、主に従い、これを畏れ、その戒めを守り、御声を聞き、これに仕え、これにつき従わねばならない。
13:6 その預言者や夢占いをする者は処刑されねばならない。彼らは、あなたたちをエジプトの国から導き出し、奴隷の家から救い出してくださったあなたたちの神、主に背くように勧め、あなたの神、主が歩むようにと命じられる道から迷わせようとするからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。
13:7 同じ母の子である兄弟、息子、娘、愛する妻、あるいは親友に、「あなたも先祖も知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」とひそかに誘われても、
13:8 その神々が近隣諸国の民の神々であっても、地の果てから果てに至る遠い国々の神々であっても、
13:9 誘惑する者に同調して耳を貸したり、憐れみの目を注いで同情したり、かばったりしてはならない。
13:10 このような者は必ず殺さねばならない。彼を殺すには、まずあなたが手を下し、次に、民が皆それに続く。
13:11 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出したあなたの神、主から離して迷わせようとしたのだから、彼を石で打ち殺さねばならない。
13:12 全イスラエルはこれを聞いて、恐れを抱き、あなたの中でこのような悪事は二度と繰り返されることはないであろう。
13:13 あなたの神、主があなたに与えて住まわせるどこかの町のうわさとして、
13:14 あなたの中からならず者が現れて、「お前たちの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と言って、その町の住民を迷わせているということを聞いたならば、
13:15 それを尋ね、探り、よく問いたださねばならない。それが確かな事実であり、そのようないとうべきことがあなたたちの中で行われたのであれば、
13:16 その町の住民を剣にかけて殺し、町もそこにあるすべてのものも滅ぼし尽くし、家畜も剣にかけねばならない。
13:17 分捕り品をすべて広場の中央に集め、分捕り品もろとも町全体を焼き払い、あなたの神、主に対する完全に燃やし尽くす献げ物としなければならない。その町はとこしえに廃虚の丘となって、再び建てられることはない。
13:18 主が激しい怒りをやめ、あなたに憐れみを垂れ、先祖たちに誓われたとおり、憐れみをもってあなたの数を増やされるように、その滅ぼし尽くすべきものは何一つ手もとにとどめてはならない。
13:19 あなたの神、主の御声に聞き従い、わたしが今日命じるすべての戒めを守り、あなたの神、主が正しいと見なされることを行いなさい。

偶像礼拝や異教の神々を礼拝する民の基本的な宗教的立ち位置は、神を礼拝すれば何か良いことが起こる、といったものであろう。
それは、人間の欲望や願望を、これから起こるかもしれない事柄として取り扱い、いわば幻想を求めて神に従おうとする姿勢と言える。
一方、聖書の神の語られるメッセージは、「わたしはあなたをエジプトの奴隷から救った」だから聞きなさい、というもので、事実を前提として語られており、出エジプトという神の救いの御業がなければ、イスラエルの民自体も存在しえないのであり、存在の根拠も語られず、幻想ばかりを語ろうとする偶像の神々とは全く異なるものであると言える。
聖書の神は、創造者なる神で、我々の命さえも「創った」と堂々と語られる。
そして、自らの独り子をも惜しまずほどに愛し、救った、と仰せられる。
幻想を振りかざす偶像の神々に惑わされず、事実を基に、我々の存在をも肯定する、そのような神を礼拝する者でありたいものである。


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ヨハネ 12:44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。
12:45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。
12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。
12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
12:48 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
12:49 なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。
12:50 父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」

イエス様は、世を裁くために人として世にこられたのではなく、世を救うために来られた、と語られている。
イエス様を信じる人は救われる。
しかし、信じない者は、終わりの時に裁きをうけるとも語られており、やっぱり裁かれるのではないかと思うかもしれないが、あくまでイエス様の来られた目的は、世を救うためであると仰せられている。
我々は、そのイエス様の言葉を心に留める必要がある。
確かに裁きは行われるだろう。
しかし、それは結果であって、目的ではない。
結果はこれからの生きようによって、どうにでも変わる。
しかし、神の目的は永遠に変わらない。
世を救うために来られたイエス様の、その目的を心に留めて、これからの人生を歩んでいきたいものである。

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申命記 12:1 これから述べる掟と法は、あなたの先祖の神、主があなたに与えて得させられる土地で、あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである。
12:2 あなたたちの追い払おうとしている国々の民が高い山や丘の上、茂った木の下で神々に仕えてきた場所は、一つ残らず徹底的に破壊しなさい。
12:3 祭壇を壊し、石柱を砕き、アシェラ像を火にくべ、神々の彫像を切り倒して、彼らの名をその場所から消し去りなさい。
12:4 あなたたちの神、主に対しては国々の民と同じようにしてはならない。
12:5 必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい。
12:6 焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、牛や羊の初子などをそこに携えて行き、
12:7 あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。
12:8 あなたたちは、我々が今日、ここでそうしているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを決して行ってはならない。
12:9 あなたの神、主が与えられる安住の地、嗣業の土地に、あなたたちはまだ入っていないが、
12:10 ヨルダン川を渡り、あなたたちの神、主が受け継がせられる土地に住み、周囲の敵から守られ、安らかに住むようになったならば、
12:11 あなたたちの神、主がその名を置くために選ばれる場所に、わたしの命じるすべてのもの、すなわち焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、および主に対して誓いを立てたすべての最良の満願の献げ物を携えて行き、
12:12 あなたたちの神、主の御前で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人と共に、喜び祝いなさい。レビ人には嗣業の割り当てがないからである。
12:13 あなたは、自分の好む場所で焼き尽くす献げ物をささげないように注意しなさい。
12:14 ただ、主があなたの一部族の中に選ばれる場所で焼き尽くす献げ物をささげ、わたしが命じることをすべて行わなければならない。
12:15 ただし、どの町においてもあなたの神、主が与える祝福に従って、欲しいだけ獣を屠り、その肉を食べることができる。かもしかや雄鹿を食べる場合のように汚れている者も清い者も食べることができる。
12:16 ただし、その血は食べてはならず、水のように地面に注ぎ出さねばならない。
12:17 あなたは穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油などの十分の一の献げ物、牛や羊の初子、あなたが誓いを立てた満願の献げ物、随意の献げ物、収穫物の献納物などを自分の町の中で食べてはならず、
12:18 ただ、あなたの神、主の御前で、あなたの神、主の選ばれる場所で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人と共に食べ、主の御前であなたの手の働きすべてを喜び祝いなさい。
12:19 あなたは、地上に生きている限り、レビ人を見捨てることがないように注意しなさい。
12:20 約束されたとおり、あなたの神、主があなたの領土を広げられるとき、肉が食べたいと言うなら、欲しいだけ肉を食べることができる。
12:21 あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が遠く離れているならば、わたしが命じたとおりに、主が与えられた牛や羊を屠り、自分の町で、欲しいだけ食べることができる。
12:22 かもしかや雄鹿を食べる場合のように食べることができる。汚れている者も清い者もその肉を食べることができる。
12:23 ただ、その血は断じて食べてはならない。血は命であり、命を肉と共に食べてはならないからである。
12:24 血は食べることなく、水のように地面に注ぎ出さねばならない。
12:25 それを食べてはならない。こうして主が正しいと見なされることを行うなら、あなたも子孫も幸いを得るであろう。
12:26 ただ、あなたは、ささげるべき聖なる献げ物と満願の献げ物を携えて、主の選ばれる場所に行かねばならない。
12:27 焼き尽くす献げ物の場合は、肉も血もあなたの神、主の祭壇にささげる。その他のいけにえは血をあなたの神、主の祭壇の側面に注ぎ、肉は食べることができる。
12:28 わたしが命じるこれらのことをすべて聞いて守りなさい。こうして、あなたの神、主が良しとし、正しいと見なされることを行うなら、あなたも子孫もとこしえに幸いを得る。

約束の地に入ったら、主なる神様が示される地で捧げものを捧げ、レビ人たちと共に喜び祝うように命じられている。
これらのことは、礼拝にあたる行為であり、必ずレビ人のいるところで守るよう命じられていると言えよう。
レビ族には割り当ての土地が与えられていないため、他の部族が収穫したものをレビ人らと分け合うことは当然であり、レビ人たちは、そのために存在していると言える。

現代のレビ人と言えば、教会の牧師などが該当するのかもしれない。
日々の生活の収穫を、教会において共に喜び、祝い、感謝するために礼拝はあるのかもしれない。
そう考えると、信徒の捧げものによって牧師が生活する、といった側面だけではない、神への感謝を共有する場としてのきゅお会であり礼拝というものがあるのなら、また違った想いで礼拝に集う事ができるのかもしれない。
民が神への感謝や賛美を表すための道具として、割り当て地のレビ族を立てられたのも、常に神への感謝や賛美を捧げることがしやすくなるための方法であり、手段であった考えるなら、なかなか興味深いシステムなのではないかとも思える。

それはさておき、礼拝は神への感謝と賛美を表す場でもあることには違いない。
次の日曜日も、喜びにあふれる礼拝となるように期待しつつ。

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申命記 11:13 もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、
11:14 わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。
11:15 わたしはまた、あなたの家畜のために野に草を生えさせる。あなたは食べて満足する。
11:16 あなたたちは、心変わりして主を離れ、他の神々に仕えそれにひれ伏さぬよう、注意しなさい。
11:17 さもないと、主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、天を閉ざされるであろう。雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る。
11:18 あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、
11:19 子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、
11:20 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
11:21 こうして、主が先祖に与えると誓われた土地にあって、あなたたちとあなたたちの子孫の日数は天が地を覆う日数と同様、いつまでも続くであろう。
11:22 もし、わたしがあなたたちに行うようにと命じるこのすべての戒めをよく守り、あなたたちの神、主を愛してそのすべての道に従って歩み、主につき従うならば、
11:23 主はあなたたちの前からこれらの国々をすべて追い払われ、あなたたちは自分よりも大きく強い国々を追い払うことができる。
11:24 あなたたちが足の裏で踏み込む所は、すべて、あなたたちのものとなり、荒れ野からレバノン山まで、ユーフラテス川から西の海まであなたたちの領地となる。
11:25 あなたたちに立ち向かいうる者は一人もいない。あなたたちが言われたように足を踏み入れる土地の至るところに、あなたたちの神、主は、あなたたちに対する脅威とおののきを起こされる。
11:26 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。
11:27 あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、
11:28 もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。
11:29 あなたが入って得ようとしている土地に、あなたの神、主が導き入れられるとき、ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置きなさい。
11:30 この二つの山は、ヨルダン川の西のアラバに住むカナン人の領内を貫く街道の、更に西方にあって、ギルガルの前方、モレの樫の木の近くにある。
11:31 あなたたちはヨルダン川を渡って、あなたたちの神、主が与えられる土地に入って、それを得ようとしているが、それを得て、そこに住むときには、
11:32 今日、わたしがあなたたちに授けるすべての掟と法を忠実に守らねばならない。

ここには、主なる神様が与えられた戒めの言葉を守るならば、祝福された生活を送ることができる、という風に語られている。
しかし、その意味は、ただ戒めを守ることが大切なのではなく、そもそも、エジプトの奴隷から解放して下さった神を信じて生きることにあり、常にその神と共に生きることが中心にある。
御言葉をそらんじ、家の戸口や門にも書き記すということは、生活の隅々に至るまで、そこで神を覚えよ、ということなのだろう。
ただ命じられたことを機械的に守ればいいというだけならば、奴隷の民となんら変わりない。
そうではなく、我々を愛し、命がけで救って下さった神は、この局面で、我々がどう生きるようになることを望んでおられるのかということに思いを巡らし、愛の神様ならば、きっとこするだろうというところに従って生きて行こうとする、それがこれらの戒めの本意なのだろう。
大切なことは、愛の神、救いの神を心に留め、このお方が私に何を望んでおられるのかというこに常に思いを向かわせていくこと、それが本当の意味での「神と共に生きる」ということなのだろうと思う。


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申命記 11:1 あなたは、あなたの神、主を愛し、その命令、掟、法および戒めを常に守りなさい。
11:2 あなたたちは、あなたたちの神、主の訓練を知ることも見ることもない子孫とは違うことを、今日知らねばならない。その大いなる御業、強い御手と伸ばされた御腕、
11:3 エジプトの中でエジプトの王ファラオとその全土に対してなさったしるしと御業、
11:4 エジプト軍、その馬と戦車に対してなさったこと、すなわち彼らがあなたたちを追撃して来たとき、主が彼らの上に葦の海の水を溢れさせて滅ぼし、今日に至っていること、
11:5 あなたたちがここに来るまで主が荒れ野でなさったこと、
11:6 また、ルベンの孫で、エリアブの子であるダタンとアビラムになさったこと、すなわち、大地が口を開けて、彼らとその家、その天幕、および全イスラエルの中で彼らと行を共にした者を皆、呑み込んだことなど、
11:7 主のなさった大いなる御業をすべて、あなたたちは自分の目で見てきた。
11:8 あなたたちは、わたしが今日命じるすべての戒めを守りなさい。こうして、あなたたちは勇ましくなり、川を渡って、得ようとしている土地に首尾よく入り、それを得ることができる。
11:9 こうして、主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることができる。
11:10 あなたが入って行って得ようとしている土地は、あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった。
11:11 あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。
11:12 それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。

出エジプトの出来事は、経験したものでしかわからに特別な体験である。
いくら子孫にそのことを語り伝えようとしても、完全には伝わらない面もある。
それでも、出エジプトの出来事がなければ、子孫も生まれることはなかったわけであるし、そういう意味では、しっかりと語り伝えていく必要がある。
子孫にとっては、語られる言葉に対して受け取って行くという態度が必要であろう。

実に、信仰とは、そういうものなのかもしれない。
出エジプトの出来事による救いは、特別な体験であり、言葉だけで伝えることは難しい。
けれど、伝えなければならないし、子孫にとっては、それを拒絶することは自分の存在を否定することになる。
「父と母を敬え」との戒めは、そもそも、自分自身の存在を受け入れよ、との意図があっての戒めなのだろう。
父と母を呪ったところで、何の良きものも得られないし、親の愛を受けて、今の自分がいるということを覚えるべきであろう。
そして、その大元には、常に父なる神の愛がある。
親の愛情は、あくまで神の愛の一つの具体的な形であると言えるのだろう。
親は子にに対して、ああしろとかこうしろと言うのではなく、あなたがどこにいても愛しているよということを伝えることが大切なのだろうと思う。

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申命記 10:1 そのとき、主はわたしに言われた。「あなたは、前と同じように、石を切って板を二枚造り、山に登ってわたしのもとに来なさい。また木の箱を作りなさい。
10:2 わたしは、あなたが前に砕いた板に書かれていた言葉をその板に書き記す。あなたはそれを箱に納めるがよい。」
10:3 わたしがアカシヤの木で箱を作り、石を切って前と同じように二枚の板を造り、それを手に携えて山に登った。
10:4 主は、集会の日に、山で火の中からあなたたちに告げられた十戒と全く同じものを板に書き記して、それをわたしに授けられた。
10:5 わたしは身を翻して山を下り、あらかじめ作っておいた箱に板を納めた。それは今も、主がわたしに命じられたとおりそこにある。
10:6 イスラエルの人々はその後、ベエロト・ベネ・ヤアカンをたってモセラに向かった。アロンはそこで死んで埋葬され、その子エルアザルが代わって祭司となった。
10:7 彼らはそこをたってグドゴダに向かい、更に、グドゴダをたって、川が幾つも流れる土地ヨトバタに向かった。
10:8 そのとき、主はレビ族を選び分けて、主の契約の箱を担ぎ、主の御前に立って仕え、主の名によって祝福するようにされた。それは今日まで続いている。
10:9 それゆえレビ人には、兄弟たちと同じ嗣業の割り当てがない。あなたの神、主が言われたとおり、主御自身がその嗣業である。
10:10 わたしは前と同じように、四十日四十夜、山にとどまっていたが、このときも主はわたしに耳を傾け、あなたを滅ぼそうとはされなかった。
10:11 主はわたしに言われた。「立って、民を先導して進みなさい。彼らは、わたしが先祖に与えると誓った土地に入り、それを得る。」
10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、
10:13 わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。
10:14 見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。
10:15 主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。
10:16 心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。
10:17 あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、
10:18 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。
10:19 あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。
10:20 あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。
10:21 この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。
10:22 あなたの先祖は七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを天の星のように数多くされた。

主なる神様は、再びモーセに石の板に書き記した律法の言葉を授けられるのだが、今度は、それを木の箱に収めるように命じるのである。
箱に収めてしまうと、より神聖化するというか、この箱自体が聖なる物として扱われるようになり、実際、旧約の歴史でもそのようなことが語られている。
主なる神様は、もともと、偶像礼拝を戒められたお方であり、こうした形ある物を拝むような仕方を導入されたのはなぜなのだろうかと思うこともある。
契約の箱は、やがて幕屋に安置され、幕屋は後に神殿となり、礼拝の対象として、イスラエルのシンボルとなって行くのである。
そもそも偶像礼拝を戒め、言葉をもって民を愛し、導かれた神であるが、こうした目に見える形を取り入れていかれたのは、御言葉が肉となって現れるキリストの予表としての要素があったのかもしれない。
人間は弱い。
形ある物のほうが受け入れやすい。
しかし偶像礼拝は避けなければならない。
そんな相反する我々への慰めのために、苦渋の決断と言えるかどうかは分からないが、言葉である神が肉体を持って私たちの前に現れたことの意味は大きい。
人が弱いからこそ、イエス様も人となられ、人として現れた。
ちなみに、私たちは肉の箱であり、この箱の中に、言葉なる神、キリストをお迎えすることが大切である。

2コリント4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
4:8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、
4:9 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
4:10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。

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