デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇 76:1 【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。アサフの詩。歌。】
76:2 神はユダに御自らを示され イスラエルに御名の大いなることを示される。
76:3 神の幕屋はサレムにあり 神の宮はシオンにある。
76:4 そこにおいて、神は弓と火の矢を砕き 盾と剣を、そして戦いを砕かれる。〔セラ
76:5 あなたが、餌食の山々から 光を放って力強く立たれるとき
76:6 勇敢な者も狂気のうちに眠り 戦士も手の力を振るいえなくなる。
76:7 ヤコブの神よ、あなたが叱咤されると 戦車も馬も深い眠りに陥る。
76:8 あなたこそ、あなたこそ恐るべき方。怒りを発せられるとき、誰が御前に立ちえよう。
76:9 あなたは天から裁きを告知し 地は畏れて鎮まる。
76:10 神は裁きを行うために立ち上がり 地の貧しい人をすべて救われる。〔セラ
76:11 怒り猛る者もあなたを認める あなたが激しい怒りの名残を帯とされるとき。
76:12 あなたたちの神、主に誓いを立て、それを果たせ。取り囲むすべての民は 恐るべき方に貢ぎ物をもたらすがよい。
76:13 地の王たちの畏れる方は 支配者の霊をも断たれるであろう。

保守的な人たちは、神の都がエルサレムに確立された時、神の国が到来すると考えているかもしれない。
そして、そのために、ありとあらゆる努力を重ねている人たちもいるかもしれない。
しかし、ここで語られていることは「神が」それをなさるのであって、「人間の力」によるのではない。
ましてや、武器や軍事力を用いてもたらされる神の平和などありえないし、矛盾している。
ここで約束されているのは「神の」御業による「平和」の到来なのである。
すべての争いを終わらせる努力こそ、人が取り組むべきことであろう。
そこにこそ、神の力は働くのである。

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