デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




マルコ 3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
3:32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
3:33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、
3:34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

私事ではあるが、妻は常々「お義母さんとは上手くやっていけそう」と言っていたが、「それは一緒に暮らしていないからで、そんなに簡単にはいかない」と返していた。
そして、昨日、妻と母で電話で話し合っていたところ、途中で意見が食い違い、珍しく険悪な雰囲気になった。
数分後に再び電話で話し、仲直り?できたけれど、こんなことは初めてだったので、いよいよこれからは嫁姑の関係が問われるようになるのだろうかと思う。
嫁と姑の関係もそうであるが、夫婦も元々は他人であり、他人同士が肩を寄せ合って生きていくことで家族となっていく。
そこに必要な事は、思いやりであったり、譲り合いであったり、優しさや配慮などが必要となってくる。
神の家族も同じことが言えるだろう。
元々あかの他人同士が集まり、家族のように接していくということは、そもそも難しいことであろう。
それでも「主に愛された者同士」という共通点で結び合わされ、一つの家族として、共に歩んでいくうえで必要な事は「神の御心を行う」ことと語られているが、基本的には、普通の家族が共に生きていくことと変わりはないだろう。
ちょっとした配慮であったり、思いやりであったり、そんなに難しいことではないのだろうけれども、それを実践するのが難しいのかもしれない。
まずは、イエス様が私のことを命がけで愛して下さった、その愛と同じ愛が周りの人にも向けられていることを覚えたい。
正しいか間違っているかというようなことではなく、自分の意見だけを押し通したりするのではなく、イエスさまからの同じ愛を受けた者として、お互いを尊重しあえるように歩んで行けるようにと願う。


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