聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




列王上 3:5 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
3:6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
3:7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
3:8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
3:9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

詩篇 20:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
20:2 苦難の日に主があなたに答え ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし シオンからあなたを支えてくださるように。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
20:5 あなたの心の願いをかなえ あなたの計らいを実現させてくださるように。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。
20:10 主よ、王に勝利を与え 呼び求める我らに答えてください。

ヨハネ 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」



誰もこれから起こるであろう将来のことについて知る者はいない。
だから不安になるし、恐れの感情も抱く。
先のことが分かっていれば、少しは安心するのかもしれないが、先の事が分かっていたとしても、それで安心というものでもない。
なぜなら、将来起こることがか必ずしも良いことばかりとは限らないからである。
仮に、不幸なことが起こると分かっていれば、少しも安心ではいられないであろう。
大切な事は、何が起こるか先の事が分かるというよりも、何があっても大丈夫なのだということを知っておくことである。
聖書にはこの世界を神が創り、そこに私たちを生かし、そして、イエス様の十字架の贖いの御業によって神の子として下さり、永遠に滅びることのない命を与えるという約束が語られている。
この約束さえ信じて受け止めていれば、少々のことがあっても、動じることもないし、かりに苦難に満ちた生涯であったとしても、いずれその時は終わり、永遠の祝福に迎え入れて下さるのだ。
聖書には様々なことが記されているが、結局のところ「神が私たちを救って下さる」という救いの約束が語られている。
そのことを知ることが何よりの幸いであり、生きる知恵となるだろう。

主の新しい年、お一人お一人の上に主イエス様の豊かな恵と祝福がありますように。

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イザヤ 26:1 その日には、ユダの地でこの歌がうたわれる。我らには、堅固な都がある。救いのために、城壁と堡塁が築かれた。
26:2 城門を開け 神に従い、信仰を守る民が入れるように。
26:3 堅固な思いを、あなたは平和に守られる あなたに信頼するゆえに、平和に。
26:4 どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。
26:5 主は高い所に住まう者を引きおろし 築き上げられた都を打ち倒し 地に打ち倒して、塵に伏させる。
26:6 貧しい者の足がそれを踏みにじり 弱い者の足が踏みつけて行く。
26:7 神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。
26:8 主よ、あなたの裁きによって定められた道を歩み わたしたちはあなたを待ち望みます。あなたの御名を呼び、たたえることは わたしたちの魂の願いです。
26:9 わたしの魂は夜あなたを捜し わたしの中で霊はあなたを捜し求めます。あなたの裁きが地に行われるとき 世界に住む人々は正しさを学ぶでしょう。

詩篇 20:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
20:2 苦難の日に主があなたに答え ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし シオンからあなたを支えてくださるように。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
20:5 あなたの心の願いをかなえ あなたの計らいを実現させてくださるように。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。
20:10 主よ、王に勝利を与え 呼び求める我らに答えてください。

2コリント 4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。



聖書には「外なる人」に対し、神によって救いの約束を与えられた人として「内なる人」という表現が用いられている。
肉体は衰えても、それとは別に、神の国に入ることのできる永遠の命が保証されているということである。
つまり、イエス様を信じるならば、もはや私たちは滅ぼされることは無いのである。
おそらく全ての人が根源的に恐れている、自分が滅びること、失われること、いなくなることに対し、聖書は明確に解決を与えてくれている。
もはや滅びることは無い、失われることも、いなくなることもない。
しかも、私という存在が、愛され、尊ばれ、喜ばれる。
なんという幸いな約束であろう。
このような救いを実現して下さった、十字架の主イエス様を見上げて、新しい年も生きて行こう。

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エレミヤ 31:15 主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。
31:16 主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。
31:17 あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。
31:18 わたしはエフライムが嘆くのを確かに聞いた。「あなたはわたしを懲らしめ わたしは馴らされていない子牛のように 懲らしめを受けました。どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。
31:19 わたしは背きましたが、後悔し 思い知らされ、腿を打って悔いました。わたしは恥を受け、卑しめられ 若いときのそしりを負って来ました。」
31:20 エフライムはわたしのかけがえのない息子 喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り わたしは彼を憐れまずにはいられないと 主は言われる。
31:21 道しるべを置き、柱を立てよ。あなたの心を広い道に あなたが通って行った道に向けよ。おとめイスラエルよ、立ち帰れ。ここにあるあなたの町々に立ち帰れ。
31:22 いつまでさまようのか 背き去った娘よ。主はこの地に新しいことを創造された。女が男を保護するであろう。

詩篇 20:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
20:2 苦難の日に主があなたに答え ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし シオンからあなたを支えてくださるように。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
20:5 あなたの心の願いをかなえ あなたの計らいを実現させてくださるように。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。
20:10 主よ、王に勝利を与え 呼び求める我らに答えてください。

ルカ 19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」


この世界には多くの試練や困難、災いや苦しみがある。
しかし、残念ながら、それらのほとんどは人間の罪によるものであり、人が罪深く、欲深く、残忍な生き物だからであろう。
主なる神様は、それを承知の上で、人間を愛し、救おうと願われた。
御子イエス様を全ての罪の贖いのために、いけにえの犠牲として捧げられ、罪と呪いに満ちた人間を、死と滅びの縄目から贖い、解放して下さった。
この世には多くの試練や困難もあるが、このイエス様のなさった救いの御業に心を留めていよう。
永遠に滅びることは無い命の約束を与えて下さるのだから。


イザヤ25:1 主よ、あなたはわたしの神 わたしはあなたをあがめ 御名に感謝をささげます。あなたは驚くべき計画を成就された 遠い昔からの揺るぎない真実をもって。
25:2 あなたは都を石塚とし 城壁のある町を瓦礫の山とし 異邦人の館を都から取り去られた。永久に都が建て直されることはないであろう。
25:3 それゆえ、強い民もあなたを敬い 暴虐な国々の都でも人々はあなたを恐れる。
25:4 まことに、あなたは弱い者の砦 苦難に遭う貧しい者の砦 豪雨を逃れる避け所 暑さを避ける陰となられる。暴虐な者の勢いは壁をたたく豪雨
25:5 乾ききった地の暑さのようだ。あなたは雲の陰が暑さを和らげるように 異邦人の騒ぎを鎮め 暴虐な者たちの歌声を低くされる。
25:6 万軍の主はこの山で祝宴を開き すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。
25:7 主はこの山で すべての民の顔を包んでいた布と すべての国を覆っていた布を滅ぼし
25:8 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい 御自分の民の恥を 地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
25:9 その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。

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イザヤ 49:13 天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主は御自分の民を慰め その貧しい人々を憐れんでくださった。
49:14 シオンは言う。主はわたしを見捨てられた わたしの主はわたしを忘れられた、と。
49:15 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。
49:16 見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。
49:17 あなたを破壊した者は速やかに来たが あなたを建てる者は更に速やかに来る。あなたを廃虚とした者はあなたを去る。
49:18 目を上げて、見渡すがよい。彼らはすべて集められ、あなたのもとに来る。わたしは生きている、と主は言われる。あなたは彼らのすべてを飾りのように身にまとい 花嫁の帯のように結ぶであろう。
49:19 破壊され、廃虚となり、荒れ果てたあなたの地は 彼らを住まわせるには狭くなる。あなたを征服した者は、遠くへ去った。
49:20 あなたが失ったと思った子らは 再びあなたの耳に言うであろう 場所が狭すぎます、住む所を与えてください、と。
49:21 あなたは心に言うであろう 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか わたしは子を失い、もはや子を産めない身で 捕らえられ、追放された者なのに 誰がこれらの子を育ててくれたのか 見よ、わたしはただひとり残されていたのに この子らはどこにいたのか、と。
49:22 主なる神はこう言われる。見よ、わたしが国々に向かって手を上げ 諸国の民に向かって旗を揚げると 彼らはあなたの息子たちをふところに抱き あなたの娘たちを肩に背負って、連れて来る。
49:23 王たちがあなたのために彼らの養父となり 王妃たちは彼らの乳母となる。彼らは顔を地につけてあなたにひれ伏し あなたの足の塵をなめるであろう。そのとき、あなたは知るようになる わたしは主であり わたしに望みをおく者は恥を受けることがない、と。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

マタイ 18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
18:2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
18:3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
18:4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
18:5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
18:6 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。
18:7 世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
18:8 もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。
18:9 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
18:11 人の子は、失われたものを救うために来た。
18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」



残念なことではあるが、クリスチャンの集まる教会においても、つまづきは生じてしまう。
むしろ、相手に期待してしまうがゆえに、期待し過ぎてしまうがゆえに、かえってつまづきとなることも多い。
しかし、クリスチャンといえども、所詮、同じ人間であり、罪人である。
もちろん、だからと言って、何も期待してはいけないとか、全てを疑ってかかれとかではないけれども「相手も同じ人間なのだ」ということを忘れてはならないし、本当に期待すべき方、信頼すべき方がどなたであるのか、見誤ってはならないということであろう。
私たちを決して裏切らないお方は、私たちの救いのために十字架で死んで下さったイエス様だけである。
イエス様のなさったような御業は、どんな人間にもできないことであり、だからこそ、神の子イエス様が私たちの代わりにそれをなさったのである。
つまづきを与えたくはないが、つまづきを全く与えないように生きていくのは難しい。
けれど、そのことを知っているだけでも随分違うのではないだろうか。
「ああ、この人も私と同じ人間なんだなあ」と思えた時、そこにはほんのわずかながら、イエス様の愛に通じる優しさが芽生えている。
本当はそういうことが大切なのだろう。

ヨハネ15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

私たちには自分の命を捨てるようなイエス様のような大きな愛の御業を行う事はできないが、「この人のためにもイエス様は死んで下さったんだなあ」ということを覚えつつ、ほんのわずかでもいいから優しい心や配慮などを忘れないように努め、それでもつまづきを与えてしまったのなら、謝る勇気を持ち、和解をもたらす主が働いて下さることを祈ろう。
主なる神様は、全ての人を愛し、命がけで愛し、私たちの間に愛が実現していくことを望んでおられるお方であるということを私たちは知っているのだから。

1ヨハネ4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。



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箴言 8:22 主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。
8:23 永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。
8:24 わたしは生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
8:25 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが わたしは生み出されていた。
8:26 大地も野も、地上の最初の塵も まだ造られていなかった。
8:27 わたしはそこにいた 主が天をその位置に備え 深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
8:28 主が上から雲に力をもたせ 深淵の源に勢いを与えられたとき
8:29 この原始の海に境界を定め 水が岸を越えないようにし 大地の基を定められたとき。
8:30 御もとにあって、わたしは巧みな者となり 日々、主を楽しませる者となって 絶えず主の御前で楽を奏し
8:31 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し 人の子らと共に楽しむ。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

1ヨハネ 5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
5:2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。
5:3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
5:4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
5:5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
5:6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、"霊"はこのことを証しする方です。"霊"は真理だからです。
5:7 証しするのは三者で、
5:8 "霊"と水と血です。この三者は一致しています。
5:9 わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。
5:10 神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。
5:11 その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。
5:12 御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。



聖書には、この世界が創造される前から神ご自身が、知恵なるお方、言葉なる神として存在されていたことが語られている。

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

そんな知恵の存在、言葉なるお方が、なんと畏れ多いことに、このちっぽけな私を救うために、ご自身の命を贖いの犠牲として捧げるために人として世に現れたというのである。

ヨハネ 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

主なる神様は、大きな大きな犠牲を払って、ただ、この私を救うために世に現れて下さり、そのことを証するために、その生涯を捧げられた。
ほかのなにものでもない、それが神のなさった御業の全てであり、証されたこと。
主なる神様が、そこまでして示された証を、私たちはただただ信じて受け止めることしかできないが、それで良い。
それが神様の願われていることである。
神の掟を守る事は難しいことではない、と語られているが、たったこれだけのことを信じることこそが唯一の掟と言えるだろう。
信じることは簡単ではないかもしれないが、難しいことではない。
恵みに感謝して、喜んで受ければいい、ただそれだけのことである。

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詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

使徒 7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
8:1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
8:1 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
8:3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
8:7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
8:8 町の人々は大変喜んだ。


ステファノは最も有名な殉教者である。
しかし、実際には、ステファノ以外にも多くの人たちが殉教したり、迫害を受けていたことであろう。
ちなみに、迫害する者の中に、後に偉大な伝道者となったパウロの名が記されているが、迫害する者たちは、彼らの理屈では熱心に神に仕えようとしていたということになるのだろう。
しかし、熱心に神に仕えようとするあまり、実際には人を傷つけたり、殺したりしていたのである。
いつの時代でも、人間は自分の都合や価値観によって、いとも簡単に他者を迫害したり、殺したりできてしまう者なのだ。
たとえどんなに正義を振りかざしても、やっていることは殺人者のそれと本質的には変わりない。
それでも自分は神に忠実な者と思い込んでいる。
自分が正しいと思って他者を攻撃しているから厄介である。
私個人的には、世の中からありとあらゆる批判や攻撃が無くなれば良いのにと思うけれども、なかなかそれは難しいし、人間が罪人である限り、それは無くならないのだろう。
自分の意見や考えを言うのは良い。
ただ、それによって、他者を傷つけたり、批判したりするのは避けたい。
相手も神が御子イエス様の命をかけてまで愛された一人の人間なのだから、どんなに意見や価値観が違っても、そこには私と同じように思いがあるし、命がある。
せめて、相手が気分を害するような言動をさけ、できるなら、喜んでもらえるような言葉や行動を取れるものとなりたい。
まずは相手の祝福を祈ることからはじめよう。

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イザヤ 9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
9:2 あなたは深い喜びと 大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように 戦利品を分け合って楽しむように。
9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。
9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

詩篇 96:1 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
96:2 主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 国々に主の栄光を語り伝えよ 諸国の民にその驚くべき御業を。
96:4 大いなる主、大いに賛美される主 神々を超えて、最も畏るべき方。
96:5 諸国の民の神々はすべてむなしい。主は天を造られ
96:6 御前には栄光と輝きがあり 聖所には力と光輝がある。
96:7 諸国の民よ、こぞって主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ。
96:8 御名の栄光を主に帰せよ。供え物を携えて神の庭に入り
96:9 聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。全地よ、御前におののけ。
96:10 国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。
96:11 天よ、喜び祝え、地よ、喜び躍れ 海とそこに満ちるものよ、とどろけ
96:12 野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 森の木々よ、共に喜び歌え
96:13 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる。

テトス 2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
2:12 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、
2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

ルカ 2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」



クリスマスおめでとうございます。
全ての人を救う救い主イエス様のお誕生を心よりお祝い申し上げます。

2022年も、残りわずか。
今年もいろんなことがありましたが、言葉に言い表せないような不安や恐れを招く戦争などの暗いニュースもありました。
もちろん、いつの時代でも将来のことは誰にも見えないので、不安が尽きることはないのでしょう。
けれど、先のことを心配したところで、どうにかなるものでもないし、誠実に生きていくだけ。
将来を担う子ども達の暮らす世界の行く末を案じたところで、その頃には自分はこの世にはいないかもしれない、そんなことを思うと、あまりに心配しすぎるのも好ましいことではないのでしょう。
子ども達も、いつまでも子供ではないし、それこそしっかりと成長してもらわないと困るし、成長するもの。
いずれ、自分たちよりもしっかりとした考えを持ち、適切な行動も身に付き、逆にこちらが心配される側になっていくのでしょう。
子ども達の足手まといにならないようにしなければ と思いつつ、教会に来ている小さな子供たちの姿を見ていると、未来も捨てたものでもないなと思わされます。
イエス様も、私たちと同じ人間の姿となり、この世界に来て下さいました。ひとりのみどりごとして。
この方が私たちの救いを成し遂げて下さいました。
そこに希望があります。
どんなに暗く悲しいことしかないように見える世界の中にも、神の豊かな恵みに満ちた希望の約束が。
このクリスマスを、そんな気持ちでお祝いしたいものです。

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サムエル下 7:18 ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
7:23 また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。
7:24 主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。
7:25 主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
7:26 『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
7:27 万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
7:28 主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
7:29 どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」

ルカ 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ガラテヤ 3:6 それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。
3:7 だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。
3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。
3:9 それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。
3:10 律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
3:11 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
3:12 律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
3:14 それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された"霊"を信仰によって受けるためでした。


主なる神様が私たちを救われるのは、私たちがどれだけ立派な人であったからとか、どれだけ愛すべき麗しい存在であったからとかではなく、ただやだ、神ご自身が憐れみ深く、恵みに満ちたお方だからである。
もちろん、だからと言って、私たちがいつまでもよこしまな思いで身勝手な生き方を続けて行っても良いという事ではない。
お互いに愛し合う者として生きて欲しいというのは、その通りであろう。
ただ、お互いに愛し合う存在として生きる、ということは、相手がどんな人であろうと、可能な限り批判すべきではない、ということでもある。
間違いは間違いとして正すべきであろうけれども、愛し合う心を追い求めていくのなら、むやみに批判したりするのは御心に反することとなってしまうからである。
どんなに正しいことを追い求め、清い世界を求めて行ったとして、それを実現するために他者を批判したりしているようでは、本末転倒である。
所詮、我々人間のうちに義はない。
あるのは、ただただ神の憐れみと恵みによって赦され、愛され、救われた罪人。
キリストの十字架によって救われた者として、律法の達成に熱心になるのではなく、恵みによって生かされていることを覚えつつ、そのことを信じる信仰によって生きて行こう。

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イザヤ 33:17 あなたの目は麗しく装った王を仰ぎ 遠く隔たった地を見る。
33:18 あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか 量った者はどこにいるのか やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。
33:19 あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず 舌はどもるので理解しえなかった。
33:20 シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい 移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく 一本の綱も断たれることはない。
33:21 まことに、そこにこそ 主の威光は我らのために現れる。そこには多くの川、幅広い流れがある。櫓をこぐ舟はそこを通らず 威容を誇る船もそこを過ぎることはない。
33:22 まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。

ルカ 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

黙示 22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。
22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。


本日与えられている日課の箇所は、いわゆるマリアの賛歌と呼ばれるマリアの祈りの言葉である。
主なる神様を、マリアを救い主イエス様の母として選ばれ、マリアは主の約束通りイエス様を産む。
しかし、そのことや、その後イエス様がなさることについては、これから起きることであり、当然ながら、マリアの身にもまだ何も起きていない。
天使の御告げはあったものの、マリアはその言葉を信じたに過ぎない。
しかし、信仰とはそういうものである。

ヘブル11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

目に見える証拠や、事実を証明できる知恵の言葉などもないかもしれない。
けれど、私たちには聖書の言葉がある。
聖書に約束された神の救いの言葉、そして、そこに現わされている神の愛と恵みを、信じて受け止めて、幸いのうちに生きようではないか。
それがマリアの賛歌から学べることである。

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創世記 37:2 ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。
37:3 イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。
37:4 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。
37:5 ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。
37:6 ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。
37:7 畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」
37:8 兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。
37:9 ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」
37:10 今度は兄たちだけでなく、父にも話した。父はヨセフを叱って言った。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」
37:11 兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。

サムエル上 2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。
2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。
2:4 勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み 多くの子をもつ女は衰える。
2:6 主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
2:7 主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ 高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの 主は世界をそれらの上に据えられた。
2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り 主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。
2:10 主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし 王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。」

マタイ 1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
1:3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
1:4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
1:7 ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
1:8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
1:9 ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
1:10 ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
1:11 ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
1:12 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
1:13 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
1:14 アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
1:15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
1:16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。



本日の日課の箇所には、アブラハムから始まって、イエス様に至るまでの系図が記されている。
イエス様は、アブラハムの子孫、ダビデ王の家系に生まれたことが語られている。
ほかの日課の箇所には、ヤコブの子ヨセフの見た夢と、ハンナの祈りによるサムエル誕生のいきさつについて記されているが、キリストの系図に出てくるのは、ヨセフではなくユダであり、サムエルではなくサムエルとは血のつながりのないダビデである。
もちろん、聖書の歴史において、イエス様に至るまでのイスラエルの歴史だけが全てではないし、それ以外のところでも、神様のなさる不思議な御業や教えはいたるところにちりばめられて語られているため、イエス様に至るイスラエルの血筋だけが特別というものでもない。
大事なことは、神が何の目的のために選ばれたのかということを知るためであって、アブラハムの子孫であるとか、ダビデの家系だからとか、そういったことは何ら誇ることでもないし、ただ、イエス様が人としてこの世にお生まれになったという事実を知る事が重要なのである。
イエス様は、私たちと同じ人間の姿となってこの世界に来てくださった。
私たちを救うために、自らの命を犠牲にして、十字架の御業によって贖うために。
私たちは、この事実をもって、神に愛された者として、神に選ばれた者として誇るべきなのだ。
何人であるとか、誰の子孫であるとか、そういったことはあまり重要な事ではない。
もっと言えば、全ての人はアダムとエバの子孫である。
同じ肉の姿をした、神に創られ、神に愛されるべき生き物である。
自分の周りの人も、みなじぶんと同じ人間である。
批判し合うのはよそう。
妬むのはよそう。
殺し合うのもよそう。
慰め合い、励まし合い、助け合って生きていこう。
神はそのために私たちを救われたのだから。

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