デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨブ 23:1 ヨブは答えた。
23:2 今日も、わたしは苦しみ嘆き呻きのために、わたしの手は重い。
23:3 どうしたら、その方を見いだせるのか。おられるところに行けるのか。
23:4 その方にわたしの訴えを差し出し思う存分わたしの言い分を述べたいのに。
23:5 答えてくださるなら、それを悟り話しかけてくださるなら、理解しよう。
23:6 その方は強い力を振るってわたしと争われるだろうか。いや、わたしを顧みてくださるだろう。
23:7 そうすれば、わたしは神の前に正しいとされわたしの訴えはとこしえに解決できるだろう。
23:8 だが、東に行ってもその方はおられず西に行っても見定められない。
23:9 北にひそんでおられて、とらえることはできず南に身を覆っておられて、見いだせない。
23:10 しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば金のようであることが分かるはずだ。
23:11 わたしの足はその方に従って歩みその道を守って、離れたことはない。
23:12 その唇が与えた命令に背かずその口が語った言葉を胸に納めた。
23:13 神がいったん定められたならだれも翻すことはできない。神は望むがままに行われる。
23:14 わたしのために定めたことを実行しほかにも多くのことを定めておられる。
23:15 それゆえ、わたしは御顔におびえ考えれば考えるほど、恐れる。
23:16 神はわたしの勇気を失わせ全能者はわたしをおびえさせる。
23:17 わたしは暗黒を前にし目の前には闇が立ちこめているのになぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。

ヨブは自分の潔癖であることを主張し、神の御前に立たせてもらえたなら、きっと神は正当に評価して下さるに違いないと言っている。
しかし、いくら自分が訴えても、神はどこかへ行ってしまったのか、自分の窮状に対して、見ていてくれていないとつぶやいている。

そんな経験は、誰もが感じることかもしれない。

イザヤ 45:15 まことにあなたは御自分を隠される神イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」と。

人の目には、神のお姿は見えない。
見えないのではなく、見ようとしないのか、見えていても理解できないのかであろう。

イザヤ59:1 主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
59:2 むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔てお前たちの罪が神の御顔を隠させお前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。
59:3 お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。
59:4 正しい訴えをする者はなく真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り労苦をはらみ、災いを産む。

ヨブ記において繰り広げられている事は、まさに、ここに書かれている通りのことであろう。
自分のうちにある悪のゆえに、神が見えなくなっているし、そのような者たちが、いくら議論を積み重ねても、空しいばかりか、まずます状況は酷くなっていくばかりである。

主なる神様は、そんな我々人間をいつも見ておられる。
そして、救いの道がここにある、と言って、我々の罪のためにキリストが十字架で死なれ、復活されたこと告げられるのである。


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ヨブ 22:1 テマン人エリファズは答えた。
22:2 人間が神にとって有益でありえようか。賢い人でさえ、有益でありえようか。
22:3 あなたが正しいからといって全能者が喜び完全な道を歩むからといって神の利益になるだろうか。
22:4 あなたが神を畏れ敬っているのに神があなたを責めあなたを裁きの座に引き出されるだろうか。
22:5 あなたは甚だしく悪を行い限りもなく不正を行ったのではないか。
22:6 あなたは兄弟から質草を取って何も与えず既に裸の人からなお着物をはぎ取った。
22:7 渇き果てた人に水を与えず飢えた人に食べ物を拒んだ。
22:8 腕力を振るう者が土地をわがものとしもてはやされている者がそこに住む。
22:9 あなたはやもめに何も与えず追い払いみなしごの腕を折った。
22:10 だからこそあなたの周りには至るところに罠があり突然の恐れにあなたはおびえる。
22:11 また、暗黒に包まれて何も見えず洪水があなたを覆っているので
22:12 あなたは言う。「神がいますのは高い天の上で見よ、あのように高い星の群れの頭なのだ。」
22:13 だからあなたは言う。「神が何を知っておられるものか。濃霧の向こうから裁くことができようか。
22:14 雲に遮られて見ることもできず天の丸天井を行き来されるだけだ」と。
22:15 あなたは昔からの道に悪を行う者の歩んだ道に気をつけよ。
22:16 彼らは時ならずして、取り去られ流れがその基までぬぐい去った。
22:17 神に向かって彼らは言っていた。「ほうっておいてくれ全能者と呼ばれる者に何ができる。」
22:18 それに対してあなたは言った。「神はその彼らの家を富で満たされる。神に逆らう者の考えはわたしから遠い。」
22:19 神に従う人なら見抜いて喜び罪のない人なら嘲笑って言うであろう。
22:20 「彼らの財産は確かに無に帰し残ったものも火になめ尽くされる。」
22:21 神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになるだろう。
22:22 神が口ずから授ける教えを受けその言葉を心に納めなさい。
22:23 もし、全能者のもとに立ち帰りあなたの天幕から不正を遠ざけるならあなたは元どおりにしていただける。
22:24 黄金を塵の中にオフィルの金を川床に置くがよい。
22:25 全能者こそがあなたの黄金あなたにとっての最高の銀となり
22:26 あなたは全能者によって喜びを得神に向かって顔を上げ
22:27 あなたが祈れば聞き入れられ満願の献げ物をすることもできるだろう。
22:28 あなたが決意することは成就し歩む道には光が輝くことだろう。
22:29 倒れている者に、立ち上がれとあなたが言えば目を伏せていた者は救われる。
22:30 清くない者すらあなたの手の潔白によって救われる。

ヨブの身にふりかかった災難を見て、エリファズらは、ヨブが罪を犯したからこのようなことになったのだと考え、ヨブがこれまでに祝福された生活を送れていたのも、神の祝福によるものではなく、強欲を極めた結果だと言わんばかりに厳しく批判しているのであろう。
そして、エリファズは、ヨブが罪を悔い改めれば、このような災いは取り除かれるだろうと言うのである。
しかし、ヨブは既に何もかも失っており、貧しい人たちに富を与えようにも、もはや何もできないのである。
仮に、過去に犯した罪を悔い改めて、その罪を償おうとしたところで、もはや何もできないのは明らかであろう。
エリファズの主張することは、正しい言葉のように見えるが、ほぼ不可能なことを述べているのである。
しかし、そもそも律法の言葉とは、そういうものであろう。
できる事、正しいことを告げるのが律法の言葉のように思われるが、本当は、どんなに正しいことでも、我々人間には無力でできないこと、それが律法なのである。

ローマ 8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(新改訳)

人間は、律法の言葉の前に無力である。
しかし、それ故に、神が我々に代わって、我々には不可能であった律法の責めを負って下さったからこそ、我々の救いが成立するのである。
イエス様の十字架がそのためにあり、無力な我々の身代わりのイエス様の死こそ、律法を完全に果たして下さった証、救いの証なのである。

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ヨブ 21:1 ヨブは答えた。
21:2 どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。
21:3 我慢して、わたしに話をさせてくれ。わたしが話してから、嘲笑うがいい。
21:4 わたしは人間に向かって訴えているのだろうか。なぜ、我慢しなければならないのか。
21:5 わたしに顔を向けてくれ。そして驚き、口に手を当てるがよい。
21:6 わたし自身、これを思うと慄然とし身震いが止まらない。
21:7 なぜ、神に逆らう者が生き永らえ年を重ねてなお、力を増し加えるのか。
21:8 子孫は彼らを囲んで確かに続きその末を目の前に見ることができる。
21:9 その家は平和で、何の恐れもなく神の鞭が彼らに下ることはない。
21:10 彼らの雄牛は常に子をはらませ雌牛は子を産んで、死なせることはない。
21:11 彼らは羊の群れのように子供を送り出しその子らは踊り跳ね
21:12 太鼓や竪琴に合わせて歌い笛を吹いて楽しむ。
21:13 彼らは幸せに人生を送り安らかに陰府に赴く。
21:14 彼らは神に向かって言う。「ほうっておいてください。あなたに従う道など知りたくもない。
21:15 なぜ、全能者に仕えなければならないのか。神に祈って何になるのか。」
21:16 だが、彼らは財産を手にしているではないか。神に逆らう者の考えはわたしから遠い。
21:17 神に逆らう者の灯が消され、災いが襲い神が怒って破滅を下したことが何度あろうか。
21:18 藁のように風に吹き散らされもみ殻のように突風に吹き飛ばされたことがあろうか。
21:19 神は彼への罰をその子らの代にまで延ばしておかれるのか。彼自身を罰して思い知らせてくださればよいのに。
21:20 自分の目で自分の不幸を見全能者の怒りを飲み干せばよいのだ。
21:21 人生の年月が尽きてしまえば残された家はどうなってもよいのだから。
21:22 「人が神に知識を授けえようか。彼は高きにいまし、裁きを行われる」と言う。
21:23 ある人は、死に至るまで不自由なく安泰、平穏の一生を送る。
21:24 彼はまるまると太り骨の髄まで潤っている。
21:25 また、ある人は死に至るまで悩み嘆き幸せを味わうこともない。
21:26 だが、どちらも塵に横たわれば等しく、蛆に覆われるではないか。
21:27 あなたたちの考えはよく分かっている。わたしに対して不法にも悪をたくらんでいるのだ。
21:28 「あの高潔な人の館はどうなりこの神に逆らう者の住まいとした天幕はどうなったのか」とあなたたちは問う。
21:29 通りかかる人々に尋ねなかったのか。両者の残した証しを否定することはできないであろう。
21:30 悪人が災いの日を免れ怒りの日を逃れているのに
21:31 誰が面と向かってその歩んできた道を暴き誰がその仕業を罰するだろうか。
21:32 彼は葬式の行列によって運ばれその墓には番人も立ち
21:33 谷間の土くれさえ彼には快さそうだ。人は皆彼の後に続き彼の前にも、人は数えきれない。
21:34 それなのに空しい言葉でどのようにわたしを慰めるつもりか。あなたたちの反論は欺きにすぎない。

ヨブは、悪を行う者が栄え、正しく生きる者が苦難のうちにあるこの世の不条理を訴えている。
一見、ヨブと討論している友人たちとヨブの関係について述べているようにも見えるが、それだけではないだろう。
おそらく、ヨブの心のうちに、これまでは隠されていた思いが、一気に噴き出してきたものと言え、祝福され、平穏な生活を送っていた頃のヨブの心の中にも合ったに違いない。
ヨブ自身、まさか自分がこんな目にあうとは思ってもみなかっただろうし、このような試練の中にあって、これほどの思いがふつふつと湧いてくることにも驚きに似た感情も覚えていたかもしれない。
ヨブは、答がどうとか、何が真実かとか、そういうことはもはやどうでもよく、とにかくこの苦しみの中にあって、訴えることを受け入れて欲しいし、聞いて欲しいだけなのである。
答は要らない、とまではいかないまでも、答えがないのもわかるけれど、ただ黙って聞いてくれるだけでも、少しは慰めになる、ということなのであろう。
もちろん、聞かされる側の人間にも、様々な思いや、しんどくなる気持ちに蓋をし続けることが難しいため、ついつい反論してしまったり、正しい答えを述べようとしたりもするが、ヨブ記のごとく、かえって互いに反目しあう結果となり、討論もエスカレートしてくだけなのである。
難しいことなのかもしれないが、黙って聞くだけでも良いし、何か自分の言葉で励ましてあげようと無理に言葉を探す必要もないのだろう。
今、我々にできる事は、言葉はなくても、苦しんでいる方々と祈りを共にするだけであろう。
我々に何もできなくても、祈りの中に主が共におられるのだから。

マタイ18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

ローマ8:26 同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
8:27 人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

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ヨブ 20:1 ナアマ人ツォファルは答えた。
20:2 さまざまな思いがわたしを興奮させるのでわたしは反論せざるをえない。
20:3 あなたの説はわたしに対する非難と聞こえる。明らかにすることを望んで、答えよう。
20:4 あなたも知っているだろうが昔、人が地上に置かれたときから
20:5 神に逆らう者の喜びは、はかなく神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。
20:6 たとえ彼が天に達するほど頭が雲に達するほど上って行っても
20:7 自分の汚物と同様、永久に失われ探す者は、「どこへ行ってしまったのか」と言わなければならなくなる。
20:8 夢のように飛び去り夜の幻のように消えうせだれも見いだすことはないだろう。
20:9 彼を見ていた目はもう彼を見ることなく彼のいた所も二度と彼を見ない。
20:10 その子らは貧しい人々に償いをし子孫は奪った富を返済しなければならない。
20:11 若さがその骨に溢れていたがそれも彼と共に塵の上に伏すことになろう。
20:12 悪が口に甘いからと舌で抑えて隠しておき
20:13 惜しんで吐き出さず口の中に含んでいれば
20:14 そのパンは胃の中に入ってコブラの毒と変わる。
20:15 呑み込んだ富は吐き出さなければならない。神は彼の腹からそれを取り上げられる。
20:16 彼の飲んだのはコブラの毒。蝮の舌が彼を殺す。
20:17 彼は蜂蜜と乳脂の流れる川のその流れを見ることはない。
20:18 労して獲たものをも呑み込まずに返し商いで富を得ても楽しむことはない。
20:19 なぜなら、貧しい人々を虐げ見捨て自ら建てもしない家を奪い取ったから。
20:20 その腹は満足することを知らず欲望から逃れられず
20:21 食い尽くして、何も残さない。それゆえ、彼の繁栄は長くは続かず
20:22 豊かさの極みにあって欠乏に陥りすべて労苦する手が彼を襲う。
20:23 腹を満たそうとすれば神は燃える怒りを注ぎそれをパンとして彼に浴びせかける。
20:24 鉄の武器から逃れても青銅の弓が彼を射抜き
20:25 矢は彼を貫いて背中に出る。それは胆汁にぬれて光り神の威力が彼を圧倒する。
20:26 暗黒が彼の宝を待ち構え吹き起こされたのでもない火が彼をなめ尽くし天幕に残っているものをも滅ぼし尽くす。
20:27 天は彼の罪を暴き地は彼に対して立ち上がる。
20:28 神の怒りの日に、洪水が起こり大水は彼の家をぬぐい去る。
20:29 神に逆らう者が神から受ける分神の命令による嗣業はこれだ。

ヨブの反論対し、ツォフファルの反撃もさらにエスカレートしていき、ヨブを激しく批判し始めていく。
ヨブの身の上にさまざまな災いがもたらされているのは、ヨブ自身に問題があるからであると言い、ヨブがかつて祝福されていたことさえも罪であったかのように論じ始めている。
しかし、ヨブはまじめに働き、神にも人にも仕えることを心がけたからこそ、彼の生業も祝福されていたはずなのであるが、周囲の者は、どこかで妬みややっかみの心を抱いていたのかもしれない。
ヨブが富んでいたのは、貧しい人たちを虐げ、見捨て、彼らから富を搾取していたからこそできたことであるかのように批判しているのである。
確かに富を蓄える上で、そのような仕組みが全くないわけではないかもしれないが、ヨブとて、貧しい人たちから搾取してきたつもりはないはずであろう。
忠実に働いた結果、生業が祝福されることがあっても、なんら問題はない。
しかし、それを妬むのもまた人間なのである。
そして、うまくいっていた人が落ちていく時、人はあざ笑うかのように、その人の不幸を喜ぶのである。
他人の不幸は密の味と言うが、人間とは、かくも恐ろしい存在であり、それほどに滅びゆく罪人であるということであろう。
ヨブとその友人たちとの議論を見ながら、自分の愚かさ、恐ろしさに気づく人は幸いである。

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ヨブ 19:1 ヨブは答えた。
19:2 どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ言葉をもってわたしを打ち砕くのか。
19:3 侮辱はもうこれで十分だ。わたしを虐げて恥ずかしくないのか。
19:4 わたしが過ちを犯したのが事実だとしてもその過ちはわたし個人にとどまるのみだ。
19:5 ところが、あなたたちはわたしの受けている辱めを誇張して論難しようとする。
19:6 それならば、知れ。神がわたしに非道なふるまいをしわたしの周囲に砦を巡らしていることを。
19:7 だから、不法だと叫んでも答えはなく救いを求めても、裁いてもらえないのだ。
19:8 神はわたしの道をふさいで通らせず行く手に暗黒を置かれた。
19:9 わたしの名誉を奪い頭から冠を取り去られた。
19:10 四方から攻められてわたしは消え去る。木であるかのように希望は根こそぎにされてしまった。
19:11 神はわたしに向かって怒りを燃やしわたしを敵とされる。
19:12 その軍勢は結集し襲おうとして道を開きわたしの天幕を囲んで陣を敷いた。
19:13 神は兄弟をわたしから遠ざけ知人を引き離した。
19:14 親族もわたしを見捨て友だちもわたしを忘れた。
19:15 わたしの家に身を寄せている男や女すらわたしをよそ者と見なし、敵視する。
19:16 僕を呼んでも答えずわたしが彼に憐れみを乞わなければならない。
19:17 息は妻に嫌われ子供にも憎まれる。
19:18 幼子もわたしを拒みわたしが立ち上がると背を向ける。
19:19 親友のすべてに忌み嫌われ愛していた人々にも背かれてしまった。
19:20 骨は皮膚と肉とにすがりつき皮膚と歯ばかりになってわたしは生き延びている。
19:21 憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか。
19:22 なぜ、あなたたちまで神と一緒になってわたしを追い詰めるのか。肉を打つだけでは足りないのか。
19:23 どうかわたしの言葉が書き留められるように碑文として刻まれるように。
19:24 たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記されいつまでも残るように。
19:25 わたしは知っているわたしを贖う方は生きておられついには塵の上に立たれるであろう。
19:26 この皮膚が損なわれようともこの身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。
19:27 このわたしが仰ぎ見るほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。
19:28 「我々が彼を追い詰めたりするだろうか」とあなたたちは言う。この有様の根源がわたし自身にあるとあなたたちは言う。
19:29 あなたたちこそ、剣を危惧せよ。剣による罰は厳しい。裁きのあることを知るがよい。

ヨブの上に次々と襲いかかる様々な災いは、ヨブ自身の罪のせいだと友人たちは主張するが、もしそうであるならば、ヨブの周りにまで及んでいる災いはひどすぎて、無関係なものにまで災いが及んでいるのはおかしい、とヨブは主張しているのだろう。
そして、その最たるものが、友人たちの批判であり、友人が苦しんでいる時にこそ、友は助け、慰めるべきではないかと訴えている。
確かにヨブの言う通りであろうし、困った時に助けの手を差し伸べてこそ、真の友と言えるのだろう。
しかし、現実はなかなかそうはいかない。
困った人が近くにいると、助けてあげたいとの思いはあっても、自分までまきこまれたくないと思うのが普通であろう。
そして、関わりたくないため、もっともそうな理由を見つけ出してきて、逆に批判や攻撃の側にまわっていく。
それが我々人間の姿と言えるだろう。
そういう点では、ヨブの主張は間違ってはいない。
ただ、それを主張しているヨブもまた、同じなのだ。
人は弱いし、間違っているし、おおよそ、それに気が付いていても、それを自分ではどうすることもできず、その矛先を他人に向けて、他者を批判、攻撃していくのである。
残念な存在であるし、惨めな滅びゆくものである。

ローマ 7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

私たちはみな、惨めな存在である。
このような惨めな人間を、いったい誰が救って下さるのか。
ご自分の命をそのために捧げて下さったイエス・キリストに感謝するばかりである。

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シュア人ビルダドは答えた。 いつまで言葉の罠の掛け合いをしているのか。まず理解せよ、それから話し合おうではないか。 なぜ、わたしたちを獣のように見なすのか。その目に愚か者とするのか。 怒りによって自らを引き裂く者よあなたのために地が見捨てられ岩がその場所から移されるだろうか。 神に逆らう者の灯はやがて消えその火の炎はもはや輝かず その天幕の灯は暗黒となり彼を照らす光は消える。 彼の力強い歩みも弱まり自分自身の策略に倒れる。 足は網に捕えられ落とし穴に踏み込む。 かかとは罠にかかり仕掛けられた網に捕まる。 綱が地に隠されて張り巡らされ行く道に仕掛けが待ち伏せている。 破滅が四方から彼を脅かし彼の足を追い立てる。 その子は飢え妻は災いに遭う。 死の初子が彼の肢体をむしばみその手足をむしばむ。 彼はよりどころとする天幕から引き出され破滅の王に向かって一歩一歩引き寄せられる。 彼の天幕には他人が住みその住みかには硫黄がまかれる。 下ではその根が枯れ上では枝がしおれる。 彼の思い出は地上から失われその名はもう地の面にはない。 彼は光から暗黒へと追いやられこの世から追放される。 子孫はその民の内に残らず住んだ所には何ひとつ残らない。 未来の人々は彼の運命に慄然とし過去になった人々すら身の毛のよだつ思いをする。 ああ、これが不正を行った者の住まいこれが神を知らぬ者のいた所か、と。

ビルダドの言葉は、もはや、一般論を通り越し、ヨブに対する厳しい裁きの言葉と化している。
神に背くものには、恐ろしい裁きや災いがもたらされ、今や、ヨブの置かれている状況からは、ヨブが神に背いているものであると認定せざるを得ない、ということなのだろう。
しかし、それもまた正しい言葉ではないのだろう。
人がどんな状況下にあっても、神に背いているかどうかは、まったく別の問題であるし、神が祝福されているかどうかということと、神に愛されているかどうかということも、全く同じではない。
ただ、神を見失い、神に背いているものが、愛に根ざした行動へと進むことができないことはそのとおりであろう。
ヨブを攻撃するビルダドも神を見失っているし、ヨブもまた、その攻撃に反撃している時点で、同様に神を見失っているのかもしれない。
売り言葉に買い言葉ではないが、言い争いも含めたあらゆる争いのなかには、神を見失った人たちがいることは確かなのかもしれない。
世界のいたるところに、神の平安がありますように。

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ヨブ 17:1 息は絶え、人生の日は尽きる。わたしには墓があるばかり。
17:2 人々はなお、わたしを嘲りわたしの目は夜通し彼らの敵意を見ている。
17:3 あなた自ら保証人となってください。ほかの誰がわたしの味方をしてくれましょう。
17:4 彼らの心を覆って目覚めることのないようにし彼らを高く上げないでください。
17:5 「利益のために友を裏切れば子孫の目がつぶれる。」
17:6 この格言はわたしのことだと人は言う。わたしは顔につばきされる者。
17:7 目は苦悩にかすみ手足はどれも影のようだ。
17:8 正しい人よ、これに驚け。罪のない人よ神を無視する者に対して奮い立て。
17:9 神に従う人はその道を守り手の清い人は更に勇気をもて。
17:10 あなたたちは皆、再び集まって来るがよい。あなたたちの中に知恵ある者はいないのか。
17:11 わたしの人生は過ぎ去りわたしの計画も心の願いも失われた。
17:12 夜は昼となり暗黒の後に光が近づくと人は言うが
17:13 わたしは陰府に自分のための家を求めその暗黒に寝床を整えた。
17:14 墓穴に向かって「あなたはわたしの父」と言い蛆虫に向かって「わたしの母、姉妹」と言う。
17:15 どこになお、わたしの希望があるのか。誰がわたしに希望を見せてくれるのか。
17:16 それはことごとく陰府に落ちた。すべては塵の上に横たわっている。

ヨブの絶望的なつぶやきはさらに深く、永遠に続いていくかのようである。
このようなつぶやきは、私たち人間が生きることに疲れ、希望を失って、絶望の縁に立たされていると感じた時、同様な気持ちになることを誰もが経験するのだろう。
好ましいことではないし、あって欲しくないことであるが、それもまた人間の現実の姿なのかもしれない。
しかし、このような絶望的なつぶやきの言葉を述べる人間のところにまで、主イエス様はこられた。
そして、私たちの代わりに、この絶望を引き受け、十字架の死に至るまで、味わい尽くされたのである。

マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

イエス様は、私たちの身代わりに絶望の縁に立ち、一切の望みが絶たれた者の呪いを引き受けて下さったのである。
それゆえ、もはや私たちには絶望はない。
望みがある。
どんな状況の中にあっても、私たちを永遠の救いの約束から奪い去ることのできるものはいない。
私たちは、永遠に救いの約束の中に生かしていただけるのである。

そのようなことを思わされるヨブのつぶやきである。

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ヨブ 16:1 ヨブは答えた。
16:2 そんなことを聞くのはもうたくさんだ。あなたたちは皆、慰める振りをして苦しめる。
16:3 「無駄口はやめよ」とか「何にいらだってそんな答えをするのか」と言う。
16:4 わたしがあなたたちの立場にあったならそのようなことを言っただろうか。あなたたちに対して多くの言葉を連ねあなたたちに向かって頭を振り
16:5 口先で励まし唇を動かすことをやめなかっただろうか。
16:6 語っても苦しみはやまず黙っていても、それは去りません。
16:7 もう、わたしは疲れ果てました。わたしの一族をあなたは圧倒し
16:8 わたしを絞り上げられます。このわたしの姿が証人となりわたしに代わって抗議するでしょう。
16:9 神がわたしを餌食として、怒りを表されたので敵はわたしを憎んで牙をむき、鋭い目を向ける。
16:10 彼らは大口を開けて嘲笑い頬を打って侮辱し一団となってわたしに向かって来る。
16:11 神は悪を行う者にわたしを引き渡し神に逆らう者の手に任せられた。
16:12 平穏に暮らしていたわたしを神は打ち砕き首を押さえて打ち据え的として立て
16:13 弓を射る者に包囲させられた。彼らは容赦なく、わたしのはらわたを射抜き胆汁は地に流れ出た。
16:14 神は戦士のように挑みかかりわたしを打ち破り、なお打ち破る。
16:15 わたしは粗布を肌に縫い付けわたしの角と共に塵の中に倒れ伏した。
16:16 泣きはらした顔は赤く死の闇がまぶたのくまどりとなった。
16:17 わたしの手には不法もなくわたしの祈りは清かったのに。
16:18 大地よ、わたしの血を覆うなわたしの叫びを閉じ込めるな。
16:19 このような時にも、見よ天にはわたしのために証人があり高い天にはわたしを弁護してくださる方がある。
16:20 わたしのために執り成す方、わたしの友神を仰いでわたしの目は涙を流す。
16:21 人とその友の間を裁くように神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように。
16:22 僅かな年月がたてばわたしは帰らぬ旅路に就くのだから。

ヨブにとって、もはや自分の身の回りで起こったことや、肉体の苦痛などよりも、自分の苦しみを理解してもらえない苛立ちのほうがはるかに大きな苦痛となっていたのであろう。
そして、ヨブを取り巻く人たちのかける言葉自体が、大きな災いとなり、まるで彼らによって命が狙われているかのような、敵対意識のようなものすら感じられる。
人間にとって、最も恐ろしい敵もまた同じ人間なのだということを物語っているようである。
しかし、敵も同じ人間であるということは、当然ながら、自分自身もまた同じ性質を持っているということでもある。
普段はなかなかそのことに気づこうともしないし、気が付くこともほとんどないのだが、人は自分自身の語る言葉で自分を責めているのが実態なのかもしれない。
人にはそれぞれ、神が創られた良心があり、律法の働きをしているとの言葉通り、常に自分の中にも責めるものがあるのだろう。
そして、自分の周りの人たちからも責められ始めると、もはやどこにも自分を弁護してくれるものがいなくなる。
自分で自分を弁護しようにも、自分の中にも責めるものがあるため、人は次第に追い詰められていくのであろう。
ヨブは、自分を援護するお方が高い天におられ、自分をわかっていてくれるだろうと語っているが、その言葉とは裏腹に、空しい心も見え隠れしている。
ヨブは、せめて友の裁きから解放されることが神の裁きによってもたらされることと述べているが、それは自分が死ぬことをも覚悟した祈りであって、正しいものとは言えないだろう。

エフェソ 2:13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

ヨブは「神が高い天におられてわたしを弁護して下さる」と述べ、神の介入の結果、友との関係が遮断され、自らの命は取り上げられることを願っている。
しかし、聖書の神のなさることは、天から下り、人と共に歩み、友との関係を修復し、共に生きていくようになることを導くものである。
人間の力によっては難しいことなのかもしれないが、神にはおできになるし、それこそが神の御業である。
ヨブ記から学びうることは、神の御心がどこにあり、私たちの思いがどれだけそこからずれているかを知り、神の願われるところに立ち返って行くことにあるのであろう。

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ヨブ 15:1 テマン人エリファズは答えた。
15:2 知恵ある者が空虚な意見を述べたりその腹を東風で満たしたりするであろうか。
15:3 無益な言葉をもって論じたり役に立たない論議を重ねたりするであろうか。
15:4 あなたは神を畏れ敬うことを捨て嘆き訴えることをやめた。
15:5 あなたの口は罪に導かれて語り舌はこざかしい論法を選ぶ。
15:6 あなたを罪に定めるのはわたしではなくあなた自身の口だ。あなたの唇があなたに不利な答えをするのだ。
15:7 あなたは最初の人間として生まれたのか。山より先に生まれたのか。
15:8 神の奥義を聞き知恵を自分のものとしたのか。
15:9 あなたの知っていることでわたしたちの知らないことがあろうか。わたしたちには及びもつかないことをあなたが悟れるというのか。
15:10 わたしたちの中には白髪の老人もありあなたの父より年上の者もある。
15:11 神の慰めなどは取るに足らない優しい言葉は役に立たない、というのか。
15:12 なぜ、あなたは取り乱すのか。なぜ、あなたの目つきはいらだっているのか。
15:13 神に向かって憤りを返しそんな言葉を口に出すとは何事か。
15:14 どうして、人が清くありえよう。どうして、女から生まれた者が正しくありえよう。
15:15 神は聖なる人々をも信頼なさらず天すら、神の目には清くない。
15:16 まして人間は、水を飲むように不正を飲む者憎むべき汚れた者なのだ。
15:17 あなたに語ろう、聞きなさい。わたしに示されたことを告げよう。
15:18 それは賢者たちの示したところそれを彼らの父祖も隠さなかった。
15:19 これらの父祖にのみ、この地は与えられており異国の者が侵すことはなかった。
15:20 さて、悪人の一生は不安に満ち暴虐な者の生きる年数も限られている。
15:21 その耳には恐ろしい騒音が響く。平安のさなかに略奪者が彼を襲うのだ。
15:22 暗黒を逃れうるとはもう信じられない。彼の前には剣が待つのみだ。
15:23 彼はパンを求めてどことも知らずにさまよい暗黒の訪れる時が間近いことを知る。
15:24 苦しみと悩みが彼を脅かし戦いを挑む王のように攻めかかる。
15:25 彼は神に手向かい全能者に対して傲慢にふるまい
15:26 厚い盾をかざして頑に神に向かって突進した。
15:27 顔は脂ぎって腰にはぜい肉がついていたが
15:28 滅ぼされた町、無人となった家瓦礫となる運命にある所に彼は住まねばならないであろう。
15:29 再び富むことなく、力も永らえずその家畜は地に広がらない。
15:30 彼は暗黒から逃れられない。熱風がその若枝を枯らし神の口の息が吹き払う。
15:31 惑わされてむなしいものを信じるな。その報いはむなしい。
15:32 時が来る前に枯れ枝はその緑を失う。
15:33 未熟な実を荒らされるぶどうの木花を落とすオリーブの木のようになる。
15:34 神を無視する者の一族に子は生まれず賄賂を好む者の天幕は火に焼き尽くされる。
15:35 彼は苦しみをはらみ、災いを生む。その腹は欺きをはぐくむ。

ヨブと3人の友人の議論が一回りし、ついに、二回り目へと突入していく。
二度目ともなると、エリファズの言葉は、遠慮のない厳しい批判の言葉となっており、ヨブが神に対してつぶやいていること自体を持って罪を犯していると批判し始めるのである。
もはやそれは、慰めでも励ましでもなく、単なる批判であり、裁きの言葉、さらなる争いを引き起こす言葉の暴力とも言えるだろう。
しかし、ここでエリファズが行っているようなことは、私たちの人間関係においても、残念ながら、よく見られることであろう。
正義を振りかざし、相手を打ち負かし、争いはいよいよエスカレートしていく。
そもそも、そこまで言い争うつもりなどなかったはずであろう。
しかし、一言、口を開いたばかりに、議論は次第に攻撃へと変わっていくのである。
言葉数が多ければ説得できるものでもない。
むしろ、言葉数が多ければ多いほど、人を傷つけてしまうこともある。
言葉はもろ刃の剣。
人を傷つける言葉で、実は、自分にも刃が向いている。
語る言葉で、まず自分が利いていかなければなるまい。
そして、言葉を発する口から最も近い耳は、自分の耳である。
まずは自分自身を顧みることを怠らないよう心掛けたいものである。

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ヨブ 14:1 人は女から生まれ、人生は短く苦しみは絶えない。
14:2 花のように咲き出ては、しおれ影のように移ろい、永らえることはない。
14:3 あなたが御目を開いて見ておられるのはこのような者なのです。このようなわたしをあなたに対して裁きの座に引き出されるのですか。
14:4 汚れたものから清いものを引き出すことができましょうか。だれひとりできないのです。
14:5 人生はあなたが定められたとおり月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない。
14:6 御目をこのような人間からそらせてください。彼の命は絶え傭兵のようにその日を喜ぶでしょう。
14:7 木には希望がある、というように木は切られても、また新芽を吹き若枝の絶えることはない。
14:8 地におろしたその根が老い幹が朽ちて、塵に返ろうとも
14:9 水気にあえば、また芽を吹き苗木のように枝を張る。
14:10 だが、人間は死んで横たわる。息絶えれば、人はどこに行ってしまうのか。
14:11 海の水が涸れ川の流れが尽きて干上がることもあろう。
14:12 だが、倒れ伏した人間は再び立ち上がることなく天の続くかぎりはその眠りから覚めることがない。
14:13 どうか、わたしを陰府に隠してください。あなたの怒りがやむときまでわたしを覆い隠してください。しかし、時を定めてくださいわたしを思い起こす時を。
14:14 人は死んでしまえばもう生きなくてもよいのです。苦役のようなわたしの人生ですから交替の時が来るのをわたしは待ち望んでいます。
14:15 呼んでください、わたしはお答えします。御手の業であるわたしを尋ね求めてください。
14:16 その時には、わたしの歩みを数えてください。わたしの過ちにもはや固執することなく
14:17 わたしの罪を袋の中に封じ込めわたしの悪を塗り隠してください。
14:18 しかし、山が崩れ去り岩がその場から移され
14:19 水が石を打ち砕き大地が塵となって押し流される時が来ても人の望みはあなたに絶たれたままだ。
14:20 あなたは人をいつまでも攻め、追いやられる。あなたは彼の顔かたちを変えて、追い払われる。
14:21 その子らが名誉を得ても、彼は知ることなく彼らが不幸になっても、もう悟らない。
14:22 彼はひとり、その肉の痛みに耐え魂の嘆きを忍ぶだけだ。

苦難が続くと、健全な人生を送り、前向きな考え方をしていた人であっても、悲観的になり、やがて絶望的な考え方に支配されてしまう。
人は生きていても意味などないし、死んだほうがましと考える。
しかし、その一方で、つぶやきのことばが出てくるということは、人は生きようとしているし、生きたいと願っているのである。
ヨブもまた「どうか、わたしを陰府に隠してください。あなたの怒りがやむときまでわたしを覆い隠してください。しかし、時を定めてくださいわたしを思い起こす時を。」と語り、自分の命を終えることを言葉では願いつつ、本心では生きることを願い、神の祝福があることを望んでいるのである。
人の心は矛盾に満ちている。
矛盾しているから、自分のなかでの整合性が取れなくなり、混乱し、苦しむのかもしれない。
この世に生きている限り、人が様々な困難や試練から避けられないのなら、「主よ、なぜですか?」と問うよりも「主よ、お助け下さい」と本心と一致した言葉を紡いでいった方がいいのかもしれない。
下手な知恵で繕おうとするより、下手なことばでも良いから、真実な祈りを捧げて行けば良いのだろう。
主なる神様は、言葉巧みな飾りの祈りよりも、小さな本音の祈りを聞いていて下さる。
そう信じて祈り続けていきたいものである。

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