聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇126:1 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いてわたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのようにわたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

イスラエルにおける、度重なる奴隷の歴史は、まさに、人間がこの世では常に罪と死の奴隷の状態にあることを象徴している。
そして、主なる神さまは、そこからの解放と、喜びに満ちた永遠の御国への希望を抱かせてくれるのだ。
その約束があるからこそ、人は涙ながらに種をまき続けることができる。
たとえ今、どんなに辛く厳しい現実の中に置かれていようとも、私たちは種を撒く。
やがて種が芽生え、育ち、豊かな実りをもたらすことを期待して。
主は必ず、約束されたことを実現なさるお方だから。
イスラエルの歴史がそれを証明している。

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黙示録12:7 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、
12:8 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
12:9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
12:10 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。
12:11 兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
12:12 このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」

黙示録には、天使ミカエルが竜とその使いたち、すなわち、悪魔の勢力を打ち倒し、その結果、悪魔の勢力が天に居場所を失い、地上に投げ落とされたということが記されている。
それが何を指し示しているのか、はっきりとしたことは分からない。
しかし、もはや、天においては、悪魔や悪霊たちの居場所はないということであり、キリストの血によって贖われ、天の御国に入れられる約束を頂いたものは、もはやそこでは、二度と悪魔の攻撃を受けることはないということなのであろう。
地上には様々な困難がある。
しかし、それも、天における永遠の幸いに比べれば、一時のことなのかもしれない。
大切なことは、天使見返るは、悪魔を地に追いやり、地上においては、主ご自身が、これに完全に勝利されたということである。
困難な時代であろうとも、このことを常に忘れないでいたい。

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詩篇125:1 主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。
125:2 山々はエルサレムを囲み主は御自分の民を囲んでいてくださる今も、そしてとこしえに。
125:3 主に従う人に割り当てられた地に主に逆らう者の笏が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように。
125:4 主よ、良い人、心のまっすぐな人を幸せにしてください。
125:5 よこしまな自分の道にそれて行く者を主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。イスラエルの上に平和がありますように。

山々に囲まれた盆地に暮らしていて良いことは、比較的、風が穏やかであることだ。
その分、気温が上がったり、下がったりもするが、前に進むのが困難なほどの強風に悩まされることはない。
そのため、あんがい、海沿いの風の強い地域よりも厳しい寒さを感じられない。
実際の気温は低いのだが、体感温度が違うということだろう。

世の中には、一見、富や財産に囲まれて、平安に過ごしているように見える人たちも、心の中には、厳しい強風が吹きつけているかもしれない。
一方、たとえ貧しくても、主に信頼し、心穏やかに過ごしているならば、その体感温度は温かい。
主が私たちを囲み、あらゆる災いから守り支えて下さる限り。

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詩篇124:1 イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら
124:2 主がわたしたちの味方でなかったならわたしたちに逆らう者が立ったとき
124:3 そのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
124:4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
124:5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう驕り高ぶる大水が。」
124:6 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
124:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のようにわたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
124:8 わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある。

私たちには、どんなに抵抗しようにも、どうしても勝てない敵がある。
死である。
しかし、我らの主イエス様は、その敵を打ち破り、私たちに勝利を賜った。
主イエス様が私たちの味方であるということは、なんという幸いであろうか。
もし、このお方が私たちの味方でなかったならどうなっていたか。
もはや、想像することすら避けたいと思わされる。
それほどに主が与える救いの約束は、私たちに真の平安を与えてくれるものである。
これからもその約束を、信じて従い続けていきたいものである。

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詩篇123:1 目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます天にいます方よ。
123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎはしためが女主人の手に目を注ぐようにわたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ憐れみを待ちます。
123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
123:4 平然と生きる者らの嘲笑に傲然と生きる者らの侮りにわたしたちの魂はあまりにも飽かされています。

私たちは、主人が何をしようかと見極めるために、その主人の手を注視する僕のように、神様が私たちに何をしようとしているのかを注視する。
それは、愛と憐れみに満ちた、救いの御業である。
そして、私たちの周りに大勢群がる嘲る者たちから、守り、支えて下さることを期待するのだ。
私たちの唯一の希望は、主なる神にのみあるのだから。

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詩篇122122:1 主の家に行こう、と人々が言ったときわたしはうれしかった。
122:2 エルサレムよ、あなたの城門の中にわたしたちの足は立っている。
122:3 エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い
122:4 そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
122:5 そこにこそ、裁きの王座がダビデの家の王座が据えられている。
122:6 エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように。
122:7 あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。」
122:8 わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように。」
122:9 わたしは願おうわたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように。」

真の王なる神によって統治された王国は、そこに集う民にとって、最も幸いな場所であり、それが聖書の約束する天の都エルサレムである。
しかし、そこで大切なことは、神が民を正しい裁きで治めているということである。
その裁きとは、単に、悪い者が罰を受けることを恐れているような状態ではない。
むしろ、そのような事柄は、全て、御子イエス・キリストの十字架の贖いによって成し遂げられてしまっている。
だから、そこにあるのは、一切の罪や咎を完全に赦された者だけが味わうことのできる平安に満たされた「裁き」なのである。
このような場所に、一人でも多くの民が集められることを祈り願う。

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詩篇120:1 【都に上る歌。】苦難の中から主を呼ぶと主はわたしに答えてくださった。
120:2 「主よ、わたしの魂を助け出してください偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」
120:3 主はお前に何を与えお前に何を加えられるであろうか欺いて語る舌よ
120:4 勇士の放つ鋭い矢よえにしだの炭火を付けた矢よ。
120:5 わたしは不幸なことだメシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに住むとは
120:6 平和を憎む者と共にわたしの魂が久しくそこに住むとは。
120:7 平和をこそ、わたしは語るのに彼らはただ、戦いを語る。

昨夜は、検事が犯罪をでっち上げ、証拠を改ざんした疑いで逮捕されるという前代未聞のニュースが駆け巡った。
こんなことが普通に行われるのならば、社会の仕組みは、全て信用できないものとなってしまう。
しかし、もともと人間は全て罪人であり、偽りに満ちた者であるということを知る者にとって、さして驚くべきことでもないのかもしれない。
悲しいけれど、人は信用できないもの。
しかし、神は違う。
人がどんなに偽りに満ち、争いを好み、己の欲望のままに生きるとしても、主は我らの幸いを心から願っておられる。
その証は、御子キリストの十字架の死である。

人はその友のために命を捨てるという。これよりも大きな愛はない。

イエス様の愛が、一人でも多くの人々の心に知れ渡り、愛に包まれて生きるようになることを切に祈る。

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マタイ9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

イエス様は、収税人であったマタイをご自分の弟子として召された。
それは、彼が、イスラエルの人々の中にあって、自分の置かれている状況や、自分の罪に対して悩みを抱えていた人であったのだろう。
イエス様がそのような人を召されたのは、同じような苦しみを知る人々への伝道のためであったのかもしれない。
エゼキエルの箇所には、主なる神さまが、難しい外国語を話す民に遣わすのではなく、同じ言葉を語る同胞の民に遣わすということが語られているが、日本語を話し、日本人として救われた者の持つ使命は、自ずと明らかになってくると思う。

ある宣教師は「あなたがたは、世界で最も難しい言葉(日本語)を話せるのだから、何でもできるだろう」と言われたことがある。
確かに、日本語は、日本人にとっても時に難しいこともある。
しかし、私たちは、この国で生まれ、この国で育ち、そして、やがてこの国で死んでいくのだ。
だから、この国の人たちに、真の救いがあることを伝えたい。
伝えねばなるまい。
主イエス様が私と共に食卓におられるのだから。

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詩篇119:145 心を尽くして呼び求めます。主よ、わたしに答えてください。わたしはあなたの掟を守ります。
119:146 あなたを呼びます、お救いください。わたしはあなたの定めを守ります。
119:147 夜明けに先立ち、助けを求めて叫び御言葉を待ち望みます。
119:148 わたしの目は夜警に先立ちあなたの仰せに心を砕きます。
119:149 主よ、慈しみ深くわたしの声を聞きあなたの裁きによって命を得させてください。
119:150 悪だくみをもって迫害する者が近づきます。彼らはあなたの律法に遠いのです。
119:151 主よ、あなたは近くいてくださいます。あなたの戒めはすべて真実です。
119:152 あなたの定めを見てわたしは悟ります。それがいにしえからのものでありあなたによってとこしえに立てられたのだ、と。
119:153 わたしの苦しみを顧みて助け出してください。わたしはあなたの律法を決して忘れたことはありません。
119:154 わたしに代わって争い、わたしを贖い仰せによって命を得させてください。
119:155 神に逆らう者に、救いは遠い。あなたの掟を尋ね求めないからです。
119:156 主よ、あなたの憐れみは豊かです。あなたの裁きによって命を得させてください。
119:157 わたしを迫害する者、苦しめる者は多いがわたしはあなたの定めから離れません。
119:158 欺く者を見れば忌むべきものと思います。彼らはあなたの仰せを守りません。
119:159 御覧くださいわたしはあなたの命令を愛しています。主よ、慈しみ深くわたしに命を得させてください。
119:160 御言葉の頭はまことです。あなたはとこしえに正しく裁かれます。
119:161 地位ある人々が理由もなく迫害しますがわたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。
119:162 仰せを受けてわたしは喜びます多くの戦利品を得たかのように。
119:163 わたしは偽りを忌むべきこととして憎みあなたの律法を愛します。
119:164 日に七たび、わたしはあなたを賛美しますあなたの正しい裁きのゆえに。
119:165 あなたの律法を愛する人には豊かな平和がありつまずかせるものはありません。
119:166 主よ、わたしは御救いを仰いで待ちあなたの戒めを実行します。
119:167 わたしの魂はあなたの定めを守りそれをどこまでも愛します。
119:168 あなたの定めと命令を守っています。わたしの道はすべて御前にあるとおりです。
119:169 主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。御言葉をあるがままに理解させてください。
119:170 わたしの嘆願が御前に達しますように。仰せのとおりにわたしを助け出してください。
119:171 わたしの唇から賛美が溢れるでしょうあなたが掟を教えてくださいますから。
119:172 わたしの舌はあなたの仰せを歌うでしょうあなたの戒めはことごとく正しいのですから。
119:173 あなたの御手はわたしの助けとなるでしょうあなたの命令を選び取ったのですから。
119:174 主よ、御救いをわたしは望みます。あなたの律法はわたしの楽しみです。
119:175 わたしの魂が命を得てあなたを賛美しますように。あなたの裁きがわたしを助けますように。
119:176 わたしが小羊のように失われ、迷うときどうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません。

主なる神さまに祈り、叫び、救いと祝福の約束の故に、感謝し、そして賛美する。
美しいまでの人と神のあるべき姿であると言える。
大切なことは、人が神に対し、正面から顔を向き合い、相対していることである。
そうでない場合、それは、あるべき姿ではなく、罪の姿である。
神さまに顔をそむけている状態は、罪の姿であり、滅んでいる状態である。
たとえどんなに元気に暮らしていても、心が神に向かっていないならば、滅んでいる。

命は神にある。
その神との交わりを持つ者だけが生きている。

1ヨハネ1:3 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。
1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
1:6 わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

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詩篇119:121 わたしは正しい裁きを行います虐げる者にわたしをまかせないでください。
119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者がわたしを虐げませんように。
119:123 御救いを待って、わたしの目は衰えましたあなたの正しい仰せを待って。
119:124 慈しみ深くあなたの僕のために計らってください。あなたの掟をわたしに教えてください。
119:125 わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくださればあなたの定めを知ることができます。
119:126 主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています。
119:127 それゆえ、金にまさり純金にまさってわたしはあなたの戒めを愛します。
119:128 それゆえ、あなたの命令のすべてに従ってわたしはまっすぐに歩き偽りの道をことごとく憎みます。
119:129 あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
119:130 御言葉が開かれると光が射し出で無知な者にも理解を与えます。
119:131 わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
119:132 御顔をわたしに向け、憐れんでください御名を愛する者への裁きに従って。
119:133 仰せのとおりわたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
119:134 虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:135 御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
119:136 わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。
119:137 主よ、あなたは正しくあなたの裁きはまっすぐです。
119:138 あなたは定めを与えられました。それはまことに正しく確かな定めです。
119:139 わたしの熱情はわたしを滅ぼすほどです敵があなたの御言葉を忘れ去ったからです。
119:140 あなたの仰せは火で練り清められたもの。あなたの僕はそれを愛します。
119:141 わたしは若く、侮られていますがあなたの命令を決して忘れません。
119:142 恵みの御業はとこしえに正しくあなたの律法はまことです。
119:143 苦難と苦悩がわたしにふりかかっていますがあなたの戒めはわたしの楽しみです。
119:144 あなたの定めはとこしえに正しいのですからわたしに理解させ、命を得させてください。

主の御言葉を慕い求めるあまり、世の人々とは異なる歩みを続け、その結果、虐げられてしまうこともある。
そんな時、「主よ、私を憐れみ、私を助けてください」と祈るだろう。
そして、主なる神を信じない者への正しい裁きを訴えることもある。
しかし、その裁きとは、決して打たれるだけを求めるのではない。
むしろ、主を信じない者たちが、一日も早く主を信じるようになり、我々と同じ幸いにあずかることができるように祈ることが大切ではないだろうか。
この詩篇の作者の涙と祈りは、そのことに気づかせてくれる。
聖書の御言葉が、単なる人の言葉ではなく、聖霊に導かれて記された「神の言葉」である所以であると言えるだろう。

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