聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇 75:1 【指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。賛歌。アサフの詩。歌。】
75:2 あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし 人々は驚くべき御業を物語ります。
75:3 「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。
75:4 地はそこに住むすべてのものと共に 溶け去ろうとしている。しかし、わたしは自ら地の柱を固める。〔セラ
75:5 わたしは驕る者たちに、驕るなと言おう。逆らう者に言おう、角をそびやかすなと。
75:6 お前たちの角を高くそびやかすな。胸を張って断言するな。」
75:7 そうです、人を高く上げるものは 東からも西からも、荒れ野からも来ません。
75:8 神が必ず裁きを行い ある者を低く、ある者を高くなさるでしょう。
75:9 すでに杯は主の御手にあり 調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み おりまで飲み干すでしょう。
75:10 わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ ヤコブの神にほめ歌をささげます。
75:11 「わたしは逆らう者の角をことごとく折り 従う者の角を高く上げる。」

神のなさる裁きは、驕る者を砕き、虐げられている者を救い出すものである。
確かにその通りであり、神は必ず正しい裁きを行われるのだろう。
しかし、表題の「滅ぼさないください」に合わせて、という記述に注目すると、主なる神の本意は、善人であろうと悪人であろうと、本来は神が創られた人であるが故、なんとかして救いたいというところにあるのではないのだろうか。
私たち人間は、自分と意見が合わず、価値観の違う者を、すぐに敵と断定し、簡単に裁きの対象としてしまう傾向がある。
しかし、神はどう見ておられるのか、といった視点に立つことが大切なのではないだろうか。

マタイ 5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

主なる神様は、もともと神に敵対していた我々を愛し、救って下さった。
そんな我々が、どの口で「あの人を滅ぼしてください」などと言えるだろうか。
我々にできることは、一人一人が悔い改めて神の御前に立ち、救いの恵みを受けるようになることを祈るだけである。

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