デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




マルコ 8:22 一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。
8:23 イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。
8:24 すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」
8:25 そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。
8:26 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

イエス様は、目の見えない人を癒された。
生まれつき目の見えなかった人にとって、モノが見えるということは、はじめての経験であり、どう表現して良いのか分からないほど、大きな感動と喜びを体験したことであろう。
手に触れたりすることで、だいたいの人の大きさや形は分かっていたとしても、それを視覚として体験できたのであるから、その驚きや戸惑いは、想像をこえるものであると思う。
私たちがイエス様に救っていただくことも、そういう体験と似ているのかもしれない。
救いの出来事は、今までに経験したことのない、まったく初めての経験である。
どう表現していいのか分からない、大きな感動と喜び、そして、そこから始まる新しい人生に、驚きや戸惑いも感じる事だろう。
イエス様による救いは、そういうものである。
何か、他の楽しいこと、嬉しいこととは違う、別次元の体験なのだと思う。
今一度、イエス様に救われていることの素晴らしさを思い返し、新しい次元の喜びに生きる人生を歩んでいきたいものである。

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