聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ゼカリヤ 13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。
13:2 その日が来る、と万軍の主は言われる。わたしは数々の偶像の名をこの地から取り除く。その名が再び唱えられることはない。また預言者たちをも、汚れた霊をも、わたしはこの地から追い払う。
13:3 それでもなお預言する者がいれば、彼はその生みの親である父からも母からも、「主の御名において偽りを告げたのだから、お前は生きていてはならない」と言われ、その預言のゆえに生みの親である父と母によって刺し貫かれる。
13:4 その日、預言者たちは皆、預言をしても自分の幻のゆえに恥を受け、欺くための毛皮の外套を着るのをやめ、
13:5 「わたしは預言者ではない、土を耕す者だ。わたしは若いときから土地を所有している」と言う。
13:6 また、「あなたの胸にあるこの傷はどうしたのか」と問われると、「それは友人の家で受けたものだ」と答えるであろう。
13:7 剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ わたしの同僚であった男に立ち向かえと 万軍の主は言われる。羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ。
13:8 この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。
13:9 この三分の一をわたしは火に入れ 銀を精錬するように精錬し 金を試すように試す。彼がわが名を呼べば、わたしは彼に答え 「彼こそわたしの民」と言い 彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。

詩篇 80:2 イスラエルを養う方 ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ 御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください
80:3 エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい わたしたちを救うために来てください。
80:4 神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:5 万軍の神、主よ、あなたの民は祈っています。いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。
80:6 あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ なお、三倍の涙を飲ませられます。
80:7 わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ 敵はそれを嘲笑います。
80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:18 御手があなたの右に立つ人の上にあり 御自分のために強められた 人の子の上にありますように。
80:19 わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。
80:20 万軍の神、主よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。

黙示録 14:6 わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、
14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
14:8 また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
14:9 また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、
14:10 その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。
14:11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」
14:12 ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。
14:13 また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」"霊"も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」



羊の群れを導く羊飼いの仕事は、実に困難なものであると言えるだろう。
なぜなら、羊は一匹ではなく、多くの羊たちがいるからであり、それぞれが好き勝手に行動するから、である。
だから、どんなに数が多くなっても、結局は一対一で相手をしなければならないことになる。
それは人間でも同じ。
一人一人がそれぞれの思いや考えを持って生きているため、十把一絡げのようにはいかない。
しかも、求めているものや、願っていることなどが、みな違う。
本人にとっては、素晴らしいものと思っていても、別の人には何の価値もないどころか、害悪に思えるようなこともあるだろう。
多くの人が集まるところで、様々なことが一致していくなどということは、もともとも不可能なことなのだろう。
そのような状況下にあって、私たちはキリストの救いの約束にあって一つとされている。
救われた者として、同じ仲間である。
考え方の違いや思考の違いなどはあっても、一致できることは必ずある。
その点については譲れないけれど、他のことについては、ある程度、寛容になってもいいのではないだろうか。
「私だけが正しく主を信じており、私だけが真実を知っている」と思うのは良いが、それによって「自分自身」を神とし、偶像を礼拝していないだろうか。
本当の神を見上げた時、人は己の罪深さにざんげするほかないはずであろう。
けれど、本当の神のところには赦しと救いがあるのだから、きっと、そこには幸いがある。
己の考えでもたらされる偽の幸いに縛られず、本当の幸い、本当の平安のあるところに心の目を向けて歩んでいきたい。

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エゼキエル 33:7 人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。
33:8 わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。
33:9 しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。
33:10 人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。
33:11 彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
33:12 人の子よ、あなたの同胞に言いなさい。正しい人の正しさも、彼が背くときには、自分を救うことができない。また、悪人の悪も、彼がその悪から立ち帰るときには、自分をつまずかせることはない。正しい人でも、過ちを犯すときには、その正しさによって生きることはできない。
33:13 正しい人に向かって、わたしが、『お前は必ず生きる』と言ったとしても、もし彼が自分自身の正しさに頼って不正を行うなら、彼のすべての正しさは思い起こされることがなく、彼の行う不正のゆえに彼は死ぬ。
33:14 また、悪人に向かって、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、
33:15 すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
33:16 彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は必ず生きる。
33:17 それなのに、あなたの同胞は言っている。『主の道は正しくない』と。しかし正しくないのは彼らの道である。
33:18 正しい人でも、正しさから離れて不正を行うなら、その不正のゆえに彼は死ぬ。
33:19 また、悪人でも、悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、それゆえに彼は生きる。
33:20 それなのに、お前たちは言っている。『主の道は正しくない』と。イスラエルの家よ、わたしは人をそれぞれの道に従って裁く。」

詩篇 7:1  シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。
7:2 わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。
7:3 獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から だれも奪い返し、助けてくれないのです。
7:4 わたしの神、主よ もしわたしがこのようなことをしたのなら わたしの手に不正があり
7:5 仲間に災いをこうむらせ 敵をいたずらに見逃したなら
7:6 敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき わたしの命を地に踏みにじり わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。
7:7 主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり 憤りをもって身を起こし わたしに味方して奮い立ち 裁きを命じてください。
7:8 諸国をあなたの周りに集わせ 彼らを超えて高い御座に再び就いてください。
7:9 主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してください お前は正しい、とがめるところはないと。
7:10 あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方 神は正しくいます。
7:11 心のまっすぐな人を救う方 神はわたしの盾。
7:12 正しく裁く神 日ごとに憤りを表す神。
7:13 立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし 弓を引き絞って構え
7:14 殺戮の武器を備え 炎の矢を射かけられます。
7:15 御覧ください、彼らは悪をみごもり 災いをはらみ、偽りを生む者です。
7:16 落とし穴を掘り、深くしています 仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
7:17 災いが頭上に帰り 不法な業が自分の頭にふりかかりますように。
7:18 正しくいます主にわたしは感謝をささげ いと高き神、主の御名をほめ歌います。

ヨハネ 5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
5:20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
5:21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
5:22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
5:23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
5:24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
5:30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
5:31 「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
5:32 わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
5:33 あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。
5:34 わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。
5:35 ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。
5:36 しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
5:37 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。
5:38 また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
5:39 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
5:40 それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。



主なる神様は、人を滅ぼすためではなく、救うために御子イエス様をこの世にお送りになった。
人の全ての罪を償うために、イエス様の命を代価として十字架にかけられたのである。
それは、どんな悪人であろうと、このイエス様の救いの御業に頼ろうとするならば、罪を赦して頂き、救っていただけるのである。
イエス様のご生涯は、そのことを証ししており、十字架のイエス様の姿こそが、神の御心そのものを表していると言える。
もうすぐクリスマスがやってくる。
イエス様のお誕生をお祝いする日であるが、神様の愛と救いの全てを現わされた日でもある。
どうかこの世界に生きる誰か一人でも、このクリスマスに神の真実を知ることができるように。
イエス様と出会って、神に愛されている幸いと喜びを受け取ることができますように。

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エステル 8:3 エステルは、再び王の前に申し出て、その足もとにひれ伏し、涙を流し、憐れみを乞い、アガグ人ハマンの悪事、すなわち、ユダヤ人に対して彼がたくらんだことを無効にしていただくことを願った。
8:4 王が金の笏を差し伸べたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、
8:5 言った。「もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけていただけますなら、アガグ人ハメダタの子ハマンの考え出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしようとしてあの文書を作りました。
8:6 私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。」
8:7 そこでクセルクセス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない。
8:8 お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」
8:9 そのころ、第三の月のこと、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官が召集され、インドからクシュに至るまで、百二十七州にいるユダヤ人と総督、地方長官、諸州の高官たちに対してモルデカイが命ずるがままに文書が作成された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人にはユダヤ文字とその言語で、
8:10 クセルクセス王の名によって書き記され、王の指輪で印を押してあった。その文書は王家の飼育所で育てられた御用馬の早馬に乗った急使によって各地に届けられた。
8:11 こうして王の命令によって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された。
8:12 これはクセルクセス王の国中どこにおいても一日だけ、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日と定められた。
8:13 この文書の写しはどの州でもすべての民族に国の定めとして公示され、ユダヤ人は敵に復讐するためその日に備えるようになった。
8:14 御用馬の早馬に乗った急使は王の命令によって直ちに急いで出立し、要塞の町スサでもこの定めが言い渡された。
8:15 モルデカイが紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着け、王の前から退出してくると、スサの都は歓声に包まれた。
8:16 それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。
8:17 王の命令とその定めが届くと、州という州、町という町で、ユダヤ人は喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を過ごした。その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多く出た。ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。

詩篇 7:1  シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。
7:2 わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。
7:3 獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から だれも奪い返し、助けてくれないのです。
7:4 わたしの神、主よ もしわたしがこのようなことをしたのなら わたしの手に不正があり
7:5 仲間に災いをこうむらせ 敵をいたずらに見逃したなら
7:6 敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき わたしの命を地に踏みにじり わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。
7:7 主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり 憤りをもって身を起こし わたしに味方して奮い立ち 裁きを命じてください。
7:8 諸国をあなたの周りに集わせ 彼らを超えて高い御座に再び就いてください。
7:9 主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してください お前は正しい、とがめるところはないと。
7:10 あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方 神は正しくいます。
7:11 心のまっすぐな人を救う方 神はわたしの盾。
7:12 正しく裁く神 日ごとに憤りを表す神。
7:13 立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし 弓を引き絞って構え
7:14 殺戮の武器を備え 炎の矢を射かけられます。
7:15 御覧ください、彼らは悪をみごもり 災いをはらみ、偽りを生む者です。
7:16 落とし穴を掘り、深くしています 仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
7:17 災いが頭上に帰り 不法な業が自分の頭にふりかかりますように。
7:18 正しくいます主にわたしは感謝をささげ いと高き神、主の御名をほめ歌います。

黙示録 19:1 その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
19:2 その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、御自分の僕たちの流した血の復讐を、彼女になさったからである。」
19:3 また、こうも言った。「ハレルヤ。大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」
19:4 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座に座っておられる神を礼拝して言った。「アーメン、ハレルヤ。」
19:5 また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、小さな者も大きな者も、わたしたちの神をたたえよ。」
19:6 わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。
19:7 わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。
19:8 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
19:9 それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。


真の神を信じる者たちは、やがて栄光の日に、神の御もとに集められ、すべての涙も嘆きも取り除かれた幸いな交わりに与る事になるのであろう。
聖書はそれを預言している。
しかし、神の御言葉は、常に真実であり、真実な神が語られた言葉は、既に実現したのと同等である。
ならば、黙示録などに描かれている神の祝宴の交わりの中にいるのは、神を信じる私たちなのだ。
これは、既に実現した約束に等しい。
そんな幸いな約束を先んじて味わう事ができているのが、毎週の聖日に行われる礼拝である。
礼拝は神が実現された救いの喜びを共に祝う祝宴の場でもある。
願わくは、そのような喜びを共有する交わりとして、聖日の礼拝を守りたい。

「小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」
「これは、神の真実の言葉である」

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エステル 2:1 その後、怒りの治まったクセルクセス王は、ワシュティとそのふるまい、彼女に下した決定を口にするようになった。
2:2 王に仕える侍従たちは言った。「王のために美しいおとめを探させてはいかがでしょうか。
2:3 全国各州に特使を送り、美しいおとめを一人残らず要塞の町スサの後宮に集め、後宮の監督、宦官ヘガイに託し、容姿を美しくさせるのです。
2:4 御目にかなう娘がいれば、ワシュティに代わる王妃になさってはいかがでしょうか。」これは王の意にかない、王はそうすることにした。
2:5 要塞の町スサに一人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属していた。
2:6 この人は、バビロン王ネブカドネツァルによって、ユダ王エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。
2:7 モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。
2:8 さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が要塞の町スサのヘガイのもとに集められた。エステルも王宮に連れて来られ、後宮の監督ヘガイに託された。
2:9 彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官七人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。
2:10 エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。
2:11 モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた。
2:12 十二か月の美容の期間が終わると、娘たちは順番にクセルクセス王のもとに召されることになった。娘たちには六か月間ミルラ香油で、次の六か月間ほかの香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていた。
2:13 こうして、どの娘も王のもとに召されたが、後宮から王宮に行くにあたって娘が持って行きたいと望むものは何でも与えられた。
2:14 娘は夜行き、朝帰って別の後宮に連れて行かれ、側室たちの監督、宦官シャアシュガズに託された。王に望まれ、名指しで呼び出されるのでなければ、だれも再び行くことはなかった。
2:15 モルデカイの伯父アビハイルの娘で、モルデカイに娘として引き取られていたエステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った。
2:16 さて、エステルは王宮のクセルクセス王のもとに連れて行かれた。その治世の第七年の第十の月、すなわちテベトの月のことである。
2:17 王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。
2:18 次いで、王は盛大な酒宴を催して、大臣、家臣をことごとく招いた。これが、「エステルの酒宴」である。更に、王は諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。

詩篇 7:1  シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。
7:2 わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。
7:3 獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から だれも奪い返し、助けてくれないのです。
7:4 わたしの神、主よ もしわたしがこのようなことをしたのなら わたしの手に不正があり
7:5 仲間に災いをこうむらせ 敵をいたずらに見逃したなら
7:6 敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき わたしの命を地に踏みにじり わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。
7:7 主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり 憤りをもって身を起こし わたしに味方して奮い立ち 裁きを命じてください。
7:8 諸国をあなたの周りに集わせ 彼らを超えて高い御座に再び就いてください。
7:9 主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してください お前は正しい、とがめるところはないと。
7:10 あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方 神は正しくいます。
7:11 心のまっすぐな人を救う方 神はわたしの盾。
7:12 正しく裁く神 日ごとに憤りを表す神。
7:13 立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし 弓を引き絞って構え
7:14 殺戮の武器を備え 炎の矢を射かけられます。
7:15 御覧ください、彼らは悪をみごもり 災いをはらみ、偽りを生む者です。
7:16 落とし穴を掘り、深くしています 仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
7:17 災いが頭上に帰り 不法な業が自分の頭にふりかかりますように。
7:18 正しくいます主にわたしは感謝をささげ いと高き神、主の御名をほめ歌います。

2テモテ 2:8 イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
2:9 この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
2:10 だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
2:11 次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。
2:12 耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。
2:13 わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。」



イエス様を信じて救われた者は、罪の支配から解放されて、自由と喜びを与えられたものとなる。
が、実際にはどうかというと、あいかわらず罪の誘惑にさらされ続けているし、私たちを取り巻く環境は、必ずしも好ましいものとは言えないかもしれない。
それでも私たちは救われている、そう神が宣言されているのだから、どんなに私たちが試練と思わしき実情の中にいたとしても、私たちの救いは永遠に変わることは無い。
ならば、救いは約束されているのなら、むしろ、喜んで今の状況を喜ぶこともできるかもしれない。
現状は悲惨なように見えても、神の救いは成し遂げられているという、この現実を、ありえないはずの事が起きてしまっている事実を、喜んで受け止めていたい。
パウロは囚われの身でありながら、神の言葉は繋がれていないとも語っているように。
何かに囚われているようでも、私たちは真理の約束のゆえに、自由であり、滅びから解放され、永遠に生きるものとされていることを覚えたい。

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イザヤ 44:21 思い起こせ、ヤコブよ イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。
44:22 わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
44:23 天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い イスラエルによって輝きを現された。
44:24 あなたの贖い主 あなたを母の胎内に形づくられた方 主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。
44:25 むなしいしるしを告げる者を混乱させ 占い師を狂わせ 知者を退けてその知識を愚かなものとする。
44:26 僕の言葉を成就させ 使者の計画を実現させる。エルサレムに向かって、人が住み着く、と言い ユダの町々に向かって、再建される、と言う。わたしは廃虚を再び興す。
44:27 深い水の底に向かって、乾け、と言い お前の大河をわたしは干上がらせる、と言う。
44:28 キュロスに向かって、わたしの牧者 わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い 神殿には基が置かれる、と言う。

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

マタイ 12:46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
12:47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
12:48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
12:49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」


イザヤ書の箇所には、主なる神様がイスラエルの民を僕と呼び、主のもとに立ち帰るように贖われたものであるということが語られている。
贖われるということは、囚われているものを身代金を支払って買い戻すことを示し、一般的には奴隷を解放するような場合に用いられる言葉であろう。
そう考えると、僕として招かれても、引き続き、神に仕えなければならない奴隷のように思えるかもしれない。
しかし、私たちを贖われた神は、この世界を創り、全てを治めておられる主なる神であり、自分の利益のためだけに他人を酷使するような自分勝手で極悪な主人ではなく、御自分の命の代価を支払ってまで私たちを奴隷のような状態から解放しようとしてくださったお方なのである。
奴隷というのは、もちろん、罪の奴隷であり、贖われる前の方が、罪を主人とするような哀れな状態であったことを忘れてはならない。
そして、神の御子イエス様の命の代価を支払って愛の方のもとに買い戻された私たちは、今や、神の子として、神の家族の一員として、まことの愛の神の恵みの支配のもとに生かしてもらえるのである。
不幸な奴隷状態から、幸いな僕へと、私たちは贖われた。
この救いの御業を成し遂げて下さったイエス様をまことの救い主としてあがめたい。
そして、これからも主イエス様のもとに生きていこう。

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歴代誌上 17:1 ダビデは王宮に住むようになり、預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ。」
17:2 ナタンはダビデに言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。神はあなたと共におられます。」
17:3 しかし、その夜、ナタンに臨んだ神の言葉は次のとおりであった。
17:4 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。わたしのために住むべき家を建てるのはあなたではない。
17:5 わたしはイスラエルを導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕から天幕へ、幕屋から幕屋へと移って来た。
17:6 わたしはすべてのイスラエルと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民を牧するようにと命じたイスラエルの士師の一人にでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
17:7 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
17:8 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名を与えよう。
17:9 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に虐げられることもない。
17:10 わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしはことごとく屈服させる。わたしはあなたに告げる。主が、あなたのために家を建てる。
17:11 あなたが生涯を終え、先祖のもとに行くとき、あなたの子孫、あなたの子の一人に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
17:12 この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の王座をとこしえに堅く据える。
17:13 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしはあなたに先立つ者から取り去ったように、彼から慈しみを取り去りはしない。
17:14 わたしは彼をとこしえにわたしの家とわたしの王国の中に立てる。彼の王座はとこしえに堅く据えられる。」
17:15 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

黙示録 22:1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
22:3 もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。
22:5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。
22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」



歴代誌に記されている事柄は、エルサレムに神殿を建設するのが誰であるか、また、それによって、永遠のダビデ王国が建立されるであろうことについて語られている。
この預言の言葉は、ダビデの子、ソロモンの時代に一時的に成就したかのように見えるかもしれないが、その後の王国の行く末を見ると、それが永遠にかくりつされたものではなく、この預言の言葉は未だ成就していないことが伺えるだろう。
そして、現代のイスラエルも、この預言の成就を待ち望んでおり、周辺国家との様々ないさかいの原因にもなっていると言える。
しかし、これらの預言は、イエス様の到来により、永遠の救いが完成していると言え、私たちの救いはもはや約束されたものとして、神の国の幸いな様子も黙示録などに預言されているのである。
つまり、神が預言された永遠の王国は、この地上に完成するものではないし、ましてや、軍事や経済などによって力づくで確立されるものでもない。
そのような王国が永遠に続かないことは、ソロモンの時代以降に証明されているとも言える。
主なる神様は、この地上に、人間の手による王国が建設されることなど求められてもいないし、神殿の建設もそうであろう。
人が建てたものは、やがて崩れ去る。
ただ、まことの神であり、まことの人であるイエス様が建てられた救いの王国は永遠である。
このことが預言されている聖書の御言葉に信頼し、そこに立ち、歩むものとならせていただきたいものである。

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列王記上 22:13 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」
22:14 ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って、
22:15 王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。
22:16 そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、
22:17 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」
22:18 イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」
22:19 だが、ミカヤは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。
22:20 主が、『アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上らせて倒れさせるのは誰か』と言われると、あれこれと答える者がいましたが、
22:21 ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ました。主が、『どのようにそうするのか』とただされると、
22:22 その霊は、『わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります』と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよ』と言われました。
22:23 今御覧のとおり、主がこのあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです。」

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

黙示録 14:1 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
14:2 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。
14:3 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。
14:4 彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、
14:5 その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。
14:6 わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、
14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
14:8 また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
14:9 また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、
14:10 その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。
14:11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」


イスラエルの王アハブから、アラムへに対する共闘を依頼されたユダの王ヨシャファトは、アハブが多くのバアル預言者らに伺いを立てていることに違和感を抱き、他に真実の神の御言葉を告げる者がいないのかと尋ね、預言者ミカヤが呼ばれることになる。
しかし、ミカヤは、いわゆる王に忖度するような偽りの預言者ではなく、容赦なく真実を語る者であることは分かっていたのであろう。
ヨシャファトは、ミカヤがアラムへの進軍には参加すべきではないという言葉を期待していたのかもしれない。
しかし、ミカヤの答えは、アハブと共に進軍すればよろしい、というものであった。
これに対し、ユダの王ヨシャファトは、ミカヤが偽りの預言をして自分たちを陥れようとしているとミカヤを批判するのだが、ヨシャファトとしては、イスラエルと共闘してアラムに進軍することを望んでいたに違いないのだから、そこはクレームを言う場面ではないはずである。
つまりヨシャファト自身も、イスラエルと共闘してアラムに進軍しても、良い結果にはならないことをうすうす感じていたということなのだろう。
ではなぜヨシャファトはこのような態度を取ったかと言うと、ミカヤの言葉にとげがあったからであり「あなたたちが望むとおりアラムに進軍して敗北すればよろしい」といった意味で語られている事を理解したからである。
アラムに進軍するということだけを取れば、ミカヤの言葉はヨシャファトにとっても好ましいものであったかもしれない。
しかし、その後の結果はまるで逆の敗北、なのである。
人は誰も、自分の思う通りに事を運び、その結果、勝利というか、好ましい結果となることを望む。
おそらく、それしか考えないし、その通りにならないことは受け入れようとしない。
ヨシャファトの場合、アラムに進軍するという行為だけを見れば、御心に沿っているが、その後の敗北については受け入れない、つまり頑ななのだ。
もしヨシャファトが本当に神の御声に聞き従い、御心のみを受け入れようとしていたならば、ミカヤの語る本当の言葉、すなわち「アラムに進軍すべきではない」というメッセージに聞き従っていれば、悲惨な結果にはならなかったはずである。
世の中には、自分の思い通りにならないことや、受け入れがたく思えることも多々あるだろう。
けれど、なるようにしかならないこともあるし、自分の理想ばかりを頑なに追い求めていても、ますます悲惨な状態になるばかりである。
真の神が何を望まれ、何をなそうとしておられるのかということに、しっかりと目を留め、御声を聞き分け、御心の道に従っていきたいものである。

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ヨブ記 16:1 ヨブは答えた。
16:2 そんなことを聞くのはもうたくさんだ。あなたたちは皆、慰める振りをして苦しめる。
16:3 「無駄口はやめよ」とか 「何にいらだって そんな答えをするのか」と言う。
16:4 わたしがあなたたちの立場にあったなら そのようなことを言っただろうか。あなたたちに対して多くの言葉を連ね あなたたちに向かって頭を振り
16:5 口先で励まし 唇を動かすことをやめなかっただろうか。
16:6 語っても苦しみはやまず 黙っていても、それは去りません。
16:7 もう、わたしは疲れ果てました。わたしの一族をあなたは圧倒し
16:8 わたしを絞り上げられます。このわたしの姿が証人となり わたしに代わって抗議するでしょう。
16:9 神がわたしを餌食として、怒りを表されたので 敵はわたしを憎んで牙をむき、鋭い目を向ける。
16:10 彼らは大口を開けて嘲笑い 頬を打って侮辱し 一団となってわたしに向かって来る。
16:11 神は悪を行う者にわたしを引き渡し 神に逆らう者の手に任せられた。
16:12 平穏に暮らしていたわたしを神は打ち砕き 首を押さえて打ち据え 的として立て
16:13 弓を射る者に包囲させられた。彼らは容赦なく、わたしのはらわたを射抜き 胆汁は地に流れ出た。
16:14 神は戦士のように挑みかかり わたしを打ち破り、なお打ち破る。
16:15 わたしは粗布を肌に縫い付け わたしの角と共に塵の中に倒れ伏した。
16:16 泣きはらした顔は赤く 死の闇がまぶたのくまどりとなった。
16:17 わたしの手には不法もなく わたしの祈りは清かったのに。
16:18 大地よ、わたしの血を覆うな わたしの叫びを閉じ込めるな。
16:19 このような時にも、見よ 天にはわたしのために証人があり 高い天には わたしを弁護してくださる方がある。
16:20 わたしのために執り成す方、わたしの友 神を仰いでわたしの目は涙を流す。
16:21 人とその友の間を裁くように 神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように。

詩篇 9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ 驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り 御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き 倒れて、滅び去った。
9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
9:8 主は裁きのために御座を固く据え とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め 国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に 主が砦の塔となってくださるように 苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
9:12 シオンにいます主をほめ歌い 諸国の民に御業を告げ知らせよ。
9:13 主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない。
9:14 憐れんでください、主よ 死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。御覧ください わたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。
9:15 おとめシオンの城門で あなたの賛美をひとつひとつ物語り 御救いに喜び躍ることができますように。

マタイ 24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」



ヨブ記の箇所には、ヨブの嘆きの祈りの言葉が記されている。
嘆きと言うよりも、呪いであったり、魂の叫びであったり、それはそれで真実な祈りの言葉なのだろう。
私たちも時々そんな魂の叫びとも言えるような祈りをしている。
あんまり好ましいことではないのかもしれないが、時にはそういう叫びも必要であろう。
ただ、それを誰に向けて訴えるのかは大事なこと。
他人に向けて訴えたところで、新たな争いの火種となったり、関係が悪化したりするだけで、あまり良いことはない。
けれど、神に訴えるならば、確かに言葉は汚れていても、切実な祈りであるのなら、それはそれで神の御もとに届くには違いない。
願わくは、賛美と感謝、主をほめたたえるような祈りばかりを捧げたいものではあるが、所詮愚かな罪人であるなら、少々開き直って、祈れるだけ神に祈り倒してみるのも良い。
世の中には、泣きわめいたり、歯ぎしりしたくなるようなこともたくさんある。
そんな時こそ、神のみもとに立ち帰り、魂の叫びのごとく祈りを捧げたいものである。

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ゼカリヤ 2:5 わたしが目を留めて見ると、ひとりの人が測り縄を手にしているではないか。
2:6 「あなたはどこに行かれるのですか」と尋ねると、彼はわたしに、「エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです」と答えた。
2:7 わたしに語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、
2:8 彼に言った。「あの若者のもとに走り寄って告げよ。エルサレムは人と家畜に溢れ 城壁のない開かれた所となる。
2:9 わたし自身が町を囲む火の城壁となると 主は言われる。わたしはその中にあって栄光となる。

詩篇 9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ 驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り 御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き 倒れて、滅び去った。
9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
9:8 主は裁きのために御座を固く据え とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め 国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に 主が砦の塔となってくださるように 苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
9:12 シオンにいます主をほめ歌い 諸国の民に御業を告げ知らせよ。
9:13 主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない。
9:14 憐れんでください、主よ 死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。御覧ください わたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。
9:15 おとめシオンの城門で あなたの賛美をひとつひとつ物語り 御救いに喜び躍ることができますように。

1テサロニケ 5:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、
5:13 また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。
5:14 兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。
5:15 だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。



3年前に新型コロナが流行し、世界中の人たちが混乱し、教会もまた礼拝を休止するなど、様々な影響を被った。
その際、多くの教会で、インターネットを利用して、礼拝の様子を配信するなどして、どうにか教会の働きを続けていくことができた。
そんな中、福山の教会の信徒の方のお母さまの所属している関西の教会では、そういった礼拝配信がなされていないため、一時的に、私どもの教会の礼拝の様子を見て下さったようである。
その方は、当時、大病を患い、全身に麻痺が残るような状態で、思うように体も動かせず、言葉も上手く話せない状態で、さぞ辛く、苦しい時を過ごされていたことと思う。
ようやくコロナの影響も下火になり、移動できるようになったため、広島にいる娘さんのところに何度か訪ねてこられた。
インターネットでの配信ではなく、実際の礼拝でお会いしたということらしい。
そして、今週は現在同居しておられる岐阜の息子さんの家から、わざわざ福山まで訪ねてきて下さり、共に礼拝の恵みにあずかることができた。
その際、上記のテサロニケの手紙の言葉が引用され、礼拝後に、この言葉は自分の相性聖句だと言って、喜びと感謝を表して下さった。
体もしびれて思うように動かせないし、言葉も上手く話すこともできず、もどかしさや辛さもあるのだろうと思うのに、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝しますと。
今の世界、多くの方々が心も体も弱り果ててしまっているかもしれない。
少しでも励まし、喜びを共にすることができるよう、慰めに満ちた聖書の言葉をお伝えしていきたい。
そのためにも、まずは自分自身、いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝していよう。


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ゼカリヤ 1:7 ダレイオスの第二年十一月、シェバトの月の二十四日に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。
1:8 「その夜、わたしは見た。ひとりの人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。
1:9 わたしが、『わが主よ、これは何ですか』と尋ねると、ひとりの御使いがわたしに語りかけ、『それが何なのか、教えよう』と言った。
1:10 すると、ミルトスの林の中に立っている人が答えて、『これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ』と言った。
1:11 彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた。『わたしたちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています。』
1:12 それに答えて、主の御使いは言った。『万軍の主よ、いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています。』
1:13 わたしに語りかけた御使いに、主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた。
1:14 わたしに語りかけた御使いはわたしに言った。『呼びかけて言え、万軍の主はこう言われる。わたしはエルサレムとシオンに 激しい情熱を傾け
1:15 安穏にしている諸国の民に対して激しく怒る。わたしはわずかに怒っただけだが 彼らはそれに乗じて災いをもたらした。
1:16 それゆえ、主はこう言われる。わたしは憐れみをもってエルサレムに帰り わが家をそこに建て直させると 万軍の主はこう言われる。エルサレムには、測り縄が張られる。
1:17 再び、呼びかけて言え。万軍の主はこう言われる。わたしの町々は再び恵みで溢れ 主はシオンを再び慰め エルサレムを再び選ばれる。』」

詩篇 9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ 驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り 御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き 倒れて、滅び去った。
9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
9:8 主は裁きのために御座を固く据え とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め 国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に 主が砦の塔となってくださるように 苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
9:12 シオンにいます主をほめ歌い 諸国の民に御業を告げ知らせよ。
9:13 主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない。
9:14 憐れんでください、主よ 死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。御覧ください わたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。
9:15 おとめシオンの城門で あなたの賛美をひとつひとつ物語り 御救いに喜び躍ることができますように。

ローマ 2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
2:2 神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
2:3 このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
2:5 あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
2:7 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
2:8 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
2:9 すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
2:10 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
2:11 神は人を分け隔てなさいません。


主なる神様がなさる裁きは人を悔い改めへと導く、とある。
一方で、人が裁く裁きは、さらなる怒りや争いを招くだけではなかろうか。
世に完全なる正しい人などいないのだから、正しい裁きもないと言える。
もちろんそれは、誰かが行っている裁きもそうかもしれないが、私自身が勝手に裁くその裁きも歪んでいるということである。
他人を裁く暇があるのなら、その分を善のために用いたほうが良い。
人には時間と賜物が神から与えられているが、それはごくごく限られたものであり、無為に過ごしていれば、どんどん失われていく。
今日、誰か一人にでも喜んでもらえたら、それが幸い。
今日出会う方お一人お一人に、神様の祝福が豊かにありますように。


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