聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨハネ 1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

先日、信徒のための研修会があり、家族伝道について学ぶ機会があった。
学ぶというより、考えるといったほうがいいかもしれない。
研修会では、講師の先生から、「みなさんの教会では、家族伝道や個人伝道について、教会として、どんな活動をしたり、どういう風にバックアップしていますか?」と問われ、恥ずかしながら、何も考えていなかったことを痛感させられた。
家族への伝道や、個人伝道などは、個人個人が担うもので、教会が働きかけるものという認識はなかったからである。
特に、長年共に暮らしている家族への伝道は難しい。
ならば、同じような境遇にある人で、先に救われた者が、そういう環境にある人の伝道のお手伝いをする、そういう意識付けを広げていくだけでも、教会としての取り組みにもなろう。

アンデレはもともとヨハネの弟子であったが、「見よ、神の小羊だ」との言葉に、イエス様こそ真の救い主、従うべき師と知り、以降、イエス様に従っていった。
そして、ペテロを導くという、おそらく、世界で最初の家族伝道を成し遂げた人物である。
彼は自分の兄弟ペテロをイエス様のもとに連れて行っただけである。
もちろん、いろんなことを話していただろう。
ヨハネの弟子であった時代にも、何度かペテロを誘っていたかもしれない。
けれど、ヨハネの弟子であった時代にはうまくいかなかった伝道も、イエス様に従っていったことで成功しているのである。
イエス様に従っていくこと、それが生活にどのような変化をもたらすのかわからないが、家族への伝道を進めていくためには、きっと重要なことなのだろうと思う。
まずはみ言葉に聞き、祈り、礼拝し、感謝してみよう。
そこからきっと驚くべきことが始まるであろうから。

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ダニエル 2:1 ネブカドネツァル王が即位して二年目のことであった。王は何度か夢を見て不安になり、眠れなくなった。
2:2 王は命令を出して、占い師、祈祷師、まじない師、賢者を呼び出し、自分の夢を説明させようとした。彼らが王の前に進み出ると、
2:3 王は言った。「夢を見たのだが、その夢の意味を知りたくて心が落ち着かない。」
2:4 賢者たちは王にアラム語で答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。どうぞ僕らにその夢をお話しください。解釈を申し上げます。」
2:5 王は賢者たちに答えた。「いいか、わたしの命令は絶対だ。もしお前たちがわたしの見た夢を言い当て、その解釈をしてくれなければ、お前たちの体を八つ裂きにし、お前たちの家も打ち壊す。
2:6 しかし、もしわたしの見た夢を言い当て、正しく解釈してくれれば、ほうびとして贈り物と大いなる名誉を授けよう。だから、その夢を言い当て、解釈してみよ。」
2:7 彼らは繰り返し答えた。「王様、どうぞその夢をお聞かせください。僕らはその解釈をいたしましょう。」
2:8 王は言った。「思ったとおりだ。わたしの命令が必ず実行されることを知っているので、時間を稼ごうとしているのだ。
2:9 その夢を話して聞かせることができなければ、お前たちに下される判決は今言ったとおりだ。だから、わたしの前でうそをついたり、いいかげんなことを述べ立てたりして、わたしの考えが変わるまで時を稼ごうとしているにちがいない。さあ、夢を話してみよ。そうすれば、解釈できるかどうかも分かるだろう。」
2:10 賢者たちは王に答えた。「王様のお求めに応じることのできる者は、この地上にはおりません。大王や支配者の中のだれも、そのようなことを占い師、祈祷師、賢者に求めたことはございません。
2:11 王様のお求めになることは難しく、これに応じることのできるのは、人間と住まいを共になさらぬ神々だけでございましょう。」
2:12 王は激しく怒り、憤慨し、バビロンの知者を皆殺しにするよう命令した。
2:13 知者を処刑する定めが出されたので、人々はダニエルとその同僚をも殺そうとして探した。
2:14 バビロンの知者を殺そうと出て来た侍従長アルヨクにダニエルは思慮深く賢明に応対し、
2:15 この王の高官アルヨクに尋ねた。「どうして王様はこのような厳しい命令を出されたのですか。」アルヨクはダニエルに事情を説明した。
2:16 ダニエルは王のもとに行って、願った。「しばらくの時をいただけますなら、解釈いたします。」
2:17 ダニエルは家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに事情を説明した。
2:18 そして、他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。
2:19 すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた。ダニエルは天の神をたたえ、
2:20 こう祈った。「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。
2:21 神は時を移し、季節を変え王を退け、王を立て知者に知恵を、識者に知識を与えられる。
2:22 奥義と秘義を現し闇にひそむものを知り光は御もとに宿る。
2:23 わたしの父祖の神よ、感謝と賛美をささげます。知恵と力をわたしに授け今、願いをかなえ王の望むことを知らせてくださいました。」
2:24 それから、ダニエルはバビロンの知者皆殺しの命を受けていたアルヨクのもとに行って、こう言った。「バビロンの知者を殺さないでください。わたしを王様のもとに連れて行ってくだされば、王様に解釈を申し上げます。」
2:25 そこで、アルヨクはおそるおそるダニエルを王のもとに連れて出て、こう言った。「ユダの捕囚の中に、一人の男が見つかりました。王様に解釈を申し上げると言っております。」
2:26 王はベルテシャツァルの名を持つダニエルに尋ねた。「わたしの見た夢を言い当て、それを解釈してくれると言うのか。」
2:27 ダニエルは王に答えた。「王様がお求めになっている秘密の説明は、知者、祈祷師、占い師、星占い師にはできません。
2:28 だが、秘密を明かす天の神がおられ、この神が将来何事が起こるのかをネブカドネツァル王に知らせてくださったのです。王様の夢、お眠りになっていて頭に浮かんだ幻を申し上げましょう。
2:29 お休みになって先々のことを思いめぐらしておられた王様に、神は秘密を明かし、将来起こるべきことを知らせようとなさったのです。
2:30 その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべてにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです。
2:31 王様、あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。
2:32 それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、
2:33 すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。
2:34 見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。
2:35 鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。
2:36 これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。
2:37 王様、あなたはすべての王の王です。天の神はあなたに、国と権威と威力と威光を授け、
2:38 人間も野の獣も空の鳥も、どこに住んでいようとみなあなたの手にゆだね、このすべてを治めさせられました。すなわち、あなたがその金の頭なのです。
2:39 あなたのあとに他の国が興りますが、これはあなたに劣るもの。その次に興る第三の国は青銅で、全地を支配します。
2:40 第四の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが、あらゆるものを破壊する鉄のように、この国は破壊を重ねます。
2:41 足と足指は一部が陶工の用いる陶土、一部が鉄であるのを御覧になりましたが、そのようにこの国は分裂しています。鉄が柔らかい陶土と混じっているのを御覧になったように、この国には鉄の強さもあります。
2:42 足指は一部が鉄、一部が陶土です。すなわち、この国には強い部分もあれば、もろい部分もあるのです。
2:43 また、鉄が柔らかい陶土と混じり合っているのを御覧になったように、人々は婚姻によって混じり合います。しかし、鉄が陶土と溶け合うことがないように、ひとつになることはありません。
2:44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。
2:45 山から人手によらず切り出された石が、鉄、青銅、陶土、銀、金を打つのを御覧になりましたが、それによって、偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり、解釈もまちがいございません。」
2:46 これを聞いたネブカドネツァルはひれ伏してダニエルを拝し、献げ物と香を彼に供えさせた。
2:47 王はダニエルに言った。「あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない。」
2:48 王はダニエルを高い位につけ、多くのすばらしい贈り物を与え、バビロン全州を治めさせ、バビロンの知者すべての上に長官として立てた。
2:49 ダニエルは王に願って、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州の行政官に任命してもらった。ダニエル自身は王宮にとどまった。

ダニエル書2章には、バビロンの王ネブカドネツァルが家来らに自分が見た夢を解き明かすよう命じ、誰もそれを解き明かすことができず、ついに、ダニエルがそれを解き明かした、という内容のことが記されている。
しかし、この章の中ほどで、ダニエルは主なる神に祈り、ダニエルに対してネブカドネツァルの見た夢の解き明かしを示されたと記されているが、神がダニエルを通して示されたのは、これから世界に起ころうとしていることを告であり、言うなれば、それは神がダニエルを通して預言の言葉を語られたということである。
つまり、神がこれから起ころうとしていることを告げられるために、ダニエルを用い、さらに言うなれば、バビロンの王ネブカドネツァルをも用いられたということであろう。
つまり、このような出来事を通して、主なる神様が預言された、ということである。
このようなことは、きわめて特殊な例と言えるかもしれないが、実はそうでもなく、主なる神様は、特に旧約の時代には、イスラエルの民族の歴史を通して神の救いのご計画を語られているのであり、その記述は、実に様々である。
しかし、その内容は、一本筋の通った内容となっており、スタイルは様々でも、神が人を愛し、救おうとご計画されたことが実現していく様子が、歴史を通して物語られているのである。
そう考えるならば、このダニエルの夢の解き明かしの出来事も、このような出来事を通して、神は最初からご自身のご計画を示そうとされたと言えるのであろう。
歴史には学ぶことが多い。
特に、神と共に歩んだ旧約のイスラエルの歴史はとても興味深いものがある。
難しいこともたくさん書かれているけれども、神が人類を救おうとして、このような出来事が生じたのだという観点で読んでいくと、より聖書に対する理解も深められるのではないかと思う。

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ダニエル 1:1 ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。
1:2 主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。
1:3 さて、ネブカドネツァル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、
1:4 体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。
1:5 王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした。
1:6 この少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。
1:7 侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ。
1:8 ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。
1:9 神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。
1:10 侍従長はダニエルに言った。「わたしは王様が恐ろしい。王様御自身がお前たちの食べ物と飲み物をお定めになったのだから。同じ年ごろの少年に比べてお前たちの顔色が悪くなったら、お前たちのためにわたしの首が危うくなるではないか。」
1:11 ダニエルは、侍従長が自分たち四人の世話係に定めた人に言った。
1:12 「どうかわたしたちを十日間試してください。その間、食べる物は野菜だけ、飲む物は水だけにさせてください。
1:13 その後、わたしたちの顔色と、宮廷の肉類をいただいた少年の顔色をよくお比べになり、その上でお考えどおりにしてください。」
1:14 世話係はこの願いを聞き入れ、十日間彼らを試した。
1:15 十日たってみると、彼らの顔色と健康は宮廷の食べ物を受けているどの少年よりも良かった。
1:16 それ以来、世話係は彼らに支給される肉類と酒を除いて、野菜だけ与えることにした。
1:17 この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。
1:18 ネブカドネツァル王の定めた年数がたつと、侍従長は少年たちを王の前に連れて行った。
1:19 王は彼らと語り合ったが、このダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤと並ぶ者はほかにだれもいなかったので、この四人は王のそばに仕えることになった。
1:20 王は知恵と理解力を要する事柄があれば彼らに意見を求めたが、彼らは常に国中のどの占い師、祈祷師よりも十倍も優れていた。
1:21 ダニエルはキュロス王の元年まで仕えた。

ダニエル書は、バビロンによるイスラエル侵攻の記述から始まっている。
それは、とても悲惨な歴史であったに違いない。
しかし、バビロンがなぜイスラエルを攻めたのかを考えると、やはり彼らに対する恐れや警戒があったからであろう。
それほど、イスラエルの民が神に祝福された民であり、優れた人々が多かったことを物語っている。
その中に、ダニエルら四人の若者がいた。
彼らの名は、ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤといい、しかしながら、バビロンに移住させられて後は、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと改名させられている。
名前を変えられることは屈辱的なことであったであろうけれども、生きていくために必要なことでもあった。
そして、彼らは、野菜と水だけで暮らし、神の知恵に満たされた活動を行っていったのである。
神の知恵と言うが、それは、神を畏れることによる平安をよりどころとする生き方であろう。
神をよりどころとして生きる者は、何事にも動じないし、何が大切かと言うことが分かっている。
ただそれだけのことなのだが、神なき人生を歩んでいる人にとっては、驚くべきことなのかもしれない。
我々も、神なき人生を生きるのではなく、神と共に歩む、真に知恵に満ちた生涯を歩んでいきたいものである。

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ルカ 21:34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
21:35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
21:36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
21:37 それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。
21:38 民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。

嫌な事や悩み事があると、お酒に逃れようとする人がいると思う。
しかし、お酒を飲んだところで、それらから逃れることはできないし、お酒は感情を増幅させることもあり、かえって逆効果になる場合もある。
お酒を飲むこと自体は悪いことではないと思うが、用い方を誤ってはいけない。
特に、体を壊すような飲み方や、人との関わりを破壊するような飲み方は慎むべきであろう。
イエス様はいつでも人前に立つことができるよう、目を覚ましていなさい、と仰せられる。
いつも通り、祈り、働きをし、そして、いつも通り人と接していく。
このような生き方を続けることが大切であろう。


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ルカ 21:29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。
21:30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。
21:31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。
21:32 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
21:33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

太陽と月と星に徴が現れ、地上では海がどよめき荒れ狂い、諸国の民は、なすすべもなく、不安に陥る。
そして人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失い、天体が揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

こんな光景に出くわしたなら、確かに人は、不安と恐怖におののき、世界の滅亡を考えることだろう。
しかし、イエス様は、それを「いちじくの木などの葉が出始めると、夏が近づいたことを知ることができる」とたとえ、まるで、みずみずしい命あふれる新緑の季節にたとえて、神の国の到来を語るのである。
まるで、今の紅葉や落葉の季節とは真逆の光景なので、ついつい忘れがちであるが、イエス様は美しい新緑の頃を思い出すように促すのである。

もうすぐクリスマスを迎えようとしているが、もともとクリスマスの時期は定かではなく、北欧の国々の人たちが、暗く、長い冬が終わり、温かい春の日差しが戻ってくることを待望する日として、これから徐々に昼の時間が長くなる冬至の日に太陽神をあがめていたことに対抗し、クリスマスが制定されたと聞く。
信憑性はともかく、北欧の人たちが、温かい春を待ち望む気持ちは、外の景色とは違って、希望と喜びに満ちた時の始まりを思わせるものであったに違いない。
一番暗く、一番寒い時、しかし、そこから先は、明るく、温かい春へと向かっていく日の始まりでもある。

次の日曜から待降節に入りますが、教会歴では、待降節は新しい一年の始まりであり、その意味では、今日金曜日、そして、明日の安息の土曜が、まさに、今年最後の日なのかもしれません。
古きものは過ぎ去り、新しいものが訪れる。

2コリント5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
5:18 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
5:19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
5:20 ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
5:21 罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

暗く、寒く、先の見通しの悪い時代にあっても、永遠に変わらなない神のみ言葉を、世に宣べ伝えていく。
共に、この働きに携わらせていただきたいものである。

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ルカ 21:25 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
21:26 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
21:27 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
21:28 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

世の終わりには、天変地異も起こるであろうと予告されている。
ここのところ、毎日のように地震のニュースや異常気象のニュースなどが報道され、否応にも不安を掻き立てられるのではないだろうか。
しかし、イエス様の言葉には、希望がある。
そして、人を活かすのは、希望である。
このようなことが起こり始めたら、解放の時は近い、とイエス様は仰せられる。

マルティン・ルターは「世の終わりが明日来ようとも、私はリンゴの木を植える」といった言葉を残したと伝えられている。
真相はわからないが、含蓄ある言葉である。
ルターは、いかに今日が不安に満ちていようとも、明日に目を向けていたということは確かなことであろう。
イエス様の語られる希望の御言葉に信頼しつつ、たとえ今日が困難な日であろうとも、明日に向けて今日なすべきことを果たしていきたいものである。

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ルカ 21:20 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21:21 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。
21:22 書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。
21:23 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。
21:24 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

昨日は、東北地方沖で大きな地震が発生し、朝から緊迫した状況がニュース等で報道されていた。
実際に現地の方々がどのように思い、行動されたのかはわからないが、今日のニュースでは、自動車で非難する方が多く、道路が渋滞していたと報道されていた。
2011年の大震災でも同じような光景が広がり、多くの方がそれによって犠牲にあわれたという。
もちろん、足の不自由な方やお年寄りなど、車でなければ難しい方々もいらっしゃるだろう。
けれど、自力で歩くことのできる人は、やはり車は置いておいて逃げるべきなのだろう。
身重の女性、お年寄り、体の不自由な方が安心して暮らし、いざと言う時には、真っ先に避難誘導してあげられる、そんな社会になる事を祈りつつ。

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ルカ 21:1 イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
21:2 そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
21:3 言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
21:4 あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
21:6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

貧しいやもめが捧げたレプトン銅貨二枚は、現在の貨幣価値で言えば、五十円玉二枚程度と考えられる。
そして、それが彼女の全財産だったという。
一方、神殿は見事な石と奉納物で飾り立てられていて、あるところには、お金が有り余っていたのであろう。

現代は経済的な格差が広がっているという。
まさに、聖書のテキストに記されているようなことと同じようなことが起きているのかもしれない。
しかし、このようなことは、今に始まったことではなく、今まで隠されていたものが、明らかになり始めているということではないだろうか。
隠されていたベールが覆われ、次第に真実が明らかになる。
ただ、それは悪いことばかりではなく、良いことも明らかにになっていくだろう。

わずかな所持金を捧げたやもめの姿に真実な神への信頼が、そして、彼女に語られたイエス様の言葉に真実の祝福が明らかにされていることを心に留めたいものである。

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ルカ 20:41 イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
20:42 ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。
20:43 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで」と。』
20:44 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
20:45 民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。
20:46 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。
20:47 そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

メシアはダビデの子だ、と言う言葉には、メシアはダビデ以下の存在であるという意味合いが含まれていたのであろう。
イエス様はそれに対して、ダビデ自身もメシアを主と呼んでいることを引き合いに出し、メシアこそ真の主、まことの王であるということを示されるのである。

この世には、様々な価値観や思想があり、誰もが自分の考えていることが正しいと信じている。
そうしなければ生きていけないからだろう。
ただ、それが本当に正しいかどうかは別の問題であり、間違いが分かった時、かなりの衝撃を受けるだろう。
その時、どう立て直すか、どう生きていくか、それからが本当は大切なのだと思う。
ただ過ちを認めるだけではなく、そこからどう赦され、生かされていくか、そのようなことを考えながら、主イエス・キリストの十字架と復活を思う。

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雅歌 7:1 もう一度出ておいで、シュラムのおとめもう一度出ておいで、姿を見せておくれ。マハナイムの踊りをおどるシュラムのおとめになぜ、それほど見とれるのか。
7:2 気高いおとめよサンダルをはいたあなたの足は美しい。ふっくらとしたももはたくみの手に磨かれた彫り物。
7:3 秘められたところは丸い杯かぐわしい酒に満ちている。腹はゆりに囲まれた小麦の山。
7:4 乳房は二匹の子鹿、双子のかもしか。
7:5 首は象牙の塔。目はバト・ラビムの門の傍らにあるヘシュボンの二つの池。鼻はレバノンの塔、ダマスコを見はるかす。
7:6 高く起こした頭はカルメルの山。長い紫の髪、王はその房のとりこになった。
7:7 喜びに満ちた愛よあなたはなんと美しく楽しいおとめか。
7:8 あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
7:9 なつめやしの木に登り甘い実の房をつかんでみたい。わたしの願いはぶどうの房のようなあなたの乳房りんごの香りのようなあなたの息
7:10 うまいぶどう酒のようなあなたの口。
7:10 それはわたしの恋しい人へ滑らかに流れ眠っているあの人の唇に滴ります。
7:11 わたしは恋しい人のものあの人はわたしを求めている。
7:12 恋しい人よ、来てください。野に出ましょうコフェルの花房のもとで夜を過ごしましょう。
7:13 朝になったらぶどう畑に急ぎ見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りかざくろのつぼみも開いたか。それから、あなたにわたしの愛をささげます。
7:14 恋なすは香りそのみごとな実が戸口に並んでいます。新しい実も、古い実も恋しい人よ、あなたのために取っておきました。
8:1 あなたが、わたしの母の乳房を吸った本当の兄だと思う人ならわたしをとがめたりはしないでしょう外であなたにお会いしてくちづけするわたしを見ても。
8:2 わたしを育ててくれた母の家にあなたをお連れして香り高いぶどう酒をざくろの飲み物を差し上げます。
8:3 あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
8:4 エルサレムのおとめたちよ、誓ってください愛がそれを望むまでは愛を呼びさまさないと。
8:5 荒れ野から上って来るおとめは誰か恋人の腕に寄りかかって。
8:5 りんごの木の下でわたしはあなたを呼びさましましょう。あなたの母もここであなたをみごもりました。あなたを産んだ方もここであなたをみごもりました。
8:6 わたしを刻みつけてくださいあなたの心に、印章としてあなたの腕に、印章として。
8:6 愛は死のように強く熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。
8:7 大水も愛を消すことはできない洪水もそれを押し流すことはできない。愛を支配しようと財宝などを差し出す人があればその人は必ずさげすまれる。
8:8 わたしたちの妹は幼くて、乳房はまだない。この妹が求愛されたら、どうすればよいのか。
8:9 この子が城壁ならば、その上に銀の柵をめぐらしこの子が扉ならばレバノン杉の板で覆うことにしよう。
8:10 わたしは城壁、わたしの乳房は二つの塔。あの人の目には、もう満足を与えるものと見えています。
8:11 ソロモンはぶどう畑をバアル・ハモンに持っていてぶどうの世話を番人たちに任せました。番人たちはそれぞれのぶどうに代えて銀一千を納めます。
8:12 「これがわたしのぶどう畑、ソロモン様。銀一千はあなたの取り分。銀二百は世話をした番人へ。」
8:13 園に座っているおとめよ友は皆、あなたの声に耳を傾けている。わたしにも聞かせておくれ。
8:14 恋しい人よ急いでください、かもしかや子鹿のように香り草の山々へ。

雅歌は、聖書では珍しく、大人の男女の愛を歌ったものであり、生々しい表現も数多くみられる。
ただ、それらの愛の表現は、決していやらしいものではなく、女性の美しさを自然の美しさに例えたり、神の創造の御業の素晴らしさをたたえる中で交わされているものである。
つまり、それは、健全な形での愛の言葉の交換とも言え、男女の愛のあるべき姿を思わせるものと言えるのかもしれない。
そもそも神は、天地創造において、人と男と女とに造り、互いに助け合う存在としてふさわしいパートナーを与えられた。
それは、その人しかいないという関係において、愛が深められていく、はずであった。
残念ながら、人は罪を犯し、健全なる愛の形もゆがめられたものとなってしまったのかもしれないが、最初の神の意図は、今もなお、変わることはない。
愛は盲目とも言うが、ある意味、本当のことが見えにくくなっているのかもしれないが、本当の愛とはどういうものなのか、たえずみ言葉に聞きながら、正しい愛の形を取り戻していけることを願うものである。

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