聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




列王下 19:8 ラブ・シャケは、王がラキシュをたったということを聞いて引き返し、リブナを攻撃しているアッシリアの王と落ち合った。
19:9 王はそこでクシュの王ティルハカについて、「あなたと戦いを交えようと軍を進めている」との知らせを受けた。彼は再びヒゼキヤに使者を遣わして言わせた。
19:10 「ユダの王ヒゼキヤにこう言え。お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはないと思ってはならない。
19:11 お前はアッシリアの王たちが、すべての国々を滅ぼし去るために行ったことを聞いているであろう。それでも、お前だけが救い出されると言うのか。
19:12 わたしの先祖たちはゴザン、ハラン、レツェフおよびテラサルにいたエデンの人々を打ち滅ぼしたが、これらの諸国の神々は彼らを救いえたであろうか。
19:13 ハマトの王、アルパドの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこに行ったのか。」
19:14 ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、
19:15 主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。
19:16 主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。
19:17 主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、
19:18 その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。
19:19 わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」
19:20 アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『アッシリアの王センナケリブのことであなたがわたしにささげた祈りをわたしは聞いた。』
19:35 その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。
19:36 アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。
19:37 彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、アドラメレクとサルエツェルが彼を剣にかけて殺した。彼らはアララトの地に逃亡し、センナケリブに代わってその子エサル・ハドンが王となった。

詩篇 37:1  ダビデの詩。 悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
37:2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
37:3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
37:4 主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
37:6 あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを 真昼の光のように輝かせてくださる。
37:7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や 悪だくみをする者のことでいら立つな。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
37:9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

黙示 2:12 ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
2:16 だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。
2:17 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』
2:18 ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる。
2:19 「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。
2:20 しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。
2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
2:23 また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。
2:24 ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。
2:25 ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。
2:26 勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
2:27 彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕くように。
2:28 同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。
2:29 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。」』



黙示録が書かれたのは、イエス・キリストが十字架にかけられて殺され、復活し、その後、初代教会が誕生してから、まだそれほど時がたっていない頃であったと思われる。
しかし、時は経つにつれて、イエス様のことを知らない世代の者たちも増え、イエス様の教えを直接聞いたことのない人や、十字架の出来事を知らない人たちも徐々に増えつつあったと思われる。
そういった時代の移り変わりにおいて、信仰を継承していくことはなかなか難しいことではあるが、初代教会では、使徒たちを中心に、忠実な信仰継承が進められていたであろう。
しかし、中には、新たな刺激を求める者や、異教の様々な習慣を取り入れたりするなど、間違った教えも広がりつつあったものと思われる。
神を正しく礼拝している人達の中にも、偶像に捧げた肉を食べることで何等かのご利益があるかのように教える者たちも紛れ込んでいたことが伺える。
偶像にいけにえを捧げている時点で、もはや教会としてはありえないことなのだが、こうした行動は、徐々に習慣化されていく、ついにはそういった異教的な教えのほうが主流となっていくのであろう。
世の中には、キリスト教を名乗る異端の教えも数多くある。
多くの異端が「自分たちこそ正しく聖書を解釈している」などと主張しているが、たいていの場合、自分たちの都合の良い方向に解釈を捻じ曲げ、それを悪用し、人々を利用するために宗教の名を用いているに過ぎない。
某カルト教団などが最たる例であり、人々を幸せにするために活動しているとは言い難いのが現実であろう。
聖書の言葉は、人を救うために語られている。
他人を救い、幸いな人生を歩むことができるようになるために、イエス様は私たちの身代わりとなって十字架で死んで下さったのである。
聖書には、確かに時に厳しいと感じられるような言葉もあるけれども、それらの厳しい言葉は、イエス様の十字架によって引き受けられていることを知った時、私たちには大きな喜びと平安を頂くことができるのである。

コロサイ1:19 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。
1:23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。


罪深い私をも愛し、自らの命の代価を支払って救って下さったイエス様の十字架の御業を覚えつつ、赦されたもの、愛された者として、平安と喜びのうちに歩んで行きたいものである。

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列王下 18:1 イスラエルの王、エラの子ホシェアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
18:2 彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアビといい、ゼカルヤの娘であった。
18:3 彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、
18:4 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。
18:5 彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。
18:6 彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。
18:7 主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。
18:8 彼はペリシテ人を、ガザとその領域まで、見張りの塔から砦の町まで攻撃した。

18:28 ラブ・シャケは立ってユダの言葉で大声で呼ばわり、こう言い放った。「大王、アッシリアの王の言葉を聞け。
18:29 王はこう言われる。『ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちをわたしの手から救い出すことはできない。
18:30 ヒゼキヤはお前たちに、主が必ず我々を救い出してくださる、決してこの都がアッシリアの王の手に渡されることはない、と言って、主に依り頼ませようとするが、そうさせてはならない。』
18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王がこう言われるからだ。『わたしと和を結び、降伏せよ。そうすればお前たちは皆、自分のぶどうといちじくの実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる。
18:32 やがてわたしは来て、お前たちをお前たちの地と同じような地、穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブと新鮮な油と蜜の地に連れて行く。こうしてお前たちは命を得、死なずに済む』と。ヒゼキヤの言うことを聞くな。彼は、主は我々を救い出してくださる、と言って、お前たちを惑わしているのだ。
18:33 諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。
18:34 ハマトやアルパドの神々はどこに行ったのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこに行ったのか。サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。
18:35 国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか。」
18:36 しかし民は、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。

詩篇 37:1  ダビデの詩。 悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
37:2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
37:3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
37:4 主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
37:6 あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを 真昼の光のように輝かせてくださる。
37:7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や 悪だくみをする者のことでいら立つな。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
37:9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

黙示 2:8 スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。
2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。
2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。



目に見えない神を信じるということは、なかなか理解されないことが多いし、下手をすると迫害の対象となることもあるだろう。
それに対し、神を信じる者はあまりにも無力であり、なんの証明も、対抗する言葉もない。
下手に私たちの言葉で言い返そうとしても、かえって誤解を生じたり、誤った考え方を与えかねないし、だいいち、私たち自身、あまり心地のよいものでもない。
たとえ迫害されようとも、黙って静かに相手のために祈ることを続けるしかない。
けれども、それで良いのだろう。

ローマ5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

どんな時にも、どんな状況においても、永遠の命を与えて下さる主なる神様が私たちの味方であり、いつでも共にいて下さる。
だから、心を乱すことなく、良い時が訪れることを信じて、忍耐して待ちたい。
イエス様ご自身、捕らえられ、鞭打たれようとも、多くの人を救うため、静かに十字架へと歩んで行かれた。
何の力もない私が少々抵抗したところで、何の効果も意味もないかもしれないけれど、忍耐しつつ、主に祈り求めていくならば、きっと、神が共に働いて下さる。
事や人の心を動かすことができるのは、神だけだと思うから、主なる神様が私たちを通して働いて下さると信じて、祈りつつ、その時を待とう。

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ホセア 12:3 主はユダを告発される。ヤコブをその歩みにしたがって罰し その悪い行いに報いられる。
12:4 ヤコブは母の胎にいたときから 兄のかかとをつかみ 力を尽くして神と争った。
12:5 神の使いと争って勝ち 泣いて恵みを乞うた。神はベテルで彼を見いだし そこで彼と語られた。
12:6 主こそ万軍の神 その御名は主と唱えられる。
12:7 神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち 常にあなたの神を待ち望め。
12:8 商人は欺きの秤を手にし、搾取を愛する。
12:9 エフライムは言う。「わたしは豊かになり、富を得た。この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは だれも気づくまい。」
12:10 わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしは再びあなたを天幕に住まわせる わたしがあなたと共にあった日々のように。
12:11 わたしは預言者たちに言葉を伝え 多くの幻を示し 預言者たちによってたとえを示した。
12:12 ギレアドには忌むべきものがある。まことにそれらはむなしい。ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている。その祭壇は畑の畝に積まれた石塚にすぎない。
12:13 ヤコブはアラムの野に逃れ イスラエルは妻を得るために仕え また妻を得るために群れを守った。
12:14 主は一人の預言者によって イスラエルをエジプトから導き上らせ 預言者によって彼らを守られた。
12:15 エフライムは主を激しく怒らせた。主は流血の報いを彼に下し その恥辱を彼に返される。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

マタイ 19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。


ある金持ちの青年がイエス様に「永遠の命を得るためには、どんな善いこよをすればよいのでしょうか」と尋ねた。
しかし、その後のイエス様との問答を見る限り、彼の関心事は、死後にある永遠の命にではなく、この地上での生活やそれを保つための富の多さにあったようである。
イエス様はそれを見抜いておられたからこそ、このような対話をなさっておられるのであり、何も全ての人に対して、自分の持ち物を売って貧しい人に与えることを求めているというわけではないのだろう。
逆に、誰もがそんなことをし始めたら、生活に破たんする人が増えたり、社会は混乱するだけだろうし、あるいは、財産を分け与えられた人が、今度は逆に貧しくなった人を助けていかなければならなくなり、富を持つ者はとにかくその富を手放すことだけを徹底しても、何の意味も無いことになってしまうからである。
イエス様が言いたいのは、あなたの命を守るものは、富によるのではなく、神によるのだということを知るように、ということであり、たまたまこの青年がお金持ちで、富に対して執着し、それによって自分の平穏や幸いを保とうとしていたからこその勧めなのであろうと思われる。
つまり、このことは、私たちにとって自分が大切にしているものに数着し過ぎて、神を見失っている事への警告という意味合いがある、ということであろう。
ある人にとっては家族であったり、ある人にとっては仕事であったり、人は様々なものを生きがいとし、そのために生きていると考えがちであるが、確かにそれらのものは大切なものに違いないが、残念ながらそれによって永遠に滅びることのない命を得ることはできない。
ただただ私たちの罪の償いのために十字架で死なれたイエス様の贖いの御業による救いの約束だけがそれを可能とし、イエス様は私たちにそのことを信じるように導いておられるのである。
イエス様は、何も私たちが大事にしているものを手放し、何もかも捨てて従って来ることまで求めているのではなく、ただそれらによっては救いは得られないということを知って欲しいだけなのだろう。
むしろ、家族も仕事もお金も大事なものであり、大切に扱うべきもの。
イエス様の十字架の贖いによって救われ、永遠の命を頂いたものとして、それらの大事なものも、さらに大切に扱っていけたら、きっとそれが正解なのだろう。

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ホセア 10:9 イスラエルよ、ギブアの日々以来 お前は罪を犯し続けている。罪にとどまり、背く者らに ギブアで戦いが襲いかからないだろうか。
10:10 いや、わたしは必ず彼らを懲らしめる。諸国民は彼らに対して結集し 二つの悪のゆえに彼らを捕らえる。
10:11 エフライムは飼い馴らされた雌の子牛 わたしは彼女に脱穀させるのを好んだ。わたしはその美しい首の傍らに来た。エフライムに働く支度をさせよう。ユダは耕し、ヤコブは鋤を引く。
10:12 恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように。
10:13 ところがお前たちは悪を耕し 不正を刈り入れ、欺きの実を食べた。自分の力と勇士の数を頼りにしたのだ。
10:14 どよめきがお前の民に向かって起こり 砦はすべて破壊される。それはシャルマンがベト・アルベルを破壊し 母も子らも打ち殺したあの戦の日のようである。
10:15 ベテルよ、お前たちの甚だしい悪のゆえに 同じことがお前にも起こる。夜明けと共にイスラエルの王は必ず断たれる。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

ヤコブ 5:1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。
5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、
5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。
5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。
5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、
5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。


富める者と貧しい者、力ある者と弱いもの、権力を持つ者と虐げられる者、世界中に格差が拡がっていて、この日本の国も例外ではない。
富める者、力のある者たちが、弱く貧しい人たちをしいたげ、搾取して成り立つような世界に、いったいどんな幸いがあるのだろうか。
ロシアでは、戦争が思うように事を運ばず、多くの兵士たちが命を落とし、それを補うために、部分的動員令が行われ、予備役兵たちを募って戦場に送ることを考えているらしい。
戦争に反対し、デモに参加して捕まった人なども招集されたらしいが、戦争に反対している人達を戦場に送ったところで、思うような戦果をあげることなどできないことは明らかなはずなのに、国の指導者たちはそんなことも分からないのだろうか。まことに愚かなことである。
しかし、これが人間なのだ。
かくも人とは愚かな存在で、身勝手で、傲慢で、他人の幸せなど全く眼中にないのである。
主なる神様、こんなおろかな人間のために、自らの命を罪のいけにえとされ、救おうとされた。
貧しい人たちから搾取するのではなく、富める方、豊かな命と祝福の源であられるお方が、何も持たない私たちに救いを与えて下さったのである。
神のなさることは、人間のやることとは全く反対で、常に命と祝福を与えること、である。
私に戦争を止めることのできる力はないが、自分が接することのできる人たちに、少しでも喜んでもらえるように、私が神から受けたものを分け合っていけたらと思う。

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アモス 6:8 主なる神は御自分を指して誓われる。万軍の神なる主は言われる。わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い その城郭を憎む。わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。
6:9 もし、一軒の家に男が十人残っているなら、彼らも死ぬ。
6:10 親族と死体を焼く者が、彼らを家の中から運び出す。そのとき、一人が家の奥にいる者に、「まだ、あなたと共にいる者がいるのか」と尋ねると、「いない」と答え、「声を出すな、主の名を唱えるな」と言う。
6:11 見よ、主が命じられる。「大きな家を打って粉々にし 小さな家をみじんにせよ。」
6:12 馬が岩の上を駆けるだろうか 牛が海を耕すだろうか。お前たちは裁きを毒草に 恵みの業の実を苦よもぎに変えた。
6:13 お前たちはロ・ダバル(空虚)を喜び 「我々は自分の力で カルナイムを手に入れたではないか」と言う。
6:14 しかし、イスラエルの家よ わたしはお前たちに対して一つの国を興す。彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで お前たちを圧迫すると 万軍の神なる主は言われる。

詩篇 62:1  指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
62:4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり 人を倒れる壁、崩れる石垣とし
62:5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして 口先で祝福し、腹の底で呪う。
62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。

黙示 3:14 ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。
3:15 「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
3:16 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
3:17 あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
3:18 そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
3:19 わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
3:21 勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
3:22 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」



10月に行われる青年の集会で、聖書からメッセージを語ってくれるように頼まれた。
のはいいけれども、テーマは「戦争と愛」について。
なんとも難しいテーマであるし、こっちが教えて欲しいくらいである。
つべこべ言っても仕方がないが、やはり多くの人たちがウクライナで起きている戦争に関心があり、平和な国で暮らしている青年たちにとっても、心を痛める出来事なのだろうと思う。
どんな戦争にも、正しいかどうかは別として、大義名分が掲げられ、その大義のもとに、殺戮や破壊が行われていく。
殺戮や破壊が行われることに、なんら大義などないとは思うが、戦争を起こしている人達にとっては大事なことなのだろう。
ウクライナで起きている戦争は、もともとロシアとは姉妹国家のような非常に近しい民族の中で起きているため、我々のような異国のものにとっては、その理由や目的が分かりにくい。
何のために、なぜ起きているのか。
きっと、目に見えない所では、何等かの利害関係があって、戦争をしなければならない理由があるのだろう。
けれど、たとえ戦争を起こす理由があったとしても、結局は人間のよこしまな思いから出たものである。
私たちは、平和な国から遠くの町で起きている事として戦争のニュースに触れているが、たとえ平和な国で何も問題なく過ごしているように見えても、やっていることは本質的には同じなのかもしれない。
自分の欲望に従って、自分の都合のよい生き方を選び、その平和な生活の背後に、貧しい人たちや力の弱い人たちの犠牲があって成り立っているものもあるのだろう。
かえってそんな生き方を素知らぬ顔をして安寧に暮らしている人のほうが残酷なのかもしれない。
今、物の値段が急激に高騰しているが、これまでが安すぎたのだろうし、どこかで貧しい人たちや立場の弱い人たちを搾取していただけなのだろう。
自分さえ良ければ良いという生き方の先に、本当の平和は存在しないし、互いのことを労りあい、可能な限り助け合って生きていけるような、そんな世界になることを願いつつ、神の恵みと祝福、命と平和が全ての人に、とくに、今もなお戦禍のなかにある人たちにありますように。

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箴言 28:11 金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く。
28:12 神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し 神に逆らう者が興ると人は身を隠す。
28:13 罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。
28:14 いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る。
28:15 獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する。
28:16 指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る。
28:17 流血の罪の重荷を負う者は、逃れて墓穴に至る。だれも彼を援助してはならない。
28:18 完全な道を歩む人は救われる。二筋の曲がった道を歩む者は直ちに倒れる。
28:19 自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。空を追う者は乏しさに飽き足りる。
28:20 忠実な人は多くの祝福を受ける。富むことにはやる者は罰せられずには済まない。
28:21 人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しうる。
28:22 貪欲な者は財産を得ようと焦る。やって来るのが欠乏だとは知らない。
28:23 人を懲らしめる者は 舌の滑らかな者より喜ばれる。
28:24 父母のものをかすめて 「これは罪ではない」と言う者は 滅ぼそうとたくらむ者の仲間だ。
28:25 貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。
28:26 自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。
28:27 貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多くの呪いを受ける。
28:28 神に逆らう者が興ると人は身を隠し 彼らが滅びると神に従う人がふえる。

詩篇 146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し 長らえる限り わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば 人間は自分の属する土に帰り その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

ルカ 9:43 イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」


イエス様は人を救うため、神の御子であられたのに私たち人間と同じ姿となって、この世に来て下さった。
そして、人を救うため、人間の罪を償うために、御自分の命を贖いの代価として十字架に捧げられた。
それはまるで、私たちを救うために、いけにえとなるための奴隷のようになるために生きられたようなものである。
イエス様は、そのような仕方で、私たちのために「仕えて」下さった。

フィリピ 2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

人は誰もが、自分のことを認めてもらいたくて、自分を大きく見せようとしたり、偽りの自分を演じようと背伸びをし、そして、人を見下すような傲慢な生き方をしてしまう。
愚かな罪人そのものであろう。
けれど、愛のお方であるイエス様は、こんな愚かな人間を、一人も失いたくないと考えられ、自らの命を投げうってまで、私たちを救おうと、救いの御業のために仕えて下さった。
なんとも畏れ多いことではあるが、私たちがこの事実を受け入れることを神は望まれた、それゆえの十字架なのだ。
だから、畏れて遠慮するのではなく、大いに喜んで、救いの恵みを受け、その上で、私たちもまたイエス様のように、誰かの救いのために身を低くして仕えて行くことができるように生きていきたい。
何も特別なことができなくていい。
幼子を受け入れるように、弱く小さなものたちを、受け入れていくだけでも十分である。
なにより、弱く小さなこのわたしをイエス様が受け入れて下さったという事実を、まずは受け入れよう。
全てはそれからである。


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箴言 28:3 貧しい者が弱者を搾取するのは 雨が洗い流してパンがなくなるようなものだ。
28:4 教えを捨てる者は神に逆らう者を賛美し 教えを守る者は彼らと闘う。
28:5 悪を行う者らは裁きを理解しない。主を尋ね求める人々はすべてを理解する。
28:6 貧乏でも、完全な道を歩む人は 二筋の曲がった道を歩む金持ちより幸いだ。
28:7 教えを守るのは分別のある子。放蕩者と交わる者はその父を辱める。
28:8 利息、高利で財産を殖やす者は 集めても、弱者を憐れむ人に渡すことになろう。
28:9 教えに耳をそむけて聞こうとしない者は その祈りも忌むべきものと見なされる。
28:10 正しい人を悪の道に迷い込ませる者は 自分の掘った穴に落ちる。無垢な人々は良い嗣業を受ける。

詩篇 146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し 長らえる限り わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば 人間は自分の属する土に帰り その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

エフェソ 2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
2:7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。
2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。



聖書には、主なる神様が私たちを救うため、私たちの罪の償いのために御子イエス様を十字架にかけられ、そのことを信じる者は救われる、ということが語られている。
しかし、そのように信じたからと言って、何かが変わるわけではない。
あいかわらず、罪を犯すこともあるし、決して聖人と呼ばれるような立派な信仰者に劇的に変わるわけでもない。
あいかわらず罪深い者である。
しかし、イエス様を信じるならば、全ての罪は赦されている。
それが神様の約束である。
エフェソの手紙の箇所には、かつてこの世の法則に支配され、肉の欲望や、心の欲するままに生きていた私たちは「死んでいた」者であって、イエス様を救い主として信じ、神に救っていただいた者は「生きている」と語られている。
実際には、一度も死んだこともないし、ずっと生きてきているけれども、イエス様を知らないで生きていた時は「死んでいる」も同然だというのである。
確かに、イエス様を知らないで生きていた時は、自分が何者なのか、どうして生きているのか、何をもって「生きている」と言えるのか、わからないまま、漠然と生きていたけれども、自分の生きる意味や目的が分からないまま生きているのなら、それは死んでいるようなものと言えるだろう。
しかし、イエス様のことを知り、こんなちっぽけな自分のことを命がけで愛して下さり、私のことを「高価で貴い」と言って下さるお方の御声に信頼しつつ歩む人生は、まことに幸いであるし、「ああ、自分も生きていていいんだ」と思えるし。生きること自体が幸いであるということを知る事ができるだろう。
裕福で何不自由ない暮らしを送り、楽しいことで満ちあふれた人生は、確かに幸せなのかもしれない。
けれど、それらは永遠ではないし、その背後には、そのせいで他の人が苦しんでいる事実もあるのだろう。
力のある者、富める者たちが、弱く貧しい人たちから搾取して成り立つ世界に、本当の幸いなど存在しないだろう。
自分に何ができるかわからないが、神が望まれた、誰もが愛されていることを実感でき、一人一人の存在が尊ばれる、そんな世界になることを願いつつ、今日を歩んでいきたいものである。

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箴言 22:2 金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。
22:3 思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。
22:4 主を畏れて身を低くすれば 富も名誉も命も従って来る。
22:5 曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。
22:6 若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。
22:7 金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。
22:8 悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ。
22:9 寛大な人は祝福を受ける 自分のパンをさいて弱い人に与えるから。
22:10 不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ。
22:11 清い心を愛する人は唇に品位があり 王がその友となる。
22:12 主の目は知識を守り、欺きの言葉を滅ぼす。
22:13 怠け者は言う。「外には獅子がいる。町に出ればわたしは殺される。」
22:14 よその女の口は深い墓穴 主の憤りにふれた者はそこに陥る。
22:15 若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭。
22:16 弱者を搾取して自分を富ませたり 金持ちに贈り物をしたりすれば、欠乏に陥る。

詩篇 146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し 長らえる限り わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば 人間は自分の属する土に帰り その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

2コリント 8:8 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
8:10 この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
8:11 だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
8:12 進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
8:13 他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
8:14 あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
8:15 「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあるとおりです。


この世界にはいろんな人がいて、力のある者もいれば、弱い者もいる。
豊かな者、貧しい者、才能のある者、才能のない者。
生まれつきの境遇で人生が決まってしまうことを意味するガチャと言った言葉も聞かれる。
様々な境遇にある人ができてしまうことは避けられないが、持てる者が持たざる者を助けていくなど、どうにかして社会全体で助け合っていくような働きが広がって行けば、多少の格差があっても社会は成り立っていける。
しかし、愛の冷えた世界、愛のない世界では、そういった助けあう姿勢は失われ、どんどん格差が拡がっていく。
しかし、いくら持てる者のところに富が集中したところで、働く人がいなければ、その富も何の意味ももたなくなっていく。
格差が拡がり続けていけば、社会は成立しなくなるだけである。

近年、コロナの影響もあろうかと思うが、もう随分前からネット社会が進行し、多くの人がネット通販などを利用するようになった。
サービス向上のためとの名目で、送料無料などといったことも聞かれる。
けれど、送料を無料にして、物流が成り立つわけはない。
どこかで搾取が行われ、多くのトラックドライバーの方々の過酷な労働環境なども問題となっている。
一部の人間が富を搾取し、立場の弱い人たちを苦しめても、結局は鞘かい全体が成り立たず、崩壊していくだけなのに…。
富は、人を豊かにさせ、人を喜ばせるために用いられるべきだろう。
そして、余裕のある人は、その富を、誰かを助けるために用いていくべきであろう。
この世界で共に生きていくために。

主なる神様は、御自分の持てる富を、何も持たない私たちに分け与えて下さった。
御自分の命をもって、私たちの命と祝福を与えて下さったのである。
だから、私たちも、イエス様にならってというか、助け合っていかなければ、人は生きて生きていけないし、社会は成り立たない。
人は一人では生きていけないのだから、みなが生きて行けるように、できる範囲で助け合っていけるように、私が持っているもので分けられるものがあれば、喜んで分かち合っていきたい。
とりあえず今は、御言葉を読んで「嬉しいな」とか「感謝だな」と思えることを分かち合っていけたら幸いである。

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箴言 21:10 神に逆らう者の欲望は悪に注がれ その目は隣人をも憐れまない。
21:11 不遜な者を罰すれば、浅はかな者は知恵を得る。知恵ある人を目覚めさせるなら 彼は知識を得る。
21:12 神に従う人は逆らう者の家を識別し 神に逆らう者を災いに落とす。
21:13 弱い人の叫びに耳を閉ざす者は 自分が呼び求める時が来ても答えは得られない。
21:14 ひそかに贈り物をしておけば怒りはなだめられ 賄賂をふところに入れてやれば激怒も静まる。
21:15 裁きを行うことは、神に従う人には喜び 悪を行う者には滅び。
21:16 目覚めへの道から迷い出た者は死霊の集いに入る。

詩篇 12:1  指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。
12:2 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え 人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました。
12:3 人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します。
12:4 主よ、すべて滅ぼしてください 滑らかな唇と威張って語る舌を。
12:5 彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
12:6 主は言われます。「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
12:7 主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。
12:8 主よ、あなたはその仰せを守り この代からとこしえに至るまで わたしたちを見守ってくださいます。
12:9 主に逆らう者は勝手にふるまいます 人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき。

ルカ 20:45 民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。
20:46 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。
20:47 そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
21:1 イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
21:2 そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
21:3 言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
21:4 あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」



力の弱い人や立場の弱い人のことを思い、憐れみの心を持って接していくことは難しいことであろう。
なぜなら、そういう人たちに寄り添っていこうと思うなら、自分も同じ境遇や立場に身を置かなければならないからである。
自分の置かれている裕福で恵まれた環境を保ったままで、貧しい人たちのことをとやかく言っても、説得力にかけるし、ともすると、偽善的にしか見えなくなってしまう。
もちろん、人を助ける側の人までもが生活することさえ困窮してしまえば、助ける人までもが助けを必要としてしまい、誰も助からなくなってしまうため、人が生きていくだけの最低限の生活が保証されていくことも大事なことであろう。

レプトン銅貨二つを捧げたやもめにとって、このお金は、生活費の全てだったという。
もはや、これっぽっちの金額を所持していても何の役にも立たないし、持っていても、失っても、さして変わりはなかったかもしれない。
けれど、彼女は、自分の意思でそれを神にささげたのである。
普通、お金を渡す場合、捧げる側が捧げられる側を助ける意味があるだろう。
しかし、ここでは反対に、やもめは神に助けてもらう側であり、自分の所持金の全てを神に託し、神に助けてもらうことを選択したのである。
彼女の捧げた生活費とは、彼女の人生そのもの全て、という意味であろう。

自分の人生は、何によって支えられるのか、あるいは、誰に助けられて成り立っているのだろうか。
自分の力で働いてお金を稼ぎ、食べ物や様々なものを得て、生活が成り立っているように見えても、お金で買う全てのものは、誰かが作ったりしたものであり、そのもっと先を考えると、全てはこの世界を創られた神の恵みによるものではないか。
本来なら、生きていくのにさえ困難なはずの私たちを、神様は大いなる恵みをもって生かしていて下さる。
そのことをしっかりと見据えながら、与えられた人生を感謝して生きていきたいものである。
この人生は誰によって与えられたものなのか、神に、である。

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箴言 17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。
17:2 成功をもたらす僕は恥をもたらす息子を支配し その兄弟と共に嗣業の分配にあずかる。
17:3 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
17:4 悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け 偽る者は滅亡の舌に耳を向ける。
17:5 貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦されない。

詩篇 12:1  指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。
12:2 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え 人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました。
12:3 人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します。
12:4 主よ、すべて滅ぼしてください 滑らかな唇と威張って語る舌を。
12:5 彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
12:6 主は言われます。「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
12:7 主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。
12:8 主よ、あなたはその仰せを守り この代からとこしえに至るまで わたしたちを見守ってくださいます。
12:9 主に逆らう者は勝手にふるまいます 人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき。

1コリント 9:19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。
9:20 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。
9:21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。
9:22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
9:23 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。


マウントを取るといった言葉を聞くことがある。
他者よりも優位な立場に立ち、優越的な関係において相手を支配することで、自分にとっては都合よく事を運ぶことができるし、気分も良いから、知らず知らずのうちにそのような行動を取っててしまうのだろう。
一方、他者に仕えていくということは、それとは全く反対であり、どちらかと言うと、相手の言いなりになり、屈辱的な気持ちにさせられることがあるかもしれない。
しかし、パウロはあえてそのような生き方を選ぼうとしている。
一人でも多くの人を救いに導くために、そうしているというのだ。
彼がそのように考えたのは、もちろん、イエス様がそれ以上のことをして下さったからであり、イエス様は私たち罪人を救うために、罪人以下の扱いを受けて下さり、あの十字架で死んで下さった。
ただただ、こんな愚かな私を救うためである。
イエス様のように、あるいは、パウロのようにできなかったとしても、誰かを救いの恵みに導くために、自分に何ができるだろうか。
何の力も能力もない者が、他者より優位な立場に立ったとして、愚かで滑稽なだけであろう。
他者に仕えるところまで行かなくても、少なくとも、マウントを取るような行為は慎みたい。
自分の身の丈にあった生き方を通して、願わくは、誰かの救いのために用いて頂けるような、そんな生き方を求めていきたい。

ちなみに、マウントを取るという言葉は、サル山のボスが群れの一番上に立って、己の力を誇示していることからきているのだろう。。
私はサルではなく人間である。
他者を支配するようにではなく、他者に仕えるように創られた人間である。

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