聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




エステル 1:10 七日目のことである。ぶどう酒で上機嫌になったクセルクセス王は、そば近く仕える宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスの七人に命じて、
1:11 冠を着けた王妃ワシュティを召し出そうとした。その美しさを高官および列席する民に見せようというのである。王妃は美しい人であった。
1:12 ところが、王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。王は大いに機嫌を損ね、怒りに燃え、
1:13 経験を積んだ賢人たちに事を諮った。王の身辺の事柄はすべて、国の定めや裁きに通じている人々によって審議されることになっていた。
1:14 王は、王の側近で、王国の最高の地位にある、ペルシアとメディアの七人の大臣カルシェナ、シェタル、アドマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンを呼び寄せた。
1:15 「王妃ワシュティは、わたしが宦官によって伝えた命令に従わなかった。この場合、国の定めによれば王妃をどのように扱うべきか。」
1:16 メムカンが王と大臣一同に向かって言った。「王妃ワシュティのなさったことは、ただ王のみならず、国中のすべての高官、すべての民にとって都合の悪いことです。
1:17 この王妃の事件が知れ渡りますと、女たちは皆、『王妃ワシュティは王に召されても、お出ましにならなかった』と申して、夫を軽蔑の目で見るようになります。
1:18 今日この日にも、ペルシアとメディアの高官夫人たちは、この王妃の事件を聞いて、王にお仕えするすべての高官に向かってそう申すにちがいありません。何とも侮辱的で腹立たしいことです。
1:19 もしもお心に適いますなら、『ワシュティがクセルクセス王の前に出ることを禁ずる。王妃の位は、より優れた他の女に与える』との命令を王御自身お下しになり、これをペルシアとメディアの国法の中に書き込ませ、確定事項となさってはいかがでしょうか。
1:20 お出しになった勅令がこの大国の津々浦々に聞こえますと、女たちは皆、身分のいかんにかかわらず夫を敬うようになりましょう。」
1:21 王にも大臣たちにもこの発言は適切であると思われ、王はメムカンの言うとおりにした。
1:22 王は支配下のすべての州に勅書を送ったが、それは州ごとにその州の文字で、また、民族ごとにその民族の言語で書かれていた。すべての男子が自分の家の主人となり、自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった。


王の気まぐれから始まった、新たな王妃募集の一件は、後に、エステルの働き、そして、イスラエル民族全体の救いへとつながっていくこととなる。
そう考えると、実に不思議な感じがする。

時は移り、新約聖書の時代、ダビデの王国の再興を約束されたと考えていたイスラエルの民は、主なる神が送られた御子キリストを拒み、十字架につけて殺してしまうのであるが、それ故に、多くの民の救いが完成することとなる。
実に不思議な神の御業であるが、イスラエルの人たちがイエス様を拒んだからこそ、実現した救いのご計画でもある。

ローマ11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、
11:26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。
11:27 これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶわたしの契約である。」
11:28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。
11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。
11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。
11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。

イスラエルの民は、歴史において一時期イエス様をこばんではいるが、やがて大いなる救い完成の時には、彼らもまた、信仰者らと共に、神の御国の民として立ち返ることとなるのであろう。
一時的に神に背き、神から離れていたとしても、きっといつか神のもとに立ち返る日が来る、そう信じて、今は離れている方々にも神の祝福が及びますようにと願う。

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エステル 1:1 クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスは、インドからクシュに至るまで百二十七州の支配者であった。
1:2 そのころ、クセルクセス王は要塞の町スサで王位につき、
1:3 その治世の第三年に、酒宴を催し、大臣、家臣のことごとく、ペルシアとメディアの軍人、貴族および諸州の高官たちを招いた。
1:4 こうして王は、百八十日の長期にわたって自分の国がどれほど富み栄え、その威力がどれほど貴く輝かしいものであるかを示した。
1:5 それが終わると、王は七日間、酒宴を王宮の庭園で催し、要塞の町スサに住む者を皆、身分の上下を問わず招いた。
1:6 大理石の柱から柱へと紅白の組みひもが張り渡され、そこに純白の亜麻布、みごとな綿織物、紫の幔幕が一連の銀の輪によって掛けられていた。また、緑や白の大理石、真珠貝や黒曜石を使ったモザイクの床には、金や銀の長いすが並べられていた。
1:7 酒を供するための金の杯は一つ一つ趣を異にし、王室用のぶどう酒が、王の寛大さを示すにふさわしく、惜しげもなく振る舞われた。
1:8 しかし、定めによって酒を飲むことは強いられてはいなかった。王の命令によって給仕長たちは、人々に思いどおりにさせていたからである。
1:9 王妃ワシュティもクセルクセス王の宮殿で女のための酒宴を催していた。

イスラエルの民を捕囚としていたバビロンは、キュロス率いるペルシャの前に屈し、世界の覇権はペルシャが握っていくことになる。
新約聖書の時代には、ペルシャ帝国に代わって、ローマ帝国が覇権を握っていくこととなる。
いつの時代も、強大な軍事力を手にした者たちが世界を支配していくのである。
軍事力とは、突き詰めて言えば、戦争に勝つ力、もっと根本的なところでは、町を破壊し、人々を殺し、殺戮、蹂躙などの結果でもある。
こういった経過を経て手に入れた平和のなかで、人々は生きている。
どんな美味しいお酒も食べ物も、あるいは、豪華な装飾や調度品なども、その背後には、必ず、搾取され、殺されていった人たちがいるのかもしれない。
人が生きるために本当に必要なものは、豪華な品々ではないはずである。
おそらく、神が世界を創造された中に、必要なものは備えられていたであろう。
それなのに、人は欲にからんで、モノを略奪し、人をも殺していく。

ヤコブ4:1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。
4:2 あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、
4:3 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。

今一度、生きて行くために本当に必要なものは何なのか、改めて見つめなおして、人が本当の平和の中で生きて行ける、そんな世界を保って行けるように心がけていきたいものである。


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ネヘミヤ 13:1 その日、モーセの書が民に読み聞かされ、アンモン人とモアブ人は神の会衆に永久に加われないと記されているのが分かった。
13:2 かつて彼らは、パンと水をもってイスラエル人を迎えず、バラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからである。わたしたちの神は、その呪いを祝福に変えてくださった。
13:3 人々はこの教えを聞くと、混血の者を皆、イスラエルから切り離した。
13:4 これに先立って、トビヤに縁のある祭司エルヤシブは、神殿の祭司室を任されていたが、
13:5 かつて人々が穀物の献げ物と香と祭具、またレビ人と詠唱者と門衛のための、規定による十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油、更に祭司のための礼物を納めることになっていたその大きな祭司室をトビヤのために流用した。
13:6 その時わたしはエルサレムにいなかった。バビロンの王アルタクセルクセスの第三十二年にわたしは王のもとに行っていたからである。やがて王の許しを得て、
13:7 エルサレムに帰り、エルヤシブがトビヤのために神殿の庭にある収納庫を流用して、そのために行った悪事を知った。
13:8 わたしは非常に憤り、その祭司室からトビヤ家の器具類をすべて外に投げ出し、
13:9 その祭司室を清め、そこに再び神殿の祭具と穀物の献げ物と香を納めることを命じた。
13:10 またわたしは、レビ人に与えられるはずのものが与えられず、務めに就いていたレビ人と詠唱者が、それぞれ自分の耕地に逃げ帰っているのを知った。
13:11 わたしは役人を責め、なぜ神殿を見捨てられたままにしておくのかと言った。わたしはレビ人と詠唱者を集め、務めに就かせた。
13:12 こうしてユダの人々が皆、十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持って来た。
13:13 わたしは、祭司シェレムヤ、書記官ツァドク、レビ人ペダヤに貯蔵室の管理を命じ、マタンヤの孫でザクルの子、ハナンを彼らの助手とした。彼らは忠実な人物とされており、仲間に分配する任務が彼らにゆだねられた。
13:14 わたしの神よ、それゆえわたしを心に留め、神殿とその務めのために示した、わたしの真心を消し去らないでください。
13:15 またそのころ、ユダで、人々が安息日に桶の中でぶどうを踏み、穀物の束をろばに負わせて運んでいるのを、わたしは見た。また、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、その他あらゆる種類の荷物も同じようにして、安息日にエルサレムに運び入れていた。そこで、彼らが食品を売っているその日に、わたしは彼らを戒めた。
13:16 ティルス人もそこに住み着き、魚をはじめあらゆる種類の商品を持ち込み、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売っていた。
13:17 わたしはユダの貴族を責め、こう言った。「なんという悪事を働いているのか。安息日を汚しているではないか。
13:18 あなたたちの先祖がそのようにしたからこそ、神はわたしたちとこの都の上に、あれほどの不幸をもたらされたのではなかったか。あなたたちは安息日を汚すことによって、またしてもイスラエルに対する神の怒りを招こうとしている。」
13:19 そこで、安息日の始まる前に、エルサレムの城門の辺りが暗くなってくると、わたしはその扉を閉じるように命じ、安息日が過ぎるまでそれを開けないように言いつけた。そしてわたしの部下をその門の前に立たせ、安息日には荷物が決して運び込まれないようにした。
13:20 そのため、取り引きする人やあらゆるものを売る人が、エルサレムの外で夜を過ごすことも一度ならずあった。
13:21 わたしは彼らを戒めて、「なぜ城壁の前で夜を過ごすのか。繰り返すならば、お前たちを処罰する」と言った。そのとき以来、彼らは安息日には来なくなった。
13:22 またわたしはレビ人に、身を清めて門を守り、安息日を聖とするように命じた。わたしの神よ、このことについてもわたしを心に留め、あなたの大いなる慈しみによって、わたしを憐れんでください。
13:23 またそのころ、ユダの人々がアシュドド人やアンモン人やモアブ人の女と結婚していることが、わたしに分かった。
13:24 その子供たちの半数は、アシュドドの言葉あるいはそれぞれの民族の言葉を話し、ユダの言葉を知らなかった。
13:25 わたしは彼らを責め、呪い、幾人かを打ち、その毛を引き抜き、神にかけて誓わせた。「お前たちの娘を彼らの息子の妻にしてはならない。彼らの娘をお前たちの息子の妻に、またはお前たちの妻にしてはならない。
13:26 イスラエルの王ソロモンすらも、このようにして罪を犯したのではなかったか。数ある諸国の中でも彼のような王はおらず、神に愛され、神によってすべてのイスラエルの王に立てられた、その彼でさえ、異民族の妻たちによって罪に引き込まれてしまった。
13:27 わたしたちの神に逆らって異民族の女と結婚するという、この大きな罪悪を犯したということを、お前たちについても聞かされなければならないのか。」
13:28 大祭司エルヤシブの孫でヨヤダの子の一人が、ホロニ人サンバラトの娘婿となっていた。わたしは、彼を遠く追放した。
13:29 わたしの神よ、祭司職を汚し、祭司とレビ人の契約を汚した者のことを覚えていてください。
13:30 わたしはすべての異民族から彼らを清め、祭司とレビ人に守るべき務めを定め、それぞれその任務に就かせました。
13:31 また定められた時に薪を奉納し、初物をささげるように定めました。わたしの神よ、わたしを御心に留め、お恵みください。

どの時代にも、権力を持った者が、その地位を利用して、公のものを私物化するといった事は起こる。
そして、それらに付け込んで、少しでも利益を得ようとする者たちが集まってくる。
エルサレムもまた同様に腐敗し、ついに、安息日に城壁の門を閉ざさなければならないこととなっていくのである。
一部の不遜な人間のよこしまな行動によって、本来なら自由で公平な場所であるはずのところが、閉鎖的で、権威的なところとなっていくのである。
ネヘミヤ記の記述では、それらの主な原因が、異民族らの文化やフ風習であるかのように語られているが、決して民族の違いだけが原因ではなかろう。
そこにある、現世的な発想だったり、利益優先の行動が、神聖な場所すらも、この世的で汚れたものへと変貌してくのであろうと思う。
国家も社会も、そして、家庭も教会も、罪深い人間が物事を考えて行動している限り、同じような問題はいつでも起こりうるのだろう。

余談ではあるが、「社会に貢献できるような仕事をしたい」と願っていた二男が、昨今のニュース報道に嫌気が差し「公務員にだけはなりたくない」と言い出すようになった。
悲しいがそれが現実。
もちろん、公務員でなくても社会に貢献する仕事はたくさんあるから、自分にあった働きを探しながら、ベストなところ、よりベターなところを見つけて行って欲しいと思う。
世の戦いに翻弄されながらも、自分なりの小さな義を大切にしていって欲しいと願うばかりである。

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ネヘミヤ 12:1 シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュアと共に上って来た祭司とレビ人は、次のとおりである。セラヤ、イルメヤ、エズラ、
12:2 アマルヤ、マルク、ハトシュ、
12:3 シェカンヤ、レフム、メレモト、
12:4 イド、ギネトイ、アビヤ、
12:5 ミヤミン、マアドヤ、ビルガ、
12:6 シェマヤ、ヨヤリブ、エダヤ、
12:7 サル、アモク、ヒルキヤ、エダヤ。以上、イエシュア時代の祭司長とその仲間である。
12:8 レビ人では、イエシュア、ビヌイ、カドミエル、シェレブヤ、ユダ、マタンヤ。この彼とその仲間が賛歌の責任を負い、
12:9 バクブクヤとウンニおよびその仲間が彼らの前で任務に就いた。
12:10 イエシュアにはヨヤキムが生まれ、ヨヤキムにはエルヤシブが生まれ、エルヤシブにはヨヤダが生まれ、
12:11 ヨヤダにはヨナタンが生まれ、ヨナタンにはヤドアが生まれた。
12:12 ヨヤキム時代に祭司で家長であった者は、セラヤ家のメラヤ、イルメヤ家のハナンヤ、
12:13 エズラ家のメシュラム、アマルヤ家のヨハナン、
12:14 メリク家のヨナタン、シェバンヤ家のヨセフ、
12:15 ハリム家のアドナ、メラヨト家のヘルカイ、
12:16 イド家のゼカリヤ、ギネトン家のメシュラム、
12:17 アビヤ家のジクリ、ミンヤミン家、モアドヤ家のピルタイ、
12:18 ビルガ家のシャムア、シェマヤ家のヨナタン、
12:19 ヨヤリブ家のマテナイ、エダヤ家のウジ、
12:20 サライ家のカライ、アモク家のエベル、
12:21 ヒルキヤ家のハシャブヤ、エダヤ家のネタンエル。
12:22 エルヤシブ、ヨヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は、その家長が祭司と共にペルシアの王ダレイオスの治世まで記録された。
12:23 レビ人の家長は、エルヤシブの子ヨハナンの時代まで、年代記に記録された。
12:24 レビ人の頭はハシャブヤ、シェレブヤ、カドミエルの子イエシュアと、その前に立って神の人ダビデが命じたように、交替で賛美と感謝を唱えた仲間たち、
12:25 マタンヤ、バクブクヤ、オバドヤ、メシュラム、タルモン、アクブ。彼らは城門にある倉庫の警備に当たる門衛たちである。
12:26 以上の人々は、ヨツァダクの孫でイエシュアの子であるヨヤキムの時代、長官ネヘミヤと祭司であり書記官であるエズラの時代に奉仕した。
12:27 エルサレムの城壁の奉献に際して、人々は、あらゆる所からレビ人を求め、エルサレムに来させて、感謝の祈りと、シンバルや竪琴や琴に合わせた歌をもって、奉献式と祝典を行おうとした。
12:28 -29詠唱者たちは、それぞれエルサレム周辺の盆地、ネトファ人の村々、ベト・ギルガルおよびゲバやアズマベトの田舎などから集まって来た。詠唱者たちは、エルサレムの周辺に村を作って住んでいた。
12:30 祭司とレビ人は身を清めたうえで、民と城門と城壁を清めた。
12:31 わたしは、ユダの長たちを城壁に上らせ、二つの大きな合唱隊を編成した。一隊は城壁の上を右へ、糞の門に向かって進んだ。
12:32 その後ろに、ホシャヤおよびユダの長たちの半数が続き、
12:33 またアザルヤ、エズラ、メシュラム、
12:34 ユダ、ビンヤミン、シェマヤ、イルメヤ、
12:35 ラッパを持った祭司たち、次にゼカルヤが続いた。その父はヨナタン、祖父はシェマヤ、更にマタンヤ、ミカヤ、ザクル、アサフとさかのぼる。
12:36 更に彼の仲間シェマヤ、アザルエル、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタンエル、ユダ、ハナニが、神の人ダビデの楽器を持って行進に続いた。書記官エズラは彼らの前を行った。
12:37 泉の門に来ると、彼らはその前にあるダビデの町への上り坂を上がり、城壁に上って、ダビデの家の上を過ぎて東の水の門に来た。
12:38 他の一隊は左に向かった。わたしは他の半数の人々と共に彼らに続いた。一行は城壁の上を行き、炉の塔から広壁、
12:39 エフライムの門から古い門、魚の門、ハナンエルの塔、ハンメアの塔から羊の門まで進み、警備の門で止まった。
12:40 こうして二隊は、神殿の中に立ち、わたしも役人の半数と共にそこにいた。
12:41 ラッパを手にした祭司はエルヤキム、マアセヤ、ミンヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカルヤ、ハナンヤ。
12:42 更にマアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼルは詠唱者として歌い、イズラフヤが彼らの監督であった。
12:43 その日、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。
12:44 その日、礼物と初物と十分の一の供出物を蓄える収納庫の監督が任命された。こうしてそこに、律法が定めているように、祭司とレビ人の生活の糧を、町々の耕地から徴集して納めた。実にユダの人々は、祭司とレビ人の働きを喜んでいた。
12:45 祭司とレビ人は神への務めと清めの務めを守り、詠唱者と門衛はダビデとその子ソロモンの定めによく従った。
12:46 ダビデとアサフがいた昔の時代のように、詠唱者の頭がいて、神への賛美と感謝の歌をつかさどった。
12:47 ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代のイスラエルの民は皆、毎日詠唱者と門衛に生活の糧を提供した。また、レビ人には奉納物を与え、レビ人はその奉納物をアロンの子らに分け与えた。

先日、教会員のある方から「聖餐式」のある日の礼拝くらいは、バンドの楽器を片付けてはどうだろうか」という提案がなされた。
言わんとすることは、時には、神の御前に静まる神聖な礼拝を持ちたいといったところであろうと思われる。
りっぱなカテドラルで、壮麗なオルガンの音色、ガウンをまとった司式者たち。
おおよそ、日本人が思い描くキリスト教の神聖な礼拝はそのようなイメージなのかもしれない。

しかし、それはあくまでヨーローッパの歴史の中で発展してきたスタイルであって、聖書に記されているものとは異なる面もある。
27節には、エルサレムの城壁の奉献に際して人々が捧げた礼拝では、感謝の祈りとシンバルと竪琴や琴にあわせた歌をもって祝祭を行っていたことが記されており、これらの楽器は、いわゆるドラムやギターといった楽器に近いものである。
おおよそ、壮麗なオルガンの音色で奏でられる音楽とは、スタイルも雰囲気も異なるものであろう。
どちらが良いか、どちらがふさわしいかといったことではなく、そこで何がなされているのか、心からの喜びをもって賛美が捧げられているのなら、スタイルは問題ではない、ということなのだろう。
大切なことは、そこで語られる聖書の救いのメッセージ、そして、それに対する信仰者の応答であり、祈りであり、賛美、なのであろう。

今のところ、私たちの教会では、月間賛美のみ、楽器を用いて演奏されているが、楽器の種類うんぬんはさておき、会衆の賛美をリードする以上、音程やリズムの外れた演奏は避けるよう、演奏者にもある程度の腕や練習も怠らないよう努めて頂ければと願う。
もっとも、み言葉を語る人間にも、同様のことは言えると思うが…。
できる限り、良い物を分かち合えるように、一人一人が努めていけたらと思う。

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ネヘミヤ 11:1 民の長たちはエルサレムに住んでいた。ほかの民はくじを引き、十人のうち一人が聖なる都エルサレムに来て住み、残りの九人が他の町々にとどまるようにした。
11:2 民は、進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福した。
11:3 この州の頭たちでエルサレムに住んだ者は次のとおりである。ユダの町々にはイスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿の使用人、ソロモンの使用人の一族が、それぞれ自分の町に所有地を持って住み、
11:4 -5エルサレムにはユダの一族とベニヤミンの一族の者が住んだ。ユダの一族ではアタヤとマアセヤ。アタヤの父はウジヤ、祖父はゼカルヤ、更にアマルヤ、シェファトヤ、ペレツの子らの一人マハラルエルとさかのぼる。マアセヤの父はバルク、祖父はコル・ホゼ、更にハザヤ、アダヤ、ヨヤリブ、シロ出身者の子ゼカルヤとさかのぼる。
11:6 エルサレムに住んだペレツの一族は合計四百六十八人で、勇敢な人物であった。
11:7 ベニヤミンの一族では、次の者がいた。まずサル。彼の父はメシュラム、祖父はヨエド、更にペダヤ、コラヤ、マアセヤ、イティエル、エシャヤとさかのぼる。
11:8 次に、ガバイとサライら九百二十八人。
11:9 ジクリの子ヨエルが彼らの監督であり、セヌアの子ユダが町の次官であった。
11:10 祭司では、ヨヤリブの子エダヤ、ヤキン、
11:11 神殿の主管セラヤ。セラヤの父はヒルキヤ、祖父はメシュラム、更にツァドク、メラヨト、アヒトブとさかのぼる。
11:12 -13それに彼らの仲間で神殿の務めに携わる者八百二十二人、アダヤとその仲間で家長である者二百四十二人がいた。アダヤの父はエロハム、祖父はペラルヤ、更にアムツィ、ゼカルヤ、パシュフル、マルキヤとさかのぼる。それにアマシュサイがいた。アマシュサイの父はアザルエル、祖父はアフザイ、更にメシレモト、イメルとさかのぼる。
11:14 彼らの仲間で勇敢な人物百二十八人もいた。ハゲドリムの子ザブディエルが彼らの監督であった。
11:15 レビ人では、シェマヤ。彼の父はハシュブ、祖父はアズリカム、更にハシャブヤ、ブンニとさかのぼる。
11:16 また、レビ人の頭で神殿の外部の務めに就いていたシャベタイとヨザバド、
11:17 祈りにおける賛歌の先唱者マタンヤ。彼の父はミカ、祖父はザブディ、更にアサフとさかのぼる。そのほかに仲間の副主任バクブクヤ、そしてアブダ。彼の父はシャムア、祖父はガラル、更にエドトンと続く。
11:18 聖なる町にいるレビ人の合計は二百八十四人であった。
11:19 門衛では、アクブ、タルモンおよび門を警備する彼らの仲間百七十二人。
11:20 他のイスラエルの人々、祭司、レビ人は、ユダのすべての町で、それぞれ自分の嗣業をもって住んだ。
11:21 神殿の使用人はオフェルに住み、ツィハとギシュパが彼らの上役であった。
11:22 エルサレムのレビ人の監督はウジであった。彼の父はバニ、祖父はハシャブヤ、更にマタンヤ、ミカとさかのぼる。彼は神殿の務めにおいて詠唱者の役を担うアサフの子らの一人であった。
11:23 詠唱者に対しては王の命令があって、日ごとに果たすべきことが定められていた。
11:24 ペタフヤが、民に関するあらゆる事柄について王を助ける役に就いていた。彼の父はメシェザブエル、メシェザブエルはユダの子であるゼラの子らの一人であった。
11:25 村々とその耕地については、ユダの一族が住んだのは、キルヤト・アルバとその周辺の村落、ディボンとその周辺の村落、エカブツェエルとその村々、
11:26 イエシュア、モラダ、ベト・ペレト、
11:27 ハツァル・シュアル、ベエル・シェバとその周辺の村落、
11:28 ツィクラグ、メコナとその周辺の村落、
11:29 エン・リモン、ツォルア、ヤルムト、
11:30 ザノアとアドラムおよびそれらの村々、ラキシュとその耕地、アゼカとその周辺の村落である。彼らはベエル・シェバからヒノムの谷までの地に定住した。
11:31 ベニヤミンの一族が住んだのは、ゲバ、ミクマス、アヤ、ベテルとその周辺の村落、
11:32 アナトト、ノブ、アナネヤ、
11:33 ハツォル、ラマ、ギタイム、
11:34 ハディド、ツェボイム、ネバラト、
11:35 ロド、オノ、ハラシムの谷である。
11:36 レビ人のうち、ユダにいたある部分は、ベニヤミンに移った。

エルサレムは神の民の都として、礼拝の中心地となっていった。
しかし、それは、あくまでこの時代の話であり、混乱した現代においてこのような出来事を再現しようとする試みは、多くの争いやさらなる混乱を招くだけでろう。
ある者たちは、世界の平和のためと言うけれども、実態は、動乱と戦乱を招くだけの愚かな政策となってしまうこともある。
そのようなことを繰り返さないためには、本質を見て行かねばならない。
うわべだけであったり、旧約の時代そのままに再現しようとしても、時代も背景も、現代の世の中に与える影響等を考えない取り組みは、神の御心の本質を見失った業になりかねない。
神は、全ての民に、キリストの贖いによる真の平安と救いをもたらしたいのである。
少なくとも、ネヘミヤの時代のエルサレムには、そういう雰囲気があったのだろう。
エルサレムに住む者も、周辺の村々に住む者も、それぞれが共通の思いで神を礼拝する民としての一致があった。
どこに住むべきか、どんな生活をするか、それぞれに違って当然であり、妬んだり、恨んだり、奪い合ったり、殺しあったり、そんな時代が見失っている真の神の御心を見上げていけるように、と願うばかりである。

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ネヘミヤ 10:1 これらすべてを顧みて、わたしたちはここに誓約して、書き留め、わたしたちの高官、レビ人、祭司の捺印を添える。
10:2 捺印した者は、ハカルヤの子で総督のネヘミヤ、それにツィドキヤ、
10:3 セラヤ、アザルヤ、イルメヤ、
10:4 パシュフル、アマルヤ、マルキヤ、
10:5 ハトシュ、シェバンヤ、マルク、
10:6 ハリム、メレモト、オバドヤ、
10:7 ダニエル、ギネトン、バルク、
10:8 メシュラム、アビヤ、ミヤミン、
10:9 マアズヤ、ビルガイ、シェマヤ。以上は祭司である。
10:10 レビ人では、アザンヤの子イエシュア、ヘナダドの一族のビヌイ、カドミエル、
10:11 およびその兄弟たちである、シェバンヤ、ホディヤ、ケリタ、ペラヤ、ハナン、
10:12 ミカ、レホブ、ハシャブヤ、
10:13 ザクル、シェレブヤ、シェバンヤ、
10:14 ホディヤ、バニ、ベニヌ。
10:15 民の頭では、パルオシュ、パハト・モアブ、エラム、ザト、バニ、
10:16 ブンニ、アズガド、ベバイ、
10:17 アドニヤ、ビグワイ、アディン、
10:18 アテル、ヒズキヤ、アズル、
10:19 ホディヤ、ハシュム、ベツァイ、
10:20 ハリフ、アナトト、ネバイ、
10:21 マグピアシュ、メシュラム、ヘジル、
10:22 メシェザブエル、ツァドク、ヤドア、
10:23 ペラトヤ、ハナン、アナヤ、
10:24 ホシェア、ハナンヤ、ハシュブ、
10:25 ハロヘシュ、ピルハ、ショベク、
10:26 レフム、ハシャブナ、マアセヤ、
10:27 アヒヤ、ハナン、アナン、
10:28 マルク、ハリム、バアナ。
10:29 そのほかの民、祭司、レビ人、門衛、詠唱者、神殿の使用人、この地の民と関係を断って神の律法のもとに集まったすべての者も、妻、息子、娘、また理解できる年齢に達したすべての者と共に、
10:30 そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである。
10:31 わたしたちは、娘をこの地の民に嫁がせず、彼らの娘をわたしたちの息子の嫁にしない。
10:32 わたしたちは、この地の民が安息日に商品をはじめ、いかなる種類の穀物を持って来て売ろうとしても、安息日と他の聖なる日には買わない。わたしたちは、七年ごとに耕作を休み、あらゆる負債を免除する。
10:33 わたしたちは、神殿での奉仕のために年に三分の一シェケルの納入を義務として負う。
10:34 それは供え物のパンのため、日ごとの穀物の献げ物のため、日ごとの焼き尽くす献げ物のため、安息日、新月祭、祝祭日のため、奉納物のため、イスラエルの罪を贖う贖罪の献げ物のため、すなわち神殿におけるすべての務めのためである。
10:35 わたしたち祭司、レビ人および民は、薪の奉納についてくじを引いた。律法に書き記されているように、毎年定められた時に、神なる主の祭壇の上で燃やし、各家族が順番に薪をわたしたちの神殿に納めるためである。
10:36 わたしたちは、地の産物の初物とすべての果実の初物を、毎年主の神殿にささげ、
10:37 わたしたちの息子の長男も、わたしたちの家畜の初子も、律法に書き記されているところに従ってささげる。わたしたちの牛と羊の初子は神殿に携え、神殿の中で仕える祭司のためにささげる。
10:38 最初の小麦粉、礼物、あらゆる種類の果実、新しいぶどう酒および油を祭司のために神殿の祭司室に納める。地の産物の十分の一はレビ人のために納める。このレビ人は、わたしたちが働くすべての町でその十分の一を受け取る。
10:39 レビ人がその十分の一を受け取るときには、アロンの子である祭司がレビ人に付き添っていなければならない。レビ人はその十分の一の更に十分の一を、わたしたちの神殿のためにその収納庫の祭司室に持って行かなければならない。
10:40 イスラエルの人々とレビ人各人が穀物と新しいぶどう酒と油の礼物を納めるのはその祭司室であるからで、そこは、聖所用の祭具類があり、任務をもつ祭司、門衛、詠唱者がいるところである。わたしたちは決してわたしたちの神殿をおろそかにしません。

イスラエルの民は、聖書のみ言葉に従って、モーセの時代以来、忘れられていた祭儀や習慣などをことごとく復活させ、神の教えに忠実な礼拝の民の共同体を形成しようとしていた。
その中には、祭司、レビ人、門衛、詠唱者、使用人など、礼拝を司るために働く者たちも当然ながら、神の律法のもとに集まったすべての者、そして、かれらの妻子らも大勢含まれていた。
「理解できる年齢に達したすべての者」という表現には、神の律法の言葉を聞いて、それを理解できるという意味であろう。
明確な年齢は記されていないが、おおよそ、12~14歳くらいの年齢を指すものと思われる。
昔で言うところの元服に近い年齢ではないだろうか。
日本では、かつては、これくらいの年代で、大人として扱われ、早い人では、初陣に駆り出される者もいたであろう。
今は、成人に達する年齢は20歳となっているが、これも18歳に早めようとする動きがある。
いつからを大人とするかという問題は、その社会が求める大人像によって違ってくるのかもしれないが、何を大切にするかということを基準とすることは重要なことなのであろう。
体格が大人と変わらないほどになるのか、仕事ができるのかどうか、自立して収入を得ることができるようになるのか、基準をどこに置くかで様々に考えられるだろう。
イスラエルの民は、神の御言葉に聞き、神を信じて礼拝できるかどうか、そのあたりを重視していたのであろう。
そう考えれば、小学生くらいの年齢でも、神のみ言葉をきちんと聞き、神様を信じて礼拝できる子たちも当然いる。
一人一人、成長の度合いは違うのだから、単に何年生きたかといった基準だけではない、心の成長の度合いというものも、大切にしてあげたいと思う。

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ネヘミヤ 9:26 しかし、彼らはあなたに背き、反逆しあなたの律法を捨てて顧みず回心を説くあなたの預言者たちを殺し背信の大罪を犯した。
9:27 あなたは彼らを敵の手に渡し彼らを苦しめられた。彼らが苦難の中から叫び声をあげるとあなたは天にあってそれを聞き豊かな憐れみをもって、次々と救い手を送り苦しめる者の手から救い出してくださった。
9:28 しかし、平穏になると彼らは再び御前に悪を行ったのであなたは彼らを敵の手に任せその支配下に落とされた。彼らが再び叫び声をあげるとあなたは天にあってそれを聞き豊かな憐れみをもって彼らを救い出された。
9:29 律法に立ち帰るようにとあなたは彼らに勧められたが彼らは傲慢になり、御命令に耳を貸さずあなたの法に背いた。これを守って命を得るはずであったが彼らは背を向け、かたくなになり聞き従おうとしなかった。
9:30 長い年月、あなたは忍耐しあなたの霊を送り預言者によって勧められたが彼らは耳を貸さなかったので諸国の民の手に彼らを渡された。
9:31 しかし、まことに憐れみ深いあなたは彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず見捨てようとはなさらなかった。まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神。
9:32 今この時わたしたちの神よ偉大にして力強く畏るべき神よ忠実に契約を守られる神よアッシリアの王の時代から今日に至るまでわたしたちが被った苦難のすべてを王も高官も祭司も預言者もわたしたちの先祖もあなたの民の皆が被ったその苦難のすべてを取るに足らないことと見なさないでください。このすべては起こるべくして起こったのです。
9:33 あなたは正しく行動されました。あなたは忠実に行動されました。しかし、わたしたちはあなたに背いてしまいました。
9:34 王も高官も、祭司もわたしたちの先祖もあなたの律法に従わず度重なる命令にも戒めにも耳を貸しませんでした。
9:35 あなたがお与えになった国と豊かな恵みの中にありながらあなたがお与えになった広く肥沃な土地にありながら彼らはあなたに仕えようとはせず不正と悪行を改めようとはしませんでした。
9:36 御覧ください、今日わたしたちは奴隷にされています。先祖に与えられたこの土地その実りと恵みを楽しむように与えられたこの土地にあって御覧くださいわたしたちは奴隷にされています。
9:37 この土地の豊かな産物もあなたがわたしたちの罪のためにお立てになった諸国の王のものとなりわたしたち自身も、家畜もこの支配者たちの意のままにあしらわれているのです。わたしたちは大いなる苦境の中にあるのです。」

イスラエルの歴史は、神の憐れみによる救いと、それに対する反逆の歴史であった。
主なる神様が大いなる恵みをもって民を救ったにもかかわらず、しばらく経つと、またすぐに神を忘れて、神に背いた歩みを続けていくのである。
人はなんと愚かで弱い存在であろうか。
しかし、そのことを知っているということは大切である。
自分はもう神の救いを知り、神のみ旨に適った業を行うことができると考えるなら、もうその時点で、「神の恵みによる救い」を忘れているのだ。
人は、神から恵みの力を注入してもらって、清く生きることができるようになる、のではない。
あくまで「罪人」であることは変わりない。
しかし、そんな我々を、神はずっと変わりなく憐れみの心をもって、神のみもとに立ち返り、神と真実に向き合い、愛されていること、赦されていることを知るように求められているのである。

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ネヘミヤ 9:1 その月の二十四日に、イスラエルの人々は集まって断食し、粗布をまとい、土をその身に振りかけた。
9:2 イスラエルの血筋の者は異民族との関係を一切断ち、進み出て、自分たちの罪科と先祖の罪悪を告白した。
9:3 彼らは自分の立場に立ち、その日の四分の一の時間は、彼らの神、主の律法の書を朗読して過ごし、他の四分の一の時間は、彼らの神、主の前に向かって罪を告白し、ひれ伏していた。
9:4 イエシュア、バニ、カドミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレブヤ、バニ、ケナニは、レビ人のための台に立ち、神なる主に向かって大きな叫び声をあげた。
9:5 レビ人イエシュア、カドミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレブヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立って、あなたたちの神、主を賛美せよ。とこしえより、とこしえにいたるまで栄光ある御名が賛美されますように。いかなる賛美も称賛も及ばないその御名が。
9:6 あなたのみが主。天とその高き極みをそのすべての軍勢を地とその上にあるすべてのものを海とその中にあるすべてのものをあなたは創造された。あなたは万物に命をお与えになる方。天の軍勢はあなたを伏し拝む。
9:7 あなたこそ、主なる神。アブラムを選んでカルデアのウルから導き出し名をアブラハムとされた。
9:8 あなたに対して忠実なその心を認め彼と契約を結び子孫に土地を与えると約束された。カナン人、ヘト人、アモリ人ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の土地を。あなたは約束を果たされた。まことにあなたは正しい方。
9:9 わたしたちの先祖がエジプトで苦しんでいるのを見葦の海で叫び声をあげるのを聞き
9:10 ファラオとその家来その国民すべてに対してあなたは数々の不思議と奇跡を行われた。彼らがわたしたちの先祖に対して傲慢にふるまったことをまことにあなたは知っておられた。こうしてかちえられたあなたの名声は今日も衰えることを知らない。
9:11 あなたは先祖の目の前で海を二つに裂き海の中の乾いた地を通らせ追い迫る敵をあたかも石のように荒れ狂う水の深みに投げ込まれた。
9:12 昼は雲の柱、夜は火の柱をもってわたしたちの先祖を導きその進み行く道を照らされた。
9:13 あなたは天からシナイの山に降って彼らと語り正しい法、真実の律法優れた掟と戒めを授け
9:14 あなたの聖なる安息日を布告し僕モーセによって戒めと掟と律法を授けられた。
9:15 彼らが飢えれば、天からパンを恵み渇けば、岩から水を湧き出させ必ず与えると誓われた土地に行ってそれを所有せよと命じられた。
9:16 ところが、わたしたちの先祖は傲慢にふるまいかたくなになり、戒めに従わなかった。
9:17 聞き従うことを拒み彼らに示された驚くべき御業を忘れかたくなになりエジプトの苦役に戻ろうと考えた。しかし、あなたは罪を赦す神。恵みに満ち、憐れみ深く忍耐強く、慈しみに溢れ先祖を見捨てることはなさらなかった。
9:18 彼らが牛の像を鋳て造りエジプトから救ってくれた神だと称し背信の大罪を犯したときも
9:19 まことに憐れみ深いあなたは彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった。昼は雲の柱を取り去ることなく行く手を示し夜は火の柱を取り去ることなく行く道を照らされた。
9:20 あなたの優れた霊を授けて彼らに悟りを与え口からマナを取り上げることなく渇けば水を与えられた。
9:21 四十年間、あなたが支えられたので彼らは荒れ野にあっても不足することなく着物は朽ち果てず、足もはれることがなかった。
9:22 諸国、諸民族を彼らの支配下に置き分け与えて国境に住まわせられた。ヘシュボンの王シホンの国もバシャンの王オグの国も彼らの所有となった。
9:23 その子らの数を天の星のように増やし行って所有せよと先祖に約束された土地に彼らを導き入れられた。
9:24 その子らはその地に入り、これを所有した。あなたはその地の先住民カナン人を服従させ彼らの支配下に置かれた。その地にいた諸民族とその王たちを彼らは思いのままにあしらった。
9:25 堅固な町々、肥沃な土地を奪いすべての良きものに満ちた家貯水池、ぶどう畑、オリーブと果樹の園を数多く手に入れた。彼らは食べて飽き、太り大きな恵みを受け、満足して暮らした。

イスラエルの民にとって、神の御声に聞き従うということは、聖書に記されていることを読み返すことであり、そこに記された、出エジプトの出来事と民族の歴史は、まさに神の豊かな救いの約束であったし、それ故に、今の自分たちが存在していることを証する者であったと言える。
つまり、神に聞き従うという事は、自分がどこから召しだされ、どのように導かれ、誰が救って下さったのか、そのことを常に思い返すことでもある。
それは、現代に生きる私たちにも同様なことが言えるだろう。
神に聞き従って生きるということは、自分がかつてどうのような者であったか、また、どのようにして、誰が救ってくれたのかということを常に確認し、覚えていくことに他ならない。

エフェソ 2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。

これからの時代をどう生きようかと思うならば、常に原点に立ち返り、自分はどう生きるべきかということを探る者でありたい。

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ネヘミヤ 7:72 第七の月になり、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、
8:1 民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。
8:2 祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。
8:3 彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
8:4 書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立ち、その右にマティトヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが、左にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカルヤ、メシュラムが立った。
8:5 エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。
8:6 エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
8:7 次いで、イエシュア、バニ、シェレブヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、ヨザバド、ハナン、ペラヤというレビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。
8:8 彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
8:9 総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。
8:10 彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
8:11 レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」
8:12 民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。
8:13 二日目に、すべての民の家長たちは、祭司、レビ人と共に書記官エズラのもとに集まり、律法の言葉を深く悟ろうとし、
8:14 主がモーセによって授けられたこの律法の中にこう記されているのを見いだした。イスラエルの人々は第七の月の祭りの期間を仮庵で過ごさなければならず、
8:15 これを知らせ、エルサレムとすべての町に次のような布告を出さなければならない。「山に行き、オリーブの枝、野生オリーブの枝、ミルトスの枝、なつめやしの枝、その他の葉の多い木の枝を取って来て、書き記されているとおりに仮庵を作りなさい。」
8:16 民は出て行き、枝を持って来て、各自の家の屋上、庭、神殿の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に仮庵を作った。
8:17 こうして捕囚の地から帰った人々から成る会衆は、皆で仮庵を作り、そこで過ごした。ヌンの子ヨシュアの時代からこの日まで、イスラエルの人々がこのような祝いを行ったことはなかった。それは、まことに大きな喜びの祝いであった。
8:18 最初の日から最後の日まで、毎日彼は神の律法の書を朗読し、彼らは七日間にわたって祭りを行い、八日目には定めに従って終わりの集会を行った。

捕囚から帰還したイスラエルの民は、ついに、その喜びを表す時を迎え、祭司エズラの朗読する聖書の言葉を聞き、民は一同、喜びに包まれた。
ここで行われていることは、礼拝である。
礼拝とは、単に神の御前にひざまづき拝むだけの儀式ではなく、むしろ、神から与えられる救いの約束を、聖書のみ言葉が語られることを通していただき、共にその喜びを共有する、そのような性質を持った場であり、礼拝が大いなる喜びとなるのは、そのためである。
ましてや、苦行を強いるものなどではないし、己を無にして暗くなるだけの場でもない。
もちろん、無理やり喜べばいいというものでもないが、聖書のみ言葉が正しく語られ、その意味がきちんと理解される形で民に解き明かされる時、必ずそこには真実の喜びが満たされる。
主なる神様は、私たちをそのような喜びの場へと毎聖日に招いて下さる。
だから、礼拝をおろそかにすべきではないし、率先して喜びの場へと集い、聖なる民と共に、救われた者が味わうことのできる豊かな喜びを分かち合っていきたいものである。

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ネヘミヤ 7:1 城壁が築かれたので、わたしは扉を取り付けさせた。そして、門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けた。
7:2 わたしは、兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託した。このハナンヤは誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった。
7:3 わたしは彼らに言った。「日射しの暑くなる時まで、エルサレムの門を開いてはならない。また彼らが任務に就いている間に扉を固く閉ざしなさい。エルサレムの住民に守備態勢を取らせ、各自が自分の持ち場と、各自が自分の家の前を守るようにせよ。」
7:4 町は二方向に大きく広がっていたが、その中に住む民は少数で、家屋は建てられてはいなかった。
7:5 わたしは心に神の指示を受けて、貴族と役人と民を集め、家系に従って登録させようとしたところ、最初に帰還した人々の名簿を発見した。そこには次のように記録されているのを発見した。
7:6 捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は、次のとおりである。彼らは、バビロンの王ネブカドネツァルによって連行されたが、それぞれエルサレムとユダにある自分の町に帰ったものである。
7:7 彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルドカイ、ビルシャン、ミスペレト、ビグワイ、ネフム、バアナと共に帰って来た。イスラエルの民の男子の数。
7:8 パルオシュの一族二千百七十二人、
7:9 シェファトヤの一族三百七十二人、
7:10 アラの一族六百五十二人、
7:11 パハト・モアブの一族、すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十八人、
7:12 エラムの一族千二百五十四人、
7:13 ザトの一族八百四十五人、
7:14 ザカイの一族七百六十人、
7:15 ビヌイの一族六百四十八人、
7:16 ベバイの一族六百二十八人、
7:17 アズガドの一族二千三百二十二人、
7:18 アドニカムの一族六百六十七人、
7:19 ビグワイの一族二千六十七人、
7:20 アディンの一族六百五十五人、
7:21 アテルの一族、すなわちヒズキヤの一族九十八人、
7:22 ハシュムの一族三百二十八人、
7:23 ベツァイの一族三百二十四人、
7:24 ハリフの一族百十二人、
7:25 ギブオンの一族九十五人、
7:26 ベツレヘムとネトファの男子百八十八人、
7:27 アナトトの男子百二十八人、
7:28 ベト・アズマベトの男子四十二人、
7:29 キルヤト・エアリムと、ケフィラとベエロトの男子七百四十三人、
7:30 ラマとゲバの男子六百二十一人、
7:31 ミクマスの男子百二十二人、
7:32 ベテルとアイの男子百二十三人、
7:33 別のネボの男子五十二人、
7:34 別のエラムの一族千二百五十四人、
7:35 ハリムの一族三百二十人、
7:36 エリコの一族三百四十五人、
7:37 ロド、ハディド、オノの一族七百二十一人、
7:38 セナアの一族三千九百三十人。
7:39 祭司。エダヤの一族、すなわちイエシュアの一族九百七十三人、
7:40 イメルの一族千五十二人、
7:41 パシュフルの一族千二百四十七人、
7:42 ハリムの一族千十七人。
7:43 レビ人。イエシュアとカドミエル、ビヌイ、ホダウヤの一族七十四人。
7:44 詠唱者。アサフの一族百四十八人。
7:45 門衛。シャルムの一族、アテルの一族、タルモンの一族、アクブの一族、ハティタの一族、ショバイの一族、百三十八人。
7:46 神殿の使用人。ツィハの一族、ハスファの一族、タバオトの一族、
7:47 ケロスの一族、シアの一族、パドンの一族、
7:48 レバナの一族、ハガバの一族、シャルマイの一族、
7:49 ハナンの一族、ギデルの一族、ガハルの一族、
7:50 レアヤの一族、レツィンの一族、ネコダの一族、
7:51 ガザムの一族、ウザの一族、パセアの一族、
7:52 ベサイの一族、メウニムの一族、ネフィシェシムの一族、
7:53 バクブクの一族、ハクファの一族、ハルフルの一族、
7:54 バツリトの一族、メヒダの一族、ハルシャの一族、
7:55 バルコスの一族、シセラの一族、テマの一族、
7:56 ネツィアの一族、ハティファの一族。
7:57 ソロモンの使用人の一族。ソタイの一族、ソフェレトの一族、ペリダの一族、
7:58 ヤアラの一族、ダルコンの一族、ギデルの一族、
7:59 シェファトヤの一族、ハティルの一族、ポケレト・ハツェバイムの一族、アモンの一族。
7:60 神殿の使用人およびソロモンの使用人の一族、合計三百九十二人。
7:61 テル・メラ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルから上って来たが、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者は次のとおりである。
7:62 デラヤの一族、トビヤの一族、ネコダの一族、六百四十二人。
7:63 また祭司のうちに、ホバヤの一族、ハコツの一族、ギレアド人バルジライの娘の一人をめとったので、その名が由来するバルジライの一族は、
7:64 自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。
7:65 総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで、彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。
7:66 会衆の総数は、四万二千三百六十人であった。
7:67 ほかに男女の使用人が七千三百三十七人いた。また、男女の詠唱者が二百四十五人いた。
7:68 らくだは四百三十五頭、ろばは六千七百二十頭であった。
7:69 家長の何人かは、工事のために寄付をした。総督は、会計に金一千ドラクメ、供え物用の器五十個、祭司の衣服五百三十着を差し出した。
7:70 家長の幾人かは、工事の会計に金二万ドラクメ、銀二千二百マネを差し出した。
7:71 残りの民が差し出したのは、金二万ドラクメ、銀二千マネ、祭司の衣服六十七着であった。
7:72 祭司、レビ人、門衛、詠唱者、民の一部、神殿の使用人、すなわちイスラエル人は皆それぞれ自分たちの町に住んだ。

最初にエルサレムに帰還した人たちの名簿が見つかり、かなり詳細に部族やその人数について記録されていることが伺える。
その中には、祭司や門衛、使用人に至るまで、エルサレムへの帰還を共にした人たちが、その歴史の証人としていたことを物語っていると言える。
さらには、家計があやふやだが、それでも一緒にエルサレムへ帰還してきた人たちまでいたことが記されており、どんな立場の人であろうと、一緒にこの歴史的一大事を共にした人たちを「同士」として受け入れていたということなのであろう。
名もなき民が、神の偉大な御業を目撃した証人として数えられているのである。
それは、現代に生きる我々一人一人にも当てはまることなのかもしれない。
どんな家の出で、どんな仕事をしているか、そんなことは神の御前では全く関係ない。
一人の人間は、神が愛された一人である。
その事実をしっかりと受け止め、喜ばしき人生を歩む者でありたいものである。

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