聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




イザヤ 51:17 目覚めよ、目覚めよ 立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み よろめかす大杯を飲み干した都よ。
51:18 彼女の産んだ子らは、だれも導き手とならず 育てた子らは、だれも彼女の手を取って支えない。
51:19 二組の災いがあなたを襲った。誰があなたのために嘆くであろうか。破壊と破滅、飢饉と剣。誰があなたを慰めるであろうか。
51:20 どの街角にもあなたの子らが力尽きて伏している 網にかかったかもしかのように。主の憤り、あなたの神のとがめに満たされて。
51:21 それゆえ、これを聞くがよい 酒によらずに酔い、苦しむ者よ。
51:22 あなたの主なる神 御自分の民の訴えを取り上げられる主は こう言われる。見よ、よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。わたしの憤りの大杯を あなたは再び飲むことはない。
51:23 あなたを責める者の手にわたしはそれを置く。彼らはあなたに言った。「ひれ伏せ、踏み越えて行くから」と。あなたは背中を地面のように、通りのようにして 踏み越える者にまかせた。


詩篇 145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。

145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
145:19 主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。
145:20 主を愛する人は主に守られ 主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは 世々限りなく聖なる御名をたたえます。


ローマ 9:6 ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、
9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」
9:8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。
9:9 約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。
9:10 それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。
9:11 -12その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。




昨日は、教会でベテル聖書研究の学びが行われ、イスラエルの民が神に選ばれた事を特別な事として受け止めるようになり、選民意識として誤った方向へと進むきっかけとなっていったことを学んだ。
テキストでは、それを「夢」という言葉で表現しており、まさに、イスラエルの民が夢を追い求め、妄想に近い信仰形成を続けていってしまったことが解説されていた。
神の選び、エジプトからの救出、律法の言葉の授与、約束の地への入植、そしてダビデ王国の確立とエルサレム神殿の建設など、彼らの歴史において起こった事自体が、神に選ばれた民としての誇りや特権意識を養うことに用いられたのである。
確かにイスラエルの民は神に選ばれた。
しかしそれは、イスラエルの民が特別に優れた人たちであったからというわけではない。
むしろ、ごく普通の人たちであったのが、選民だからという意識を持つことによって、律法の言葉を忠実に後世に伝えるようになったのかもしれず、彼らが特別に忠実な人たちであったからというわけではないのかもしれないのである。
その証拠に、ダビデの王国やエルサレム神殿など、長くは続かなかったし、イスラエルの民の驕り高ぶりのゆえに、これらは全て破壊されていったのである。

このようなことは、現代の我々にも当てはまる事かもしれない。
クリスチャンは、忠実な者だったから召されたというわけではなく、召されたから神に従おうとしているだけなのかもしれない。
クリスチャンには真面目な人が多いと思われがちであるが、それは救われたことによる結果に過ぎず、そもそも罪人だから救いを求めて神を信じたのである。
救われるべき根拠は、我々のうちにあるのではない。
もしそのような驕り高ぶりを抱いているなら、神は即刻そのような誇りは打ち砕かれるであろう。
我々が救われたのは、神がご自分の御子イエス様の命を十字架に差し出されたからこそ成立したものである。
そして、そのイエス様を世に送られたことこそ、神の契約であり、イエス様こそが約束の子と言えるのである。
私たちは、そのような神の契約によって救われているのである。
ただ、その契約の前にひざまづき「アーメン」と信仰を告白するだけである。

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箴言 10:1 ソロモンの格言集。知恵ある子は父の喜び、愚かな子は母の嘆き。
10:2 不正による富は頼りにならない。慈善は死から救う。
10:3 主は従う人を飢えさせられることはない。逆らう者の欲望は退けられる。
10:4 手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす。
10:5 夏のうちに集めるのは成功をもたらす子。刈り入れ時に眠るのは恥をもたらす子。


詩篇 145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。
145:9 主はすべてのものに恵みを与え 造られたすべてのものを憐れんでくださいます。

145:14 主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。
145:15 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
145:16 すべて命あるものに向かって御手を開き 望みを満足させてくださいます。
145:17 主の道はことごとく正しく 御業は慈しみを示しています。
145:18 主を呼ぶ人すべてに近くいまし まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
145:19 主を畏れる人々の望みをかなえ 叫びを聞いて救ってくださいます。
145:20 主を愛する人は主に守られ 主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。
145:21 わたしの口は主を賛美します。すべて肉なるものは 世々限りなく聖なる御名をたたえます。


フィリピ 4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。
4:11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。




詩篇145篇の後半の箇所を読むと、主なる神様を信じて従う者は祝福され、なんでも望みが適えられるかのように受け止められるかもしれない。
しかし、前半部分から読んでいくと、主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんで下さるとも語られている。
つまり、必ずしも神に従う者だけが祝福されて、そうではないものは祝福されないというわけでもないのである。
実際、この世の中には、神に従わない人たちで成功している人もいるし、神を信じて従っていても、何も上手くいっていないように思えることもある。
神は本当に公平なのかとつぶやきたくなる人もいるかもしれない。
しかし、そのように考えるのは、この世での成功だけが神の祝福であると考えているからではないだろうか。
箴言でも触れられているように、不正によって富を蓄えるものもいれば、慈善の業を通して誰かを救う人もいる。
世の中にはいろんな人がいるが、神は富んでいる人にも貧しい人にも、平等に恵みをお与えになる。
大切なことは、それぞれが自分に与えられたものを用いて、誠実に生きるかどうかであろう。
パウロは、貧しく暮らす術も、豊かに暮らす術も知っていると語り、どんな状況であろうと、神の恵みが変わりなく注がれていることをきちんと理解しているのである。
物質的なことや生活の豊かさなどを見ていると大切な事を見失う事もある。
神の恵みは、誰にでも平等である。
ただ御言葉の約束を信じるだけで、救われるのだから。

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箴言 1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1:2 これは知恵と諭しをわきまえ 分別ある言葉を理解するため
1:3 諭しを受け入れて 正義と裁きと公平に目覚めるため。
1:4 未熟な者に熟慮を教え 若者に知識と慎重さを与えるため。
1:5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え 聡明な人も指導力を増すであろう。
1:6 また、格言、寓話 賢人らの言葉と謎を理解するため。
1:7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

1:20 知恵は巷に呼ばわり 広場に声をあげる。
1:21 雑踏の街角で呼びかけ 城門の脇の通路で語りかける。
1:22 「いつまで/浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち 不遜な者は不遜であることを好み 愚か者は知ることをいとうのか。
1:23 立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら 見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ わたしの言葉を示そう。
1:24 しかし、わたしが呼びかけても拒み 手を伸べても意に介せず
1:25 わたしの勧めをことごとくなおざりにし 懲らしめを受け入れないなら
1:26 あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い 恐怖に襲われるとき、嘲笑うであろう。
1:27 恐怖が嵐のように襲い 災いがつむじ風のように起こり 苦難と苦悩があなたたちを襲うとき。」
1:28 そのときになって 彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず 捜し求めても わたしを見いだすことはできない。
1:29 彼らは知ることをいとい 主を畏れることを選ばず
1:30 わたしの勧めに従わず 懲らしめをすべてないがしろにした。
1:31 だから、自分たちの道が結んだ実を食べ 自分たちの意見に飽き足りるがよい。
1:32 浅はかな者は座して死に至り 愚か者は無為の内に滅びる。
1:33 わたしに聞き従う人は確かな住まいを得 災難を恐れることなく平穏に暮らす。


詩篇 119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。
119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者がわたしを虐げませんように。
119:123 御救いを待って、わたしの目は衰えました あなたの正しい仰せを待って。
119:124 慈しみ深く あなたの僕のために計らってください。あなたの掟をわたしに教えてください。
119:125 わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくだされば あなたの定めを知ることができます。
119:126 主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています。
119:127 それゆえ、金にまさり純金にまさって わたしはあなたの戒めを愛します。
119:128 それゆえ、あなたの命令のすべてに従って わたしはまっすぐに歩き 偽りの道をことごとく憎みます。


マルコ 4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。
4:34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。



いくら知恵ある者のように語ったとしても、ただ声が大きいだけや、威圧的に語ることで人を動かそうとしても、そのような仕方では人は動かないし、たとえ動いたとしても長続きはしない。
その場では動くかもしれないが、それは、その人と関わりを持ちたくないから仕方なく動いているだけで、内心は反発や無関心な思いでしかない。
しかし、真に知恵のある者の言葉は、その言葉を聞く者に力を与え、行動を促す基となる。
知恵ある者の言葉は、どんなに小さくても、言葉数がわずかでも、周囲の人を大きく動かしていく。
多くを語らない人も、何もしゃべらないから、何も考えていないのではない。
むしろ、じっくりと聞き、しっかりと考えているからこそ、言葉数も少なく、慎重に言葉を選んでいるのであろう。
しゃべることよりも、聞くことが大切である。
すぐに思いを口にしてしまう人は、己の知恵の無さを暴露しているようなものである。
なぜなら、人はみな罪人だから。
言葉を発する前に、その言葉を発することで、周囲にどんな影響が及んでいくのか、よく考えてから語るようにしたいものである。

ヤコブ3:1 わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。
3:2 わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。
3:3 馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。
3:4 また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。
3:5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
3:6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。


口を開けば、罪を犯すような者。
しかし、そんな我々のために十字架で死なれた主イエス様を感謝し、願わくは、少しでも他者の益となるような知恵の言葉だけを語る者となりたいものである。

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列王記上 5:9 神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。
5:10 ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。
5:11 彼はエズラ人エタン、マホルの子らであるヘマン、カルコル、ダルダをしのぐ、最も知恵ある者であり、その名は周りのすべての国々に知れ渡った。
5:12 彼の語った格言は三千、歌は千五首に達した。
5:13 彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた。
5:14 あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた。


詩篇 119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。
119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者がわたしを虐げませんように。
119:123 御救いを待って、わたしの目は衰えました あなたの正しい仰せを待って。
119:124 慈しみ深く あなたの僕のために計らってください。あなたの掟をわたしに教えてください。
119:125 わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくだされば あなたの定めを知ることができます。
119:126 主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています。
119:127 それゆえ、金にまさり純金にまさって わたしはあなたの戒めを愛します。
119:128 それゆえ、あなたの命令のすべてに従って わたしはまっすぐに歩き 偽りの道をことごとく憎みます。


エフェソ 6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
6:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
6:18 どのような時にも、"霊"に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。



エフェソ6章の箇所には、神の武具を見に就けて、信仰の戦いに備えるように勧められている。
武具については、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を告げる準備という履きもの、信仰の盾、救いの兜、そして、神の言葉という霊の剣、などを備えるよう命じられている。
しかし、これらの武具のほとんどが、身を守るためのものであり、かろうじて霊の剣だけが武器として用いることができるものと言えるだろう。
そのことについては、これらの神の武具を身にまとう理由が、悪との戦いに備えるためであるとなっているが、具体的には「立っている」ためだと語られている。(11節、13節)
神の武具を身に着けて備える理由は、積極的に悪に立ち向かうためではなく、悪の攻撃に対して打ち倒されてしまわないで、立ち続けているためである、ということなのである。
そして、どのような時にも霊に助けられて祈り、すべての聖なる者のために根気よく祈り続けていくためである、とも語られている。
祈りの姿勢は、やたら自分で行動して、敵に対して攻撃していくような姿ではない。
むしろ、じっとして、静かに神に祈り求めていく。
祈りは、何もしていないようで、実にとても大切な働きである。
「信仰の戦い」の意味をはき違えて、他者に攻撃を加えていくようなやり方ではなく、信仰者としてしっかりと立ち続け、祈り続けていくことのできる「戦い」を続けていきたいものである。

ルターのことば
「我ここに立つ」

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列王記上 3:16 そのころ、遊女が二人王のもとに来て、その前に立った。
3:17 一人はこう言った。「王様、よろしくお願いします。わたしはこの人と同じ家に住んでいて、その家で、この人のいるところでお産をしました。
3:18 三日後に、この人もお産をしました。わたしたちは一緒に家にいて、ほかにだれもいず、わたしたちは二人きりでした。
3:19 ある晩のこと、この人は寝ているときに赤ん坊に寄りかかったため、この人の赤ん坊が死んでしまいました。
3:20 そこで夜中に起きて、わたしの眠っている間にわたしの赤ん坊を取って自分のふところに寝かせ、死んだ子をわたしのふところに寝かせたのです。
3:21 わたしが朝起きて自分の子に乳をふくませようとしたところ、子供は死んでいるではありませんか。その朝子供をよく見ますと、わたしの産んだ子ではありませんでした。」
3:22 もう一人の女が言った。「いいえ、生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子です。」さきの女は言った。「いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのがわたしの子です。」二人は王の前で言い争った。
3:23 王は言った。「『生きているのがわたしの子で、死んだのはあなたの子だ』と一人が言えば、もう一人は、『いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのがわたしの子だ』と言う。」
3:24 そして王は、「剣を持って来るように」と命じた。王の前に剣が持って来られると、
3:25 王は命じた。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」
3:26 生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。
3:27 王はそれに答えて宣言した。「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である。」
3:28 王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。


詩篇 119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。
119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者がわたしを虐げませんように。
119:123 御救いを待って、わたしの目は衰えました あなたの正しい仰せを待って。
119:124 慈しみ深く あなたの僕のために計らってください。あなたの掟をわたしに教えてください。
119:125 わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくだされば あなたの定めを知ることができます。
119:126 主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています。
119:127 それゆえ、金にまさり純金にまさって わたしはあなたの戒めを愛します。
119:128 それゆえ、あなたの命令のすべてに従って わたしはまっすぐに歩き 偽りの道をことごとく憎みます。


ヤコブ 3:13 あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
3:14 しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。
3:15 そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。
3:16 ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。
3:17 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。
3:18 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。


いくら正しいことを主張しているように思えても、聞いている人が不快感を覚えるようでは、そこには真の知恵は存在しない。
むしろ害悪であり、ヤコブの手紙に記されている通り、利己的であり偽善的なものでしかなく、この世のものでしかない。
本当に知恵ある者の言葉は、純真で温和で優しく、聞く人に喜びや平安をもたらす。
自分を大きく見せようとしたり、相手を見下したりするような仕方では、いくら正しいことを言っても、それは正しいことではないのである。

赤子を二つに分けよとのソロモンの知恵の言葉は、真実を明るみに出し、真の母親に慰めと救いをもたらすものであった。
一見残忍な言葉のように見えるが、真の平和をもたらす知恵である。
神はその一人子を十字架にささげられたが、その御子キリストの死によって、真の救いと平和をもたらしたのである。
このような知恵こそ、真の知恵である。
自分を大きく見せようとするために他者をおとしめたり、自分の意見を主張するだけの偽善的な行為は厳に慎みたいものである。

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列王記上 2:1 死期が近づいたとき、ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。
2:2 「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。あなたは勇ましく雄々しくあれ。
2:3 あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。
2:4 また主は、わたしについて告げてくださったこと、『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない』という約束を守ってくださるであろう。


詩篇 119:129 あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
119:130 御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。
119:131 わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
119:132 御顔をわたしに向け、憐れんでください 御名を愛する者への裁きに従って。
119:133 仰せのとおり わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
119:134 虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:135 御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
119:136 わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。


マタイ 12:38 すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
12:39 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
12:40 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
12:41 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。
12:42 また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」




昨晩は教会員の方の葬儀前夜式が行われ、今朝は告別式を予定している。
死は、誰も避けて通ることのできないものである。
しかし、その死を前にして人は何を思うかによって、その生涯も違ってくるのだろう。
自分の力では清い者となり、天のみ国へ行くとができないかもしれないが、神の御子イエス様がご自分の命を代価として支払って下さったおかげで、罪深い私でも天国へ行くことができると思えば、ずいぶんと気も楽になるし、平安のうちに自分の生涯をも委ねることができる。
そんな生涯を終えて旅立たれた信仰者の姿を見て、子供さんやお孫さんたちも、安心してお見送りすることができるだろう。
そして、やがてののちに、再び天国において再会できることを約束されている幸いを覚えて、あとに続くものも、信仰の先輩方にならい、主イエス様を信じて歩み続けていきたいものである。
長きにわたる生涯を終えて旅立たれた、その信仰の生涯を通しての証に感謝である。

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列王記上 1:38 祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人と共に下って行った。彼らはソロモンをダビデ王のらばに乗せ、ギホンに連れて行った。
1:39 祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、「ソロモン王、万歳」と叫んだ。
1:40 民は皆、彼の後に従って上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた。
1:41 アドニヤと、彼と共にいたすべての客は、その声を聞いた。彼らは食事を終えたばかりであった。ヨアブは角笛の音を聞いて、「どうして町に騒がしい声がするのだろうか」と言った。
1:42 こう話しているうちに、祭司アビアタルの子ヨナタンが来た。アドニヤは、「近くに来るがよい。お前は勇敢な男だ。良い知らせがあるにちがいない」と言ったが、
1:43 ヨナタンはアドニヤに答えた。「いいえ、我らの主君、ダビデ王はソロモンを王とされました。
1:44 王は、ソロモンと共に祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤ、クレタ人とペレティ人を遣わし、彼らはソロモンを王のらばに乗せました。
1:45 祭司ツァドクと預言者ナタンはギホンでソロモンに油を注いで王とし、彼らがそこから喜び祝いながら上って来たので、町は騒いでいるのです。あなたがたに聞こえたのはその声で、
1:46 ソロモンは既に国王の座についておられます。
1:47 王の家臣も次々と来て、我らの主君、ダビデ王に祝いの言葉を述べています。『あなたの神がソロモンの名をあなたの名よりも優れたものに、ソロモンの王座をあなたの王座よりも大いなるものにしてくださいますように』と。王は寝床の上でひれ伏し、
1:48 こう言われました。『イスラエルの神、主はたたえられますように。主は今日わたしの王座につく者を与えてくださり、わたしはそれをこの目で見ている。』」


詩篇 119:129 あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
119:130 御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。
119:131 わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
119:132 御顔をわたしに向け、憐れんでください 御名を愛する者への裁きに従って。
119:133 仰せのとおり わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
119:134 虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:135 御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
119:136 わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。


使徒 7:44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
7:45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
7:46 ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
7:47 神のために家を建てたのはソロモンでした。
7:48 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
7:49 『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。
7:50 これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』
7:51 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」




イスラエルの民は、ダビデが確立した王国や、ソロモンが建てたエルサレム神殿を誇り、神がイスラエルを祝福していることを示すシンボルとしてあがめていたことであろう。
しかし、どんなに立派なものであっても、建物はおろか、国家ですら、いつかは破壊され、滅ぼされていくものである。
永遠に存続し、人を守ることのできるものなどないのである。
そもそも、主なる神がイスラエルの民をエジプトから解放し、荒野へ導きだされた時、彼らに示されたのは、ほんの小さな証の幕屋であった。
それは非常に簡素な造りであったし、エルサレム神殿のように荘厳でも巨大な建物でもなかった。
神のなさることは、人の目にはみすぼらしく見えるのかもしれない。
偉大さを誇り、その功績を後世に伝えようとするような行動は、いかにも人間的である。
そこには人間の傲慢さと欲望に支配された愚かさや醜さがあるだけであろう。
見た目の麗しさ、荘厳さ、偉大さなどに翻弄されず、小さくても真実なこと、神が我々人間を愛し救おうとされた神の救いの約束に心を留めて、日々歩んで行きたいものである。

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列王記上 1:28 ダビデ王は答えて、「バト・シェバをここに呼びなさい」と命じた。彼女が進み出て、王の前に立つと、
1:29 王は誓った。「わたしの命をあらゆる苦しみから救ってくださった主は生きておられる。
1:30 あなたの子ソロモンがわたしの跡を継いで王となり、わたしに代わって王座につく、とイスラエルの神、主にかけてあなたに立てた誓いをわたしは今日実行する。」
1:31 バト・シェバは顔を地に伏せ、王に礼をして、「わが主君、ダビデ王、あなたの命がとこしえに永らえますように」と言った。
1:32 ダビデ王は、「祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤをここに呼べ」と命じた。彼らが王の前に出ると、
1:33 王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらばに乗せ、ギホンに下らせよ。
1:34 祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこでソロモンに油を注いで、イスラエルの上に立つ王とせよ。角笛を吹いて『ソロモン王、万歳』と叫び、
1:35 彼の後に従って上れ。ソロモンは来て、わたしの王座につく。わたしに代わって王となるのは彼であり、イスラエルとユダの上に立つ君主になるようわたしは彼に命じる。」
1:36 ヨヤダの子ベナヤは王に答えた。「まことに王の神、主もそう仰せになりますように。
1:37 主は王と共にいてくださいました。またソロモンと共にいてくださいますように。その王座をわが主君、ダビデ王の王座より更に大いなるものにしてくださいますように。」


詩篇 119:129 あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります。
119:130 御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。
119:131 わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます。
119:132 御顔をわたしに向け、憐れんでください 御名を愛する者への裁きに従って。
119:133 仰せのとおり わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように。
119:134 虐げる者からわたしを解き放ってください。わたしはあなたの命令を守ります。
119:135 御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。
119:136 わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。


1コリント 4:14 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。
4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。
4:16 そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
4:17 テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。
4:18 わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。
4:19 しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。
4:20 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。



パウロは、かつて自分が伝道し、教育した者たちが、今や高ぶっている状況を憂い、多少厳しい言葉を用いても、コリントの教会の信徒たちを諭そうとしている。
パウロは、それを親子のきょうな関係と考え、親は我が子を愛するがゆえに、時に厳しく指導もするのであることを述べている。
嫌いだからではない。
愛するが故の、愛の言葉ということであろう。
しかし、その愛の言葉に基づいた親子の関係というのは、なかなか難しい。
しつけの問題や、DV(家庭内暴力)、強すぎる愛による支配など、本人の思いとは裏腹に、誤った方向へ進んでしまう場合も多い。
何が違うのか、どこを間違ってしまうのか。
それらの過ちの根っこには、やはり個人個人の罪の問題が存在するのだろう。
愛する側も、愛される側も、どちらも同じ人間であり、罪人である。
自分が常に正しいわけではないし、相手も正しいとは限らない。
だからと言って、全て間違っているというわけでもないが、お互い弱い罪人であるという前提のもとに、相手のことを思いやってあげられることができれば、それが一番幸せなのだろう。
相手も弱い人間である。
自分も弱い人間である。
そして、神は全ての人間を愛し、憐れんでおられる。
まずはそこから始めたい。

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ダニエル 12:1 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう お前の民、あの書に記された人々は。
12:2 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
12:3 目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。
12:4 ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」
12:5 わたしダニエルは、なお眺め続けていると、見よ、更に二人の人が、川の両岸に一人ずつ立っているのが見えた。
12:6 その一人が、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人に向かって、「これらの驚くべきことはいつまで続くのでしょうか」と尋ねた。
12:7 すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。」
12:8 こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。」
12:9 彼は答えた。「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。
12:10 多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。
12:11 日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。
12:12 待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。
12:13 終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」


詩篇 75:1  指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。賛歌。アサフの詩。歌。 
75:2 あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし 人々は驚くべき御業を物語ります。
75:3 「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。
75:4 地はそこに住むすべてのものと共に 溶け去ろうとしている。しかし、わたしは自ら地の柱を固める。
75:5 わたしは驕る者たちに、驕るなと言おう。逆らう者に言おう、角をそびやかすなと。
75:6 お前たちの角を高くそびやかすな。胸を張って断言するな。」
75:7 そうです、人を高く上げるものは 東からも西からも、荒れ野からも来ません。
75:8 神が必ず裁きを行い ある者を低く、ある者を高くなさるでしょう。
75:9 すでに杯は主の御手にあり 調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み おりまで飲み干すでしょう。
75:10 わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ ヤコブの神にほめ歌をささげます。
75:11 「わたしは逆らう者の角をことごとく折り 従う者の角を高く上げる。」


マタイ 12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、
12:16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。
12:17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
12:18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
12:19 彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。
12:20 正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。
12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」



主なる神様は、ご自身のご計画のうちに、着実に救いの御業を成し遂げられる。
しかし、それは、人が思うような仕方ではなく、人の目には「いったいいつになったらその時がくるのか」と思うようなことがあるかもしれない。
けれど、人間がそれに気が付かないだけで、着実に実行されているのかもしれない。
特に、神を信じようとしない者にとっては、主なる神様の御業は、ほとんどみえていないだけなのかもしれない。
神の救いの御業は、多くの場合、人の目には封じられている事が多い。
イエス様が地上の生涯を送られた時、多くの人たちが癒されたり、慰めを受けたりしたが、ご自分のことをあちこちで言いふらしたり、ことさらにご自分を大きく見せようとなさることは無かった。
静かに、ご自分の御業を成し遂げて行かれたのである。
あるものには、その姿は、ただの人間の姿にしか見えなかっただろうし、十字架にはりつけにされて死刑にされた犯罪人としてしか見なかったかもしれない。
しかし、そこにこそ、偉大なる神の救いの御業が、はっきりと現わされていたのである。
信仰の目を持って、今の時代に起こっている事、これから起こるであろうことを見極めていくことが大切である。
何気ないこと、価値がないように思っていたことの中に、実は大きな恵みがあるかもしれない。
封じられていても、救いの約束は確かである。
見えなくても、神の国は私たちのものである。
それが信仰者の受ける特権である。

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ゼファニヤ 3:1 災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。
3:2 この都は神の声を聞かず 戒めを受け入れなかった。主に信頼せず、神に近づこうとしなかった。
3:3 この都の中で、役人たちはほえたける獅子 裁判官たちは夕暮れの狼である。朝になる前に、食らい尽くして何も残さない。
3:4 預言者たちは、気まぐれで欺く者 祭司たちは、聖なるものを汚し、律法を破る。
3:5 主は、都の中にいまして正しく 決して不正を行われない。朝ごとに裁きを与え、それを光とし 誤りをなさることはない。不正を行う者は恥を知らない。
3:6 わたしは諸国の民を滅ぼした。彼らの城壁の塔は破壊された。わたしは彼らの街路を荒れるにまかせた。もはや、通り過ぎる者もない。彼らの町々は捨てられ 人影もなく、住む者もない。
3:7 わたしは思った。「必ず、お前はわたしを畏れ 戒めを受け入れる。わたしがどんなに罰しても その住む所が断たれることはない。」しかし、彼らはますます堕落を重ね あらゆる悪事を行った。
3:8 それゆえ、お前たちはわたしが獲物に向かって 立ち上がる日を待つがよい、と主は言われる。なぜなら、わたしは諸国の民を集め もろもろの王国を呼び寄せ 彼らの上に、憤りと 激しい怒りを注ぐことを定めたからだ。必ず、地上はくまなく わたしの熱情の火に焼き尽くされる。
3:9 その後、わたしは諸国の民に 清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え 一つとなって主に仕える。
3:10 クシュの川の向こうから わたしを礼拝する者 かつてわたしが散らした民が わたしのもとに献げ物を携えて来る。
3:11 その日には、お前はもはや わたしに背いて行った、いかなる悪事のゆえにも 辱められることはない。そのとき、わたしはお前のうちから 勝ち誇る兵士を追い払う。お前は、再びわが聖なる山で 驕り高ぶることはない。
3:12 わたしはお前の中に 苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。
3:13 イスラエルの残りの者は 不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い 彼らを脅かす者はない。


詩篇 75:1  指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。賛歌。アサフの詩。歌。 
75:2 あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし 人々は驚くべき御業を物語ります。
75:3 「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。
75:4 地はそこに住むすべてのものと共に 溶け去ろうとしている。しかし、わたしは自ら地の柱を固める。
75:5 わたしは驕る者たちに、驕るなと言おう。逆らう者に言おう、角をそびやかすなと。
75:6 お前たちの角を高くそびやかすな。胸を張って断言するな。」
75:7 そうです、人を高く上げるものは 東からも西からも、荒れ野からも来ません。
75:8 神が必ず裁きを行い ある者を低く、ある者を高くなさるでしょう。
75:9 すでに杯は主の御手にあり 調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み おりまで飲み干すでしょう。
75:10 わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ ヤコブの神にほめ歌をささげます。
75:11 「わたしは逆らう者の角をことごとく折り 従う者の角を高く上げる。」


ガラテヤ 4:21 わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。
4:22 アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。
4:23 ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。
4:24 これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。
4:25 このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。
4:26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
4:27 なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、喜びの声をあげて叫べ、産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、多くの子を産むから。」
4:28 ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。
4:29 けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、"霊"によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。
4:30 しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。
4:31 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
5:1 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。



神の律法の言葉は、確かに厳しい裁きを伴い、罪に生きようとする者を裁かれる。
そして、神を信じる者は、その裁きを免れることによって「救われたもの」となる。
最初から救われる人とそうでない人が定められているわけではない。
神を信じて生きようとする者に、救いは約束されているのである。
ただ、それは「神を信じる」ということを通してのみ得られるものであり、人の業とか行動によるものではない。
救いの約束自体は、神の一方的な恵みの業によるものである。

ゼファニヤ 3:9 その後、わたしは諸国の民に 清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え 一つとなって主に仕える。

ここには、主なる神を救い主として信じて主の御名をあがめるようになる信仰者の姿が描かれているが、このような信仰さえも神が与えると述べられていることに注目したい。
私たちは、自分で神を信じ、神に従う生き方を選び取ったかのように考えているかもしれないが、神を信じる心すら、神に与えられたものであろう。
全ては恵みである。
その恵みに信頼して生きるのか、それとも、無視して生きるのか、祝福を受けることができるかどうかは、我々の生き方にもよるだろう。

ガラテヤ 4:31 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
5:1 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

私たちは自由を得るためにキリストによって新しい契約の民とされた者として、元の肉に支配された生き方に戻らぬように、神が備えられた良きものに信頼し、本来あるべき人としての生涯を歩んでいきたいものである。

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