聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇114:1 イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なることばの民のうちから、出て来たとき、
114:2 ユダは神の聖所となり、イスラエルはその領地となった。
114:3 海は見て逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れた。
114:4 山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。
114:5 海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。
114:6 山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。
114:7 地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。
114:8 神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。

時に主なる神は、自然の摂理に逆らっても、不思議なことをなさることがある。
しかし、それは、何の意図もなくなされるのではない。
選ばれた者たちの救いのため、真実なる救い主を信じるようになるためである。

自然の恵みには、まだまだ私たちの知らない驚くような出来事がある。
それらに目を留め、常に感動、感謝する心を持ち続けていたいものである。

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詩篇112:1 ハレルヤ。いかに幸いなことか主を畏れる人主の戒めを深く愛する人は。
112:2 彼の子孫はこの地で勇士となり祝福されたまっすぐな人々の世代となる。
112:3 彼の家には多くの富があり彼の善い業は永遠に堪える。
112:4 まっすぐな人には闇の中にも光が昇る憐れみに富み、情け深く、正しい光が。
112:5 憐れみ深く、貸し与える人は良い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。
112:6 主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。彼はとこしえに記憶される。
112:7 彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。
112:8 彼の心は堅固で恐れることなくついに彼は敵を支配する。
112:9 貧しい人々にはふるまい与えその善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く。
112:10 神に逆らう者はそれを見て憤り歯ぎしりし、力を失う。神に逆らう者の野望は滅びる。

主を畏れる人は、主があわれみ深いように、隣人にも憐れみを示す。
憐れみ深く生きるということは、隣人に施しをしたり、時には損を被る事もあるかもしれない。
しかし、そのような人の子孫は繁栄すると約束されている。

あまりにも短期的な目先の利益だけが優先される社会、ふと立ち止まって、長い目で見て、本当に大切なものとは何か、今こそじっくりと考えていく必要がある。
今の時代の人たちが繁栄を極め、後の子どもや孫の世代にツケをまわすような社会であってはならない。
主イエス様がそうであられたように、私たちも憐れみ深い人になりたいと願う。

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詩篇111:1 ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる正しい人々の集い、会衆の中で。
111:2 主の御業は大きくそれを愛する人は皆、それを尋ね求める。
111:3 主の成し遂げられることは栄え輝き恵みの御業は永遠に続く。
111:4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み
111:5 主を畏れる人に糧を与え契約をとこしえに御心に留め
111:6 御業の力を御自分の民に示し諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。
111:7 御手の業はまことの裁き主の命令はすべて真実
111:8 世々限りなく堅固にまことをもって、まっすぐに行われる。
111:9 主は御自分の民に贖いを送り契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
111:10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

主をほめたたえる時、同じ信仰を持つ者たちの集まる場所、すなわち、教会の交わりの中で行われることは好ましいことである。
一見すると、身内意識や、うちわだけの集まりの中でしか神を賛美できないのではないかと思うかもしれない。
しかし、実際はそうではない。
一人で賛美するより、大勢で賛美するほうがいいことの理由は、救いが私一人のためだけにあるのではなく、全ての人に向けられたものであるという事実を覚えることができるからである。
主イエス様は、私だけではなく、あの人も、この人も愛しておられる。
大勢の信徒の集まりの中にいると、それが良くわかる。
今尚、イエス様を信じようとしない人のためにも、主イエス様は十字架で死なれたお方。
私はこの方をほめたたえる。
同じ主を信じる人たちの群れの中で。

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詩篇110:1 ダビデの詩。賛歌。わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
110:2 主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。
110:3 あなたの民は進んであなたを迎える聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ曙の胎から若さの露があなたに降るとき。
110:4 主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従ってあなたはとこしえの祭司メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
110:5 主はあなたの右に立ち怒りの日に諸王を撃たれる。
110:6 主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち広大な地をしかばねで覆われる。
110:7 彼はその道にあって、大河から水を飲み頭を高く上げる。

イエス様が主なる神ご自身であられることを証されたときにも引用された御言葉である。
(マタイ22章44節、マルコ12章36節等)
それは、主なる神様が、神ご自身であられるイエス様に対して語りかけているということであり、イエス様こそが、神の右の座につくにふさわしいお方であるということである。
そして、それは、主イエス様ご自身、自ら大祭司のごとく、民の執り成しの働きを担われたということであり、神ご自身が自らの命を持って民を贖ってくださったことを物語っている。
そして、新約聖書には、それがイエス様の十字架と復活によって成し遂げられたということが語られている。
それゆえに、主イエス様こそ、神の右の座に就くにふさわしいお方である。

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詩篇 109:1 指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。わたしの賛美する神よどうか、黙していないでください。
109:2 神に逆らう者の口が欺いて語る口が、わたしに向かって開き偽りを言う舌がわたしに語りかけます。
109:3 憎しみの言葉はわたしを取り囲み理由もなく戦いを挑んで来ます。
109:4 愛しても敵意を返しわたしが祈りをささげても
109:5 その善意に対して悪意を返します。愛しても、憎みます。
109:6 彼に対して逆らう者を置き彼の右には敵対者を立たせてください。
109:7 裁かれて、神に逆らう者とされますように。祈っても、罪に定められますように。
109:8 彼の生涯は短くされ地位は他人に取り上げられ
109:9 子らはみなしごとなり妻はやもめとなるがよい。
109:10 子らは放浪して物乞いをするがよい。廃虚となったその家を離れ助けを求め歩くがよい。
109:11 彼のものは一切、債権者に奪われ働きの実りは他国人に略奪されるように。
109:12 慈しみを示し続ける者もいなくなりみなしごとなった彼の子らを憐れむ者もなくなるように。
109:13 子孫は断たれ次の代には彼らの名も消されるように。
109:14 主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように。
109:15 その悪と罪は常に主の御前にとどめられその名は地上から断たれるように。
109:16 彼は慈しみの業を行うことに心を留めず貧しく乏しい人々心の挫けた人々を死に追いやった。
109:17 彼は呪うことを好んだのだから呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから祝福は彼を遠ざかるように。
109:18 呪いを衣として身にまとうがよい。呪いが水のように彼のはらわたに油のように彼の骨に染み通るように。
109:19 呪いが彼のまとう衣となり常に締める帯となるように。
109:20 わたしに敵意を抱く者に対してわたしの魂をさいなもうと語る者に対して主はこのように報いられる。
109:21 主よ、わたしの神よ御名のために、わたしに計らい恵み深く、慈しみによってわたしを助けてください。
109:22 わたしは貧しく乏しいのです。胸の奥で心は貫かれています。
109:23 移ろい行く影のようにわたしは去ります。いなごのように払い落とされます。
109:24 断食して膝は弱くなりからだは脂肪を失い、衰えて行きます。
109:25 わたしは人間の恥。彼らはわたしを見て頭を振ります。
109:26 わたしの神、主よ、わたしを助けてください。慈しみによってお救いください。
109:27 それが御手によることを、御計らいであることを主よ、人々は知るでしょう。
109:28 彼らは呪いますがあなたは祝福してくださいます。彼らは反逆し、恥に落とされますがあなたの僕は喜び祝います。
109:29 わたしに敵意を抱く者は辱めを衣とし恥を上着としてまとうでしょう。
109:30 わたしはこの口をもって主に尽きぬ感謝をささげ多くの人の中で主を賛美します。
109:31 主は乏しい人の右に立ち死に定める裁きから救ってくださいます。

善意に対し、悪意を持って返す人がいる。
その場合、そのような人に向けられる思いは、このような詩篇の言葉に近いものにならざるを得ない。
故もなく迫害されたことのある人ならば、きっとよくわかるはずである。
しかし、このように祈らざるを得ない人の心は、本当に辛いのだ。
呪っているわけではないけれど、それに近いものがあることを思わされる時、愛のない自分との葛藤に悩まされる。
しかし、これと同じ思いをイエス様も味わわれたはずである。
罪のないお方が、罪人の身代わりとなって迫害され、ついに、十字架の上で殺されたのだ。
イエス様の思いはいかばかりであったであろうか。
きっと、我々にイエス様の思いを完全には理解する事はできないだろうと思う。
けれども、確かにイエス様は私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、その事の故に、私たちに向けられたあらゆる責めは取り除かれたのである。
少なくとも、その事実だけは覚えておきたいものである。

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詩篇108:1 歌。賛歌。ダビデの詩。
108:2 神よ、わたしの心は確かです。わたしは賛美の歌をうたいます。「わたしの誉れよ
108:3 目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう。」
108:4 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し国々の中でほめ歌をうたいます。
108:5 あなたの慈しみは大きく、天に満ちあなたのまことは大きく、雲を覆います。
108:6 神よ、天の上に高くいまし栄光を全地に輝かせてください。
108:7 あなたの愛する人々が助け出されるように右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。
108:8 神は聖所から宣言された。「わたしは喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。
108:9 ギレアドはわたしのものマナセもわたしのものエフライムはわたしの頭の兜ユダはわたしの采配
108:10 モアブはわたしのたらい。エドムにわたしの履物を投げペリシテにわたしの叫びを響かせよう。」
108:11 包囲された町に誰がわたしを導いてくれるのか。エドムに、誰がわたしを先導してくれるのか。
108:12 神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは我らと共に出陣してくださらないのか。
108:13 どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。
108:14 神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。

この詩篇は、1~6節までは詩篇57篇8~12節、7~14節までは詩篇60篇7~14節の箇所とほど同じになっており、これら二つの詩篇を組み合わせて歌われたものであることは間違いないものと思われます。
どうしてこのようなことが行われているのか、今となっては、確かな理由は誰にもわかりません。
しかし、こうして、神への賛美と祈りの歌が一つに結ばれて、あたかも一つの歌であるかのように歌われていることは、神への賛美と祈りの豊かさ、味わい深さ、そして、時に適った命のある言葉であるということを示しているのかもしれません。
聖書を読む側の私たちにも、以前、気にも留めなかった御言葉が、ある日、重要な意味を持って語りかけてくることもあれば、あれほど好きだった御言葉の箇所が、今読むと、ごく普通に読み過ごしてしまったりとか、やはり、その時々に必要な言葉というものがあるのでしょう。
この詩篇の作者(編集者?)も、きっと、このような形で、感謝の賛美と祈願の祈りとを組み合わせずにはいられない状況だったのかもしれません。
いずれにせよ、どういう経緯であれ、こうして詩篇108篇として形として残っている事に、少なからず、神の御霊の働きと、意図があったということを覚え、感謝と祈りの心を持って、この詩篇を味わいたいものです。

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詩篇107:1 「恵み深い主に感謝せよ慈しみはとこしえに」と
107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
107:3 国々の中から集めてくださった東から西から、北から南から。
107:4 彼らは、荒れ野で迷い砂漠で人の住む町への道を見失った。
107:5 飢え、渇き、魂は衰え果てた。
107:6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから救ってくださった。
107:7 主はまっすぐな道に彼らを導き人の住む町に向かわせてくださった。
107:8 主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:9 主は渇いた魂を飽かせ飢えた魂を良いもので満たしてくださった。
107:10 彼らは、闇と死の陰に座る者貧苦と鉄の枷が締めつける捕われ人となった。
107:11 神の仰せに反抗しいと高き神の御計らいを侮ったからだ。
107:12 主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。彼らは倒れ、助ける者はなかった。
107:13 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らの苦しみに救いを与えられた。
107:14 闇と死の陰から彼らを導き出し束縛するものを断ってくださった。
107:15 主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:16 主は青銅の扉を破り鉄のかんぬきを砕いてくださった。
107:17 彼らは、無知であり、背きと罪の道のために屈従する身になった。
107:18 どの食べ物も彼らの喉には忌むべきもので彼らは死の門に近づいた。
107:19 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らの苦しみに救いを与えられた。
107:20 主は御言葉を遣わして彼らを癒し破滅から彼らを救い出された。
107:21 主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:22 感謝のいけにえをささげ御業を語り伝え、喜び歌え。
107:23 彼らは、海に船を出し大海を渡って商う者となった。
107:24 彼らは深い淵で主の御業を驚くべき御業を見た。
107:25 主は仰せによって嵐を起こし波を高くされたので
107:26 彼らは天に上り、深淵に下り苦難に魂は溶け
107:27 酔った人のようによろめき、揺らぎどのような知恵も呑み込まれてしまった。
107:28 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから導き出された。
107:29 主は嵐に働きかけて沈黙させられたので波はおさまった。
107:30 彼らは波が静まったので喜び祝い望みの港に導かれて行った。
107:31 主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:32 民の集会で主をあがめよ。長老の集いで主を賛美せよ。
107:33 主は大河を荒れ野とし水の源を乾いた地とし
107:34 住む者の悪事のために実り豊かな地を塩地とされた。
107:35 主は荒れ野を湖とし砂漠を水の源とし
107:36 飢えていた人々をそこに住まわせ人の住む町を固く立てられた。
107:37 彼らは野に種を蒔き、ぶどう畑を作り作物を実らせた。
107:38 主が祝福されたので彼らは限りなく増え家畜も減らされることはなかった。
107:39 不毛、災厄、嘆きによって彼らは減って行き、屈み込んだ。
107:40 主は貴族らの上に辱めを浴びせ道もない混沌に迷い込ませられたが
107:41 乏しい人はその貧苦から高く上げ羊の群れのような大家族とされた。
107:42 正しい人はこれを見て喜び祝い不正を行う者は口を閉ざす。
107:43 知恵ある人は皆、これらのことを心に納め主の慈しみに目を注ぐがよい。

詩篇107篇は、大きく分けて、五つの場面が描かれているように思える。
そして、それぞれに一つのテーマが与えられているように思う。
まず、1節から3節にかけては「招き」、4節から9節にかけては「導き」、10節から16節にかけては「解放」、17節から22節にかけては「癒し」、そして、残りの23節から43節にかけては「派遣」もしくは「宣教」といった具合であろう。
そして、興味深いのは、

「恵み深い主に感謝せよ慈しみはとこしえに」
「主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。」

といった同じような表現が何度も繰り返されていることから、主の豊かな恵みの故に、様々な困難から解放され、主に感謝の賛美を捧げるようにと歌われていることである。

そして、これらの歩みは、私たちの信仰の歩みそのものではないだろうか。
滅びの道をさまよっていた私たちが、神の恵みによって教会に導かれ、そこで、イエス・キリストの尊い十字架の贖いによる救いを経験し、深い傷をも癒され、喜びに満たされて、出て行って、御言葉を宣べ伝えていくのである。
そして、その全ての場面に、主の恵みと慈しみが約束されているだから。

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詩篇106:1 ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。
106:2 主の力強い御業を言葉に表し主への賛美をことごとく告げうる者があろうか。
106:3 いかに幸いなことか、裁きを守りどのような時にも恵みの業を果たす人は。
106:4 主よ、あなたが民を喜び迎えられるときわたしに御心を留めてください。御救いによってわたしに報いてください。
106:5 あなたの選ばれた民に対する恵みを見あなたの国が喜び祝うとき共に喜び祝いあなたの嗣業の民と共に誇ることができるようにしてください。
106:6 わたしたちは先祖と同じく罪を犯し不正を行い、主に逆らった。
106:7 わたしたちの先祖は、エジプトで驚くべき御業に目覚めず豊かな慈しみに心を留めず海辺で、葦の海のほとりで反抗した。
106:8 主は、御名のために彼らを救い力強い御業を示された。
106:9 葦の海は主に叱咤されて干上がり彼らは荒れ野を行くように深い淵を通った。
106:10 主は憎む者の手から彼らを救い敵の手から贖われた。
106:11 彼らを苦しめた者はすべて水に覆われ生き残る者はひとりもなかった。
106:12 彼らは御言葉を信じ賛美の歌をうたった。
106:13 彼らはたちまち御業を忘れ去り神の計らいを待たず
106:14 荒れ野で欲望を燃やし砂漠で神を試みた。
106:15 主はその願いをかなえられたが彼らをやせ衰えさせられた。
106:16 彼らは宿営でモーセをねたみ主の聖なる人アロンをねたんだ。
106:17 地は口を開けてダタンを呑み込みアビラムの仲間を覆った。
106:18 火が彼らの仲間に向かって燃え上がり炎が神に逆らう者を焼き尽くした。
106:19 彼らはホレブで子牛の像を造り鋳た像に向かってひれ伏した。
106:20 彼らは自分たちの栄光を草をはむ牛の像と取り替えた。
106:21 彼らは自分たちを救ってくださる神を忘れた。エジプトで大いなる御業を行い
106:22 ハムの地で驚くべき御業を葦の海で恐るべき御業を成し遂げられた方を忘れた。
106:23 主は彼らを滅ぼすと言われたが主に選ばれた人モーセは破れを担って御前に立ち彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。
106:24 彼らは愛すべき地を拒み御言葉を信じなかった。
106:25 それぞれの天幕でつぶやき主の御声に聞き従わなかった。
106:26 主は彼らに対して御手を上げ荒れ野で彼らを倒された。
106:27 子孫は諸国の民に倒され国々の間に散らされることになった。
106:28 彼らはバアル・ペオルを慕い死者にささげた供え物を食べた。
106:29 この行いは主の怒りを招き疫病が彼らの間に広がった。
106:30 ピネハスが立って祈ると疫病はとどめられた。
106:31 これは代々に、そしてとこしえにピネハスの正しい業と見なされるであろう。
106:32 彼らはメリバの水のほとりで主を怒らせた。彼らをかばったモーセは不幸を負った。
106:33 彼らがモーセの心を苦しめたので彼がそれを唇にのせたからであった。
106:34 主が命じられたにもかかわらず彼らは諸国の民を滅ぼさず
106:35 諸国の民と混じり合いその行いに倣い
106:36 その偶像に仕え自分自身を罠に落とした。
106:37 彼らは息子や娘を悪霊に対するいけにえとし
106:38 無実なものの血を流した。カナンの偶像のいけにえとなった息子や娘の血はこの地を汚した。
106:39 彼らは自分たちの行いによって汚れ自分たちの業によって淫行に落ちた。
106:40 主の怒りは民に向かって燃え上がり御自分の嗣業の民を忌むべきものと見なし
106:41 彼らを諸国の民の手に渡された。彼らを憎む者らが彼らを支配し
106:42 敵が彼らを虐げその手によって彼らは征服された。
106:43 主は幾度も彼らを助け出そうとされたが彼らは反抗し、思うままにふるまい自分たちの罪によって堕落した。
106:44 主はなお、災いにある彼らを顧みその叫びを聞き
106:45 彼らに対する契約を思い起こし豊かな慈しみに従って思いなおし
106:46 彼らをとりこにしたすべての者が彼らを憐れむように計らわれた。
106:47 わたしたちの神、主よ、わたしたちを救い諸国の中からわたしたちを集めてください。聖なる御名に感謝をささげあなたを賛美し、ほめたたえさせてください。
106:48 イスラエルの神、主をたたえよ世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。

エジプトの奴隷の状態から解放されたイスラエルの民は、その喜びもつかの間、荒野での生活に耐えかね、早々に神様から離れ、様々な偶像を礼拝し始めます。

神が大きな犠牲を支払って、偉大な恵みによって救われたはずなのに、その恵みの故に、自分自身は痛みを伴わないためなのか、簡単に神を見捨てていってしまうのでしょう。
しかし、神様の恵みは常に変わることなく、イスラエルの民の上に投げかけられていました。
そして、何度も何度も神様を悲しませてきているのに、何度も何度も恵みによって赦され、幸いな道へと導き続けて下さっているのですから、なんと大きな愛のお方であろうかと思うのです。

イスラエルの歴史は、まさに、神が生きて働いていることの証しであり、神がこの民を救って下さり、ずっと変わらずに恵み続けてきてくださったことの証しであると言えるでしょう。
同じように、本当なら、とっくに滅んでいたはずのこの私が、今尚こうして生かされている事を思うとき、そこに、永遠に変わることのない神の豊かな恵みと愛が注がれているという事実が証しされていることを知ることができるでしょう。

神様は、今日も私を愛し、赦し、救われた喜びに生きるようにと願っていらっしゃるのですから。

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詩篇105:1 主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。
105:2 主に向かって歌い、ほめ歌をうたい驚くべき御業をことごとく歌え。
105:3 聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き
105:4 主を、主の御力を尋ね求め常に御顔を求めよ。
105:5 主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を主の口から出る裁きを心に留めよ。
105:6 主の僕アブラハムの子孫よヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ。
105:7 主はわたしたちの神主の裁きは全地に及ぶ。
105:8 主はとこしえに契約を御心に留められる千代に及ぼすように命じられた御言葉を
105:9 アブラハムと結ばれた契約イサクに対する誓いを。
105:10 主はそれをヤコブに対する掟としイスラエルへのとこしえの契約として立て
105:11 宣言された「わたしはあなたにカナンの地を嗣業として継がせよう」と。
105:12 その地で、彼らはまだ数少なく寄留の民の小さな群れで
105:13 国から国へひとつの王国から他の民のもとへと移って行った。
105:14 主は彼らを虐げることをだれにも許さず彼らのことを、王たちに戒めて言われた
105:15 「わたしが油を注いだ人々に触れるなわたしの預言者たちに災いをもたらすな」と。
105:16 主はこの地に飢饉を呼びパンの備えをことごとく絶やされたが
105:17 あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。
105:18 主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ首に鉄の枷をはめることを許された
105:19 主の仰せが彼を火で練り清め御言葉が実現するときまで。
105:20 王は人を遣わして彼を解き放った。諸国を支配する王が彼を自由の身にし
105:21 彼を王宮の頭に取り立て財産をすべて管理させた。
105:22 彼は大臣たちを思いのままに戒め長老たちに知恵を授けた。
105:23 イスラエルはエジプトに下りヤコブはハムの地に宿った。
105:24 主は御自分の民を大いに増やし敵よりも強くされた。
105:25 主が彼らの心を変えられたので彼らは主の民を憎み主の僕たちを悪だくみをもって扱った。
105:26 主は僕モーセを遣わしアロンを選んで遣わされた。
105:27 彼らは人々に御言葉としるしを伝えハムの地で奇跡を行い
105:28 御言葉に逆らわなかった。主は闇を送って、地を暗くされた。
105:29 主が川の水を血に変えられたので、魚は死んだ。
105:30 その地には蛙が群がり、王宮の奥に及んだ。
105:31 主が命じられると、あぶが発生しぶよが国中に満ちた。
105:32 主は雨に代えて雹を降らせ燃える火を彼らの国に下された。
105:33 主はぶどうといちじくを打ち国中の木を折られた。
105:34 主が命じられると、いなごが発生し数えきれないいなごがはい回り
105:35 国中の草を食い尽くし大地の実りを食い尽くした。
105:36 主はこの国の初子をすべて撃ち彼らの力の最初の実りをことごとく撃たれた。
105:37 主は金銀を持たせて民を導き出された。どの部族にも、落伍する者はひとりもなかった。
105:38 エジプトは恐怖に襲われていたから彼らが出て行くのを喜んだ。
105:39 主は雲を広げて覆いとし火をもって夜を照らされた。
105:40 民が求めると、主はうずらをもたらし天のパンをもって彼らを満足させられた。
105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり大河となって、乾いた地を流れた。
105:42 主は聖なる御言葉を御心に留め僕アブラハムを御心に留められた。
105:43 主は、御自分の民を喜びのうちに選ばれた民を歓呼のうちに導き出された。
105:44 主は彼らに諸国の土地を授け多くの民の労苦の実りを継がせられた。
105:45 それゆえ彼らは主の掟を守り主の教えに従わなければならない。ハレルヤ。

イスラエルの歴史において、特に、出エジプトの出来事は、民族のアイデンティティに関わるものであっただろうし、聖書を知る上でも、主なる神様がどのようなお方であるかということを知る上では、欠くことのできない出来事であると言える。
そして、イスラエルの民がエジプトから解放されたという出来事は、私たち自身の罪の囚われの状態からの解放と密接に関係している。
つまり、私たちは、主なる神様の大いなる御業によって、罪の奴隷から解放され、神の選ばれた民とされるのであり、決して自分の力や努力によってもたらされたようなものではないのである。
すべては神の恵み。
言い尽くせないほどの大きな大きな神の愛と憐れみによるもの。

だからこの詩篇の冒頭に記されているように、私たちは神をほめたたえ、賛美の歌を神に向かって歌うのである。


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詩篇104:1 わたしの魂よ、主をたたえよ。主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。栄えと輝きをまとい
104:2 光を衣として身を被っておられる。天を幕のように張り
104:3 天上の宮の梁を水の中にわたされた。雲を御自分のための車とし風の翼に乗って行き巡り
104:4 さまざまな風を伝令とし燃える火を御もとに仕えさせられる。
104:5 主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく、揺らぐことがない。
104:6 深淵は衣となって地を覆い水は山々の上にとどまっていたが
104:7 あなたが叱咤されると散って行きとどろく御声に驚いて逃げ去った。
104:8 水は山々を上り、谷を下りあなたが彼らのために設けられた所に向かった。
104:9 あなたは境を置き、水に越えることを禁じ再び地を覆うことを禁じられた。
104:10 主は泉を湧き上がらせて川とし山々の間を流れさせられた。
104:11 野の獣はその水を飲み野ろばの渇きも潤される。
104:12 水のほとりに空の鳥は住み着き草木の中から声をあげる。
104:13 主は天上の宮から山々に水を注ぎ御業の実りをもって地を満たされる。
104:14 家畜のためには牧草を茂らせ地から糧を引き出そうと働く人間のためにさまざまな草木を生えさせられる。
104:15 ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせパンは人の心を支える。
104:16 主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ち
104:17 そこに鳥は巣をかける。こうのとりの住みかは糸杉の梢。
104:18 高い山々は野山羊のため。岩狸は岩場に身を隠す。
104:19 主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている。
104:20 あなたが闇を置かれると夜になり森の獣は皆、忍び出てくる。
104:21 若獅子は餌食を求めてほえ神に食べ物を求める。
104:22 太陽が輝き昇ると彼らは帰って行きそれぞれのねぐらにうずくまる。
104:23 人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く。
104:24 主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
104:25 同じように、海も大きく豊かでその中を動きまわる大小の生き物は数知れない。
104:26 舟がそこを行き交いお造りになったレビヤタンもそこに戯れる。
104:27 彼らはすべて、あなたに望みをおきときに応じて食べ物をくださるのを待っている。
104:28 あなたがお与えになるものを彼らは集め御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
104:29 御顔を隠されれば彼らは恐れ息吹を取り上げられれば彼らは息絶え元の塵に返る。
104:30 あなたは御自分の息を送って彼らを創造し地の面を新たにされる。
104:31 どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
104:32 主が地を見渡されれば地は震え山に触れられれば山は煙を上げる。
104:33 命ある限り、わたしは主に向かって歌い長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。
104:34 どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。
104:35 どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ主に逆らう者がもはや跡を絶つように。わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。

この詩篇の御言葉を読んでいると、おのずと、私たちの目は神が創られた自然の恵みへと向かわせられる。
そして、それら、自然の中の一部として、命ある者、この私の存在がいかに恵まれたものであるかということを思わされる。
そして、この詩篇の最初と最後の賛美の言葉へと導かれていくのだ。

わたしの魂よ、主をたたえよ。

神への賛美は、神が創られた自然の中に身を置いてはじめて生まれてくるものであろうと思う。
そう思うとき、今日もまた、自然の中へ足を一歩踏み入れて行こうと思わされるのである。

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