デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




ヨブ39:1 お前は岩場の山羊が子を産む時を知っているか。雌鹿の産みの苦しみを見守ることができるか。
39:2 月が満ちるのを数え産むべき時を知ることができるか。
39:3 雌鹿はうずくまって産み子を送り出す。
39:4 その子らは強くなり、野で育ち出ていくと、もう帰ってこない。
39:5 誰が野生のろばに自由を与え野ろばを解き放ってやったのか。
39:6 その住みかとして荒れ地を与えねぐらとして不毛の地を与えたのはわたしだ。

かつて多くの富を所有し、多数の家畜も所有していたヨブ。
人は多くの動物たちを支配しているように考えているが、実際には何も知らない。
山羊も雌鹿も、野ろばも野牛も、駝鳥、こうのとり、馬、鷹、鷲。
今の時代、これらの動物たちですら動物園以外の場所で、野生の姿を見たことのある者がいるのだろうか。
私たちは何もかも知っているかのように考えているが、実は何も知らないのではないか。

今朝は近くの森から、カッコウとホトトギスの泣き声が聞こえてくる。
神の創造の御業をほめたたえる。

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ヨブ38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。
38:3 男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
38:4 わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。
38:5 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。
38:6 基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。
38:7 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い神の子らは皆、喜びの声をあげた。

主なる神様は、エリフを通して御言葉を語り始められる。
その内容は、主なる神ご自身がこの世界の全てをお創りになられたお方であること、人間には、いかなる優れた人であっても、これらの全てを見納めることのできた者など一人もいないことなどが語られている。
そして、この世界の基を据えられたお方が、隅の親石を置かれたのであり、それは、後のイエス様の十字架の贖いの御業と結びついていると言える。

詩篇118:21 わたしはあなたに感謝をささげるあなたは答え、救いを与えてくださった。
118:22 家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。
118:23 これは主の御業わたしたちの目には驚くべきこと。
118:24 今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。

神の子らは、今日、この御言葉の約束の故に、喜びの声をあげて躍るのである。

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ヨブ37:1 それゆえ、わたしの心は破れんばかりに激しく打つ。
37:2 聞け、神の御声のとどろきをその口から出る響きを。
37:3 閃光は天の四方に放たれ稲妻は地の果てに及ぶ。
37:4 雷鳴がそれを追い厳かな声が響きわたる。御声は聞こえるが、稲妻の跡はない。
37:5 神は驚くべき御声をとどろかせわたしたちの知りえない大きな業を成し遂げられる。
37:6 神は命じられる。雪には、「地に降り積もれ」雨には、「激しく降れ」と。
37:7 人の手の業をすべて封じ込めすべての人間に御業を認めさせられる。
37:8 獣は隠れがに入り、巣に伏す。
37:9 嵐がその蓄えられている所を出ると寒さがまき散らされる。
37:10 神が息を吹きかければ氷ができ水の広がりは凍って固まる。
37:11 雲は雨を含んで重くなり密雲は稲妻を放つ。
37:12 雨雲はここかしこに垂れこめ導かれるままに姿を変え命じられるところをあまねく地の面に行う。
37:13 懲らしめのためにも、大地のためにもそして恵みを与えるためにも神はこれを行わせられる。
37:14 ヨブよ、耳を傾け神の驚くべき御業について、よく考えよ。
37:15 あなたは知っているかどのように神が指図して密雲の中から稲妻を輝かせるかを。
37:16 あなたは知っているか完全な知識を持つ方が垂れこめる雨雲によって驚くべき御業を果たされることを。
37:17 南風が吹いて大地が黙すときにはあなたの衣すら熱くなるというのに
37:18 鋳て造った鏡のような堅い大空をあなたは、神と共に固めることができるとでもいうのか。
37:19 神に何と申し上げるべきかをわたしたちに言ってみよ。暗黒を前にしてわたしたちに何の申し立てができようか。
37:20 わたしが話したとしても神に対して説明になるだろうか。人間が何か言ったところで神が言い負かされるだろうか。
37:21 今、光は見えないがそれは雲のかなたで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと
37:22 北から黄金の光が射し恐るべき輝きが神を包むだろう。
37:23 全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。神は優れた力をもって治めておられる。憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。
37:24 それゆえ、人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しない。

自然に恵まれた環境の中に暮らしていると、これら全てのものが創造者なる神の御業によって創られ、保持されていることを実感させられる。
それがたとえ静かに降り注ぐ雨や、さわやかな風であっても、神の激しい御声によるものであるというエリフの言葉に、ただうなずくばかりである。
自然の持つエネルギー、その背後にある神の大いなる御力。
そして、神は、その御力を用いて、私を救おうとされた。
大きな感動と感謝、喜びで満たされる思いである。

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ヨブ36:5 まことに神は力強く、たゆむことなく力強く、知恵に満ちておられる。
36:6 神に逆らう者を生かしてはおかず貧しい人に正しい裁きをしてくださる。
36:7 神に従う人から目を離すことなく王者と共に座につかせとこしえに、彼らを高められる。
36:8 捕われの身となって足枷をはめられ苦悩の縄に縛られている人があれば
36:9 その行いを指摘しその罪の重さを指し示される。
36:10 その耳を開いて戒め悪い行いを改めるように諭される。
36:11 もし、これに耳を傾けて従うなら彼らはその日々を幸いのうちに年月を恵みのうちに全うすることができる。
36:12 しかし、これに耳を傾けなければ死の川を渡り、愚か者のまま息絶える。
36:13 神を無視する心を持つ者は鎖につながれていても怒りに燃え、助けを求めようとしない。
36:14 彼らの魂は若いうちに死を迎え命は神殿男娼のように短い。
36:15 神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し苦悩の中で耳を開いてくださる。
36:16 神はあなたにも苦難の中から出ようとする気持を与え苦難に代えて広い所でくつろがせあなたのために食卓を整え豊かな食べ物を備えてくださるのだ。

神に逆らう者に対し、主なる神様は容赦なく裁きを行われる。
しかし、神に聞き従う者には、あふれるほどの恵みをもって祝福して下さる。
神に聞き従うか、逆らうか、たったそれだけの違いであるが、もたらされるものはあまりにも大きく異なる。
それなのに、なぜこれほどまでに御言葉に聞くことが難しく感じられるのか。

本来、御言葉に聞くことは、そんなに難しいことではないはず。
ただ「救われたい」という魂の叫び声に素直に耳を傾け、それに対する答えを求めて聖書の御言葉に聞くだけである。
そして聖書にはその答えがある。

ローマ10:8 では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

今日も聖書の御言葉に聞き従い、一日の歩みが祝福されますように。

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ヨブ35:1 エリフは更に言った。
35:2 「神はわたしを正しいとしてくださるはずだ」とあなたは言っているがあなたのこの考えは正当だろうか。
35:3 またあなたは言う。「わたしが過ちを犯したとしてもあなたに何の利益がありわたしにどれほどの得があるのか。」
35:4 あなたに、また傍らにいる友人たちにわたしはひとこと言いたい。
35:5 天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ。
35:6 あなたが過ちを犯したとしても神にとってどれほどのことだろうか。繰り返し背いたとしても神にとってそれが何であろう。
35:7 あなたが正しくあってもそれで神に何かを与えることになり神があなたの手から何かを受け取ることになるだろうか。
35:8 あなたが逆らっても、それはあなたと同じ人間にあなたが正しくてもそれは人の子にかかわるだけなのだ。
35:9 抑圧が激しくなれば人は叫びをあげ権力者の腕にひしがれて、助けを求める。
35:10 しかし、だれも言わない「どこにいますのか、わたしの造り主なる神夜、歌を与える方
35:11 地の獣によって教え空の鳥によって知恵を授ける方は」と。
35:12 だから、叫んでも答えてくださらないのだ。悪者が高慢にふるまうからだ。
35:13 神は偽りを聞かれず全能者はそれを顧みられない。
35:14 あなたは神を見ることができないと言うがあなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ。
35:15 今はまだ、怒りの時ではなく神はこの甚だしい無駄口を無視なさるので
35:16 ヨブは空しく口数を増し愚かにも言葉を重ねている。

人が神に向かってつぶやくとき、そこにあるのは、神対する冒涜である。
なぜなら、己を神と対等の立場と考えているか、あるいは、それ以上の者であるかのように奢り高ぶっているからである。
エリフはその点を指摘しているのだ。

創られた者が、お創りになられたお方に向かってつぶやいている。
よくよく考えれば、滑稽なことである。
神に創られた者として、己の分をわきまえることは大切なことである。

ローマ12:3 わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

まず、神の恵みを知り、己の立場をわきまえ、なすべき業を果たしていけますように。

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ヨブ34:10 さて、分別ある者は、わたしの言葉を聞け。神には過ちなど、決してない。全能者には不正など、決してない。
34:11 神は人間の行いに従って報いおのおのの歩みに従って与えられるのだ。
34:12 神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない。
34:13 誰が神に全地をゆだね全世界を負わせたというのか。
34:14 もし神が御自分にのみ、御心を留めその霊と息吹を御自分に集められるなら
34:15 生きとし生けるものは直ちに息絶え人間も塵に返るだろう。
34:16 理解しようとして、これを聞け。わたしの語る声に耳を傾けよ。
34:17 正義を憎む者が統治できようか。正しく、また、力強いお方をあなたは罪に定めるのか。
34:18 王者に向かって「ならず者」と言い貴い方に向かって「逆らう者」と言うのか。
34:19 身分の高い者をひいきすることも貴族を貧者より尊重することもないお方御手によってすべての人は造られた。
34:20 これらの人も瞬く間にしかも真夜中に、死んでいく。権力ある者は身を震わせて消え去り力ある者は人の手によらず、退けられる。

人間が正しいと思っていること、それは、果たして本当に「正しい」ことなのだろうか。
ヨブは自分が正しいと思っていた。しかし、エリフは彼に対して、人間とは比較にならないほどの正しさを持つ神の義について語る。
人間が思う正しさは、必ず、己の利己心が働いている。
しかし、神の義には、それがない。
他者への愛、しかも、罪人を救い、これを活かそうとなさる命の約束を伴った、尊い正しさである。
私たちは、そこに目を留めるべきであろう。
その時、神を侮ったり、つぶやいたりしていること自体が、自分の正しさを証明していないことに気がつくのである。
エリフを通して語られる神の御言葉に聞き従う者でありたい。

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ヨブ33:1 さてヨブよ、わたしの言葉を聞きわたしの言うことによく耳を傾けよ。
33:2 見よ、わたしは口を開き舌は口の中で動き始める。
33:3 わたしの言葉はわたしの心を率直に表し唇は知っていることをはっきりと語る。
33:4 神の霊がわたしを造り全能者の息吹がわたしに命を与えたのだ。
33:5 答えられるなら、答えてみよ。備えをして、わたしの前に立て。
33:6 神の前では、わたしもあなたと同じように土から取られたひとかけらのものにすぎない。
33:7 見よ、わたしには脅かすような威力はない。あなたを押さえつけようとしているのではない。
33:8 あなたが話すのはわたしの耳に入り声も言葉もわたしは聞いた。
33:9 「わたしは潔白で、罪を犯していない。わたしは清く、とがめられる理由はない。
33:10 それでも神はわたしに対する不満を見いだしわたしを敵視される。
33:11 わたしに足枷をはめ行く道を見張っておられる。」
33:12 ここにあなたの過ちがある、と言おう。神は人間よりも強くいます。
33:13 なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることをいちいち説明されない。
33:14 神は一つのことによって語られまた、二つのことによって語られるが人はそれに気がつかない。
33:15 人が深い眠りに包まれ、横たわって眠ると夢の中で、夜の幻の中で
33:16 神は人の耳を開き懲らしめの言葉を封じ込められる。
33:17 人が行いを改め、誇りを抑え
33:18 こうして、その魂が滅亡を免れ命が死の川を渡らずに済むようにされる。
33:19 苦痛に責められて横たわる人があるとする。骨のうずきは絶えることなく
33:20 命はパンをいとい魂は好みの食べ物をすらいとう。
33:21 肉は消耗して見えなくなり見えなかった骨は姿を現し
33:22 魂は滅亡に命はそれを奪うものに近づいてゆく。
33:23 千人に一人でもこの人のために執り成しその正しさを示すために遣わされる御使いがあり
33:24 彼を憐れんで「この人を免除し、滅亡に落とさないでください。代償を見つけて来ました」と言ってくれるなら
33:25 彼の肉は新しくされて若者よりも健やかになり再び若いときのようになるであろう。
33:26 彼は神に祈って受け入れられ歓びの叫びの内に御顔を仰ぎ再び神はこの人を正しいと認められるであろう。
33:27 彼は人々の前でたたえて歌うであろう。「わたしは罪を犯し正しいことを曲げた。それはわたしのなすべきことではなかった。
33:28 しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」と。
33:29 まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。
33:30 その魂を滅亡から呼び戻し命の光に輝かせてくださる。
33:31 ヨブよ、耳を傾けてわたしの言うことを聞け。沈黙せよ、わたしに語らせよ。
33:32 わたしに答えて言うことがあるなら、語れ。正しい主張を聞くのがわたしの望みだ。
33:33 言うことがなければ、耳を傾けよ。沈黙せよ、わたしがあなたに知恵を示そう。

ヨブに対して語り始めたエリフの言葉は、まるで、神ご自身が語りかけているかのようである。
しかも、その内容は、確かに神の真実に満ちた言葉であり、我々人間が全て罪人であること、そのままでは全ての人が滅びへと向かっていること、そして、それを救い得る者は、真実な愛のお方である神をおいて他にはいないことが告げられているのである。
主なる神は、人が滅びることを望まず、人が救われるようにと願い、とりなしの主をお送りになる。それは、まさに、神の一人子なるイエス・キリストのことである。
そして、その事実を知った時、人は真の神を信じ、ほめたたえるようになるのである。
なぜなら、人間にはそれを成し得る力はないからである。
だから、神の御前で、私たちは何一つ誇ることなどできず、「私の内に義がある」などとは言えないはずなのだ。

主なる神よ。
愚かな私共をお赦しください。
そして、あなたのとりなしの故に御救いに入れられていることを確信し、感謝できますように。アーメン。

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ヨブ32:1 ここで、この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分は正しいと確信していたからである。
32:2 さて、エリフは怒った。この人はブズ出身でラム族のバラクエルの子である。ヨブが神よりも自分の方が正しいと主張するので、彼は怒った。
32:3 また、ヨブの三人の友人が、ヨブに罪のあることを示す適切な反論を見いだせなかったので、彼らに対しても怒った。
32:4 彼らが皆、年長だったので、エリフはヨブに話しかけるのを控えていたが、
32:5 この三人の口から何の反論も出ないのを見たので怒ったのである。
32:6 ブズ人バラクエルの子、エリフは言った。わたしは若くあなたたちは年をとっておられる。だからわたしは遠慮しわたしの意見をあえて言わなかった。
32:7 日数がものを言い年数が知恵を授けると思っていた。
32:8 しかし、人の中には霊があり悟りを与えるのは全能者の息吹なのだ。
32:9 日を重ねれば賢くなるというのではなく老人になればふさわしい分別ができるのでもない。
32:10 それゆえ、わたしの言うことも聞いてほしい。わたしの意見を述べてみたいと思う。

ヨブと3人の友人たちの議論に耳を傾けていたエリフは、ついにその口を開き、彼らに対して言うべき言葉を語り始めます。
この時、エリフは、自分が年若いことを理由に、彼らに対して意見することを控えていたと語っており、それだけでも十分に節度のある青年であったということが伺えるでしょう。
しかし、彼自身が語っているように、人の中に霊を与え、悟りを与えるのは、全能者な神の息吹であり、真の知恵は、主なる神の霊によってのみ得ることのできるものであると言えるのです。

ヨハネ14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

聖霊の大きな働きの一つは、主イエス様のことを証しするものであると言えます。
そして、主イエス様とは、唯一真のお方であり、「わたしが道であり、真理であり、命である」と仰せられているように、ただ一人の真理の方。
その方を知ることが、どんな悟りを得るよりも素晴らしいことなのです。

イエス様は真理。
このお方にこそ、私たちを真に生かすことのできる救いがあります。
そしてそれを教えてくれるのは、神の息吹でもある聖霊の働きによるのです。


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ヨブ31:1 わたしは自分の目と契約を結んでいるのにどうしておとめに目を注いだりしようか。
31:2 上から神がくださる分は何か高きにいます全能者のお与えになるものは何か。
31:3 不正を行う者には災いを悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。
31:4 神はわたしの道を見張りわたしの歩みをすべて数えておられるではないか。31:5 わたしがむなしいものと共に歩きこの足が欺きの道を急いだことは、決してない。もしあるというなら
31:6 正義を秤として量ってもらいたい。神にわたしの潔白を知っていただきたい。
31:7 わたしの歩みが道を外れ目の向くままに心が動いたことは、決してない。この手には、決して汚れはない。もしあるというなら
31:8 わたしの蒔いたものを他人が食べてもよい。わたしの子孫は根絶やしにされてもよい。
31:9 わたしが隣人の妻に心奪われたり門で待ち伏せたりしたことは、決してない。もしあるというなら
31:10 わたしの妻が他人のために粉をひきよその男に犯されてもよい。
31:11 それは恥ずべき行為であり裁かれるべき罪なのだから
31:12 滅びの国までも焼き尽くす火がわたしの収穫を根まで焼き尽くしてもよい。
31:13 わたしが奴隷たちの言い分を聞かずはしための権利を拒んだことは、決してない。もしあるというなら
31:14 神が裁きに立たれるときわたしが何をなしえよう。神が調べられるとき何と答えられよう。
31:15 わたしを胎内に造ってくださった方が彼らをもお造りになり我々は同じ方によって母の胎に置かれたのだから。
31:16 わたしが貧しい人々を失望させやもめが目を泣きつぶしても顧みず
31:17 食べ物を独り占めにしみなしごを飢えさせたことは、決してない。
31:18 いや、わたしは若いころから父となって彼らを育て母の胎を出たときからやもめたちを導く者であった。
31:19 着る物もなく弱り果てている人やからだを覆う物もない貧しい人をわたしが見過ごしにしたことは、決してない。
31:20 彼らは常にわたしの羊の毛でからだを暖めて感謝したのだ。
31:21 わたしが裁きの座で味方の多いのをいいことにしてみなしごに手を振り上げたことは、決してない。もしあるというなら
31:22 わたしの腕は肩から抜け落ちてもよい。肘が砕けてもよい。
31:23 神の下される災いをわたしは恐れる。その怒りには堪えられない。
31:24 わたしが黄金を頼みとし純金があれば安心だと思い
31:25 財宝の多いことを喜び自分の力を強大だと思ったことは、決してない。
31:26 太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで
31:27 ひそかに心を迷わせ口づけを投げたことは、決してない。もしあるというなら
31:28 これもまた、裁かれるべき罪である。天にいます神を否んだことになるのだから。
31:29 わたしを憎む者の不幸を喜び彼が災いに遭うのを見てわたしがはやしたてたことは、決してない。
31:30 呪いをかけて人の命を求めることによって自分の口が罪を犯すのを許したことは決してない。
31:31 わたしの天幕に住んでいた人々が「彼が腹いっぱい肉をくれればよいのに」と言ったことは決してない。
31:32 見知らぬ人さえ野宿させたことはない。わが家の扉はいつも旅人に開かれていた。
31:33 わたしがアダムのように自分の罪を隠し咎を胸の内に秘めていたことは、決してない。もしあるというなら
31:34 群衆の前に震え、一族の侮りにおののき黙して門の内にこもっていただろう。
31:35 どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。わたしと争う者が書いた告訴状を
31:36 わたしはしかと肩に担い冠のようにして頭に結び付けよう。
31:37 わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し君主のように彼と対決しよう。
31:38 わたしの畑がわたしに対して叫び声をあげその畝が泣き
31:39 わたしが金を払わずに収穫を奪って食べ持ち主を死に至らしめたことは、決してない。もしあるというなら
31:40 小麦の代わりに茨が生え大麦の代わりに雑草が生えてもよい。ヨブは語り尽くした。

ヨブは、自分が常に神と共に歩み、神の戒めに従い、一度も罪を犯したことはないと潔白を主張している。
確かに、彼にとっては、自分が罪を犯しているという意識はなかっのであろう。
しかし、そのことがかえって彼を高慢にしていることには気がついていない。

ヨハネ9:39 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
9:40 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。
9:41 イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

イエス様は、見えると思っている者こそ、罪を犯していると仰せられる。
自分は正しい、自分こそ真理を知っている、そのような思い上がりの態度こそ、罪の実態であるというのだ。

1ヨハネ1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
1:10 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

神の御言葉の前に正しいこととは、自分のうちに罪があることを認め、神の赦しのもとに自分の身を委ねることにある。
それが唯一の正しいことなのである。

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ヨブ30:1 だが今は、わたしより若い者らがわたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすらわたしは忌まわしいと思っていたのだ。
30:2 その手の力もわたしの役には立たず何の気力も残っていないような者らだった。
30:3 無一物で飢え、衰え荒涼とした砂漠や沼地をさまよい
30:4 あかざの葉を摘みれだまの根を食糧としていた。
30:5 彼らは世間から追われ泥棒呼ばわりされ
30:6 身震いさせるような谷間や土の穴、岩の裂け目に宿り
30:7 茨の間で野ろばのようにいななきあざみの下に群がり合っていた。
30:8 愚か者、名もない輩国からたたき出された者らだった。
30:9 ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。

ヨブは、かつて、友人たちの父親らが、無一物で、世間から追い払われていたような人たちであったのに、今や、その子らに自分が馬鹿にされている現状を嘆き、つぶやいている。
そして、自分だけが神に見捨てられ、死の国へ追いやられようとしている今、激しく神に助けを求めて訴えている。

30:20 神よわたしはあなたに向かって叫んでいるのにあなたはお答えにならない。御前に立っているのにあなたは御覧にならない。
30:21 あなたは冷酷になり御手の力をもってわたしに怒りを表される。
30:22 わたしを吹き上げ、風に乗せ風のうなりの中でほんろうなさる。
30:23 わたしは知っている。あなたはわたしを死の国へすべて命あるものがやがて集められる家へ連れ戻そうとなさっているのだ。

ヨブの言っていることが正しいかどうかは別として、厳しい試練の中で、神に助けを求めて祈っている姿は、主イエス様のお姿に通じるものがある。

マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

かつて、無一物で、世間からも見捨てられたような者であった者を救うため、主イエス様は、私の御代わりとなって十字架で苦しまれ、死なれたお方。
そこには、激しい祈りの格闘があったはず。
ヨブの苦難の祈りの中に、そのイエス様の苦しまれたお姿を見ることができたことを感謝したい。

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