聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




列王記上 3:5 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
3:6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
3:7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
3:8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
3:9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

ヨハネ 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」


どんなに知恵のある人でも、その知恵が自分のためだけに働いているとしたら、それはまことに虚しい。
ソロモンは神に知恵を求めたが、その目的は、民を治め、人々が幸せで暮らせるようになるためであったのだろう。
彼の思いは、他者へと向かっていたために神に祝福されたものと思われる。

旧約の律法では、一人の証言だけで物事を裁いてはならないことが語られている。
一人だけの証言だと、独りよがりの自分勝手な自己都合を優先させたものとなりがちだからであろう。
もちろん、イエス様は神ご自身であり、罪なきお方であるから、イエス様が証言されることは常に真実であるはずである。
それでもイエス様は、あえてご自分の証言のほかに、イエス様について証言されるお方がおられると語り、父と子とがそれぞれに証言しているということを告げられている。
もちろん、そこに聖霊様も加わるので「二人または三人」という状態でイエス様が真の救い主であられることが真実に証されていると言えよう。

私たちは、そのような人格の交流を伴った救い主なる神と、御言葉と祈りを通して交わることができる。
神との交わりまた「二人または三人」といった複数の人格の交流の中で行われる。
わたしは独りではない。
常に救い主なる神が私と共にいて下さる。
何と言う幸いなことであろう。

もし今、独りぽっちで寂しさの中にいると思っている人がいたなら、このような救い主なる神、イエス様の御言葉に聞いて欲しい。

創世記 28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

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箴言 9:1 知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
9:2 獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え
9:3 はしためを町の高い所に遣わして 呼びかけさせた。
9:4 「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言った。
9:5 「わたしのパンを食べ わたしが調合した酒を飲むがよい
9:6 浅はかさを捨て、命を得るために 分別の道を進むために。」
9:7 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
9:8 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
9:9 知恵ある人に与えれば、彼は知恵を増す。神に従う人に知恵を与えれば、彼は説得力を増す。
9:10 主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることは分別の初め。
9:11 わたしによって、あなたの命の日々も その年月も増す。
9:12 あなたに知恵があるなら、それはあなたのもの。不遜であるなら、その咎は独りで負うのだ。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

2ペテロ 3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。



イエス様による救いの約束を一人でも多くの人に知って欲しいと思う。
けれども、なかなか喜んで聖書の御言葉に耳を傾けてくれる人は多くはない。
ようやく聖書に興味を持ち始めた人も、時間が経つと離れてしまう人も少なくない。
そういう状況の中で、福音を宣べ伝えていくモチベーションを保ち続けていくことは、なかなかエネルギーのいることでもある。
けれど、主のなさる御業というのは、我々人間が思うほどに、すぐさま結果が見えるものばかりではないということかもしれない。
一日は千年のようで、千年は一日のようで、すぐに結果が言えるものもあれば、長く時を必要とすることもあるのだろう。
やみくもに、なりふり構わず、というのも悪くはないのかもしれないが、疲れてしまって、何もできなくなってしまうよりは、時を見定め、必要なところで必要な言葉を語るのも悪くはないのかもしれない。
特に、今年のように、なかなか人と会って直接お話しできない状況にある場合、少し考える時間も必要なのかもしれない。
考え過ぎてもだめかもしれないが、じっくりと時を見定め、主なる神様が何を現わそうとしておられるのかを見つめながら、今の自分にできることを選び取っていけるように歩ゆんでいきたいもおである。
神様の「人を救いたい」という思いは変わらないのだから。

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エレミヤ 31:15 主はこう言われる。ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。
31:16 主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。
31:17 あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

マタイ 13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
13:2 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
13:3 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
13:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
13:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
13:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
13:8 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。


今年はいろんなことがあって、まさに全世界が闇に覆われているかのように感じた人も多かったのではないだろうか。
しかし、いつの時代でも未来のことは誰にも分からない、そう考えれば、いつだって闇のようなものであろう。
昨年だってあちこちで大きな災害もあったし、未だ災害からの復興を果たせていない人たちも大勢いる。
そんなことはすっかり忘れ去られたかのように毎日毎日コロナのことしか報道されなかったが、地道に災害からの復興に明け暮れた人たちもいるのである。
熊本であったり、長野であったり、倉敷も今では何事も無かったかのように忘れ去られているが、人々の暮らしが回復したとは言えないだろう。
それでも人は生きていく。
生きて行かなければならない。
土に蒔かれた種は、すぐには芽を出さないが、やがて芽を出し、徐々に成長していく。
成長していくスピードも、人の目で分かるような速さではないが、着実に育っていく。
人の営みも、本来はそんなゆっくりとした歩みであったのではないだろうか。
今の時代は、あまりにもいろんなことを焦り過ぎる。
世界中のどこにでも、その日のうちに移動できてしまうような世界は異常なのだろう。
もう少しゆっくりと、じっくりとこの世界を見て行こう。
きっと、神様のなさる幸いな御業に気が付くことだろう。
そして、ふと気が付いた時に、百倍、六十倍、三十倍にもなった神の御業をほめたたえるものでありたい。

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歴代誌下 24:17 ヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。そのとき、王は彼らの言うことを聞き入れた。
24:18 彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシェラと偶像に仕えた。この罪悪のゆえに、神の怒りがユダとエルサレムに下った。
24:19 彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が次々と遣わされた。しかし、彼らは戒められても耳を貸さなかった。
24:20 神の霊が祭司ヨヤダの子ゼカルヤを捕らえた。彼は民に向かって立ち、語った。「神はこう言われる。『なぜあなたたちは主の戒めを破るのか。あなたたちは栄えない。あなたたちが主を捨てたから、主もあなたたちを捨てる。』」
24:21 ところが彼らは共謀し、王の命令により、主の神殿の庭でゼカルヤを石で打ち殺した。
24:22 ヨアシュ王も、彼の父ヨヤダから寄せられた慈しみを顧みず、その息子を殺した。ゼカルヤは、死に際して言った。「主がこれを御覧になり、責任を追及してくださいますように。」

詩篇 17:1  祈り。ダビデの詩。 主よ、正しい訴えを聞き わたしの叫びに耳を傾け 祈りに耳を向けてください。わたしの唇に欺きはありません。
17:2 御前からわたしのために裁きを送り出し あなた御自身の目をもって公平に御覧ください。
17:3 -4あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね 火をもってわたしを試されますが 汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく あなたの唇の言葉を守ります。暴力の道を避けて
17:5 あなたの道をたどり 一歩一歩、揺らぐことなく進みます。
17:6 あなたを呼び求めます 神よ、わたしに答えてください。わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
17:7 慈しみの御業を示してください。あなたを避けどころとする人を 立ち向かう者から 右の御手をもって救ってください。
17:8 瞳のようにわたしを守り あなたの翼の陰に隠してください。
17:9 あなたに逆らう者がわたしを虐げ 貪欲な敵がわたしを包囲しています。
17:15 わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み 目覚めるときには御姿を拝して 満ち足りることができるでしょう。

使徒 6:8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。
6:10 しかし、彼が知恵と"霊"とによって語るので、歯が立たなかった。
6:11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
6:13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。
6:14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
6:15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。
7:1 大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。
7:2 そこで、ステファノは言った。
7:51 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
7:54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
7:58 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

マタイ 23:34 だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
23:35 こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。
23:36 はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」
23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
23:38 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
23:39 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」



本日は殉教者ステファノの日ということらしい。
ステファノは、初代の教会が爆発的に人数が増えて行き、ギリシャ語を話すユダヤ人たちから苦情が出たため、主に給仕などのお世話をする人として召された人たちの一人であった。
つまり、彼はもともと御言葉を語る器としては見られていなかったし、ヘブル語を話すユダヤ人たちからすれば、ギリシャ語を話すユダヤ人たちのお世話係程度にしか見られていなかったものと思われる。
しかし、そんなステファノが、旧約聖書から始まって、イエス様によって成し遂げられた救いの御業について語り始めたのである。
これが、使徒と呼ばれる人たちや、普段から御言葉を教えている人たちの言葉であったなら、そう大きな混乱にはならなかったのかもしれない。
かえって、普段、御言葉を語ることの無かったような人が語り始めたことで、余計に聞いていた人たちの敵意のような感情が増幅していったのかもしれない。
ステファノは純粋に神の言葉を語ったし、何も間違ったことはしていない。
ただ、人間とは残念ながら、見た目や肩書で人を判断しようとするものである。
しかし、神はそうではない。
人間の中身をしっかりとみておられるし、どう生きるかということもご覧になる。
ステファノは、自分の命がどうなるかよりも、語るべきことを語り続けることの方が大切だと考えていた。
命は神の御手にある。
だから、恐れずに神の恵みとみ救いをしっかりと証しながら生きて行こう。

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イザヤ 52:7 いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。
52:8 その声に、あなたの見張りは声をあげ 皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る 主がシオンに帰られるのを。
52:9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

詩篇 98:1  賛歌。 新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって 主は救いの御業を果たされた。
98:2 主は救いを示し 恵みの御業を諸国の民の目に現し
98:3 イスラエルの家に対する 慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は わたしたちの神の救いの御業を見た。
98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
98:5 琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせ、楽の音に合わせて。
98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものよ。
98:8 潮よ、手を打ち鳴らし 山々よ、共に喜び歌え
98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる。

ヘブル 1:1 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
1:2 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
1:4 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。


もうまもなくで2020年が終わろうとしている。
この一年は、新型コロナウイルスの感染症による恐怖や混乱に翻弄された一年だったと言える。
けれど、私たちは神を信じているし、神のなさる御業を心に留める。
そうすれば、闇のように見えた世界にも、希望の光が見えてくる。
今は目に見えるような形ではわからなくても、きっと神様は新しい働きを始めておられるのだろう。
神は創造者であり、救い主であり、慰め主でもある。
主の新しい2021年も、きっと主の素晴らしい御業が現わされていくことだろう。
その御業を、しっかりと見極めていけるよう、信仰の目を開いて歩んでいたいものである。

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イザヤ 9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
9:2 あなたは深い喜びと 大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように 戦利品を分け合って楽しむように。
9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。
9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

詩篇 96:1 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
96:2 主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 国々に主の栄光を語り伝えよ 諸国の民にその驚くべき御業を。
96:4 大いなる主、大いに賛美される主 神々を超えて、最も畏るべき方。
96:5 諸国の民の神々はすべてむなしい。主は天を造られ
96:6 御前には栄光と輝きがあり 聖所には力と光輝がある。
96:7 諸国の民よ、こぞって主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ。
96:8 御名の栄光を主に帰せよ。供え物を携えて神の庭に入り
96:9 聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。全地よ、御前におののけ。
96:10 国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。
96:11 天よ、喜び祝え、地よ、喜び躍れ 海とそこに満ちるものよ、とどろけ
96:12 野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 森の木々よ、共に喜び歌え
96:13 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる。

テトス 2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
2:12 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、
2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

ルカ 2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」



クリスマスおめでとうございます。
救い主イエス様のお誕生を心からお祝いします。

イエス様が生まれた日、そこにかけつけたのは、名もなき羊飼いたちであった。
住民登録からも外れ、人として数えられないような人たちだったかもしれない。
しかし、そんな彼らが、真の救いを見たのである。

イエス様は私たちと同じ人となって、私たちの生きるこの世界に来てくださった。
大きな不安と恐れが支配し、闇に包まれたような世界に、一筋の希望の光として。
テトスの手紙の言葉を見ると、イエス様が私たちを救って下さったのは、私たちがこの世にあって、この世の価値観のもとで生きるためではなく、この世にありつつも、神の国に生きるものとして生きる希望と力を与えて下さったということが語られている。
この世界は闇に包まれたように見えるかもしれないが、神は私たちに、そのような世界に生きるように恵みを与え、そして、救って下さった。
だから、希望を失う必要はない。
この世界がどんなに暗く、寂しいところであったとしても、神は常に共にいて下さり、私たちに生きる道を備えて下さるであろう。
生きる意味がないのなら、最初から命も人生も与えられるはずもない。
私たちは確かに今の時代に生きている。
きっと今の時代で生きる道があるはず。
不要な人生など一つもない。
だから今日をイエス様と共に生きて行こう。
きっとそこに幸いがある。

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ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

サムエル記上 2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。
2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。
2:4 勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み 多くの子をもつ女は衰える。
2:6 主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
2:7 主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ 高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの 主は世界をそれらの上に据えられた。
2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り 主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。
2:10 主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし 王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。」

マルコ 11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、
11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
11:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
11:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
11:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
11:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
11:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。
11:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。


イエス様は貧しい者、力の弱い者、虐げられている者を引き上げ、救うお方である。
しかし、そのために自らが貧しい者、力の弱い者、虐げられた者となって下さったことを覚えなければならない。
なぜイエス様は惨めで残酷な十字架の刑に処されたのかということを思う時、そこに本来なら私の姿があったということである。
と同時に、驕り高ぶる者が打ち叩かれ、力で人を支配していたような者が滅ぼされるというのも、本当はこの私の姿でもあったということを覚えなければなるまい。
イエス様の十字架は、弱く虐げられた者を救うためと同時に、驕り高ぶり、他者を虐げていた者の裁かれる姿でもある。
自分は弱く貧しい者で、神に救っていただいた者、とうう視点からだけ見ていると、もっと大事なことを見失う恐れがあるだろう。
本当に滅ぶべきは、この私だった。
そんな愚かな私を、主なる神は御子イエス様の命を犠牲にして贖い、救ってくれたのである。
人間は、かくも弱く、貧しく、愚かで、傲慢な罪人であるが、キリストの贖いのゆえに、神のみ赦しを受けて、今がある。
このような幸いを実現して下さった神の御子イエス様を心からの喜びの賛美で迎えよう。

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ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

サムエル記上 1:19 一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、
1:20 ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
1:21 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、
1:22 ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
1:23 夫エルカナは妻に言った。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように。」ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てた。
1:24 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、
1:25 人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。
1:26 ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。
1:27 わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。
1:28 わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。

ヘブル 8:1 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、
8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。
8:3 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。
8:4 もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。
8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。
8:6 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。
8:7 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
8:8 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る』と、主は言われる。
8:9 『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、わたしも彼らを顧みなかった』と、主は言われる。
8:10 『それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
8:11 彼らはそれぞれ自分の同胞に、それぞれ自分の兄弟に、「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで彼らはすべて、わたしを知るようになり、
8:12 わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」
8:13 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。



日曜の礼拝で「イスラエルとは神と格闘して勝ったものである」ということに注目し、神に勝利を約束された祈る人こそ真のイスラエルであるということを聞いた。
そして、その姿は、まさに祭司の姿と言えよう。

出エジプト19:3 モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。「ヤコブの家にこのように語り イスラエルの人々に告げなさい。
19:4 あなたたちは見た わたしがエジプト人にしたこと また、あなたたちを鷲の翼に乗せて わたしのもとに連れて来たことを。
19:5 今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。
19:6 あなたたちは、わたしにとって 祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」

イスラエルとは、祭司の王国の民なのである。
もちろん、真の大祭司はイエス・キリストである。
真の大祭司であるキリストによるとりなしによって救われた者として、イエス様がなさったのと同じように、神に祈り、とりなし、仕えていく、そんな生き方を続けて行きたいし、それが真のイスラエルということなのであろう。

ハンナも、マリアも、そしてイエス様ご自身も祈りの人であった。
何もできそうでなくても、まずは祈りから始めて行こう。


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ルカ 1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

サムエル記上 1:1 エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに一人の男がいた。名をエルカナといい、その家系をさかのぼると、エロハム、エリフ、トフ、エフライム人のツフに至る。
1:2 エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はペニナで、ペニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった。
1:3 エルカナは毎年自分の町からシロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。シロには、エリの二人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていた。
1:4 いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、
1:5 ハンナには一人分を与えた。彼はハンナを愛していたが、主はハンナの胎を閉ざしておられた。
1:6 彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。
1:7 毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。
1:8 夫エルカナはハンナに言った。「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか。」
1:9 さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた。
1:10 ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。
1:11 そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」
1:12 ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。
1:13 ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、
1:14 彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」
1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。
1:16 はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、
1:17 「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。
1:18 ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。

ヘブル 9:1 さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。
9:3 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。
9:4 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、
9:5 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。
9:6 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。
9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。
9:8 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。
9:9 この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。
9:10 これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。
9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、
9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、
9:14 まして、永遠の"霊"によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。



私たちは、神様のご加護を求め、神の御前に集い、祈り、礼拝をする。
毎週日曜日の礼拝は、そのような場である。
しかし、本当なら、神に御前に立てるような者ではない。
罪深く、汚れたものであり、神の御前に近づこうものなら、一瞬で焼き滅ぼされてもおかしくはない。
けれども、主なる神様は、私たちを愛して下さった。
神のすぐそばに集う事ができるよう、隔ての壁を取り払って下さったのである。
それは、神の御子イエス・キリストの命をいけにえの犠牲として十字架に捧げることで、全ての罪や汚れに対する処罰をなされたことによって成し遂げられている。
こうして私たちは、永遠の救いを受け、安心して神の御前に出ることができるようになった。
全ては神の恵みと憐れみによる。
主なる神様が、そこまでして私たちを愛して下さったのだ。
もっと大いに喜んで神の御まえに立とうではないか。
何を祈ってもいいし、どんな賛美を捧げてもいい。
主なる神は御子イエス様の命を捧げても構わないほどに、私たちを愛して下さったのだ。
安心していよう。

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士師記 13:2 その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。
13:3 主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。
13:4 今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。
13:5 あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」
13:6 女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。
13:7 ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」
13:8 そこでマノアは、主に向かってこう祈った。「わたしの主よ。お願いいたします。お遣わしになった神の人をもう一度わたしたちのところに来させ、生まれて来る子をどうすればよいのか教えてください。」
13:9 神はマノアの声をお聞き入れになり、神の御使いが、再びその妻のところに現れた。彼女は畑に座っていて、夫マノアは一緒にいなかった。
13:10 妻は急いで夫に知らせようとして走り、「この間わたしのところにおいでになった方が、またお見えになっています」と言った。
13:11 マノアは立ち上がって妻について行き、その人のところに来て言った。「この女に話しかけたのはあなたですか。」その人は、「そうです」と答えた。
13:12 マノアが、「あなたのお言葉のとおりになるのでしたら、その子のためになすべき決まりとは何でしょうか」と尋ねると、
13:13 主の御使いはマノアに答えた。「わたしがこの女に言ったことをすべて守りなさい。
13:14 彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や強い飲み物も飲んではならない。また汚れた物を一切食べてはならない。わたしが彼女に戒めたことは、すべて守らなければならない。」
13:15 マノアは主の御使いに言った。「あなたをお引き止めしてもよいでしょうか。子山羊をごちそうさせてください。」
13:16 主の御使いはマノアに答えた。「あなたが引き止めても、わたしはあなたの食べ物を食べない。もし焼き尽くす献げ物をささげたいなら、主にささげなさい。」マノアは、その人が主の御使いであることを知らなかった。
13:17 そこでマノアは主の御使いに、「お名前は何とおっしゃいますか。お言葉のとおりになりましたなら、あなたをおもてなししたいのです」と言った。
13:18 主の御使いは、「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議と言う」と答えた。
13:19 マノアは子山羊と穀物の献げ物を携え、岩の上に上って主、不思議なことをなさる方にささげようとした。マノアとその妻は見ていた。
13:20 すると、祭壇から炎が天に上るとき、主の御使いも、その祭壇の炎と共に上って行った。マノアとその妻はそれを見て、ひれ伏して顔を地につけた。
13:21 主の御使いは再びマノアとその妻に現れることがなかった。マノアはそのとき、この方が主の御使いであったことを知った。
13:22 マノアは妻に、「わたしたちは神を見てしまったから、死なねばなるまい」と言った。
13:23 だが妻は、「もし主がわたしたちを死なせようとお望みなら、わたしたちの手から焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物をお受け取りにならなかったはずです。このようなことを一切お見せにならず、今こうした事をお告げにもならなかったはずです」と答えた。
13:24 この女は男の子を産み、その名をサムソンと名付けた。子は成長し、主はその子を祝福された。

詩篇 89:2 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。わたしの口は代々に あなたのまことを告げ知らせます。
89:3 わたしは申します。「天にはとこしえに慈しみが備えられ あなたのまことがそこに立てられますように。」
89:4 「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った
89:5 あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」

89:20 あなたの慈しみに生きる人々に かつて、あなたは幻によってお告げになりました。「わたしは一人の勇士に助けを約束する。わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。
89:21 わたしはわたしの僕ダビデを見いだし 彼に聖なる油を注いだ。
89:22 わたしの手は彼を固く支え わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。
89:23 敵は彼を欺きえず 不正な者が彼を低くすることはない。
89:24 わたしは彼の前で彼を苦しめる者を滅ぼし 彼を憎む者を倒す。
89:25 わたしの真実と慈しみは彼と共にあり わたしの名によって彼の角は高く上がる。
89:26 わたしは彼の手を海にまで届かせ 彼の右の手を大河にまで届かせる。
89:27 彼はわたしに呼びかけるであろう あなたはわたしの父 わたしの神、救いの岩、と。

ヨハネ 7:40 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、
7:41 「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。
7:42 メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」
7:43 こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。
7:44 その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。
7:45 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。
7:46 下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。
7:47 すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。
7:48 議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。
7:49 だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」
7:50 彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。
7:51 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」
7:52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」



士師記には、サムソンが生まれる前に、父マノアとその妻の前に天使が現れ、生まれてくる子をナジル人として主に捧げるよう告げられたことが記されている。
その際、天使の名前をマノアが尋ねた時「不思議」という名であると答えている。
まさに、主なる神様のなさることは、人間には不思議に見える。
だからであろう、人の子として世に来られたイエス様の存在は、人々には不思議に見えた。
真の王、真の救い主のようであるけれど、いかにも普通の人間のように見える。
だから、イエス様を快く思わない者たちは、決してイエス様のことを受け入れようとしなかったし、ついには十字架にかけて殺してしまうのである。
けれど、それが救い主なるイエス様の本当の目的であり、イエス様は全ての人を救うための救い主、あがない主として、十字架で死なれたのである。
まさに「不思議」なお方であろう。

1コリント 1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

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