神子畑選鉱場跡 2015.04.27 2015年05月02日 07時34分35秒 | 歴史・遺跡・伝説 所在地 神子畑選鉱場跡 兵庫県朝来市佐嚢1826 明延鉱山で採掘された鉱石を選り分け、16キロ南東にあった生野鉱山併設の生野製錬所や国鉄播但線経由で飾磨港から直島の精錬所へ送る中継拠点の役割を担っていたのが、神子畑選鉱場です。ここによって見ました。 乗車料金が1円なので「一円電車」の名前で親しまれたが正式名称は明神電車で、昭和20年(1945年)に、鉱山従業員の通勤用として運行を開始。昭和62年(1987年)明延鉱山の閉山によって廃止されました。客車には、「くろがね」「白金」「赤金」などの名前がつけられ、明延鉱山から神子畑選鉱場までの約6kmの区間を運行していました。 選鉱場建屋は解体されていますが、基礎のみとなった姿は遺跡のようで、レールも枕木も残るインクライン(傾斜軌道)。頂上部には木造の操作室が見えます。 フランス人技師ムーセ(Mouchet, Emile Theophle ;1845~1895)が居住しました。ムーセは8年間の滞在で、多くの技術を伝え、鉱業の発展に貢献しました。ムーセ氏の偉業を称え、「ムーセ旧居」と名づけられ、親しまれております。旧神子畑鉱山事務舎は、朝来市神子畑にある明治時代の洋風建築です。 向こうに見えるのが、敷地の最下段、地平に据えられたコンクリート製の巨大な構造物。これは選鉱作業の最終段階に使われたシックナーと呼ばれる施設で、水に混ざった微細な鉱石を沈殿作用によって取り出すためのものです。 殆どの構造物が取り除かれた神子畑選鉱場に於いて当時のまま原型を保つ数少ない遺構となります。 神子畑選鉱場には数多くのシックナーが設置されていました。シックナーは百尺シックナーと呼ばれ、直径が30メートルもあります。選鉱の最終過程で鉱石・泥・水を分離する役目をしていました。 シックナーの構造物を覗いて見ると以前使用していたトロッコが 神子畑川沿いには、下流まで社宅が沢山並んでいて「鉱石の道」神子畑ステイションがありました 神子畑鉱山は、平安時代に開山したと言い伝えられ15世紀から採鉱が盛んになったとされます。今は巨大な廃墟で山神宮跡、保育所跡、小学校・体育館跡、社宅跡などが点在します。 次回をお楽しみに では またね #ドライブ(お出かけ) « 神子畑鋳鉄橋 2015.04.27 | トップ | 今が見頃の住吉神社の藤 201... »
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