hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

鷲羽山からの瀬戸大橋  2012.08.31

2012年08月31日 21時06分09秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  鷲羽山    岡山県倉敷市市下津井田ノ浦

 国道2から県道21を通り鷲羽山へ下の駐車場に到着です。駐車場は良く空いています。

 第二展望台まで階段を上がっていきます。

 鷲羽山レストハウスまで上がると展望も開け素晴らしい景色です。ちょっと靄がかかっているかな~

 塩飽諸島の美しい島々と、四国までのびる優美な瀬戸大橋の景観を、鷲羽山(わしゅうざん)とその沖合いに浮かぶ釜島、松島、六口島(むくちじま)からなるこの地区は、備讃瀬戸の中心に位置し、鷲羽山から眺める風景は、瀬戸内海国立公園を代表するものであり、また、瀬戸大橋を眺める最高の展望地です。

 レストハウスから鷲羽山の頂上まで歩いて見ます。鷲羽山は、多島美を誇る瀬戸内海屈指の展望地で、鷲が羽を広げたように瀬戸内海へ突き出ているところからその名がつけられたといわれるています。

 鷲羽山は雲仙、霧島とともに昭和9年に国内初の国立公園に指定されました。

 山頂を目指して歩きます。

 下に見える人家は、下津井田ノ浦港の町並みです。

 左側の石段を上がると山頂へ

 あの岩山の上が山頂かな?

 山頂には、方向と地図があり島の名前が展望が抜群です。

 海抜133mの山頂「鍾秀峰(しょうしゅうほう)」からは、波静かな海上に点在する大小50余りの多島美と雄大な瀬戸大橋…

 山頂から少し外れたところに鷲羽山「三等三角点」112.7mがありました。

 鷲羽山からの景色を見ながら下り坂を歩くのは楽チンです。

 本州側の北から、下津井瀬戸大橋は吊り橋。櫃石島橋(ひついしじまばし)と岩黒島橋は、斜張橋。与島橋は、トラス橋。北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋は2連の吊り橋と、いろいろな形の橋が組み合わさっています。下津井瀬戸大橋を電車が通過です。

 麓から山頂にかけては遊歩道が整備されており、いたるところから本州と四国を結ぶ「瀬戸大橋」と備讃瀬戸の多島美を眼下に見渡すことが出来き、展望台まで戻ってきました。ここで食事を取り次の撮影地へ
次回をお楽しみに  では またね

丹後・屏風岩と立岩  2012.08.22

2012年08月27日 11時10分15秒 | 公園・名所・名勝


 所在地  屏風岩・立岩   京都府京丹後市丹後町筆石

穴文殊堂から国道178を西へ犬ヶ崎展望台でちょっと休憩です。右手には丹後松島が展望でき素晴らしい眺めです。

 犬ヶ崎トンネルを抜け国道178号線を西に走った坂道の道中にある屏風岩展望所で、 車は4台程度なら停車できる小さな展望所ですが、ここから西方面の海岸線を眺めると、手前に屏風岩、その左奥に竹野(たかの)の海岸線を望むことができる、絶景ポイントです。

 岩の立っている様が屏風のように見えることから「屏風岩」と呼ばれます。国道178号にある休憩施設から直ぐに見ることができます。日本海の荒波に削られて海中から立ち上がる屏風岩で切り立った断崖の上に広がる田畑と海の色のコントラストが美しい。

 筆石の海食崖前面の海面上に直立した石英安山岩からなる孤立した岩。北西方向に一直線状に複数の小島が並ぶ。これは海食崖を形成する網野累層の白っぽい凝灰岩堆積後、中新世末に貫入した堅固な石英安山岩の岩脈が、選択的な海食により削り残され陸地から離れて岩として残されたものです。

 海岸段丘から見る屏風岩は、風光明美な丹後半島北岸の代表的な景観の一つで、筆石地区の海岸に高さ13mもある奇岩が、海中から屏風のように立っています。降水量の多いときは、左の岸壁に出来る滝があるようですが、今回は見ることが出来ませんでしたが、綺麗な海と青空に冴える屏風岩が素晴らしい景色です。

 屏風岩を離れ少し走ると道の駅「てんきてんき丹後」に到着です。ここでしばらく休憩です。この一帯は、日本海側最大級の古墳や遺跡・古社が集中し、文字通り「丹後王国の海の玄関」です。

 道の駅の裏にはオートキャンプ場が併設され、そこからは木製の橋を渡って、間人(はしうど)皇后・聖徳太子の母子像が佇む後ヶ浜や、ジオスポットの立岩に歩いて行くことができます。

 丹後町には多くの伝説・伝承が息づいています。「間人」には聖徳太子の生母であり、第31代・用明天皇のお后である間人皇后の伝承が残っています。この立岩にも伝説が秘められています。用明天皇の第三皇子麿子親王が鰾古・軽足・土車という3匹の鬼を退治された時、二匹は殺し土車だけはみせしめのため、この大岩に封じ込めたといわれています。今でも風の強い、波の高い夜などは、鬼の号泣する声が聞こえるといわれています。

 野川河口の砂洲に大きな柱状摂理の玄武岩がそびえ立つ。周囲が約1kmにも及ぶ全国屈指の一枚岩柱状摂理の玄武岩の姿は圧巻。ここは、古代に大陸からの渡来船が漂着したところといわれています。美しい間人(たいざ)の海を満喫して帰路につきます。
 次回をお楽しみに  では またね

清涼山九品寺(穴文殊堂)  2012.08.22

2012年08月26日 15時42分38秒 | 神社・寺院


 所在地  穴文殊堂    京都府京丹後市丹後町尾和

 左に丹後半島の山並、右に美しい日本海を眺めながら国道178を走っていると幟が、毎年8月24日は穴文殊大祭が開催されるようです。

 丹後町尾和に近づくと清涼山九品寺が「穴文殊」と「航空自衛隊・経ヶ岬分屯基地」隣合わせに、この松林の奥に穴文殊が、

 車を止めて、歩くと山門が

 境内はこじんまりしています。

 穴文殊堂は、正しくは清涼山九品寺(くほんじ)といい、境内の地下に深い洞穴があるとの言い伝えから穴文殊と呼ばれています。かつて経ヶ岬の岩窟の中にあったという本尊の文殊菩薩は、1609年に現在地に移されたものだそうです。

 この文殊菩薩こそ、経ヶ岬の地名の由来となった悪龍を善龍に改心させた菩薩のようです。本堂の横手から海食崖下に下りる小道を進むと、二つの海食洞がある10メートルあまりの絶壁の上に通称穴文殊と呼ばれる萬福寺の境外仏堂がたたずみ、その参道に見事なクロマツの古木がずらりと生い茂っているようですが、今回は、時間がないので行きませんでしたので残念です。

 穴文殊堂の境内を歩き探索です。もうすぐすると毎年8月24日は穴文殊大祭が開催されるんですね。
 次回をお楽しみに  では またね 

経ヶ岬灯台  2012.08.22

2012年08月25日 13時38分19秒 | 公園・名所・名勝


 所在地  経ヶ岬灯台     京都府京丹後市丹後町袖志

 国道178号線沿いにある経ヶ岬レストハウス横の道を右に折れると灯台に行く駐車場へしばらく走ると展望が開け駐車場です。

 駐車場横の展望所からは、経ヶ岬灯台は海側から望みこむと西側にかすかにしか見えません。経ヶ岬灯台へ行くには専用の遊歩道を約400m歩くことになります。

 片道15分程度かかり、上り階段を歩くのでかなり疲れますが、充分行くだけの価値がございます。ここまで来たのだから行ってみます。

 前方に経ヶ岬灯台が見えてきました。もう少しかな?

 ここから二手に別れ左に行くと展望台へ上から灯台を見ることが出来ます。右に行くと直接、灯台へ

 ワァ~ 綺麗な海が見えてきました。

 ようやく灯台に到着です。疲れました。経ヶ岬灯台は、日本三大灯台の1つで、他に 犬吠埼灯台・室戸岬灯台があります。
 
 丹後半島の最先端の海抜140mの断崖絶壁の途中に、経ヶ岬灯台があります。京都百景にも選ばれた経ヶ岬灯台は、全国に6つしかない最高級・第一等レンズ(フランス製)を使用。約55km先まで届く豊富な光量で、若狭湾・日本海を行き交う船舶の安全を1898年からずっと毎日守り続けています。この経ヶ岬灯台は、映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台になりました。 

 灯台から見ると美しい海で、昔、岬に悪竜が住みつき、暴れまわり、海は大荒れに荒れつづけ、舟人や漁師を困らせました。人々は困り果て、大陸の文殊菩薩にお願いし、文殊菩薩は経をもって、悪竜と長い間戦い、やがて文殊菩薩の教化で悪竜は善竜になりました。そして、二度と再び、悪竜に戻らないように、一万巻のお経を納めたので、経ヶ岬と呼ばれるようになりました。

 経ヶ岬灯台は、明治31年12月25日に建設、初点灯をして以来今日まで、日本海を行き交う船舶の安全を守り続けています。岬の周囲は、石に柱状に割れ目の入った柱状節理が見られ、波の浸食作用によって断崖絶壁となっています。ここを離れて次のところへ
次回をお楽しみに  では またね 

浦嶋神社(宇良神社)・布引の滝  2012.08.22

2012年08月24日 14時19分12秒 | 神社・寺院


 所在地  浦嶋神社・布引の滝    京都府与謝郡伊根町本庄浜191

 舟屋の里伊根から国道178を走り、本庄浜から府道623を少し入ったところに、日本人の誰もが知っている浦島伝説「うらしまたろう」は有名な昔話ですが、丹後・伊根町には、最も起源が古いといわれる日本最古の浦嶋伝説が伝わっています。その伝説にまつわる名高い神社が浦嶋神社があります。

 駐車場から水の江里浦嶋公園の前の参道を歩き鳥居のところへ、用水路で子供さんが「ザリガニ」取りをエサは煮干で捕獲されたかな?

 境内には「力石」が、浦嶋風土記によると、浦嶋神社にある二つの円石は、重さ三十二貫(約120kg)もあり、かつて本庄浜の森下弥七、森下仲右衛門、八助などが担いだとされている石です。

 伊根町は日本最古の浦島伝説の地でもあり、浦島神社には、玉手箱などのゆかりの品が数多く残り、神社横には、浦島公園が隣接され、浦島伝説に関して学ぶことができます。

 拝殿の中には、浦島伝説にまつわるものが、

  浦嶋神社は、延喜式神名帳所載によると「宇良神社」と記されています。

  社伝によると、淳和天皇の天長二年の創建。浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが創始。浦嶋子は、丹後国与謝郡筒川の庄の浦嶋太郎の子でその太祖が月読命の子孫。当地の領主であったといわれます。いわゆる浦嶋伝説で、雄略天皇二十二年秋七月、浦嶋子は仙亀にひかれて海神の都にたどりつきそこで347年間、乙姫と共に暮らしたが淳和天皇の天長二年、再びこの地に帰って来た。その後、乙姫からもらった玉手箱を開けたところ紫の雲煙があらわれそれまでの紅顔の美少年がたちまち痩せ衰えた老翁となり、亡くなったといわれます。

 当社の神宝には、浦嶋伝説に関するものが多く、乙姫の小袖や玉手箱などが残っているらしいようですが、一度見たいものですね。

 少し、国道178を少し戻ると休憩所があります車も5台ほど止められる駐車場があり、落差100mにも及び、ものすごい音を立てて、勢いよく落ちる水流は壮観で見事。白布を垂らしたように美しいので布引の滝といわれる滝が見られるようですが、

 但し今の時期は、山の山頂付近にある滝なので、降雨時や雪解け水のある時期以外には、なかなかその水流を肉眼で確認することができない為、幻の滝とも呼ばれています。水流がある時は、国道178号線沿いの休憩所から見えるようで見たいものです。今回は残念です。
次回をお楽しみに  では またね

舟屋の里伊根  2012.08.22

2012年08月23日 09時28分43秒 | 公園・名所・名勝

  所在地  舟屋の里伊根    京都府与謝郡伊根町亀島

 自宅から一般道を走り舟屋が軒を連ねる伊根湾の美しい景色を見渡せる道の駅へ、まずは、伊根町観光協会でパンフレットを頂きこれからの観光の行き先を検討です。舟屋をイメージして建てられたレストハウス内には、旬の魚が味わえるレストランや土産店があります。

 伊根港にその朝、水揚げされた旬の魚を、姿造りで出すのがレストラン「舟屋」です。数年前、春のアジを頂きとにかくイキのいい定食メニューで美味しかったです。

 伊根町は京都府最北端の丹後半島東端に位置した、日本海の豊かな漁場に恵まれた漁業と、山あいの田畑を耕作する農業が支える小さな町です。観光業には縁の薄かった伊根町に、観光推進の足がかりとなるため、平成5年4月「舟屋の里公園」が開園、同時に「道の駅 舟屋の里伊根」として京都府下で2番目の道の駅の認定を受けました。

 道の駅「舟屋の里伊根」からは、旅情あふれる舟屋の景色や、ダイナミックな海の展望もでき素晴らしい景色です。

 遠くに見える伊根湾に沿って海面すれすれにずらりと建ち並んだ“舟屋”は、 全国でも珍しくその景色は伊根町独自の詩情を漂わせています。1階は船揚場(船の格納庫) 物置、作業場として、2階は客室、 民宿など2次的な生活の場として活用されています。

 船のガレージを舟屋と呼んでいます。周囲5キロメートルの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍らしく、重要伝統建造物群保存地区選定地でもありす。また この景色はどこか懐かしく、日本の原風景を感じさせる美しさが今でも大切に残されています。

 ドライブ途中のちょっと休憩にと、立ち寄りましたが、 旅の情報収集に、美しい景色といっしょにくつろぐのもいいでしょうね。

 そうこうしていると、時間を忘れてしまいそうでパンフレットを参考に出発です。
次回をお楽しみに  では またね
 

ボイジャー・オブ・ザ・シーズ2度目の神戸港に入港  2012.08.06

2012年08月07日 16時30分50秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


 所在地  神戸港ポートタミナール   神戸市中央区新港町4―5

 神戸港に、ボイジャー・オブ・ザ・シーズが2度目の入港です。朝から気温が上昇の中、ジリジリと肌を刺すような気候ですが、2回目ということでちょっと慣れたかな?神戸港沖から神戸中央航路に入ってきました。

 巨大な豪華客船、全長311メートル、高さ63メートルのボイジャー・オブ・ザ・シーズが137.276トンの船体をゆっくりと目の前に

 やっぱり大きいですね。

 消防艇の放水の歓迎を受けて

 岸壁に着岸の準備のため少し方向転換です。

 本当に大きいです。

 巨大な船体がもうすぐ着岸です。船体が見え始めてから1時間ほどかかるんですね。

 乗船客もこちらの歓迎風景を見ているのかな?

 これから接岸ですね、あそこからロープを投げるんです。前回のときは、ロープが岸壁に届かず何べんもやり直していましたよ。

 消防音楽隊の歓迎を受けて、あれあれポートタワーのマスコットがいましたよ。

 こっちを向いてくださいとお願いすると、ポートタミナールレディのお嬢さんがこちらを向いてくださいました。

 音楽隊がいるので、ボイジャー・オブ・ザ・シーズの後ろから撮りたいけどいけません

 ちょっと歓迎ムードにしたろうかな~

 船のデッキでは、乗客の人かな? 仮装して出てきたよ何だろうね?

 ポートタミナールホールからポートアイランドの北公園へ向かいます。

 大橋を渡る上には、ポートライナーが神戸空港方面へ頻繁に出ています。

 北公園から六甲山系を背景に見た、ボイジャー・オブ・ザ・シーズです。

 左側を走る、ポートライナーが、あんなに小さく見えるよ。

 大橋の下を通り抜ける遊覧船

 もう一度、ポートタミナールに戻ってボイジャー・オブ・ザ・シーズの後ろの方に、これは船会社の名前だね~

 やっとボイジャー・オブ・ザ・シーズの後ろへ、ジリジリする日差しの中を写真を撮りました豪華ですね素晴らしいです。
 次回をお楽しみに  では またね

二瀬川渓谷と遺跡  2012.08.03

2012年08月06日 07時05分36秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  二瀬川渓谷     京都府福知山市大江町仏性寺

 ここに車を止めて、橋を渡り二瀬川渓谷沿いにある、林の中の遊歩道を歩きます。

 しばらくで、二瀬川に架かる「新童子橋」に来ました。

 橋から覗くと、府道9号と並ぶ二瀬川渓谷眺めがいいです。

 橋を渡り、右側にある東屋で一休みです。

 鬼伝説で知られる大江山の二瀬川渓谷に架かる大つり橋、童子橋のたもとに鎮座する小社です。大江山には有名な酒呑童子伝説よりもさらに古い鬼伝説が伝わっており、このお社にはこの鬼伝説にまつわる白犬が祀られています。

 聖徳太子の時代、大江山には英胡、軽足、土熊という三匹の鬼に率いられた鬼神たちが盤踞していました。鬼討伐を命じられた聖徳太子の弟、麻呂子親王は、官軍を率いて大江山を攻めたものの、鬼たちは妖術を使って姿を消したので攻めあぐねていました。このとき麓に鎮座する元伊勢皇大神宮の、お使いの二匹の白犬が現れて額の鏡で照らしたため、鬼たちは姿を消すことはできなくなり、大江山を平定することができました。戦いの後に死んでしまった二匹の犬は山頂近くの池ヶ平に葬られ、額の鏡は山の北側の加悦と南側の仏性寺に祀られました。仏性寺に白犬の鏡を祀ったのがこの美多良志荒神だとされています。

 旅人達が、鬼の犠牲になったそうで、南無阿弥陀仏の石は、死者を弔うようにひっそりと立てられています。

 むかし丹波の国に、鬼が住んでいて夜な夜な都へ出てきては、美しい娘たちが連れ去られていました。時の帝は、但馬守であった源頼光に、鬼退治を命じました。そして、険しい大江山へ鬼退治に向かった頼光と四天王(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光)でありました。鬼退治で有名な、源頼光の腰掛け岩だと云われています。

 これが「鬼の足跡」出す。左手の山(骨ケ嶽)の中腹にある「鬼飛岩」から飛びおりた時ついた足跡と伝えています。スケールの大きな話ですね

 二瀬川渓流に沿って現在の府道が通りますが、少し山手側には「今普甲」と呼ばれた旧宮津街道の石畳が木立のなかに当時のままに残っていて、酒呑童子伝説にまつわる遺跡が散在しています。

 奇岩と清流が織りなす風景は迫力ある美しさを見せている、二瀬川に架かる木製の吊橋・新童子橋からの眺めは絶景ですが、橋を渡るとちょっとゆれるかな?

 ちょっと寄り道して鬼飛石へ行こうと思いましたが、この標識より まだ 少し上らないけないのでやめました。もう疲れて帰ります。

 二瀬川は、佛性寺地区の約2kmの区間は傾斜が急で、狭い川幅を河川水が急流となっています。このため、激しい浸食作用を受けた大小様々な奇岩が、ところ狭しと、積み重なる美しい渓谷をしています。夏場は、この渓谷で水遊びを楽しまれている人々が多く見られます。
 次回をお楽しみに  では またね

今福の滝(七段の滝) 2012.08.03

2012年08月05日 09時15分43秒 | 滝・渓谷・山


 所在地  今福の滝   京都府宮津市今福

 タンゴ鉄道沿いに、府道9号線を福知山方面へと走ると喜多駅のところに、小さな「今福の滝」の標識、興味深く、そこから高架下を通り、滝への小さな案内板に従い村を抜けて行くとやがて林道へ出ます。車1台が通れる林道をしばらく行くと杉林の中の車2,3台停められる駐車場に着きました。

 車を停めて、そのすぐ先を左に曲がると滝への遊歩道へと続きます。橋の側には、案内用のパンフレットにアンケートが、情報がないのでパンフレットを頼りに蝉が鳴く杉林を上って行きます。

 途中 右にそれると「滝神社」がありました。最初に「滝神社」にお参りしておそらく、この神社はこの滝を祭ったものでしょうね。

 五の滝「7の滝」から「5の滝」へは滝神社から沢沿いを登ると見ることが出来ます。

 3の滝に行く途中に、四の滝が

 落ち葉を踏みしめながら、足を滑らさないように進んでいくと展望が開け、小屋と滝が見えてきました。

 「2の滝」「3の滝」が望める場所には、ログハウス式の囲炉裏付き「東屋」が設置されています。

 「今福の滝」は、すでに江戸時代中期の享保11年(1726年)に書かれた「丹後興佐海名勝略紀」に紹介されており、古い時代からこの地方の名瀑として知られ、多くの人々に親しまれていたように思われます。

 宝暦11年(1761年)に編纂されました「『丹後宮津府志』巻之五の古跡之部」には、「府城の南一里許。今福村より山行七八町、両山の間谷川の激流也。雨後水増えれば流詠めよし、水少なきときは岩石にせかれて千筋に分かれ糸をせるがごとし。瀧の側に不動堂あり」と、豊かな描写で詳しく紹介しております。

 総落差はおよそ78m。連続して落ちる一の滝から三の滝までの落差がおよそ45mです。

 滝は全部で七滝あり、中でも二の滝・三の滝は絶景です!滝全体としてはスケールの大きな滝です!

 2の滝・3の滝は、迫力もあり撮影意欲をかきたてる大きな滝で素晴らしいですね。

 2の滝・3の滝から岩肌の多い遊歩道を上がって行くと、途中に展望所があり、ここからは、2の滝・3の滝の全貌が開けて見えます。

 1の滝へ行くには、横から2の滝がちょっと見えにくいですが見えます。

 パンフレットを見ながら、「1の滝」をめざして途中の滝見所から約40mの崖を流れ落ちる「2の滝」「3の滝」を見て感動しながら、これが「今福の滝」かと? さらにその上150m上ると「1の滝」がありました。全体として自然景観のいいところですね。
 次回をお楽しみに では またね

奈貝海岸  2012.08.03

2012年08月04日 14時53分41秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  京都府宮津市由良     奈貝海岸

 由良川橋梁でタンゴ鉄道の車両を撮った後、由良から栗田の間にある国道178号線には奈具海岸と呼ばれるシーサイドロードがあります。区間はわずか4km程度なんですが、美しい海岸ですので走ってみました。

 海岸沿いをタンゴ鉄道と国道178号線が走り美しい海岸線を見ることが出来ます。

 海岸の向うには、関西電力宮津エネルギー研究所が見えます。温水を利用した水産関係の研究を行っています。また併設するPR館「丹後魚っ知館」には、約200種4000匹の魚が泳ぐ水族館も兼ね備えており、丹後地方を代表する観光スポットの一つとして多くの方に親しまれています。

  国定公園奈具海岸を見渡せる風光明媚な場所にある、「双子岩茶屋」の駐車場から奈具海岸を望みます。

 今の時期、海は凪、澄み切った海の風景は素晴らしいものですが、お盆を過ぎると静かな海も波立ち荒々しくなり、また 違った風景が見られることでしよう。
次回をお楽しみに  では またね  

北近畿タンゴ鉄道・喜多駅~由良川橋染  2012.08.03

2012年08月03日 20時17分23秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地  北近畿タンゴ鉄道・撮影地    京都府宮津市

 由良川は丹波高原の三国岳を源流とし、河口付近で舞鶴市と宮津市の市境をなしながら若狭湾に注ぐ一級河川で、第三セクター北近畿タンゴ鉄道(KTR)宮津線の由良川橋梁は全長552m。丹後神崎-丹後由良間の由良川河口に架かっていて、大正13年建設というとても古い橋梁です。水面すれすれを走る単線の鉄橋はなんとも味わい深い風景です。

 穏やかな由良川を眺めながら、ゆっくり橋梁を渡る普通電車でKTR700形・800形車両(ワンマン運行)を使用しています。毎日「天橋立」駅~「西舞鶴」駅間を運行しています。

 北近畿タンゴ鉄道(KTR)とは、京都府北部の丹後地域と兵庫県北東部の但馬地域を走る第三セクター鉄道で、京都府の福知山市と宮津市を結ぶ「宮福線」と、京都府の舞鶴市から宮津市、与謝野町、京丹後市を経て、兵庫県の豊岡市とを結ぶ「宮津線」の2線を運営しています。由良川橋梁を渡る、北近畿タンゴ鉄道が保有する普通列車用の気動車(ディーゼル動車)です。

 帰りには、「宮福線」に、ここの喜多駅(きたえき)は、京都府宮津市今福にある、宮津に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ無人駅で、駅舎はなく、階段から直接ホームに入る形になっています。長閑な田園風景の中に

 ホームに立っていると、鉄道車両の「基本形」を尊重し「クラシック・モダン」なデザインの車両が、福知山方面からホームに入ってきました。

 ホームには、乗客の一人も乗り降りもなく発車です。1988年、北近畿タンゴ鉄道の前身である宮福鉄道が宮福線を開業させた際に、富士重工業で製造した車両で、同社の開発した軽快気動車LE-DCシリーズの一種で一般車MF100形です。

 しばらくすると、静かな中に線路から伝わってくる電車の音が、向うの方から特急電車が来ましたよ。

 「タンゴ・ディスカバリ」の愛称で天橋立駅まで特急電車で来られたお客様を、丹後地域へご案内する新しい車両です。 ゆったりとした曲面の先頭部、大きな連窓、そしてシンプルなフォルム。美しい「丹後」の海と山を表現したカラーリング。四季の自然にすっきりととけこむ、格調高いエクステリアになっています。ちょっと暑い中、長閑もいいですがホームに一人きり、いい思い出です。
 次回をお楽しみに  では またね