所在地 播磨国分寺跡 兵庫県姫路市御国野町国分寺121
JR御着駅の北側を走る国道2号線に面したところに播磨国分寺跡(牛堂山国分寺)の標識が
ここは北門で、本来は南門から入るべきですが、普段は閉まっているようです。北門をくぐると、左手には四国八十八所の石仏が屋根を付けて並でいます。
播磨国分寺跡の西側に「聖武天皇勅願所」がありました。
本堂は、寛永16年(1639)、姫路城主・松平忠明が菩提所として再建したもので、播磨国分寺の講堂跡に建てられたようです。
これは、鐘楼です。
本堂正面の南の山門は、本尊が薬師如来であるところから薬医門ともいう。牛堂山の山号にふさわしく蛙股は牛の彫刻があります。
国分寺は天平13年(741)年の詔により、国ごとに建立された官寺で、発掘調査によって、方2町(一辺218m)の寺域の中に、南から南大門・中門・金堂・講堂などの伽藍配置が考えられ、回廊や築地跡なども検出されている。東南部に位置する塔跡には、心礎を中心に礎石群が現存しています。
現国分寺の建物の南に五重塔の礎石17個が残る。当域南東部(約2万3千平方メートル)を整備し、築地塀等の復元や、伽藍配置模型の展示を行うなど、往時をしのべる場を整備しています。