hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

播磨国分寺跡  2013.10.29

2013年10月30日 20時24分51秒 | 神社・寺院


  所在地   播磨国分寺跡    兵庫県姫路市御国野町国分寺121

 JR御着駅の北側を走る国道2号線に面したところに播磨国分寺跡(牛堂山国分寺)の標識が

 ここは北門で、本来は南門から入るべきですが、普段は閉まっているようです。北門をくぐると、左手には四国八十八所の石仏が屋根を付けて並でいます。

 播磨国分寺跡の西側に「聖武天皇勅願所」がありました。

 本堂は、寛永16年(1639)、姫路城主・松平忠明が菩提所として再建したもので、播磨国分寺の講堂跡に建てられたようです。

 これは、鐘楼です。

 本堂正面の南の山門は、本尊が薬師如来であるところから薬医門ともいう。牛堂山の山号にふさわしく蛙股は牛の彫刻があります。

 国分寺は天平13年(741)年の詔により、国ごとに建立された官寺で、発掘調査によって、方2町(一辺218m)の寺域の中に、南から南大門・中門・金堂・講堂などの伽藍配置が考えられ、回廊や築地跡なども検出されている。東南部に位置する塔跡には、心礎を中心に礎石群が現存しています。

 現国分寺の建物の南に五重塔の礎石17個が残る。当域南東部(約2万3千平方メートル)を整備し、築地塀等の復元や、伽藍配置模型の展示を行うなど、往時をしのべる場を整備しています。


第85回明石公園菊花展  2013.10.29

2013年10月29日 19時54分08秒 | 季節のたより


  所在地   明石公園    兵庫県明石市明石公園1―27

 JR山陽本線明石駅に、このごろになると明石公園の菊花展の広報が

 駅の北側に出るとお堀には菊花展の幟が

 明石公園の入口に来ました。第85回菊花展が開催されているようですが、先日の台風の影響で少し遅れているようですね。

 旧御料地の明石公園を広く紹介するため、1926年より皇室の紋章にちなみ菊花展を開催。明石の秋を彩る伝統行事となっている。2013年で85回目を迎えます。

 菊は明石の市の花であり大正15年から半世紀を越える歴史をもつ本菊花展は、郷土の誇る秋の恒例行事として市民をはじめ多くの人々に親しまれています。大菊、懸崖菊、福助菊、盆栽菊など約1500鉢が並び、出店作品の高い評価とともに、公園内の樹木の紅葉との美しいコントラストが楽しめます。

 侍姿のロボットが時刻を太鼓で知らせる「とき打ち太鼓」の前には、菊で出来た「虎」が2頭おります。

 明石公園は桜の名所として有名だが菊花展も歴史があり、目を楽しませてくれます。

 まだ、菊花展の準備をしているところも

 菊で出来た「明石ダコ」がお出向かいのようです。

 菊花展の菊薫る秋を楽みながら、明石公園を探索して、およそ400年前小笠原忠真によって建てられた明石城の往時に思いを馳せてはいかがでしょうか、
 次回をお楽しみに  では またね

居組の眼鏡橋  2013.10.21

2013年10月23日 11時43分33秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   居組の眼鏡橋     兵庫県美方郡新温泉町居組1532

 居組の集落に流れる居組川沿いに川上に細い道を進むと「眼鏡橋」が見えてきました。

 兵庫県の西の最後の街「居組」にはヨーロピアンスタイルの「眼鏡橋」があります。明治末期に造られ何と橋上はJR山陰線です、めがねの一方は道路もう片方は川というちょっと変わった風景です。

 川の上を山陰線がまたぐため、堤の下に設けられた「めがねトンネル」水とともに右側トンネルの端は人が通れるようになっています。完成後九十余年を経た今なお、各構造物は山陰の大動脈を支え続けていて、その頑丈さに技術者たちの魂を見る思いがします。
 次回をお楽しみに  では またね

秘境の駅・JR居組駅  2013.10.21

2013年10月22日 22時56分53秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地   JR居組駅     兵庫県見方郡新温泉町居組1532ー1

 県境の村、居組の七坂八峠からの海岸の景色は絶景です。ここから村の中を通る県道128を走りJR居組駅へ

 居組の集落は日本海に面する港町で、駅は結川を1kmほど遡った所に位置し、山間にある駅のイメージで駅周辺には民家がほとんど無い秘境駅としても注目される希有な駅です。

 居組(いぐみ)駅は、明治44年開業で山陰本線兵庫県内最西端の駅です。駅舎は開業当時のもので、もちろんその後の増改築で、昔の面影は少ないようです。

 駅の下り鳥取方面には、すぐ陸上(くがみ)トンネルに入りますが、このトンネルの中間が県境になります。

 かっては2面3線の待避線を持つ交換駅でしたが、列車本数削減で交換設備は閉鎖され、無人駅化のときに造られた、島式ホームへの跨線橋も閉鎖され撤去されました。

 しばらくすると、快速・普通列車運用に就いている車両が、編成はキハ126系は2両、キハ121系は1両を基本とするために全ての車両に運転台が備わっています。全車が貫通タイプの車両なので車両の増減を自由に行うことが出来、柔軟な運用がなされています。この車両は1両で「キハ121系」です。

 30分ほどすると、上り列車がトンネルから出てきます。

 2両編成の「キハ40形気動車」がホームに降りた人は1人でした。JR西日本山陰地区ではメインで活躍しています。

 過っては駅員7~8人いた駅舎も今はひっそりとした無人駅ですが、1日平均の乗車人員は20人のようです(2010年度)。海に面した集落から離れた山間にひっそり駅舎が
 次回をお楽しみに  では またね

山陰海岸ジオパーク  2013.10.21

2013年10月21日 21時22分00秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   山陰海岸ジオパーク    鳥取県岩美郡岩美町網代

 ちょっと鳥取に行く機会が、国道9号から県道156を通り「鴨ヶ磯展望駐車場」に、山陰海岸ジオパークは山陰海岸国立公園を中心に、日本海形成から現在に至る多様な地質や地形が存在し、それらを自然背景とした文化・歴史を体験・学習できる地域です。

 前にも一度来たところで、山陰海岸は美しいところで今回も来ました。

 海岸までは、長い階段が続き途中には展望台もあり素晴らしいところです。

 途中の展望台から見た「鴨が磯」の景色です。今日の海は凪いでいて気持ちがいいです。まだ 階段を下りていきます。水尻洞門が見え、浦富海岸自然探索路と合流します。

 前方には、浦富海岸の遊覧船が「鴨が磯」に入ってきました。ここの海岸に寝そべっていると時間を忘れるみたいです。

 砂浜まで降りて見ると、水が綺麗で小さな海岸ですが、ここから見渡す風景は、抜群に綺麗です。おすすめします。

 次回、行かなかった「観音浦」方面へ遊歩道を歩いていきます。

 遊歩道は整備されていますが、海岸付近の山間部を歩くので上ったら下ったりする道で素晴らしい景色を見ながら歩きます。

 「観音浦」付近の展望台です。ここから300mぼど上ると灯台があるようですが、ここの風景を楽しんだ後、戻ります。

 整備された階段と山道のある遊歩道ですが、あまりにも景色がいいので癒されます。急いで歩いたので疲れました。
 次回をお楽しみに  では またね

尼崎寺町散歩・本興寺  2013.10.17

2013年10月18日 09時44分03秒 | 神社・寺院


  所在地   本興寺     兵庫県尼崎市開明町3丁目13

 本興寺には貴重な文化財が多く残されています。なかでも室町・桃山時代の建造物である「開山堂」「三光堂」「方丈」、日蓮上人御所持の「太刀銘恒次(数珠丸恒次)」、日隆上人自ら開眼した御木像「木造日隆上人坐像」、これらは国の重要文化財に指定されています。

 【三重宝塔 】 壇信徒向けの納骨所として開放されています。

 【方丈】(ほうじょう)
建立年代は天文17年(1544)の棟札が残されていることから元和に移築されたのではないかといわれていましたが、昭和56年の解体修理の調査で軸部に解体した形跡がないことが確認され、元和3年(1617)この地に移転した際の建築であることが棟札の存在とともに明らかになりました。 保存されている天文13年の棟札はおそらく移転前に存在した建物のものと思われ、移転時に持ってきたものであろうと考えられています。

 尭運院(鬼子母神を祀る)を覗いて見ると大きなザクロの実がぶら下っていました。
 
 「伏見宮日承王御墓」
日承王は後伏見天皇6世の皇孫伏見宮邦高親王の王子で幼少にして本能寺に入り、天文12年(1543)43歳のとき貫主になった人物です。

 この笠塔婆は本興寺の歴代住職の墓の中でも規模が最大であるだけでなく、時期的にも最も古く15世紀中頃の造立と考えられています。基礎に兵庫県下でも珍しい近江式装飾文の開花蓮を飾ったり、笠の露盤を輪郭付き格狭間入りとし、請花に単弁八葉を刻み、さらに宝珠を高台上にのせるなど細部の手法が丁重をきわめています。

 この鐘楼は、「両山暦譜」によれば、寛永10年(1633)に竣工しており、古材の再利用や後世の修理も加わっていますが、本興寺では開山堂・三光堂・方丈に次いで古い建物のようです。

 【三光堂】(さんこうどう)(重要文化財)三間社流造銅板葺
 拝殿は慶長ニ年(1597)豊臣秀吉、加藤清正の再建で、三光堂というのは、三光天子、鬼子母神、日本大小の神祇等の、法華経信徒守護の善神を祀る故名づけられた。細部の手法甚だ巧みで、ことに草花彫刻をはめた蟇股や木鼻の絵様彫刻、欄間の透刻などは桃山時代の面目が躍動しています。

 【御霊水井戸】
御開山日隆聖人、応永27年(1420)当山創建の砌り、聖人が境内の乾の方角に井戸を掘られたところ清水がこんこんとして溢れでて、水の乏しい尼崎住民の渇きをうるおすこと数世紀、市制上水道完備の大正5年まで、市民の飲料に供されました。如何なる炎天にも不増不滅の霊水として、今なお世人の崇敬するところであります。

 寺町の中にあるこの立派なお寺は、本興寺は法華宗四大本山の一つで、応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院で、本堂は入母屋造り本瓦葺きで周囲に縁をめぐらし渡り廊下で奥の建物とつながっています。1420年日隆(にちりゅう1385-1468年)開基の京都の本能寺と並ぶ法華宗本門流の大本山で塔頭が6院もあります。

 【開山堂】(かいざんどう)
本興寺開山堂は本堂の北西に位置し、南面する建物で、堂内には日隆上人像が安置され、文庫堂とも称されています。建立年代は文正元年(1466)、または永正10年(1513)とする説があります。内陣は金箔押の円柱を建てて置上(おきあげ・白色の顔料をもりあげて下地をつくる技術)彩色の頭貫 (かしらぬき)・大虹梁(おおこうりょう)などを架け、置上彩色の出三斗(でみつど)詰組を乗せており、軒は二軒扇垂木(ふたのきおおぎだるき)とし、いづれも禅宗仏殿風の様式をとっています。

 「日隆聖人荼毘所塚」                          日隆聖人は寛正5年(1464)2月25日御歳80にしてご入滅、同29日荼毘に付された。この塚は宮町(梅樹)の妙光寺境内に祀られていたが、昭和38年同寺が難波に移転の折当山が譲り受けたもので、古来より荼毘所塚と伝えられています。 本興寺を出て次のところへ
 次回をお楽しみに  では またね











石ヶ谷公園でジュウガツザクラが咲き始めました  2013.10.16

2013年10月16日 16時15分15秒 | 季節のたより


  所在地   石ヶ谷公園    兵庫県明石市松蔭1126

 石ケ谷公園は、明石市の北西部、標高約90mの丘陵地にある公園です。「明石乗馬協会」があり、多くの人が乗馬を楽しんでいます。

 丁寧な指導を受けられる体験乗馬コースに挑戦し乗馬風景を眺めながら、家族でのんびり過ごすこともできます。

 馬を見ていると、優しい目で何だか見ていると心も癒されますね。

 ここ石ヶ谷公園は、春になると梅と桜の名所で多くの方々が花を見にこられます

 ここ公園にも、ジュウガツザクラが2本あります。チラホラと咲き始めています。

 花は、ソメイヨシノより小振りの花です。

 ジュウガツザクラは八重の桜で、秋に花を咲かせる時はボツリ、ポツリという感じで花は沢山咲きませんが、秋に桜が満開で咲いているより、この方が秋らしい味があっていいように思えますね。

 それにしても可愛らしい花ですね

 ちょっと散歩していると「ハーブガーデン」が

 こじんまりした中にも、沢山のハーブが、その向こうには遊具が沢山あり子供たちを楽しませてくれます。

 更に進むと中華風の東屋があり梅の開花時期には、ここから眺める梅の花は素晴らしいものです。
 次回をお楽しみに  では またね





姫路市・見野古墳群  2013.10.06

2013年10月07日 10時51分08秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  見野古墳群      姫路市四郷町見野 和光公園

 姫路バイパス姫路東ランプを降りて北上して国道312号線の見野南橋を左折して進み大歳神社の横を入って行くと 四郷町見野集落奥の山裾にある見野和光公園周辺に点在する10基の横穴式石室墳からなる群集墳です。

 見野和光公園一帯にかけて分布している古墳は、総数19基ほどからなる古墳群です。

 古墳群中央部に位置する見野和光公園が古墳公園として遺跡地図も公園内にあります。竹薮等も綺麗に伐採されて、古墳ごとに標識も建っています。

 見野3号墳です。
巨大な天井石が側壁は小ぶりな石材が乱雑に積まれています現在の石室長は6mほどですが、発掘の結果元は11mほどの巨大な石室であったことが判明したようです。

 見野4号墳
見野3号墳から道路を挟んですぐ西にあります。見野古墳群の中では、墳丘と石室が一番きれいに残っています。奥壁は巨大な一枚岩。側壁は小ぶりな石材が微妙に持ち送りながら組まれています。天井石も3号墳と同じく巨石造りです。

 見野5号墳です。
古墳群のほぼ中央が、墳丘があるので目立ちますが、何だか崩壊した石室の石材が数個露出しているのみのようです。

 見野11号墳。
少し上がると石材が数個放置されてるだけのように見えます。

 見野14号墳。
これは、大きな石を置いただけにも見える古墳の原型を留めていません。

 見野6号墳です。
東西2基の横穴式石室を持つ双室墳です。墳丘はかなり失われていて、石室もともに奥壁が抜かれて、ダブル吹き抜け状態です。東石室は全長9.5m、幅1.5mの無袖式で、床には河原石が敷き詰められていました。須恵器、耳環などの装身具、刀剣、鉄鏃、轡などが出土し、南西部に箱式石棺が据えられていました。西石室は、全長8.4m、幅1.5mの無袖式で、箱式石棺が2基据えられていました。出土した遺物は、ともに六世紀末~七世紀初頭のものであり、二つの石室は同時に築かれたと思われます。

 見野9号墳です。
10号墳のすぐ西にある9号墳ですが、非常に慎ましやかな墳丘です。

 見野10号墳です。
10号墳は、3号墳に次ぐ大型石室ですが、玄室天井石は巨大です。全長10.5m、幅2mの無袖式で、石材が完全に露出しています。ご覧のように封土が消失して、石室の石材が剥き出しになっています。通称、「姫路の石舞台」と言われています。沢山の古墳がありました。
  次回をお楽しみに  では またね

加西市・古法華自然公園  2013.09.28

2013年10月02日 07時59分40秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  古法華公園    兵庫県加西市西長町

 古法華自然公園は、荒々しい岩肌が目立つ標高150m~250mの峰続きの岩山の谷間に広がる自然の地形を利用した公園です。

 車が1台通れるほどの幅が狭くデコボコのある荒れた道を上っていくと、ここでは名所な吊り橋が見えてきます。階段を上ると、まもなく吊り橋に出てきます。

 吊り橋の先は鎖場の一枚岩。乾いていれば鎖を持たなくても登れそうだが油断は禁物ですね、時間の関係で昇ることをやめました。

 古法華寺の下には、磨崖仏が彫り込まれています。中央はお薬師さんと親しまれている薬師如来で、左に月光菩薩、右に日光菩薩を脇侍として従えているようです。

 六地蔵の正式名称は地蔵菩薩といい、飲食・衣服・医療を与え、六道の人々の苦悩を身代わりし亡者、子供を守護する庶民的な有難い仏さんです。

 寺の周辺には、石仏が多く立っている。新旧様々な年代の石仏が混じり、ドラエモンの像まである。どの石仏も、石仏を祀る祠も、当地産の長石からできている。寺の本尊は、浮彫如来三尊像で、白鳳時代のものです。奈良の石位寺三尊石仏とともに我が国最古の石仏とされ、国の重要文化財に指定されています。

 国最古の石仏とされる、国の重要文化財は、以前、奈良国立博物館に保管されていたが、今は寺の左手に建つこの収蔵庫に収められています。

 寺の裏手には、七福神の石像が、七福神が祀られている地点を通過。福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神があります。

 七福神の石像の横手から、244mと標高は低いが荒々しい岩肌が目立つ笠松山へ登って行くと展望台が、

 岩肌がむき出しの道を進んでいくと展望が開け素晴らしいですが途中で下山です。

 下の駐車場近くに碑が、ここ古法華自然公園では、2003年に、岩山の頂上でNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の撮影が行われたことでその名を全国に知られました。ドラマの撮影では、武蔵が京都・一乗寺下り松で吉岡一門との決闘を終え、比叡山にこもり、一人修行をするシーンなどが撮影されました。

 ここ古法華自然公園は、紅葉が近づつあり秋にはもみじが美しく咲き誇り四季を通して満喫できます。 

 園内2kmの道路を西へ走っていくと大柳ダムが

 周辺には、東屋があり水辺の森には、春になると桜が咲き風景のいいところです

 笠松山、善防山という二つの低山の形を造る谷筋の自然の地形をそのままに利用した公園で、1993年に完成。谷に沿い東西に伸びており、その距離約2km、広さはおよそ甲子園球場37個分にもなる。自然に触れ親しむための公園です。

 キャンプ、ハイキング、バーベキュー、石彫体験などが体験できるが遊具の類は一切ありませんが、園内には大柳ダムがあり、四季折々の湖水風景が手軽に鑑賞でき、楽しい一日を過ごすことが出来ます。
 次回をお楽しみに  では またね



















黒田庄・瀧尾神社  2013.09.28

2013年10月01日 08時17分28秒 | 神社・寺院


  所在地  瀧尾神社    兵庫県西脇市黒田庄黒田483

 このお宮は、地元では通称「タキオさん」とよばれています。これは一の鳥居です。

 一の鳥居をくぐり、長閑な田園風景を歩いていると彼岸花や「そばの花」が一面に咲いています。

 これが二の鳥居で、一の鳥居から結構な距離があります。ここまでは参道というより普通の車道になってい、片側には民家が、その前には田畑が広がっています。

 すっきりとした参道の先に、小さな神門が見えます。

 あまり大きくない神門ですが、門越しに拝殿を望むことができます。

 拝殿は、かなり横長であり、境内もそれに合わせるように、広く開放的で市内一の大きさを誇っています。

 ここの瀧尾神社は、黒田の西、南、大坪(おおつぼ)、寺内(じない)の四つの居村(いむら)の氏神さんです。

 本殿の欄干の擬宝珠には元禄15年(1702)に再建の銘があり、本殿は桧皮葺の立派なものです。

 江戸時代には五社大明神(ごしゃだいみょうじん)と称し、宮寺(みやでら)の円護寺(えんこうじ)がありました。、現在の太鼓庫から西がその跡地です。
 次回をお楽しみに  では またね