hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

春先の明石魚の棚へ  2013.01.27

2013年01月30日 13時33分22秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  明石魚の棚   兵庫県明石市本町

  明石魚の棚は、明石銀座を南へ100mほど進み、西へ全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいます。

 「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街は、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場です。

 明石ダイ、明石ダコをはじめ、イワシのシラス(チリメン)、イカナゴ、アナゴ、カレイなどの魚が水揚げされる明石市周辺では水産加工業も盛んに行われ、チリメン、イカナゴの釘煮(くぎに)、ノリなどが明石の名産になっています。

 兵庫明石・魚の棚商店街活気溢れる「魚の棚商店街」は活きの良い鮮魚が盛りだくさんです!その他にも名物の明石焼のお店も商店街内にいっぱいあり、買い物と同時にアツアツの明石焼(玉子焼き)も楽しめますよ

 地元や観光客に人気の商店街。正午過ぎから、明石の海で獲れた「前もの」と呼ばれる魚介が運び込まれ、店先に並び採れたての魚などがピチピチと跳ねています。もうすぐするとこの地方では、イカナゴの「釘煮」季節が始まると地元、地方の人々がイカナゴを買いに来られます。

 明石魚の棚商店街の西外れに「いづも」はあります。明石にはたまご焼(明石焼)の店が、じつに数多くあり、ここの「いづも」は、店は広いが、けっして綺麗ではない。一人で行っても、店のおばちゃんは「何人前でしょか?」と問う愛想のいい店で。蛸もおおきいので、一人前でいい感じです。昼前の時間でしたので店の外まで多くの人が並んでいました。
 次回をお楽しみに では またね 

春がまじかな明石城へ  2013.01.27

2013年01月29日 07時52分46秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  明石城  兵庫県明石市明石城1―27

 明石城は、JR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望めます。

 この庭園は、剣豪・宮本武蔵が明石城内に造ったとされる庭園、樹木屋敷(御茶屋、鞠まりの懸かかり、築山つきやま、泉水、滝などを設けた城主の遊興所(建物と庭園の総称)が、明石公園内に復元されました。

 明石城は、人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。元和5年(1619年)正月から作事が始まり、元和6年(1620年)正月には小笠原忠真が船上城から移り住み、同年6月から城内の建物関係の工事が開始された。このとき天守は台石まで積まれたが、建てられませんでした。

 明石公園ないの西芝生公園から陸上競技場の横を通り剛ノ池へ

 剛ノ池に来ました。公園の中にある池の中でもっとも大きく、数多くのカモやユリカモメが飛来してきます。また、池を望みながらの散歩をしたり、ボートに乗ったりができます。

 今は水鳥が沢山いますが、春には、明石公園の剛ノ池の周りは絶好の花見スポットです。剛ノ池の周りには芝生の広場が沢山あるので、桜を見ながらのお弁当は最高ですよ。

 剛ノ池から石垣を見ながら道を上がっていきます。天守台の石垣は築かれたものの、もともと、天守は建てられなかったようです。

 本丸跡に来ました。今は、広場には大きな木が茂っています。本丸には、四囲を守護した坤・巽・乾・艮の4基の三重櫓が建てられていたが、現在は、坤櫓・巽櫓2基のみ現存あります。

 巽櫓/伏見城の移築櫓と言われていますが、本丸の南東端に築かれた三層の櫓である。桁行き5間(9.09m)、梁間4間(7.27m)、高さ7間1寸(12.19m)の隅櫓で、妻部を東西に置く入り母屋づくりです。

 築城以前は柿本人麻呂を祀る人丸塚があったといい、嘉吉の乱(1441年)ではここは激戦の地になったほどに要衝の地を占めていました。弘仁三年(八一二年)僧空海がここに楊柳寺を建て、仁和のころ(八八〇年のころ)住職覚証が柿本人麿公の夢のおつげで人麿公を祀り、明石築城後は城の守り神として祀られてきました。

 坤櫓は船上城の移築櫓と言われています。天守閣が造られなかった明石城では最大の規模をもつ櫓であり天守台のすぐ南にあり、天守閣に変わる役割を果たしたとみられます。桁行6間(10.90m)、梁間5間(9.09m)、高さ7間2尺9寸(13.60m)、の入り母屋づくりで、妻部を南北に向け、棟の方向が巽櫓とまったく異なっています。

 坤櫓・巽櫓2基を見ながら降りて行きます。

 八代城主、直明公在城中(一六八二年~一七〇一年)日常この水を使用してお茶を点てられ、明石城内でもっともよい水の出る井戸として昔から親しまれてきました。

 巽櫓の下の石垣周辺にも桜の木があり、桜の季節には綺麗でしょうね

 石垣の側を通り坤櫓から公園へ降りて行き帰路に
次回をお楽しみに  では またね

明石公園にユリカモメが  2013.01.27

2013年01月28日 08時11分54秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  明石公園剛ノ池   兵庫県明石市明石公園1―27

 公園入口を入ると、綺麗な青空に冴える明石城が、明石城は、1617年(元和3年)信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に入城した。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を建設するよう、同年に2代将軍徳川秀忠より築城命令されました。

 公園の中ほどへ進むと、「剛ノ池」が ここ明石公園の春には剛ノ池の周囲は桜並木が続き、花見のシーズンには露店が建ち並び花見客でにぎわいます。

 「カモ」が近くによって来ました。

 近くの売店には「水鳥のエサ」が¥100で自販機で売っています。エサを蒔くと「ユリカモメ」が近くへ飛んできますよ。

 ほら~エサをあげるよ 飛んでおいで

 池の沖には、白鳥型のボートが ちょっと寒い気がするね。

 もう AM11:00だね それにしても今日はいい天気です。

 ユリカモメは、冬に暖地の沿岸に集団で渡ってくる鳥で、春には北に帰り海だけでなく大きな川にもさかのぼって飛んできます。

 目の前に、我が先とエサに飛びついてきます。

 ちょっと一休み 長閑な風景です。
次回をお楽しみに  では またね

明石公園の蝋梅が見頃に  2013.01.27

2013年01月27日 13時39分04秒 | 季節のたより


  所在地  明石公園の蝋梅    兵庫県明石市明石公園1―27

 今日は、風もなく気温は低いがいい天気です。今頃の冬の時期に咲く花が少ない中、蝋梅の花が見頃に迎えています。JR山陽本線明石駅の北側の明石公園へやって来ました。

 入口入ったところの石垣のそばに、今は見頃の蝋梅の花が

 春に向かうこの時期、特徴的な花を咲かせると言えばこの花 蝋梅ですよね~

 花は、香りが良く、半透明のロウ細工のようで、ソシンロウバイは全体が黄色く、中央部の色も変化が無い花です。

 花が蝋で作られたように見えることから名付けられた「ロウの梅」です。

 この花は、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。ロウバイは「狼狽」ではなく「蝋梅」と書きます。「梅」と書くためバラ科サクラ属(いわゆる一般的な梅)の仲間のようですが違います。

 ロウバイにはいくつかの種類があるのですがいわゆる「ロウバイ」と呼ばれるものと「ソシンロウバイ」と呼ばれるものが園内にあります。

 六甲山系の西端、赤松山台地にのこる明石城跡を中心につくられた都市公園です。城跡は、明治十六年五月、当時の明石郡内の有志によって公園として開園されました。
 次回をお楽しみに  では またね

柳原えびす神社 十日えびす  2013.01.10

2013年01月10日 20時45分20秒 | 神社・寺院



 JR兵庫駅から沿線沿いに東へ行くと柳原えびす神社があります。駅から南へ露店が並びえびす神社と大黒天をまつる福海寺が隣あわせにあります。毎年1月9日~11日の十日戎はたくさんの参詣客でにぎわいます。

 朝も早いので、人通りも少ないようで

 天気も穏やかで夕方になると会社帰りのお客さんも来られ多くの人で賑わいます。

 柳原えびすの縁起物の笹や熊手・吉兆がならびます。店の人もお客さんと立ち話

 神戸柳原の大黒さんにやって来ました福海寺の大黒尊天 大黒祭も十日えびすの日にあります。

 福海寺 当寺は足利尊氏公が神戸市兵庫区に開かれた臨済宗の寺院です。

 福海寺には、開運招福、財運招来、家内安全、五穀豊穣の神として信仰される大黒さん(大黒天)が祀られております。

 大黒さんにお参りして裏口へ

 こちらにも露天が沢山並んでいます。

 福の神として古くから崇敬されている蛭子神社(ひるこじんじゃ・神戸柳原のえべっさん)は歴史と伝統のある兵庫津の道、西国街道柳原の中心に、えびすの杜として鎮座しています。

 柳原蛭子神社 福神楽の祈祷です

 柳原蛭子神社のえびす祭に奉納された招福マグロとお賽銭が沢山あります。ちょっと覗いてみょうかな~

 巫女さんが舞いを

 出口に出てきましたが、えびす神社の境内には水の神をまつる社があり、昔は雨ごいなどが行われていたようです。

 少しずつ参拝者の数を増えてきたかな~

 縁起物の笹や熊手を買い求める参拝者を見ながらお参りして今年は、いいことがあるように
 次回をお楽しみに では またね

初詣に玉津の神本神社へ  2013.01.01

2013年01月01日 19時39分33秒 | 神社・寺院


  所在地  神本神社    神戸市西区枝吉4丁目7―2

 元旦の朝、穏やかな天気に誘われて地元の神本神社へ初参りです。当神社の創建は、明石初代藩主、小笠原忠正公時代の元和五年(1619)に、社領田 三反歩が寄進され、元和七年(1621)明石郡林崎庄吉田村に「神本大明神」として祭祀されたことに始まります。

 穏やかな日和に誘われてお参りのようで、境内の右には、吉田郷土館と「王塚古墳の模型」、「家形石棺」等があります。

 この階段を上がると神本神社の社殿があります。この鎮守の森の城山は、弥生時代の「吉田遺跡」であり、中世から近世への過渡期には、枝吉城があり、神社の境内地は城主明石氏の館跡で、周辺には武士や商人がそれぞれ堀を持つ居を構えた由緒ある史跡地でもあります。

 2万年前の最終氷河期のころ、台地を南へ流れる明石川が深い侵食谷をつくりだしましたが、神本神社は、この谷の西側の崖面に立地します。この神社で注目されるのは、初代明石藩主・小笠原忠政の家老達が神本大明神にご祈祷領として鳥羽村と枝吉村の境にある新田三反歩を寄進した文書が残されていることです。明石藩の発展を願ったのでしょうね。

 これが本殿です。

 本殿の裏側を登ったところが、枝吉(しきつ)城址で、近畿地方で最古の弥生時代遺跡とされている播磨吉田遺跡碑があります。

 このあたりには、古墳時代から弥生時代にかけての複合遺跡がみつかっています。これは家形石棺でなんと、最近まで神本神社の手水鉢として使われていたといわれています。

 「王塚古墳の模型」もあります。

 枝吉城は、戦国争乱の時代が幕をあける十五世紀中ごろ、明石氏によって築城された。明石氏は、古代明石郡の大領を先祖とすると云われています。城を台地上にかまえ、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され、一時は地域の中心として賑わったそうです。穏やかな日和に迎えられての初参りです。
 今年もよろしく 次回をお楽しみに では またね