所在地 穴太積みの石垣 滋賀県大津市坂本4~5丁目
京阪電車・坂本駅から日吉大社・日吉東照宮へ向かう日吉馬場の通りを歩くと随所に穴太衆積みの石垣があります。
穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになりました。
穴太(あのう)と読みますが、滋賀県大津市の坂本付近にある穴太の石工集団が積んだ石垣のことを言います。自然の石の形をそのまま活かして積む技法です。「坂本」を歩くと、あちこちで穴太積みの石垣を見ることができます。坂本の町並を美しくしているのは、まさにこの石垣の力強い美しさだと思いますよね~
坂本の隣り町の穴太一帯にある花崗岩の自然石を使った乱積みから発展した積み方で穴太衆による石垣は堅固なもので院や坊などに使われて苔が生えた石垣と沿道の木々が静かな坂本の第一印象がいいものです。
穴太積みされた石垣がある片側の道には、日吉大社方面から流れる綺麗な水が坂本の町並を美しくしているのかな~。
里坊や神社、古い民家などの石垣には「穴太衆積み」(あのうしゅうづみ)と呼ばれる石積みが多くみられ、門前町、坂本の風情ある美しい景観を作り出すのに大きな役割を果たしています。
戦国時代には、 織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにした際、その石垣の堅牢さに驚き、坂本・穴太・ 滋賀里あたりに住んでいた石工職人たちを集めて安土城を築城したほどで、 職人たちはそれ以後「穴太衆」と呼ばれ、 大阪城や江戸城などの築城も手がけて全国的に知れ渡る存在になりました。
次回をお楽しみに では またね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます