所在地 醒ヶ井(さめがい)「梅花藻」 滋賀県米原市醒井619
醒井駅は JR東海道本線の駅です。駅前に車を止めて「醒ヶ井宿」と「梅花藻」を見に
「松尾寺」
寺伝では役小角が天武天皇9年(680)に入山し、神護景雲3年(796)
僧宣教が霊山七ヶ寺を創建したうちの一つであったと伝えています。
平安時代には伊吹山寺の松尾童子が堂手を整え、寺の興隆に力を注ぎました。
江戸時代には五十余坊を有する大山岳寺院として栄え、今も山中のそこかしこに坊跡を残しています。
「醒井郵便局」
旧醒井郵便局は大正4年(1915)に米国出身の
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられた木造2階建の擬洋風建築です。
現在の建物は、昭和9年(1934)に外側を木造モルタル張りの建物に改築されました。
基本的な内部構造は創建時の建物を利用されています。
宿場内を流れる、地蔵川に架かる醒井大橋、地蔵川の清らかな流れには、
各家庭から水際に直接降りられる「かわと」と呼ばれる階段があり、日常の水仕事に使われています。
「十王水」
醒井三水の一つ、平安時代中期 天台宗の高僧浄蔵法師が旅の途中で見つけ、
始めは「浄蔵水」と呼ばれていましたが、近くに「十王堂」があったことから「十王水」と呼ばれるように
地元の人が 観光客に対して少しでも気持ちよく観光をしてもらうため地蔵川に花を
中仙道の醒井宿の街道筋を流れる、地蔵川で、湧き水に端を発したこの川
夏は「梅花藻」が美しいです。もうすぐすると「百日紅」の花とマッチして美しいでしょうね
時期的に、水量が多く「梅花藻」の花が水面より上にあるものが少ないですが、
ちょっと 写真を撮ってみました。
清らかな水の流れ 手を水に入れると暑さも吹っ飛びます。
「江龍家表門」
正面には「明治天皇御駐輦所」の石碑がある江龍家は長く、庄屋・問屋を勤めた
家柄で本陣・脇本陣的構えの広大な屋敷を擁しています。明治天皇の休息に充てられた奥8畳と
次の間から見える庭園は見事だそうです(非公開)
「醤油屋喜代治商店」
明治39年創業の老舗「ヤマキ醤油」の本店「醤油屋喜代治商店」
ヤマキ醤油は、清らかな醒井の湧水を使用して造っています
幅3mほどの地蔵川ですが、清らかな水で水量も多く、年中水温14度前後の清流です。
「問屋場」 今は、醒井宿の資料館です
「問屋場」とは、人足や馬を問い扱う場所で 通常の問屋場は3軒程度しかったのですが、
ここは、10軒いうから かなり大きいようです。
「延命地蔵堂」
弘仁8年(817)、伝経大師最燈はこの地に訪れ1丈2尺(3.6m)の地蔵菩薩を刻み
雨乞いをされ、三日後に雨が降り願いが叶ったと云う。本尊の地蔵菩薩は元は泉の中にあり、
「尻冷し地蔵」と呼ばれいましたが、慶長13年(1608)大垣城主石川日向守が泉の1部を埋めて
辻堂を建立したと伝えられています。
地蔵川の端に咲く「紫陽花」です。
小さな水車がありました。水車の中に「きゅうり」「トマト」又は「ビール」が入っているのかな?
冷やしていると美味しいでしょうね。
地蔵川の中に、一ヶ所 石が数個並んでいるところがありました。
周りの背景にマッチしているかもね?
各家庭から直接降りられるように「川戸(かわと)」がありますので
そこから降りて「トマト」「ジュース」「ビール」などを冷やしています。
水量が多いため、「梅花藻」の花が水中に、「箱めがね」で「梅花藻」を見ています。
「本陣跡」
宿場中ほど、現在は料亭樋口山となっています。
館内には、宿泊した大名の名を大書きした関札が陳列されているようです。
地蔵川の水の冷たさを実感されているようですね。
手足を浸けると 夏の暑さも解消されるかな~
「腰掛け石」 日本武尊が、伊吹山でやられて帰り、座った石
「鞍掛け石」 日本武尊が、鞍を置いたそうです
加茂神社 どういう由緒があるかわかりませんが、鳥居の額には「別雷皇宮」とあります
この神社は、高速道路の工事のため以前は 現在より南にあったようです。
これが 拝殿です 境内はあまり広くありませんが、町並みが展望できます
加茂神社の「狛犬」です。
「居醒の清水」
景行天皇の時代に、伊吹山に大蛇が住みついて旅する人々を困らせておりました。
そこで天皇は日本武尊にこの大蛇を退治するよう命じられましたが、日本武尊は剣を抜いて切り伏せ
このとき大蛇の猛毒が日本武尊を苦しめました。やっとのことで「醒井の池」にたどり着かれ
体や足をこの清水で冷やされますと、不思議にも高熱の苦しみも去り 体の調子もよくなりました。
そこでこの水を名づけて「居醒の清水」と呼ぶようになりました。
「以上の説明文は醒ヶ井の観光案内説明文が一部入っています」
次回をお楽しみに では またね