所在地 寺町通り 福井県大野市寺町通り
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今から約400年以上前、織田信長の武将金森長近公が大野へ入封後、京の都に模して碁盤の目の
町づくりをはじめました。町の東端にお寺を集めて「寺町」をつくりました。
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町の東側に集めた「寺町」の南側に「瑞祥寺」があります。ここから北側へ歩いて行きます。
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越前大野の寺町通りにある瑞祥寺は曹洞宗の寺院です。瑞祥寺は雨が降った後の裏の溜まり水を
疣につけると効くという評判が立ち「イボ神様」と呼ばれています。
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城下町大野を象徴する町並みとして、人々にやすらぎを与えているようで、南北に並んだ約20ヶ寺が、
市民のこころの拠り所としての長い伝統をはぐくんできましす。
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隣には、「岫慶寺」があります。開基は太岫宋淳大居士で、山号はこの法名から付けられたものであろう。
開基宋淳は朝倉義景の父と寺伝にあるが、第四代朝倉孝景の法名である。門徒には武家が多く、門を入るとすぐに、
大野藩の家老を代々つとめた中村家一族の墓がある。大野藩主七代利忠の重臣中村矩倫の墓があり、
墓銘が刻まれています。
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境内左側に入ったとことにある小堂宇は、愛染堂と呼ばれています。
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その隣には、「恵光寺」があります.
寺伝によれば、かっては古町、春日一丁目の春日神社の裏手に古くから所在していたが、長近の町づくりにより、
請われて寺町の現在地に移ったといわれ。『大野領諸宗寺方寺領記』によれば、遊行上人ともよばれた
他阿真教が開基とされています。
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本堂右手には、天満宮があり天神像は、菅原道實遺身のものと思われます。
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ここは「蓮光寺」です。上寺町四ヵ寺の内、交通量が市内で一番多い六間通りに接しながら
静寂さの漂う寺域内には、「明応四年」(一四九五)と刻まれていて、開山円戒国師真盛上人を祭る宝篋印塔
(ほうきょういんとう)があり、この寺には藩政時代の上級藩士岡家の刻銘のある墓が並んでいます。
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境内には四季折々の花が咲き癒されるようです。
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大野城下の東端の南北筋は両側に寺院が集中し、寺町を形成している。各寺院は通りに沿って
築地塀や板塀を設け、中ほどに門を開いている。これらの塀越しにみえる本堂の大きな瓦屋根や松などの樹木、
通り際を流れる水路や整備された石畳など、街中の町家群が創り出す町並みとは一味違った景観が形成されている。
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6間通りを渡ると「光玖寺」があり、ここは、「朝倉義景」の冥福を祈り開基されたお寺です。
7間通りを渡ると「妙典寺」にやって来ました。「水かけ地蔵」に水をかけて拝むと微笑んでくれます。
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山門前に大きな多宝塔が西向きにたち、「延宝六年」(一六七八)の年号が刻まれている。
三百年の歳月を経て痛みもあり添え木があてられている。寺内には大野藩儒者の松村九山の顕彰碑があり。
その子息は西洋医の松村矩明で、明治初年に大坂医学校長となりました。
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今度は、園立寺です。天正三年(一五七五)に土橋庄より寺町に移った。僧堂の後ろの墓地に、
藩政時代唯一の紀行文学である「深山木(みやまぎ)」を著した、岡田輔幹自作の和歌が彫られた墓がある。
また大野藩の家老であった田村家の墓が並んでいます。
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本堂の「扇面散らし欄間」は見応えがあります。
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「園立寺」の前には、「大雄寺」があります。慶長十四年(一六〇九)に妙典寺の隠居寺として、
信者による寺地寄進で建てられた。託縁寺墓地と背中合わせで、元国鉄総裁加賀山之雄氏の先祖の墓が
並んでいます。
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加賀山家の墓に彫られている家紋はどれもキリシタン信徒であったことを物語っています。
しかも古い墓が多く、隠れ信者であったのでしょうね。
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まっすぐに伸びる石畳の道に沿って石垣や黒板塀が続き、山門や鐘突き堂がどっしりと構える。
南北700メートルの道沿いを中心に20あまりの寺が並び石畳を歩いていると癒されます。
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石畳の寺町を歩いていると癒されます。 次回「後編」をお楽しみに では またね