hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

多可町・三色の彼岸花  2010.09.25

2010年09月27日 09時26分57秒 | 季節のたより

  所在地  多可・三色の彼岸花   兵庫県多可郡多可町中区間子・思出川湖畔

 国道427号線を南側から多可郡に入ると歩道橋のある交差点(正面にキリン堂が見える)を
右側に綺麗な道を北に県道86を行くと(多可郡中区間子)その道の右側に木製の小さな看板
(「三色マンジュシャゲ」との)があり、その手前200m右に曲がり進むと駐車場があります。

 駐車場近辺から、彼岸花が綺麗に咲いています。時期的にちょっと早いようで赤い彼岸花は、
 蕾が沢山ありこれからが見頃に入ります。

 稲の穂がたわむ田んぼのあぜ道に沢山の彼岸花が咲き誇っています。

 用水路の脇にあるあぜ道、まだ 早いですが柿が実り彼岸花とのコントラストが引きたてています。

 駐車場からぐるっと彼岸花を撮りながら思出川方面へ、途中には「コスモス」の花が綺麗です。

 珍しい白や黄色い彼岸花やコスモスが咲き、彼岸花は秋の彼岸の頃、突然地中から花茎を伸ばし花を
咲かせることから彼岸花(ヒガンバナ)と呼ばれるようになった花ですが、別名を赤い花を意味する
曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれ、中国から渡来したものが帰化したもので日本全国の農村地帯で
多く見られる花です。

 思出川に沿って流れる用水路沿いに植えられており、地元住民によって大切に育てられています。

 黄色い彼岸花は、従来の赤い彼岸花より開花が早いようです。
 黄色い彼岸花は鍾馗水仙 ( ショウキズイセン ) 、または鍾馗蘭 ( ショウキラン ) と呼ばれるものです。

 ここには、白い彼岸花が咲いていますが、赤い彼岸花より開花が早いようです
 白い彼岸花 ( 白花曼珠沙華 ) は、赤い彼岸花と鍾馗水仙との自然交雑種だといわれています。

 多可町中区間子を流れる思出川の土手では、初秋に赤、白、黄の3色の彼岸花を見ることが出来ます。
 時期的に、アカ、白、黄色の三色の見頃の写真を撮るのが難しいようです。

 丁度 今の時期、あぜ道に彼岸花が咲き、稲刈りをする端で作業を見守っています。

 赤い彼岸花は、思出川の横の砂利道沿いを歩くと沢山咲いています。

 思出川沿いの道の端にある竹林、その側にも彼岸花が咲いています。

 ここにも 黄色い彼岸花が咲いています。彼岸花は秋の彼岸の頃、突然地中から花茎を
伸ばし花を咲かせることから彼岸花(ヒガンバナ)と呼ばれるようになった花ですよね、

 赤い彼岸花以外の 白・黄色の彼岸花は まだまだ 少ないですが、赤い彼岸花の咲くところで
  白・黄色の彼岸花が咲くのもいいですね。

 稲が刈られた田んぼの脇には、栗の木が大きな栗のみが弾け、遠くにはあぜ道に咲く
  彼岸花が目を引きます。
 次回をお楽しみに   では またね


神戸・カンツリーハウス  2010.09.22

2010年09月26日 14時50分32秒 | 公園・名所・名勝

 所在地  カンツリーハウス   神戸市灘区六甲山町北六甲

 「六甲枝垂れ」からペアリフトでゆっくりと空中散歩を楽しみながら「カンツリーハウス」へ

   リフトで到着したところが、カンツリーハウスの東入口です。
 六甲山カンツリーハウスでは、広い園内を生かした色とりどりの花がシーズンを通して楽しめます。

 春と秋には約2000本のバラが花を咲かせるバラ園「ローズウォーク」もあります。

 秋のバラは、春に比べると少し小ぶりですね。

 池の周りを回り歩いていくと、ナデガタ・インスタント・パーティというグループの《オフ・コース・ヒルズ》。
人工スキー場がオープンしている期間だけ営業する建物を舞台にした、架空の物語をインスタレーションで
再現しています。大きな木には、目と口をあしらった物がありましたよ。

 今度は、大きな池が、六甲山頂にある広大なレジャーゾーン。全27ホールのパターゴルフ場や
ゴーカート、魚釣り池、ペダルボート池など自然を生かした遊びを楽しめる。バーベキューができる
デイキャンプ場(要予約)や親水広場「せせらぎの丘」での水遊びなどの他にもあります。

 《ヤギ・ハウス・プロジェクト》は、元々あった子供用の丸太小屋を丸太や藁で化粧して
 ヤギに見立てたオブジェです。楽しそうですね。

 貸し竿を借りて、家族ずれがのんびりと余暇を楽しんでいます。

 少し角度を変えて見ると、趣の変わった景色が楽しませてくれます。

 こちらでは、餌を自動販売機で購入して池の鯉に餌をあげています。長閑な風景です。

 六甲山にも「ススキ」が綺麗に秋の季節を思わせる情緒が出てきました。
次回をお楽しみに  では またね








神戸・六甲枝垂れ  2010.09.22

2010年09月25日 21時52分10秒 | 公園・名所・名勝

 所在地 六甲枝垂れ  神戸市灘区六甲町北六甲

 神戸市灘区の六甲山の新しいランドマークとして建設されていた自然体感展望台「六甲枝垂れ」
が完成した。これは大きな木をイメージしたドームであり、高さ約10メートルの支柱に、葉脈状の網目のドームが
〝かぶさる〟独特の形状である。老朽化のため閉鎖された「回る十国展望台」の跡地に、
「六甲山の象徴となる、新しい展望台」ができましたので。ちょっと覗いてみました。

 「六甲枝垂れ」展望台では、明石海峡から大阪平野、関西国際空港まで広がるすばらしい景色と
夜景を堪能できる場所が数多くありますが、この展望台は全体を覆う大きなフレームが特徴で、眺望に加えて
六甲山の自然の豊かさや大切さを景色と一緒に再認識できる今までとは一味違った体感型の展望台です。
 眼下に「六甲フードテラス」・大阪湾に広がる風景と「六甲山ロープウェイ」が、今、休業中です。

 展望台は支柱を幹にみたて、間伐材を用いた葉脈状のドームで覆い、「枝垂れ」の
枝葉を表現している。内部には、氷を蓄えており機械空調を使わずに吹き抜ける風で涼しさを体感できる設備などの
工夫が施されています。

 「六甲枝垂れ」からは、「天文通信館」が、フレーム(枝葉)から望めちょっと違った風景です。

 構造はあくまでも「自然」にこだわり、夏は「幹(空気の流れ)」と「氷室(ひむろ)」の
効果により空気を冷却し、冬は太陽の日差しを最も受ける場所に「陽室(ようしつ)」を設置することで
暖かい空間を作り、自然の力を体感することができます。 「根室(ねむろ)」では雨天時に「雫のカーテン」を
楽しむことができ、冬の寒い季節には「つらら」を観測できる工夫がされています。

  内部の「風の椅子」に座ると気象条件により、六甲山の秋風を体感でき、内部から
 幹上部を見上げると丸く切り取られた六甲山の空や風の流れ、星の流れを楽しんでいただけます。

 アートの赤や白の風車がお出迎えしてくれて、楽しいです。

 四季を通じて六甲山の新たな魅力を感じていただける展望台です。
次回をお楽しみに  では またね




大野市・寺町通り  「後編」  2010.09.17

2010年09月24日 17時27分42秒 | 神社・寺院

  所在地  寺町通り    福井県大野市寺町通り

 山間の小京都とも言われる落ち着いた静かな寺町通りです。

 「大寶寺」の境内の塀内には88ヶ所の尊像が祀られています。88ヶ所の砂踏みができますよ。

 小山の阿難祖(あどそ)村より文明二年(一四七〇)土橋庄へ転寺した古寺である。
代々の領主の信仰が厚く、末寺も六坊あり。朝倉義景が自害した賢松坊は末寺の一つであるといわれます。

 皆さんがよく見る松葉は2本だと思いますが、この「大寶寺」の松葉は3本生えています。
 『三鈷松(さんこくまつ)』

 「長興寺」は、大野市内で唯一の臨済宗のお寺です。

 松平直良の母君、長興院通応妙円大姉の菩提を弔うため寄進を受け建立されたという。
長興院の墓碑も僧堂の後ろにある。ひときわ大きな尾崎琴洞の墓のほか、歴代の尾崎家の墓が並んでいます。
水戸天狗党の一員であった松崎貞蔵も眠っています。

 「奥之院」は、平成2年に新築建立されるまで、6間通りにあったようです。尼寺です。

 石畳の綺麗な寺町通りです。

 「善導寺」境内の庭は、ゆっくりと楽しめる美しい風景です。
 幕末の大野藩主、土井利忠公のお墓もあります。

 大野藩主土井家の御成門(おなりもん)がある善導寺の寺域は広く、墓地は寺町通りと
五番通りの間を占めており、墓数も多い、ほぼ中央に笏谷石で造成された小廟があり、結城秀康の重臣であった
大野城代土屋正明(昌春)の墓が安置されています。

 「長勝寺」は、寺町通りの撮影ポイントのようです。

 はじめ北袋の野津又村(勝山市野向町野津又)にあり、元和年間に現在地に移ったといわれ、
松平出羽守直政より寺地拝賜の由緒書が伝えられています。

 「浄勝寺」です。町の南郊の金塚にあったが、金森長近の命で金塚の鍛冶工が四番へ移るとともに
転寺したと伝えられ、近年門徒一同の希望で山号が変えられました。

 江戸時代、幕府の統制は宗教にまで及んで、四番下町の四ヵ寺も寺請制度により、
先祖の眠る菩提寺として寺と門徒宗との結び付きが強く、法蓮寺をはじめ、寺々は立派に新築・改修が行われていました。

 「誓念寺」です。平成7年に本堂が改修され内陣・欄間・天井の絵が美しいです。

 大野市の寺町通り、小京都のようで静で心の癒される町です。また、来たい町です。
 次回をお楽しみに  では またね 






大野市・寺町通り  「前編」 2010.09.17

2010年09月23日 19時57分25秒 | 神社・寺院

  所在地 寺町通り   福井県大野市寺町通り

  今から約400年以上前、織田信長の武将金森長近公が大野へ入封後、京の都に模して碁盤の目の
  町づくりをはじめました。町の東端にお寺を集めて「寺町」をつくりました。

 町の東側に集めた「寺町」の南側に「瑞祥寺」があります。ここから北側へ歩いて行きます。

 越前大野の寺町通りにある瑞祥寺は曹洞宗の寺院です。瑞祥寺は雨が降った後の裏の溜まり水を
  疣につけると効くという評判が立ち「イボ神様」と呼ばれています。

 城下町大野を象徴する町並みとして、人々にやすらぎを与えているようで、南北に並んだ約20ヶ寺が、
市民のこころの拠り所としての長い伝統をはぐくんできましす。

 隣には、「岫慶寺」があります。開基は太岫宋淳大居士で、山号はこの法名から付けられたものであろう。
開基宋淳は朝倉義景の父と寺伝にあるが、第四代朝倉孝景の法名である。門徒には武家が多く、門を入るとすぐに、
大野藩の家老を代々つとめた中村家一族の墓がある。大野藩主七代利忠の重臣中村矩倫の墓があり、
墓銘が刻まれています。

 境内左側に入ったとことにある小堂宇は、愛染堂と呼ばれています。

 その隣には、「恵光寺」があります.
寺伝によれば、かっては古町、春日一丁目の春日神社の裏手に古くから所在していたが、長近の町づくりにより、
請われて寺町の現在地に移ったといわれ。『大野領諸宗寺方寺領記』によれば、遊行上人ともよばれた
他阿真教が開基とされています。

 本堂右手には、天満宮があり天神像は、菅原道實遺身のものと思われます。

 ここは「蓮光寺」です。上寺町四ヵ寺の内、交通量が市内で一番多い六間通りに接しながら
静寂さの漂う寺域内には、「明応四年」(一四九五)と刻まれていて、開山円戒国師真盛上人を祭る宝篋印塔
(ほうきょういんとう)があり、この寺には藩政時代の上級藩士岡家の刻銘のある墓が並んでいます。

 境内には四季折々の花が咲き癒されるようです。

 大野城下の東端の南北筋は両側に寺院が集中し、寺町を形成している。各寺院は通りに沿って
築地塀や板塀を設け、中ほどに門を開いている。これらの塀越しにみえる本堂の大きな瓦屋根や松などの樹木、
通り際を流れる水路や整備された石畳など、街中の町家群が創り出す町並みとは一味違った景観が形成されている。

 6間通りを渡ると「光玖寺」があり、ここは、「朝倉義景」の冥福を祈り開基されたお寺です。
 7間通りを渡ると「妙典寺」にやって来ました。「水かけ地蔵」に水をかけて拝むと微笑んでくれます。

 山門前に大きな多宝塔が西向きにたち、「延宝六年」(一六七八)の年号が刻まれている。
三百年の歳月を経て痛みもあり添え木があてられている。寺内には大野藩儒者の松村九山の顕彰碑があり。
その子息は西洋医の松村矩明で、明治初年に大坂医学校長となりました。

 今度は、園立寺です。天正三年(一五七五)に土橋庄より寺町に移った。僧堂の後ろの墓地に、
藩政時代唯一の紀行文学である「深山木(みやまぎ)」を著した、岡田輔幹自作の和歌が彫られた墓がある。
また大野藩の家老であった田村家の墓が並んでいます。

 本堂の「扇面散らし欄間」は見応えがあります。

 「園立寺」の前には、「大雄寺」があります。慶長十四年(一六〇九)に妙典寺の隠居寺として、
信者による寺地寄進で建てられた。託縁寺墓地と背中合わせで、元国鉄総裁加賀山之雄氏の先祖の墓が
並んでいます。

 加賀山家の墓に彫られている家紋はどれもキリシタン信徒であったことを物語っています。
しかも古い墓が多く、隠れ信者であったのでしょうね。

 まっすぐに伸びる石畳の道に沿って石垣や黒板塀が続き、山門や鐘突き堂がどっしりと構える。
南北700メートルの道沿いを中心に20あまりの寺が並び石畳を歩いていると癒されます。
  石畳の寺町を歩いていると癒されます。 次回「後編」をお楽しみに では またね










大野市・石灯籠通り  2010.09.17

2010年09月22日 19時55分58秒 | 神社・寺院

 所在地  石灯籠通り  福井県大野市石灯籠通り

 石灯籠通りの西端には、市街観光客の無料休憩所「石灯籠会館」にあり、地下水を汲み上げ、
 水場で飲めるようになっています。ここでちょっと情報を得たいですね。

 石灯籠通りには、天正3年(1575年)に入国した織田の武将金森長近が、街づくりのときに水縄を
 埋めて測量の基点とし、地蔵尊を祀った石灯籠地蔵尊があります。

 この通りには石灯籠地蔵尊と石灯籠が並んでいます。越前大野城主、金森長近公が城下町建設のおり、
  同通りに石灯籠地蔵尊を建設したことから通りの名が付けられたそうです。
  歩道は松並木があり落着いた感じの通りですね。

 通りは、松と石灯籠で調和の取れた雰囲気です。

 金森長近は、まちづくりで城下の縄張りにあたり、八間町を城下から真っすぐに見渡せる通りにし、
 末広がりの町の反映を願って中心通りにしたと考えられます。情緒ある町並みですね。
 これから 寺町通りに行きます。
次回をお楽しみに  では またね  



大野市・御清水(おしょうず)  2010.09.17

2010年09月21日 11時30分19秒 | 公園・名所・名勝

 所在地  御清水  福井県大野市泉町

  御清水(おしょうず)は、越前大野城が建つ亀山の東麓の湧水帯にある清水の一つで、
かつて城主の飯米をとぐ(炊く)のに用いられたことから、敬意を表して「御清水」あるいは「殿様清水」と
呼ばれています。現在、泉町と呼ばれるこの一帯は、江戸時代には武家屋敷が建ち並び、家中の
人々が生活用水として御清水を使っていました。

 小京都・朝市で有名な福井県大野市は、名水の里としても知られ、町の至る所に湧水があります。
中でも御清水(おしょうず)は、約400年の伝統を持つ湧水で、名水百選にも選ばれ、また美味しいだけでなく
保存形態も良く、天下の名水と言えます。

 御清水には祠もあります。昔からこの湧水を大切に守られている事が判ります

 御清水は、岐阜県郡上郡八幡町の宗祗水と同様に、古くから生活用水として利用され、
舟形という古い形式をしています。舟形とは流れを3つに区分して、名水は越前で「臼」と呼ばれる湧き出し口から
一番上を飲み水に、二番目を野菜などの洗い場に、三番目を食器洗い&洗濯に利用する方式になっているようです。

 水の町として知られた大野。地下水が豊富で湧水池が街のいたるところにあります。
なかでも泉町の御清水は昭和60年当時の環境庁「名水百選」にも選ばれた味わい豊かな湧水です。




大野市・朝倉義景墓所  2010.09.17

2010年09月20日 10時20分00秒 | 神社・寺院

  所在地  朝倉義景墓所    福井県大野市泉町10

 朝倉義景は織田信長との戦いに敗れ、大野で自害した越前の戦国武将です。
   墓所横には義景公園も整備されています。
このあたりは桜の名所としても有名です。室町から戦乱の世にかけ、5代103年間にわたり栄華を極めた朝倉氏です。

 墓の隣に設けられたミニサイズの四阿義景庵があります。

  「義景公園」にある水琴窟では、琴の音に似た美しい反響音を楽しめます。

 戦国武将、朝倉義景の墓所一帯も湧水地(義景清水)があります。

 越前一乗谷5代城主の朝倉義景は1573年(天正元)、一乗谷の戦いで大野に逃れてきたが、
   一族の朝倉景鏡の裏切りで自害。墓は1800年(寛政12)に子孫によって建てられた五輪塔で、
   近くには家族や家臣の墓もあるようです。
次回をお楽しみに  では またね

 



福井県・越前大野城  2010.09.17

2010年09月19日 08時44分01秒 | 公園・名所・名勝

 所在地 大野城  福井県大野市城町

 「越前おおの結ステーション」に到着です。高さ約10mの木造建築で、金森長近公が晩年治めた、
岐阜県美濃市にある長良川の上有知湊(こうずちみなと)の川湊灯台(かわみなととうだい)をモデルに建造されて
おります、これが目印です。駐車場は無料ですよ

 大野城に行くには、「柳廼社」の境内を通り登っていきます。
江戸時代、福井県大野市は大野藩土井家が治めており、7代藩主土井利忠は財政難の藩を立て直すべく、
藩政の改革を行い、多くの功績を残した。その遺徳を讃えて、利忠を祀る「柳廼社」が明治15年に創建された。

 鳥居の横にある大野市郷土歴史館。
この建物は、明治22年創建された大野区裁判所で、昭和43年にこちらに移築されました。
大野城は、奥の「柳廼社」の左側から登ります。

 裏手に城への登り口があり、ここに搦手門が復元されています。

 城跡一帯は亀山公園として整備され、遊歩道が整備されています。
 入口から頂上までは
野面詰みの石垣を横目に見ながら歩いておよそ15~20分はかかります。

 途中には、「百間坂」があり、大野城の侍たちがお城へ行くには、藩庁の庭から百間坂を登ったようで、
江戸時代には百間坂以外に道はなかったのである。右の小道を行けば百間坂に出るようです。

 大野市街地から標高249メートル、の小山に映える天守閣まで行くには、
  通常歩く遊歩道と途中から元気な方は階段を登ることが出来ます。時間の短縮で階段を行きました。

 銅像の土井氏七代目の利忠は幕末の名君で、善政を行い、洋学館・病院を建て蘭学を奨励、
藩校明倫館を建て庶民の入学も許したといいます。

 大野城の亀山を登る途中から穀物の実る田園が広がりいい景色です。

 さらに、近道の階段を登っていきます。

 大野城城門に到着です。

 門をくぐると、大野城の天守閣が 1575(天正3)年、越前一向一揆を平定した織田信長は家臣の
金森長近に大野郡の大半を与えました。長近がこの地の亀山に築いた平山城形式の城郭が、この(越前)大野城です。
長近はさらに亀山の東麓に「越前の小京都」と呼ばれる城下町を整備し、彼が飛騨一国に転封された後は一代限りの
城主がしばらく続きましたが、江戸幕府が開かれた後は福井藩の直轄領を経て新たに立藩された大野藩の中心地となり、
譜代大名・土井氏の居城として明治維新を迎えました

  近長は茶器の収集家としても知られる文化人で千利休に師事していたそうです。城内には金森長近の
正室であり濃姫の付き人でもあったお福の名前がついた、山頂に自然と湧き出た不思議な「お福池」があります。

 天守台への登り口は急な「武者登り」の石段があります。

 大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を
守っていました。その石垣は、石を立てず、横に寝かせ、大きい石を奥に押し込んで積む、野面積みという工法で、
貴重な史跡といわれています。

 こちらは、「駕籠道」と呼ばれる緩やかな石段が設けられている。

 城下を見下ろすと町並みが、その向こうには、北陸の山々がそびえています。

 天守閣の建物の横には、「権現宮跡」があります。

 ここから天守閣に入場します。  入場料 ¥200 です。

 この時代に使用した「駕籠」のようですね。

 武具など展示品が

 復元された二層の天守の中は資料館と なっている。 

 天守閣からは、越前の小京都と呼ばれた市街地を一望できます、また
    小京都越前大野は、越前の太守朝倉義景の終焉の地であったようです。
次回をお楽しみに  では またね 

京都・福知山温泉「養老の湯」 2010.08.31

2010年09月08日 11時15分50秒 | 温泉

   所在地  福知山温泉  京都府福知山市長田宿81-13

 るり渓谷でハイキングの後、汗を流しに「福知山温泉」まで車を走らせました。
 駐車場にはいると、施設は武家屋敷?お城?といったつくりの外見です。

  温泉になる前は料亭だったそうです。
平成12年11月にオープン。料亭の跡地を改築して温泉施設になったようです。立派な施設ですね。

 立派な門構えです。福知山城を真似たのかな?風格があるね

 ここが温泉施設の入口かな? 桜の木のある庭園など風格のある落ち着いた雰囲気です。

浴場棟には、岩を配した露天風呂、足裏泡風呂などの多彩な浴槽が並び、
特に露天風呂から眺める純日本庭園の華やかな風景は、心安らぐ最高の一時を味わわせてくれる。
庭がかなり広く、お風呂あがりの食事も庭をながめながらできます。

 こんな所に、懐かしい「井戸」が、何時ごろまで使用していたのでしょうか。

 庭の中には、茅葺の門が、情緒がありますね。

 東屋もあり、のんびり過ごすことが出来、温泉に入らず内部に入ると飲食施設、お土産物屋さんがあり
ちょっと 休憩して温泉へいいね

 この時期、「サルスベリ」の花が咲き「るり渓」でのハイキングの汗ばんだ疲れも
 福知山温泉に入り癒されました。
次回をお楽しみに  では またね

南丹市・るり渓ハイキング 後編  2010.08.31

2010年09月02日 16時41分16秒 | 公園・名所・名勝

  所在地 るり渓   京都府南丹市園部町大河内

  後半は、「双龍淵」の休憩所から橋を渡り遊歩道を通り通天湖へ行きます。
 「双龍淵(そうりゅうえん)」は、雄と雌の龍が水中で泳いでいる深い淵という意味です。
 別名 「なたふち」とも呼ばれ、白いうなぎが「ナタ」を吸い込んだという伝説があります。
   ※ 休憩所の端の橋より望むことが出来ます。

  「沈虎潭(ちんこたん)」 虎のように見える大きな岩のある淵
   どれが虎に見える岩かな?判りません

  「玉走盤(ぎょくそうばん)」 岩の上を流れる水がまるで盤上を転がる玉のようで大変美しいようです。

  「高臥石(こうがんせき)」 寝床のような平たな石

  「暢申澗(ちょうしんかん)」 のびやかなせせらぎという意味です

  「弾琴泉(だんきんせん)」 広いせせらぎの至るところに突き出た石が、たくさんの小さな
    滝を作り、さながら琴を弾いているような様子に見えるようです。

 ここらで ちょっと休憩です。 大分来たようです。

  「玉裳灘(ぎょくしょうたん)」 浅瀬にできた甌穴群のようです。

  「水晶簾(すいしょうれん)」 滝の落ちる様子が、まるで水晶のすだれがかかっているように
    美しく見える事からこう呼ばれます。

  「宝亀巌(ほうきがん)」 亀のような形をした岩です。

  「天鼓淵(てんこたん)」 これが その滝のようです。

  「浣紗瀬(かんさせ)」 平らで大きな岩が並ぶ浅瀬で ここを水が流れ落ちて小さな滝を作っている
  様子が うす絹を洗いすすいでいるように見える事から呼ばれます。

  「碁顛石(ごてんせき)」 碁盤のような正方形の姿をした石です。

  「爛柯石(らんかせき)」 木の枝でつくった手すりのように見えることから呼ばれます。

  「濯錦汀(たんきんてい)」 清らかで美しく みずが波立たないような静かな水ぎわです。

  「千幻瀑(せんげんばく)」大きな岩を流れ落ちる飛瀑で階段状になった岩です。
滝が何段にもなって流れ落ちていく様子に圧倒されます。

 「会仙巌(かいせんがん)」仙人が大勢集まって 滝の流れ落ちる水に杯を流して曲水の宴を楽しんだ
   大きな岩といわれています。

 ちょっと 疲れたかな ここらで一休みです。

 るり渓が続きます。遊歩道の道を歩きながら癒され足を止める場所が多くあります。

 遊歩道には、標識と東屋があり、ゆっくりと探索ができます。

 至るところに、小さな滝があり心を和ませてくれます。

 やっと 通天湖のダムにやって来ました。渓谷から府道まで上がらなくてはいけません。

 遊歩道を上がると、ここからも渓流歩道入口があります。無料駐車場とトイレがあります。

  「通天湖(つうてんこ)」 天にも届かんばかり高いところにある湖という意味で、
 るり渓最上流の湖で、るり湖ともいう。ダムから流れ落ちる高さは12.5mの水のカーテンは綺麗です。
 近くには、「るり渓温泉」などがあります。この後 温泉へ
 次回をお楽しみに  では またね
 

南丹市・るり渓ハイキング  前編  2010.08.31

2010年09月01日 16時37分18秒 | 公園・名所・名勝

 所在地   るり渓  京都府南丹市園部町大河内 

 るり渓は、園部川が高原の斜面を侵食してできた長さ4キロメートルの渓谷です。上流部は花崗岩、
下流部は石英粗面岩からなっていて、清流に点在する個性豊かな岩や滝、深淵が、景観のアクセントと
なっています。駐車場から少し上り坂を1kmほど歩いて行くと渓流歩道入口に着きます。
途中にも景勝地があります。

 ここから出発です。駐車場附近には東屋・トイレ・土産物屋などの店屋があります。

 渓谷ではこの暑い時期、水遊びをしている人を見かけます。

 夏休みも終りですが、人出はまばらで店は、ほとんど閉まっています。今の時期
 「百日紅」の花が綺麗に咲いている道を進みます。

  「名勝 瑠璃渓」の石碑がありました。

  「鳴瀑(めいばく)」滝の裏が空洞になっており、音がすることからこう呼ばれる。いつも豊富な水が滝となって
見事な景色を見せている。滝の正面では休息所もありここからの眺めはまた格別。雨乞いに地蔵様を
くくり滝壺に沈める古事があります。

  「千秋潭(せんしゅうたん)」 紅葉の時期には、両岸の紅葉が水面に映り また 落ち葉が一面に
 敷いたように美しい淵のようです。

  「座禅石(ざぜんせき)」 幅6m 高さ2m 奥行き2mの平たな石で、ところどころ
 苔むしており座禅をするのに格好の巨石で、寛永年間(1641年頃)貴族出身の名僧一糸和尚(仏頂国師)が
 亀岡市畑野町の法常寺を開山。ここまで座禅にきたといわれています。

  「錦繍巖(きんしゅうがん)」 秋の紅葉が、絹の縫い取りをしたように見える美しい
 岩山の意味で、紅葉の時期には、まさに錦のようになり写真を撮る人達は格好のスポットのようです。
 東屋で休憩していると心が和みます。

  600mほど歩いていくと「渓流歩道入口」に到着です。ちょっとした店が
 ここから 通天湖まで 4kmの渓谷を歩きます。

  渓谷入口を入っていくと「おもちゃ館」など店が数件あります。サァ~渓谷を歩くぞ~

  「快刀巌(かいとうがん)」 大きな岩の真ん中をスパッと割るように松の木が生えています。

  「巨盆巌(きょぼんがん)」 お盆のような平らな大岩。 
 この岩が、巨盆巌かな? もっと大きな岩と思いましたが、

  こんな所に「石橋」が、ここらで休憩してグループで来ても休むことが出来ます。

 「螮蝀泉(たいとうせん)」滝の水しぶきによって美しい虹ができる泉という意味のようです。
  残念ながら虹は見ることが出来ませんでした。

 渓谷の石畳の道を歩きます。景色に見とれて滑らないよう気をつけて歩かないと

  「龍軻潭(りゅうかんたん)」 軻は歌の替え字か 龍が歌を歌っている深い淵という意味のようです。

  「渇虯澗(かっきゅうかん)」 龍の水飲み場という意味で、サンショウウオが住んでいるといわれます。

  「双龍淵(そうりゅうえん)」 の休憩所に到着です。トイレも完備しています。
  ここで渓谷の水の流れを聞きながら食事です心も癒されますね。時々「ひぐらし」の鳴き声が、
前編はここで 次回をお楽しみに  では またね