所在地 清荒神清澄寺 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地
阪急清荒神駅より参道を進んでいくと荒神川に架かる祓禊橋(みそぎばし)
この祓禊橋は明治44年に設置されました。橋ができる前は参拝の為に荒神川まで降り身体を清め、
荒神さんにお参りしていた事から現世と神聖なる場所との境界とされていました。
現在は、この橋を渡る事が御祓の代わりとなっております。
駅前より山門までは、1kmの道に店舗と露店を合わせると約200軒ほどの店が、
食べ物類から衣類や日用雑貨、土産物、園芸用品、骨董品等に至るまで、ありとあらゆる品物が揃っています
小規模ながら三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。
山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという
意味を表しています。石碑の文字は第35世道樹和上の筆とされています。
「拝殿」
天堂には、三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。
聖天さまは仏教守護の神として、祈れば富貴を与え病を除き、夫婦和合・子を授けると言われています。
また十一面観世音菩薩も除病・滅罪・求福を祈れば現世利益を得ることが出来るとされています
拝殿から左へ廻ると「荒神影向の榊」があります。
いつの頃からかそこに供えられたお賽銭をいただいて帰り、次回参詣されたとき、
そのお賽銭を倍にしてお返しするという風習が伝えられています。いただいたお賽銭を紙に包んで財布に
入れておくと小遣銭に不自由しない、また次に参詣されるまでそれを「御守り」として持っていると
吉事があるなど言われています。
一願地蔵尊は金銅製の巨大な立像で、頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、
ご利益があると言われています。 明治24年、多くの信者さんの寄進により建立されました。
光背にはその方々の名前が刻まれております
清荒神清澄寺は、平安時代の初期に宇多天皇の勅願によって建てられたとされる真言三宝宗のお寺で、
山号を蓬莱山という。荒神信仰と真言三宝宗の神仏混合から「清荒神清澄寺」の名がある。ご本尊は、
大日如来菩薩で、国の重要文化財に指定されている。 清荒神清澄寺は、開山以来現在の北東の山腹にあったが、
数々の兵乱で焼け落ち、その後、現在地に再建された。
池苑
池泉回遊式庭園で、江戸時代初期~中期に作成されたと言われ、池泉を中心とした豪華な石組を配し、
滝、亀島、船着石などを組み合せた観賞式庭園となっています。
境内の空間を見て癒されながら爽やかな時を過ごさせていただきました。
次回をお楽しみに では またね