hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

月照寺に咲く八ッ房の梅  2015.02.24

2015年02月25日 20時11分29秒 | 季節のたより


  所在地   月照寺     兵庫県明石市人丸町1―29

 今を去る1200年ほどの昔、弘仁2年(西暦812年)弘法大師 空海が明石の岡、赤松山(現在の明石城祉)に湖南山 餘鵜楊柳寺を創建した。仁和3年(西暦887年)楊柳寺覚証和尚は、大和の柿本山 広安寺より人麿念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して奥の院に奉祀し、寺号を月照寺と改めました。この山門は、伏見城の薬医門で 明石城の切手(きって)門として二役を果し、明治初年ここに移された。秀吉建立の歴史をきざむ豪壮な風格の山門です。

 山門内庭に洗心水の地があり、水琴窟が妙なる音色を奏でていて、北村西望氏作の人丸観世音菩薩の立像が安置されている。この尊像は身丈2メートル10あって月照寺の鎮守神、柿本人麿にちなんで「人丸観音」と名付けられています。

 この梅は、赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅である。この梅は一つの花に八つの実がなるので「八房の梅」と名づけられました。向こうには

 日本庭園を背景に八ッ房の梅が咲き始めています。

 日本庭園もいいものです。

 月照寺の本堂は日本標準時子午線上にあり、八房の梅の見頃は少し先ですね~

 八房の梅は一つの花に八つの実がなると言われますが、私は見たことがありませんので一度は見たいものですね。
 次回をお楽しみに では またね

柿本神社の花々 2015.02.24

2015年02月24日 21時45分41秒 | 季節のたより


  所在地   柿本神社    兵庫県明石市人丸町1―26

 地元では「人丸さん」として親しまれている柿本神社は、歌仙・柿本人麻呂を祭神としています。学問・文学の神様として崇敬されているだけでなく、「人麻呂」の名から「ヒトマル」→「火止まる」で火除け、「人生る」で安産の神としても信仰されています。

 石階段を上がると、石灯篭の付近には水仙が見頃を向かえて綺麗です。

 仁和3年に月照寺の僧・覚証が、人麻呂の霊が明石に留まっていることを感得し、月照寺の裏に祠を建てて祀ったのが始まりで、享保8年には正一位柿本大明神の神位神号がおくられました。

 播州明石浦柿本太夫祠堂碑 寛文4年(1664)10月、
明石藩主松平信之は柿本人麿を敬仰し、和歌の隆盛を願い、豪壮な人麿顕彰碑を建てました。銘の撰文は江戸幕府の儒官弘文院学士、林氏であす。製作優秀で明石の文化史的意義の特に深いものです

 これは、舟型に形どった梅の木がありますが、遅咲きかも知れなくてチラホラ咲きのようです。

 白梅の花は見頃を迎えて綺麗です。

 ちょっと顔を近づけると穂のかな梅の香りが、

 早咲きの梅の花は、見頃を向かえ紅梅などと木々が交わり綺麗で、境内からは瀬戸内海と淡路島そして夢をかける明石海峡大橋が望めます。
 次回をお楽しみに では またね

石ヶ谷公園の梅林 2015.02.21

2015年02月21日 20時08分08秒 | 季節のたより


  所在地   石ヶ谷公園    兵庫県明石市大久保町松蔭(石ヶ谷公園)

 石ケ谷公園は、明石市の北西部、標高約90mの丘陵地にある公園です、駐車場:約320台が止められ、中央体育会館や乗馬場があります。

 市民憩いのカルチャーパークで、フィールドアスレチック・各種遊具があります。

 早咲きの梅が見頃のようです。ぽかぽか陽気でいい気分です。

 顔を近づけると穂のかに梅の香りが~

 ピンク色の梅の花が綺麗です。

 見渡すと まだ 白梅の開花は少ないようです。

 梅林の向こうには、サイロがあり、自然豊かな牧場風景かな~

 石ケ谷公園には、乳牛(今はおりません)や馬などの放牧場されのんびりと牧草を食べています。

 丘の上には、中華風の東屋がありちょっとした、ウォーキングに憩いの場所になっています。

 石ヶ谷公園'の梅林の全景を見ると早咲きの梅が見頃で まだ早い様でこれからが楽しみのようです。
 次回をお楽しみに では またね

明石海峡大橋に沈む夕日 2015.02.20

2015年02月20日 20時52分34秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   マリンピア神戸    神戸市垂水区海岸通12

 今日の夕方、「MBS毎日放送」の「ちちんぷいぷ」の番組で明石海峡大橋の画面が映り雲がほとんどないと放送で、車をとばして「三井アウトレットパーク」へ到着です。

 明石海峡大橋方面を眺めると雲が少なく、いい写真が撮れるかな?

 話を聞くと2月20日ぐらいには、マリンピア神戸から明石海峡大橋の向こうに見える家島群島?の 二つの島が見える、その間に夕日が沈むようです。 

 夕日が沈むところに船が来ました。明石海峡は船の往来が激しくタイミングが難しいです。

 島と島の間に沈みましたが、何とか夕日が沈むところが撮れたかな?

 短い時間の奮闘です。

 今日は、天気と日時に恵まれましたが、来年も挑戦したいですね。

 夕日が沈み雲が真っ赤に焼けるのを期待しましたが焼けませんでした。

 今日は、穏やかな天気で夕日が沈み、マリンピア神戸も人でも少なくなり帰路につきました。
 次回をお楽しみに では またね

神戸南京町・春節祭  2015.02.19

2015年02月19日 21時04分03秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   神戸南京町     神戸市中央区栄町通1丁目3―18

 旧暦の元日に合わせて開催する南京町最大のイベントが、「2015南京町春節祭」の2月15日(日)~2月22日(日)に開催されます。
  JR神戸線・阪神電車「元町駅」下車、徒歩約5分。
阪急電車「三宮駅」下車、徒歩約10分。
地下鉄海岸線「旧居留地・大丸前駅」下車、徒歩約2分。 

 南京町(なんきんまち)は、神戸市中央区の元町通と栄町通にまたがる狭いエリアの通称で神戸大丸店の西側には、長安門があります。

 旧暦で節句を祝う中国では、旧暦のお正月を「春節」として盛大に祝います。この時期の中国は爆竹が鳴り響きますが、神戸南京町ではそのような事はないようです。祝い事にはかかせない龍や獅子が舞い踊り、おおいに賑わいます。日本三大中華街だけあって、中国そのものです。

 京劇の衣装とメイクで三国志の英雄や楊貴妃などに扮し、元町商店街や三宮センター街をパレードしますが、南京町広場では紹介です。

 付近は、多くの見物する人が集まり写真を撮る人でいっぱいです。

 この人は、楊貴妃かな?

 旧暦元日のメインイベントである「中国史人游行(京劇の衣装とメイクでのパレード)」は、参加者を一般公募していますので、興味のある方は是非応募してはいかがでしょうか。

 南京町商店街には、中国料理の店、豚まんや焼売、餃子、焼豚などの専門店、中国の香辛料や調味料を扱う食材の店、お茶や雑貨などを扱うお店など約100軒以上の店が軒を連ね、また、店頭には屋台を建て、点心やスイーツ、食材などが販売されています。多くの人が楽しんでいます。

 中華食材、雑貨、料理など多彩な店舗が軒を連ねる人気の観光エリアです。1月または2月に春節祭、9月または10月に中秋節など一年を通して多彩なイベントも開催されています。

 西にある「西安門」を出て、北側には元町商店街につながっています。
 次回をお楽しみに では またね

篠山の民話・瀬戸地蔵  2015.02.16

2015年02月16日 19時46分54秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  瀬戸地蔵       兵庫県篠山市今田町市原5             
 国道372と県道141が交わる本荘交差点を南下すると、峠を越えた左手に瀬戸地蔵の標識が見えてきました。車、4台ほど止められる場所が

 民家の横から神社の境内を通り抜け、右手下には河川改修がされていない昔のままの東条川が流れています。

 左手は岩石、右足元は川という小路を落葉で滑りやすくなっているので、注意しながら歩きます。その岩面に地蔵菩薩立像が彫ってあります。室町時代のものらしいです。

 有名な僧・行基菩薩が清水寺に居られた頃のお話です。行基が或る日、都へ行こうと清水寺の麓の今田町木津へ降りてきて、芦原まで来たときのこと、数人の村人達が東条川(黒石川)の川岸に立って経を唱えていました。この場所は今では峠越えの道ですが、当時の東条川(黒石川 )に沿っての道は高い絶壁が川岸にせまり、下は深い渕になっているところでした。今も石仏前付近に当時の片鱗が見られます。行基は何ごとかと近づき村人に尋ねると、

 「絶壁の斜面を通る旅人たちが度々足を踏み外して死ぬんです」また「この間は、川上から死んだ赤ん坊が菰に包まれ投げ捨てられ、 此処の深い渕へ流れ着いたんですよ」等と話してくれます。そして今日も「先日、亡くなった人のために弔っているんです…」行基は「危険な処ですね。どうか、こんな悲しいことのないように」と、その絶壁にある岩の面にお地蔵さんを彫りこんで、 交通安全と、此処で亡くなった人達や子供の為に、 供養とお祀りをされました。今も、瀬戸の地蔵として今なを、花がお供えされ祀られています。
 次回をお楽しみ では またね         

マリンピア神戸  2015.02.11

2015年02月12日 16時19分28秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    マリンピア神戸      神戸市垂水区海岸通12―2

 JR神戸線垂水駅、山陽電鉄垂水駅下車、徒歩9分。無料シャトルバスもあり、第二神明道路名谷インターチェンジから3kmです。今日は休日ということでイベントがあり、駐車場は車でいっぱいです。

 「陽気な南欧の港町」がコンセプトの開放感ある館の中に、約140店の店舗が立ち並ぶ本格アウトレットモール。国内外の有名メーカー&ブランドから選りすぐったハイクオリティな商品を、アウトレット価格で提供しています。

 路上では、大道芸人が芸を披露 多くの人は楽しげに

 三井アウトレットパークマリンピア神戸は家族でファッションやグルメを楽しめる、大型ショッピングモール施設です。流行のファッションをお得な価格で購入でき、小さな子供にはちょっとしたプレイルームも完備されています。

 南の明るい港町をイメージして作られたモール内には南欧の教会やヴィラをモチーフにした建物が並んでいます。

 南欧の港町をイメージして作られた三井アウトレットパーク・マリンピア神戸・ポルトバザールは、明石海峡に面しておりヨットハーバー、こうべたるみ海の駅も併設されています。

 汽笛の音が、振り向くと遊園地の汽車の乗り物がが走り潮風を受けながらちょっと寒いかな?

 明石海峡大橋を臨む絶好のロケーションで、リゾートの雰囲気を味わいながら、ブランドショッピングと各国の多彩な料理が楽しめます。隣には、露天風呂の「太平のゆ」があり、明石海峡大橋を眺めながら、岩盤温熱浴をはじめ、日常の疲れをすっきりと流してくれる様々な種類のお風呂やレストランやリラクゼーションを揃えたスーパー銭湯です。
 次回をお楽しみに では またね

法道仙人の投げ松  2015.02.07

2015年02月11日 08時34分43秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  投げ松   兵庫県加古川市志方町大澤1159

 一乗寺からそう遠くない加古川市志方町の大澤には、「法道仙人の投げ松(なげまつ)」が祭られていると云うことで行ってみました。場所がわからないので村の細い道を尋ねながら進み車を止めることが出来ました。

 法道仙人が法華山を開いた時、そこの小松を一株根こぎにして山越に投げたところ、小松は枯れないでそのままそこに根を下ろし、成長して幾抱えもの大樹になった。この松は大正時代に入った頃枯れてしまいました。現在はその根と幹の一部をお堂の中に保存しています。この枯木が在る場所は、法華山から東南に3キロ足らずの距離に位置する、志方町大澤の村外れになります。村では法道仙人の「投げ松(なげまつ)」として大切に祀られています。

 「投げ松」は、枯木ですが、幹も枝もうねうねと曲がりくねっています。県道43高砂北条線にも、少し離れたところにも投松(こちらは「ねじまつ」と読む)の交差点があります。この付近一帯がねじり松にゆかりのある地域だと言われています。このことから土地の名を、昔は「ねじり松」と呼んでいましが、のちに「ねじ松」と呼ぶようになったようです。
 次回をお楽しみに では またね

法道仙人の駒の爪  2015.02.07

2015年02月10日 08時28分22秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  駒の爪   兵庫県加西市倉谷町398

 加古川バイパスから県道43を通り、山陽自動車道をくぐると加古川市の大澤と加西市倉谷町の境に、法道仙人が馬をとめた「駒の爪」跡の伝承があります。

 県道43の道端にありますが、注意をしないと、見過ごしてしまいます。 玉垣に囲まれて「法道仙人駒爪」と書かれた石塔が立っています。

 岩の表面に馬の蹄の跡がついた石があります。法道仙人が法華山一乗寺を開いたときに、仙人が乗っていた馬の蹄だということで、馬蹄石は一乗寺の旧山道を西へ100m余り下ったところの岩場にもあって、倉谷側が、後足、一乗寺側が前足の蹄の跡だと言われています。

 端には、まだ年月が経っていない石灯籠や古い石碑があります。

 後には、「駒の古道」があり、木が倒れ、今は使用されていないようにも見える道らしいものが、歩いて見ようとしましたが、途中で中断です。
 次回をお楽しみに では またね

法道仙人にまつわる札馬大歳神社 2015.02.07

2015年02月09日 09時54分13秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  札馬大歳神社    兵庫県加古川市志方町大澤912

 播磨国(はりまのくに)の山には、法道仙人を開山・開基と伝える寺が多く、札馬大歳神社、ここは山陽自動車道の工事に伴って現在地に移動されたといわれています。

 境内にはインドの仙人といわれる法道仙人(ほうどうせんにん)の手形と言われる型のついた石や、腰を掛けたと言われる腰掛岩があります。

 これが法道仙人の手跡石です。

 本殿近くに置かれた石の一部に、まるでヒトデのような形の「手形」が彫り込まれていて、石自体は凝灰岩の板石で、見たところどうやら古墳から掘り出した石棺のふたのようでもあり、判りにくいです。
 次回をお楽しみに では またね

みとろ姫の悲話 2015.02.07

2015年02月08日 12時36分23秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   美登呂姫の石仏    兵庫県加古川市上荘町美登呂479

 加古川に架かる、上荘橋を渡り、「見土呂フルーツパーク」へ行く細い道の途中にある、少しへこんだところに「美登呂姫の石仏」の立て札が、そこを進むと小さなお堂ですが、きれいに清掃されている見土呂大師堂があります。大師堂の右側には、見登呂姫の石仏があります。
阿弥陀三尊石棺仏(高さ 174Cm 幅 125Cm 厚さ 25Cm)
中尊は、二重光背形輪郭を彫り沈め蓮華座上に立ち、右手・施無畏印、左手・与願印をむすんだ阿弥陀如来を半肉彫りのようです。

 石仏の由来は、室町時代のはじめ、当地の井口城が赤松則村の砦として築かれました。 井口城には美しく心やさしい美登呂姫がおられました。家来の一青年が 美登呂姫を見入り機会をみて近寄ろうとしていました。ある年の"月見の祝" の席で姫に近寄ることができた青年は、姫への思いを打ち明けましたが、 姫は青年の申し出を拒みました。腹の立った青年は姫を切り殺し、 裏山に埋めてしまいました。村の人々はとても残念がり、石仏を作ってまつりました。 見土呂の地名は美登呂姫からきているといわれています。
 次回をお楽しみに では またね

御厨神社の梅の花が咲き始め 2015.02.07

2015年02月07日 19時32分21秒 | 季節のたより


  所在地   御厨神社     兵庫県明石市二見町東二見1303

 もうそろそろ梅の開花が始まっているかな?

 901年、筑紫大宰府に左遷となった菅原道真の西行の途次、船をこの浦に寄せて社地で休息をとったことから、寛和年間に天満宮が勧請されました。道真が手植えした松「仮寝の松」があったと場所には、石碑が残っています。

 瀬戸内海一帯に分布する天満宮の一つ。「御厨」とは本来飲食物を調理する台所のことである。社伝によると、神功皇后が韓出兵の際に二見浦に船を泊め、食料を調達したことから「御厨」という。

 御厨神社の境内にある二見梅林(ふたみ梅林)です。

 梅林の花は、満開とはいきませんが、鼻を近づけると穂のかな香りが

 ここ二見梅林では、300本ほどの梅の木があり、春になると梅の花の香りが境内に充満です。

 白い梅の花も咲き始め、これから紅白の梅で2週間ほどすると満開で素晴らしいでしょうね。

 今年初めての綺麗な梅の花が見られて満足です。これからが楽しみですね。
次回をお楽しみに では またね

平業盛塚がある善光寺別院  2015.02.22

2015年02月06日 10時02分40秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   平業盛塚       神戸市兵庫区会下山町2丁目18―13

 神戸市兵庫区に会下山(えげやま)という小高い丘の公園があります。鵯越を南下した位置にあるこの丘は、源平合戦では主戦場の一つになり、湊川合戦の際には、楠正成がここに本陣を構えました。現在、この丘は広さ1万2千坪ある会下山公園になっています。この公園の東側に沿って善光寺があります。

 神戸の南から行くと、かなり急勾配の道を登って行くと善光寺があります。境内は整えられていて美しいです。会下山善光寺は天台宗に属し、比叡山延暦寺を総本山として、当寺は大正六年四月八日、善光寺関西別院会下山寺として開創。信州善光寺一山より英盛師神戸東錫により開山一世となり、大正九年四月五日、寺院開創記念事業として大梵鐘が鋳造され、大正十一年四月八日飛鳥式鐘楼建立されました。

 これは、聖徳太子堂ですが、この寺の境内の、近くの草むらにあったという平業盛(なりもり)の塚が祀られています。

 平清盛の弟で教盛(あつもり)の三男の業盛(なりもり)はわずか17歳、武勇に優れ、ここ夢野の陣も一の谷の西城戸の大敗により撤退し逃げ延びる途中、この地で源氏の泥屋四朗吉安と馬上に引き組んで地に落ちはげしく揉み合上に重なったまま古井戸に落ち込み、なおくみ敷きましたが、四朗吉安の弟五朗重行が駆けつけ業盛(なりもり)を打ち取りました。少年業盛の剛勇と怪力に敵も味方もその死を惜しんだと云われています。

 塚の石碑には、蔵人大夫(くろんどのたいふ)平業盛之塚と書かれています。この文字は兵庫の先賢神田兵右衛門によって書かれたものだそうです。平家物語 第九巻 浜軍(はまいくさ)に門脇殿の末子、蔵人大夫業盛は、常陸国の住人、土屋五郎重行と組んで討たれ給ひぬと討ち死にしたことが語られています。お寺の境内は綺麗です。
 次回をお楽しみに では またね

伝説の栗花落の森 2015.02.02

2015年02月05日 08時42分07秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   栗花落の森    神戸市兵庫区都由乃町2丁目2

 山田の里には、「栗花落の井」があり、ここ兵庫区都由乃町に、白滝姫を祭る栗花落の森(つゆのもり)がある。新湊川(しんみなとがわ)の石井橋から少し山手へ歩いたところにある、落ち着いた家並みの古い住宅街の間を抜ける道。車が通れないほどの細道をたどり、さらに細い路地へ折れると、家が並んだ一角に小さな祠(ほこら)があって、2本のエノキの巨樹が、それを覆うようにそびえています。

 森には、昭和四十八年神戸市が保護樹木に選定した大きな榎がニ本あります。烏原道は、都由乃町付近から石井川に沿って烏原→鈴蘭台(すずらんだい)と山を登り、さらに長坂山の東を越えて山田里に入る道で、兵庫の津が港として整備され、交易盛んになるにつれて山田の荘と兵庫を結ぶ最短の道として盛んに利用されていたようです。

 天平宝字8年(764)丹生山田荘の郡司・山田左衛門尉真勝は、右大臣藤原豊成の次女白瀧姫に恋をしました。二人の恋は淳仁天皇の耳まで達し、仲をとりもち夫婦になりました。真勝が白瀧姫を連れて山田の里に帰る途中、石井村の北にあるこの森で一休みしました。その頃は梅雨時であるのに日照りが続きであったようです。

 村人たちが水不足に困っているのを聞いた姫が、手にした杖で地面を突くと清水が湧き出しました。村人は大変喜び、のちに姫をこの森に祀り、栗花落の森と呼ぶようになり、その場所は現在の兵庫県都由乃町(つゆのちょう)であるようです。
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史蹟・西代の蓮の池  2015.02.02

2015年02月04日 09時00分18秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    西代の蓮の池     神戸市長田区蓮池町

 西代蓮池公園は、 旧西国街道に面するところ(長田中央幹線)古代(律令時代)には重要度などから大路・中路・小路とわかれ大路は、今も「大道通」として町名が残っています。西国街道は脇道の一つで整備され西国大名の参勤交代に使われました。

 今の公園は、「阪神淡路大震災」後、綺麗に整備され、入ったところの外周に全長300mのジョギングコースが、あります。その内部にストレッチングを補助するような器具(おもしろい運動補助道具)が、いくつか設置されています。いずれもステンレス製と木製の立派なものがあります。

 奈良時代(710-794)に周辺の田に農業用水を提供する溜池として作られたもので、僧行基が作ったという伝説があります。池が完成したとき「蓮の花が美しく咲いているという極楽浄土の池のように、この池にも蓮の花が咲き乱れ、この水で人々が豊かになるように」と願って行基は、一株の蓮の花を池に投げ入れたといわれます。

 江戸時代の旅行ガイドブックとも言うべき「摂津名所図絵」では、古来この付近は時代を左右する大きな戦役があったところです。かの平重衡や平忠度の「平家物語」のエピソードなどや「太平記」などにこの池が、登場します。それに関わった天皇及び公卿達もここを通過したのでしょう。この池の西に太山寺への太山寺道や高取山の参道につながる道が有ります。
 次回をお楽しみに では またね