hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

播磨中央公園の四季の庭  2012.05.28

2012年05月31日 08時28分54秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  播磨中央公園・四季の庭    兵庫県加東市河高

 播磨中央公園は、豊かな自然の中の公園です。公園の周辺や園内にも自然を保全したところがあります。四季折々の美しい風景や、厳しい自然を感じることのできる施設です。

 四季の庭も同様、入園は無料で、一年を通じて花と緑とふれあえる場所で、四季の庭では季節の花や樹木をゆったりと楽しんでいただけ、もともとの地形や自然を活かした風景を道すがら、のんびり満喫していただける美しい遊歩道となっております。

 播磨中央公園フラワーゾーン欧風庭園の四季の庭は、約17haの自然の地形を利用した9つのエリアで構成された植物観察園になっています。

 ルネッサンス風の庭園と展望塔があり、お気に入りの花や場所を探しながら散歩していると四季の庭だけでも、ゆっくりまわると1時間では回れないです。

 長閑な綺麗な風景です。」

 和田ヶ池の大噴水と展望塔  和田ヶ池のヤシの広場と水辺観察園などを散歩することができます。

 静で、四季の庭は貸切状態で鳥のさえずる声しか聞こえません。ちょっと展望台へ

 途中には休憩所ありますので、長閑な新緑の綺麗なこの場所で時間を忘れて寝転んでいたいですね。

 階段を上がっていくと、展望台がちょっとモダンですね。

 あまりにも静で都会と違い騒音もなく気持ちがいいですね、

 雑草の中の、黄色い花が沢山咲いていました。

 静かなひと時を過ごしながら、鳥のさえずる声を聴きながら散歩するのもいいです。満喫しました。
次回をお楽しみに  では またね 

播磨中央公園のばら園が見頃に  2012.05.28

2012年05月30日 08時35分17秒 | 季節のたより


  所在地  播磨中央公園   兵庫県加東市下滝野町1275-8

 ちょっと播磨中央公園のバラ園に出かけました。播磨中央公園は無料でバラ園の入園料も無料となり、駐車場も平日は無料です。バラ園の一角には カフェ や お土産屋さん・お花を売ってる園芸屋さんなどもあります。

 播磨中央公園の一角に広いバラ園があり、バラの時期ともなると地方から多くの観賞客が訪れ賑わいを見せています。

  5月のバラのシーズン中は約100種類5000本近いバラの花を楽しむことが出来ます。

 正面北側には人工の滝もあり、涼しげな雰囲気をかもし出しています。

 播磨中央公園バラ園のバラの花は1867年以降に作出されたモダンローズと呼ばれるバラが中心で綺麗ですね。

 中央にある噴水の回りを囲むように庭園風のバラ園が広り、それを囲むように設置してあるベンチに座ってゆっくりとくつろぎながらバラの花を楽しむのもいいでしょうね。

 大輪咲きのバラが園内いっぱいに咲いており、いろいろなバラも楽しむこともできます。

 見頃になると噴水庭園を中心にバラの花約100種類5000本が咲き乱れる素晴らしい光景です。

 バラ園の周辺部分は、つる性のバラがありアーチになっていて、バラのトンネルを楽しめます。

 バラ園が無料になり少し荒れていましたが、見事に改修されており綺麗なバラが沢山咲いて感激です。

 平日というのに沢山の人々が、こられていますが、静かな雰囲気で滝や噴水の水しぶきの音色を聞きながらゆったりとした気分でバラの花を楽しむのもいいですね。

 水とバラとのコラボレーション。これが播磨中央公園のバラ園の特徴でしょうね。
次回をお楽しみに  では またね

初夏の相楽園  2012.05.26

2012年05月29日 07時53分56秒 | 公園・名所・名勝


 所在地  相楽園   神戸市中央区中山手通5丁目3-1

 三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅です。

 ちょっと時期が過ぎましたが、相楽園はツツジの名所としても知られ、春には鮮やかな花が園内一円に咲き乱れます。また、群生する蘇鉄(ソテツ)や約200本もの松など、木々が織りなす景観は本当に見事です。これからサツキツツジが綺麗になります。

 相楽園の大灯篭は、六角型雪見灯篭で、重量11t、八畳敷きだそうだ。大楠は、花隈城の鬼門にあたるといわれているそうです。

 旧小寺家厩舎
この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもので、相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つである。建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造です。

 旧ハッサム住宅
1902年に神戸市中央区北野町2丁目の旧ドレウェル邸(ラインの館)北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム(J.K.Hassam)の邸宅として建てられた。1961年に当時の所有者である神戸回教寺院が神戸市に寄贈し、1963年に元町の山手にある相楽園内に移築保存されました。

 船屋形(ふなやかた)は兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物"川御座船"である。御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件ありますが、なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するものです。

 その向こうには洞窟が、抜けるとどんな風景かな?

 ここにも石灯籠が相楽園には、いろんな石灯篭がありますね

 茶室が庭園の景観と調和しています。1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅で名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになったされます。
次回をお楽しみに  では またね

水の科学博物館  2012.05.26

2012年05月28日 17時22分23秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  水の科学博物館   神戸市兵庫区楠谷町37-1

 神戸市水道給水開始90周年を記念した「水」をテーマとする科学館「神戸市水の科学博物館」として公開した。

 神戸市水道局内の敷地にある「神戸市 水の科学博物館」は、生命にとってかけがえのない水、そして暮らしに欠かせない水道について理解を深め、楽しく学べる展示施設です。

 幾つかある中のオブジェでこれは、「月を盗む」だそうです。

 水の科学博物館の前には、サツキツツジが見頃を向かえ綺麗です。

 六甲山の麓、緑に囲まれて建つドイツルネサンス様式の東西50mに及ぶ白亜の館は、1917年竣工の「奥平野浄水場旧急速濾過場上屋」で、その風格ある外観から戦前の都市政策における水道事業の重要性を慮ることができます。

 噴水がある南欧風の外観は、どこかヨーロッパの広場に遊びに来たような感覚でなかなかおしゃれです。

 向うには、ドンキホーテのオブジェが、

 兵庫県で一番大きな桜と言われる「樽見の大桜」の2世が植えられています。

 犬が行進する、10数頭オブジェが並んでいます

 水の科学博物館前の庭園には、たくさんの桜が植えられており、桜の名所としても知られています。中でも奥平野舞桜(ソメイヨシノ)は兵庫県一美しい桜と言われています。

 今日は、イベントがあるようで、多くの家族ずれの人々が来られています。

 水の科学博物館の建物内部は2階建てになっており、1階はウォーターサイエンスゾーンとテーマシアター、2階は水とくらしのゾーン、水と環境・生命のゾーン、アクアサロンという構成になっています。

 来年は、敷地内に咲き誇る約200本もの桜を楽しに来たいものです。
次回をお楽しみに  では またね

神戸市・如意寺  2012.05.24

2012年05月25日 20時42分17秒 | 神社・寺院


 所在地  如意寺    神戸市西区櫨谷町谷口259

 県道52から横道へ、山門は伽藍から遠く離れた位置に独立して存在し、これは往時の寺域の広大さを示している。山門内には鎌倉時代の作とされる塑像の金剛力士(仁王)像2体(阿形・吽形)を安置しています。

 如意寺は平安時代後期頃、法道仙人によって開かれたと言われている古刹です。かっては大寺院として栄えていました。

 まず入口には、杜若の花が咲き、素晴らしい格子戸をめぐらした文殊堂が建っている。

 天台宗叡山派、山号は比金山です。寺の旧記によると大化元年(645)法道仙人の開基とされ、承和の末年に慈覚大師が入唐した時に得た文殊菩薩像を安置、後に仁寿元年(851)には文殊堂、阿弥陀堂を建立したとされます。

 阿弥陀堂(常行堂)(重要文化財、院政末期 12世紀末~13世紀初期)天台宗の常行三昧(じょうぎょうざんまい)という重要な修行のための お堂で、内部に阿弥陀如来(市文)を本尊として安置しています。

 如意寺の三重塔、相輪上部「竜池の銘の写し」に至徳2年(1385)建立とありますが、寺の旧記にその記載がなく、建立時期は鎌倉末期から室町初期にかけてと考えられます。しかしその様式の古さなどから、兵庫県では加西市の一乗寺三重塔(国宝)に次ぐ古塔であることはまず間違いがないようです。

 向うに見えるのが、本堂跡です。

 本堂は老朽化により傾いたため第二次世界大戦後まもなく解体され、礎石をとどめるのみである。創建当初は本堂と常行三昧堂(現阿弥陀堂)の二堂からなる法界寺型の伽藍配置をとっていたとされます。

 本堂跡から文殊堂が望めますが、南側から見ると掛け造り風になっており、室町中期に建てられて国の重要文化財に指定されています。

 法道仙人によって開かれたという古刹。平安時代、安養尼願西(恵信僧都の姉)によって興されましたが、この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の王朝趣味を堂塔の様子から見て取れます。
次回をお楽しみに  では またね

六甲高山植物園のクリンソウが見頃に  2012.05.24

2012年05月24日 21時50分04秒 | 季節のたより


  所在地  神戸市灘区六甲山町北六甲4512-150

 六甲山頂付近に位置する当植物園は海抜865m、年平均気温約9℃(北海道南部に相当)という気候を利用し、世界の高山植物、寒冷地の植物を中心に、六甲山自生植物など約1,500種類を栽培しています。

 初夏の気候に誘われて、六甲高山植物園やって来ました。園内の向うには、当時の皇太子殿下が渡り初めされたプリンスブリッジや広場など眺めのよいビューポイントがたくさんあります。

 神戸市にある、六甲山という大都市近郊の山で、手軽にアルプスの高山植物に出合えます。

 湿生植物区域では、気温が上がりつつある中、木の芽の芽吹く初夏には、六甲山が生き返ったように緑に包まれます。

 「チョウジソウ」この花の形が横から見ると「丁」の字形に見えるから「丁字草」の名に。また、香料で有名な「丁子」に似ていることから、ともいわれます。

 前方には、淡いピンクや紫の小さな花が園内を彩り、入園者の目を楽しませています。

 クリンソウは湿地に生える多年草で、花が幾重にも重なって咲く姿が仏閣の屋根にある「九輪」を連想させるため、その名が付いたとされています。

 六甲高山植物園では、約5000株の群落を作るクリンソウです。

 クリンソウは、谷間の水のほとりや山あいの湿地に生えている多年草。一本の茎に何段にも花をつけ可愛らしい花です。

 自生地は年々少なくなってきているそうですが、兵庫県の中でも六甲高山植物園のクリンソウは沢山ある方ではないでしょうか。

 クリンソウの咲く間を縫うように木の足場の中を歩きながら観賞し また 写真を撮る人が多く見られます。

 クリンソウは、山間地の比較的湿潤な場所に生育し、時に群生する。高さ50cmほどになります。クリンソウ以外にもたくさんの花が咲いていますよ。

 六甲高山植物園のアイドルである。小便小僧が風邪を引かないように、本格的な冬が来る前にあたたかいマントを着せてあげます。毎年の恒例行事となっているんですよ。暖かくなったのでマウントを脱いだのかな~

 ひときわ目立つ、大きなツツジが真っ赤に咲いています。

 高山の岩場を再現したロックガーデンは、自然に近い状態で高山植物が鑑賞できるように工夫されており、六甲山という大都市近郊の山で、手軽にアルプスの高山植物に出合えます。

 新緑の美しい5月に、当園では「源平合戦ゆかりの花々展~熊谷草と敦盛草~」を開催いたします。「平家物語」の有名な一部分「熊谷直実と平敦盛」にちなみ名の付けられたクマガイソウが咲いていましたよ。

 今、見頃を迎えている。クロユリは本州の中部以北や北海道に分布するユリ科の多年草です。高山帯の草地に生えますが、北海道では低地でも生えます。紫がかった黒色の花を数個、うつむき加減に咲きます。

 イリス・クリスタータというアヤメ属の花が咲いています少し小さめの可愛い花ですね

 コマクサは、花径約2cm、高さ約10cmです。とても小さく愛らしい姿の花で、人気のある花です。ご覧になられる方が多いです。しかしこのコマクサ、実は地上部からは考えられないほど、細くしなやかな根を1m近くもはりめぐらせているようです。

 マット状に広がる、春に白い小さな花を咲かせる。花弁には濃い赤紫の筋が入り美しい花ですが、ジプソフィラ・セラスティオイデスという長い名前ですね

 初夏は多くの花が見られる時期で、黒ユリ、コマクサ、エーデルワイス、ヒマラヤの青いケシなど、普段見ることのできない多くの花を満喫できました。

 5万平方メートルの園内は、ロックガーデン、湿性植物区、樹林区などに分かれ、それぞれ自然に近い状態で植栽されています。 また、1年を通じて園内に咲く花を見ながら、そのひと時を過ごすことが出来ます。

 休憩所でちょっと一息、長閑な空間を楽しませてくれました。
次回をお楽しみに  では またね

第42回神戸まつり・サンバ  2012.05.20

2012年05月21日 07時20分44秒 | 季節のたより


  所在地  神戸市中央区加納町6丁目

 今日は、第42回神戸まつりJR三ノ宮駅に降り立ちました。

 駅前の陸橋からフラワーロードを望むと「おまつり広場」が、ここには、神戸の代表的な地場物産のお買い物が満載です。ステージでのイベントも見逃さないように。

 広い路上ステージで繰り広げられる出番を待っているのかな?

 ご当地の美味しいものを買いながらイベントも見逃せないね

 花時計の後ろの木の緑もだいぶ濃くなり花時計の図柄もそれに合わせて、今年も神戸まつりのキャラクターに模様替えされたようで、神戸の花時計は、日本でハジメテ作られた花時計なんですよ~

 そうこうしていると、おまつり広場で神戸市婦人団体協議会約1,300人による圧巻の「神戸まつり音頭」の総踊りが、

 神戸まつりの前半を彩る各区の行事などが19日、神戸市内各地であった。快晴の下、20日は、神戸・三宮のフラワーロードを中心にメインフェスティバルを開催。神戸市婦人団体協議会による「神戸まつり音頭」の総踊り、サンバなどのおまつりパレード、東日本大震災の被災3県の物産展、神戸の地場産品を販売する「おまつり広場」などがあります。

 地元の「サンTV」かな~  報道カメラマンなどが忙しそうに立ち回っています

 フラワーロードでは、広い路上をステージに見立ててパレード開始、熱気あふれるパフォーマンスが繰り広げられます。親子揃って参加です。

 若いお嬢さん方が、何を演技するのかな?

 至る所に、パレード会場や物産展へ足を運ぶ人たちでいっぱいです。

 沢山の屋台も出て美味しいものを食べながら「神戸まつり」を楽しんでおられます。

 ぐるぐる回って、「サンバストリート」にやって来ました。

 例年神戸まつりといえばサンバが有名ですが、2012年の神戸まつりのサンバはどうなのでしょうか?

 皆さん、神戸まつりの 2012に向けてずっと練習してきたのでしょうね。

 神戸のサンバも有名になりましたが、さすがに神戸まつりといえど、本場のリオのカーニバルには負けるでしょうね~

 各地のサンバチームが親子で参加して楽しまれている人も

 プロポーションの調整や維持には相当気を使ったのではないでしょうね、参加するにはちょっと度胸がいるかな?

 それに加えてこの衣装も大変でしょうね、自分で衣装は作るのかな~

 神戸まつりのサンバを踊っている人も、見ている人も楽しいひと時です

 神戸まつりのパレードに一般参加するためのサンバスクールと神戸サンバチームのパターンメンバーになるためのサンバスクールが行われます。

 神戸まつりに欠かせないものは、2012年もやはりサンバパレードを見に、今年も笑顔いっぱいで 神戸サンバを踊っています。

 京町筋で行われる「サンバストリート」では神戸サンバチーム等のサンバダンサーの華やかなコスチュームを目当てにカメラを持った多くの観客で賑わいます。この人迫力ありますね

 可愛いお子さんたちが、サンバを

 「サンバストリート」では、神戸サンバチーム等のサンバダンサーの華やかなコスチュームを目当てに、老若男女の人々がカメラを構え撮っています。

 参加している若い人は、楽しそうにサンバを踊っています。

 サンバは見ているだけでノリノリな気分になってしまいます。ダンサーの満面の笑顔でサンバを踊っていますね、

 日伯協会・神戸ブラジル協会チームも参加してのサンバです。

 サンバのパフォーマンスをする参加者たちは「神戸まつり」を楽しそうに過ごしています。

 東遊園地にある「花舞台」では、海峡連の阿波踊りが

 時間を見て食事をしていると中国蘇州市の代表団の催しが

 ゆっくりと見る時間がないのでPM1:00過ぎには、会場を後にこれからが本番ですが残念です。帰る間際に「神戸市民祭協会・おまつり大使」が乗ったオープンカーがバイバイ~
次回をお楽しみに  では またね

傘堂  2012.05.16

2012年05月20日 20時59分06秒 | 歴史・遺跡・伝説


 所在地  傘堂     奈良県葛城市染野新山

 二上山の東麓、當麻山口神社の鳥居北側に傘堂があります。當麻山口神社は往古より近郷十六ヵ村(當麻・大橋・西中・勝根・今在家・染野・市場・岡村・大中・有井・神楽・築山・大谷・池田・野口・鎌田)の郷土鎮守産土大神として広く崇敬、信仰されてきた旧指定郷社です。

 並んで建つ墓碑は向かって右が「吉弘統家」、左は「藤懸玄達」のもの。傘堂は大池の工事に尽力した人々の供養塔です。

 この建物は江戸時代前期に大和郡山藩主本多政勝の菩提を弔う為にその家臣吉弘統家(よしひろ・のりいえ)が延宝2年(1674)に建てたものです。吉弘と言う姓は大友氏の一族で国東郡武蔵郷を治めていた豪族の姓です。傘堂は左甚五郎が造ったと伝えられ大池の東畔にあり、奈良県指定の有形民族文化財に指定されている。一辺40cm余りの方柱の上に方形造りの屋根をのせてあるような、珍しい形で、本瓦の屋根の頂上に瓦製の宝珠露盤をのせています。

 傘堂の軒裏に位牌を納める厨子が見えます。位牌は現在、新在家・染野・今在家の三カ大字の寺が順に輪番で保管の任にあたっています。現在、傘堂弥陀は石光寺にあり、明円寺にある鐘はこの堂に釣ってあったものです。現在、傘堂弥陀は石光寺にあり、明円寺にある鐘はこの堂に釣ってあったものです。 傘堂に三度祈願すれば、長い病による下の世話をひとにかけず、自分も苦しむことなく、また、命終わるときは雨が降らずこれまた人に迷惑をかけないとの伝承があり多くの人が訪れます。

 葛城市染野の傘堂において、新在家・染野・今在家の三カ大字による「傘堂のセガキ」(大池の施餓鬼)が営まれました。毎年八朔の日に三カ大字の役員の方たちが集まり、敷地内の二基の墓碑の前に本多正勝候の位牌を据え法要を行うもので、地元では「八朔の法要」とも呼ばれています。珍しい柱1本だけでその上に屋根を乗せた形の風変わりな建物ですね。
次回をお楽しみに  では またね

岩屋と岩屋の千年杉  2012.05.16

2012年05月19日 09時17分52秒 | 歴史・遺跡・伝説


  大阪府南河内郡太子町山田

 二上山の尾根上は府県境界で、二上山と竹内峠を繋いでいて、岩屋峠で、馬の背方面は直進、右に行くと祐泉寺方面に行きます。松尾芭蕉も何度も通った峠で、岩屋峠の案内板に沿ってここを少し下ったところに岩屋と岩屋杉があります。

 その先の、岩屋の前に杉の大木が横たわっています。以前は雌岳中腹にあって岩屋杉と呼ばれていたといわれ、根周りは8mもある杉の大木は、その名を岩屋の千年杉と言われていたが、平成10年の台風で倒れ、今、この岩屋の前に岩屋杉が横たわっています。

 岩屋杉は、根回り約8m、幹の周り5.8m、高さ28mもあった老杉です。「岩屋杉」の名は、背景に奈良時代の石窟寺院跡があることから名ずけられました。楠木正成が二上山に砦を築く数年前に既に芽を出していたようですよ!

 すぐ側には、奈良時代の石窟寺院跡の「岩屋」があります。

 凝灰岩の岩窟には中央部に三重の石塔を残して、北壁に三体の仏像がうき彫りされています。寺の起源等、歴史は不明で、間口7m,奥行き5m,高さ6mの石窟などは、昭和23年に国の史跡に指定されました。

 奈良時代,藤原不比等の孫にあたる藤原豊成の娘であった中将姫(ちゅうじょうひめ)は継母に嫌われ命まで奪われようとしていたが,それに負けることなく写経や読経を続けていた。千巻の写経を終えた16歳の時,中将姫は二上山に沈む夕日から阿弥陀如来の姿を見た。當麻寺を訪れた姫はここで尼僧となる。そして,極楽浄土の光景を五色の糸によって織り上げた。これが當麻曼荼羅(たいままんだら)であり,本尊となっているようです。

 「岩屋」の中に、「半夏生」という薬草が沢山生えていましたよ。
次回をお楽しみに  では またね

大津皇子の墓と葛木坐二上神社  2012.05.16

2012年05月18日 08時44分31秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  奈良県葛城市加守 二上山雄岳山頂付近

 天武天皇の子で謀反の疑いをかけられ自害させられた大津皇子の墓があります。大津皇子の墓は宮内庁が管理していて、ひっそりと静まり返った雄岳山頂付近にあります。

 大津皇子は天武天皇の第3皇子で,母は天智天皇の長女の大田皇女(おおたのひめみこ)。大田皇女は持統天皇の姉にあたり、大津宮では天智天皇に愛されて育った。風格もよく,言語明朗,漢詩文を好むなど学問好きであった。成長するに従い,才能が開花していく。特に文筆に秀でたものがあったといわれ、683年2月1日,大津皇子が21歳になった時,初めて「朝政(ちょうせい:みかどのまつりごと)を聴こしめす」と日本書紀にあることから,天武天皇政権の中心的な立場で政治の指示を出す役割を持っていました。

 天武天皇の第3皇子であった大津皇子は、人物的にも優れた人物でした。しかし、天武天皇が崩御して間もなく、謀反を企てたとして処刑されてしまいます。もはや真実は不明ですが、皇位を争う形となったライバル・草壁皇子の母は鵜野讃良皇后(後の持統天皇)であり、我が子を皇位につけたいがための策略だったという説もあります。この事件の後、処刑された大津皇子は別の土地に葬られましたが、そのたたりを恐れ、二上山へと埋葬し直されたのだそうです。大津皇子が育った大津宮近く近江神宮には天智天皇が祀られています。

 少し離れたところに二上神社が、創建の年代等は不詳ですが二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられます。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述であり延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列しています。

 現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、ちょっと覗いてみると内部には小さな榊の御神体があります。元々は二上山の雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたようで、干ばつの時は、岳郷の人々によって雨乞いが行われました。

 ちょっと近寄りがたいですが、何でしょう? これは経塚かな?経塚は末法思想の流行に伴って経典を後の世に残す理由などから、書写した経典を地中に埋めたものだそうです。足を延ばして次へ
 次回をお楽しみに  では またね 

志方町のルピナスが見頃に  2012.05.15

2012年05月15日 16時42分51秒 | 季節のたより


  所在地   横大路のルピナス    兵庫県加古川市志方町横大路612-3

 今日の神戸新聞の朝刊にこの記事が載っていましたので、小雨が降る中、車を走らせました。入園は無料で駐車場も無料です。

 加古川市志方町横大路の休耕田に4年前からまちづくり協議会の人たちが、ボランティアで地元のにぎわいに役立てようと栽培し始めたようです。

 一面、休耕田に咲く、別名、昇り藤とも呼ばれるルピナスと背景には播磨富士と呼ばれる高御位山(たかみくら)が見えます。

 色鮮やかな花が連なって咲き、やりを立てたように見えるルピナスが、兵庫県加古川市志方町横大路で満開を迎えています。休耕田に栽培し、今年で4度目の開花。地元のまちづくり協議会が、地域のにぎわいにつなげようと「ルピナスまつり」を初めて開き、地元産の米や野菜の販売もしているようです。

 ルピナスはマメ科の植物で、花がフジに似ているので「ノボリフジ」とも呼ばれています。豪華に見える花ですね。

 2千平方メートルに約5千株を育てた。赤や桃、白、紫など色とりどりの花が垂直に伸びて、小雨が降る中を人々の目を楽しませています。

 神戸新聞の朝刊に記事が載っていたこともあって遠方からも観賞に訪れる人気ぶりですね。

 小雨が降るのに、多くの人がルピナスを見に来るのは新聞記事になったおかげでしょと地元の方が、

 地域の景観づくりや休耕田の解消など、今後も栽培を続けていってもらいたいものですね。

 加古川市の志方はコスモスやひまわりに菜の花、マリーゴールドと休耕地を利用してお花のお祭りが多いんですね。
 次回をお楽しみに  では またね

氷上町・一宮神社のキリシマツツジ  2012.05.11

2012年05月12日 21時54分25秒 | 神社・寺院


  所在地  一宮神社   兵庫県丹波市氷上町上成松

 氷上町の一宮神社は、享保10年頃 ( 1720年代の中頃 ) に創建されたたもので、境内には鮮やかなキリシマツツジが群生しています。推定樹齢が200年以上という古木をはじめ数十株が社殿を覆いつくさんばかりに咲き誇りますが、

 神社の入口の石段の途中には鉄の扉があり、イノシシが入らないように閉められていますが、自由に開けて入ってもかまわないそうですが、長閑な地方では、イノシシや鹿による農作物の被害を無くすため防護策として行われているようですね。

 地元の人が、今年は寒い日々が続いたので桜の開花が遅れ、気温の変動で「キリシマツツジ」が早まったそうで、連休の頃が見頃だったそうです。

 社殿を囲んでいる緑色の木は全てキリシマツツジなのだ、これが全部咲いて境内を埋め尽くした様子を是非みたいものでが、「キリシマツツジ」の開花の見頃は終りのようです

 歴史のある、一宮神社の社殿を囲むよう、枝がよくのび、古木では高さ3m近いものもあります。花は直径2~4cmと小さく、ほとんどのものが鮮やかな朱色をしているはずですが、迫力が少しかけます。

 灯籠とキリシマツツジが合いますね。

 本殿の後ろの山々にも沢山のキリシマツツジが、

 あれあれ 変わった狛犬が

 キリシマツツジの満開の時期には、境内が朱色に染まり見事なものでしょうね。

 鮮やかな朱色をしているキリシマツツジが目に浮かぶようで、見頃の時期に来られませんでしたが、次回は是非見たいものです。
次回をお楽しみに  では またね

白井大町藤公園の藤が見頃に  2012.05.11

2012年05月11日 20時08分47秒 | 季節のたより


  所在地  白井大町藤公園    兵庫県朝来市和田山町白井

 朝から天候が不安定で兵庫県北部に行くにつれて、時々雨模様がある中、京都府にほど近い兵庫県朝来市和田山町の山間にある山陰一と言われる白井大町藤公園に到着です。天気が悪いのに駐車場には多くの車が来ています。

 藤棚の幅は4m、藤棚の総延長は500m、ここ大町藤公園は、平成8年、地区民のボランティアが近くの山々から、藤の苗木(台木)を150本採取し、岡山県和気町より譲り受けた、藤の穂木を接木して育てたようです。駐車料は無料で、入園料は大人¥300です。

 藤の花が見頃を迎える5月初旬には藤まつりが開かれ、山間には鯉のぼりが泳ぎ、餅つきなど多彩なイベントが開催されます。例年、藤の花の見頃は4月下旬~5月上旬頃です。藤まつり期間中は藤棚のライトアップも行われます。

 公園面積7000平方m、藤棚総延長500mの山陰随一の藤公園。幅4mの藤棚は、最長1m45cmにもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が谷風に揺らぎ見事です。

 満開時の白井大町藤公園の藤棚は見事で、大勢の観光客が訪れる藤の名所です。

 今は、咲いていませんが、堤防にはピンクの芝桜に大町池の文字が書かれ、空に泳ぐ“こいのぼり”、「田舎風景」を満喫できます。

 藤が咲く先には大町大池があり、ちょっと登っていくと堤防は長さ111.8m、堤防の高さは25.5mで、ここより藤公園を見下ろします。

 白井大町藤公園には、灌漑用溜池の大町池があり堤防の斜面には1万3千株の芝桜と4万株の水仙が植えられておりますが、開花も終り、今は、沢山お鯉のぼりが泳いでいます。

 普通の藤と違う、ピンクかかった藤が咲いています。ちょっと まだ 丈が短いようです。

 公園中央の池には噴水があり、回廊状の藤棚の日陰では、藤の花を見ながら弁当を広げる人、周りの風景を眺めている人、写真を撮る人、おしゃべりを楽しむ人など大勢の人が、

 公園中が藤の香りで包まれ藤棚に近づくと花の香りがましてきます。

 ここには、白い藤に花が、これは珍しいですね

  紫の藤は満開で藤棚の下を通ると手が届くぐらいまで伸びているものもあり九尺藤は1mを超えるものもあるので もうすぐで地面に付き添うかな?

 藤の花が長いものでは、暖簾を掻き分けるように九尺藤を掻き分けて

 藤の花を見ながら藤棚の下を歩くと、頭上から花のシャワーを浴びているようで、独特の甘い香りにうっとりしてしまうようで、

 時間が経つにつれて、県内外から大勢の見物客が藤を見学に来られる人々が多くなり私も これで帰ります。
 次回をお楽しみに  では またね
 

隆国寺の牡丹が見頃に  2012.05.07

2012年05月09日 08時00分51秒 | 季節のたより


  所在地  隆国寺   兵庫県豊岡市日高町荒川22

 スキー場で知られる神鍋高原に位置する、隆国寺は関西花の寺二十五ヶ所のひとつに数えられ、寺の代名詞ともなっている牡丹が咲き誇るぼたん苑があります。

 この三門(山門)は、三たん随一(但馬・丹後・丹波)と称される山門は、享和2年(1802)に再建されたものです。楼上には釈迦三尊(釈尊・文殊・普賢)と十六羅漢が祀られ、来山者の邪心を払い、仏心を堅固にするとともに、 寺全域を守護しています。

 隆国寺のご住職さんが園長先生を勤めてらっしゃる保育園で毎年行われています、花祭り、「のんのんさま」に(仏様)手を合わすことを習慣つけるなど非常にいい教えをされております。この象さんを引っ張って保育園から隆国寺まで行列するようです。

 この本堂は、寛政4年(1792)に再建されましたようで、曹洞宗様式の清楚なたたずまいで、 平成元年(1989)に芽葺寄棟造から銅板葺入母屋造の屋根に改修されました。本尊観世音菩薩さまをお祀りし、岸派の襖絵が堂内を荘厳しています。境内を廻るまえに、 まず本堂内に入ってみます。

 隆国寺は、室町時代の開基で、山名の四天王筆頭といわれた垣屋播磨守隆国公の菩提寺と伝わっています。 実質開基ともいわれる光成公は、策彦周良和尚から、天正4年(1576)に「悦岩」道号記を授かっています。策彦和尚は遣明使節団の団長もつとめており、中国から持ち帰った牡丹を和尚から道号記とともに贈られたのが、 隆国寺と牡丹の縁の始まりといわれています。

 「幸のとり観音さま」が美しくお色直しして帰ってこられました。夢のような美しい衣装を身にまとわれ子宝・幸せ運ぶ「こうのとり観音」です。

 隆国寺はボタン寺と形容されるほど春には牡丹の花が無数に咲き乱れ、境内と言うよりは日本庭園と呼ぶにふさわしい牡丹園には約70種1000株を超える牡丹が栽培されています。

 天保年間の飢饉で人々が苦しんだ時、寺の米蔵を開いて救済しました。人々はすさんだ心に豊かさを取り戻そうと庭園を造り、“富貴の花” と呼ばれるボタンを植栽。以後代々の住職が丹精込めて育ててきました。

 本堂を左から回って行くと、「ぼたん苑」が、

 ぼたんの花が次々に開きし、新緑とともに境内を荘厳しています。今が見頃のようです。

 本堂の裏の内庭園にも多くのぼたんが咲いていますが、こちらに来るのは初めてです。
 
 散策順路に沿って歩けば、綺麗なぼたんの花が次々と見られます。

 広い境内の至るところに咲き誇る大輪の牡丹は様々な色、形、咲き方を楽しめます。

 牡丹が咲く向うに鐘楼が

 境内と言うよりは日本庭園と呼ぶにふさわしい牡丹園には約70種1000株を超える牡丹が栽培されています。

 総門から右手に広がる牡丹園はことのほか有名で、「但馬の牡丹寺」と、古くから親しまれている。総門の左手はツバキ園になっています。

 牡丹が豊麗に咲き誇り、「ぼたん苑」はまさに花浄土です。牡丹の花は、大輪で素晴らしいですね。

 左右には回廊がめぐらされ、禅寺ならではの凛然たる雰囲気が漂っています。牡丹の花も綺麗です。

 ちょっと鐘楼まで石段をあがり、上から境内の牡丹が展望できます。

 隆国寺は、牡丹の他にも、ツバキ、桜、花水木、石楠花、藤、ドウダンツツジなどが古刹の春を彩ります。例年牡丹の花の見頃は4月下旬~5月上旬ごろで、また秋には萩の花、もみじ、ドウダンツツジなどの紅葉も美しいお寺です。
 次回をお楽しみに  では またね

 

白毫寺の九尺藤が見頃に  2012.05.07

2012年05月08日 13時28分18秒 | 季節のたより


  所在地  白毫寺   兵庫県丹波市市島町白毫寺709

 白毫寺は天台宗に属するお寺です。創建は705年、丹波や播磨地方に多くのお寺を開いた法道仙人が開基とされています。白毫寺は別名五大山とも呼ばれていますが、これは法道仙人がかつて中国の五台山で修行をしたことや、周囲の風景が中国五台山に似ているところからこう呼ばれるようになったそうです。

 画面の向うに、人間の世界と仏の世界を結ぶといわれる太鼓橋の架かる心字池には、数百尾の鯉が群れる。四月の桜にはじまり、これから藤、セッコク、睡蓮、ハスと四季の草花が楽しめます。

 五月初旬には、白毫寺とお隣の近藤フジ園の「九尺藤」が見事な花を咲かせます。長さ120mの藤棚から150cmにも伸びた無数の花房が、シャワーのように垂れ下がる姿が美しいです。

 ここの藤は、木そのものはそれほど大きくありませんが藤棚の総延長が120mもあり、その見ごたえは充分にあります。今が見頃かな~イヤイヤ 「私の好きな兵庫の風景100選」にも選ばれる九尺藤の花の見頃は、例年4月下旬~5月中旬頃で、白毫寺では、藤の花の開花期には九尺藤まつりが行われ盛大ににぎわいます二、三日先かな~

 藤の花に大きなクマバチ(どんぐりバチ)が蜜を求めてあちこち飛んでいます。この種の蜂は雌しか針を持っていないようです。

 九尺藤は現住職さんが土作りから非常に手間を掛けて育ててきたものだそうです。それを町おこしに利用しようと地元の方々と協力して現在のような見事な九尺藤に育て上げられたそうです。

 下から覗くと、ちょっと幻想的なな藤の花を見ることが出来ます。

 少し高いところから見ると また 違った風景が見ることが出来ます。

 今の藤の長さは、50cm~80cm位の大きさかな?

 まだまだ 藤の花が長くなるんでしょうね、時間が経つにつれて藤の花の写真を撮られる人が増えてきています。

 藤の花が垂れ下がり地面に付くほどになるんでしょうね。そうすると今より迫力があるでしょう。

 薬師堂です。種類が違うのか「モミジ」が赤く染まり、秋を思わせる光景です。

 太鼓橋を渡ると石段があり、その上には総本堂の「薬師堂」があります。本尊は、薬師瑠璃光如来(秘仏)で、人々の様々な悩みや苦しみを救って下さいます。本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたため「白毫寺」と呼ばれるようになりました。

 お寺の境内には色んな珍しい花も植えられており、九尺藤の花の見頃は、例年4月下旬~5月中旬頃で、白毫寺では、藤の花の開花期には九尺藤まつりが行われ盛大ににぎわうようです。

 境内では、毒蛇をも食べることから仏教の守護神とされる孔雀が飼育されており、昼近くになると見事な羽根を広げるようです。
 次回をお楽しみに  では またね