hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

伝説の栗花落(つゆ)の井  2015.01.21

2015年01月21日 13時46分40秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地    栗花落の井     神戸市北区山田町原野札場

 栗花落の井(つゆのい)は、山田の里の原野地区にある。山田道から、車一台がかろうじて通れる道を入って行くとありますが、車を止めることが出来ず。原野公会堂前に止めさせてもらいました。

 柵(さく)に囲まれ、何だか他所の土地に入るようですが、案内板があるので、それに従い入っていきます。

 ここは8世紀に淳仁天皇に仕えていた矢田部郡司の山田左衛門尉真勝の屋敷跡と伝えられており、庭の片隅に兵庫県指定史跡「栗花落の井」の標石があります。

 丹生の山田に住む男性・真勝は47代淳仁天皇(758~764在位)に仕えていたが、左大臣の次女-白滝姫をみそめました。その思いが伝わらないことを知った天皇は二人を夫婦にしました。真勝は喜び姫を山田へ連れ帰ったという。しかし結婚後3年、子1人を残してなくなったので、その邸内に弁財天の社をたてて姫を祀ったのがはじまりと伝えられる。

 その墓の前に泉が湧き出します。毎年5月、栗の花が落ちる頃になると清水が湧き出し、秋になると止まるという不思議な井戸があると伝え聞いた天皇は、真勝に「栗花落」という姓を与え、井戸も「栗花落の井」と名付けられたと言います。

 お堂の下に「栗花落の井」ありますが、長方形の石組みがある井戸は、さほどの深さもないです。しかし毎年梅雨のころになると必ず清水がわき出し、どんな日照りでも秋までかれることがないというのは、不思議な話です。原野地区では昭和初期まで生活用水に使っていたようです。
真勝から白瀧姫へ送った恋歌
「水無月の 稲葉の末もこかるるに 山田に落ちよ 白瀧の水」
白瀧姫から真勝への返歌
「雲たにも かからぬ峰の白瀧を さのみな恋ひそ 山田をの子よ」
次回をお楽しみに では またね


初春の清荒神へ  2015.01.12

2015年01月12日 21時46分40秒 | 神社・寺院

  所在地   清荒神   兵庫県宝塚市米谷字清シ1

 今年初めての「荒神さん」へのお参りです。清荒神清澄寺へのお参りは、ここ阪急宝塚線「清荒神」駅から始まります。

 途中には、祓禊橋(みそぎばし)があります。橋は、明治44年に設置されました。 橋ができる前は参拝の為に荒神川まで降り身体を清め、荒神さんにお参りしていた事から 現世と神聖なる場所との境界とされていました。 現在は、この橋を渡る事が御祓の代わりとなっております。

 参道の距離は、約1kmほど歩く30分位のゆるやかな坂道です。参道の形は龍が天に昇る様を表していると言われ、左右には200店舗ほどの店が立ち並び楽しみながら歩く緩やかな坂道ですので、散歩道としても最適です。

 駅前より山門までは、店舗と露店が立ち並び、食べ物類から衣類や日用雑貨、土産物、園芸用品、骨董品等に至るまで、ありとあらゆる品物が揃っています。門前町の風情をかもし出しています。山門が近づいてきました。

 山門をくぐり石段を上がります。

 境内には初詣が過ぎているのに、この人手です。

 天堂(拝殿)には、三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。聖天さまは仏教守護の神として、祈れば富貴を与え病を除き、夫婦和合・子を授けると言われています。近隣地域では、「荒神さん」と呼び慣わされ、「かまど神」の一種として、ここで受け取ったお札を台所の神棚に祀るなどの信仰が根付いています。私も「かまど神」のお札を頂きました。

 ご本社の背後には、当山開創に際し、荒神様がお姿を現されたと伝えられる「荒神影向の榊」があります。天堂から本堂へは山腹につけられた石段を上り下りしますが、その途中に一社があります。明治時代の或る夜、当山先師忍随和上と光浄和上とが、同時に稲荷明神の霊夢を見、ここに新しく祀ったものと言われています。

 石段を上りきると、山門からの正面に南面して本堂・霊牌堂と練行堂の三棟からなっているのが見られます。 本堂は、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されて今日の姿となりました。

 石階段を降りると、そばには、一願地蔵尊は金銅製の巨大な立像で、頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。

 一願地蔵尊の横を進んで行き、鉄斎美術館に向かって右の川に沿って奥へ行くと滝があります。「龍王滝」と言い、滝の正面左の岩肌に不動明王をお祀りしています。道の突き当りには十三重の供養塔があります。

 ちょっと見にくいですが、これが不動明王です。上の写真で判りますか?

 お参りした後は、今来た参道の店で、みやげ物を買い「清荒神」駅へ
次回をお楽しみに では またね


明石の名前の由来伝説  2015.01.05

2015年01月05日 11時26分41秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   赤石由来伝説    兵庫県明石市松江113

 明石の名前の由来の一つに赤石伝説がありますが、松江公園からすぐ東に、小さな川がある所から砂浜に下りる所にあるようですので、松江公園に車を止めて探してみます。

 今日は、天気もよく海は凪いで気持ちが良いです。東の向こうには明石海峡大橋が見えます。

 西側を見ると、「鹿の瀬」方面には海苔を採取る時期ですので、船が出て長閑な風景です。松江の海岸から15mほど行った海の中に長さ1,2m、幅1,5mの大きな赤い石があったと言われています。名漁場「鹿の瀬」の由来も赤石伝説からきているようです。

 林崎松江海岸の遊歩道の東屋に石碑が、松江の海岸から15mほど行った海の中に長さ1,2m、幅1,5mの大きな赤い石があったと言われています明石の民話は「おささ」と言う雌鹿が主人公です。かの太閤殿下豊臣秀吉も見に来たと言われる赤石で、昔はこの石を見る為にたくさんの人が訪れたそうです

 昔明石の林崎に「おささ」と言う雌鹿が住んでいました。おささは小豆島に住む雄鹿と夫婦として海を渡って通い合い、仲むつまじく暮らしていました。ある日漁師が船を出し夢中で漁をしていた所、その時美しい一人の娘が現れ「私を林崎まで乗せてください」と頼んできた。その美しい姿に怪しさを覚え一度は断ったが結局乗せて嵐のなか必死の思いで林崎まで辿り付いた時、漁師が振り返るとそこにいた筈の娘はおらず、一匹の白い鹿がいた。漁師は驚き、うろたえ持っていた小刀で鹿を刺し海に流した。すると青い海は真っ赤に染り、その日から嵐はおさまらず、ずっと続きました。

 しかし「白い鹿は赤石となって怨んでおるぞ早く弔ってやれ」と神のお告げがあり、その翌朝、漁師は鹿の冥福を祈るため「雌鹿の松」と名づけた小さな松を宝蔵寺に植えました。すると嵐はピタリとやんだようです。この松は昭和20年の空襲で焼けてしまい、現在は二代目が宝蔵寺に残っています。ここがその宝蔵寺です。
 次回をお楽しみに では またね

楠木正成公を祀る湊川神社へ初詣  2015.01.02

2015年01月03日 08時55分31秒 | 神社・寺院


  所在地   湊川神社    神戸市中央区多聞通3丁目1―1

 湊川神社(みなとがわじんじゃ)は、初詣でお参りするのは久しぶりです。楠木正成を祭る神社で、地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社です。

 時間が経つにつれて楠公(なんこう)さんの愛称で親しまれる湊川神社は人出が多くなってきました。1872年(明治5年)の創建で、足利尊氏の軍を兵庫湊川で新田義貞・楠木正成らが迎えた湊川の合戦で戦死した建武中興の忠臣・楠木正成を祀りしています。

 表門をくぐって参道を直進するとコンクリート造の社殿です。明治五年、素木造の社殿が建てられましたが戦災によって焼失したため、昭和二十七年に再建されたものです。

 湊川神社は、 旧別格官幣社で祭神は主祭神として贈正一位橘朝臣正成公(大楠公)を祀り、大楠公夫人・正行卿・正季卿以下一族殉難将士の霊を配祀しています。

 御墓所には徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘(せいざんそう)に隠居(いんきょ)された後も、大日本史の編纂(へんさん)を行うなど活躍され、正成公をひたすらお慕いされて墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立されました。これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績をのこされました。此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑(しょうとくひ)は、徳富蘇峰(とくとみそほう)の文によるものです

 境内の右側には、もともと当地が、楠木正成公一族の終焉の地でありましたが、水戸光圀が、その荒廃を嘆き、元禄五年(1692)、「鳴呼忠臣楠子之墓」と自書した墓碑を立てた菩提所であり、明治元年(1868)明治天皇の勅によって創祀された神社です。

 墓碑は亀の背に乗っていますが、この亀は、正確には亀に似た伝説上の生物「贔屓」だそうで、龍の子で、重たいものを背負うことが好きな生物のようです。「贔屓する」の語源といわれています。

 湊川神社は、他と比べて、物凄く新しいです。生田さん、長田神社は、古代弥生時代創建で、神話の時代から鎮座まします。湊川神社の入り口正面(南側)に建つ表門の右側に「大楠公御墓所」へ行く入口があります。湊川神社拝殿へと続く参道は初詣で、人出がいっぱいです。三が日で初詣に来られる人はどのくらいかな?
 次回をお楽しみに では またね

生田神社へ初詣  2015.01.02

2015年01月02日 13時56分37秒 | 神社・寺院


  所在地   生田神社    神戸市中央区下山手通1丁目2―1

 生田神社は、繁華街の真ん中にある神戸の地名の由来になった神社で、東急ハンズの裏にあり、神戸を代表する繁華街の中で一際強いパワーを持つこのスポットには、毎日多くの人々が、絶える事なく参拝をしています。

 生田神社では、午前零時に楼門が開門し、宮司が新年を告げる太鼓を打ち、楼門上からも神戸太鼓が打ち鳴らされ新年を迎えます。

 生田神社で売られているお守りは多種多様で、特に皇室に献上する干支土鈴の授与は人気のお守りです。生田神社境内の松尾神社にある杉の木に向かい、恋愛成就の願い事をすると願いが叶うとのいい伝えから「縁結びの神様」としても親しまれ、男性は白、女性は赤の「縁結びのお守り」を購入すれば結ばれるといわれています。

 拝殿前に行き初詣のお参りです。
御祭神は、稚日女尊 (わかひるめのみこと)で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の和魂(にぎみたま)あるいは妹神と伝えられ、若くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長を御加護する神様です。

 生田神社はその御名の通り「生きた」「生まれた」と読めることから、昔から健康長寿の神、又御祭神が稚日女尊(わかひるめのみこと)若く瑞々しい太陽の様な女神様と伝えられ、初宮まいりや七五三まいりなど子供の健やかな成長を祈る家族、親族等多くの人々で賑います。

 「生田の森」は本殿後方にある鎮守の杜で、古(いにしえ)は旧生田川にまで及ぶという広大な森でした。軍事的な要衝であったたため、たびたび歴史的な合戦の舞台になりましたが、寿永3年(1184年)の源平の合戦は特に有名です。

 これは生田の森の西入口にあるクスノキで、幹周5m以上あるようです。こんな大きなクスノキが3本ほどあります。

 生田神社に納められた酒樽です。神戸は清酒の有名なところですもの~

 「梶原の井」
一名「かがみの井」とも云われ、壽永の昔(八百年前)源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる。別説では景季がこの井の水を掬った時、咲き盛った箙の梅の花影が映ったとの伝もあります。

 時間がたつにつれて多くの人が初詣に、生田神社の初詣は、お正月の3が日で兵庫県最多の初詣客が訪れる人気の初詣スポットですが、今年は、どのくらい初詣客が訪れるのかな?
 次回をお楽しみに では またね

大蔵海岸の初日の出  2015.01.01

2015年01月01日 09時34分33秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    大蔵海岸      兵庫県明石市大蔵海岸通1丁目

 平成27年 元旦 あけましておめでとうございます。
今回は、少し場所を変えて明石市の大蔵海岸へ初日の出を参拝しょうと出かけました。昨日は、夕方から雨模様で心配、夜が開け空を見ると少し星空が見えるので車を走らせました。AM6:57

 大蔵海岸につくと、寒いのにこの人出です。初日の出のスポットとしてはいい場所です。AM7:18

 明石海峡大橋の向こうには、大きな雲がかかり見えないかもしれません。AM7:20

 初日の出が見える、明石海峡大橋の上は、雲が一杯で見ることが出来ないようです。AM7:24

 明石の大蔵海岸から見る、初日の出が残念ながら雲の合間から光が差してきましたが、見ることが出来ませんでした。来年の初日の出も、ここ大蔵海岸で参拝したいものです。AM7:25 良い年でありますように~
 次回をお楽しみに では またね