所在地 太寺廃寺塔跡 兵庫県明石市太寺2丁目
JR明石駅から太寺方面のバス道を進み、「コープミニ太寺」前を左に曲がり「太寺2丁目」バス停前に「菅公旅次遺跡」があります。
高家寺の近くにはこんな石碑が、菅原道真が京都から九州・大宰府へ流される途中、この地で逗留したことを記念して建てられた石碑だそうです。京都から淀川を経て海路で大宰府を目指していた道真一行ですが、和田岬で時化に遭ったために須磨から陸路を辿りました。この旅次遺跡だけでなく、綱敷天満宮や板宿八幡神社など、須磨から明石にかけての地域に残された道真にまつわる史跡を辿っていくと、古代の道が見えてくるような気がします。
「菅公旅次遺跡」から200mほど歩くと高家寺があります。実は太寺の跡地に建てられた寺院なのです。
早くより太寺は廃寺となりました。現在は江戸時代、明石城主小笠原忠政(のち忠真)によって再興された天台宗太寺山高家寺があります。隣接する幼稚園があるので中に入らず外からの写真です。
境内に入ることはしませんでしたが、南東隅には、現在も太寺廃寺塔跡の土壇・礎石・心礎が残されており、太寺は白鳳(はくほう)期(7世紀後半~8世紀初)に造営された寺院の名ですが、早くより廃寺となりました。寺の境内からは奈良時代~江戸時代の瓦が出土しており、奈良時代以降、数度にわたる改修を受けていたことがわかります。
次回をお楽しみに では またね
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