所在地 宮本武蔵決闘の場 兵庫県佐用郡佐用町平福
「道の駅宿場町ひらふく」の手前 平福の町の端に「宮本武蔵決闘の場」があります。
旧因幡街道の通る平福町並みの南端の位置から望んだところです。
宮本武蔵決闘の場の碑があります
剣豪武蔵は天正12年(1584)に母の於政と死別、その後、父の無二斉が利神城主の
別所林治の娘よし子を後妻を迎えたので、武蔵はこの義母に育てられ武蔵7歳の時 父が死去
義母は武蔵を残して平福に帰り 田住正久の後妻となった 武蔵は義母の後を追い その叔父
正蓮庵の道林坊にあづけられ 薫陶をうけ道林坊の弟、長九郎に武芸を学び武蔵13歳の時
「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし われこそ日下無双兵法者なり」という
新当流の達人で有馬喜兵衛の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ
一刀のもとに倒したといわれています。
新金倉橋です
旧金倉橋は因幡街道に架かる橋で、大名行列や行商人・伊勢参りや町籠・商人籠
物資の運搬などで賑わいました。平福横坂間に新道が出来 そ用途を終えました。
金倉の六地蔵
この六地蔵は、江戸時代 平福藩刑場跡として伝えられ その供養のために建てられたと
考えられます。 同所に元禄9年(1698)に建てられた「南無阿弥陀仏」の念仏碑が
あることから、同時期のものと想像されます。
因幡街道に架かる、旧の金倉橋は現在の橋のところを過ぎ 刑場の南側まで因幡街道が続き
そこより 旧金倉橋が向う岸に架かっていたようです。
金倉橋を渡り 宮本武蔵決闘の場を望んだところです。
のどかな一人旅いいですね
次回をお楽しみに では またね