hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

神戸港に「護衛艦・ひゅうが」が初入港  2012.09.26

2012年09月29日 21時23分58秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


 所在地  神戸ポートタミナール      神戸市中央区新港町

 ポートアイランドと神戸大橋で結ばれた新港第4突堤。まさにポートアイランドの玄関口に神戸ポートターミナルホールがあります。

 1922年(大正11年)に竣工。長さは649m(東側岸壁)と589m(西側岸壁)で水深12mから10mのバース6つを備えており、10万トン超級の客船の接岸に対応、5万トン級程度の客船なら同時4隻の接岸に対応できます。次回、来たときは、世界第6位の大きさを誇っている(2012年現在)、ボイジャーオブザシーズ(大型客船。総トン数138,000トン)入港で、今回は日本の護衛艦「ひゅうが」初入港です。デッキから見える護衛艦です。

 デッキから1階へ行きましたが警備の方が居るので入れず。

 新聞情報では、9月25日に入港、9月26日昼過ぎに出向の記事が、改めて警備の方に出港する時間を聞くとPM4:00に出港とのこと、

 4時間も待たなければいけないのか~ 再度 デッキに

 護衛艦の後方に回ってみました。「ひゅうが」と表示していました。後姿はどうみても船には見えないね

 護衛艦「ひゅうが」の膨張式の救命艇が収まっているコンテナの部分が、

 接岸用クッション、大きいな

 艦橋構造物は右舷に寄せられ、艦体や上部構造物はステルス性を考慮して側面には傾斜がつけられ、表面は平滑に整形されているようです。

 ポートタミナールからポートアイランドの北公園へ神戸大橋を渡って行きます。

 神戸大橋は赤いアーチ橋で、新港第四突堤とポートアイランド間に架かる全長319mのダブルデッキアーチ型鋼橋で、アーチの中央を、路面が貫いています。上下2段になっていて、日本初のダブルデッキの橋らしいです。ここから神戸空港へは、歩いて行くと40分ぐらいで行けるかな、

 神戸大橋を渡る途中、六甲山を背景に「護衛艦・ひゅうが」が望めます。

 ポートアイランドの北公園に来ました。北公園は対岸の港に出入りするたくさんの行き交う客船や貨物船、タグボート、神戸港遊覧船など神戸港に出入りする船舶などを見ながら散歩が出来ます。また六甲山の山肌が迫る神戸の街並みをゆっくり見物出来る公園ですよ。

 「護衛艦・ひゅうが」が接岸していますが、北公園方向から望みます。

 PM4:00の出港までまだ時間があるね。平成21年3月 に就役した「ひゅうが」は、艦首から艦尾まで通じた甲板を備えた、海上自衛隊初の「全通飛行甲板」の護衛艦。基準排水量 (満載排水量) 13,950t (18,000t) 、全長 197m、全幅 33.0m、喫水 7.0m、全深 22.0m の大きな船体内に、1層の格納庫を持つ。SH-60K 哨戒ヘリコプターや MCH-101 掃海・ 輸送ヘリコプターなど各種 10機 のヘリコプターが搭載でき、航空機の運用を重視した護衛艦となっています。

 甲板には、多くの乗組員が見られます。

 PM4:00に近づき、もうじきです。写真を撮る人が多くなり始めました。

 もうすぐ出港です。タックボートがスタンバイです。

 「護衛艦・ひゅうが」の船首を左舷へ切り、出港し始めました。

 こんだけ大きい艦船ですので、2隻のタックボートに助けられて出港

 }「護衛艦・ひゅうが」が 神戸港を離れますが、今度は、何時入港するのかな?
次回をお楽しみに  では またね

 

花の寺・円照寺の彼岸花  2012.09.25

2012年09月28日 16時30分16秒 | 季節のたより


  所在地  円照寺の彼岸花      兵庫県加古川市志方町廣尾1029

 同寺は『花の寺』としても知られ、境内は四季の花々で埋め尽くされています。屋根つきの小さな庵があり、月ごとにまとめられた花々の写真が自由に閲覧できます。

 車は、200mぼど先にある公民館の駐車場に、前回は、春にライラックの花を見に来ました。 

 「花の寺」として親しまれている円照寺の境内は、まるで庭園のようなたたずまいを見せる。春はツバキやユキヤナギにライラックが咲き誇り、夏はノウゼンカズラが、秋には彼岸花が境内を彩るように、

 所狭しと、 円照寺の住職が丹精込めて咲く四季の花が綺麗です。

 今は、見頃の赤白黄の三色の彼岸花が見頃を迎えています。

 ゆっくりと季節の花を観賞してもらうためにベンチが設けられています。

 今では花を目当てに県内外から参拝者があります。普段でも多くの人が四季折々に花々を見に来ています。

 敷地内には豊臣秀吉が島津征伐の際に陣鐘として使用した梵鐘が設置されています。約500年前の作で、鐘を突く位置にある鐘文の模様が特に美しいです。

 兵庫県加古川市志方町広尾の円照寺で、黄色、白、ピンクの3種類のヒガンバナが咲き始めた。境内には数百本が植えられており、10月上旬にかけて次々と開花して行きます。

 青空に冴えるスイフヨウ(酔芙蓉)の花です。

 スイフヨウ(酔芙蓉)と黄色の彼岸花です。

 澄み切った青空に冴えるハギ(萩)の花も綺麗ですね。

 円照寺は四季折々に花々が咲き乱れ、いつ行っても花を楽しめる花の寺ですね。
次回をお楽しみに  では またね

多可町・赤白黄の彼岸花が見頃  2012.09.25

2012年09月27日 08時23分48秒 | 季節のたより


 所在地  多可町・三色彼岸花      兵庫県多可郡多可町中区間子

 今年も多可町間子へ赤・白・黄の彼岸花を見にやって来ました。

 思出川の土手の用水路には、水車と3色彼岸花を見られます。

 兵庫県多可町中区間子の思出川堤付近の田んぼではこれから見頃の彼岸花が咲き、農村の長閑な風景が残っています。

 彼岸花は秋の彼岸の頃、突然地中から花茎を伸ばして、花を咲かせることから彼岸花(ヒガンバナ)と呼ばれるようになった花ですが、別名を赤い花を意味する曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれています。

 9月中旬の彼岸頃から開花し、別名は曼珠沙華。「おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から降ってくる」という仏教の経典に由来します。

 3色彼岸花は、思出川に沿って流れる用水路沿いに植えられており、地元住民によって大切に育てられています。

 黄金色の稲穂が広がる多可町中区間子のあぜ道には、赤、白、黄色の3色の彼岸花が咲きほころび、鮮やかな色彩で綺麗です。

 用水路沿いには、栗の木には、栗が実りその下には、彼岸花が見頃を迎えています。

 彼岸花は突然、枝も葉も節もない花茎が地中から伸びてきて花をつけるのが特徴で、やがて花がしぼむと線状の細い葉を生やします。花と葉を同時につけない不思議な花ですね。

 黄色い彼岸花は鍾馗水仙(ショウキズイセン、または、鍾馗蘭・ショウキラン)と呼ばれるものです。

 鍾馗水仙と赤い花の彼岸花の雑種が白い彼岸花(白花曼珠沙華・シロバナマンジュシャゲ)であるといわれています。

 田んぼと畦道には、沢山の彼岸花が咲いていますが、地元の人の話では、写真を撮りに来られている人の中には、これから咲く彼岸花を踏みつけてしまう人が居られるようで、苦慮しているようです。

 空気の澄み切った長閑な田園風景に中で見る風景は癒されますね

 そよ風に吹かれたコスモスが揺れなびいています。

 周辺の田園では、赤、白、黄3色の彼岸花が見られ、田んぼでは稲刈りが始まり、畦を敷きつめる彼岸花もこれから見頃を迎えます。

 時間の立つのも忘れ、私たちの住む市街地と違い長閑な田園風景を見ていると心も癒されます。
次回をお楽しみに  では またね

穴太彼岸花の里  2012.09.24

2012年09月26日 09時04分17秒 | 季節のたより


  所在地  ひがん花の里       京都府亀岡市曽我部町南条北浦竹

 穴太寺の南側にある田圃地帯の方で、この辺一体は「穴太の里」と呼ばれており、とにかく田圃の広さもさることながらまさしく赤絨毯のように広がってる彼岸花に圧倒されてしまいました。

 穴太の里で黄金色の稲穂が頭を垂れる頃には、田の畔道で彼岸花が彩りを添えています。

 周辺の田園では秋の稲刈りが始まっていますが、ここ穴太の里は、京都の彼岸花の名所として有名です。

 彼岸花の名所「ひがん花の里」では、見ごろの時期になると畦に沿って咲く彼岸花を目当てに多くの写真愛好家が集まり写真を撮られています。

 亀岡の曽我部町には、西国三十三所の札所「穴太寺」があります。「ひがん花の里」よりすぐ近くにあります。彼岸花の赤、稲穂の黄、草の緑、空の青といろんな色が合成され綺麗な光景です。

 ちょっと違った位置から見ても また 違った光景が、

 今、咲いている彼岸花、まだ 蕾も沢山ありますが見頃です。
次回をお楽しみに  では またね

伊川谷の田園に咲く彼岸花  2012.09.23

2012年09月25日 21時15分44秒 | 季節のたより


  所在地  伊川谷の田園    神戸市西区伊川谷上脇

 明石川支流、伊川の流域の主要部を占める。西区の旧7村の中で一番広く、沿岸部のどの区よりも面積が広く東西に長く、西端は明石城址に接し、東端は摂津と播磨の国境をなす。また南部や北部は丘陵地帯です。

 伊川谷駅のごく近傍を除いて昔ながらの農村地帯で今年もこの頃になると彼岸花が咲き始めます。
 
 一部では、稲刈りも始まり、そのあぜ道に彼岸花が咲き始め、その端を歩くと蛙にバッタが飛び回っています。

 彼岸花の見頃は、今が一番、田園に真っ赤な花が冴えます。

 爽やかな風が吹く中、彼岸花が揺れ赤とんぼが飛び交う夕暮れです。
次回をお楽しみに  では またね

神呪寺  2012.09.14

2012年09月19日 21時20分38秒 | 神社・寺院


  所在地  神呪寺    兵庫県西宮市甲山町25―1

 阪急甲陽園より徒歩15分ほど上り坂を歩き少しハードだけど、気持ちいいですよ!やっと神呪寺の仁王門が、江戸時代に建立。市の重要有形文化財に指定されています。

 門には迫力の仁王像があります。

 めざす神呪寺本堂まであと1丁(約100m)山門前の石段を降りたところの小さな池の端に立つこの町石を起点として関西学院裏の水道道に沿ったところに立っている13丁の町石まで1丁毎に建てられたものです。梵字の「クラーク」は、虚空蔵菩薩(3丁の町石と同じ)を表わしています。

 仁王門をくぐると本堂まで、一直線に参道(階段)が伸びています。

 途中には「淳和天皇勅願所」の石碑が、創建は天長5年(828)、第53代淳和天皇の第四の妃であった如意尼が甲山にやってきたことに始まり、3年後に本堂落慶ということです。

 ようやく階段を上りきりました。いい眺めです。

 本堂の後ろの山は海抜309mの甲山。甲山は西宮市のほぼ中央に位置し、西宮のシンボル的存在です。神呪寺(かんのうじ)は通称「甲山(かぶとやま)大師」と呼ばれており、その開基は、828年(天長5年)淳和天皇第4后であった真井御前が霊山甲山に入り、満3年の修行を経た831年(天長8年)、弘法大師より剃髪をうけ、如意尼と名乗り、本堂を落慶したと伝わっています。

 大師堂は、1921年(大正元年)の上棟。安置されている「弘法大師坐像」は弘法大師58歳の姿と伝えられ、甲山大師(厄除大師)として広く信仰を集めている。大師像は鎌倉時代の作とされ国の重要文化財に指定されています。

 釣り鐘はお賽銭をすれば、誰でも打つことができます。1回撞くのに20円支払う必要がありますがね、ここから瀬戸内海側の眺めもよいですよ。

  奥の「多宝塔」は天長8年(831年)に神呪寺が開創されてから1150年目にあたる昭和55年に国家安泰、十方施主、万徳円満を祈願し、神呪寺の無窮の興隆を念願して建立されたといわれています。その脇に甲山への登山口があります。

 来た道階段を降りると右側には、弁天さんが、人が歩いて行けるのか?というくらい、細い太鼓橋がありました。「甲山大師」として親しまれている神呪寺を後に、阪急甲陽園へ
 次回をお楽しみに  では またね

北山山荘で抹茶を  2012.09.14

2012年09月18日 09時44分07秒 | 美味しい食物・食事処


  所在地  北山山荘       兵庫県西宮市北山町1―1

 山公園・北山緑化植物園は、総面積5.5haの自然の地形を生かした植物園で、温室、バラ園、あじさい園、桜の園、ハーブや食用植物の植えられたキッチンガーデン、薬草園など四季を通じて花や植物を楽しむことのできる公園です。

 北山山荘は、 市政60周年を記念し、故木村吉太郎氏の寄付を受けて建設された優雅な数寄屋造りの山荘です。

 北山杉や紅葉が見事な日本庭園もあり、門より前庭を見ると、ヤマモミジのトンネルの下を、真黒石の延段が緩やかなスロープが、

 日本庭園には、水琴窟などが仕組まれています。

 北山杉や、まだまだ緑の紅葉が見事な日本庭園を盛り上げ、北側の谷間から流れる滝が風流ですね。

 谷間から流れる小さな滝に、秋にはモミジが紅葉して美しいでしょうね。

 あちらに見えるのは、茶室です。京都の北山杉を用いた木造銅板ぶき平屋建ての数寄屋造で、主に茶会や句会など古来の文化的催しや、市への賓客を迎える場に利用する建物も

 茶室には、入ることが出来ませんが、ちょっと覗いてみました。

 美しい日本庭園を見ていると秋の紅葉の時にはもう一度来たいですね。立礼席での抹茶サービス、和菓子付(有料)を頂き一休みしていきたいです。

 北山山荘の日本庭園は、金・土・日は庭園を開放しています(10:00~16:00)。見学無料です。

 3月~6月と9~11月は、有料で抹茶サービスを行っております。¥500です。心が癒され美味しい抹茶と和菓子を頂きよかったです。

 北山緑化植物園は、日本庭園の北山山荘、中国紹興市の蘭亭をそのまま再現した小蘭亭、夙川の水遊び場、北山貯水池への自然散策コースなど、家族そろって楽しめます。
 次回をお楽しみに  では またね

越木岩神社  2012.09.14

2012年09月17日 17時35分27秒 | 神社・寺院


  所在地  越木岩神社     兵庫県西宮市甑岩町5―4

  越木岩神社へお参りするのに、今回は、正規の表参道から入らす西の入口から入らせてもらいました。

 御神水所(ごしんすいしょう)大古より湧き出でる霊水があり、罔象免(みずはのめ)大神をお祀りしています。俳諧の祖・松尾芭蕉も、この地を訪れ、『さざれ蟹 足這い上がる 清水かな』と詠いました。今でも、ときおり沢蟹を見かけます。このご神水にはラジウムが多く含まれており、室町時代より身体に良いと評判で多くの人がご神水を汲みに来て飲用したと伝わっております。

 六甲山社--祭神:菊理姫大神(ククリヒメ)で、夫婦円満の神・縁談の神ともされる。中世以降、加賀の白山の主祭神ともされシラヤマヒメと同体とされました。

 遙拝所は、伊勢神宮・宮中三殿・神宮神社を遙かに礼拝するところ。脇殿に天照皇大神宮をまつる、とある。宮中参殿とは、皇居にある賢所・皇霊殿・神殿を指します。

 この階段を降りると、社殿の方へ

 岩社は、 磐座がご神体の神社である。磐の形が米を蒸す蒸籠(セイロ:甑)に似ているので、甑(コシキ)岩と呼ばれたようである。 古代からの祭祀の場所であったと思われます。

 岩社の左側から上り「甑岩」を見ることができ、御神体の「甑岩」は、縄文時代、または、原始時代にもさかのぼる頃に現れた花崗岩の大怪岩で、周囲約30m・高さ10mの岩と岩が二つ寄り添う、神体の形状から女性自身に例えられています

 甑岩の裏手に見える神秘的な森の木々は、タコの足のように伸びていて巨石に大きな木が巻きついた光景です。

 江戸初期・徳川幕府による大阪城修築(1629完成)に際して、六甲山系の山々から必要な石材を切り出したといわれ、当社の甑岩もその対象になり、備中松山藩主の池田備中守長幸(1587~1632)が切り出そうとして記した刻印という。伝承では、石工が矢穴を入れて岩を割ろうとしたとき、岩の割れ目から鶏鳴がおこり、真っ白い煙が立ちのぼったため、驚いた石工は石片と、とも転げ落ちて命からがら逃げ帰った。この岩を切り出そうとすればカミの祟りがあると畏れられ、切り出せなかったと云われています。

 「甑岩」をぐるっと周り甑岩からさらに奥にいくと貴船社があります。越木岩神社の雨乞社があるようです。今回は、甑岩のある近辺を参拝しました。
次回をお楽しみに  では またね

小滝不動尊の滝  2012.09.07

2012年09月12日 10時30分40秒 | 滝・渓谷・山


  所在地   小滝不動尊の滝    兵庫県宍粟市一宮嶋田

 以前から気になっている標識が、山崎ICから国道29号線を北上すると、揖保川に架かる井ヶ瀬橋を渡って程なくの道路左側に [ドライブインながさわ]が、その先の右側に小滝不動尊の案内板があり、そこを右折して、舗装された坂道の林道を400mで道路が少し広くなった所に駐車です。

 幅の広い路肩に駐車です。赤い鉄製の階段を降りていくと、こじんまりした場所が

 その先にが、石灯籠が、反対側には屋根付きの休憩所があります。

 先に進んでいくと、成田山不動明王山神社の祠があります。

 滝の右側には、お不動さんが祀られていますよ。これからの紅葉の時期に来ると一段と綺麗でしょうね。

 小粒ながらも厳かな雰囲気が漂う周辺の大岩とともに何かしら存在感が感じられる良い滝(落差5m)です。
 次回をお楽しみに  では またね

戸倉・羊の滝  2012.09.07

2012年09月11日 19時50分57秒 | 滝・渓谷・山


  所在地  羊の滝    兵庫県宍粟市波賀町戸倉

 国道29号沿い「戸倉スキー場」を過ぎて北上すること約1km付近に戸倉峠滝流しそうめんがあり、そこから約300m先にヤマメ茶屋の看板があります。そこを右折ですが羊の滝の標識はなかったような気がします?

 未舗装の道を走ります。標高も高くなってきていますので「すすき」も見頃を向かえつつあります。

 デコボコ道を少し進むと藁葺民家が見えて来ました。「やまめ茶屋」は昔ながらの長閑な風景ですが、ここは今、営業しているのかな?

 デコボコ道を更に進んでいくと、二手に道が分かれ右に進んでしまい、さらなるデコボコ道を進み滝の上部方面へ行き「大段ヶ平」へ行く道かなと思い? 引返し先ほどの二手に分かれるところまで戻ると木の葉に隠れた標識がやれやれです。

 車を止めて、「羊の滝」へ行くのですが、案内板が不整備わかりにくいです。

 入口の案内板には徒歩5分とあるのでさほどの距離ではないようですが、目印を頼りにさっそく道に大きな木が横たわっていて、それを乗越えあと道が荒れていてわかりにくいのだが、木に巻いた赤いテープを目印に進んでいきます。

 道の前に大きな岩が立ちはだかり、そこを回り込むとやがて「羊の滝」が見えてきます。

 落差70mの「羊ヶ滝」は川の対岸から見ることができます。上部は2条で途中から1条となって落下しており、漢字の「羊」のように見えることから「羊ヶ滝」と呼ばれている。

 滝上部の2本の滝が合流して1本になって落ちていく滝で、本流に有る無名の滝も流れが豪快で、見ていて気持ちいいですね。

 斜面を降りて滝壺からも見上げることも出来るようですが、今回は滝壺へは降りませんでした。

 滝がダブルで見ることが出来、なかなかいい光景で、ホット一息します。

 氷ノ山山腹を水源とする清流引原川の上流、ブナの森林(坂ノ谷国有林)の中にある。 落差約70m、上段2条下段1条の雄大な2段瀑です。

 ちょっと道を間違えましたが、豪快な「羊ヶ滝」を見ることが出来良かったです。
 次回をお楽しみに  では またね

福崎町・七種の滝  2012.09.07

2012年09月09日 14時59分24秒 | 滝・渓谷・山


  所在地  七種の滝     兵庫県神崎郡福崎町田口

 中国自動車道・福崎ICから県道406を通り現在の金剛城じの前を通り抜け青少年野外活動センター前を通り山間部へ、七種の滝へは旧金剛城寺の山門手前まで車で行くことができ、ここから七種の滝までは整備されたハイキングコースを約30分ほど歩いたところにあります。金剛城寺には作門寺山門の棟札の銘文が残っており、それによるとこの門は元禄14年(1701年)建立されたとされています。山門は「三ツ棟造」という構造で、正面に阿吽形の仁王像が配置され、その後ろの部屋には「随神」が配置してあったと考えられます。

 山門のところにある案内板を見ると、七種の滝まで1000m付近の風景を見ながら、のんびりと歩いて行きます。右に行くと七種山自然公園のようですが、左の道へ行きます。

 この道は、この先の鳥居まで車で行けるようですが、途中の景色を見ながら歩くと「雌瀧」の標識が

 山門を過ぎて、150mほどのところに雌滝の看板が見える。看板から右手下方に雌滝が見える。道から滝まで丈の高い木が茂っており、十分な視界を確保することが出来ませんでしたが、

 道の左側には、「精水・イラ谷の水」と書いてある立て札が、渓流を流れてくる川で、よく見かける景色だが、生水は飲めませんと

 夫婦滝の看板はありましたが、滝の姿を確認することはできませんでした。この下に夫婦滝があるのかな?

 道の右には苔むした大きな岩が「弁慶ののこぎり岩」のようです。まるで岩をのこぎりでひいたように、幅5cmほどのすき間が直線的に入っています。どのような伝説があるのかな?

 左側には、金剛城寺跡かなと思う石垣などを見ながら歩いて行きます。

 やっと鳥居のところに来ました。ここにも車を止める場所があるようですが、途中で車がすれ違える場所があったかな?ここから約300mで、虹ヶ滝、八龍滝を経て七種の滝に至ります。

 鳥居の扁額には「八大龍王 八龍破地大神」とあるので、祭神を八大竜王とした。いずれにしろ、七種山山中には四十八滝と言われるほどの滝があり、水神、降雨の神が祭られるのに相応しい環境です。鳥居をくぐり太鼓橋を渡るとその向うには、虹ヶ滝があります。

 この虹の滝は、水量はすこし少ないようですが、水が綺麗で美しい滝で、今は虹が見られませんが、時間帯によっては、滝に日差しが差し込んで、虹が架かるんでしょうね?

 ここから七種の滝に向かって落ち葉の多い急勾配の階段道を進んで行きます。

 虹の滝から上りの階段道を歩いて3,4分で八龍の滝に到着です。虹ヶ滝の直ぐ上流に架かる滝です。それほど大きな滝ではありませんが、もう少し水量があれば良い滝姿を見せてくれると思います。次は七種の滝へ

 道は、歩きやすい道ではありません、岩を削って階段に また こんな木の根っこを越していかなくてはいけません。

 もう少し上がると、滝が見えるかな~

 七種の滝が見えましたが、滝壺の方へ行って見ましたが水量が少なく迫力が乏しいです。

 七種神社にお参りを ワァ~ また階段です。神社で休憩です。

 七種神社の拝殿には、七種山や七種の滝の思い出を書き記す日記帳を設置していました。登ってきた思い出を書き、登ってくるのがきつかったことなどが記入されていました。急な坂道や階段、岩場もありますので、軽装はおすすめできません十分な備えをしてお越しくださいね

 滝見台まで来ましたが、2日前に降ったと思い七種の滝に来ましたが、水量が少なく迫力に欠けます。

 県下八景、近畿観光百景にも選ばれ、昭和44年に兵庫県指定名勝にもなりました。
滝は雄滝(七種の滝)、雌滝をはじめ48滝あるといわれ、四季折々の風情をみせてくれます。その中で最大の落差を誇る雄滝(七種の滝)は落差72メートル巾3メートルあり、水量の多い時には荒々しく、とぼしい時にはやわらかな姿を見せています。

 神社の本殿の左側から七種山の登り口が、標高681mの山頂付近には、つなぎ岩(高さ15m、幅5mの巨岩が底部でわずかに接続している石)や笠岩(水平に近い破れ目にそって岩盤が浸食されできたもの)が七種の山の姿をかたちづくっているようです。時間の関係で今回は登りません

 七種神社前から前方に見える山々を見ながら一休みして下山です。今度は、雨が降った後すぐに来て、迫力のある七種の滝を見たいものです。ア~しんどかった
 次回をお楽しみに  では またね  

栗栖の残石 2012.09.04

2012年09月08日 15時54分24秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  栗栖の残石   兵庫県篠山市栗栖野

 ちょっと通り過ぎそうなところに「栗栖の残石」が、篠山城の普請(築城)に関わる石材の多くが此処・波賀野や栗栖野一帯の山や谷から運び出されています。デカンショ街道(R372号線沿い)には、此の石材の残石を集め歴史の証として、栗栖残石小公園が沿道に出来、集落内の大歳神社前や新築された公民館前にも刻印のある残石を集めたとされています。

 栗栖野集落は、築城(慶弔14年・1609年)時の採石地で、山上(標高500メートル)がその場所なります。

 残石公園は此の先・集落内の大歳神社前にも石丁場から切り出された刻印のある残石を積んで 記念碑”丁場城”として整備もされています。

 この石垣は、篠山城の石垣構築時の残石を利用して作られており、一部の隅石を除き全て栗栖野地範より採石したものです。この石垣には、15箇に石に8種類の符号が刻印されています。
 次回をお楽しみに  では またね

福知山線・南矢代駅―草野駅  2012.09.04

2012年09月07日 21時02分05秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地  南矢代駅―草野駅間の撮影地   兵庫県篠山市油井

 尼ノ滝から県道49を通り国道372を走ると  福知山線南矢代駅付近へ、田んぼの稲穂を垂れ刈り取りまじかな、風景を見ながら長閑な田園の向うに特急「こうのとり」が来ました。この287系は、但馬エリアのシンボルとして親しまれているコウノトリにちなみ、平成23年3月に列車名を「北近畿」から「こうのとり」に改称しました。

 国道372を福知山線沿いに南下していくと、やがて草野駅が踏切を渡り西側の線路沿いに、ここも田園風景の綺麗なところで、やがて特急「こうのとり」は来ましたよ~

 しばらくすると、篠山口行きの「丹波新快速」が来ました。321系の車両です。

 向うから来る特急は、東北地方太平洋沖地震の影響による車輌保守部品不足への対応策として、183系使用の特急〈こうのとり〉です。運転計画が4月2日(土)から見直され、増結中の6輌編成は通常の4輌編成へと減車されることとなりましたが、何時183系の「こうのとり」も無くなるかも判りません
 次回をお楽しみに  では またね

三田市・尼ノ滝  2012.09.04

2012年09月06日 08時19分29秒 | 滝・渓谷・山


  所在地  尼ノ滝        兵庫県三田市母子

 花山院から県道49を北上して、永澤寺の脇を通り「母子」から県道308を南下して行きますと、茶畑を過ぎるよ「尼ノ滝」が駐車場もなく表示板だけで見落としやすいところにあります。車は道路の端で邪魔にならないところに止めます。

 道路の直ぐ側で雑木林の中に入るようなところにある滝なのですが滝の水音で車の騒音で掻き消される雰囲気ですね。

 約5mの高さから水が数条にわかれて流れ落ち、溢れる水は更に急端となって次の滝壷へと流れ落ちる二段滝となっています。

 山深い渓谷の、小さな滝ですが、迫力は見ごたえ有りこんな素敵なところがあったんですね~

 落差上段5m、下段3m、総落差8m。大岩の間から幾筋もの流れを見せる美しい滝です。その名は尼僧が滝行をしたことに由来すると言われています。

 秋には紅葉の時期は滝と紅葉がマッチして綺麗だろうと思います。
次回をお楽しみに  では またね

花山院・十二妃の墓  2012.09.04

2012年09月05日 17時20分16秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  花山院・十二妃の墓    兵庫県三田市尼寺

 有馬富士公園から県道49を北上して行くと西国札所の番外花山院の手前で、花山院・十二妃の墓の小さな標識を見て尼寺公会堂に車を止めて十二妃の墓へ

 第65代花山(かざん)天皇は、19才で皇位を去り、仏門に入り法皇となられた。 そして、三十三ヶ所の霊場(れいじょう)をまわり、ここ三田の紫雲山(しうんざん)で隠遁(いんとん)されたので、この寺を花山院と呼ぶようになりました。

 法皇が、この山にお入りになったことを風のたよりに聞いた京の十一人の女官たちは、そのあとを慕って、草深い花山院までたずね、法皇のお世話を申し出ました。しかし、ここは女人禁制のため山上に登ることは許されません。 少しでも近い所に住めば、それだけお世話をすることができます。女官たちは黒髪を切り落とし、尼(あま)となって山のふもとに住むことになりました。人びとは、いつしかこのあたりを「尼寺」(にんじ)と呼ぶようになりました。現在、尼寺の小高い丘の上には、お后(きさき)をまん中にして十一人の女官のこけむした墓があり、椿(つばき)の木がそのまわりをとりまいています。

 尼達は、坂を登って、これ以上立ち入れない所で琴を弾いて法皇をおなぐさめした。 それでこの参道の坂を、「琴弾坂(ことひきざか)」と言うようになりました。花山法皇と女官の悲話が実話なのかどうかは、わかりませんが、計十二基の五輪塔と墓、民話と深いかかわりがあるとされる「尼寺」の地名が残っているようです。
 次回をお楽しみに  では またね