所在地 箕作阮甫旧宅 岡山市津山市西新町6
津山市を東西に走る旧出雲街道に沿って、江戸時代の町屋が今も軒を連ねる城東町並み保存地区。約180年前、この町に生まれ育った1人の青年が、大志を抱いて江戸へと旅立ちました。これが幕末に活躍した洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)の生まれ育った家です。当時の町家がそのままの雰囲気で解体復元されています。町医者であった箕作阮甫の旧宅は、よく江戸時代の姿をとどめているとして、国の重要指定史跡となり、再整備され公開されています
正面入口から土蔵方向の眺めて、左手は見学者受付所、中央通路右は土間・台所、左は居間・奥の間となる旧宅内部です。
台所のかまどですが、通り庭式の土間には大きな曲土(くど「かまど」)があり、煙り出しと明り取りを兼ねた「無双窓」があります。
}阮甫は生涯一医者にとどまらず、経済・天文・法学・地理・物理・兵学など洋学者として、広く学問を修め、幕府の外交政策等にかかわり、近代日本の文明開化の先がけとなった一人で多くの業績を残しました。
中庭の縁側に面した部屋です。
資料館内部です。洋館風の本館には現代的なホール、れんが造りの展示室、焼き板の町屋的な収蔵庫が連なる。一見、和洋の建物の集合体に見えるが、実は1つの建物。阮甫の子孫である建築家故吉阪隆正氏に師事した富田玲子氏(70)の設計です。
中庭にある井戸です。
この瓦ですが、津山城は今から約130年前、明治6年(1873)の廃条令により、全ての建造物は取り除かれました。この瓦は4.6×3.2、2.2×2.8cmと大変大きなものです。瓦屋小路の瓦師赤染部家で作られたものです。西新町在住の竹内鶴一さん宅で発見されました。町家の瓦と比べて見てください。(平成16年5月)
檜皮(ひわだ)を張り付け、屋根裏は、竹をつるで巻きつけた「竹すのこ張り」という大変めずらしい構造になっています。
次回をお楽しみに では またね