hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

鳥取砂丘  2011.05.25

2011年05月30日 19時26分26秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  鳥取砂丘    鳥取市福部町湯山2164

 日本最大規模の起伏を持つ砂丘として知られる「鳥取砂丘」は、山陰・鳥取県東部の日本海沿岸、鳥取市福部町にあり、東西16km・南北2km・最高起伏47mに及びます。鳥取砂丘では自然によって造りだされる幻想的な「風紋」や「すりばち」を見ることもできます。

 土産物屋の前に広がる鳥取砂丘(とっとりさきゅう)を ちょっと覗いてみます。

 鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。日本三大砂丘の1つです。

 砂丘の中を歩いて向こうの丘まで行きたいが時間の都合でいけますん。

 鳥取砂丘だから味わえる異国情緒ですが、「ラクダ」に乗って砂丘を行くのもいいでしょうね。

 この鳥取砂丘には、10回以上来ているかな~砂丘の風景が少しずつ変化しているような気がします。

 砂丘植物のハマヒルガオ(ヒルガオ科)が咲き始めていましたよ、

 馬車を見かけました。砂丘の中を進み、特に風紋の見られる場所へ案内してくれるそうです。

  私が来たときは作成中で、鳥取市に来春(2012年春)オープンする常設型の「砂の美術館」をPRしようと鳥取砂丘近くで公開制作していた砂像4作品が、2011年5月26日(木)、完成しましたが、鳥取砂丘で26日から展示が始まったばかりの高さ約4メートル、幅約7メートルの砂像が、台風2号の接近に伴う強風と激しい雨でほぼ全壊しているのを30日、見回りの鳥取市職員が見つけました。壊れたのは来年4月にオープンする「砂の美術館」のPR砂像4体のうちの1体で、イタリア人砂像彫刻家が制作した「フランスの秋」。ノートルダム大聖堂やセーヌ川などフランスの名所をバックに男女のキスシーンが彫られていたが、背景の一部を残し大部分が崩落し、砂の壁のような無残な姿になったようですが、早く修復するといいですね。
次回をお楽しみに  では またね




鳥取市・喜見山摩尼寺  2011.05.25

2011年05月29日 09時05分51秒 | 神社・寺院


  所在地  摩尼寺   鳥取市覚寺624

 摩尼寺は、茲覚大師が仏法を広めるため創建された霊場で約1200年もの長い歴史を持つ天台宗の古刹です。150段あまりの石段を登ると仁王門に着くようですが、上を見上げるとため息がでますね。

 石段の両側には、石灯籠と大きな杉の茂る中を踏みしめながら上って行きます。

 仁王門にやっと到着です。仁王門階上には,釈迦如来仏と十六羅漢を安置しています。十六羅漢とは,この世に永く住んで正法を守護しようと誓った十六人の阿羅漢(仏弟子)のことです。羅漢は,人が供養し仏法を崇敬するとき,施者にすぐれた果報を得させるといわれています。

 階下には,仁王(金剛力士)が左右に侍し,寺地ならびに仏法を守護しています。

 下を見ると大分、石段を登ってきました。

 仁王門から石段を登り山門へ門をくぐると本堂です。麓から仁王門を経て本堂まで303段の石段が1912年(大正元年)に敷かれています。

  山門に入る脇に「不許葷酒入門内」の石碑が、「不許葷酒入門内」とは、 「葷酒(くんしゅ)山門より入るを許さず」と読み、「 にんにく 」 「 ねぎ 」 「 玉ねぎ 」 「 にら 」 「 らっきょう 」や「酒」は寺の中には入れてはいかん! ! という意味で、禅宗の寺の入り口に結界として石碑等があるですね。

 本堂手前の観音像からしたたる「摩尼の水」は健康長寿に御利益があると伝えられているんですよ、

 古来より信仰の対象として崇められてきた摩尼山の山頂付近に834年に、慈覚大師・円仁によって開創された古刹です。その後中腹に遷移、さらに豊臣秀吉の焼き討ちに遭い荒廃していた寺を、江戸時代初期に池田光仲・光政によって、鳥取城の鬼門にあたる現在の山裾に再建されたものです。

 本堂の右手を行き石段を上がると、善光寺如来堂が全国には443の善光寺如来分身仏が祀られています。

 綺麗な「しゃくやく」が咲いていましたよ。癒されます。

 善光寺如来堂にお参りした後、たたずんでいると新緑の木々の間から爽やかな風が、このお寺では戒壇めぐりができるのかな~。お寺の中に善光寺如来堂があり、ここにお参りすると、善光寺にお参りしたのと同じ功徳が得られるんだそうですが、山陰から善光寺にお参りするのは大変だから、ということで善光寺の阿弥陀様を勧請したものなんだそうですよ。


 ここに鐘楼がありました。ちょっと撞いてみょうかな~

 ここにも綺麗な花が、何時見ても花を見ると癒されます。

 帰りは長い石階段も附近の風景を見ながらゆっくりと降りて行きます。

 仁王門まで降りてきました。今回は、帝釈天が降り立ったという湖山長者伝説の「立岩」など多くの霊跡が残されているところまで行きませんでしたが、
次回をお楽しみに  では またね

鳥取市・竜峰山広徳寺  2011.05.25

2011年05月28日 13時09分47秒 | 神社・寺院


  所在地  竜峰山広徳寺    鳥取市立川町1丁目1

 広徳寺には、鎌倉十七という力士の墓があると案内板に記載され、臨済宗妙心寺派の古刹で、鳥取藩主・池田家分家の菩提寺のようです。

 寺の中をちょっと拝見させてもらいますと、庭の植木を選定している最中でしたが入らしてもらいました。

 広徳寺の境内には鎌倉十七という力士の墓があるようですので、案内してもらいました。

 お寺に入り、左側の扉を開けて入ると、立派な力士の墓で、日本最古(もちろん世界最古です)のものです。鎌倉十七は17歳の時に、鎌倉の勧進相撲で優勝し、日の下開山(横綱)になりました。その後、藩主池田光仲に仕えました。60歳の時に、当時無敵を誇った、横綱・明石志賀助を倒しました。鎌倉十七は元禄11年(1698年)に亡くなっています。
鳥取県出身の横綱琴櫻もしばしばこの鎌倉十七の墓に参っていたようで、また 現在の第2次菅内閣の片山善博総務大臣も鳥取県知事時代に来られたようです。

 ここは、鳥取藩の藩主池田家の国替えの時に備前国岡山より移ってきた臨済宗竜峰山広徳寺には、山池田家・下池田家・池田太司馬家の菩提所があると説明され、右側へ庭を横切って 急な石段を登り切った所にあるようです。

 池田輝政の父・恒興と兄・元助が戦死して、その菩提を弔うため広徳山竜峰寺を建立しました。のちに輝政は姫路城主に竜峰山広徳寺と改めさせ 寛永9年 池田光仲が鳥取へ国替えになり、因幡東照宮の創建の前年に寺が現在地に移されました。この寺に山池田の池田之政が祀られ 更に 下池田の池田知利も祀られ 山池田家・下池田家の菩提寺になりました。

 池田 知利は、寛永7年(1630年)父利政の知行地の伯耆国汗入郡逢坂に生まれ、嘉永16年(1639年)父利政の死去後。寛永19年(1642年)鳥取藩主池田光仲に招かれて家臣となりました。家は通称下池と呼ばれ、代々鳥取藩着座(家老)の家となリました。
   池田 之政は、元和3年(1617年)8月30日伯耆国米子城に池田家家老池田由之の四男として生まれる。正保元年(1644年)池田恒元の斡旋で鳥取藩主池田光仲に仕えることになりました。

 池田家のお墓は、奥まったところにあるので案内してもらわないと判らないです。鳥取藩主池田家墓所が、鳥取県 鳥取市 国府町奥谷にあるようで機会がありましたら行きたいです。
次回をお楽しみに  では またね

鳥取市・観音院庭園  2011.05.25

2011年05月27日 09時00分26秒 | 神社・寺院


  所在地  観音院庭園     鳥取市上町162

 観音院の庭園は江戸時代初期を代表する国指定名勝の庭園で、霊験のあらたかなることからこの観音さまは「因幡観音霊場」一番札所、「中国観音霊場」三十二番札所の御本尊のようです。

 参道を進むと山門へ

 春には桜が咲き乱れ、桜の名所としても人気の観光スポットで、秋は、また 紅葉が綺麗ようです。

 観音院は、正式には補陀落山慈眼寺観音院という天台宗の寺院で鳥取藩主池田家の祈願所八ヶ寺として栄えました。観音院は鳥取藩池田家の祈願所8ヶ寺の1つとなっています。御本尊の聖観世音菩薩が、安置される壇が移るたびに大きな寺の御本尊となられたことから、別名「出世観音」として崇められています。

 庭園に行く途中、アンティークな電話がありましたよ

 庭園が見える部屋へ通され素晴らしい庭園に感激です。

 慈眼寺観音院に名勝とうたわれた庭園があるんですね。山陰第一の庭園と名高いもので、池泉観賞式庭園は静かで日本の伝統を感じさせる名園だそうです。

 立派な庭園に見とれていると、お抹茶のサービスがついていて、室内からお庭を見ながらお茶をいただけます。お抹茶を頂きながら鑑賞すると落ち着きますね。

 抹茶を頂きながら、縁に座ってゆっくりと鑑賞もでき、和むのには最適な場所です。

 自然の傾斜に石組みや植木を配置し、庭の約半分を占める雄大な池を中心とした池泉観賞式庭園です。藩主の池田光仲が十年をかけて築造させたといわれており、亀島、鶴島、滝の石組みなどが元禄時代のままに配置されています。庭に下りて澄んだ空気を胸いっぱい吸い込み散歩するのも、気持がいいです。

 まだ、杜若が咲いていました。その向こうには、キリシタン灯籠かな~

 逆扇形の芝生地に3個の石をさりげなく配した築山や、中ノ島を配した広い池、がん小的な観音院庭園は、17世紀現在地に移り作庭されたといわれています。絵画的な印象の庭園です。もうすぐ咲き始めるスイレンの名所としても有名です。

 のんびりと庭園を見ながら歩いていると、嫌なことを忘れ心も和みます。

 今日は、いい庭園を鑑賞させてもらい庭園を見ながら寝転んで居たいですが、そうもいきません。
次回をお楽しみに  では  またね

 
 

味わいの里・三日月のルピナス  2011.05.25

2011年05月26日 13時38分35秒 | 季節のたより


  所在地  三日月のルピナス    兵庫県佐用群佐用町乃井野1266

 ルピナスの花が咲いているところは、兵庫県佐用郡三日月で、国道179号線からちょい入った味わいの里三日月にあります。
味わいの里三日月は豊かな自然と人々の暖かさが感じられるところです。そんな味わいの里三日月には農家の方が真心こめて作った新鮮な野菜など、地元の原材料で作った特産加工品の販売と新鮮な地元の素材を生かした田舎の素朴な味が楽しめます。

 味わいの里三日月付近にルピナス畑があります。約40aの畑に、植栽された色とりどりのルピナス12,000本で綺麗です。

 先日の雨で、「ルピナス花園」のルピナスは、今が、が最高の見頃です。

 長閑な田舎の風景がにじみ出ている中、元気良くルピナスの花がニョッキニョキと背が伸びていますね。

 味わいの里のルピナス畑に着いたときは、写真を撮るときには1,2人でしたが、時間が経つに連れ多くの人が写真を撮りに来られていました。

 ルピナスの花は、「のぼり藤」と言われるだけあって、確かに藤をさかさまにしたようですね。

 色とりどりのルピナス畑、一面に咲き誇っています。

 ルピナス畑の、向こうには山々が連なり綺麗な景色です。

 ルピナスの花は、色んな色があるんですね、同じ色の花は少ないです

 ここへ来るのは、2度目ですが、通りすがりに覗いてみると最高のルピナスの見頃です。

 ルピナスの花を見た後は、「味わいの里」で蕎麦でも食べるのが一番でしょうが、今回は、時間が早いのでルピナスの観賞のみです。

 このルピナスの鉢植えが¥500で販売していましたよ。買うか買わないか思案どころです。綺麗な花ですものね

 ドライブ途中で綺麗なルピナスの花が見られて最高です。
次回をお楽しみに  では  またね


新緑の姫路古刹圓教寺を訪ねて  2011.05.16

2011年05月17日 19時12分45秒 | 神社・寺院


  所在地   書写山圓教寺   姫路市書写2968

 姫路市街の北西部に位置する書写山は、標高371m。ロープウェイは、山麓駅と山上駅の高低差210mを約4分間で結んでいます。山上駅を下りれば、「西の比叡山」とも呼ばれる書写山圓教寺の境内に入ります。

 山上にある西国三十三観音霊場第27番札所書寫山圓教寺(円教寺・えんぎょうじ)は、康保3年(966年)、性空(しょうくう)上人によって開かれた天台の古刹です。

 しばらく歩くと最初に仁王門が現れます。明治維新までの書写山は女人禁制だったため、女性が仁王門をくぐることは叶わなかったそうです。

 圓教寺会館(金輪院跡)です。ラストサムライの撮影時には、ここで俳優さん達が休憩をされていたようです。

 十妙院の入口の、手前の松は、昭和天皇 お手蒔きの松があります。

 十妙院の庭です。落ち着いた雰囲気ですね。

 昔、この石の上に乙天、若天の二人の童子がこの石に降り立ち、寺門を守ったと言う伝説が残っています。 また別名「弁慶のお手玉石」と呼ばれ、この大きな護法石を弁慶はお手玉にしたと言われています。

 湯屋橋を渡ると摩尼殿(まにでん)が見えます。この石段をあがります。マニとは梵語の如意のことで、天禄元年(970)創建。 本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。

 摩尼殿(本尊如意輪観世音菩薩)は西国第二十七番の霊場として、今も全国から参詣者多く、その信仰の中心であるようです。

 秋の紅葉は摩尼殿から見たいものですね。

 秋の石灯籠と摩尼殿の欄干が美しいでしょうね

 左側、大講堂は、圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場です。室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三つの堂」を形成しています。アメリカ映画ながら、日本を舞台に日本人と武士道を偏見なく描こうとした意欲作で、多数の日本人俳優が起用されたことも話題を呼ぶ「ラストサムライ」の撮影したところです。

 大講堂、寛和2年(986年)に花山法皇の勅願により創建され、このときに、圓教寺の寺号を賜ったといわれています。

 新緑のモミジ越しに常行堂が見られ、常行三昧のための道場で、堂の北側、大講堂に面して舞台がつけられており、釈迦如来に奉納するために舞や雅楽が行われたといわれます。

 境内には、新緑のモミジが綺麗で心が休まります。

 姫路城主だった本多家の墓所。墓石の上に屋根があります。5軒建っています。

 左に進むと鐘楼が、袴腰(はかまごし)付で腰組を持つ鐘楼で全体の形もよく整っています。鎌倉時代後期の様式(国重要文化財)だそうです。

 金剛堂は三間四方の小堂で、元は普賢院という塔頭の持仏堂でした。内部には仏壇を設け、厨子を安置しており、天井には天女などの絵が描かれています。性空上人は、この地に於いて金剛菩薩にお会いになり、密教の印を授けられたと言われています。

 境内を歩いていると、何処からか「鹿」の子供が出てきました。可愛い小鹿です。

 こんな所に松平直基の墓所が徳川家康の孫にあたり(家康2男・秀康の第5子)もとは出羽国の山形城にいましたが、播磨国の姫路城主に命じられましたが、山形から姫路へ移封の途中、江戸で発病し姫路に入らず亡くなり直基の子・直矩が姫路城主になったとき分骨して書写山に墓所を造りました。

 ここが瑞光院、秋の紅葉は綺麗でしょうね。

 ロープウェイ山上駅附近の公園には、つつじの花が咲き誇っています。

 ロープウェイ乗り場に「ニセアカシア」の花が咲いていましたよ。

 ロープウェイが来ましたので、乗車して下山します。
次回をお楽しみに  では またね

神戸市立森林植物園「ハンカチノキとシャクナゲ」の見頃 2011.05.13

2011年05月14日 20時52分21秒 | 季節のたより


  所在地  森林植物園   神戸市北区山田町上谷上1―2

 神戸市立森林植物園は、六甲山地の西部に位置し、六甲山をはじめ日本の代表的な樹木や世界各地の樹木、約1200種(うち外国産約500種)を原産地別に植栽しています。昨日まで激しい雨が降りましたが、「シャクナゲとハンカチノキ」を見にやって来ました。

 この公園では、日本や世界の森めぐりをし、早春の花々や新緑・梅雨のアジサイ・晩秋の紅葉・冬木立と、四季折々の森の自然をお楽しむことが出来ます。

 「つつじ・しゃくなげ園」の中に足を運びますと、ヒノキ林の足元で遅咲きのホソバシャクナゲが今を盛りと咲き誇っています。

 先日までの悪天候も影響してか、シャクナゲの花が痛んでいるものも。

 「つつじ・しゃくなげ園」の中には、「あずまや」があり、ちょっと休憩です。

 「あずまや」の先には、待望の「ハンカチノキ」が見え始めました。

 「ハンカチの木」は、中国で発見された植物で、「ハトの木」や「ユウレイの木」などとも呼ばれている。植物界のパンダだそうです。ある程度の大きさにならないと開花しないようですよ。

 見上げると、枝々に垂れさがった白い“ハンカチ”が初夏の風にそよそよと揺れています。

 昨晩の、雨に濡れてシャクナゲが綺麗です。

 斜面地に咲くシャクナゲの様子はさながら“花のジュウタン”のような気がしますね。

 林の斜面にシャクナゲが咲き誇り、新緑の香りがいいですね。

 少し足を運んで長谷池を覗いて見ましたが、カキツバタは、まだ 早いようです。1~3輪咲いていましたが、まだまだですね。

 カキツバタが見頃のころには、この板の道を歩くと気持ちがいいでしょうね。

 ツツジの花に、黒アゲハチョウが、蜜を吸いに来ています。

 ツツジの花も今が見頃です。この場所は、ツツジが沢山咲いて最高です。 今度、来るときは紫陽花の花が見頃に入っているかな?
次回をお楽しみに  では またね

明石・住吉神社の藤の花  2011.05.08

2011年05月08日 19時30分57秒 | 季節のたより


  所在地  住吉神社    兵庫県明石市魚住町中尾1031

 今が見頃の藤の花を見に住吉神社へ。今回は、住吉公園のある海辺から鳥居をくぐり参道へ

 参道から山門をくぐると桜門が、楼門の前の狛犬の表情は独特で、二階つくりの門で豪壮で江戸初期の建立のようです。

 その先には、境内にある能舞台は江戸時代に当時の初代明石城主小笠原忠政が寛永4年(1627)に建立したもので、現在でも毎年5月1日には能が奉納されています。

 能舞台の前には、本殿があります。住吉神社は、伝承によれば、神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られました。

 住吉神社本殿裏の藤棚に咲く藤の花が見頃を迎えているかな?

 これが、住吉神社の藤の花です。

 藤は当神社の御神木で、むかしむかし、藤の枝が流れ着いた播磨の地に住むと言って、住吉大神が藤の大枝を海に浮かべられたところ、その枝が当地に流れ着いたというのが住吉神社の藤の由来だそうです。

 播磨灘にのぞむ台地の、住吉神社の社殿背後に70平方mの枝を広げた大藤が今が見頃と咲いています。

 他の地方では、1m近くになる藤の花がありますが、ここは、それより小ぶりで見事な花を咲かせています。

 ちょっと本殿の裏側から覗いてみました。

 藤棚の附近には、ツツジが咲き藤に花と色とりどりで綺麗です。

 いたる所に、ベンチがありちょっと休憩して藤の花を見るのも心が休まります。

 5月に入り新緑も深まり、その中に咲く藤の花が綺麗です。

 綺麗な藤の花を見させてもらい住吉神社に参拝して帰路に着きました。
次回をお楽しみに  では またね

豊岡市・金剛寺のシャクナゲ 2011.05.06

2011年05月07日 19時48分21秒 | 季節のたより


  所在地  金剛寺のシャクナゲ   兵庫県豊岡市金剛寺487

 石楠花寺とも呼ばれる豊岡市金剛寺にある金剛寺で、裏山に植えられた約2700株の石楠花の花が見頃を迎えています。

 山寺のような感覚で、石の階段を上がっていくと前方にはお地蔵さんが、

 その横には、金剛寺の寺史は未詳であるが、1339年(歴応2年)足利尊氏が戦没者慰霊を願い、一寺一塔(一国一塔婆建立)を全国に建立した際の寄進状が残っており、後に利生塔と名付けられた塔婆は、石造宝篋印塔(室町期のもので、供養塔・墓標)とともに、兵庫県の文化財に指定されています。

 石階段を、上がると境内には鐘楼が、附近にはモミジの種類が違うのか紅く染まったモミジが沢山あります。

 本堂脇の庭からは、シャクナゲが鑑賞が出来。金剛寺は、但馬西国三十三ヶ所観音霊場の第3番です。

 境内には、シャクナゲが咲き誇り、目を見張る美しさだ。境内を流れる小川のせせらぎを聞きながらのんびり歩いて見ました。

  参道脇のシャクナゲが植えられており

 山中の遊歩道には、今年は入れません。鹿などの野生動物が荒すのか網が張られています。

 網越しに、シャクナゲを観察です。

 小川を挟んで山の斜面には、沢山のシャクナゲを見るころが出来ます。

 静かなお寺のシャクナゲを鑑賞して帰路に
次回をお楽しみに  では またね

豊岡市・但馬天満宮附近の八重桜 2011.05.06

2011年05月06日 20時26分12秒 | 季節のたより


  所在地 但馬天満宮  兵庫県豊岡市但東町奥矢根

 兵庫県の出石から京都府丹後市を結ぶ、国道482の途中にある矢根交差点を県道247(口小野矢根線)に入ると矢根川沿いに八重桜並木が2km以上、但馬天満宮まで2km以上続きます。

 県道247沿いに但馬天満宮の駐車場があります。少し歩くと矢根川に架かる赤い欄干の橋が、

 鳥居の向こうには、本殿があり、平安時代に菅原道真の一族が道真を祭神として建立したと伝えられ但馬天満宮として有名。当日は3.6m四方のジャンボ絵馬が飾られ、願い事を自由に書き込んでもらえる他、合格をもじった五角くぐりを参拝者にしてもらい、合格祈願を地元の住民全員で盛り上げます。

 矢根川沿いの両側には、沢山の八重桜が、

 こちらは、白い八重桜が、

 白い八重桜を、ちょっとアップで撮ってみました。

 但馬天満宮へ行く赤い欄干の橋のたもとに咲く八重桜が綺麗です。

 赤い欄干の反対側から

 あまり八重桜が綺麗ですので足が前に進みません

 今度は、ピンクの八重桜をアップで撮ってみました。

 今の時期、田んぼには、水が張られ八重桜が水に映る景色が綺麗です。

 川の向こう側には、休憩する「あずまや」があります。

 八重桜があまりにも綺麗で満開で見頃最高です。

 矢根川には、素晴らしい八重桜の並木がありますが、ソメイヨシノは、見かけませんね。

 川の両側にある、白とピンクの八重桜、ソメイヨシノとちょっと風景が違いますが、

 川の周辺には、田園風景があり、長閑ですが八重桜が見頃なのに花見に来ている人を見かけないね。

 神社の周辺だけの八重桜の写真撮りですが、片道2kmの八重桜を見ながら歩くのもいいですが、次回に

 八重桜は、花が重いのは垂れ下がり気味です。

 天気はいいし、のんびりと写真撮りは終盤です。

 農家の人は、この時期、種まきをしているのかな?、向こうには八重桜の桜並木が、

 これだけ八重桜の並木があるのも見ごたえがありますね。
次回をお楽しみに  では またね