hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

日本丸・新港第一突堤を出港  2013.12.02

2013年12月06日 16時51分59秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地   日本丸出港    神戸市中央区新港町 新港第一突堤

 今日は、日本丸の出港を見に新港第一突堤へ新港(しんこう)は兵庫県神戸市中央区にある神戸港を構成する地区の名称。幕末には勝海舟の建言で神戸海軍操練所が設置されていた。その沖合いに明治時代末から大正時代にかけて建設された第一突堤~第四突堤は、歴史的建造物が点在する突堤袂のエリアと共に、古い港町の雰囲気をのこすところです。

 日本丸は、PM2:30ごろ出港する予定で多くの人が見送りに また 沢山の写真を撮る人が来られています。

 日本丸は、独立行政法人航海訓練所所属の練習帆船で、昭和59年2月、住友重機械工業浦賀工場で進水です。4檣バーク型、2,570総トン。全長110.09m、幅13.80mの素晴らしい帆船です。

 船尾も素晴らしいです。同じ新港第一突堤に並んで練習汽船の銀河丸が停泊しています。

 日本丸の出港歓迎セレモニーが、神戸税関音楽隊による歓迎演奏が始まり

 マリンメイトからの歓送花束の贈呈が始まり日本丸の船長の挨拶が

 いよいよ登檣礼(とうしょうれい)始まり、実習生全員が白い実習服に黄色い高所作業帽子に身を包みマストやヤードに登っていきます。

 マストやヤードに登り脱帽の上「ごきげんよう」を三声する練習帆船最高の儀礼です。その姿は感動的で実習生たちの熱い心意気が感じられます。

 日本丸の船首の先端にも実習生が「ごきげんよう」と三声が

 日本丸より15分ほど早く銀河丸が出航です

 まもなく日本丸がタックボートの助けを受けて出航です。

 日本丸が出航したあとマリンメイトのお穣さんの写真を撮らせて頂きました。

 日本丸と銀河丸が出航した後は、今まで何もなかったように静けさが戻ってきます。今度、海王丸は何時入港するのかな~
 次回をお楽しみに では またね

たつの市紅葉谷の紅葉  2013.11.29

2013年12月05日 20時43分06秒 | 公園・名所・名勝

  所在地   紅葉谷   兵庫県たつの市龍野町中霞城   

 鶏籠山の西側に広がる山麓一帯が県立公園に指定されている、豊かな緑に包まれた絶好の散策路で、紅葉谷の入り口付近のモミジは、紅葉が見ごろになってきました。

 「歌碑」が
「もみじ葉の  下ゆく我を  よびとめて  清くやさしき  谷水のこえ」安田清風は、本名を喜一郎といい、明治28年揖保郡太子町吉福に生まれました。

 紅葉橋から まだまだ続く紅葉のトンネルの上り道です。

 散策するだけでも楽しいところで、木漏れ日を通さぬほど繁っている紅葉の絶景ポイントの「紅葉谷」は、おすすめですよ

 紅葉谷の紅葉は他のところより少し見頃が遅くなるようで、こんなところかな~

 紅葉した、落ち葉を踏みしめながら石段を上るのも また いいものです。

 秋は紅葉が園内を美しく彩ることで有名で、鶏籠山の山裾にある紅葉谷は、木漏れ日も通さぬほどカエデが茂り、昼ごろになると観光客で大勢の人が

 「播磨の小京都」は、秋には600本のカエデが真っ赤に色づき、散策には絶好の場所。近隣の「聚遠亭(しゅうえんてい)」や龍野城、武家屋敷が残る城下町などを合わせて巡るのがオススメですね。
 次回をお楽しみに  では またね

楽庵・御涼所の紅葉  2013.11.29

2013年12月04日 09時00分04秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  楽庵・御涼所     兵庫県たつの市龍野町中霞城

 「聚遠亭」の浮堂の隣には裏千家家元15世千宗室が命名した本格的な茶室「楽庵」が、さらにその隣には江戸時代中期に建設された藩主脇坂氏の別邸「御涼所」が建つ。それぞれの建物の周囲には回遊式や座視式の日本庭園が設けられており、庭園は連続し一体化しています。

 ちょっと庭園を覗いて見ると、江戸中期に建てられた藩主脇坂氏の別邸で、建物の周りには回遊式や座視式の日本庭園があります。

 紅葉した、落ち葉がジュウタンノように敷き詰められ綺麗ですね。

 枯山水の庭があり、石橋が架かり情緒がある風景です。 

 この紅葉の美しさ抜群ですね。キレイ~

 庭一面が、紅葉で地面には木々から振り注いだ落ち葉が敷き詰められたようで綺麗ですよ。

 亭内の御涼所は龍野城まで続くという抜け穴が床下にあるようですが、江戸時代に抜け穴が必要な程、脇坂藩内は緊迫していたのでしょうか?

 池のそばには、石灯篭がありちょっといい感じです。

 御涼所の庭園は、回遊式や座視式の日本庭園で、園内を飽きることなく散策できました。園内には紅葉したモミジの美しさにうっとりします。

 御涼所は、藩主脇坂家の別荘として使われたそうです。詫(わび)・寂(さび)の利いた御涼所は、心が落ち着き藩主脇坂家のお人柄を感じ、いい時期に紅葉を楽しませてくれました。
  次回をお楽しみに  では またね

たつの市・ 聚遠亭の紅葉  2013.11.29

2013年12月03日 08時30分29秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    聚遠亭     兵庫県たつの市龍野町中霞城

 鶏籠山西麓に広がる龍野公園内に位置する。紅葉の名所として名高いところに来ました。

 心字池の向こうに見えるのが、聚遠亭で秋の紅葉の美しさは訪れる人々の心を魅了します。

 その昔、松平定信が来遊した折、ここからの眺望絶佳を「聚遠の門」と讃えたことから、その後「聚遠亭(しゅうえんてい)」と名付けられました。

 「聚遠亭」と名付けられた、その扁額が茶室にかかげてあり、茶室は、江戸時代末期の建築。書院造りを加味した風雅な数奇屋風の建物で、心字池上の浮堂として、庭園、池、杉垣などとよく調和しています。

 聚遠亭は、龍野藩主・脇坂氏の上屋敷として使われていたといわれています。浮堂の茶室は安政年間に脇坂藩主が御所炎上の折の復興に功績があり、孝明天皇から拝領したものと伝えられています。

 当時の老中松平定信が訪問した時に、庭園から眺めた風景があまりにも素晴らしかった事のようです。

 心字池に、数奇屋風の茶室が静かに浮かんでいます。

 心字池に映る聚遠亭の日本庭園ともみじの紅葉がとても美しいですね。
 次回をお楽しみに  では またね

龍野城の紅葉  2013.11.29

2013年12月02日 09時37分38秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   龍野城       兵庫県たつの市龍野町上霞城

 龍野鶏籠山城は、築城年代には諸説があるが、明応8年頃に赤松政秀が築いた説が有力であります。天正9年、蜂須賀正勝が53,000石で入城します。 正勝は、阿波徳島に移封され、その後近世初頭には池田輝政の持城となり、その後、本多政朝・小笠原長次・岡部宣勝・京極高和と慌ただしく城主は変わります。寛文12年、京極高知が讃岐丸亀に移封になり、その後に脇坂安政が信濃飯田より53,000石で入封して、以後明治まで脇坂氏が城主として代々居城することになります。

 龍野城は、標高210mの鶏籠山山頂の山城として築かれた時代と、現在の地、山麓を含めた平山城との二期に渡ります。山城は約500年前、播磨の豪族、赤松村秀によって築かれ4代続きましたが、天正5年(1577年)豊臣秀吉に城を開け渡しました。その後山麓の平山城となり、数回城主交代があった後、寛文12年(1672年)脇坂安治が53,000石で入封すると以降は世襲して明治維新に至ります。

 ここは、春の桜の名所ですが、秋の紅葉も素晴らしく綺麗です。

 現在、本の丸(山麓部)には復元された櫓門、二層隅櫓(模擬)、多聞櫓、本の丸御殿が建てられている。 また、城内には資料館があるが、ここの図書室には「お城」関連の本が結構そろっています。

 信州飯田から移って来た脇坂安政が再建した。本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門などが復元されている、付近にも紅葉が綺麗で目を楽しませてくれます。

 道には、紅葉された落ち葉がジュウタンのように引き詰められ綺麗ですね。

 白亜の城壁が美しく紅葉が冴えて散歩していても気持ちがいいですね。
 次回をお楽しみに  では またね

野見宿禰神社  2013.11.29

2013年12月01日 10時32分27秒 | 神社・寺院

  所在地   野見宿禰神社    兵庫県たつの市龍野町北龍野

 「龍野神社」のそばに立て札があり、野見宿禰神社へ、綺麗に積まれた石段を少し上がると古い石段があって、その途中に「野見宿禰塚」の碑がありました。

 野見宿禰が祀られている神社が長く続いている石段の参道の上にあるというので興味津々と歩いて行きます。

 途中に横綱栃錦清隆 直筆「力水」』が、「力水」を左に見ながら上って行きます。

 野見宿禰神社の鳥居がこの先 まだ 登っていくのかな~

 さらに参道を歩いていくと、展望広場に着きました。龍野の風景を楽しんで休憩です。

 ここから芸妓寄進による玉垣のある石階段100段ほど上がると神社に、

 石積みの長い階段を登り、息を切らして上り詰めた場所が、野見宿禰墓と言われる古墳があり古墳の前に

 まわりには、力士の玉垣と呼ばれる、明治大正時代の力士84名および行司が寄進した玉垣があります。
昔は、立ち入ることが出来たようですが、現在は、石の扉と玉垣を見ることが出来ます。


 石の扉には、野見宿禰と関わりのある出雲大社千家氏の家紋が刻まれています。この野見宿禰神社の由来ですが、出雲国に帰ることになった野見宿禰が、龍野で病により亡くり、その知らせを聞いた出雲の人達がこの地に集まり揖保川の河原の石を手渡しで山上に運び上げて塚を造ったというもの。石を運ぶ沢山の人達が「野に立つ」姿から、『立野』→『龍野』(現在のたつの市)となったと伝えられてます。

 野見宿禰墓と言われる古墳があり古墳の前には、鳥居と石作りの扉があり、周囲には山道が巡っていて一回りすることができます。この山道が古墳の形を忠実になぞっているならば、野見宿禰墓は円墳ということに、正面からは古墳の様子を見ることはできないが、背後からは少しその中をうかがうことができる。端の方から少しだけ登って見てみました。そこには、石造りの祠(ほこら)がありました。鏡がはめ込まれています。

 ここからの眺めは抜群で、古墳が龍野の平野をにらんで築かれているのでしょうか。墳丘からは、東~南東に大きく視界が開けていて、揖保川の流れを眼下に、その東に広がる市街を一望できます。展望が良いのでここまで来る時の疲れが吹き飛びました。
 次回をお楽しみに  では またね