hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

晩秋の神戸市立須磨離宮公園  2011.12.16

2011年12月23日 20時39分33秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  神戸市立須磨離宮公園    神戸市須磨区東須磨1―1

 須磨離宮公園(すまりきゅうこうえん)は、兵庫県神戸市須磨区の丘陵に広がる面積82ヘクタールの広大な都市公園。西洋式庭園を中心とする本園と植物園からなります。穏やかな日和で気持ちがいいですね。

 大阪湾が一望できる噴水公園は、春・秋のバラなど一年中花々が咲いている植物園でここからは、大阪湾の周辺が展望できます。

 須磨離宮公園王侯貴族のバラ園と欧風庭園からレストハウスを望みます。

 青空の広がり風もなく比較的暖かい天気で、お昼時の噴水を見ながら晩秋の離宮の景色を見るのもいいものです。

 春と秋には「王侯貴族のバラ園」が見ごろを迎えます。ここから見る景色は素晴らしいものです。

 須磨離宮公園の本園から植物園へ陸橋を渡ると、そこには「ジュウガツサクラ」が咲いていました。

 可憐なジュウガツサクラが数本あり、今が見頃と咲いています。

 植物園を中心にイロハモミジなど約600本の紅葉が赤や黄色のトンネルを作る。晩秋の風情を感じながらお茶席なども楽しめようになっています。

 三段滝前の広場附近の紅葉も終りに近づいていますが、まだまだ綺麗です。

 植物園エリアではもみじのトンネルが登場し、晩秋の風情いっぱいですね~

 「華麗なる一族」の舞台となった旧岡崎財閥の和室周辺のモミジは見事で、植物園の方もこれだけモミジの木が沢山あるんですね

 晩秋から冬になるというのに紅葉が綺麗です。

 まだまだ、赤・黄・緑の葉が綺麗な木々にかもし出されています。

 ちょっと植物園の温室に入ると暖かいですね
 
 綺麗な花が沢山あるので目の保養になりますね~

 もみじ滝からもみじの道を歩いていくと紅葉もまだ綺麗です。

 この公園にある植物園のヤマモミジを中心にサクラやメタセコイアなどの紅葉が赤や黄色のトンネルで植物園の東出口の方面へ

 晩秋から冬に入り紅葉が、もう 終りかと思いましたが、秋の薔薇の花も見られいいですね、
 次回をお楽しみに  では またね
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兵庫津の道を歩く・能福寺  2011.12.15

2011年12月22日 21時31分55秒 | 神社・寺院


  所在地  能福寺   神戸市兵庫区北逆瀬川町一丁目39

 805年(延暦24年)、桓武天皇の勅命により中国に留学していた伝教大師最澄が帰途、兵庫和田岬に上陸し、延暦24年(805年)に歓待した庶民によって建てられた堂宇に大師自ら刻んだ薬師如来像を安置し、能福護国密寺と称したのが当寺の開創と伝えられ、伝教大師による我が国最初の教化霊場とされています。この「本堂」は京都東山の月輪御陵にあった拝殿「月輪影殿」を昭和28年(1953年)に宮内庁と九条家より拝領し移築したもので、歴代天皇が参拝した由緒ある建物といわれている。

 能福寺は平清盛所縁の寺としても知られ、1180年(治承4年)、福原京遷都にともない平清盛が能福寺で剃髪入道(浄海)し、平家一門の祈願寺に定められ大伽藍が建設され八棟寺と称されました。この本堂は平成7年の阪神大震災で大破したが、平成12年に以前の姿に復旧しました。

 平清盛は仁安3年(1168年)に能福寺で剃髪入道、後、養和元年(1181年)に京都で死去した。清盛の遺骨は遺言に従い能福寺の寺領内にあった八棟寺に埋葬され、平相国廟が造立されたといわれ、その後、平家の滅亡により能福寺と共に「平相国廟」も灰燼に帰したが、約100年後の弘安9年(1286年)に時の執権北条貞時が平家一門の盛衰を哀れみ、石塔を建て清盛の霊を弔ったと伝えられています。

 日本三大大佛・兵庫大仏
境内に鎮座する兵庫大仏(胎蔵界大日如来像・毘慮舎那仏)は伝統日本三大佛の一つで、身丈(像高)11m、重量約60t、蓮台高3m、台座高4m、総高18mあります。大仏座の下には永代祠堂があり、ここに安置されている十一面観世音菩薩立像は平安朝初期に作られた檜の一木造りで、滋賀県甲西町善水寺から請来したと伝えられ国の重要文化財に指定されています。

 入り口を入って直ぐ左側やや奥まった場所に「滝善三郎正信慰霊碑」があります。慶応4年(1868年)1月11日、現在の神戸三宮付近で西宮警備の命を受けた備前藩士の行列を横切った外国人を傷つけたのが発端となり、衝突が起こり、神戸事件として国際問題になったようです。初代の「兵庫大仏」は明治24年(1891年)に豪商南条莊兵衛によって建立されたといわれており、奈良、鎌倉と共に日本三大仏に数えられたといわれています。
 次回をお楽しみに  では またね
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兵庫津の道を歩く・キャナルプロムナード 2011.12.15

2011年12月21日 21時59分18秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  キャナルプロムナード    神戸市兵庫区切戸町

 大輪田橋の北側、新川運河沿いの約300mの岸壁がきれいな散歩道として整備されています。ここはキャロルプロムナードと名付けられ、市民の散歩コースや憩いの場になっています。
    大輪田水門
大輪田泊(おおわだのとまり)1180年(治承4年)、平清盛が京都から兵庫の福原へ都を移したとき、大輪田泊(兵庫港)を整備し、防波堤の役割を果たす経が島を造りました。1172年(承安2年)に始まった経が島の埋め立て工事は難航し、完成したのは平家が滅んだ後の1196年(建久7年)でした。このころから周辺の町が発展し、兵庫津と呼ばれるようになりました。この大輪田泊が現在の兵庫港、神戸港の始まりであると伝えられています

 兵庫城と兵庫県庁の碑
1580年(天正8年)池田信輝と輝政父子が花熊城(花隈城)を攻め落とした功によって兵庫の土地を与えられてから、これを機会に池田氏は花熊城(花隈城)の遺材を使用して、東西、南北とも約140mの兵庫城を築きました。兵庫城は、西国街道の南・現在の切戸町から中之島中央卸売市場付近にかけて造られ、周囲には幅約3.6mの掘りが巡らされていました。兵庫城のあったこの地が最初の兵庫県庁となり、伊藤俊輔(後の伊藤博文・初代総理大臣)が初代兵庫県知事として赴任しました。

 新川運河キャナルプロムナードでは、毎年11月~3月にかけて、たくさん飛来するカモメの糞害に悩まされています。そこで兵庫区連合婦人会では、このカモメを餌付けし、一箇所に集めることで、糞の掃除を楽にすることを考え、人とカモメの共存を目指した取り組みを行っています。

 兵庫運河と和田岬周辺はその昔、兵庫津と呼ばれ、神戸市、兵庫県のルーツとも言える歴史のある地域で、神戸港が国際港として発展する礎となった場所です。

 明治8年に開通した新川運河と、明治32年に開通した兵庫運河により、須磨と兵庫港を結ぶ。現在新川運河にキャナルプロムナードと呼ばれる遊歩道が整備され、今の時期は、沢山の「ゆりかもめ」が飛んできています。婦人会で売られている「かっぱえびせん」を差し出すと上手に「かもめ」がエサを取って行きます。楽しいですよ

 「ゆりかもめ」が手すりに一列に整然と並び微笑ましいですね

 地元ゆかりの平清盛をまちづくりのシンボルにしようとして、清盛をモデルにしたキャラクター「清盛くん」をデザインした像が、兵庫運河沿いに設置してありました。「清盛くん」は、出家後の清盛をイメージしてあるようですね。長閑な日々に兵庫の津を歩くのもいいですね。
 次回をお楽しみに では またね
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兵庫津の道を歩く・真光寺  2011.12.15

2011年12月20日 19時58分00秒 | 神社・寺院


 所在地  真光寺   神戸市兵庫区松原通一丁目1―62

 真光寺・時宗の寺で、時宗の三檀林(学問所)の一つとされ、入り口にある大檀林の石碑は明治時代に建立されました。檀林とはお寺の学問所で今で言う、大学のような場です。大がつくので、かなりの規模であった事が想像できます。開祖一遍上人は正応2(1289)年に51歳でこの地の観音堂で亡くなり、後に弟子がここに真光寺を建てました。

 鎌倉時代に建てられた、真光寺(しんこうじ)は浄土時宗の開祖一遍上人の入寂地であり御廟所があります。広い境内と数々の史跡が兵庫の歴史を物語っています。鐘つき堂の重みある鐘の響きを聞くたびに、古き歴史を感じます。

 仁明天皇(833年~850年)のころ、恵萼が唐より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなったので、堂を建てて祀ったのが始まりという。建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となりました。

 衆生救済のため人々に念仏を勧め「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」のお札を配って、日本全国を16年間行脚された遊行聖・一遍上人は、踊り念仏で名高い時宗の開祖でもあります。

 平清盛が経ケ島を築いた時、大池に住んでいた竜の祟りを防ぐ為に、寺内に堂を建てて大日如来を祀ったところ解脱昇天したと伝えられています。また平清盛が祀った七弁天のひとつ、真野弁天がこの堂にあったとも言われています。

 境内に立っていた道標です。

 一遍上人は、自分の墓が造られることを拒否し、「遺体は野に捨てて獣に施せ。」と遺言したが、彼の弟子他阿上人は、この地に廟を造り五輪塔を建てて、伏見天皇から真光寺の山号を賜った。これが当山の起こりである。廟と五輪塔はいずれも南北朝時代に再建されたものだそうです。

 一遍上人 廟
    阿弥陀とはまよひさとりのみちたへて たゞ名にかよふいき仏なり
    南無阿弥陀仏ほとけのみなのいづるいき いらばゝちすのみ(身)とぞなるべき
         (死に当たって一遍の残した最後の歌)


 境内の外に、和田の笠松歌碑が
笠松は、かっては松原通一丁目の真光寺の門前から北へ50mほどのところの、須佐の入江に流れ込む小川の石橋の側にそびえていた。鎌倉初期に藤原為家が「秋風に吹きくる峰の村雨にさして宿かる和田の笠松」と歌い、また、藤原季経の歌にも「木末までかかれる蔦のもみじして錦を織るや和田の笠松」とあります。延宝八(1680)年の「福原びんかがみ」も笠松の図を入れて、「兵庫の町はずれから一丁」として「笠松や輪田は大いに夕涼み」などの句をあげている。この松は、枯れたら代々植え替えられて、海ゆく人、道行く人の目印となっていたが、明治四十五年に神戸史談会が植えた何代目かの松が太平洋戦争で焼けて、今は碑だけが残っています。
 次回をお楽しみに では またね





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兵庫津の道を歩く・薬仙寺 2011.12.15

2011年12月19日 07時24分22秒 | 神社・寺院


  所在地  薬仙寺  神戸市兵庫区今出在家町4丁目1-14

 天平十八年(746)に行基(ぎょうき)菩薩が開基(かいき)したと伝えられます。薬仙寺の名は、後醍醐天皇が隠岐より兵庫の福厳寺に泊まられたとき、ここの霊水を服用薬に奉り、病が回復したところから付けられました。

 この地は、奈良時代行基菩薩が開いたと伝えられる大輪田の湊に接し平安時代にはたびたび千僧供養が行われた所でもあり、行基が聖武天皇から賜った観音像と、地中より発見されたと伝わる薬師如来が祀られています。

 花山法皇歌碑
第65代天皇花山天皇(968~1008)は、若くして妻を失い、藤原氏の策謀により退位し19歳で出家、三田花山院に隠棲した。こよなく大輪田の海を愛し、しばしばこの寺に滞在したと伝えられています。その縁によりいつの頃かこの歌碑が建立されました。

 萱の御所跡碑
平清盛の別荘「萱の御所」跡(神戸市夢野町にありましたが、それが「平教盛邸」だという説もあります)福原遷都の際、後白河法皇をここに幽閉したので「牢の御所」ともよばれるようになりました。

 後醍醐天皇医薬水
当山本尊薬師如来示現の霊薬泉で、元弘の変(1333)の時、後醍醐天皇が隠岐から還幸の途中、兵庫の福厳寺に泊まられましたが、病床に伏せられ、この時ここの霊水を服薬に差し上げたら病が回復しました。これにより、天皇より「医王山」と山号を賜り、「薬仙寺」と名付けました。
 次回をお楽しみに では またね


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兵庫津の道を歩く・和田神社  2011.12.15

2011年12月18日 07時31分27秒 | 神社・寺院


  所在地  和田神社   神戸市兵庫区和田宮通3丁目2―45

  和田神社の関西最大の石鳥居が阪神淡路大震災で倒壊した。その後この大鳥居を造船所が奉納されました。

 和田宮の御祭神は天御中主大神を主神とし、市柿嶋姫大神と蛭子大神を相殿にお祀りしています。淡路島から蛭子大神が和田岬に流れ着いたのが和田宮の始まりであると伝えられ、1662年(寛文2年)領主の尼崎藩主・青山幸利が社殿を造営しこれより後に和田神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

 境内には、影向の松が、 和田明神の使いとして信仰される白蛇が姿を現した松(二代目)だそうです。根元に陶器製の白蛇が沢山おいてありました。

 「影向松」の伝説にちなみ、高倉稲荷神社の奥には白蛇を祀る巳塚があります。

 1680年、境内にある陰向松に白蛇が現れ、祭式が盛んに行われたと「網家古伝記」に記されています。白蛇は古来より和田宮の神使として崇拝されており、神社移転の際などは姿を現したと伝えられています。

 不自由な身体に生まれたために葦の舟で自凝島(おのころじま)から流されたといわれる蛭子大神。西宮神社に祀られ、商売繁盛の「えべっさん」として親しまれるようになった蛭子大神が、自凝島からまず最初に辿り着いたのが和田岬だといわれています。このため、古来よりこの辺りにあった森のことを「蛭子の森」と呼び、蛭子大神をお祀りしていました。

 1173(承安3)年、平清盛公は日宋貿易の拠点とするために、奈良時代に行基上人の手によって開かれていた大輪田泊の改修整備を行いましたが、その際とても工事が難航したそうです。そのため平清盛公は、この一大港湾整備事業の完成と兵庫津の繁栄を祈願して、安芸国・宮島より市杵嶋姫大神を勧請しました。宮島にある7つの海岸にちなみ、兵庫エリアには7か所の弁天社が建てられたといいます。和田神社をはじめ、氷室神社・真光寺・済鱗寺・恵林寺・兵庫厳島神社・花隈厳島神社の7つの弁天社は「清盛七弁天」と呼ばれ、平家の隆盛を偲ぶ観光名所として整備されました。

 江戸時代には朝鮮通信使一行が祈願に訪れ、幕末には時の将軍が参拝、与謝蕪村が歌会を開催するなど文化の華を咲かせていました。

 ちょっと埴輪のある神社というのは、珍しいですよね~

 宮比社は、元々この神社には『宮比講』という崇敬会が組織されていました。その象徴ともいうべきこの御社には古くより自らが信仰する神様を祀る習慣があり、たくさんの神様がお祀りされています。御社の前に飾られている額は旧大鳥居に掛かっていた物です。
 次回をお楽しみに  では またね


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兵庫津の道を歩く・三石神社  2011.12.15

2011年12月17日 09時50分13秒 | 神社・寺院


  所在地  三石神社   神戸市兵庫区和田宮通3丁目2―51

 近畿には神功皇后伝説にゆかりのある神社が多数存在していますが、ここ三石神社もそういった神社のひとつだそうです。

 伝説によると、三韓遠征で勝利を収めて凱旋帰国する途中の200(神功皇后摂政元)年、神功皇后の乗った船がこの辺りで潮に巻き込まれて前に進まなくなり、和田岬に上陸して卜占を行うなど暫くこの地にとどまったそうです。その時の滞在地が、現在御崎八幡神社が建っている土地だと言われています。神功皇后は立派な馬を連れており、地元の人々がこの馬に秣を献上したというエピソードが残されています。

 三石神社にはここだけにしか無いと自慢する神功皇后の像と名前の由来になっている三つの石があります。三石は神功皇后(西暦200年)が三つの石をもって安産を祈られた処と言い伝えられています。

 「三石」の名前は、神社にまつられている3つの石からきています。この3つの石については諸説があり、①神功皇后が遠方の地を平定し海を渡って戻った際に、この地で3つの石をたてて神占いをし、広川、牡川、長、住吉の神々を各地にまつつたという説、また、②神功皇后が3つの心で安産を祈ったという説があり、安産祈願に多くの人が訪れます。この像は、神功皇后像 幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像です。

 天平年間(730年頃)僧行基が務古の水門なる和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんとすと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を立て大輸田泊の鎮護とし、神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)としました。
次回をお楽しみに  では またね
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高松市・四国村(四国民家博物館)の紅葉の秋  2011.12.04

2011年12月06日 08時03分03秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  四国村  香川県高松市屋島中町91

 四国村「四国民家博物館」は源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に、四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館です。昭和51年に開設して以来、社会教育の場また観光スポットとして、「四国村」の愛称で多くの方々に親しまれています。ちょっと覗いてみました。

 駐車場の下には、お食事・休憩に利用できます、茅葺きの古民家を改装した手打ちうどん店「うどんのわら家」があります。その附近の紅葉も綺麗です。

 「わら家」といえば、四国村の門前にあり、かやぶき屋根の民家と水車がトレードマークのうどん店だそうです。紅葉も綺麗で絵になりますね~

 茅葺の屋根と紅葉は、古の昔を想いちょっと心が落ち着きますが、現実に戻り、これだけ古い家があると茅葺の屋根に使用する「カヤ」を調達するのが大変でしょうね

 ここより、四国村に入るには、入村料が¥800です。ちょっと高いようですが入って見ます。

 日本三大奇橋のひとつである「祖谷のかずら橋」ですが、この橋は、祖谷地方の技術保持者を招き材料も本物のの山野に自生するシラクチカズラで編まれて完成しました吊り橋です。

 池の上に、架かっている「ミニかずら橋」ですが、足を置く場所を確保して渡らないと踏み外しますので気をつけてね~

 この舞台では小豆島の地元の島の人達にとって、たった一つの楽しみ、春秋の祭りに開かれた島歌舞伎の舞台がこれです。寄棟造茅葺で上手には建造年代は良くわかりませんが「文久3年(1863)亥吉日、片岡市朝祭礼振付仕候」と墨書きがあるので、江戸末期のものであろうか役者は地元の農民だったそうです。

 これは、山地の農民にとって獣類の被害は恐怖であり猪垣は山畑の農作物がイノシシやシカに食い荒らされるのを防ぐために、畑の周辺を囲う垣根です。地方によっては「シカカベ」ともいいます。粘土に松葉を入れて作ります。

 これ何かわかります? 厠(かわや)・側屋(かわや)とお風呂です。地方の少し前まで母屋のそばに設けるのが一般的で子供のころ寒いときに外へ出て用をたすのが辛かったようです。

 旧河野家住宅で: この民家は、愛媛県の南、小田町の深い谷筋の奥まった急斜面に建っていました。部屋の床はすべて竹を敷き、各部屋に「いろり」が切られ、寒い山間の住まいの特徴を示しています。土間には、和紙の原料にするコウゾを蒸す釜があります。

 順路に沿って歩いていると竹やぶが、その端には紅葉した木があり逆光で綺麗です。

 上から見る、茅葺の屋根、紅葉と茅葺が似合います。

 楮(こうぞ)蒸し小屋で:土佐は高級和紙の産地です。この小屋では伝統の和紙づくりが行われていました。切りそろえた楮やみつまたを束にして、釜に立て、上から桶をかぶせて蒸す。取り出して皮を剥ぎ、黒皮を取り、水に浸した白皮をモチにして、棒でたたく。最後に水に入れてすくい上げ、紙に漉く・・・−和紙作りは、手のかかる作業でした。この附近には、水仙が沢山植えてあり開花の季節には綺麗でしょうね。

 染が滝です。:明治、大正期の民家の基礎に使われていた石をふんだんに用いています。流れる滝の水音に耳を傾ければ、屋島を望む空に向かって、ひととき、こころが和みます。石の美しさをゆっくりとご鑑賞ください。

 水が湧き出て情緒をかもし出され木々が紅葉して綺麗な光景です。

 下り階段を降りていきます。村内には江戸時代から大正時代の民家が12棟移築復原されており、室内には当時使用されていた農具が多数展示されています。四国各地から移築復原されたこれらの建物は、国や県などの指定文化財となっています。附近の風景と建物を見ながら歩きます。

 至るところに、綺麗な紅葉とそれにマッチした光景が見られます。

 旧丸亀藩御用蔵の前には、多くの甕(かめ)が並びます。

 旧吉野家住宅(漁師の家):徳島県の太平洋に面した断崖の下、海部郡由岐町伊座利にあった「漁師の家」。切妻造り平屋建て本瓦葺きの家で、強風を防ぐ役目をしている周囲の石垣を伴っているのは、この地区の漁家の特徴です。

 四季を通して咲く様々な「季節の花」などをお楽しみながら、四国内の施設を村内に復原された「民家・民具」、「伝統産業施設」、「村の共同施設」、「燈台」、建築家・安藤忠雄氏設計の「四国村ギャラリー」、彫刻家・流政之氏による「石の芸術」、見させてもらい堪能しました。
 次回をお楽しみに  では またね





 
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高松市・うどん本陣山田家  2011.12.04

2011年12月05日 08時56分17秒 | 美味しい食物・食事処


  所在地  うどん本陣山田家    香川県高松市牟礼町牟礼3186

 ここは、元名酒「源氏正宗」の酒造家で、ここ由緒ある旧屋敷から、お届けする酒処の水と、山田家専用小麦粉で練り上げた伝統的讃岐うどんをつくり手打ちうどんを味わせてくれます「うどん本陣 山田家」さんです。

 駐車場からは、面影が残る煙突に「源氏正宗醸造」の名前があります。

 少し右側を見ると五剣山が、五剣山の名は五つの峰が剣の尖のようにそびえ立っているのが見えますが元禄十一年(一六九八)の豪雨で西の峰が半分に割れ、宝永三年(一七〇六)の地震で東の峰が崩れ、現在は四峰になっています。珍しい形をした山ですね。

 長屋門をくぐると大きな提灯がぶら下がっていて、その向こうには手入れの行き届いた日本式庭園が広がっています。

 ここは、造り酒屋だったんですね、そのころからの日本庭園が実にすばらしいです。手入れが行き届いた庭園を見られ心が落ち着きます。

 天気のいい日の、これからの季節は綺麗に手入れされた庭で赤い毛氈の縁台に腰かけて食べるのも楽しいひと時が過ごすことができます。

 暖かい いい天気には、日本庭園に囲まれた場所で、ゆっくりと本場の讃岐うどんをお楽しみいただけますね~

 食事する席は、いい天気には庭園席で、屋敷の母屋にあたる本館は、座敷席を中心に、酒造や長屋門を改装した離れは椅子席があります。

 ちょっと腹ごしらえに、名物は釜ぶっかけうどんですが、焼鯖寿司が好きなので定食を取って食べました。美味しかった~

 食事をしたのち外で一息、紅葉も綺麗でいい感じ~るんるん~です。
 次回をお楽しみに  では またね

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箕面公園の紅葉  2011.11.26

2011年12月02日 21時02分56秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  箕面公園   大阪府箕面市箕面公園

 箕面の滝は大阪の北部の箕面国定公園の中にあります。阪急の箕面駅前に滝道の入口があり、滝までは約2.7キロのんびり歩いても1時間ぐらいで滝に到着します。

 昭和42年(1967)に明治百年を記念して指定された明治の森箕面国定公園は、紅葉と落差33m箕面大滝が有名で、大都市近郊にありながら、自然の宝庫として自然観察やハイキングなど四季を通じて多くの人々が訪れます。

 箕面川沿いや箕面大滝を中心とした関西随一の紅葉の名所。滝に至る遊歩道は滝道と呼ばれ、深い木立が渓谷をおおい清流と紅葉の見事なコントラストが楽しめます。もみじの天ぷらも名物のひとつです。

 箕面大滝までの滝道には右岸と左岸があり、公園内いたるところできれいな紅葉をお楽しみいただけます。

 「一汁二菜うえの」の自然に囲まれた名店の前は、紅葉の綺麗な場所で写真を撮る人が沢山おられます。

 きれいに色づくもみじを眺めながら滝道を散策できる絶好の季節です.

 紅葉の時期がすごく綺麗です。といっても観光地化されているので道沿いには土産屋が立ち並び、名物のモミジの天ぷらを食べながらのんびり歩いていけば、なお楽しめると思います

 650年に役小角(役ノ行者)が滝のそばで修行の後、滝の側に「箕面寺」として創建しました。空海や日蓮、蓮如などもここで修行したといわれています。南北朝の時に後醍醐天皇が隠岐の島に流された時、皇太子からの依頼で寺が書状お送り助け出したために天皇から「瀧安寺」を賜ったとも言われているそうです。

 朱塗りの瑞雲橋の向こうは鳳凰閣(左側)で、1917年(大正6年)の建築だそうです。紅葉の時期には素晴らしい風景です。

 この先には、お茶屋の宴席があり、春は桜、秋の紅葉と自然に恵まれほのぼのとした光景です

 瀧安寺附近の紅葉は、一段と美しくなり、瀧安寺弁財天付近のもみじは見ごたえ充分です。滝道(遊歩道)にもところどころモミジが綺麗になってきています。

 瀧安寺弁財天の鳥居の紅葉が綺麗ですね

 遊歩道(滝道)歩いていると、上の方に「野口英世」像が、実はこの像は、箕面にあった「琴之家」という料亭の女主人が建てたものです。世界的に有名な学者が久しぶりに日本に帰って博士は長い間さみしい思いをさせた母親に親孝行をしたいとの思いから、一緒に連れて行くことになりました。箕面の料亭で歓迎会に招待されたとき、関西でナンバーワンといわれる芸者が 舞を舞って歓待しましたが、それには目もくれず、かたわらの母親に箸を取って 食べさせ「お母さん、お母さん」と言って、まるでからだじゅうを撫で回すようないたわり方でした。博士の心情を理解しそっと涙を流したと言われています。そしてこの様子を見ていた女主人は感銘を受け後の人にも伝えていこうと思い、銅像を建てる決心をしたのです。

 箕面の紅葉は滝周辺だけでなく,山一帯が美しく真っ赤に染まります。

 公園の中間あたり、滝道と分かれ箕面川に架かる鶴島橋を渡ると、巨岩が2つ並んでおり、その間を人がやっと通れる道になっています。この岩は古くから姫岩と呼ばれており、人びとに親しまれてきました。


 新緑、紅葉ともに楽しめ、園内には昆虫館や広場などもあるので、家族連れには最適な和みスポットです。中でも、公園入り口の一の橋から大滝までの渓流沿いの道は、ハイキングコースとして家族連れなどで1年中にぎわいます。

 箕面の滝は、古くは修験道の道場であった。「箕面」の名は木々の間から流れ落ちる姿が蓑に似ていることから付けられたとか、周辺に「尾」のつく地名が多いことから水尾から転じたとも言われています。

 年間200万人以上の観光客が訪れる箕面公園は紅葉の名所であり、秋には特に多くの人で賑わいます。この日も、多くの人出が

 明治の森箕面国定公園は、大阪市近郊にありながら、およそ1,300種の植物と3,500種の昆虫、数多くの野鳥、哺乳動物、両生・爬虫類、魚類などの棲息する自然の宝庫です。

 裏側から見る、野口英世銅像の下にある琴の家は、現在民間の保養施設になっているようです。

 有数の紅葉の名所“箕面公園”で綺麗に色づくモミジを眺めながら滝道を散策できる絶好の季節でいいです。

 山沿いの滝道(遊歩道)を歩くと また 景色がことなり人通りも少なく静かな雰囲気をかもし出されます。

 いい天気で、紅葉も見頃に入りつつある時期で楽しませてもらいました。土産を買って帰ります。
 次回をお楽しみに  では またね

 
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