広兼邸 2016.09.16 2016年09月18日 08時17分26秒 | 歴史・遺跡・伝説 所在地 広兼邸 岡山県高梁市成羽町中野2710 ここは、車でしかアクセスできない場所で、道中ぎりぎりの細い山道を走ると「広兼邸」があります。広い駐車場から高低差20mくらい坂道を登らなければなりませんが、建物自体は昔の豪邸で八つ墓村のロケ地にもなったそうですが、確かに納得いく感じがします。 享和、文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅。江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています 広兼邸は大野呂の庄屋で、同家2代目元治が享和・文化のころ小泉銅山とローハ製造(ベンガラ)を営み巨大な富を築き、二階建ての母屋、土蔵3棟、桜門、長屋、石垣は文化7年(1810年)の建築で庭園には水琴窟がもうけられており、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで今もそのままに当時の富豪を偲ばせています。 ここ桜門は2層で不寝番部屋となっており、ここから24時間体制で見張りが行われていました。 江戸時代後期に築かれた屋敷で裏山の崖を切り崩しそれを石垣にして平坦な地を造りそこに今の屋敷を建てています。客間→玄関→店の間→控え間に離れ座敷と土蔵、もはや個人宅ではないですね。 広い台所にはカマドが沢山あり、漬物専用の置き場や精米場などもあり広い領域ですね。 この長屋は、手前から番頭や下の者の部屋があり、奥の方に廐や種こんにゃく保存室、仔牛小屋に農作業場が続いています。 大きな駐車場を見下ろし、石垣の上に、城郭を思わせるような楼門造りの邸宅が目に入ります。二度にわたって映画のロケ地になった、当時の富豪の邸宅ですね。 広兼邸付近には、これから見頃を向かえる彼岸花が咲き始めています。最高です。 次回をお楽しみに では またね « 羽山渓谷 2016.09.16 | トップ | 笹畝坑道 2016.09.16 »
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